新刊紹介:「歴史評論」2月号(追記・訂正あり)

★特集「近世日本の地域意識を問う」
・なお、詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。興味のあるモノ、「俺なりに内容をそれなりに理解し、要約できたモノ」のみ紹介する。

■「江戸時代の地誌編纂と地域意識」(引野亨輔*1
(内容紹介)
・福山藩内での地誌編纂が取り上げられている。
・まず福山藩の歴史を簡単にたどると以下の通り。
 「福島正則の領国の一部」→「福島の改易により彼の領国が広島藩と福山藩に分割され、広島藩は浅野氏が、福山藩は水野氏が支配」→「後継者がいないため水野氏が断絶、松平氏が新藩主に」→「しかし松平氏は1年で桑名藩に転封、阿部氏が新藩主に」。地誌編纂事業は阿部氏時代のことである。
・阿部氏時代に編纂された地誌には水野氏顕彰がなされているがそれは何故なのかという問題設定を筆者は行う。
結論としては
1)地誌のそもそもの編纂者は旧水野氏家臣であり、水野氏顕彰意識が強かった
2)水野氏の後に藩主となった阿部氏は「老中・阿部正弘*2」など、藩主から数々の幕府重臣を出し、当然「幕府重臣になるための政治工作費用」「幕府重臣就任後の政治活動費用」などで多額の費用がかかるものの福山藩は石高10万石程度に過ぎず、その結果、年貢徴収が過酷なものとなった
3)その結果、領民に「水野時代を美化する空気が広まり」、水野氏顕彰が自然と受けいられた
4)次第にこうした「ある種の作為性」は忘却されていき、水野氏顕彰は「事実であるように認識され」藩主・阿部正精の編纂した地誌「福山志料」ですら「旧水野氏家臣の編纂したもの」に比べれば「顕彰色は薄い」ものの顕彰自体はなされているのである。


■「近世城下町における祭礼・芸能興業と地域意識」(小林文雄)
(内容紹介)
・富本節の芸人・富本繁太夫の旅日記(東北での巡業日記)『筆満可勢』(ふでまかせ)が取り上げられている。日記からは以下のことが読み取れる。
・江戸文化が、地方においてある種のあこがれを持たれていたこと。
・ただし江戸文化が単純に受け入れられているわけではない点に注意が必要。繁太夫が盛岡の寄席で「北は秋田路、佐渡島、虎臥野辺の果てまでも」と歌ったところ、「秋田に虎などいるはずがない」という反応が返ってきたという。


■「江戸勤番武士がみた「江戸」と国元」(岩淵令治*3
(内容紹介)
 臼杵藩の江戸勤番藩士・国枝外右馬の日記が取り上げられている。日記からは江戸と臼杵を比較することによるある種の「臼杵藩の相対化」が認められるという。


■歴史のひろば「〈八紘〉概念と自民族中心主義:三原じゅん子参議院議員の発言に対して」(北條勝貴)
(内容紹介)
 まず三原の発言については小生が愛読している五十嵐仁氏のブログ記事がわかりやすく、かつ「三原に対する批判的見解」も小生も同意見なので長くなるが紹介する。

http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2015-03-18
■五十嵐仁の転成仁語『政治家の劣化を象徴するような三原じゅん子参院議員の愚劣な国会質問』
 「とうとうこんな質問をする議員が登場するようになってしまったんだなー」と、呆れてしまいました。「金八先生」もびっくりするような三原じゅん子自民党参院議員の国会での質問です。
 三原議員は16日の参院予算委員会で、企業の国際的な課税回避の問題を取り上げる中で「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)であります」と述べ、「八紘一宇の理念のもとに、世界が一つの家族のようにむつみあい、助け合える*4ような経済、税の仕組みを運用することを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、安倍総理こそが世界中に提案していくべきだと思う」と質問しました。
 これに対して、麻生太郎*5副総理兼財務相は「八紘一宇は戦前の歌の中でもいろいろあり、メーンストリーム(主流)の考え方の一つなんだと思う。こういった考え方をお持ちの方が、三原先生の世代におられるのに正直驚いた」と答弁しました。
 質問された麻生副総理も困ってしまったでしょうが、その麻生さんも、かつて「ナチスの手口に学んだらどうか」というトンデモ発言*6をして批判されたことがあります。「似た者同士」での質疑だったということになりましょうか。
 「八紘一宇」という言葉はもともと「世界を一つの家とする」という意味でしたが、太平洋戦争中、日本の侵略を正当化するための標語として使われた過去があります。このような背景からすれば、この言葉を肯定的に引用して質問することをはばかるのが普通の感覚です。
 三原議員はこのような歴史的な事実を知らずに質問したのでしょうか。もしそうであれば、国民として知っているべき基本的な知識を欠落していることになります。
 歴史教育が十分になされず、過去の侵略戦争の歴史についての基本的な知識が欠落すればどのような人間が生まれてくるかを示す典型的な例の一つで、これは国会の歴史においても大きな汚点になります。もちろん、国会議員としての資質を欠いていることは明白で、即刻、議員の座を去るべきです。
 それとも、三原議員は侵略戦争を合理化し遂行するためのスローガンであったという歴史的な背景を知っていて質問したのでしょうか。もしそうであれば、過去の戦争を肯定し、美化する立場を明示したことになります。
 このようなトンデモ質問が堂々と行われたのは前代未聞の恥ずべき出来事にほかなりません。その背景には、安倍政権によってかもし出されている右翼的な空気があるということも、同時に指摘する必要があります。
 安倍政権の閣僚や首相が任命した自民党役員の中には、ヘイトスピーチで問題となっている在特会や日本版ネオ・ナチ勢力とのツーショット写真を撮り、それが問題とされてもおとがめなしで、国会内で平然と風を切って闊歩しています*7。このような国会の雰囲気からすれば、三原議員の今回の質問も顰蹙を買うどころか評価されかねません。
 日本人2人が過激派集団によって人質にされても見殺しにする政府、「日教組はどうなんだ」と根拠のないヤジを飛ばした首相*8、「政治とカネ」の問題を追求されても「知らなかった」と居直って反省することのない議員たち*9ハイヤー代をケチろうとしてバレたら慌てて支払ったNHK会長*10、そして今回の「八紘一宇」を評価する国会質問などなど……。
 一体、この国はどうなってしまったのか、と言いたくなります。このような政治と政治家の劣化も、安倍政権の暴走を許してしまっている大きな要因ではないでしょうか。

 さて、これで終わりにしてしまっては「北條論文の紹介」になりませんので北條論文の紹介に移りましょう。
 さて八紘一宇については

太平洋戦争中、日本の侵略を正当化するための標語として使われた過去があります。

という五十嵐氏の指摘が重要でしょう。つまり「八紘一宇古事記日本書紀に根拠がある」などという言い逃れは全く無意味だと言う事です。
 「太平洋戦争以前の八紘一宇概念」が仮に「何の問題もない」としても「太平洋戦争以降、侵略主義の色彩を帯びてしまった」以上、そのような言い逃れは詭弁に過ぎない。というより、三原の発言が未だに「八紘一宇をスローガンとして行われたあの戦争」を美化礼賛する日本会議神社本庁など復古主義右翼への媚びへつらいであり、しかしさすがに公然と「大東亜共栄圏万歳」とは公言できないため、八紘一宇と口にし、にもかかわらず「戦前を美化しているわけではない」と強弁していることは見え透いています。
 さて

「太平洋戦争以前の八紘一宇概念」が仮に「何の問題もない」としても「太平洋戦争以降、侵略主義の色彩を帯びてしまった」以上、そのような言い逃れは詭弁に過ぎない。

で終わらせてもいいのですが、そもそも「太平洋戦争以前の八紘一宇概念」には問題はないのか。「大ありだ」というのが北條氏の見解です。氏曰く「古事記日本書紀での八紘一宇」が「天皇を中心とした国家形成」を意味し、「天皇に従わない逆賊(九州の熊襲など)は武力討伐していい」という「もともと侵略主義的な代物」というのが、北條氏の見解です。
 もちろん
id:Bill_McCrearyさんエントリ「この場でチンギス・ハンの犯罪について論じても、それには何の道徳的価値もないのだ(チョムスキー)」
http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/044d1d093947ee1e1f53ba9c7528e50e
同様、古代天皇家の地方制圧を論じても「ある意味どうにもならない」わけですがだからといって無邪気に「古事記の八紘一宇は侵略思想ではない(三原など)」というのは「事実に反する発言だ」として北條氏は批判するわけです。
 最後に北條氏は「八紘一宇概念」のルーツは中国にあることを指摘し、「日本の伝統だ」という主張が事実に反するとして論文を終えます。なお、「八紘(世界)」を治めるのは「中原(中華)」であり、八紘一宇概念のバックにはいわゆる中華思想があると北條氏はしています。
 産経などが中国(中華人民共和国)の外交や少数民族統治(例:チベットウイグル)を「周辺諸国少数民族を見下す中華思想漢民族中心主義」と非難していることを知っていれば苦笑する結論ではあります。まあ、中国の外交や少数民族統治が「周辺諸国少数民族を見下す中華思想」かどうかはともかく*11八紘一宇思想に基づいた太平洋戦争が「東南アジアを見下す日本型中華思想だったこと」は間違いないでしょう。

参考

http://mainichi.jp/articles/20150327/dde/012/010/022000c
毎日新聞・特集ワイド『続報真相:戦意発揚スローガン「八紘一宇」国会発言 問題視されない怖さ』
 16日の参院予算委員会で、自民党三原じゅん子議員が戦争遂行のスローガンに使われた言葉「八紘一宇(はっこういちう)」を肯定的に紹介してから10日余り。大きな問題にはなっていないが、戦後70年を迎える折も折、「良識の府参議院で飛び出した発言を忘れ去っていいのだろうか。
 「ご紹介したいのは、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇であります。初代神武天皇が即位の折に『八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(な)さむ』とおっしゃったことに由来する言葉です」。
 三原氏は国際的な租税回避問題に関する質問の中で、この言葉を持ち出した。「現在のグローバル資本主義の中で、日本がどう立ち振る舞うべきかが示されている」というのが、その理由だった。
 しかし、言うまでもなく「八紘一宇」は、日本を盟主とする世界統一の理想を表すものとして、戦意発揚に用いられた言葉だ。日本書紀の「掩八紘而為宇」という漢文から「八紘一宇」を造語したのは戦前の宗教家、田中智学(ちがく)とされる。
 一方、三原氏が事前に参院予算委員全員に配布した説明資料には、八紘一宇について<日本は一番強くなって、そして天地の万物を生じた心に合一し、弱い民族のために働いてやらねばならぬぞと仰せられたのであろう>と記されている。出典は1938年に出版された清水芳太郎著「建国」という書物だ。
 国会図書館に出向き、デジタル保存されている同書を閲覧した。すると、三原氏の配布資料に含まれていないページにも、気になる記述があった。日本書紀の「掩八紘而為宇」の直前にある「兼六合以開都」を、こう解釈しているのだ。
<六合を兼ねて以(もっ)て都を開き=とあるのは、思うにその時は大和を平定したに過ぎず、まだ奥の方に国はあるけれども、それは平定していなかった。(中略)大和が皇化されるならば、更に進んで全世界を皇化せねばならぬと仰せられたのであろう>
 「六合」とは天地と四方。田中智学は、この「兼六合以開都」からも「六合一都」(世界を一国に)を造語したとされる。戦前や戦中には「八紘一宇」とセットで用いられることも少なくなかった。
 学問的な評価はさておき、三原氏が今回の質問にあたって依拠した書物ににじむ思想は、三原氏の言う「日本がどう立ち振る舞うべきかが示されている」と言えるのか。首をかしげざるを得ない。
 清水とはどんな人物だったのか。鹿児島大の平井一臣*12教授(政治史)が2000年に著した「『地域ファシズム』の歴史像」*13によると、1899年、和歌山県に生まれた。早稲田大卒業後の1928年から西日本新聞の前身の一つである九州日報の主筆。のちに健康食品などを開発、販売する清水理化学研究所を設立。同研究所を母体に国家改造運動団体「創生会」を結成し、農村救済などに取り組む。41年に飛行機事故で死亡するまでジャーナリスト、発明家、活動家と目まぐるしく職業を変えた生涯だった。
 平井教授は「清水は主に九州北部で活動したため知名度は高くありませんが、『日本的ファシストの象徴』といわれた北一輝の流れをくむ国家主義者です。体系的思想よりも、時事問題を分かりやすく文章にまとめるのが得意だったようです」と語る。
 清水が注目されたのは37年7月の日中全面戦争の勃発以降だ。同年内に2回も中国戦線を視察し、九州各地で大規模な報告会を開いた。清水が率いる創生会はその後、日独同志会結成や排英運動でめざましい活動を続け、軍部からも、その大衆動員力を注目されたという。「『建国』は日中全面戦争勃発の前後に書いた文章をまとめた本です。この時期から創生会は農村救済から軍部への協力に軸足を移し、運動を変質させていった」と平井教授。本の扉には「八紘一宇 陸軍中将 武藤一彦」と大書されている。
 「満州出兵は日露戦争の権益を確保するためと説明できたが、権益を持たない中国全土を相手にした戦争は国益論では正当化できなくなった。このため軍部は、他民族に優越した日本民族を中心とした東亜新秩序の構築のためという虚構をつくり上げた。八紘一宇は、その虚構を支えるスローガンだった」。
 平井教授はそう指摘し、三原氏の発言については「今の時代に、国会で『八紘一宇』や清水芳太郎の名前が出るとは思わなかった」と驚きを隠さない。
 三原氏は毎日新聞の取材に文書で回答を寄せた。数多くの文献の中から「建国」を選んだ理由については、同書の一節に<現在までの国際秩序は弱肉強食である><強い国が弱い国を搾取する>などの表現があり「現在のグローバル資本主義が弱い国に対して行っているふるまいそのままだと思い引用した」と説明。「時代状況を踏まえぬ言葉の解釈だ」との批判に対しては「八紘一宇の元々の精神は、少なくとも千数百年もの間、『我が国が大切にしてきた価値観』だったわけで、戦前はその精神から外れて残念な使われ方がされたものであり、だからこそ元に戻ろうということ」としている。
(中略)
 歴代内閣は八紘一宇に否定的な見解を示してきた。中曽根康弘首相は83年1月の参院本会議で「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った。それが失敗のもとであった」と述べている。
(後略)
【浦松丈二】

■八紘一宇(ウィキペ参照)
 古代中国でしばしば用いられた慣用句を元とし、『日本書紀』巻第三神武天皇の条に書かれた「掩八紘而爲宇」の文言を戦前の大正期に日蓮主義者の田中智學が国体研究に際して使用した語。八紘為宇ともいう。大意は「道義的に天下を一つの家のようにする」という意味である。
 この言葉が日本でよく知られるようになったのは『日本書紀』巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」(いわゆる橿原奠都の詔)にある

「上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎」
(上は則ち乾霊の国を授けたまいし徳に答え、下は則ち皇孫の正を養うの心を弘め、然る後、六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩いて宇と為さん事、亦可からずや。)
日本書紀巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」

からの引用である。ここで「八紘」とは、

九州外有八澤、方千里。八澤之外、有八紘、亦方千里、蓋八索也。一六合而光宅者、並有天下而一家也。
・『淮南子*14』地形訓

「湯又問:『物有巨細乎?有修短乎?有同異乎?』革曰:『渤海之東不知幾億萬裡、有大壑焉、實惟無底之穀、其下無底、名曰歸墟。八紘九野之水、天漢之流、莫不注之、而無筯無減焉。』……」
・『列子*15』湯問

に見ることができる。すなわち「8つの方位」「天地を結ぶ8本の綱」を意味する語であり、これが転じて「世界」を意味する語として解釈されている。また、「一宇」は「一つ」の「家の屋根」を意味している。このような表現は中国の正史後漢書・晋書にもあり、例えば晋書では晋の武帝*16が『司馬炎*17三国志でも有名な呉・蜀を滅ぼし中国全土を統一したこと』を「八紘同軌(八紘一宇と同趣旨)*18」といっている。
・大正期まで「八紘」という言葉は文人が時々用いる雅語どまりで、それほど用例が豊富ではなかった。
 ところが、これを大正期に国柱会を興した日蓮主義者・田中智學が「八紘一宇」を道徳価値の表現として造語したとされる[要出典]。もっとも、田中の国体観は日蓮主義に根ざしたものである。田中は、その当時から戦争批判や死刑廃止も訴えており、軍部が宣伝した八紘一宇というプロパガンダに田中自身の思想的文脈がそのまま継承されているわけではない。田中が結成した立憲養正會は新体制運動や大政翼賛会を批判していたためかえって弾圧の対象となり、1942年3月17日には結社不許可処分を受け、解散に追い込まれた。
・「八紘一宇」という用語に最初に着目した行政機関は軍部であるといわれる[要出典]。1936年(昭和11年)に発生した二・二六事件では、反乱部隊の「蹶起趣意書」に、「謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す」とある。
・「八紘一宇」という表現を内閣として初めて使ったのは第一次近衛*19内閣であり、1937年(昭和12年)11月10日に内閣・内務省・文部省が国民精神総動員資料第4輯として発行した文部省作成パンフレット「八紘一宇の精神」であるとされる[要出典]。1940年(昭和15年)には、第2次近衛内閣による基本国策要綱(閣議決定文書、7月26日)で、「皇国ノ国是ハ八紘ヲ一宇トスル肇国ノ大精神ニ基キ世界平和ノ確立ヲ招来スルコトヲ以テ根本トシ先ツ皇国ヲ核心トシ日満支ノ強固ナル結合ヲ根幹トスル大東亜ノ新秩序ヲ建設スルニ在リ」と表現し、大東亜共栄圏の建設と併せて言及された。同年9月27日には、日独伊三国同盟条約の締結を受けて下された詔書にて「大義ヲ八紘ニ宣揚シ坤輿ヲ一宇タラシムルハ実ニ皇祖皇宗ノ大訓ニシテ朕ガ夙夜眷々措カザル所ナリ」と言及されるに至った。
・現在、「大辞林」(三省堂)、「広辞苑」(岩波書店)、「大辞泉」(小学館)といった日本の代表的な国語辞典では、八紘一宇は「第二次大戦中、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた」などと批判的に説明している。
第二次世界大戦での日本の降伏後、連合国軍最高司令官総司令部GHQ)によるいわゆる神道指令により国家神道軍国主義・過激な国家主義を連想させるとして、公文書における八紘一宇の語の使用が禁止された。
・1946年(昭和21年)より開廷された極東国際軍事裁判において、検察側意見では「八紘一宇の伝統的文意は道徳であるが、…一九三〇年に先立つ十年の間…これに続く幾年もの間、軍事侵略の諸手段は、八紘一宇と皇道の名のもとに、くりかえしくりかえし唱道され、これら二つの理念は、遂には武力による世界支配の象徴となった」としたが、東条英機*20の弁護人・清瀬一郎*21は著書『秘録・東京裁判』(現在、中公文庫で入手が可能)のなかで「八紘一宇は日本の固有の道徳であり、侵略思想ではない」と反論している。
・1957年(昭和32年)9月、文部大臣松永東*22衆議院文教委員会で、「戦前は八紘一宇ということで、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発しておったようであります。」と発言した。1983年(昭和58年)1月衆議院本会議では、総理大臣中曽根康弘*23も「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった。」と説明した。

【追記】
 北條論文については参考としてコメント欄でのid:Bill_McCrearyさんの指摘と、その指摘を元にしたエントリ『チンギス・ハンの犯罪についてのチョムスキー発言への補足』(http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/47dffc22d5d47eb07031f077f15c3589)を紹介しておきます。


■歴史の眼「国立大学人文社会科学系学部・大学院の廃止・転換問題を考える」(河島真)
(内容紹介)
 「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」(2015年6月8日文科大臣決定)とその決定の影響について筆者が所属する神戸大学の動向を元に「人文科学軽視ではないか」と批判的に論じている。

参考
赤旗
■安倍流「国立大改革」の暴走(上):3類型に再編“人文系つぶし”
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-05-10/2015051002_04_0.html
■国立大人文系を統廃合、文科省が通知 交付金も重点配分
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-06-10/2015061002_02_1.html
■主張『「国立大学改革」、文系などの切り捨てを許すな』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-06-26/2015062601_05_1.html
■「文系廃止」通知 破綻に直面、問われる大学の「類型化」路線、産業界の要求“丸のみ”
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-10-12/2015101202_02_1.html
■国立33大学 文系再編・縮小、中期目標・計画素案
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-10-21/2015102101_03_1.html
■国立大文系廃止に抗議、17大学学部長 「人的基盤ゆるがす」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-10-27/2015102701_04_1.html

 政府、自民党文科省の方向性を「人文系軽視」と理解した上での批判記事である。


■WEBRONZA『人文・社会科学と大学のゆくえ:すぐ役に立つことはすぐ役に立たなくなるー大学教員も率直な反省を』(須藤靖*24
http://webronza.asahi.com/science/articles/2015080300002.html
 登録しないと一部しか読めないが。ただし一部だけでも文科省の方向性に対して批判的見解であることは伺える。


■土佐のまつりごと『“文系不要論”の愚かさ ・・・財界にも否定される』
http://wajin.air-nifty.com/jcp/2015/09/post-bb77.html


■産経『【日本の議論】国立大の「文系廃止」の誤解はなぜ広がったのか? 原因は「舌足らず」の通知文 文科省は火消しに躍起だが…』
http://www.sankei.com/premium/news/150907/prm1509070006-n1.html
 誤解とはあくまでも政府、自民党文科省、及び「自民党御用新聞産経」の言い分でしかない点に注意。いずれにせよ、仮に政府、自民党文科省側の考えが批判派の認識通り、「人文軽視」だとして、産経文化人連中にも人文系はいるので「人文軽視=左派以外は賛成」つうわけもなく、そうそう簡単に思惑通りにはいかないだろう(思惑通りにいっても困るが)。

*1:著書『近世宗教世界における普遍と特殊:真宗信仰を素材として』(2007年、法蔵館

*2:日米和親条約当時の老中として有名。

*3:著書『江戸武家地の研究』(2004年、塙書房

*4:北條氏も指摘しているがこの「家族」云々とはあくまでも「天皇を中心とした国家」であり、天皇に逆らうことは許されていないという意味でおよそ家族の名に値しない代物である。

*5:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て現在、第二次、第三次安倍内閣副総理兼財務相

*6:たとえば■赤旗『国際政治にも国政にも参加する資格なし、麻生氏のナチス肯定発言 志位委員長が批判の見解』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-02/2013080201_01_1.html)、『麻生氏ナチス肯定発言、異常な歴史観 世界から孤立 安倍内閣』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-05/2013080502_03_1.html)参照

*7:たとえば■赤旗高市総務相・稲田自民党政調会長がネオナチ代表と写真』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-09-11/2014091101_04_1.html)、『「在特会」の違法性認めない山谷えり子国家公安委員長、記念写真や献金“特別”な関係』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-11-07/2014110702_05_1.html)参照

*8:たとえば■赤旗『首相自ら異常やじ、衆院予算委』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-02-22/2015022202_02_1.html)参照

*9:たとえば■赤旗『政治とカネ 無反省、首相 開き直り答弁、閣僚の疑惑「何が問題なのか」』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-02-28/2015022802_03_1.html)、『首相「知らない」は通用しない、補助金企業からの献金 共産党と本紙がくり返し指摘』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-03-06/2015030615_01_1.html)参照

*10:たとえば■赤旗ハイヤー私用 “不明朗金銭”徹底点検を、吉良氏、籾井氏を追及』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-04-08/2015040802_03_1.html)参照

*11:と言うと例のid:Mukkeさんやid:noharraなどは「中国を擁護するのか」と言いだしかねませんが。

*12:著書『首長の暴走:あくね問題の政治学』(2011年、法律文化社)など

*13:法律文化社刊行

*14:前漢武帝の頃、淮南王劉安が学者を集めて編纂させた思想書

*15:春秋戦国時代の列士の著書とされる道家の文献。ただし非実在人物説、偽書説も有力な老子荘子同様、非実在人物説、偽書説も有力でありこの文献をもって「八紘一宇概念のルーツは春秋戦国にある」ということはできない。ただし淮南子については資料として問題はないとされているので少なくとも前漢時代に「八紘一宇概念のルーツがある」と言うことに問題はない

*16:司馬炎の孫で晋皇帝

*17:『死せる孔明、生ける仲達を走らす」という慣用句で知られる魏の武将・仲達(司馬懿)の孫。曹操が建国した魏を曹操の子孫から乗っ取り、晋を建国、初代皇帝についた。なお蜀の滅亡は、「司馬炎が魏の武将時代のこと」、呉滅亡は「晋建国後のこと」である。

*18:蜀や呉に対する武力討伐が「八紘同軌」と表現されていることで八紘一宇概念が侵略的なものであることは明白だろう。

*19:貴族院議長、首相、枢密院議長など歴任、戦後自殺。

*20:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、近衛内閣陸軍大臣、首相など歴任。戦後、A級戦犯として死刑判決。

*21:戦後、鳩山内閣文部大臣、衆院議長を歴任

*22:衆院議長、岸内閣文部大臣を歴任

*23:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*24:著書『宇宙の大構造:その起源と進化』(1992年、培風館)、『ダークマターと銀河宇宙』(1993年、丸善)、『一般相対論入門』(2005年、日本評論社)、『もうひとつの一般相対論入門』(2010年、日本評論社)、『宇宙人の見る地球』(2014年、毎日新聞社)など