今日のしんぶん赤旗(3/8分)

クリントン政権時の労働長官、サンダース氏支持を表明

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-03-08/2016030806_01_1.html
 米民主党の大統領候補者指名をめぐり、第1期クリントン*1政権(1993〜97年)で労働長官を務めたロバート・ライシュ*2(カリフォルニア大学バークリー校教授)がバーニー・サンダース上院議員への支持を表明しました。「クリントン・ファミリー」の一員とみなされていた同氏の表明に、米メディアは驚きとともに注目。
(中略)
 ライシュ氏は2月26日、フェイスブックで「私はバーニー・サンダースを米国大統領として支持する。彼は少数のためでなく多数のための米国を取り戻す運動を導いている」と表明。所得や富、政治権力が一握りのトップに集中していることを正す必要があると強調しました。
 ライシュ氏はその後、さまざまなメディアに登場。3月1日放送のニュース番組「デモクラシー・ナウ」では、サンダース氏の主張する国民皆保険制度の導入といった改革がけっして非現実的なものではないと強調しました。

 もちろん過大評価はできないでしょうが「クリントン政権元閣僚」がサンダース支持を表明するとは確かにびっくりです。
 

■主張「3・8国際女性デー」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-03-08/2016030801_05_1.html

 3月8日は国際女性デーです。国際女性デーは、100年以上にわたって、平和とくらし、女性の権利を求めてとりくまれてきた女性の共同行動の日です。

1)昨日7日に、国連が日本に対し慰安婦問題でのダメ出しをした(例えば産経『「金銭」や「謝罪」求める 国連女子差別撤廃委員会の最終見解』(http://www.sankei.com/politics/news/160307/plt1603070043-n1.html)参照)のも
2)今日8日に、台湾で慰安婦記念館の開館記念式典が行われ、馬総統が祝辞を述べた(例えば産経『馬総統「日本人はどうして善意示せない」台湾初の慰安婦記念館除幕式で賠償要求』http://www.sankei.com/world/news/160308/wor1603080034-n1.html参照)のも「偶然ではなく」、「今日が国際女性デーだから」なのでしょうね。まあ、小生も含めて日本ではフェミニストでもなければ「国際女性デー」を知ってる人は少ないでしょうが。
 しかしよりによって「国際女性デーの日に日本の女性差別慰安婦問題)が国際ニュースになる」とは何とも皮肉です。
 なお、国際女性デーは

国際女性デー(ウィキペ参照)
・1904年3月8日にアメリカのニューヨークで、女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こした。これを受けドイツの社会主義者クララ・ツェトキン*3が、1910年にコペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱したことから始まった。
・国際女性デーにちなむ最大の事件は、1917年にロシアで起こった二月革命である。3月8日の国際女性デー(当時ロシアで使われていたユリウス暦では2月23日にあたる)に首都ペトログラードで行われた女性労働者を中心としたデモは、男性労働者、更には兵士を巻き込んだ大規模な蜂起となり、最終的には帝政を崩壊に追い込んだ。そのため、3月8日はソ連では祝日であった。
・日本では1923年3月8日、社会主義フェミニスト団体赤瀾会(伊藤野枝*4山川菊栄*5などが中心人物)が初の集会を開催。
・国連は1975年(国際婦人年)の3月8日以来この日を「国際婦人デー」と定め、国連事務総長が女性の社会参加の環境を整備するよう、加盟国に対し呼びかける日となっている。2000年には、国連人権高等弁務官のメアリー・ロビンソン(アイルランド初の女性大統領)が21世紀に向けて「女性が権利の獲得に向けたこれまでの歩みを祝うと同時に、女性被害者は、いまだに跡を絶たないことを想起する日」であると言明する文書を発表した。

ということでもともとは左派的な色合いが濃いので赤旗が取り上げるのは実に自然と言っていいのでしょう。

*1:アーカンソー州知事を経て大統領。現在民主党予備選を戦っているクリントン国務長官は彼の妻。

*2:著書『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ:21世紀資本主義のイメージ』(1991年、ダイヤモンド社)、『勝者の代償:ニューエコノミーの深淵と未来』(2002年、東洋経済新報社)、『暴走する資本主義』(2008年、東洋経済新報社)、『余震(アフターショック):そして中間層がいなくなる』(2011年、東洋経済新報社)、『格差と民主主義』(2014年、東洋経済新報社)など

*3:ドイツ社会民主党で党内左派として活動。1891年〜1917年に社民党の女性向け機関誌『平等』の編集者となり、1907年には新設された党婦人部長に就任。第一次世界大戦が勃発すると、社民党首脳部の戦争協力姿勢に反対。ローザ・ルクセンブルクやカール・リープクネヒトらと共に1916年にスパルタクス団を結成した。その後、独立社会民主党を経て、ドイツ革命後の1920年にドイツ共産党の結成に参加。帝国議会議員として活動しながら、党中央委員・コミンテルン代表委員を歴任した。1933年にアドルフ・ヒトラー率いるナチスが政権を掌握し、国会議事堂放火事件で共産党が非合法化されると、ソ連に亡命した。同年にモスクワで客死。

*4:大杉栄と共にいわゆる甘粕事件で暗殺された

*5:1947年、片山哲社会党内閣のもとで労働省の初代婦人少年局長に就任。また1974年に著書『覚書・幕末の水戸藩』(岩波書店)で大佛次郎賞受賞。