今日の産経ニュース&人民日報ニュース(3/21分)(追記・訂正あり)

人民日報
ジョセフ・ナイ*1「米中はトゥキディデスの罠を回避できる」
http://j.people.com.cn/n/2015/0917/c94474-8951561.html
キッシンジャー*2「中米間に『トゥキディデスの罠』は存在せず」
http://j.people.com.cn/n3/2016/0321/c94474-9033096.html
 「大国の対立は必然的に戦争に移行する≒トゥキディデスの罠」つう話のようです。確かに「第一次世界大戦第二次世界大戦は大国の対立(ドイツVS英仏など)が戦争にまで発展した」もんではあります。
 とはいえ、小生からすれば「あの頃と時代が違うし、いくら何でも米中で戦争なんか起こるわけないだろ」と思いますが、ナイやキッシンジャー、あるいは人民日報がこう強く主張すると言う事はその種の「米中戦争不可避論」を唱え、軍拡を主張する反中国タカ派や反米国タカ派がお互いの国にいると言う事なんでしょうか。


■産経『【内藤慎二の野党ウオッチ】安倍首相の「自公VS民共」発言の一体どこがレッテル貼りなのか? 民&共の蜜月は確実に深まっている』
http://www.sankei.com/premium/news/160321/prm1603210011-n1.html
 故意に話のすり替えをやってるとしか思えないあほ記事です。
 岡田*3民主党代表や志位*4共産党委員長などが「レッテルを貼るな」と安倍首相ら自公政治家に反論したのは「選挙協力していない」ということではなく「野合ではない、安保法廃止は立派な共闘理由だ」「政党が違うのだから意見の違いはあって当たり前。選挙共闘はあくまでも自公打倒のために小異を捨てて大道につくと言う事。日本軍と戦うために毛沢東蒋介石が共闘したようなもん」「自公のほうこそ野合じゃないのか」つうことなのですが。選挙協力の否定などいつ誰がしたのか。
 当然ながら「蜜月(複数地域での選挙協力の動き)は確実に深まってる」なんて言ったところで何の批判にもなっていません。
 「野合ではないという我々の反論への批判がそれですか?」と岡田氏や志位氏に呆れられるのがオチです。


■産経『【本郷和人*5の日本史ナナメ読み】(72)殉死でミソを付けた奥平家』
http://www.sankei.com/life/news/160321/lif1603210021-n1.html

 主君のあとを追うことを殉死というのはご存じですね。
(中略)
 3代将軍徳川家光が死んだときには11人が追い腹を切り、このうちには老中を務めた堀田正盛阿部重次が含まれています。「知恵伊豆」と呼ばれた松平伊豆守信綱は殉死しなかったのですが、そのために江戸の庶民にからかわれました。

 ウィキペ「松平信綱」によれば

 慶安4年(1651年)の家光の死の際に殉死しなかったことを江戸市民は非難し、「伊豆まめは、豆腐にしては、よけれども、役に立たぬは切らず*6なりけり」と皮肉ったという。ただし信綱が殉死しなかったのは、四代将軍・家綱(家光の息子)の補佐を家光から委託されていたためであり、信綱は「二君にまみえず」とは違う家中に仕えることを指しており、先代に御恩を蒙っている者が皆殉死したら誰が徳川家を支えるのかと反論している。

とのこと。

 寛文8(1668)年2月、宇都宮藩11万石の殿さま、奥平忠昌が亡くなりました。
(中略)
 後継者は嫡男の昌能(まさよし)で、時に36歳。当然、人の上に立つ者としての分別を求められる年齢なのですが、どうにもこの人、軽率だった。

 まあ、我が国の今の首相なんか「60越えてても」知性や品格のかけらもないですからねえ。年齢は関係ないでしょう。

 その一つの判断ミスは後に江戸三大敵討ち*7の一つ、「浄瑠璃坂の敵討ち」に発展していくのですが、その話はさておき、ここではもう一つの方を取り上げます。
 それは、亡父の寵臣(ちょうしん)だった杉浦右衛門兵衛に対して発した、軽率きわまりない一言でした。
「あれ、おまえ、まだ生きているのか」。
 こんなことを言われたらたまらない。憤怒した杉浦は、ただちに切腹しました。ところがこれが大問題になった。
 というのは、当時の江戸幕府は、4代将軍家綱のもとで武断政治から文治政治へと転換を図っていたただ中だったのです。その一環として、事件に先立つ寛文3年には殉死を禁止するお触れを出していた。そのため、本来ならば「あっぱれ忠臣の鏡よ、まことの武士よ」と褒めたたえられたであろう杉浦の殉死は幕府への挑戦と捉えられ、杉浦家の跡継ぎはかわいそうに斬罪*8(ざんざい)(名誉の切腹ではなく)に処せられてしまいました。
 けれども、この一件で責められるべきは、誰が見ても杉浦ではない。武士のメンツを踏みにじった昌能その人です。でも、ここでも「神君・家康の血筋」がものをいった。昌能は2万石を減封の上、(ボーガス注:宇都宮藩から)出羽山形藩9万石に転封、という軽い罰ですんだのでした。

 「家光時代は褒められた殉死(むしろ殉死しない方が非難された)が、家綱時代には処罰の対象」て「何だかなあ」としか言いようのない話ではあります。
 スターリンジョークの
A「俺はXを批判したら反革命容疑でこの刑務所に入れられたんだ」
B「俺はXを褒めたら反革命容疑で(以下略)。ちなみにあんたは?」
C「私がXだ!」を連想させる話ではあります。


■産経『安保法制を59カ国支持 中東・アフリカも、積極的平和主義に理解広がる 中韓は牽制「疑念引き起こす」「透明性を」』
http://www.sankei.com/politics/news/160321/plt1603210007-n1.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.sankei.com/politics/news/160321/plt1603210007-n1.html
 単に1)「自衛隊活用して自国の兵隊死傷者減らしたい(NATO加盟国)」、2)「経済大国の日本に媚びてカネ引っ張りたい(発展途上国)」つうだけだと思うが/「支持国が多い→素晴らしい」ならAIIBも支持しろよ

つうブクマをつけさせて頂きましたが、つまり、まあ「産経の言う」理解とやらは広がってないでしょうね。
 中国、韓国が反発してるのは当然「日本による侵略の惨禍」を経験してるからです。つまりは「沈魚島(尖閣)とか独島(竹島)とかを口実になんか軍事攻撃をやってくるんじゃないか」と未だに疑われてるつうことでしょう。南京事件否定論河野談話否定論、大東亜戦争聖戦論なんか未だに放言するからである意味自業自得です。ロシアなんかも「クリル諸島北方領土)に軍事攻撃に来るかも知れない」と疑ってるんじゃないか。
 とは言え今は調子あわせて「日本に賛成」つうてる国も「アメリカがイラクフセイン政権やアフガン・タリバン政権を攻撃したようなこと」「NATO軍がユーゴを空爆したようなこと」を「日本の自衛隊が自分の国相手にやるかも知れない」と思ったら中韓露と同様、反対するでしょうね。


■産経『【正論】左派と右派が少数先鋭化し、無関心層も拡大…ニヒリズムの蔓延を食い止めよ』拓殖大学学事顧問・渡辺利夫*9
http://www.sankei.com/column/news/160321/clm1603210008-n1.html
 まあ産経らしいバカバカしいタイトルです。「少数先鋭化する左派」とは何なのか。いわゆる極左過激派(革マル派中核派)ではおそらくないわけです。
 渡辺が「故意に曖昧に書いてるのか、バカだから明確に書けないのか」知りませんが「少数先鋭化する左派」とは具体的には何なのか、何一つ書いていません。しかし、おそらく「安倍批判=少数先鋭化する左派」なんでしょう。バカバカしいとしか言いようがない。安倍批判派のどこが少数なのか、どこが左派なのか(もちろん左派もいますが右派(穏健保守)もいます。小林節氏などは明らかに左派ではない)。
 しかしそれでも「先鋭化する左派」はまだ見当がつくからいい。「先鋭化する右派」つうのは理解すら不能です。いわゆる保守本流の立場にたてば「先鋭化する右派=産経のような極右」になるでしょうが、これは産経の記事だからそういうことにはなるわけがない。つうと「少数先鋭化する右派」とは産経すら嫌悪するレベルの極右(例:在特会)なのか。
 また「政治的無関心層の拡大」の大きな理由は「安倍が世論を無視すること」でしょうがそう言う理解は勿論産経はしません。

 昨年1月の内閣府世論調査では「日本が戦争に巻き込まれる危険性がある」と答えた国民は76%に及んでいるではないか。

 「だから抑止力が、安保法制が必要だ」と強弁する渡辺ですがこの「巻き込まれる」にはおそらく渡辺的な理解とは180度逆の「安保法制で戦争に巻き込まれる、安保法は危険だ」という理解も恐らくあるでしょう。そのどちらの理解がどれほどの%なのかは詳しく調べないとわからないでしょう。
 また「脱原発」など自分に都合の悪いことでは世論調査を無視する産経が都合のいいときだけ世論調査を振り回すなどご都合主義にも程があります。


■産経『【正論大賞】J・アワー氏受賞記念講演詳報(和訳)「日米同盟はいかに中国に立ち向かうのか」』
http://www.sankei.com/premium/news/160321/prm1603210008-n1.html
 産経文化人らしいタイトルですが唖然です。「日米同盟で中国を封じ込める」など日中経済関係の重要性を考えれば実に愚かな考えでしょう。日米保守派でもここまでの反中国極右も珍しいんじゃないか。

 1990年代にはソ連が崩壊し、太平洋における日本の海自とアメリカ海軍における抑止力による勝利が決まった。この勝利が可能となったのは、ソ連は多数の潜水艦にもかかわらず、米国海軍そして海自が西太平洋を掌握し続けたからです。

 「米ソ熱戦が日本周辺で起きなかった理由*10ならまだしも」、ソ連崩壊と「日米の海軍力」など関係ないと思いますが、まあ、「海軍バカのアワー氏」としてはそういうことにしたいのでしょう。

日本とアメリカは同様に、中国の攻撃的な戦争行為を同じように抑止することができるのであろうか、ということです。

 やれやれですね。どこで誰を相手に中国が戦争すると言うんでしょうか。南シナ海の領土紛争はそこまでの話ではないでしょう。

 中国本土が過去の華夷秩序を復活させたいと願っていることは疑いようもない

 何で「疑いようもない」のかさっぱりわかりません。そもそも「過去の華夷秩序(いわゆる朝貢関係)」なんか復活できるわけもない。仮に中国が「アジアの盟主的立場に立とうとしているとしても」それは「米国がNATOなどを利用し、欧米諸国の事実上の盟主となっていること」と似たような話でしょう。そして米国と欧州の関係は普通「華夷秩序」とは言わない。
 つまり「中国の政治行動」は少なくとも「過去の華夷秩序の復活」と表現すべき話ではない。まあそんな事はアワー氏も百も承知で「過去の華夷秩序の復活=時代錯誤」というレッテルを中国に貼りたいだけでしょう。
 ある意味「まともな中国認識を阻害する」トンデモ主張と言えるでしょう。

もし日米が必要以上のことをやっても、危険ではありません。でも少なすぎたり、あるいは中国が軍事行動に出た際にアメリカと日本が行動に出るという信憑性が明確に示されなければ、中国政府は軍事行動によって覇権を握る試みにでるかもしれません。

 アワー氏の言う「必要以上のこと」とは要するに「専守防衛の国是なんか廃棄しろ、中韓露などが危惧を表明しても無視しろ」ということでしょう。

65年前に政権を取って以来、中国共産党は台湾を必要であれば軍事力によって併合するということを優先課題に据えてきました。

 やれやれですね。1950年代は実際に侵攻しましたがそれは失敗したわけです。
 で中国は方針を変更する。「軍事による台湾との統一は極めて困難だ」という判断の下、「台湾の事実上の独立は認めるが、それを『合法なものとして国際社会が容認すること』は阻止する」「まずは台湾との断交を迫り、『一つの中国』の立場で我が国と国交樹立する国を増やす。その上で国連加盟を目指す(もちろん台湾(中華民国)の国連加盟は認めない)」「当面、軍事統一は考えない(ただし台湾が独立を宣言し欧米がそれを支持するようなら軍事力を使ってでも阻止する)」という路線に変わったわけです。
 まあ、「軍事力で統一できない」という事実を認めた上で「でも統一を放棄したくない」ということで編み出された「中国らしい現実的かつ面白い発想」だと思います。とにかく、これで1960年代以降約50年間、中国はずっとこれでやってきた。「台湾と国交断絶し中国と国交樹立する国も増えた」し国連にも加盟できた(台湾は国連から追放された)。大いに成果を上げたわけです。
 こうなると当初は「窮余の一策」だったんでしょうが「ある種、中国外交の伝統になった」「しかも一定の成果を上げてる」わけで今さら「経済力もついてきたし、やっぱ軍事侵攻しようか」つう話にはしづらいわけです。そう言う話にした場合のデメリット(国際社会の非難)がでかい。
 一方の台湾も「独立宣言しない限り中国が侵攻しないつうならそれでええやん、無理して『事実上の独立』を『国際法上の独立』にしなくてええやん」つう事におそらくなっていった。中国が経済大国になって中台経済関係がでかくなるとお互いそう言う「現状維持でええやん」つう考えは大きくなっていく。

多くの学者たちが指摘するのは、日本は台湾から撤退するよう命令されましたが、台湾の地位は法的に決定されたことはありませんでした。

 いやいや「日本が撤退した時点」では蒋介石政権が中国正統政権だから「その時点での台湾は蒋介石政権が支配していた」ことに争いはないんじゃないか。
 問題は「内戦で共産党が勝利して、蒋介石国民党が台湾に逃れて以降の台湾」はどうなんのかて話でしょう。で、中国共産党は「内戦で勝利した我々が台湾の支配も引き継いだに決まってる→一つの中国」て話でしょう。でまあ、欧米や日本は「国内のタカ派」や台湾政府のことも考えてその辺り「中国との友好関係の見地から、一つの中国は認めたが、台湾の帰属とは別問題。台湾の帰属については未定」とか何とかむにゃむにゃ言い訳を言ってるんでしょうが、「一つの中国」を認めた以上、ムニャムニャ言っても意味ないんじゃないですかね。

 台湾に住む大多数の人々は少なくとも事実上の中国本土からの独立を希望するとしていますが、台湾政府は何かしらの平和的、経済的統合を中国本土の政府と受け入れるかもしれないという考えもあります。

 アワー氏の表現が無茶苦茶曖昧過ぎて意味不明です。EUASEAN、あるいは今は構想でしかないですが「東アジア共同体」なんかも「何かしらの平和的、経済的統合」のわけであって「EUASEANレベルなら別に統合してもええんと違うか」つう人は当然いるでしょう。でアワー氏の言う「何かしらの平和的、経済的統合」つうのは「政治的統合と書いてない」ということは、EUASEANレベルも含むのか。それとも「一国二制度マカオや香港)」とかもっと狭いのか。それがわからないと評価のしようがない。

次期大統領*11に選ばれた蔡英文(さい・えいぶん)は独立を宣言しないように慎重になるでしょう

 そりゃ中国が「独立宣言したらそれなりの対応(経済制裁、場合によっては軍事侵攻)はする」といってるのに無神経に独立宣言したらただのバカです。台湾人のほとんども現状維持派で「即時独立宣言」など希望してない。つうかそう言う認識と「中国の台湾相手の軍事行使」と両立するとでも思ってるんでしょうか?

 1996年の3月8日から15日まで、中国の人民解放軍弾道ミサイルを発射して、台湾の基隆沖海域(キールン)と高雄沖に着弾したのです。
(中略)
 ちょうど20年前の昨日、3月9日、ビル・クリントン大統領が中国の威嚇に対してミッドウェイ号の後継母艦である空母インディペンス号を横須賀から派遣しました。
(中略)
 唯一残念なのは、米国政府が日本に海上自衛隊駆逐艦を2、3隻、インディペンスの護衛として派遣するように要請しなかったことです。村山富市首相は社会党でしたから、1996年の日本政府に協力を要請するということは検討しなかったのかもしれません。でももし2013年の安全保障戦略、2014年の集団的自衛権の限定的行使、2015年の安保法制が完全に施行されれば、そのような積極的なオプションが将来の緊急事態には可能になるかもしれません。

 産経文化人らしいフカシです。別に村山内閣ではなく「自民党単独内閣」でもそんなリスキーなことは当時、しなかったでしょうし、今後もしないでしょう。そもそもすべきでないですが。


■産経『【本社・FNN合同世論調査内閣支持率、微減の46・3% 政党支持率は自民36・7%、「民進党」は12・8% 「民進党に期待しない」68・6%』
http://www.sankei.com/politics/news/160321/plt1603210012-n1.html
 「野党の支持率が伸びない(横ばい)」「安倍や自民党の支持率が落ちない(横ばい)」など色々な意味でげんなりし、「日本人であることが嫌になる」「日本の未来が不安になります」が特に不快というか、げんなりするのが以下の記述。

集団的自衛権の行使を限定的*12に容認した安全保障関連法については「必要」*13(57・4%)が「必要だと思わない」(35・1%)を上回った。

 わけがわからないですね。何をもって必要だというのか。日本の右傾反動化も深刻というべきか。日本という国も「1945年の敗戦」のように「行き着くところまで行き着いて、経済や外交が今以上にずたぼろになりどうしようもないところまで行かない」と目覚めないんでしょうか。勘弁して欲しいですが。

*1:カーター政権国務副次官、クリントン政権国防次官補など歴任。最近の著書に『スマート・パワー:21世紀を支配する新しい力』(2011年、日本経済新聞出版社)、『大統領のリーダーシップ』(2014年、東洋経済新報社)、『アメリカの世紀は終わらない』(2015年、日本経済新聞出版社)など

*2:ニクソン、フォード政権国務長官。1971年にニクソン訪中を実現。また1973年にベトナム和平を理由にノーベル平和賞を受賞。著書『外交(上・下)』(1996年、日本経済新聞社)、『中国:キッシンジャー回想録』(2012年、岩波書店)など。

*3:鳩山、菅内閣外相、野田内閣副総理・行政刷新担当相、民主党代表代行(海江田代表時代)などを経て民主党代表。著書『政権交代:この国を変える』(2008年、講談社)、『外交をひらく:核軍縮密約問題の現場で』(2014年、岩波書店)など

*4:書記局長を経て委員長。最近の著書に『領土問題をどう解決するか:尖閣竹島、千島』(2012年、新日本出版社)、『戦争か平和か:歴史の岐路と日本共産党』(2014年、新日本出版社)など

*5:著書『人物を読む日本中世史:頼朝から信長へ』(2006年、講談社選書メチエ)、『武士から王へ』(2007年、ちくま新書)、『天皇はなぜ生き残ったか』(2009年、新潮新書)、『天皇はなぜ万世一系なのか』(2010年、文春新書)、『武力による政治の誕生』(2010年、講談社選書メチエ)、『謎とき平清盛』(2011年、文春新書)、『戦いの日本史:武士の時代を読み直す』(2012年、角川選書)、『武士とはなにか:中世の王権を読み解く』(2013年、角川ソフィア文庫)、『戦国武将の明暗』(2015年、新潮新書)、『戦国夜話』(2016年、新潮新書)など

*6:「腹を切らないこと」と「きらず(おからのこと)」をかけている。

*7:他の二つは「鍵屋の辻の決闘」「赤穂浪士の吉良邸討ち入り」

*8:江戸時代においては連座制がありました。

*9:著書『社会主義市場経済の中国』(1994年、講談社現代新書)、『韓国経済入門』(1996年、ちくま学芸文庫)、『中国経済は成功するか』(1998年、ちくま新書)、『新脱亜論』(2008年、文春新書)、『アジアを救った近代日本史講義』(2013年、PHP新書)、『国家覚醒:身捨つるほどの祖国はありや』(2013年、海竜社)など

*10:能力以前にそんな動機がソ連にあったか疑問ですが。

*11:まあ、間違いではないですが一般には総統と表現します。

*12:仮に「限定的」だとしても問題ですが、批判派が言うように「どうとでも解釈できる文言を政府が解釈する(国会の制限があるわけでもない)」のだからほとんど限定はないに等しいと言っていいでしょう。もちろん「あまりにも無茶な解釈をやれば」世論の批判があり得ます。当然そう言うことについて政府の躊躇はあるでしょうがシステム的には制限など事実上ないと言っていいでしょう。

*13:おそらく「限定的」と言う言葉に誘導されてるという要素はあるでしょう(そう言う意味では産経の質問がアンフェアなのかも知れない)。がそれにしてもげんなりします。