今日の産経ニュース(4/15分)(追記・訂正あり)

■「南京大虐殺」文書登録の記憶遺産制度改善へ決議 ユネスコ執行委
http://www.sankei.com/world/news/160415/wor1604150029-n1.html
 何らかの決議がされたのは事実でしょうが、それを「南京事件資料登録と関係がある」「南京事件資料登録問題で日本の言い分が支持された」かのようにいう産経の記事はおそらく産経の勝手なこじつけでしょう。


■【熊本震度7】共産・池内沙織氏が「安らかな場所にいてください」と投稿→後に削除 「原発止めよ。正気の沙汰か!」とも
http://www.sankei.com/politics/news/160415/plt1604150046-n1.html
 記事を読む限り、小生は削除する必要はないと思いますけどね。つうか削除理由がさっぱりわかりません。ただ彼女も政治家である以上「同僚議員や支持者とのしがらみ」があるんでしょう。そう言った人々が批判的であるならばそうそう突っぱねるわけにも行かないのでしょう。


■【産経抄聖徳太子の外交力 4月15日
http://www.sankei.com/column/news/160415/clm1604150003-n1.html

 聖徳太子は、憲法*1を制定してまもなく、大陸の巨大帝国、隋に小野妹子を派遣する。「日出(いづ)る処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや」。煬帝(ようだい)にあてた国書で、「対等な関係」を宣言する。煬帝は怒ったというが、朝鮮半島高句麗と抗争中だった隋に、日本を攻める余裕などなかった。東アジアの国際情勢を読み切っていた太子の外交力を今こそ、見習いたい。

 日本は「攻められなかった」ものの隋は日本と対等な関係など許しませんでした。これは外交失敗以外の何物でもないでしょう。

遣隋使(ウィキペ参照)
小野妹子は、その後返書を持たされて返されている。煬帝の家臣である裴世清を連れて帰国した妹子は、返書を百済に盗まれて無くしたと言明している。百済南朝への朝貢国であったため、その日本が北朝の隋と国交を結ぶ事を妨害する動機は存在する。しかしこれについて、煬帝からの返書は倭国を臣下扱いする物だったのでこれを見せて怒りを買う事を恐れた妹子が、返書を破棄してしまったのではないかとも推測されている。
・なお、妹子が「返書を掠取される」という大失態を犯したにもかかわらず、一時は流刑に処されるも直後に恩赦されて大徳(冠位十二階の最上位)に昇進し再度遣隋使に任命された事、また返書を掠取した百済に対して日本が何ら行動を起こしていないという史実に鑑みれば、 聖徳太子推古天皇など倭国中枢と合意した上で、「掠取されたことにした」という事も推測される。

という話のどこが外交力なんでしょうか。もちろんその後の遣隋使ではこうした騒動はなかったわけです。
 

*1:いわゆる十七条憲法のこと。ただしあれは人権規定もなければ国家統治機関についての規定もないので「いわゆる近代的意味の憲法」ではありません。