戦前ミステリが結構面白い(一部ネタバラシあり)

 小生としては以下の作品をお薦めしておきます(色々な方法で読めると思いますが小生は江戸川乱歩編『日本探偵小説全集』(創元推理文庫)の『第1巻:黒岩涙香小酒井不木甲賀三郎集』、『第5巻:浜尾四郎集』、『第6巻:小栗虫太郎集』、『第7巻:木々高太郎集』で読みました)。

小栗虫太郎*1『完全犯罪』
 犯行動機が「カリカック家*2など、犯罪者を輩出するような劣った一族*3は生きる価値がないから殺した方が世のため人のためだ*4」、犯行方法が「青酸ガスによる毒殺」というのは誰でも「ナチドイツの例の犯罪」を想像するだろう。もちろん単なる偶然に過ぎず、ヒトラーが小栗小説を読んでいたわけではない*5だろうが気味の悪い偶然ではあります。
 なお、舞台は中国雲南省、探偵役は「ソ連共産党から政治工作に送り込まれた元秘密警察要員」という設定はトリッキーですが小説の本筋にはほとんど関係ありません。


甲賀三郎『支倉事件』
 実在の犯罪事件をネタにした実録小説であり、登場人物のウチ、神楽坂署長・庄司利喜太郎は「名前から予想がつくかも知れないが」後の読売巨人軍オーナー・正力松太郎*6が、正力と対決する能勢弁護士は「自由法曹団創立者の一人」布施辰治*7弁護士がモデルである。
 なお、甲賀は「警察批判してるつもりはまるでない*8」だろうが、「あやふやな状況証拠しかない」のに「公務執行妨害」で別件逮捕したあげく、長時間の訊問で締め上げるというのは現在の目から見ると「冤罪の王道パターン」にしか見えないのが皮肉である。


小酒井不木『恋愛曲線』
 著作権が切れてるようで青空文庫http://www.aozora.gr.jp/cards/000262/files/1458_14514.html)で全文読めます。短編なので割と楽に読めると思います。内容的には「マッドサイエンスに転落したトンデモ科学者の犯罪の告白」といったところでしょうか。ストーカー話と言ってもいいかもしれない。


浜尾四郎*9『殺された天一坊』
 これまた著作権が切れてるようで青空文庫http://www.aozora.gr.jp/cards/000289/files/1796_22485.html)で全文読めます。短編なので割と楽に読めると思います。
 実は天一坊は本当に将軍・徳川吉宗のご落胤であり、それを知りながら大岡越前が「あのような者をご落胤と認めることはできない」という政治的判断から「偽落胤」のレッテルを貼り死罪にしたという設定です。


木々高太郎*10『睡り人形』
 以下、「ネットで見つけたある、あらすじ紹介」を「小生のうろ覚え記憶で一部修正したもの」を紹介します。完全にネタバラシですのでご注意。江戸川乱歩『盲獣』のような「木々の変態趣味」が思う存分描かれた作品だそうです。

 医学者の西沢教授は強力な睡眠薬の研究の為に不眠症の妻を実験体に用いるが、予想に反して作用が強く嗜眠性脳炎に類似した症状*11に陥り、やがて死んでしまう。その後、松子という後妻を娶ったが、年の差が離れていたこともあり松子は西沢を無視して、男遊びを公然としているのであった。妻の裏切りへの怒りと妻を完全に支配したい欲望から、西沢は前妻に使ったのと同じ睡眠薬を、妻に気付かれないよう慎重に少量与え、「前回が過失だったのに対し今回は故意に」嗜眠性状態に陥れる。食事ひとつするにも、体を強く揺り動かし言葉を掛けつづけない限り、すぐ眠りに落ちてしまう状態になったのである。また薬の効用により大脳両半球が機能停止しているため、痛みにも快楽にも強く反応するようになった。羞恥といった感覚も一切、失われている。そこで西沢は、始終眠り続けている妻と毎日のように性的快楽(要するにセックスですが)に耽る様になってしまった。そのうちに妻が妊娠をし、嗜眠性状態のまま出産まで完了させる。
 ところがあるとき、家の中の手伝いをしていた婆やが亡くなってしまう。西沢自身も加齢による体力の衰えを感じてきており、普通の病人の何倍も手間がかかる妻の面倒を見切れる自信がなくなってしまう。そこで仕方なく睡眠薬を更に与え、前妻と同じ嗜眠性脳炎に類似した症状で今の妻を死なせ、失踪した。
 その後、「私」(手記の書き手。西沢の弟子で大学教授。失踪前の西沢から告白手記を受け取って西沢の犯行を知っていた。この小説は「私」の手記の中で西沢の告白手記が紹介される構成となっている)は夏季巡回大学の講演の際、近くで起こった2件の殺人事件の死体解剖に立ち会うことになった。どちらも少女が狙われており、また死後に屍姦されていることが特徴的な事件であった。犯人の男は縊死を遂げていたということだが、立ち会ってみて驚いた。その犯人とはほかならぬ恩師・西沢だったのである。

*1:代表作として『黒死館殺人事件』(青空文庫http://www.aozora.gr.jp/cards/000125/files/1317_23268.html参照。)。

*2:これについてはウィキペ「カリカック家」参照

*3:この小説においてはあくまでも「劣った一族」であって「劣った民族、人種」ではない。

*4:あまり例のないトリッキーな犯行動機です。もちろん本気で小栗がそう思ってるわけではなく単にトリッキーな小説が書きたかっただけでしょうが。なお、オチは「被害者を殺害した犯人は、後に偶然自分も『劣った一族の生まれである』と知る→『自分の論理を一貫させるために自分も死ぬか、それとも自分の過ちを認め自首するか(論理一貫性を重視するこの犯人においては自首もしないし自殺もしないという選択肢はありません)』悩んだ末自決する、遺書の中で犯行動機と犯行方法を自白」というオチです。

*5:小栗小説の方がナチの犯罪より先に発表されています。

*6:もともと警察官僚だが昭和天皇暗殺未遂事件(虎ノ門事件、ただし事件当時は皇太子)の責任によって免官。読売新聞社長、日本テレビ社長、読売巨人軍オーナーに就任。一時、政界に進出し、鳩山内閣北海道開発庁長官、岸内閣科学技術庁長官などを歴任(ウィキペ「正力松太郎」参照)。

*7:戦前は二重橋爆弾事件、朴烈事件、朝鮮共産党事件などの弁護や関東大震災時の朝鮮人虐殺についての当局への批判を行い、また戦後も評定河原事件、阪神教育事件、平事件、台東会館事件など多くの朝鮮人関連事件の弁護を担当した。このため布施は韓国で高い評価を受けており、2004年に韓国政府から建国勲章愛族章が授与され、布施は日本人として唯一の大韓民国建国勲章受章者となった。布施については布施柑治『ある弁護士の生涯』(1963年、岩波新書)、大石進『改訂版・弁護士布施辰治』(2011年、西田書店)という評伝がある(ウィキペ「布施辰治」参照)。

*8:そもそもこの小説の初出は正力が社長を務めた読売新聞であり、正力に対する提灯小説である。

*9:代表作として『鉄鎖殺人事件』、『殺人鬼』

*10:慶應義塾大学医学部教授。1937年、『人生の阿呆』で直木賞を、1945年、『新月』で第1回探偵作家クラブ賞短篇賞受賞。1951年(昭和26年)には復刊された「三田文学」の編集委員となり、1952年9月号に松本清張『或る「小倉日記」伝』(後に直木賞受賞)を掲載している。

*11:そのため周囲は嗜眠性脳炎と理解し西沢の犯行(過失犯ですが)は発覚しない。