「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(10/10分:高世仁の巻)(追記・訂正あり)

PKO部隊が駆け付け警護を拒否する南スーダン
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20161026
 「PKO部隊(中国軍、エチオピア軍)が駆け付け警護を拒否する」なんて事態はもはや「PKO5原則が成立しないから自衛隊が撤退すべき、撤退を決断しない安倍政権は間違ってる*1」ではなく「国連PKO自体が成立しないから国連PKO部隊が撤退すべき」じゃないですかね。
 もちろん「南スーダン民衆を見捨てること」は心痛むことですが「政府軍が暴徒化してるような国」で「PKO部隊が残留してもどうにもならない」んじゃないか。


フィクサー負傷―そこは戦場だった
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20161025

常岡さんが死亡するか重傷を負うかしたら、どうやって迎えに行こうかなと飛行ルートが頭をよぎったりする。

 もちろん「商売人の高世」としては常岡が死んだり瀕死の重傷負ったりしたら「常岡さんが命をかけて撮ってきた写真なんですよ!」と言って売り込むだけでしょう。
 もちろんこの記事も「常岡が命書けてるんだから高く買い取れ」つう宣伝の一環です。常岡のいる現地が「安全だ」とは言いませんけどね。


■モスル奪還作戦からの戦場リポート
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20161024

 横田めぐみさんを思って、お母さんの早紀江さんが「コスモスの花のように」という歌を作った。その中にはこんな歌詞がある。
遠い空の向こうにいる
めぐみちゃん*2 あなたも
お母さんが育てたあのコスモスのように
地に足をふんばって生きているのねきっと
しっかりと頭を揚げて*3生きているのねきっと」

 まあ、「ウンギョンさん」は「遠い空の向こうにいるあなたも、地に足をふんばって生きているのね、きっと、しっかりと頭を上げて*4生きているのね、きっと」でしょう。
 ただし、ぶっちゃけ、めぐみさんについて言えば「生存の根拠は何もない」「むしろ死亡の可能性が高い」と思います。しかし、

普通の商売人と同じじゃないか、と言われそうだが、実際そうなのである。私も常岡さんも、趣味や遊びで、あるいは崇高な任務でやっているわけではない。仕事としてこれで食っていこうとしているのだ。

という商売人・高世にとって商売のためには「めぐみさんは生きてますよ」と心にもないことを言った方が横田母に気に入られて金になるという計算なのでしょう。「商売人としては有能」かもしれませんが、人として高世は最低最悪の人格です。そしてこんな高世は「商売人ではあってもジャーナリストではない」。

 苦労して取材しても売れなかったら、航空券代はじめ全経費が赤字となってしまう。戦場取材*5には非常にお金がかかる。例えば、取材許可をタイミングよく事前に取る作業。これにはコネのある人脈を頼らねばならない。ここで活躍するのが「フィクサー」と呼ばれる戦場取材のコーディネーターたちだ。
(中略)
 移動するのに軍用車両に乗せてもらうわけにはいかないから、自前で車と運転手も確保する必要がある。今回の作戦は世界中で注目されているから、ペシュメルガの前線基地だけで数十人のジャーナリストが開戦を取材しようと駆けつけている。フィクサーも奪い合いだ。もちろん車両費も、近くの町でふつうに車とドライバーを借り上げるのとは全く違った金額設定になる。フィクサーの確保と値段交渉は、ジャーナリストにとって取材前の闘いである。
 一日何ドルかかるか分かると、滞在日数を掛け算すれば滞在コストが出てくる。その数字を見ていると、「納得できる映像が撮れるまでねばってがんばる」などと言っていられなくなる。
 プロデュースする立場の私としては、どんな取材をすれば売れるのか、またどのくらいコストをかけていいのか、つまりお金のインとアウトを天秤にかけて現地の常岡さんと調整しなければならない。
 こんなことを書くと、なんだ普通の商売人と同じじゃないか、と言われそうだが、実際そうなのである。私も常岡さんも、趣味や遊びで、あるいは崇高な任務だけでやっているわけではない。仕事としてこれで食っていこうとしているのだ。

 まあそう言う「商売的な面」はあるでしょう。「金はいくらでも持っています、真実の追究にしか興味ありません。真実の追究のためなら取材にいくら金がかかるかも、取材結果が売れるかどうかも気にしません」なんて人*6でない限り、そう言う「商売的な面」は一概に否定できない。ただ注意しないといけないのは「売れる事」を重視すると「真実の追究からかけ離れていく恐れがある」ということです。典型的には「『ジミーの世界』事件(ワシントンポスト)」「江沢民・元中国国家主席死亡*7記事事件、ミンダナオ島『幻の日本兵』発見事件(産経新聞)」「伊藤律架空インタビュー事件(朝日新聞)」「愛する二人別れる二人・偽夫婦事件(フジテレビ)」「発掘!あるある大事典・納豆データ捏造事件(関西テレビ)」などの捏造や誤報、虚報ですが(ウィキペ『虚偽報道』『産経新聞の報道』参照)。残念ながら「真実を追究すれば売れる」「人々(新聞、雑誌の読者、テレビ、ラジオの視聴者など)は面白さより真実を求めている(あるいは真実を追究すれば人々は面白がってくれる)」あるいは「嘘をつくような不心得者は取材現場にいないし、いてもだまされるほど記者は無能じゃない(勿論記者本人が嘘をついたりはしない)」というほど世の中は単純ではない。「嘘をつく人間」を取材してもそれが見抜けずに「売れるいい取材ができた」として報道される危険性や、もっと酷いと「記者自ら売れるための記事づくりで故意に嘘をつく可能性」は当然あるわけです。
 つうか高世の「巣くう会とのおつきあいや打倒北朝鮮」なんか「真実の報道と売れる報道の乖離」の典型でしょうが(苦笑)。真実を追及したら「拉致解決のためには打倒北朝鮮」なんて出てくるわけがない。
 あるいは常岡の「打倒アサド、打倒ロシア」「アサドとロシアを打倒すれば全てうまくいく」もその典型なのかも知れません。真実を追究したら「シリア内戦で悪いのは全てアサドとロシア」なんて単純な結論が出るはずがない(再度苦笑)。まあ俺的には「何でそんなんが売れるんだろう?」「明らかに事実に反してるからかえって俺はつまらないが?」と疑問ですが。
 なお、高世が「(ボーガス注:政府や軍に対する?)取材許可をタイミングよく事前に取る作業」と平然と言ってるのは「何だかなあ」ですね。「車や運転手の確保」ならともかく「取材許可を取るためにコネを使う」つうのは「そのフィクサーのコネで取材が歪められる危険性がある(フィクサーも、フィクサーのコネは当然自分に不利な取材は望まないでしょうから)」と思いますがその辺り、高世はなんて言うんですかね?
 なお、この高世の文章を読む限り、常岡と高世の関係は「芸能プロ社長(高世)と所属タレント(常岡)」ですから当然ながら「芸能プロ社長・高世による所属タレント・常岡批判」「所属タレント・常岡による芸能プロ社長・高世批判」は全く期待できません。


■アベマTV『北朝鮮拉致問題 拉致認定されない“寺越事件”「お母さん、お墓で話しましょう」』
https://abematimes.com/posts/1515244
 いずれ高世もこの件を自ブログに書くのでしょうが高世が出演したアベマTVの紹介記事です。
 全くタイトルだけで「武志さんも友枝さんも拉致だと認めてないのにお前らは何を馬鹿な事言ってるのか、そういうことが拉致解決に何か貢献するのか?(呆)」ですね。本文読んでるともっと呆れますが。「アベマがネットテレビで地上波じゃないから社会的影響力が小さいこと」がせめてもの救いです。

武志さんは、「沖合で遭難し北朝鮮の漁船に助けられた」と説明。武志さんと母・友枝さんは沈黙の道を選んだ。

 「拉致じゃない」と言ってるんだから沈黙ではないですね。

 1997年に日本で拉致問題が大きく報道されると、その年、武志さんから「来年、今住んでいる亀城(クソン)から平壌へ引っ越すことになった」と友枝さんに連絡があった。平壌というのはエリートしか住めない街。その街で、高層マンションの13階1フロア8部屋。武志さんには「平壌市職業総同盟副委員長」という朝鮮労働党の役職まで与えられた。
 田舎の旋盤工だった武志さんが、ある日突然これほどの地位に。

 で「拉致と言わせないための口封じだ、何だ」、つまり「反共謀略・菅生事件の実行犯・戸高公徳 (当時、巡査部長)が警察の口封じのため、警視長*8にまで出世し退官後も「たいよう共済」や「日本リスクコントロール」の役員に天下ったような話*9だ」と言い出すわけですが余計なお世話です。武志さん当人とお母さんが「平壌市職業総同盟副委員長就任や平壌のマンション生活」に満足してるのなら周囲がぐちゃぐちゃ言う話ではない。

 三男の金正恩第一書記*10の体制後、友枝さんは訪朝回数が減り、2013年4月から3年半以上、訪朝をしていない。

 そりゃ制裁なんかかませばそうなるでしょう。つうか「2013年4月(既に第二次安倍政権)までは『制裁以前と比べて』回数が減ったとかデメリットが仮にあったとしても、訪朝できたの?、制裁以降なのに?」つう方がむしろ驚きですが。

高世氏:
 お母さんは拉致問題の家族会に一時期参加していたんですが、途中、武志さんからやめてくれという要請があったようですね。
所氏:
 日本滞在中、武志さんがお母さんの所に泊まった時、夜中、幼子のように布団の中に入ってきて、お母さんの胸に手をあてて、一言言ったそうです。「お母さん、お墓で話しましょう」と。それから北朝鮮にまた戻っていった。
高世氏:
 お母さんに代わって、私たちがちゃんと声をあげて、「これは拉致なんだ」と言っていかないといけないと思うんです。

 事情が何でアレ、今は寺越母子は拉致だなどと言っていない以上、こうした高世や所らの行為は「大きな迷惑」でしかありません。何で「お母さんに代わって我々が拉致と言わなければいけない」なんて無茶苦茶な話になるのか。むしろ「お母さんが何も言わない以上、我々も何も言うべきではない」でしょう。
 いや百歩譲って「武志さんは拉致された」と高世らが言うにしてもそんなことはお母さんを説得してからやるべきコトでしょう。


天皇のご意志は「普通の」天皇
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20161017
 昔*11小沢一郎*12が「自衛隊が他の『普通の国』のように海外派兵できるようにしたい」といい、護憲派の批判を受けたように「普通」というのは極めて曖昧な言葉です。
 あるいは
1)北朝鮮拉致事件のようなケースで、人質解放のためにお土産を出すのは古今東西「普通」にあることだ(実際そうだと思いますが)、日本も「北朝鮮レアアース開発に協力する」とか何かお土産を出すべきだ
2)世界中のほとんどの国が北朝鮮と国交を持ってる、日本もそう言う「普通」の国になるべきだ
と誰かが言ったら「アンチ北朝鮮」高世は賛同するのか(聞くだけ野暮ですが)。
 まあ、「普通」というのは目くじら立てなくていいケースが多いでしょうが「皆がやってるから俺達もやるべきだ」つう意味の「普通」は「皆が正しいとは限らない、大体本当に皆がやってるのか?(少なくともそう疑問に思う人間がいる)」という場合は全然「普通」じゃないわけです。大体「天皇制(王制)」なんて世界の潮流「共和制」から言ったら「普通じゃない」「廃止する方が普通」ですしね(もちろん天皇制廃止しろと言う話ではなく単なる事実の指摘です)。

 6年前、天皇は80歳をめどに生前退位したいとの意向を宮内庁参与会議で示していた。2010年7月、御所に、当時の宮内庁長官侍従長、3人の参与などが集まって開かれた「参与会議」の席で、天皇が突然、「生前退位」の意向を明らかにしたという。
 その場にいた、去年まで9年間「参与」を務めた三谷太一郎氏*13(東大名誉教授)がこう語っている。
天皇陛下は『譲位』という言葉を使われた*14。中世とか近世の『上皇』を持ち出して、『天皇制の長い歴史において、異例のこととは思われない』とも述べられた。そうした意向を初めて直接伺って、大変驚がくしたというのが率直な印象でした」(NHKニュース)。

 調べれば分かることも多いでしょうが高世のこの文章だけを読んで感じた疑問を言えば
1)宮内庁参与会議(あるいは宮内庁参与)とは何なのか、法的な根拠があるのか、一体何をする会議、役職なのか、この会議、役職は「天皇の政治不介入」に反しないのか
2)参与とは誰がどんな基準で選ばれてるのか、三谷氏は何故選ばれたのか、三谷氏以外には誰が参与だったか
3)何故三谷氏は今こういう発言をするのか(まあ天皇宮内庁の意向もあるでしょうが)
4)2010年7月のこうした発言は菅、野田、第二次安倍と言った歴代内閣には伝えられたのか、伝えられたとしてどういう反応があったのか
などと言った疑問を感じますですね。
 なお、「中世や近世の譲位」は「院政」「保元の乱崇徳上皇後白河天皇の対立による内乱、敗れた上皇流罪となった)」「承久の乱後鳥羽上皇による鎌倉幕府に対する反乱、敗れた上皇流罪となった)」などでわかるように必ずしも実権を失っていませんし、「自分から望んで譲位した」わけでも必ずしもありません。その意味では今回の生前退位論とはかなり違う。まあそんなことは今上も分かってるでしょうし、院政がしたいともできるとも思ってないでしょうが。あくまでも「前例があるから生前退位に問題ない」といいたいだけでしょう。

天皇の真意については、様々な解釈が出まわっているが、この三谷氏の証言で、私は天皇が、天皇制を「従来の」、別の表現を使えば「普通の」天皇制にしたいと考えているのではないかと思った。「従来の」「普通の」というのは、明治維新によって「異様な」形にされる前までの伝統的な天皇のあり方、という意味だ。であれば、「譲位」、「上皇」だけでなく当然「女帝」も認めればよい。

 そう言う解釈は仮に今上の意思に合致していたとしても適切ではないでしょう。
 表に出てるのは「体力の限界だから辞めたい、生前退位には前例があるから問題ないと思う、無理して天皇を続ける意味はないと思う」つう話でしかなく「女帝」云々なんて話ではない。それ以上の「勝手な裏読みをすべきではない」。
 もちろん「生前退位という自分の意見を受け入れてくれない歴代政権(菅、野田、安倍)への不満はある」でしょうが不満はあくまでもそう言う不満でしょう。「戦争法反対」「特定秘密保護法反対」「アベノミクス反対」など、「安倍政権全般への不満」ではおそらくない。
 もちろん小生は女帝賛成論&アンチ安倍です。また、「小泉内閣時の女帝容認論の動き」は今上の意思を反映してるとは思います。彼(今上)の意思を無視してそう言う動きを小泉内閣もしないでしょうし、今に至るまで彼の口から女帝反対論は出てない。とはいえ彼が「女帝容認」を口にしていない以上、「彼も女帝容認論だ、賛成論だ」と公言しちゃうのはまずい。せいぜい言えるのは「彼は積極的には女帝に反対してない(事情はともかく、消極的には事実上賛成している)」でしょうね。「今上はアンチ安倍」に至っては勝手な妄想で論外です。
 それはともかく。「女帝も生前退位も昔はやってた」というなら高世は「側室制度も認める」のか(やや揚げ足取りですが)。昔やってたとか、そう言う話ではないでしょう。大体「昔もやってた」と言う主張は「生前退位や女帝は伝統に反する」という批判派にしか反論として有効ではない。「生前退位や女帝はデメリットがある」という批判派には反論として有効ではない。
 問題は「昔もやってたかどうか」ではなく「そうすることにメリットがあるか、デメリットがあるか」でしょう。まあ俺は「天皇制維持」と言う面ではデメリットはなく*15メリットがあると判断するし、多くの国民もそう考えるわけですが。
 また「明治維新以降」色々、天皇制にも変化があるわけですがそれを「伝統に反する異様な形」と高世が描き出すのは問題ありすぎでしょう。何も明治維新前の天皇制だって「聖徳太子の時代からずっと不変だったわけではない」。時代の影響による変化はあるわけです。
 たとえば美智子皇后なんかは「平民の娘が皇族の妻になるなんて前例がない、伝統に反する」という批判が「皇太子(現天皇)との交際が表面化した当時」出た。実際、どうか知りませんが美智子皇后と他の皇族との仲は当初あまりよくなかったとも言う。でもそういうのは「伝統に反するから美智子と皇太子の結婚なんて論外だ」とかそう言う話でもないでしょう。
 あるいは「大昔(奈良時代)は天皇は皇族の中から、天皇に一番ふさわしい人間を選んでいた、単純な世襲じゃなかった」。だからこそ「道鏡天皇にしたい、別に皇族出身でなくても人物が優れてればええやないか」なんて話も出てくるわけです(あれはかなり特異なケースで、だからこそ実現しませんが)。まあ平安時代頃から今の世襲に近い形になったと思いますが。
 じゃあ「昔はそうしてたんだから、単純に皇太子を天皇にするんじゃなくて秋篠宮とどっちがマシか、比較して秋篠宮天皇でもいいんじゃないか」つう話でもないでしょう。「高世も含めて」そう言うのに賛成する人も少ないでしょう。つまり「伝統」というのは何が伝統か判断が難しいし、ましてや伝統が常に正しいわけでもない。


■「頭で食べる」のをやめよう
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20161016

11日のEテレ「SWITCHインタビュー 達人達」は料理研究家枝元なほみさんとノンフィクション作家で探検家の高野秀行さん*16で、とても面白かった。高野さんは『謎の独立国家 ソマリランド』など多くの辺境にかんする著作があり

まあ、高野氏には高世が上げた『謎の独立国家ソマリランド』(2013年、本の雑誌社)の他にも

ビルマ・アヘン王国潜入記』(1998年、草思社→後に2007年、集英社文庫
『極楽タイ暮らし:「微笑みの国」のとんでもないヒミツ』(2000年、ワニ文庫)
ミャンマーの柳生一族』(2006年、集英社文庫)
『アジア未知動物紀行:ベトナム奄美アフガニスタン』(2013年、講談社文庫)
『恋するソマリア』(2015年、集英社
『未来国家ブータン』(2016年、集英社文庫)

などいろいろありますが、ふと「高世の言う辺境って何だろう」「高野本のタイ、ミャンマーベトナム、アフガン、ソマリアブータンは辺境に当たるのか」と思いました。
 これから書く文章は「一寸揚げ足取りになってしまいますが」辺境に対立する言葉は何か。
 これは「中央」ですね。中央から見て「辺境」なわけです。似た言葉では「秘境」「奥地」なんて言葉がある。「暗黒大陸アフリカ(アフリカについて知識がなかった頃のヨーロッパ人による呼び名)」「日本のチベット(土田舎という意味、最近ではチベットに失礼と言う事でまず使わないが昔は普通に使用)」「土人の住む未開の地」みたいなイメージのわけです。
 中央から距離的に遠いところが辺境になる。特に離島で飛行機や船じゃないと行けない、とか、あるいは陸路だけど鉄道もない、舗装道路もない、4輪駆動のオフロード車でないと行けないような交通の不便なところが。でそういうところは「文化的、経済的に劣ってるところが多い」わけです。電気がないとか、近代的な医者がいないとか。
 昔のチベットとかね。
 たとえば、東京から見たら「対馬だの沖縄だの」は辺境。中国の首都北京から見たら新疆ウイグルチベットは辺境。で高野本の国々を辺境というのは「欧米から」あるいは「日本から」見て辺境なわけです。
 距離的に遠いとか、なじみがないとか、貿易とかの関係が浅いとか、アジアやアフリカを代表する大国(例:中国、インド、エジプト、南アなど)じゃないとか、経済的、文化的に劣ってるとか。当然ながら欧米諸国を「辺境」とは普通呼ばない。
 そう言う意味では辺境ってのはある種の価値観を含む言葉です。
 そこには注意する必要があるでしょう。「辺境とは何だ!」とご当人に差別だ、偏見だ、侮辱だ、などと怒られる危険性がある。つうか、多分チベットを「辺境」とか呼んだら確実に「自称チベット支持者の方々」が怒り出すでしょう(苦笑)。
 まあ、「文章が長くなりますけど」辺境と言うよりは「日本になじみがない国」などと言った方が無難なことが多いでしょう。

以下は、「食はもっと野蛮なもの」と主張する枝元さんの番組での言葉である。
「私たちは頭で食べている。お金が高いとか安いとか、有名だとか有名じゃないとか、名だたる料理人のものだとかそうでないとか。」

 小生は最初この記事タイトルを見たとき「はあ?」と思ったんですがなるほどそういうことですか。 何で「はあ?」と思ったのかといえば小生、頭で食べるというと「糖尿病者のカロリーや糖質の低い食事」「腎臓病患者の減塩食」とかを想像したからです。 
 そう言う意味では枝元氏の「頭で食べる」つうのは適切じゃないですね。「頭でつくった根拠のないイメージで、幻想で食べてる」が適切でしょうね。たとえば「土用の丑の日のウナギ」「正月の雑煮」なんかはそうでしょう。別に食べちゃいけないわけではない(ウナギ絶滅の危機の話はひとまず無視します)。ただ「土用の丑の日のウナギ」じゃなくても夏ばて予防の食材はあるわけです。
 昔はともかく、今は「雑煮」なんて別に「おめでたい食事」でもない。ただ、まあそういう「イメージが全くない」のもつまらない気がしますし、そこまで言う気は高世にも枝元氏にもないでしょう。
 「病人食」が典型ですが「頭を使って食べること」は大事です。
 頭を使って食べないと、外食なんてカロリーと塩分が高いのは通常ですから、すぐ糖質、脂質、塩分の過剰摂取で「成人病予備軍」になってしまう。そこで「自炊する」とか「頭を使って外食を食べる(できる限りカロリーと塩分の少ない食事をする)」コトが必要になるわけです。
 もちろん「病人でない限り」栄養に「必要以上に気を使う」のはストレスの元ですが全く気を使わないわけにも行かない。
 そう言えば、マンガ家の富永一朗氏は糖尿病のようですが、彼が「有名人の糖尿病患者」として以前テレビに出たとき言っていたことは「頭を使って食べないと糖尿病は克服できない」と。
 彼は糖尿病になる前は暴飲暴食だったそうですが、病気になってからはカロリー調整に気を使うようになったと言ってました。
 家庭の主婦ならそうした「栄養の問題」だけでなく「経済的なこと」も考えないといけないわけです。「ストレスにならない範囲で」なるべく安い食材を使うと。

*1:確かにその通りだと思いますが

*2:前も書きましたが「失踪時15歳とは言え」生きてれば50代の女性に向かって「ちゃん」付けする神経は個人的には理解できません。

*3:俺が「あげて」で変換すると「上げて」が一番最初に出てきますが高世は違うようです。ちなみに「揚げて」は「鶏の唐揚げ」のような「揚げ物」のときにしか使わないと思います(苦笑)。

*4:「揚げて」ではない(高世への皮肉のつもり)

*5:高世の文章を読んでると「戦場取材でなくても海外取材は金がかかる」と思いますが。「自前で車と運転手も確保する必要がある」つうのは何も戦場取材に限らないでしょう。おそらく「フィクサー」がいるのも戦場取材だけではないでしょう。

*6:そんな人はまずいないでしょうが。

*7:勿論彼は今も健在です。

*8:普通のノンキャリアはこんな地位に就きません。

*9:「寺越氏口封じ説」が正しいとして、戸高は犯罪の実行者、寺越氏は犯罪の被害者という違いがありますが。

*10:なお、金正恩体制発足直後は党のトップの名称は「第一書記」だが今は「委員長」に改名されている。

*11:今は「共産を含む野党共闘に参加しての」政治的生き残りのためその辺り小沢は曖昧にごまかしているように見えます。

*12:中曽根内閣自治相・国家公安委員長自民党幹事長(海部総裁時代)、新生党代表幹事、新進党党首、民主党幹事長などを経て現在、自由党党首

*13:著書『日本政党政治の形成:原敬の政治指導の展開』(1967年、東京大学出版会→増補改訂版、1995年、東京大学出版会)、『近代日本の司法権と政党:陪審制成立の政治史』(1980年、塙書房)、『近代日本の戦争と政治』(1997年、岩波書店→新版、2010年、岩波人文書セレクション)、『政治制度としての陪審制:近代日本の司法権と政治』(2001年、東京大学出版会→増補版、2013年、東京大学出版会)、『ウォール・ストリートと極東:政治における国際金融資本』(2009年、東京大学出版会)など

*14:小生はてっきり「皇太子が即位するに足る人物か」などの意見が出るのを恐れて「生前退位」といってるのかと思ってましたが、そうでもないんでしょうか。

*15:あるいはデメリットがあったとしても非常に小さい。

*16:個人サイト(http://www.aisa.ne.jp/takano/