今日の産経ニュース(12/10分)

■台湾初の慰安婦記念館が開館
http://www.sankei.com/world/news/161210/wor1612100026-n1.html

 今年3月に行われた看板の除幕式には、元慰安婦への思い入れが強い馬英九総統(当時)が出席、日本政府に謝罪と賠償を求めた。5月に発足した蔡英文政権は日本への配慮から、表だって慰安婦問題を取り上げていない。

 産経の指摘が事実なら「馬前総統に比べ」蔡現総統に好感は持てませんが、とはいえそんな蔡ですら「開館が大筋で確定したのが馬政権時であるとは言え」こうした記念館に敵対したりはしないわけです。


■【古森義久の緯度経度】米メディアの日本偏向報道の理由は「欲求不満」だ
http://www.sankei.com/column/news/161210/clm1612100010-n1.html
 まあ呆れますね。
 この記事で分かることは「安倍は右翼でも歴史修正主義でもない」「そう批判的に報道するニューヨーク(NY)タイムズやワシントンポストなどは反日左翼だ」と言う古森の知人「アール・キンモンス*1大正大学教授」が「何故か欧米人なのに」日本右翼に親和的な人間だと言う事だけです。
 そういえば大正大学と言えば「つくる会副会長」を一時期務めた「福地惇」が教授をやっていたことがありますがそう言う右翼大学なんでしょうか。
 それにしてもキンモンスなんてぶっちゃけ「無名外人」でしょうにわざわざ持ち出すとは「古森らウヨ連中の欧米コンプレクスは相当酷い」し、だからこそ「欧米人持ち出せば日本人は黙る」と勘違いしてるのでしょう。ただもちろん安倍に批判的な欧米人学者だって多くいる*2し、そうした批判は「反日」の一言で片付けるのが産経ですが。

 「米側の日本専門の学者や記者には米国の基準での左翼*3が多く、反体制に近い主張をするが、米国では何の変革ももたらさない。その欲求不満を決して反論してこない日本という代替の標的にぶつけるのだろう」

 キンモンスと古森の屁理屈です。ばかばかしい。安倍なんか「共和党だって」まともな人間は批判するし、「NYタイムズワシントンポスト」が「反体制」だの「社会に影響を与えない」だの言ったら物笑いの種でしょう。
 そもそもNYタイムズワシントンポストが日本政府を「右翼的だ」などと批判するようになったのは勿論「安倍政権以降」のことで自民党政権下でも「安倍以前」はそんな批判はしていませんが。
 

■【激震・朴政権】「弾劾」は反保守勢力の朴父子への復讐戦 正煕氏の生誕100年の無情 ソウル駐在客員論説委員 黒田勝弘
http://www.sankei.com/world/news/161210/wor1612100015-n1.html
 タイトルからして黒田らしい馬鹿げた文です。今回の弾劾可決は「朴の不正追及(主として崔の利権あさりへの荷担)」でしかない。
 もちろん「ポスト朴」は意見も多様です。中には朴チョンヒ独裁や「朴クネの右翼的政治」(統合進歩党弾圧、開城工業団地中止、教科書国定化など)に批判的なリベラル保守や左派もいるでしょう。
 そうしたリベラル保守、左派はこの機会に「朴の不正追及」「朴が不正を犯した政治風土の変革(企業献金規制の強化など)」にとどまらず「朴の右翼的政治の是正」を希望しているでしょう。
 ただしそうした事実は当然ながら弾劾を「復讐戦」呼ばわりしていいものではない。
 弾劾が「復讐戦」なら「与党からも弾劾賛成票が出て弾劾が大差で可決されたこと」が説明つかないでしょう。
 大体そう言う黒田は「朴を弾劾しなくていいと思ってるのか」という話です。

 人材起用や権力内部の意思疎通・結束などで保守勢力は注意を促してきたが聞き入れなかった。

 ばかばかしい。そもそも朴など担いだ事が間違いだったという話でしょう。
 結局「朴クネ」は「親の七光り」、つまり「韓国のブッシュjr」「韓国の安倍晋三」に過ぎなかったと言う話でしょう。


■【安倍政権考】在任期間で大勲位超えの安倍晋三*4首相、内閣支持率は前代未聞の遍歴 目指すは歴代最長・桂太郎*5超え!?
http://www.sankei.com/premium/news/161210/prm1612100025-n1.html
・産経らしい与太でさすがに本気じゃないでしょうが「安倍よりはずっとマシな中曽根*6越え」だの「未だに支持率が50%台」だの本当にうんざりします。
・なお、「歴代最長」にして在任中に「日露戦争勝利、日韓併合不平等条約改正」を成し遂げている桂ですが
1)第一次憲政擁護運動での桂の政治的敗北(首相辞任)とその直後の死去
2)伊藤博文*7(韓国統監として韓国併合に関与)や山県有朋*8参謀総長として日露戦争に関与)といった元老が当時健在
3)地味なキャラクター
といったことから「歴史学的にはともかく」、一般にはあまり注目されない人物の気がします。
 長期政権と言った場合、連想されるのは一般に吉田茂*9池田勇人*10佐藤栄作*11でしょう。
 なお、桂の首相時代は「桂と西園寺*12(当時、立憲政友会総裁)」が交互に政権を担当した時代だったため、桂園時代と言います。
 色々と理由はあったのでしょうが、政党側は西園寺以外に当時、有望なリーダーを立てられず、一方の官僚グループ側も桂以外に当時、有望なリーダーを立てられなかったわけです。

(ボーガス注:戦争法成立直後に大幅に落ち込んだが、安倍政権支持率の)この復元力と底堅さの背景には、政権が一貫して「経済最優先」を掲げてきたことがある。

 むしろ安倍が力を入れてきたのは「特定秘密保護法」「戦争法」といった右翼的政治ですが、少なくともこの記事の書き手は「安倍の右翼的路線が支持されてる」と強弁する気はないようです。

「不祥事や失言も支持率に響かない」ということが、3つ目の特徴として明瞭になったと思う。

 正直日本人のあほさには呆れます。不祥事(例:甘利*13前経済財政担当相の口利き疑惑)や失言(例:麻生財務相ナチス発言)しても支持率が下がらなければどんどん不祥事や失言がはびこりどこまで政治が堕落腐敗するかわかったもんではありませんが、もはや日本社会それ自体が腐敗堕落しているのでしょう。

 安倍政権の内閣支持率が揺るがない最大の理由は、批判の受け皿にすらなれない最大野党、民進党の体たらくにあることは言うまでもない。

 産経の記事で唯一正しいのはここだけでしょう。「マスコミが安倍批判をろくにしないこと」「安倍を支持する日本人の馬鹿さ」を割り引いても、民進党は最大野党としてこうした批判を免れないでしょう。


■【主張】朴大統領弾劾 保守勢力は立て直し急げ
http://www.sankei.com/column/news/161210/clm1612100004-n1.html
 「まず立て直すべきは国政と違うのか。何だ、この党利党略」と呆れます。


■【月刊正論1月号】三笠宮崇仁親王殿下は男系を守ろうとされた 作家・竹田恒泰
http://www.sankei.com/premium/news/161210/prm1612100011-n1.html
 まあ、くだらないですね。実際問題女帝以外に現実的解決策はないでしょう。

昭和十八年(一九四三)に、お印の「若杉」にちなんで「若杉参謀」を名乗って皇族の身分を隠し、支那派遣軍参謀として南京に赴任した。

 もちろん昭和18年ですから、彼は南京事件を直接目撃はしていませんが、このとき、「南京での不祥事」を聞き「南京事件の存在」を知り、後に右翼サイドから南京事件否定論が出たときに「南京で何もなかったなんて事はあり得ない」と批判したことはウィキペディア三笠宮崇仁親王」にも書いてある割と有名な話です。
 これが三笠宮氏以外の人間なら「お前、直接見たわけじゃないじゃないか!。黙れ!」というであろう、ウヨ連中も相手が「大正天皇の四男(昭和天皇実弟)」では「一部の極右を除いて」何も言えなかったわけですが。
 まあ、ただこの一件といい、「紀元節復活反対」といい三笠宮氏が「左派だの反自民だのとは言えないまでも」、少なくとも極右ではなく、ある種のリベラル性を持ってることからウヨ連中が内心では彼を疎ましく思っていたのは確かでしょう。
 ただ、何度も言いますが「大正天皇の四男(昭和天皇実弟)」では非難するわけにも行かず、かといって賛同することもできず、ウヨは「紀元節反対&南京事件否定論批判」は無視してなかったことにします。

 終戦後の早い段階で、殿下が天皇の譲位について独自のお考えを示していらしたことは、いま注目されている。天皇の譲位に関して、殿下は終戦後の昭和二十一年十一月に「新憲法皇室典範改正法要綱(案)」と題する意見書をお書きになり、皇室典範改正を審議していた枢密院にこれをご提出になった。その中で殿下は、崩御以外に譲位の道を開くべきであると書いていらっしゃる。  
 結局殿下のご意見は採用されず、新皇室典範に譲位の制度は盛りこまれなかった。その翌月、殿下はこの点について「自由意志による譲位を認めていない、つまり天皇は死なれなければその地位を去ることができないわけだが、たとえ百年に一度ぐらいとしても真にやむをえない事情*14が起きることを予想すれば必要最小限の基本的人権としての譲位を考えた方がよいと思っている」との意見を新聞に掲載なさった。七十年も前の時点で明確に譲位を肯定していらっしゃったことは、先見の明と言うべきであろう。  

 「先見の明」とまで言うと言うことは、産経や竹田は生前退位(譲位)支持なんでしょうか?。まあ、竹田はともかく産経は違うように思いますが。

 明治時代の日本は冷静だった。神話は神話として価値があり、神話を歴史的事実として国民に押しつけることはしてこなかった。

 珍しく紙面で「三笠宮氏の紀元節復活反対」を紹介する産経ですが『日本政府は神話(紀元節)を歴史的事実として国民に押しつけることはしてこなかった。昭和の一時期に「だけ」押しつけた「異常な一時期」があっただけだ。だから三笠宮氏の主張は日本の伝統的見解だ』と強弁するんだから最悪です。
 「お前ら、紀元節復活に反対してなかった癖に何だ!」ですね。とはいえさすがに産経もここでは「昭和の一時期が異常だったこと」は事実上認めていますが。

 かつて(ボーガス注:生前退位論表明、紀元節復活否定発言、南京事件否定論批判などで)「赤い*15宮様」と詰られたこともある三笠宮殿下だが、小泉政権下で女性天皇女系天皇を容認する皇室典範の改定が議論された時には、明確にこれに反対のご意見をお持ちになったという。

 息子の「寛仁」が反対論を公言し「オヤジも同意見だ」と言ってたから、そう評価するのだそうです。
 しかし息子と親は別人格ですし、崇仁氏個人は「少なくとも表向きは」そんな発言をしていない。寛仁の「オヤジも同意見」が「勘違いや虚言でない」という保証もない。
 勝手な決めつけは崇仁氏に失礼です。大体、崇仁氏の「紀元節復活批判発言」「南京事件否定論批判」は無視する連中が何を抜かしてるんでしょうか。
 「彼らウヨにとって一番偉いはずの天皇」が「退位したい」と言ってるのに「退位すべきでない」として無視する連中が何を言ってるんでしょうか?
 「天皇の発言でも間違ってれば支持しなくてもいい」のなら皇族の発言なんかなおさら支持する理由はない。
 まあ、こういう決めつけをしてはいけませんが、むしろ「皇室にはかなり女帝論支持がある」でしょうね。そうでもなければ小泉*16首相(当時)も女帝論採用の方向で動いたりはしないでしょう(悠仁君誕生とウヨの反発で小泉氏はやる気を失い、その動きを中止し、その後もそうした動きは復活せず今にいたってますが)。

 時の政府高官が語ったとされるある噂が永田町を駆け巡った。噂とは「麻生*17総理の内奏の折に、天皇陛下女性天皇女系天皇を望んでいらっしゃることが伝えられた」というものだった。

 まあ真偽は不明ですが可能性としてはあるでしょう。なお小生は「増原*18防衛庁長官事件」を引きおこした「天皇の政治不介入に反する疑いの濃厚な内奏」という慣習はやめるべきだと思います。まあ、現天皇は「死ぬまで国家元首気取りだったらしい」昭和天皇程、無神経な発言はしてないとは思いますが。

 この噂は、内容が具体的だったため、相当信憑性の高い情報とされたが、私はこの噂は偽情報と考えていた。噂を流したのが政府高官か、それともその周辺の人物か定かではないが、この噂を流した人物はこの情報の真偽を確認できる者はいないと考えていたのであろう。真偽を確認する手段が存在しないが故に、情報を流した者勝ちと考えたのであろうか。  

 やれやれですね。「真偽を確認できない」というなら、竹田の「三笠宮崇仁氏は女帝論反対だ」というのも「真偽を確認できない情報」ですが。

 私は寛仁親王殿下に、この噂は本当でございますかと伺った。すると殿下は「陛下がそのようなことを仰ることは絶対にない」と断言なさった。そこで殿下は「念のため、おやじ〔崇仁親王殿下〕に頼んでその噂が本当かどうか確認してきてもらう」と仰った。それから暫くして寛仁親王殿下からご連絡があった。崇仁親王殿下が参内なさった際に、陛下にこの噂の真偽を直接お尋ねになったところ、陛下のお答えは「麻生総理の参内の折に、皇位継承の話が出たことは無い」というものだった。何とあの噂は嘘だったのである。 

 誰しも「女帝論反対の寛仁では嘘ついてるかも知れない」とか「相手が女帝論反対の寛仁では『その噂は事実だ』とも言えず曖昧な発言でお茶を濁したら、勝手に『噂は嘘だ』と判断したかもしれない」とか「いやそれ以前に、寛仁はもう故人なので『死人に口なし』で竹田が嘘ついてるかも知れない」などと思うでしょうに何でしょうか、この態度。「寛仁の発言」や「竹田の発言」が正しい保障はどこにもありません。まあ、俺個人は「女帝以外に天皇制存続の道はない」と思ってるので現天皇の意見などある意味どうでもいいのですが。
 「現天皇を無視して強行する」つうわけにもいかないでしょうが、だからといって「女帝に反対などしない」。大体ウヨ連中だって生前退位問題では天皇発言など無視するわけですし。

参考
南京事件三笠宮崇仁氏】

http://www.geocities.jp/yu77799/nihonjin.html#mikasa
三笠宮崇仁インタビュー「闇に葬られた皇室の軍部批判」より
(聞き手 中野邦観・読売新聞調査研究本部主任研究員) 
中野
 最近また南京大虐殺について、閣僚の発言*19が問題になりましたが、同じような問題が何回も繰り返し問題になるのはまことに困ったことだと思います。三笠宮殿下はこの問題についてどのように受け止められておられますか。
三笠宮
 最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から「新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる」という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体何だったのかという懐疑に駆られました。
 また、南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、また、そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。これごそ虐殺以外の何ものでもないでしょう。
 しかし、日本軍が昔からこんなだったのではありません。北京駐屯の岡村寧次*20大将(陸士十六期・東京出身)などは、その前から軍紀、軍律の乱れを心配され、四悪(強姦、略奪、放火、殺人)厳禁ということを言われていました。私も北京に行って、直接聞いたことがあります。
 日清、日露戦争の際には、小隊長まで「国際法」の冊子をポケットに入れていたと聞きました。戦後ロシア人の捕虜が日本内地に収容されていましたし、第一次大戦の時にはドイツ人の捕虜*21がたくさん来ていました。彼らは国際法に基づいて保護されていましたから、皆親日になったのです。彼らの中には、解放後も日本に残って商売を始めた人達さえいました。神戸には今でも流行っているパン屋さんやお菓子屋さんがありますね。(「ゆう」注 「ユーハイム」のことだと思われます)
(「THIS IS 読売」1994年8月号 P54〜P56)

http://www.geocities.jp/yu77799/nihonjin.html#mikasa
■小川哲雄氏「日中戦争秘話*22」より
  あれは昭和十八年の春頃ではなかったか。総軍の若杉参謀から総軍司令部尉官将校に対し、次のような命令が下された。
 「支那事変が今に至るも解決せざる根本原因について思うところを述べよ。
 但し、三行三十字以内とする。」
 文章は長ければ楽だが、短くすればするほど難しい。われわれ若手将校はあれこれと知恵をしぽって解答を書いた。
 数日後、総司令部大会堂に尉官将校数百人が参集した。壇上には黒板を背にして若杉参謀が立たれ、左右には総軍司令官、以下参謀長、将官、佐官がずらりと居並んだ。陪席という恰好である。
 若杉参謀の講評がはじまった。
支那事変未解決の根本理由に関する諸官の解答についてつぶさに目を通した」
 参謀はその解答の代表的なものについて一枚一枚手にとって読み上げられた。
 日く、蒋介石の徹底した抗日教育。
 日く、ソ連の延安を通ずる支援。
 日く、英米の物的援助。
 日く、ビルマルートの打通。
 日く、中国大陸の広大さ。等々。
 若杉参謀はその各々について、解説を加え、事変未解決の一つの原因であるかも知れない、とされながら、
 「しかし、そのいずれにも本官は満足しない。諸官の解答は事変未解決の原因の一つだとしても、それは単に枝葉末節的、あるいは部分的原因にすぎない。いずれも本官の考える根本的原因には程遠い。諸官の解答は落第である」
 若杉参謀は机の上に積み重ねた解答の中から一通の答案を取り出し、
 「但し、この解答だけは本官が期待した唯一のものである」
 「沢井中尉、前へ」
 沢井中尉(大阪在住)は私と軍事顧問部の同僚であり、大阪外語の出身であった。
 沢井中尉は若杉参謀の前に進んだ。
 「読み給え」
 沢井中尉は自分の書いた答案を両手で眼の前に掲げながら、大きな声で読み上げた。
 「支那事変未解決の根本原因は、日本人が真の日本人に徹せざるにあり」
 沢井中尉が読み終わると、間髪を入れず、若杉参謀の声が語気鋭く講堂にひびいた。
 「その通り。事変未解決の根本原因は日本人が真の日本としての行動をしていないからだ。略奪暴行を行いながら何の皇軍か。現地の一般民衆を苦しめながら聖戦とは何事か。大陸における日本軍官民のこのような在り方で、いったい陛下の大御心にそっているとでも思っているのか」
  若杉参謀の前にならぶわれわれ尉官はもとより、左右に居ならぶ総司令官以下、将官佐官、ひとしく頭を垂れ、満堂粛として声がなかった。
 若杉参謀はさらに語をついで
 「わが日本軍に最も必要なことは、武器でもない、弾薬でもない。訓練でもない。これだ」
 若杉参謀はくるりと後ろを向き、黒板に大書された。
 ”反省、自粛”
 「自らをかえりみ、自らをつつしみ、自らの一挙一動、果たして大御心にもとることなきかを自らに問うことである」
 言々火のごとき若杉参謀の一語一語であった。軍の驕慢、居留民の堕落を衝いて余すところなく、今、この時、真の日本人、全き皇軍に立ちかえることが出来ねば支那事変は永久に解決しないであろう、と斬ぜられた。
 満堂、声がなかった。
 私は参謀の御言葉の中に日中事変そのものの不道義性へのお怒りを感じた。
 全員起立のうち、若杉参謀が退席された。
 退席されるや否や、総軍高級副官が冷汗をぬぐいながら、われわれ尉官に対し、「只今のお言葉は、何ともその、恐れ多い次第であるが、その何というか、あまり、いやまあ、なるべくだな、外部には、口外せんようにな」
 汗をふきふき、しどろもどろの高級副官であった。
 若杉大尉参謀は、支那派遣軍総司令部における三笠宮崇仁親王殿下の御名であった。

 まあ、「現地兵が略奪しなくても侵略すること自体が問題ジャン、そもそも日本が攻め込まなければ良かったジャン」「支那事変解決はもはや和平協定しかないジャン」といえばそのとおりでその意味では「三笠宮氏の認識」には限界があるわけです。
 ただここでそれを云々するより、「彼が日本軍の蛮行を批判する」程度にはある種のリベラル性、人道主義を持っていたことに注目したいですね。そして「彼が皇族であるにも拘わらず」、こうした彼の「今の日本軍は何なのか?。何という野蛮な軍隊なのか?。昔はここまで酷くなかったのではないか?」と言う思いが「蛮行の中止」として実現するどころか、「彼ですらうかつに日本軍批判を公言できないこと」にいらだちを強めていたであろう事も伺えます。


■【7人の侍処分】小池百合子氏「自民都連は除名に臨機応変」と皮肉
http://www.sankei.com/politics/news/161210/plt1612100002-n1.html
 皮肉なんぞいったところで小池がこの件で「自民党に除名されたら私が支えるから心配するな」などとはっきり公言できず、だからこそ7人の区議がぐだぐだな態度をとったことは明白です。今さら「支援する」といったところで「どんなもんか」でしょう。「アンチ小池の俺の願望込み」ですがおそらく「大阪の橋下ブーム」なんぞと違い「7人の区義を当選させよう」という声が支持者に満ちあふれ、7人全員当選確実というほどの勢いは小池にはないでしょう。

*1:著書『立身出世の社会史』 (1995年、玉川大学出版会)

*2:つうかキンモンスのような安倍擁護よりそっちが多数派でしょう。

*3:「米国基準での左翼」というのはどういう意味でしょうか?

*4:小泉内閣官房副長官官房長官自民党幹事長(小泉総裁時代)を経て首相

*5:台湾総督、伊藤、山県、大隈内閣陸軍大臣を経て首相

*6:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*7:首相、宮内大臣、枢密院議長、貴族院議長、韓国統監など要職を歴任

*8:陸軍卿、内務卿、首相、枢密院議長、参謀総長など要職を歴任。

*9:東久邇、若槻内閣外相を経て首相

*10:吉田、石橋内閣蔵相、岸内閣通産相などを経て首相

*11:吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*12:伊藤内閣文相、枢密院議長、首相など歴任。元老の一人。

*13:小渕内閣労働相、第一次安倍、福田内閣経産相麻生内閣規制改革担当相、自民党政調会長(第二次安倍総裁時代)、第二次、第三次安倍内閣経済財政担当相を歴任

*14:父親の大正天皇が「精神を病んだ」と言われていることか?

*15:ただし彼の発言はどれ一つとして「極右ではない」ものの「赤くはない」です。

*16:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相

*17:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)など歴任。現在、第三次安倍内閣副総理・財務相

*18:佐藤内閣、田中内閣で防衛庁長官を務めたが、それぞれ全日空機雫石衝突事故と増原内奏問題で短期間で引責辞任に追い込まれた。

*19:1994年という時期からして羽田内閣の永野茂門法相のことと思われる。

*20:上海派遣軍参謀副長、関東軍参謀副長、北支那方面軍司令官、支那派遣軍総司令官など歴任

*21:つい忘れがちな気がしますが、日本は第一次大戦に参戦しドイツの植民地だったパラオなどを攻撃しています。

*22:ググったところ『日中終戦秘話(副題:南京国民政府主席・陳公博の日本亡命)』(1985年、原書房)が本当は正しいらしい。なおhttp://www.geocities.jp/yu77799/nihonjin.html#mikasaでも指摘があるが小川氏は思想的には右(戦後、拓殖大理事)でありそうした人物ですら三笠宮氏の批判に賛同しているところが興味深い。