■森友疑惑で色々
https://twitter.com/kojiskojis/status/836226597300555777
杉原こうじ(NAJAT・緑の党)
これが、安倍晋三先生と昭恵さんが褒めたたえた理想の教育なのか。2月27日、フジテレビ「ユアタイム」で、森友学園の幼稚園児の運動会での「宣誓」。スタジオコメントでも「ヘイト規制法にもひっかかりそうな気がします」「これはやはり刷り込みですね」。
園児に「安倍首相がんばれ」「安保法国会通過良かった」などと言わせてるんだから、もう正気じゃないですね。
https://twitter.com/chiharu_shiga/status/836451588638031873
有田芳生さんがリツイート
The Gube @chiharu_shiga
グッディやり切ったな。
安藤優子「園児が運動会で、『出征する兵士と母親』のような事をやらされている。見てられない。」
ツィートに貼り付けてあるフジテレビのワイドショー『直撃LIVE グッディ!』のボード画像も酷くて
・休み前の担任と子供の会話(退園した保護者の証言による)
担任「ゴールデンウイークはどこに行く?」
子供「韓国に行きます」
担任「韓国なんてそんな汚い国に行くもんじゃないです」
・教育基本法第2条(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18HO120.html)
「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」
て教基法関係なくおよそ教育に携わる人間の言葉じゃないですね。
なお、教基法と言えば塚本幼稚園は
・教育基本法第14条(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18HO120.html)
「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」
にも違反しています。
しかしフジも随分と批判的な報道をしたモンです。
冨永格 @tanutinn
日テレ「スッキリ!」も森友学園問題。不動産専門家「国有財産の取引はふつう厳格で融通が全然利かない。その点、今回のケースは森友側の要望であまりにスピーディーに物事が進んでおり、何かあるのではと言われてしまう」加藤浩次MC「疑惑があるから官僚や政治家が絡んでいるのではとなる」
吉本芸人に過ぎない加藤ですら「あんな厚遇はおかしいですよ」と言ったようですから大分風向きが変わってきたとは言えるでしょう。
https://twitter.com/tanutinn/status/836048747133952000
冨永格 @tanutinn
森友学園問題、83%が「国会審議で真相究明が必要」70%が「安倍昭恵さんの名誉校長就任は不適切」テレ朝世論調査
富永氏(元朝日新聞記者)のツィートに貼り付けてある画像の「内閣支持率54%」つうのは「あの疑惑発覚後でそれ?」と頭痛がしてきますが、ついに
1)マスコミもこの疑惑について世論調査するようになったし
2)さすがにこんな疑惑について追及しなくていいという奴はほとんどない(17%が追及不要ないし「無回答、わからない」というのは意味不明ですが。重度の安倍自民信者でしょうか)
わけです。
■【主張】国有地売却 疑義残す取引は許されぬ
http://www.sankei.com/column/news/170228/clm1702280001-n1.html
さすがの産経も森友疑惑についてこう書かざるを得ないわけです。産経ですらこう書かざるを得ない所まで野党やメディアが安倍を追い込んだことはひとまず評価したい。もちろんまだ「国有地売却の取り消し」「小学校の認可申請が不許可となる」「森友学園理事長の逮捕起訴(背任容疑)」「安倍の首相辞任」等には至ってないわけでさらなる追及が必要ですが。
それにしても
1)近畿財務局は批判しても安倍は批判しない(そもそも安倍昭恵の名誉校長就任など安倍と森友の関係について「森友が無断で使用したかのように書いて」安倍夫婦をかばう)
2)問題をここまで表面化させた野党やメディア(朝日新聞、TBSラジオ、テレビ東京など)の追及について評価しない
3)「児童虐待」「中韓へのヘイトスピーチ」等、他の問題は無視して国有地払い下げ疑惑しか取り上げない
辺りはさすが「アンチ野党」「安倍自民応援団」産経です。
■【森友学園問題】運営の幼稚園「よこしまな考え方の在日韓国人や支那人」と保護者に文書 韓国民団大阪「明らかに民族差別」と府に指導求める
http://www.sankei.com/west/news/170227/wst1702270062-n1.html
まあ、こんなふざけたヘイトスピーチを抜かせば民団など当事者から抗議されるのは当たり前の話です。
■【参院予算委員会】参院で論戦スタート 森友学園で安倍晋三首相「理事長と個人的な関係ない」
http://www.sankei.com/politics/news/170228/plt1702280035-n1.html
どう考えても嘘でしょうがばれないと高をくくってるんですかね?。当の理事長側は「嘘つき扱いされたあげく、安倍に見捨てられてたまるか」とばかりに親密関係をアピールしてるのですが。
しかしこうなると韓国紙ハンギョレの「日本版崔順実ゲート」というのは全く正しい命名でしょう。
■安倍首相「『安倍政権 成功の分析』という本を出して」 シンクタンク5周年パーティー出席
http://www.sankei.com/politics/news/170228/plt1702280032-n1.html
安倍晋三首相は28日、東京都内のホテルで開かれたシンクタンク「日本再建イニシアティブ」(船橋洋一理事長)の創立5周年記念パーティーに出席した。
安倍が出席するようなシンクタンク(http://rebuildjpn.org/)だから「国基研程酷くないとは言え」まあそう言うシンクタンクなんでしょう。安倍は「自分に批判的なシンクタンク」のパーティーに出席できるようなタマじゃありませんので。しかしそんなシンクタンクの理事長が元朝日主筆ねえ。変節でしょうか?
■【産経抄】独立戦争を戦った残留日本兵 2月28日
http://www.sankei.com/column/news/170228/clm1702280003-n1.html
もちろん「何処の東南アジアの国」でも残留日本兵は「自分の意思*1で残った」わけで政府命令ではない。ましてや「ベトナムのホーチミン*2軍に参加」なんて「ホーチミンは共産主義者で、太平洋戦争中、日本政府は支援なんか当然してない」事を考えれば産経が「ベトナム独立が日本のおかげ」であるかのように恩着せがましく言うのは無茶苦茶です。
なお、国共内戦でも「諸事情から」中国国民党軍、中国共産党軍に参加した残留日本兵がいることを指摘しておきます。
参考
http://www.sankei.com/life/news/170227/lif1702270032-n1.html
■産経『天皇、皇后両陛下 28日からベトナム・タイご訪問 残留元日本兵の家族「義に生きた父誇り」』
「父が生き、自分のルーツでもあるベトナムを撮りたい」。
猪狩さんは写真家の道を進み、91年、ベトナムで個展を開いた。
ある日突然、ベトナム建国の父、ホー・チ・ミンの側近だった軍最高司令官、ボー・グエン・ザップ*3将軍が個展会場に現れた。
「日本軍を(ベトミンに)入れたのは自分だ。ファンライ(父・和正さんのベトナム名)の息子に会いたかった」。
将軍はそう言って写真を見て回った。3年後、ベトナムでの功績が認められ、和正さんに勲章が贈られた。
■井川省(1913年4月14日〜1946年:ウィキペ参照)
・日本の敗戦後にベトナム独立戦争(インドシナ戦争)に参加して戦没。
・井川は歩兵操典などの日本軍の教本をホーチミンが率いるベトミン(ベトナム独立同盟)のために仏訳するとともに、ベトミンの対仏戦略・戦術や兵員訓練に関する指針を執筆している。また、中・小隊長級のベトミン軍幹部に軍事教育を施す一方、ベトミン軍の採るべき戦術についてグエン・ソン*4将軍と日常的に意見を交わしていた。
・井川は死後に勲五等瑞宝章を受け、戦死者として靖国神社に祀られている。
・元朝日新聞記者の井川一久は彼の子息。
■石井卓雄(1919年12月3日〜1950年5月20日:ウィキペ参照)
・日本の敗戦後にベトナム独立戦争(インドシナ戦争)に参加して戦没。
・1946年5月、石井はグエン・ソン将軍が設立したクァンガイ軍政学校の教官に就任し、日本軍兵補出身者を含む実戦経験を持つベトミンの小中級幹部たちに軍事指導を行った。
・1950年5月20日、ベトナム南部でフランス軍と交戦中に、石井はフランス軍が仕掛けた地雷によって戦死したとされている。石井は死後に、戦没者として靖国神社に祀られている。また、ベトナム戦争が始まる前には、石井の部下により、石井を顕彰する石碑がサイゴン(現在のホーチミン市)に建立された。石碑は後に香川県善通寺市の陸上自衛隊第2混成団(後に第14旅団)本部の敷地内に移設されている。
何で靖国だの自衛隊だのか分かりませんが都合良く「ベトナム独立は日本のおかげ」扱いでしょうか。
「いや、そのベトナムは米国がベトナム戦争で攻撃した北ベトナムの前身であって、南ベトナムの前身と違うし、残留したのも政府命令でなくて個人的意思にすぎんやん」ですが。
■林弥一郎(1911年9月2日〜1999年8月14日:ウィキペ参照)
戦後、部隊を率いて山中に潜伏していたが、食料が尽きるなどしたため、中国国民政府軍に降伏することにした。中国共産党軍を中国国民政府軍と誤認して降伏し、捕虜となったが、林彪*5や中国共産党中央東北局の彭真*6書記に中国共産党軍の航空隊設立を要請され、部下300人の生活保証と引き換えに受諾した。
1946年1月1日に航空総隊を設立し、朱端隊長に次ぐ副隊長兼参議に任命された。
3月1日に東北民主聯軍航空学校が発足すると飛行主任教官に任命され、中国共産軍の航空隊育成を行った。1956年(昭和31年)8月に帰国。その後、日中友好会会長を務めた。
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200603/zhuanwen64.htm
■人民中国『中国空軍創設につくした日本人教官、元空軍司令官が回想する』
今日、中国人民は新中国に貢献した日本の友人たちを忘れることはない。中国共産党初の航空学校「東北民主連軍航空学校」(通称・東北老航校)の創設については、本誌で以前紹介した『新中国に貢献した日本人たち』(日本僑報社)にも記述されているが、本誌編集部は王海さんから直接お話をうかがった。
(中略)
王海さんは1946年6月、東北民主連軍航空学校に入学した。入学してまもなく、主任教官の名は林保毅であると聞いたが、この林教官がかつて日本の「帝国軍人」であったことは知らなかった。
林教官は本名を林弥一郎といい、もとは関東軍第2航空部隊第4練成飛行隊の隊長であった。日本の敗戦後、彼の部隊は東北民主連軍に包囲され、武器を引渡して投降した。
(中略)
ほどなくして、民主連軍の指導者は林部隊を瀋陽に呼び寄せ、自ら林さんと面会した。中国共産党中央東北局の彭真書記は、「中国空軍の創設に協力していただきたい」と要請した。
(中略)
林さんは少し考えたのち、「訓練生は教官に絶対服従すること、日本人の栄養を保証すること、日本人の生活問題に関心を持つこと」という3つの条件を提出した。思いもしなかったことに、民主連軍の指導者はこの条件に即座に応じた。
(中略)
こうして、林さんは約280人の部隊を率いて吉林省東南部の通化へやって来て、共産党の空軍創設に協力することとなった。日本航空大隊は、東北民主連軍航空隊に改編された。彼らは東北各地から飛行機や燃料、機材を収集した。
(中略)
林さんたちの協力のもと、1946年1月1日、東北民主連軍航空総隊が設立された。同年3月1日、航空総隊は航空学校と名を改め、林さんはその参議兼主任教官に就任した。これは新中国初の航空学校であった。
(中略)
林弥一郎さんら6人は1985年1月、招待に応じて北京を訪問した。当時、全国人民代表大会常務委員会委員長だった彭真氏は彼らと接見し、「空軍の航空学校創設の際には、困難な情況にありながら、さまざまな障害を克服し、工夫に工夫を重ねて、空軍の中核的な力を育成してくださった。その功績はまことに大きい。中国人民はあなたがたに深く感謝しています。私たちは必ず、あなたがたの功績を中国の空軍史に記録し、子々孫々まで伝え、永遠に忘れません」と話した。
86年2月には、林さんは中国人民解放軍空軍司令部を訪問した。当時、空軍司令官だった王海さんは、林さんの両手を固く握りしめながら「日本人教官の方々が教えてくれた操縦技術のおかげで、今日の私たちがあるのです。私たちは心から日本人の先生方に感謝しています。林先生、帰国されたら、私たちの感謝の気持ちを必ず日本の先生方にお伝えください」と言った。
http://j.people.com.cn/n/2015/1009/c94473-8959658.html
■人民日報『日本人八路軍の筒井重雄さん 「中国の空軍パイロットを育てたことは一生の誇り」』
筒井重雄(改名前の名前:木暮重雄)さんは、1920年10月11日に群馬県の貧しい養蚕農家に生まれた。パイロットだった兄の影響で、木暮さんは1940年に空軍兵となり、技術訓練、飛行訓練を経て、最終的に15301部隊の飛行教官となる。
1945年1月、木暮さんは命を受けて唐山から南京に飛び、受け取った戦闘機「隼(はやぶさ)」を操縦して帰還する途中で、飛行機のエンジンの故障により、山東省泗水県の河原に不時着、八路軍の捕虜となった。
その後、学習のために日本人労農学校の山東分校に送られた木暮さんは、日本人民解放同盟に加わることを決意、八路軍の兵士となった。
1945年8月15日、日本は降伏したが、華北地域の日本軍は武器を手放さなかった。木暮さんは八路軍の代表として日本軍の兵営に赴き、投降を勧告した。様々な反戦活動を終えた後、木暮さんはハルビンで東北民主連軍と共に日本人の引き揚げを手伝った。そんなある日、中国が空軍の創設を計画しているものの、教官が不足していることを知った木暮さんは、空軍に参加させてもらえるよう、東北民主連軍に願い出た。こうして1946年9月、木暮さんは中国空軍の一員となった。
それから1949年10月の新中国成立までの3年あまり、木暮さんを含む日本人の教官は120人のパイロットを育成し、さらに14人の女性パイロットも育成した。彼らは中国空軍部隊の中堅となった。開国大典の軍事パレードで、観閲を受けた空軍編隊のパイロットの約半数が、木暮さんの学生だった。息子・筒井健史さんは「父は、中国のために優秀な空軍パイロットを育成したことを最大の誇りと思っていた」と語る。
1958年、木暮さんは中国で出会った妻・美治さんと息子・娘をつれて、祖国へと戻った。自衛隊への入隊を断った木暮さんは、極右勢力からのしつこい嫌がらせを受け、仕方なく妻の実家である長野県に移り、名字を木暮から筒井に改名し、果樹栽培を始めた。
生活は質素で、政治的なプレッシャーは大きかったが、筒井さんは中日友好の活動に積極的に取り組んだ。1986年5月30日、時の中国人民解放軍空軍司令員・王海氏の招きを受け、筒井さんは中国の旧東北航空学校創設40周年式典に出席した。
2005年、筒井さんは在中国日本人反戦同盟元兵士の訪中団の一員として、中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利60周年記念活動に参加した。帰国前、空港に向かうバスで、筒井さんは胸につけた中国人民抗日戦争勝利60周年記念章を感慨深げに眺めていた。筒井さんは帰国後、この記念章をスーツにつけ、その後も重要なイベントには必ずこのスーツで出席した。
筒井健史さんは、「八路軍に参加したことは、父の人生において最も重要で、最も誇りに思う出来事」と語る。
9月3日、筒井健史さんは北京を訪問し、中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念活動に参加した。筒井健史さんは「中国人民解放軍の空軍のパフォーマンスが見られてとても嬉しい。中国空軍の発展を喜ばしく思う。父が生きていれば、感動して涙を流すに違いない」と語った。
■【政界徒然草】愛煙家の権利は煙に巻かれ… 自民党で受動喫煙対策議論が大炎上 業界団体からは規制強化に悲鳴
http://www.sankei.com/premium/news/170227/prm1702270004-n1.html
「来客が激減する」てそんなにタバコ好き多いのかと思いますね(ちなみに俺はすいませんし、俺のオヤジも昔はすっていましたがいまは禁煙しています)。
厚労省案では、医療施設は敷地内も含め全面禁煙
まあ普通病院はそうあるべきじゃないんですかね。
ヒートアップする議論の背景には業界団体の意向もある。たばこや飲食店関係の団体は自民党の有力な支援組織で、支持を受ける議員には団体の声を無視できない事情があるからだ。
喫煙者は減少傾向の今、タバコ業界にそれほどの政治力があるか疑問ですが、飲食店業界にはあるでしょうね。ただ飲食店業界が禁煙に反対(まあ分煙に賛成だそうですが)つうのもよく分かりませんが。
「受動喫煙が嫌だから外食したくない」つう人間だっていると思うんですけどね。
*1:その意思がどういうものだったかはひとまずおきます
*4:グエン・ソンは長征に参加するなど中国共産党での経歴を有していたことから、反中感情の強いベトナム人の不満を引き起こし、1950年、ホー・チ・ミンはやむを得ず彼を中国に送った。1956年初め、グエン・ソンは末期の肺癌と診断された。自身の病状を知った彼は、中国、ベトナム双方にベトナムへの帰国を要請した。1956年10月21日、故郷のハノイで死去。ベトナム政府は彼を国葬で弔った。
*5:国防相、副首相、党副主席など歴任。林彪事件を起こし逃亡中に飛行機が墜落し死亡。
*6:北京市長・党委員会書記時代に文革が発生。部下の呉羗副市長(文革中に死去。自殺したと見られる)が執筆した『海瑞罷官』によって攻撃され失脚。文革終了後復権し、全人代副委員長、委員長。