新刊紹介:「経済」5月号

「経済」5月号について、「ほとんどうまく紹介できないので」大西広氏のコラムだけ簡単に紹介します。
 http://www.shinnihon-net.co.jp/magazine/keizai/
大特集「「資本論」第1巻150年:資本主義を解く変革の理論」
■「資本論」第1巻刊行150年に寄せて:私と「資本論」」(大西広*1
(内容紹介)
 大西氏は「学生相手にマルクス経済学(マルクス主義経済学)を講義する場合」に「色々難しいところがある」とした上で、その一例として「搾取概念」をあげている。
 「搾取」と言う言葉の響きだと「サービス残業やシベリア抑留、朝鮮人強制連行での強制労働」のように「低賃金、長時間労働でこき使う」イメージがあるし、そうした問題を「経済学(マルクス経済学に限らない)」が議論の対象としていないわけではない。もちろんそうした問題を経済学的に、あるいは「社会問題、政治問題として」論じることがどうでもいいわけでもない。
 ただし「マルクス経済学で言う搾取の概念」とはそう言うコトを意味しているわけではない。
 「搾取」について混同したままマルクス経済学を学習していると訳がわからなくなる危険性がある。
 搾取についてはいわゆる「置塩・森嶋の定理(マルクスの基本定理)」というものがあるが、「これを適切に理解させること*2」だけでも「大西氏の理解」では至難の業であるし、これがわかれば「マルクス理解がかなり進んでいると見ていい」と大西氏は指摘している。
 なお、小生は大して頭も良くないし不勉強なので「置塩・森嶋の定理(マルクスの基本定理)」についてはさっぱりわかりません。

参考

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_fmt.html
松尾匡*3のホームページ『用語解説:マルクスの基本定理』
 置塩信雄*4は1954年に自分が最初に証明したと言っている。これは、1955年に『神戸大学経済学研究』に論文「価値と価格」として発表された(置塩の著作『マルクス経済学』(筑摩書房*5)に所収)。英文では、Weltwirtschaftliches Archiv に1963年に発表された"A Mathematical Note on Marxian Theorems"が最初である。
 「マルクスの基本定理」とは、これに対して森嶋通夫*6がつけて世界に広めた呼び名である。
 森嶋は、森嶋・カテフォレス『価値、搾取、成長』*7の中で、この定理の証明は1960年代初めの自分と置塩の同時発見と言っているが、日本語での発表を含めれば置塩が森嶋に先駆けていることは明らかである(森嶋の『マルクスの経済学』*8では置塩が最初と書いてある)。もっとも、戦後間もないころ、この二人は京阪神の同世代の経済学徒とともにひんぱんに研究会を行い、深夜まで痛飲しながら議論をかわしていたわけだから、おそらく置塩の発見であることに間違いはないだろうが、森嶋もまたその創出に大きくかかわっていたのであろう。
マルクスの基本定理の意義】
 マルクスは、というよりすでにリカードも、価格が投下労働価値に比例する前提のもとで、正の利潤の源泉が労働の搾取にあることを示していた。マルクスはさらに、価格が投下労働価値ではなく、均等利潤率が成り立つ「生産価格」になったとしても、利潤の源泉が搾取された労働だと言えることを証明できたと考えた。これがいわゆる「転化問題」における「総計一致二命題の両立」である。しかし後年、転化問題を最後まで解いてみると、残念ながら「総計一致二命題」は両立しないことが明らかになった。
 現実の価格は投下労働価値に比例していないのが常であるから、これによって、以降、利潤の源泉が労働の搾取だと言うことは、客観的立証不可能な信念の表明にすぎないことになってしまった。
 ところが、置塩が証明した「マルクスの基本定理」は、投下労働価値に比例した価格はおろか、均等利潤率をもたらす生産価格である必要すらなく、ともかく正の利潤を発生させるような価格ならどんな価格であったとしても、そのもとで労働が搾取されていることを示したのである。このことは、マルクス主義イデオロギーを抱こうが抱くまいが、厳密な客観命題として、この定理の示す結論を万人が承認することを迫るものである。
(後略)

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_oxo.html
松尾匡のホームページ『用語解説:置塩信雄 (1927-2003)』
 置塩の学問的業績は多岐にわたるが、特に最重要と思われるものだけをあえて選んでまとめると次の通りになる。
1. 投下労働価値概念の数理的定式化と「マルクスの基本定理」
 いずれも1955年に公表された。投下労働価値概念の数理的定式化は、ドミトリエフやメイも行っているが、置塩は彼らとは独立に得ている。「マルクスの基本定理」は、この価値概念を用いて、正の利潤の存在と正の労働の搾取との同値性を世界で最初に証明したものである。
2. マルクスの傾向法則命題の検討
 『資本論』で述べられた「利潤率の傾向的低下」や「相対的過剰人口の累積」の傾向法則への批判に対して、有機的構成が高度化する限り、利潤率の上限や雇用の上限が低下することを証明して、マルクスの推論が成り立つことを厳密に示した。ただし、この議論の前提である「有機的構成の高度化の進行」については、現実には長期歴史的に一定であるとして、これらの傾向法則を否定した。
3. 生産価格と均等利潤率について
 投下労働価値から生産価格へのいわゆる「転化問題」については、『資本論』で示唆された手順を繰り返すことで生産価格に収束することを示し、この場合にもいわゆる総計一致二命題は両立しないことを確認した。また、実質賃金率が均等利潤率や生産価格に及ぼす影響や、この問題と技術変化の関連について厳密な分析を行った。特に、現行価格のもとで費用を削減する技術革新の結果、新たに成立する均等利潤率は以前よりも低下することはないという命題は、利潤率低下法則を否定する「置塩定理」として世界に知られている。
4. 企業の生産決定態度と実質賃金率の決定
 置塩は、ケインズ理論を批判的に摂取し、その背景の利潤追求という資本家の供給決定態度(雇用決定態度)を明示する。それに基づき、実質賃金率は労働市場で決まるのではなく、需要が先決する財市場によって決まることを示した。特に、支配階級の剰余生産物への需要、中でも設備投資需要が、財市場を通じて雇用や実質賃金率を決定する主因となる。置塩はここに資本制経済の階級矛盾を見いだし、いわゆる限界原理や、価格変動を通じた財市場均衡を、それを示すための不可欠の論理として積極的に用いた。
5. ハロッド=置塩型投資関数と不安定性論
 置塩によれば、財市場で生産や雇用を決める主因が設備投資需要であるが、この投資が資本家の分散的私的意思決定にゆだねられているところに、資本制経済の不安定性の原因がある。この問題意識から、置塩はハロッドの不安定性論の論理を厳密化して、必ずマクロ的に不安定をもたらす投資関数「ハロッド=置塩型投資関数」を定式化した。そして、これに基づく経済動学の分析を、様々なバリエーションで行った。また、これにとどまらず、様々な要因を考慮に入れて投資決定理論を追求し続けた。
 なお、この過程で、資本設備一定の短期における稼動関数と、資本設備可変の長期における技術選択関数との生産関数の区分が明確化され、両者の接点として正常稼動概念が定式化された。これは、今日米国の気鋭の研究者が取り組んでいる、生産関数が長期にはコブ・ダグラス型なのに短期にはそうでないのはなぜかという問題の先駆だった。この定式化は、足立英之*9、下村・越智、河野良太*10、吉田博之*11、拙稿などによって取り上げられ、置塩後期門下生の標準解釈になっている。
6. 利子決定諸学説の統一的説明
 置塩は1986年、利子率は債券市場の需給に応じて運動するものとした。ケインズ的不完全雇用のもとでは、財市場、債券市場、貨幣市場の超過需要の和が恒等的にゼロになるので、財市場と貨幣市場の同時均衡(IS−LM均衡)が成り立てば、その裏で債券市場が均衡して利子率が決まる。流動性選好説をとらない新古典派の場合は、積極的貨幣需要がないので貨幣市場を除く、財市場、債券市場、労働市場の超過需要の和が恒等的にゼロになるので、完全雇用(労働市場均衡)のもとで財市場が均衡(貯蓄=投資)すれば、その裏で債券市場が均衡して利子率が決まる。
7. 為替レート決定諸学説の統一的説明
 置塩は1986年、為替レートは国際収支に応じて運動するものとした。そしてそれに基づき翌年、為替レート決定の諸学説を統一的に説明した。不完全雇用のもとで貿易を考慮に入れると、財市場、債券市場、貨幣市場の和は恒等的に国際収支に等しくなる。もし小国で国内に独自の債券市場がなければ、財市場と貨幣市場が均衡すれば、その裏で国際収支が均衡して為替レートが決まる。これがマンデル・フレミングモデルである。また、もし財市場調整がまだ動かない短期で見ているのなら、債券市場と貨幣市場が均衡すれば、その裏で国際収支が均衡して為替レートが決まる。これがアセット・アプローチである。さらに債券市場調整がまだ動かない超短期で見れば、貨幣市場が均衡すればその裏で国際収支が均衡して為替レートが決まる。これがマネタリー・アプローチである。
8. 決定の所在としての所有概念
 置塩が多年にわたる研究で認識した重要な論点のひとつは、資本制経済のワーキングの階級的本質は、生産や設備投資に関する基本的決定を資本家が排他的に握ることにあるということだった。ここから、生産手段の私有の本質は、その法制度的な規定にあるのではなく、生産手段運用の決定の所在にあるとする認識が導かれた。よってこれによれば、株をほとんど持たない日本の大企業の経営者も、生産手段を私有する資本家階級であることになる。逆に、生産手段の共有に基づく社会主義社会は、法制度的に国有化して実現できるものではなく、生産に関する勤労大衆の共同決定がなければならない。置塩はこのように考えて、ワーキング可能な社会主義像を追求しはじめる。やがて間もなくソ連・東欧体制の崩壊を迎えることになるが、すでにこの認識に到達していた置塩にとっては何ら動揺する事件ではなかった。

*1:立命館大学助教授、京都大学教授を経て慶應義塾大学教授。著書『中国はいま何を考えているか』(2005年、大月書店)、『チベット問題とは何か:“現場”からの中国少数民族問題』(2008年、かもがわ出版)、『現場からの中国論』(2009年、大月書店)、『中国の少数民族問題と経済格差』(編著、2012年、京都大学学術出版会)、『マルクス経済学(第2版)』(2015年、慶應義塾大学出版会)、『中成長を模索する中国:「新常態」への政治と経済の揺らぎ』(編著、2016年、慶應義塾大学出版会)など

*2:あくまでも「定理がどういう主張をしているか」と言う理解であって「それを正当な物と認めるかどうか」はまた別の話です。

*3:久留米大学教授を経て立命館大学教授。著書『セイ法則体系:マルクス理論の性格とその現代経済学体系への位置付け』(1996年、九州大学出版会)、『近代の復権マルクスの近代観から見た現代資本主義とアソシエーション』(2001年、晃洋書房)、『マルクスの使いみち』(共著、2006年、太田出版)、『「はだかの王様」の経済学:現代人のためのマルクス再入門』(2008年、東洋経済新報社)、『マルクス経済学 (図解雑学シリーズ)』(2010年、ナツメ社)、『未来社会を展望する:甦るマルクス』(共著、2010年、大月書店)、『これからのマルクス経済学入門』(共著、2016年、筑摩選書)など

*4:神戸大学名誉教授。著書『再生産の理論』(1957年、創文社)、『蓄積論』(1967年、筑摩書房)、『近代経済学批判』(1976年、有斐閣)、『マルクス経済学』(1977年、筑摩書房)、『現代経済学』(1977年、筑摩書房)、『資本制経済の基礎理論』(1978年、創文社)、『現代経済学の展開』(1978年、東洋経済新報社)、『現代資本主義分析の課題』(1980年、岩波書店)、『現代資本主義と経済学』(1986年、岩波書店)、『マルクス経済学II』(1987年、筑摩書房)、『現代経済学II』(1988年、筑摩書房)、『経済学はいま何を考えているか』(1993年、大月書店)、『経済学と現代の諸問題』(2004年、大月書店)

*5:1977年刊行

*6:ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスLSE)名誉教授、大阪大学名誉教授。著書『サッチャー時代のイギリス:その政治、経済、教育』(1988年、岩波新書)、『政治家の条件:イギリス、EC、日本』(1991年、岩波新書)、『思想としての近代経済学』(1994年、岩波新書)、『日本にできることは何か:東アジア共同体を提案する』(2001年、岩波書店)、『無資源国の経済学:新しい経済学入門』(2008年、岩波全書セレクション)、『なぜ日本は没落するか』(2010年、岩波現代文庫)など

*7:1980年、創文社

*8:1974年、東洋経済新報社

*9:著書『不完全競争とマクロ動学理論』(2000年、有斐閣

*10:著書『ケインズ経済学研究』(1994年、ミネルヴァ書房

*11:著書『景気循環の理論:非線型動学アプローチ』(2003年、名古屋大学出版会)