今日の産経ニュース(4/26分)(追記・訂正あり)

■澤藤統一郎の憲法日記『沖縄の民意を蹂躙するアベ政権の支持者よ、君たち恥ずかしくないか』
http://article9.jp/wordpress/?p=8488
 こういう義憤は小生も感じますですね。
 結局「他人などどうでもいい」つうことなんでしょうがそのくせ、先日の「今村復興相の暴言」に怒ってみせるのがよくわかりません。
 「俺も被災者になる恐れがあるが、米軍基地被害者になる恐れはないから」つうことなのか。
 そしてそうやって安倍の民意蹂躙に荷担したところで荷担してる輩の大半に、何かいいことがあるようにも見えないのが何とも。


■ちきゅう座『イラワジ紙主筆、久々の論説から思うこと ― 外来と土着との相克と克服 ―』野上俊明
http://chikyuza.net/archives/72068
 以前も「軍部に対しあまりにも軟弱である」とする野上氏のスーチー批判、「スーチーにかわる人材がいない極度の人材難」とするNLD批判を紹介しましたがその続きです。

 私はスーチー氏の態度変化は、NLDの合法化以前15年以上に及ぶ自宅軟禁期間に徐々に準備されたのであろうと考えています。それはミャンマーの民主革命における国民大衆の力の限界を痛切に感じたところから始まったのでしょう。

 20年の間待っていた国民の決起は起こらず、国民は自力で私を解放することはできなかった。
(中略)
 この国では私が先導して国民を導く以外に変化は起きようがないのだ。(ボーガス注:NLDなど民主勢力は無力であり)国軍と対等に渡り合うなど夢物語であり、たとえ非難されようとも必要な妥協を怖れず私が進める以外道は拓けないのだ。

 それは88年から90年にいたるミャンマー民主化運動の挫折についてのスーチー氏なりの孤独な総括であり、自身の体制立て直しの決意だったと思われます。
(中略)
 スーチー氏はトラシュエマンらの旧将軍や国軍との関係構築にのめり込んで行き、自分を指導者に押しげた母体である88世代や少数民族団体とは疎遠になっていったのです。

 まあそういうことなんでしょうね。スーチーを一方的に非難するのもどうかと思いますが、現状が手放しで評価できるモンでもないのもまた事実でしょう。


【ここから産経です】
■AV出演強要、JKビジネス…渋谷で性被害根絶イベント 女子大生ら170人参加でパレード 警視庁など
http://www.sankei.com/affairs/news/170426/afr1704260024-n1.html
 悪い事だとは思いませんが、安倍政権が女性の人権に興味があるとはとても思えず、むしろ「日本会議的な純潔教育」といった観点からの運動ではないのかという疑念を感じます。

 警視庁の田代芳広生活安全部長は「街頭で『モデルになりませんか』と勧誘された後、AV出演を強要されるなどの実態がある。若者の夢を台無しにする卑劣な犯罪行為で、摘発を強化していく」と述べた。

 今時そんな事があるんですかねえ。まあ、あるからそう言うんでしょうが。なお、慰安婦では「(日本軍に)だまされる方も悪い」という産経もさすがに「悪徳AVメーカー」を擁護する気はないようです。


■【衝撃事件の核心】和歌山カレー事件・林真須美死刑囚の長男が語った壮絶人生…あだ名は「ポイズン」、両親逮捕で一変した生活
http://www.sankei.com/west/news/170426/wst1704260003-n1.html
 産経には珍しく良い記事だと思います。
 ただし
■日刊スポーツ『林真須美死刑囚の長男が語った家族…札束の山』
http://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/1794159.html

 1998年7月25日、和歌山市園部の夏祭り会場でカレーを食べた4人が死亡、63人が急性ヒ素中毒になった和歌山毒物カレー事件。当時、10歳だった林真須美死刑囚(55)の長男(29)が初めてテレビのインタビューに応じた。
(中略)
 初めて長男への直撃インタビューをしたのはMBSテレビの報道特別番組「激撮! 直撃スクープ!!」(20日午後1時55分放送、関西ローカル)。同番組はMBSがカメラに収めてきた幾多のニュース映像を基に「あのとき何かあったのか」「あの人はどうなったのか」に迫る約4時間の生放送番組だ。
 同番組内の「和歌山毒物カレー 林真須美死刑囚の長男が語る19年目の真実」で、長男は事件前に「林家」で何が起こっていたのかを語り、事件後には「犯罪者の息子」と陰口をたたかれ、生活が大きく変化したことを明かす。

なのでこれは産経の単独インタビューではありません。産経がその点に明確に触れないのはやはりアンフェアでしょう。
 なおタイトルは日刊スポーツより産経の方がまともだと思います。

 殺人犯の息子という重い十字架を背負うことになった長男を待っていたのは、預けられた養護施設でのいじめだった。
(中略)
 十字架は、数年後に施設を出てからも重くのしかかった。生計を立てるため飲食店でアルバイトをしていたとき、林死刑囚の家族だと分かると「衛生的に良くない」と言われ、その日のうちに解雇されたという。

 こういうのは本当に精神的に辛いだろうと思います。共犯でない限り「親と子どもは別人格」なのに残念ながら日本では世間は必ずしもそうは見ないわけです。
 その結果、たとえば

 宮崎勤の家族に対して「お前達も死ね」「殺してやる」という旨の嫌がらせの手紙が大量に殺到した。長女は勤めていた会社を辞め、既に結婚間近だったが自ら婚約を破棄した。次女は在学していた看護学校にいられなくなり、自主退学に追い込まれた。家族は宮崎の逮捕から1年後に引越をした。(ウィキペ『宮崎勤』参照)

という酷い扱いに耐えられなくなった宮崎勤の父親なんかは自殺しています。
 ウィキペ「宮崎勤」や後で紹介する
■“加害者”家族の現実 失われる日常、自殺、退職、執拗な脅迫…広く親戚にまで影響
http://biz-journal.jp/2013/05/post_2182.htmlなどによれば

 宮崎勤の父親と事件前から交流があり、当時東京新聞記者だった坂本丁治は『単独会見記:針のムシロに坐る父親』(月刊「文藝春秋」所収)に「この事件を通して、加害者の家族は罪を犯した加害者以上の苦痛に苛まれることを知った」「加害者家族が直面する現実を、初めて目の当たりにした」と書いている

そうです。

 林死刑囚は死刑確定後も無罪主張を変えておらず、21年には和歌山地裁に再審請求を申し立てた。自宅などから見つかったヒ素と、現場に残されたヒ素は別物と主張したが、請求は今年3月、棄却された。林死刑囚の弁護団は大阪高裁に即時抗告しており、今後も無実を訴え続ける構えだ。

 実際どうなのかはわかりません。しかし長男からすれば「母親のことは信じたい」だろうし、「死刑囚の息子」というレッテルははがしたいでしょう。
 こういうときに「肉親として無実を勿論信じたい」というのは大変よく分かります。

参考
■“加害者”家族の現実 失われる日常、自殺、退職、執拗な脅迫…広く親戚にまで影響
http://biz-journal.jp/2013/05/post_2182.html

今回、『加害者家族』(幻冬舎新書*1)の著者で、NHK報道部ディレクターでもある鈴木伸元氏*2に、
「加害者家族となり社会から批判され、日常生活を送れなくなる現実」
「離婚や退職、自殺など、広く親戚の人生までも狂わせてしまう実態」
「ネットや手紙などで執拗に続けられる脅迫・嫌がらせ」
「生活地域や学校、職場などで直面する冷たい現実」
「加害者家族支援活動の広がりと現在」
などについて聞いた。
■インタビュアー
 これまで、被害者家族の実態については、メディアなどを通じて数多く報じられてきましたが、鈴木さんが加害者家族の実態について取材しようと思ったきっかけはなんでしょうか?
■鈴木伸元氏(以下、鈴木)
 1988年に起きた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人・宮崎勤の父親と事件前から交流があり、当時東京新聞記者だった坂本丁治さんが書いた『単独会見記 針のムシロに坐る父親』(月刊「文藝春秋」所収)を読んで、事件が起きるとそこには被害者と被害者家族、加害者だけでなく、加害者家族もいるということを初めて意識しました。この事件を例にとると、犯人の父親の元には、全国から段ボール1箱分にもなる非難の手紙が届き、自宅へ引きこもり生活を余儀なくされ、自殺に至りました。宮崎勤の姉妹である父親の長女は、勤め先を退職に追いやられ、婚約も破棄になり、次女も看護学校を退学しています。また、父親の兄弟2人も、当時役員をしていた会社を辞任することになったばかりか、宮崎の従兄弟2人まで勤め先をやめる事態にまで発展しました。そこで、加害者家族の実態をより広く取材しようと考えました。
 当初はどこから取材を始めたらいいのかわかりませんでした。そうした中、たまたま仙台の市民グループが加害者家族支援活動のためにワールドオープンハートという団体を立ち上げたことを知り(現在は、特定非営利活動法人NPO)として活動)、そこを切り口に取材をしてみようと思ったわけです。
(中略)
 誰も自分の家族がまさか罪を犯すとは思っていないでしょう。だから、何か予兆やサインがあっても、後で振り返ったときに、「あの時のあれがサインだったのか」と気づくことはあっても、事件が起きるまではそれがサインだとは思わずに生活していることが多いと思います。
 そして、事件が起きて“加害者の家族”という烙印を押されたとたん、近所の目は冷たくなる。学校でもそういう目で見られて、子供はいじめられ、先生にも煙たがられる。それに、事件に関して近所の人もいろいろと取材されますから。面倒くさく思う人もいると思います。

 特にその犯罪が「業務上過失致死(例えばひき逃げ)」のような「故意でないケース」は「犯人ですら」自分がそんな犯罪を犯すとは考えてもないでしょう。

■鈴木
 一方で、加害者家族自身も、周囲から何かを言われなくても、身内が起こしてしまったことに対する責任を感じているわけです。そして、これからどのようにして生きていけばいいのかというような辛い気持ちになる。事件が大きければ大きいほど、背負うものも大きいのではないかと思います。まさに加害者の家族の“生き地獄”が始まるわけです。
■インタビュアー
 加害者家族の実態に関する取材を開始した当初、情報はかなり少なかったようですね。
■鈴木
 ええ。もちろん地域の民間グループが加害者家族支援のためのフォーラムを開催するというようなことはあったのですが、加害者家族と正面から向き合って、その状況について本格的かつ継続的に調査したものはほとんどありませんでした。ワールドオープンハートは、そういう意味では、初めての本格的な支援組織です。
■インタビュアー
 なぜ情報が少ないのでしょうか。
■鈴木
 被害に遭われた方のことを考えると、加害者側の人間は、苦しいとか悲しいとか、そういうことを訴えられるような立場ではない、自分たちが発言していいはずがない、自分たちの発言によって被害者家族の怒りが増幅するのではないか、という思いに駆られているからではないでしょうか。多くの加害者家族は、身内が事件を起こしてしまったという事実にうちひしがれ、自責の念にさいなまれています。笑うことはもちろん、泣くことも許されない。だから、頑なに取材を拒んでいる、それが現実だと思います。
■インタビュアー
(ボーガス注:著書の中で鈴木さんは)冤罪でも同じで、「それで人生が終わる」とも書かれています。
■鈴木
 『それでも僕はやっていない*3』(東宝)という映画がありました。主人公は冤罪である痴漢で容疑者になったことで会社にいられなくなり、家族も疑心暗鬼になって、それまでに築いてきたものがすべてぐちゃぐちゃになってしまう。実際、ある建材会社の経営者が強制わいせつ罪で告訴された事件では、事件を契機に売り上げが激減し、逮捕されてから3年後に、それが冤罪だったと確定したときには、すでに会社は倒産に追い込まれていました。
■インタビュアー
 そうした加害者家族が置かれる厳しい現実というのは、日本特有のものなでしょうか?
■鈴木
 海外にも加害者家族をサポートする団体があるので、家族がサポートを必要としているという問題は同じだと思います。ただ、日本の場合は、犯罪を個人の責任としてとらえるのではなくて、家単位で責任とらせるというか、家意識のようなものが強く残っているので、家族へのプレッシャーも大きいのではないかと考える専門家は多いですね。また、逆にそういう意識が強いことが、犯罪の抑止力、つまり悪いことをしたら家族にも迷惑がかかるからと、犯罪実行を思いとどまらせることにつながっているのではないかとの見方もあります。

 つまりは日本での犯罪の少なさは「加害者家族いじめ」とセットの訳でその意味では手放しでは喜べません。なお、宮崎勤のような性犯罪者は典型でしょうし他にも盗癖などいろいろあるでしょうが、そうしたケースは「ある種の病気」なので「加害者家族いじめの恐怖(まあそれ以前に宮崎の場合だと死刑の恐怖があるし実際彼は死刑になりましたが)」は残念ながら「犯罪を止めるストッパー」にはなりません。むしろ「犯罪がばれないようにする」というとんでもない方向に向かうのでしょう。

■インタビュアー
 加害者家族の支援を行う、NPO・ワールドオープンハート(http://www.worldopenheart.com/index2.html)について教えていただけますか?
■鈴木
 この団体の発起人である阿部恭子さん*4が、大学院で犯罪被害者の支援をどのように行っていけばいいのかを研究している中で、ある事件で加害者の家族が自殺したことを知り、海外には当たり前のように存在する加害者家族に対する支援組織がなぜ日本にないのかを疑問に思ったのがきっかけと聞いています。阿部さんは、刑事事件を扱う弁護士さんや、自殺予防に取り組む精神保健福祉士、精神看護学の専門家などに呼びかけ、 08年8月、ワールドオープンハートを設立しました。
■インタビュアー
 具体的にはどのような活動をしているのですか?
■鈴木
 ワールドオープンハートの活動は、支援というよりも、現実的に困っている人がいるなら少しでも手助けしたいという思いで活動されているようです。具体的には、裁判はどのように進むのかについての情報提供や、子供が学校で困っている場合は、ワールドオープンハートのスタッフが同行して、家族からは言いにくいことを学校の先生と相談するというようなこともやっているようですね。
 それから、ワールドオープンハートでは、加害者家族の実態を知るための全国規模のアンケート調査も行いました。その結果、事件後に困ったことで多かったのは、「安心して話せる人がいない」「被害者や遺族への対応に悩んだ」「報道にショックを受けた」ということでした。

 こうした動きが広がっていくことを期待したいモンです。

■鈴木
 (ボーガス注:未成年者の犯罪に親が責任をおうべき場合があるとしても)直接被害を受けた人たちが親に対して責任を問うことと、当事者ではない人たちが、「あのような事件が起きたのは親の責任だ」と言って、電話をかけたり、手紙を送ったりすることとは、次元が違うことだと思います。事件の当事者でもないのに事件の親を責めることはできないと思っています。

 全く同感ですね。というか、当事者でもないのにそう言うコトをしたがる気持ちがよく分かりません。

*1:2010年刊行

*2:著書『新聞消滅大国アメリカ』(2010年、幻冬舎新書)、『性犯罪者の頭の中』(2014年、幻冬舎新書)、『反骨の知将: 帝国陸軍少将・小沼治夫』(2015年、平凡社新書)など

*3:原文のまま。正しいタイトルは『それでもボクはやってない

*4:著書『加害者家族支援の理論と実践:家族の回復と加害者の更生に向けて』(共著、2015年、現代人文社)、『交通事故加害者家族の現状と支援:過失犯の家族へのアプローチ』(共著、2016年、現代人文社)など