今日の産経ニュース(6/3分)(追記・訂正あり)

■【世界卓球】平野美宇、女子単で48年ぶりメダル決める 石川佳純*1は丁寧に敗れる
http://www.sankei.com/sports/news/170603/spo1706030004-n1.html
 平野がアジア選手権優勝したときには「丁寧に勝ってる」ので相手が「リオ五輪女子シングルス金メダル」の強豪とは言え「再度の奇跡」を期待したいところです。

【追記】
■日経『平野は銅、中国・丁寧に敗れる 世界卓球女子シングルス』
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDH03H5A_T00C17A6000000/
 まあ残念ながら予想通りですね。前回対戦での平野の勝利はすごいことですがやはり前回は丁寧が不調だったのでしょう。「リベンジに燃えて全力投球」で向こうに来られたらそう簡単には勝てないわけです。
 それでも

この種目で日本勢のメダルは、1969年ミュンヘン大会の小和田敏子の「金」、浜田美穂の「銅」以来となる48年ぶり。

という快挙のわけです。


覚せい剤所持容疑の橋爪遼容疑者 所属事務所が解雇を発表 「違法薬物所持は決して許すことできない」
http://www.sankei.com/entertainments/news/170603/ent1706030013-n1.html
 まあ解雇は「売れてないから」て要素が大きいでしょうね。
 過去に覚醒剤大麻による逮捕歴がある芸能人の中には「槇原敬之」のように「その後再犯してない」とはいえ芸能界で活動し続ける人間も中にはいるわけですから。


■吉祥寺で「反天皇制」デモ 激怒した右翼団体も続々と集結 街は一時騒然となり…
http://www.sankei.com/affairs/news/170603/afr1706030016-n1.html
 「悪い意味で」実に産経らしいですね。
 もちろん平和的なデモに暴力を振るおうとする右翼が一方的に悪いわけですが、そう言う常識は産経には通用しません。


■【産経抄前川喜平氏の座右の銘は「面従腹背*2…それが文教行政トップのセリフか 6月3日
http://www.sankei.com/column/news/170603/clm1706030003-n1.html
 意味がわからないですね。前川氏が「面従腹背」せざるを得なかったのは「安倍がクズで、逆らったら報復人事されかねないから」ですが。
1)産経社員が「何があっても安倍批判出来ない」のと
2)あるいは「悪名高い岡田茂社長時代の三越」などと話は同じです。
 大体、極端な話「文革時代の毛沢東」のような「危ない人間相手」には面従腹背でなければ社会的生命、政治生命(社会的地位、政治的地位)どころか、「文字通りの命」がいくつあっても足りません。
 まあ、毛に対し、屈服せず節を通した劉少奇国家主席)、彭徳懐(元国防相)などは偉大だとは思いますが。ただ一方で、周恩来(首相)、葉剣英*3トウ小平文革終結後、党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席として強い政治力を行使)など毛に対し面従腹背で何とか政治生命を維持し、「可能な限り文革を修正し」、毛死後、四人組を打倒して文革を集結させた面子もそれはそれで偉大だと思いますが。
 それはともかく、大体面従腹背を非難するなら「離党前と離党後と言ってることが180度違う筆坂秀世(元参院議員、元日本共産党政策委員長)」なんか産経文化人として使うな、て話です。どんだけデタラメなのか。

 この人が出会い系バーに足しげく通い、「女子の貧困調査」と称して少女たちに小遣いを渡していたことも明らかになっている

 週刊文春記事に寄れば、取材に応じたある元少女が「前川さんには感謝してる。一部マスコミ(読売、産経など)の前川バッシングが許せないので取材に応じた」と文春相手に語ったことも「明らかになっています」がそれは無視するいつもの「安倍応援団」産経です。
 つうか「小遣いを渡すこと」は別に悪い事ではないでしょう。問題は「それが買春の対価かどうか」でしょう。未だに産経はそれが証明できず、一方文春は元少女から「買春なんか絶対にない」との証言を得たわけです。

「役人の心得として面従腹背の技術、資質は持つ必要がある」。

 別に役人でなくても古今東西そうですよねえ。面従腹背はいいことではありませんが「上司がみんないい人」「上司と意見がいつも一致します」なんてことは残念ながらありません。日本のサラリーマンの大部分は「そうだよねえ。口には出せないけどそれサラリーマンにとっては常識だよねえ」と共感したんじゃないか。本当は産経記者ですらそうなんじゃないか。

小欄は他省庁では、政治家や上司にも堂々と反論し、煙たがられながら首脳にまで栄達した官僚を知っているが。

 一体誰のことか名前を教えて欲しいモンです。正直そんな人間がいるとは思えませんがそれが事実なら安倍と違って「上司(首相、大臣など)の懐が広かった」んでしょう。
 なお、小生はむしろ逆に
1)「外務省事務次官有力候補の一人」とされながら、北朝鮮問題での態度から、小泉内閣官房副長官安倍晋三(現首相)ら政治家に煙たがられたあげく、定年前に退官に追い込まれた「田中均*4外務審議官(現在、東京大学特任教授、日本総合研究所附属国際戦略研究所理事長)」
2)自民党ゆとり教育批判の煽りを受け、「文部省大臣官房審議官から外局である文化庁文化部長に異動となった」あげくついには「部長級ポストに当たる大臣官房審議官や文化庁文化部長の経験者なのに、課長級ポストに当たる大臣官房広報調整官へ異例の降格人事」という不当な人事をされ、失意のあまり定年前に退官した「寺脇研*5(現在、京都造形芸術大学教授)」
つう「悲運の官僚」を知っています(ウィキペ「田中均」「寺脇研」参照)。

文部省(当時)で前川氏の上司だった加戸守行・前愛媛県知事は5月31日付の愛媛新聞インタビューでこう嘆いた。「(前川氏は)『行政の在り方がゆがめられた』と言っているが、その前に獣医師不足を解決できていない文科省の態度を反省すべきだ」。

 「獣医師不足なら安倍が加計に不当な利益誘導していいのか?」ですね。話のすり替えも全く酷いモンです。
 大体、加戸が何で愛媛県知事になったか知ってれば「お前みたいな灰色官僚が偉そうな事を言うな」といわざるを得ない噴飯モノの発言です。 
 ウィキペディアでもある程度分かりますが、加戸は上司である高石邦男事務次官*6の引きで官房長にまで上り詰めますが、いわゆるリクルート疑惑追及で親分・高石がリクルートから未公開株をもらっていたこと*7が発覚して事態が暗転します。
 ウィキペ「加戸守行」曰く

当時、文部省主流の高石派である加戸守行・官房長、吉村澄一・初等中等教育局長、斎藤諦淳・生涯学習局長らがリクルート事件連座して辞職。

ということで「高石派」の加戸らは高石のようには収賄で逮捕されなかったものの「高石同様の接待をリクルートから受けていた疑惑が表面化し」失脚します。前川氏(官房長経験者)もそうですが多くの省庁において「官房長」は事務次官のイスに近づくための重要ポストです。加戸も「可能なら事務次官になりたい」と思っていたでしょうがその夢は潰れたわけです。その後、「日本芸術文化振興会理事長、日本音楽著作権協会JASRAC)理事長などを歴任」しますが加戸にとってはそんなポストでは「事務次官になれなかった」屈辱は晴れなかったのでしょう。
 加戸にとって政界進出は「元親分・高石の衆院選出馬みたいなモン(高石は落選しますが)」です。
 要するにリベンジです。
 なお、加戸は「つくる会教科書」を県立高の教科書に採用するようなウヨですから心情的に安倍に近い人間です。また愛媛県自民党王国(知事が玉串料訴訟で訴えられたのも愛媛です)ですから「ここで自民に媚びておけば元県知事としての俺の権力維持・増進に有利になる」つう汚い計算もあるでしょう。元文部官僚とは言え、「リクルートで失脚し、当時の文部省非主流派に取って代わられた加戸」にとって今の文科省にはそれほどの愛着もないのでしょう。まあそれは文科省側も同じでしょうけど。
 しかし部外者なのでよく知りませんが今回の前川告発ってのは「高石の疑惑発覚と高石派の失脚」なみに文科省には激震なんですかね?。どうでしょう。

【追記】
 つうかネット上に指摘があったので後で気付いたんですけど、加戸て「安倍がつくった審議会」教育再生実行会議の「元委員(今は違う)」ですからね。完全に安倍の身内みたいなモンじゃないですか。
 しかし「現役知事」ならともかく「元知事」で委員にするとかどんだけ安倍とずぶずぶなのか。

参考

岡田茂(ウィキペ参照)
・1972年(昭和47年)に社長に就任。社内では「岡田天皇」と呼ばれるほどのワンマン体制を築き、意に沿わぬ人物を次々と粛清する。岡田のライバルとされていた坂倉芳明常務を1973年に退社に追い込み事実上追放。坂倉は堤清二の招きで西武百貨店副社長(1974年)を経て社長(1977年)となる(しかし堤との意見の相違から、坂倉は1984年に西武百貨店を退社。相前後して三越において、岡田が公私混同から社長を解任されたことから、その収拾を図る役割を期待され、1986年に三越社長に就任。1995年からは会長を務め、経営の混乱の収拾には一先ず成功したが、バブル期に手がけたゴルフ場開発に失敗。446億円もの特別損失を計上し、1997年に会長を引責辞任)。
・岡田の強引な経営手法は1982年(昭和57年)6月には優越的地位の濫用で公正取引委員会から審決を受ける。そして1982年8月の「古代ペルシャ秘宝展」で偽物騒ぎが発生、さらに「三越の女帝」と呼ばれた愛人の竹久みちへの不当な利益供与も明るみに出た。こうした中、水面下では三井銀行の小山五郎*8相談役などの三井グループ幹部や三越の反岡田派を中心とした「岡田おろし」の準備が進められていた。
 1982年9月22日には取締役会が行われたが、その途中で岡田は腹心の専務、杉田忠義に議長を交代した。そこで杉田は秘密裏に計画していた岡田解任決議案を発議、16対0で可決成立し、その場で岡田は非常勤取締役に降格となった。このとき岡田が発したとされる言葉「なぜだ!」はこの年の流行語となる。10月に竹久と岡田が特別背任で逮捕される。逮捕の際に取締役を辞任、これ以後三越とは株主としてのつながりだけになった。1987年(昭和62年)に東京地裁で懲役3年6ヶ月の実刑判決、控訴審の東京高裁で1993年(平成5年)に懲役3年の実刑判決が出され、上告するが係争中の1995年(平成7年)7月20日、腎不全のため死去。享年80。

三越事件(ウィキペ参照)
・1982年(昭和57年)、週刊朝日が4月23日号で「三越・岡田社長と女帝の暗部」という記事を掲載。
・1982年6月17日、納入業者に対し三越が製作に関与した映画『燃える秋』*9の映画前売券等を押し付け販売したことなどにより、三越独占禁止法第19条の不公正な取引方法(優越的地位の濫用)に当たるとした公正取引委員会の審決を受ける。なお、大和運輸(現・ヤマトホールディングス)は創業以来三越の専属配送業者だったが、このような不当な要求をされたことから、1979年(昭和54年)に絶縁した。
・1982年8月29日、三越日本橋本店で開催された「古代ペルシア秘宝展」の出展物の大半が『贋作』であることが、朝日新聞社の報道により判明した。さらに、岡田の愛人である竹久みちの経営する「アクセサリーたけひさ」に岡田が不当な利益を与えていたり、岡田の自宅改修費用に会社の資金を流用した疑惑まで出てきた。
社外取締役であった三井銀行(現・三井住友銀行)相談役の小山五郎は、岡田に辞任を勧告したが、岡田は喧嘩腰にこれを拒否した。以降、小山を始めとする三井グループ各社の幹部や三越内部の反岡田派は、岡田の社長追い落としを図り始めた。
・1982年(昭和57年)9月22日、取締役会で第5号議案までの審議が終わった後、岡田は腹心の杉田忠義専務に議長を交代した。配布資料で「その他」とのみ書かれていた第6号議案は、岡田と杉田の事前の打ち合わせでは岡田についての風説は事実に反することの確認とされており、それゆえの議長交代であった。しかし杉田は岡田の社長職と代表権を解くことに賛同する者の起立を求めた。
 驚いた岡田は「何だこれは!」と叫んだが、動議は16対0で可決成立し、その場で岡田は非常勤取締役に降格となった。

*1:ロンドン五輪女子団体銀メダル、リオ五輪女子団体銅メダル

*2:ただの冗談でしょうにねえ。産経もくだらない事に噛み付くモンです。

*3:文革当時、党中央軍事委員会副主席、国防相など軍の要職を歴任。毛死後、四人組逮捕に活躍。文革終結後、全人代委員長、国家中央軍事委員会副主席など歴任

*4:著書『日本外交の挑戦』(2015年、角川新書)など

*5:著書『ロマンポルノの時代』(2012年、光文社新書)、『文部科学省』(2013年、中公新書ラクレ)など

*6:文部省社会教育局長、体育局長、大臣官房長、初等中等教育局長等を経て事務次官。後にリクルート事件で起訴され有罪判決

*7:ただし名義は確か高石本人ではなく妻ですが。

*8:三井銀行社長、会長、相談役を歴任

*9:岡田が映画前売り券を押しつけ販売したことにより、「監督・小林正樹、原作・五木寛之」という大物が関与した映画でありながら三越の恥として公開後はお蔵入りとなり、ソフト化はされていない。そのため現在では幻の映画である半面、武満徹が担当した音楽が比較的よく知られており、稀に『生誕100年 小林正樹映画祭 反骨の美学』(http://www.eurospace.co.jp/works/detail.php?w_id=000134)など、映画祭などで上映されるとかえって集客力のある奇妙な立ち位置の作品となった。