今日の産経ニュース(9/9分)(追記・訂正あり)

東京新聞の望月衣塑子*1記者を、中国民主化運動に身を投じた石平氏*2が痛烈批判 「権力と戦うとは…彼女のやってるのは吐き気を催すうぬぼれだ!」
http://www.sankei.com/premium/news/170909/prm1709090030-n1.html
1)安倍は権力者であり
2)望月氏は安倍批判しているわけですから
彼女の行為は立派な権力との戦いです。石平がまともな人間なら「中国の敵である安倍は味方」なんてくだらない党利党略で望月氏を誹謗などしないでしょう。

彼女のやっていることは、何のリスクもない*3

なんて石平の主張はデタラメも甚だしい。もちろん「投獄や暗殺はさすがにないにせよ」安倍の圧力に屈した東京新聞によって左遷される危険性は当然あるし、だからこそ「勇気ある」望月氏が「勇気がなく安倍に批判的な質問ができない他の記者の中で」目立ってしまい、このように石平も個人攻撃するわけです。
 別に石平に「安倍批判しろ、望月支持しろ」とはいいません。せめて誹謗などせず黙ってたらどうなのか。こういう行為が「自らの中国批判の説得力を弱め」、ウヨ以外が石平から距離を置くことを何とも思わないのか。
 まあ、例の「安倍とダライ一味との不適切な交際」を「極右しかダライ支持してくれない」という詭弁で正当化した「アホのid:Mukke」なら石平を「石平を支援してくれるのは極右だけなんです」とか抜かして擁護するかも知れませんが。 
 なお、俺は「ダライやペマはウヨと野合せず黙ってろ」といった覚えはありますが、「ウヨ批判しろ」といったことはありません。それでも「ダライ猊下批判するな」つうid:Mukkeのバカには心底呆れています。
 まあ、石平やペマ・ギャルポ*4、楊海英*5のような「党利党略から日本ウヨに媚びまくるクズ」が「中国批判者面」ででかい面する限り、俺は「日本国内で中国批判すること」には躊躇せざるを得ませんね。それは結果的には「右翼の反中国デマゴギー」への荷担になりかねない。

 望月氏に対し、産経新聞WEB編集チームは8月中にインタビュー取材を東京新聞編集局を通じて申し込んだが、「応じたくないと本人が言っています」という編集局の回答のまま、実現していない。

 そりゃ石平の誹謗を好意的に報道するゴミ新聞「産経」の取材なんか誰も受けたくないでしょう。阿比留の取材なんぞ受けた植村元記者なんてあくまでも例外的存在です。


■新潟・米山隆一知事が石平氏投稿に「吐き気を催すほど醜悪」とツイート「差別発言」の批判相次ぐ
http://www.sankei.com/politics/news/170911/plt1709110014-n1.html
 米山氏同様、俺も石平の「望月記者誹謗発言」は「吐き気を催すほど醜悪」だと思います。
 どっちにしろ米山氏の「石平は卑怯者だと思う」発言の何処が差別なんでしょうか。産経にとっては「不当な悪口*6」は全て差別なのか。
 米山氏は何一つ差別的な発言などしていません。


■【衆院新潟5区補選】自民支部泉田裕彦前知事の擁立決定持ち越し
http://www.sankei.com/politics/news/170909/plt1709090020-n1.html
 そもそも泉田氏が、新潟県知事選で「野党共闘候補の米山氏(現知事)」を支援し、彼の当選に貢献し、その結果「自公の森候補(前長岡市長)」が落選したことを考えれば自民から出馬というのは「自民、泉田氏双方共に」おかしな話です。自民党から反発が出るのは「むしろ正しい」わけです。


■結婚へ加速? 草なぎは30代女性を祖母に紹介、香取は20年超交際
http://www.sankei.com/entertainments/news/170909/ent1709090010-n1.html
 草なぎも香取ももう40代ですから、「ジャニーズ事務所から独立したから結婚できる」というのが事実なら異常としか言い様がないでしょう。これがまだ「10代の未成年」「20代前半」なら事務所の方針もまだ「多少理解はできます」が。
 特に最近交際が始まったらしい草なぎはともかく

香取は20年以上交際する2歳上の女性がおり、今年4月に少年と2人で東京都内の遊園地で遊ぶ姿を週刊誌に激写された。その際、香取は少年を“隠し子”とする報道を否定。

なんて少年が「香取の実の子ども」であれば当然ですが、そうでなくて「女性の連れ子(香取と血のつながりはない)」でも、連れ子と仲良く遊ぶ関係というのは、これは恋人というよりはもう「事実上の夫婦関係」ではないのか。 
 しかしそうなると「交際相手が芸能人ではないというハンデ(?)」が草なぎらにはあるとはいえ「工藤静香との結婚が認められたキムタク」だけはSMAPで完全に特別扱いだったわけです。
 そうしたことも「なんでキムタクだけ特別扱いなんだ!」と草なぎ等の不満を高め、独立意志を強めたでしょうし、自分だけ特別扱いのキムタクが独立論に乗り気でないのもある意味当然でしょう。

参考
■ハフィントンポスト『香取慎吾が"隠し子疑惑"を全面否定 「友達の子どもなんです!」』
http://www.huffingtonpost.jp/2017/04/08/shingo-katori_n_15887168.html

 元SMAP香取慎吾(40)が4月8日、自身が司会を務めるテレビ朝日系「Sma STATION!」の中で、「週刊文春」が報じた「隠し子疑惑」について、「友達の子供なんです!」と、報道内容を全面的に否定した。
 6日発売の「週刊文春」は、「《スクープ撮》香取慎吾 20年恋人と“謎の少年”」とのタイトルで、「SMAPであるがゆえに結婚を許されなかった彼女と、解散後、香取はデートを繰り返している」「我が子のように愛する少年と二人で夜の後楽園遊園地で無邪気にはしゃぐ」などと、"隠し子疑惑"を伝えた。
 これに対して、香取は8日に出演した「Sma STATION!」の番組内で報道内容を否定した。
 この日の番組の終盤、ゲストの星野源(36)とのトークで「挑戦したいこと」を問われた香取は、「お花見挑戦したいんですよ。今までないから。友達の子と行きたいな。隠し子だと言われている友達の子と!」と、報道に言及。
 さらに香取は、たたみ掛けるように「隠し子じゃないんです!友達の子供なんです!困ってます!」と、報道内容を強く否定。これに星野も「そういうことなんですよ、みなさん!」「本当ですからこれ」と同調した。

 まあ「連れ子」であれば香取発言「隠し子ではない」はウソではないですが、特別な関係であることは確かでしょう。


■【産経抄中川昭一*7も苦笑した野党とメディアの核アレルギー 議論さえ許されぬのか? 9月9日
http://www.sankei.com/column/news/170909/clm1709090003-n1.html

 日本は核論議を活発化させ、国際社会にもっと北朝鮮問題に真剣に立ち向かうようプレッシャーをかけるべきだろう。放っておくと何をやるか分からない国だと思わせておいた方が、交渉は有利となる。

 その産経の理屈「放っておくと何をやるか分からない国だと思わせておいた方が、交渉は有利。だから日本の核保有や開発について議論をやろう」だと北朝鮮の核・ミサイル開発は道義的是非はともかく「政治的には全く正しい事」になるのですがね(苦笑)。
 またこの産経の理屈「放っておくと何をやるか分からない国だと思わせておいた方が、交渉は有利」だと日本の安保政策の制約になりかねない「日米安保など辞めて」日本のフリーハンドを確保した方がいいことにもなる(勿論この場合の日米安保廃止論はハト派的意味ではありません)。
 産経は自分の主張の意味がわかってるのか?


■「偏向報道を許すな!」 TBS本社前で500人が抗議デモ 我那覇真子さんも参加「テレビは真実伝えず国民をだましてる!」 
http://www.sankei.com/premium/news/170909/prm1709090028-n1.html
 コメ欄で指摘のあった記事を読みましたが「加計森友報道が偏向」てのはすさまじいですね。
 その理屈だとTBSに限らずほとんどのテレビ局は偏向でしょう。フジテレビですら偏向に該当するんじゃないか。まあ、まともな人間だったらいくら自民支持者でも「安倍批判はしないまでも」あんなもんで安倍擁護しないんですけどね。


■【編集者のおすすめ】伊藤博文*8暗殺 黒幕はドイツだった!?『激動の日本近現代史 1852−1941』
http://www.sankei.com/life/news/170909/lif1709090012-n1.html
1)犯行場所のハルピン*9はロシアに近い
2)伊藤がハルピンに来たのはロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフ*10(ココフツォフ)と満州・朝鮮問題について非公式に話し合うためだった
3)ロシアは日露戦争で日本に苦い目にあわされてる(南樺太の割譲など)
つうことで「伊藤暗殺・ロシア黒幕説*11」というのは見聞きしたことはありますが「ドイツ黒幕説」ってのは斬新ですね。
 中身がまるきり予想がつきません(苦笑)。産経も何故か説明してくれませんし、ググってもよく分かりません。

【追記その1】
 【追記その2】で紹介する上垣外憲一、大野芳の陰謀論が前提とする「伊藤は韓国併合に否定的だった」を批判するエントリをまず紹介しておきます。
■法華狼の日記『暗殺された時の伊藤博文は、韓国併合反対派ではなかった』
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20131119/1384901432
 まあ法華狼氏の場合、批判してるのは大野らの陰謀論安重根犯行否定説)ではなく「安犯行説」の立場に立った上で安を「伊藤暗殺でかえって韓国併合が推進された、安はバカだ」と中傷する池田信夫ですが。

【追記その2】
 ネットで見つけた「安重根単独犯行否定説(要するに産経のような陰謀論、黒幕説ですが)」の一つ「杉山茂丸(当時の大物右翼、フィクサー)黒幕説」を参考に紹介しておきましょう。
 杉山黒幕説を唱える上垣外憲一*12と大野芳*13らへの批判エントリです。

http://www1.kcn.ne.jp/~orio/sonohi-an/shohyo001.html
■「暗殺・伊藤博文上垣外憲一著 ちくま新書/2000.10.20発行(2001.04.11)
 伊藤博文ハルビン駅頭で安重根に射殺されるところから、本書は始まる。(ボーガス注:安が犯人か疑問に思うという趣旨の)伊藤に随行していた室田義文*14の回想が引用され、伊藤を殺したのは安重根の銃弾ではなく、ほかに狙撃者がいたのではないかという疑問が提出される。
 本書は、伊藤博文の半生における韓国との関わりを検証しながら、この疑問への回答を論考したものである。
 たとえばジョン・F・ケネディ暗殺犯が、リー・ハーヴェイ・オズワルド以外にいたのではないかという疑問が、今に至るも世人の関心をひいているように、著者が本書で提示した疑問と、その疑問に対する回答も、フィクションを読むつもりであれば面白かろう。
 著者は本書の大部分のページを割いて、伊藤博文が一貫した平和主義者であったことを証明してゆく。日清・日露両戦役を通じ、伊藤と軍部、強硬派外交官、そして国家主義勢力との暗闘の歴史が、執拗に描かれる。さらに日露戦争後、韓国の実質的支配権を手中にした大日本帝国政府が、さらに歩を進めて韓国併合に至ろうとするに際しても、伊藤はそれに終始反対していたことが述べられる。
 そして、その平和主義者の伊藤を、韓国併合への妨害者と見なして謀殺したのが、杉山茂丸明石元二郎*15であるというのが著者の結論である。杉山茂丸が伊藤暗殺を計画し、明石元二郎が実行者を選んだというのである。
 しかし、著者の論考にはそれを証明する根拠がない。新史料が発掘されたわけでもなく、従来の史料に基づき推論を展開することに終始しているのである。推理小説に登場する名探偵は、時として物的証拠のないままに推理を展開し、犯人を名指しすることもあるが、研究者の著作において根拠なき推論に終始して事足れりとするのは、正当な態度とはいえまい。
 推論を展開した根拠は、もちろん提示されている。杉山茂丸については、韓国統監の地位にあった伊藤が、その演説の中で併合はあり得ないと語ったことを不満として、単騎伊藤と面会して自決を迫ったことが紹介されている。このこと自体は、茂丸自身が自著の中で述べていることであり、事実であろう。また茂丸が玄洋社と近い関係にあり、日韓合邦推進者であった内田良平*16や、我が国右翼の源流といわれる頭山満*17と親しかったことも事実である。さらに日露開戦前夜、日露協商を主張した伊藤と対立していた桂太郎*18首相や児玉源太郎*19参謀次長とも、茂丸が親しかったことも事実である。
 著者は、このような傍証を執拗に積み重ねることによって、茂丸が日露開戦論者、韓国併合論者であることを読者に印象づけ、最終的な自らの結論を正当化している。しかし暗殺実行に携わったと推論された明石については、茂丸において傍証として引用されたような事実の積み上げもなく、ただ明石と茂丸とが同郷の幼なじみであったこと、明石の妻と玄洋社の月成勲の妻とが実の姉妹であったこと、明石がヨーロッパに駐在していた日露戦争ロシア革命を支援する謀略活動に従事していたこと、韓国進駐軍憲兵隊長として反日運動の弾圧に辣腕をふるったことなどが紹介されているものの、それらの事実から伊藤暗殺実行者として明石を指弾することは、いかにも唐突である。
 本書で積み重ねられた著者の歴史認識においては、善玉伊藤博文に対する悪玉として、杉山茂丸明石元二郎、山座圓次郎*20頭山満内田良平らが意識されているのであるが、これらの人物に共通するのは、いずれも福岡出身であるということである。そして福岡に興った玄洋社は右翼の総本山であり、右翼とはテロリズムの実行者であるという認識が、杉山茂丸玄洋社=右翼=テロという図式で著者の思考を支配し、さらに茂丸の人的ネットワークに繋がり、かつ福岡というキーワードで明石=福岡=玄洋社=右翼=テロという図式が描かれ得る明石元二郎が、暗殺の実行者として著者の標的となったのであろう。
 ただ、そこには杉山茂丸の生涯における伊藤の存在や、杉山茂丸という希有の人物に対する認識が欠落している。また、玄洋社の風土に対する認識も欠落している。テロリストたらんとして伊藤博文の首を狙った若き日の茂丸が、逆に伊藤に諭されて自己の狭隘な政治観を啓蒙されて以来の、二十年にも及ぶ伊藤との親交の中に、むろん著者が引用したような対立の構図はあったにせよ、たとえば「百魔」における後藤猛太郎*21貴族院議員就任披露の逸話にせよ、「俗戦国策」における伊藤渡満に先立つ送別の義太夫会にせよ、思想的な相違や政治的立場の相違を超えて、伊藤博文杉山茂丸の人間関係は成り立っていた。
 また杉山茂丸とは、上述したようにテロリストたらんとして政治的活動を開始した人物であったが、伊藤博文頭山満という、二人の人物との出会いによって、テロリストたることを放棄した人物であった。著者の論調においては、伊藤の対外政策が一貫して協調路線にあったことを不満として、対外強硬派たる杉山茂丸らがテロルに及んだと主張しているものと読みとれるが、そういった行為というものは、おそらくは長期間にわたって蓄積されてきたものの噴出という形で発動されるものであろうし、著者の論考も日清戦争以来の伊藤の外交政策と、いわゆる右翼陣営との対立を執拗に掘り下げている。しかし、それであるのなら、なにゆえ杉山茂丸伊藤博文との最初の出会い、すなわち伊藤に対する刺客としての杉山茂丸に言及しないのであろうか。著者にとっては、推論を補強する上で願ってもない逸話であろうに、と思うのは筆者だけであろうか。この点は後にも触れるが、著者の茂丸研究の深みに、疑念を感じざるを得ない。
 一方、玄洋社との関わりにおいて杉山茂丸をテロリストとして捉えた場合、玄洋社テロリズムが最も明瞭な形で示された大隈重信*22襲撃事件と、本書の伊藤博文暗殺とのあまりにも隔たった手法の相違に注目せざるを得ない。
 大隈重信襲撃事件は、条約改正に反対する玄洋社社員で杉山茂丸の親友でもあった来島恒喜が、囂々たる世論の反対にも屈せず条約改正を断行しようとする大隈に対し、爆裂弾を投げつけた事件である。大隈は奇跡的に片足を失っただけで一命を取り留めたのであるが、犯行に及んだ来島は、その場で自らの首の大半を切り飛ばすという凄絶な自刃を遂げたのであった。
 この事件によって大隈の条約改正は葬られ、来島恒喜は(ボーガス注:大隈流の条約交渉反対派にとって)一命を賭して国を救った英雄となった。被害者である大隈自身が賞賛した、その潔い自裁によって、来島が(ボーガス注:右翼の世界で)英雄視されるようになったことは言を待たない。玄洋社テロリズムとは、大隈襲撃事件に象徴されるような、加害者の顔がはっきりと見えるテロリズム、加害者が自らその行為の責を負うことに躊躇しないテロリズムではなかろうか。それが玄洋社の風土であり、著者が描くような(ボーガス注:安重根という替え玉をたてる)暗殺手法は、それとは相容れないものであった筈である。
 著者も言及しているように、伊藤が韓国統監時代に併合を否定する演説を行った際、杉山茂丸は伊藤と単独で面会し、短刀を突きつけている。その際茂丸は、自らも腹を切ってお供すると言い放った。茂丸が伊藤を殺そうとしていたのなら、このときに何故殺さなかったのであろうか。自らの手を汚すことなく人を殺して、陰でほくそ笑む杉山茂丸の姿は筆者には到底想像できない。
 時間を遡れば、日露開戦に至る国内の政治状況においても、杉山茂丸の意図と伊藤博文の意図が対立していた構図があった。このとき杉山茂丸はどのような動きをしたのだろうか。茂丸は桂太郎児玉源太郎と結び、伊藤を棚上げにして日英同盟を結ぶ謀略を献策したのであった。現実に伊藤は、日露協商のためロシアに滞在している最中に、桂首相によって日英同盟を電撃締結され、首相を4度も経験したこの大政治家は面目を丸潰れにされて失意の帰国を余儀なくされたのであった。茂丸自身は、このときの伊藤を「日露戦争の戦死者第一号」と表現したが、日露開戦を主張する者にとって、伊藤の存在が不都合であったことは、韓国併合を目論んでいた時期と比べて小さかったとは言えまい。そのとき、茂丸が選んだ伊藤への対応は、決してテロリズムではなかった。「機略縦横」と評された茂丸の面目は、日露戦争前夜のこうした知謀にこそ存する。韓国併合に支障となる伊藤を茂丸が暗殺したというのなら、なぜ日露戦前には茂丸のテロリズムが発動せず、どうして韓国併合前においてはテロリズムに訴える必要があったのかを説明しなければならないのではなかろうか。
 そもそも本書の著者は、杉山茂丸玄洋社について、どれほど研究をされたのであろうか。巻末の参考文献には、茂丸の著作から「山縣*23元帥」と「桂大将伝」が挙げられている。どちらも茂丸の著作としては入手し難いものであり、これらの著作を参照されている点はさすがにプロの研究者であると敬意を表する次第であるが、比較的入手し易く、かつ代表的著作というべき「俗戦国策」や「百魔」は読まれておられないのであろうか。玄洋社の存在が重要であると言及しながら、「玄洋社社史」を参照されていないのはいかなる理由によるものであろうか。
 本書には軽率な事実誤認が散見されることも、著者の論述に疑念を起こさせる所以となっている。
 明石元二郎に関する記述で、明石が玄洋社の月成勲と義兄弟であったことが記されている。そのこと自体は誤りではないが、月成勲が韓国の閔妃殺害事件に関与した月成光の子であるという記述(p.202)には、開いた口が塞がらない。月成光は月成勲の弟である。著者が参照された石瀧豊美氏*24の「玄洋社発掘」中に、系図まで示されている(同書、葦書房、1997年、p.252參照)のだから、理解に苦しむ誤認であると言わざるを得ない。
 その明石元二郎を、世界にも何人といない謀略の大家である(p.213)と言い、レーニンに資金を提供してロシア革命の援助をした(p.195、213)と著者は言う。しかし明石が主として支援したのはフィンランドのコンニ・シリアクスであり、レーニンと明石が会った事実は確認できていない。明石がシリアクスらを援助して日露戦中のロシアの後方撹乱を謀ったのは事実であるが、現実には悉く失敗したことは、最近の研究で明らかである(稲葉千晴*25「明石工作 謀略の日露戦争丸善ライブラリー、1995年參照)。明石の動静が詳細にロシア側のスパイに察知されていたことも、近年明らかになった。すなわち明石元二郎は、戦時謀略活動の先駆者ではあっても、著者が言うような謀略の大家であったり、世界にも何人といないような存在ではなかったのである。
 また、日露開戦前の児玉源太郎を「参謀総長」と表記している部分(p.180)が「参謀次長」の誤りであることは、日露戦史を少しでも囓ったことのある読者なら、誰でも気づくであろう。
 著者は杉山茂丸を「玄洋社の幹部」という(p.124)。茂丸は果たして玄洋社の幹部であったのだろうか。むしろ茂丸は玄洋社とは別行動を取っていた人物であるというのが、茂丸を研究する者にとって有力な見解ではなかろうか。茂丸は玄洋社とは無縁のところで政治に目覚め、頭山と相知るに至って玄洋社の活動(例えば福陵新報の創刊や炭鉱経営)に協力したが、頭山満が松方*26内閣の選挙干渉後に実政界と縁を切ったのと時節を合わせるように、玄洋社の主たる活動、即ち満州義軍への人材供給や孫文の中国革命支援といった活動(これらは政府閣僚の動きとは無縁のところで行われた。むしろ政府に対しては面を背けていたというべきであろう)とは一線を画して、政界の実力者の懷に跳び込み、それら実力者を動かすことによって自らの政治信条を実現するという手法によって、「政界の人形遣い」の名を恣にしたのである。政界との繋がりを求めなかった玄洋社頭山満の行動とは全く対照的な活動をしたのが杉山茂丸という存在であり、そうした茂丸の行動なり玄洋社との関わりなりについては、(ボーガス注:茂丸の長男で作家の)夢野久作の著述や、「巨人頭山満翁」「頭山精神」といった頭山に関する著作を参照すれば明らかであるし、その事実を把握すれば杉山茂丸が「玄洋社の幹部」であったか否かについても自ずと結論が導き出されよう。また、前述石瀧豊美の「玄洋社発掘」には、玄洋社社長を務めた喜多島淳による歴代玄洋社社員の名簿が紹介されているが、そこに杉山茂丸の名が存在しない(例えば杉山と並んで頭山の二股肱と呼ばれた結城虎之助*27や、広田弘毅*28中野正剛といった次の世代の人物の名すらそこには記されているにもかかわらず)ことにも注目すべきであろう(同書p.398〜407)。
 日露戦後に山座圓次郎が満州へ出張する際、「伊藤さんの随行ではないから」と言ったという記述(p.178)も、実は満州へ出張する際ではなく、小村寿太郎*29全権大使の随員としてポーツマス講和条約の交渉に赴く際のことである(一又正雄「山座圓次郎伝」原書房、1974、p.49〜p.50參照)。
 山座圓次郎が日頃伊藤暗殺を公言していたと著者は言う(p.203)が、「日頃」とは日常的に、よく、といった意味であろう。なにを根拠に、日頃公言していたと言うのであろうか。
 総じて本書は、著者の推論を正当化する可能性のある文献については都合よく深読みをし、それを否定する可能性に対する考究が疎かにされているように感じられる。そのような態度はマスコミのセンセーショナリズムに任せるべきであって、研究者の採るべき態度ではなかろう。

http://www1.kcn.ne.jp/~orio/sonohi-an/shohyo002.html
■「伊藤博文暗殺事件」大野芳著 新潮社/2003.8.15発行(2003.09.07)
 大野芳という人が「伊藤博文暗殺事件 闇に葬られた真犯人」という本を出した。版元は新潮社、発行日は今年8月15日になっているから、ぴかぴかの新刊書だ。
 書名から想像できるように、明治42年にハルピンでおこった伊藤博文暗殺事件を取り上げていて、例の室田義文の回想を根拠として、安重根以外に存在したのであろう真犯人を推理するというものだ。そして本書は、筆者が別稿で批判した上垣外憲一の「暗殺・伊藤博文」にインスパイアされて執筆されたものと推定できる。
 著者は外務省外交資料館に残されていた資料などを駆使して、安重根以外の兇行参加者を特定して見せる。特定の人物を名指しするまで文献を読み込む執念はたいしたものだと思うが、何分にも叙述が何度も前後したり、時制が混乱したりして、読みにくいこと甚だしい。また、当時の文献からの引用文を原文のまま掲載して、その後に現代語訳して載せるのは読者を小馬鹿にしたようで印象が悪いし、読者の興味を煽ろうとでも思っているのだろうか「これにも伏線があるから、もう少し我慢願いたい」とか「凶器の検証は、さらに続くのだが、周辺を固めるまで待って欲しい」とか、「では、誰か。さあ、誰か。意外な結末が待っている、とだけ予告しておこう」などといった記述も、ひとりよがりの紙芝居ではあるまいにと感じる。
 著者の問題意識は、兇弾を発射した人物を特定するだけではなく、安をはじめとする兇行參加者が、いかにしてハルピン駅頭に伊藤博文の到着を待ち受け得たのか、という点にある。誰かから、どこかから、伊藤の動靜に関する情報を得ていなければ、安らが絶好のタイミングでハルピン駅頭に姿を現すことはできないというのだ。
 そして、予想どおりわが其日庵主人杉山茂丸が登場する。
 後藤新平*30から情報を得た杉山茂丸が、韓国の排日団体へ伊藤渡満の情報を漏洩したというのだ。目的はいうまでもない、韓国併合の妨げとなっている伊藤を、渡満の途次において亡きものとするためだ。
 筆者がこの著作を、上垣外の著書にインスパイアされたものと推定する所以は、この辺りにある。しかし、上垣外説の明石元二郎配下の「間島の統監府派出所の腕利きの憲兵補助員」による犯行という発想もなかなか突飛ではあったが、大野芳の発想も負けてはいない。
 杉山茂丸親日団体であった一進会の顧問である。すなわち、排日団体にとっては不倶戴天の敵と目されよう。伊藤の存在に関し、たとえ茂丸と排日団体との利害が一致したとしても、どうやって両者は手を握ったというのだろう。また、それほど茂丸にとって伊藤の存在が不都合であるのなら、韓国人による伊藤旅行中の襲撃という、成功するかどうかあやふやな手段を、なぜ採用したというのだ。
 筆者が上垣外批判で展開した、杉山茂丸玄洋社テロリズム観はひとまず置くとしても、少なくとも当時の茂丸の背後には、玄洋社黒龍会のみならず、吉田磯吉*31を頂点とする暴力を厭わない勢力も存在していた。自ら手を汚さないのなら、そういった勢力を活用することも茂丸にとっては可能だった筈だし、その手段を採るなら、本質的に敵対する勢力である韓国の排日団体を使嗾するよりも、はるかに容易く、そして確実だっただろう。この点に対する答えがなければ、茂丸の伊藤暗殺への関与という推定を説得力あるものにすることは到底できないのだ。
 そして本書は、上垣外の著書にインスパイアされたばかりではなく、事実誤認においてもご丁寧におつきあいをしてしまっている。なにもそこまでつきあわなくてもよさそうなものだが。
 例えば19ページ。
「その年十二月、伊藤博文は、ロシアを説得するために首都サンクト・ペテルブルグを訪れた。ロシア側の強硬な態度で交渉が決裂。その足でイギリスへ回った伊藤は、日英同盟を締結した」。
 この記述は、なにかおかしい。これでは伊藤が日英同盟締結の主役のようではないか。普通の歴史理解では、伊藤の訪露中に、桂首相や小村外相が主導して日英同盟の交渉を進め、伊藤がなお日露協商に執着するのを強引にねじ伏せたと考えられているのではなかったか。
 例えば280ページから281ページ。
「彼らには、福岡を中心に、久留米、熊本の出身という共通点がある」と記述されている。しかし、その記述の前に出てくる名前は、内田良平、平岡浩太郎*32頭山満杉山茂丸だ。いったい誰が久留米や熊本の出身なのだ。みんな福岡の出ではないか。
 さらにこんな記述がある。
明石元二郎、山座円次郎は、その福岡の出身で玄洋社の社中である」。
 社中とは、社員と同義語だ。では、明石元二郎玄洋社の社員だったことになる。山座は玄洋社員であったと目されているが、明石については初耳だ。石瀧豊美の「増補版玄洋社発掘 もうひとつの自由民権」に掲載された社員リストにも名は見られない。何を根拠に明石を玄洋社員というのだろう。だいいち、明石元二郎は明治9年に13歳で上京し、翌年には陸軍士官学校幼年生徒となっているのだ。玄洋社はまだ設立されていない。それどころか、玄洋社を創設する中心となった箱田六輔*33頭山満や進藤喜平太*34などは、萩の乱に連坐してまだ山口の監獄の中なのだ。上京して以降、明石が福岡に在住した時期はほとんど存在しなかっただろうから、玄洋社の社員となり得る可能性があったとは思えないではないか。
 そして極めつけは379ページの記述だ。
「杉山は、版籍奉還となって職を失い、兵庫県芦屋に転居」。
 噴飯とはこのことだ。茂丸が兵庫県に在住していたなど、聞いたことがない。著者は野田美鴻の「杉山茂丸傳 もぐらの記録」*35を参照しているようだが、同書76ページの「杉山家の芦屋移住」には、「遠賀川流域の芦屋」と書かれているのを読んでいないのか。兵庫県芦屋市に芦屋川は流れているが、遠賀川は流れていないと知っているのは筆者だけではない。遠賀郡芦屋村が正しいことは、茂丸を少し研究すればすぐに判る。単に芦屋とだけ書いておけば不勉強を謗られることもなかっただろうに、碌に調べもしないで、わざわざ「兵庫県」などと、参照文献のどこにも書かれていない余計なことを附け足したものだから、見事にお里が知れてしまった。また、職を失ったのが茂丸ではなく、その父の三郎平だということも野田の著作を読めば判るのだから、茂丸が職を失ったかのような記述が、どうしてなされるのか理解に苦しむ。
 思うに、この著者は杉山茂丸のことを何も知らない。野田の著書と杉山自身の「山縣元帥」を参照しただけで、茂丸のことを理解したつもりでいるに過ぎない。
 冗談ではない。実在した人物を伊藤暗殺の陰の主役に擬そうというのだ。故人の名誉や、その子孫の名誉を踏みつけにしようというのなら、少しは真剣に杉山茂丸を研究してはどうだ。いい加減な参照をしていては、主論がどれほど立派でも、すべてが無価値にしかならないということぐらい、ノンフィクション・ライターなら判っていよう。そして茂丸を研究するなら、一又正雄の「杉山茂丸 明治大陸政策の源流*36」と室井廣一の「杉山茂丸論ノート」は必読ではないか。また、茂丸の著作では「俗戦国策」はどうしても外すわけにはいかない筈だ。そんなことすら知らないで書いたものを、金を取って売ろうなぞ、厚顏無恥も甚だしい。そしてそれは、著者だけではない、杜撰な作品を上梓した新潮社も同罪だ。

http://www1.kcn.ne.jp/~orio/sonohi-an/shohyo003.html
■「杉山茂丸伝」堀雅昭*37 著 弦書房/2006.2.10発行
 本稿で批評する堀雅昭著「杉山茂丸伝《アジア連邦の夢》」は、杉山茂丸の偽伝である。虚構と妄言、そして誤謬に満ちみちている。
(中略)
 147頁から149頁にかけて、伊藤博文暗殺についての記述がある。伊藤暗殺への茂丸の関与云々については、筆者は既に別稿を記しているからここでいちいち反論をするつもりはないが、「もしかすると安と茂丸たちとは、どこかで繋がっていたのかもしれない」(149頁)とは、根拠もない憶測を、実に作為的に言挙げをするものだと思う。

*1:著書『武器輸出と日本企業』(2016年、角川新書)、『新聞記者』(2017年、角川新書)

*2:『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(2013年、PHP新書)、『世界征服を夢見る嫌われ者国家 中国の狂気』(2014年、ビジネス社)、『なぜ中国人にはもう1%も未来がないのか』(2014年、徳間書店)、『習近平にはなぜもう100%未来がないのか』(2015年、徳間書店)、『なぜ中韓はいつまでも日本のようになれないのか:わが国だけが近代文明を手に入れた歴史の必然』(2017年、KADOKAWA)、『朝鮮半島はなぜいつも地獄が繰り返されるのか:中国人ですら韓民族に関わりたくない本当の理由』(2017年、徳間書店)、『冗談か悪夢のような中国という災厄』(2017年、ビジネス社)など反中国、反韓国のクズ本、デマ本著書多数

*3:むしろ阿比留の「辻元誹謗」などの方がノーリスクですが。デマ記事を書いて名誉毀損訴訟で敗訴が確定しても会社に懲戒処分されないなんて「アナーキー」にもほどがあります。つうか「リスクがないから権力批判じゃない」なんて「権力の報復を前提としている」石平の主張自体が変ですが。

*4:著書『最終目標は天皇の処刑:中国「日本解放工作」の恐るべき全貌』(2012年、飛鳥新社)など

*5:著書『狂暴国家中国の正体』(2014年、扶桑社新書)など

*6:俺は勿論米山氏の石平批判が不当だとは思いませんが

*7:小渕内閣農水相小泉内閣経産相自民党政調会長(第一次安倍総裁時代)、麻生内閣財務相を歴任

*8:首相、貴族院議長、枢密院議長、韓国統監など要職を歴任。元老の一人。

*9:現在は中国黒竜江省省都

*10:蔵相、首相など歴任。ロシア革命後は国外に亡命。

*11:お断りしておきますが勿論、この説はまともな説ではありません。そもそも通説的見解は「安の祖国である韓国の政府」も含めて黒幕の存在など認めてません。安とその仲間による個人的犯行と理解されています。

*12:帝塚山学院大学教授、大手前大学教授を経て大妻女子大学教授。『雨森芳洲』(1989年、中公新書→2005年、講談社学術文庫)で、1990年にサントリー学芸賞(社会・風俗部門)を受賞。著書『文禄・慶長の役』(2002年、講談社学術文庫)、『倭人と韓人:記紀からよむ古代交流史』(2003年、講談社学術文庫)、『勝海舟と幕末外交』(2014年、中公新書)など

*13:著書『8月17日、ソ連軍上陸す:最果ての要衝・占守島攻防記』(2010年、新潮文庫)、『「宗谷」の昭和史:南極観測船になった海軍特務艦』(2011年、新潮文庫)、『宮中某重大事件』(2012年、学研M文庫)、『吉田兼好とは誰だったのか:徒然草の謎』(2013年、幻冬舎新書)など

*14:元外交官。伊藤暗殺当時は貴族院議員

*15:熊本第6師団長、台湾総督など歴任

*16:黒龍会主幹

*17:玄洋社総帥

*18:台湾総督、伊藤、大隈、山縣内閣陸軍大臣などを経て首相

*19:台湾総督、伊藤内閣陸軍大臣、桂内閣内務大臣、参謀総長など歴任

*20:外務省政務局長、駐中国公使など歴任

*21:後藤象二郎(黒田、山縣、松方内閣逓信相、伊藤内閣農商務相などを歴任)の二男。貴族院議員。伯爵。日本活動フィルム会社(日活の前身)の初代社長。

*22:早稲田大学創立者。伊藤、黒田、松方内閣外相、首相など歴任

*23:黒田内閣内務相、伊藤内閣司法相、首相、枢密院議長、参謀総長など歴任。元老の一人。

*24:著書『玄洋社・封印された実像』(2010年、海鳥社

*25:著書『暴かれた開戦の真実・日露戦争』(2002年、東洋書店ユーラシア・ブックレット

*26:伊藤、黒田、山縣内閣蔵相、首相、内大臣など歴任。元老の一人。

*27:原文のまま。ググったところ「結城虎五郎」が正しい。

*28:斎藤、岡田、近衛内閣外相、首相を歴任。戦後、A級戦犯として死刑判決。

*29:桂内閣で外相

*30:桂内閣逓信相(内閣鉄道院総裁兼務)、寺内内閣内務相、外相、山本内閣内務相(帝都復興院総裁兼務)など歴任

*31:火野葦平の『花と竜』に描かれる「磯吉大親分」とはこの吉田磯吉のことである。『やくざと日本人』(1996年、ちくま文庫)、『やくざ戦後史』、『三代目山口組:田岡一雄ノート』(2000年、ちくま文庫)、『暴対法下のやくざ』、『やくざ外伝・柳川組二代目:小説・谷川康太郎』(2001年、ちくま文庫)、『やくざ親分伝』(2002年、ちくま文庫)、『興行界の顔役』(2004年、ちくま文庫)、『日本の右翼』(2005年、ちくま文庫)、『山口組概論』(2008年、ちくま新書)など、ヤクザ・右翼関係の著書が多い作家・猪野健治は、吉田磯吉を「近代ヤクザ」の祖と主張している。

*32:玄洋社初代社長

*33:後に玄洋社社長。1888年明治21年)1月19日に割腹自殺を遂げるが自殺理由はよくわかっていない。

*34:後に玄洋社社長

*35:1992年、島津書房

*36:1975年、原書房

*37:著書『戦争歌(いくさうた)が映す近代』(2001年、葦書房)、『ハワイに渡った海賊たち:周防大島の移民史』(2007年、弦書房)、『中原中也と維新の影』(2009年、弦書房)など