新刊紹介:「経済」11月号

「経済」11月号について、簡単に紹介します。
 http://www.shinnihon-net.co.jp/magazine/keizai/
■世界と日本『トランプと白人至上主義』薄井雅子*1
(内容紹介)
 トランプ支持層が白人至上主義であること、そのため、米国において排外主義や人種差別が悪化していることが批判的に指摘されている。

参考
赤旗
■白人至上主義者擁護の米大統領に抗議、“人種差別嫌うの当然”、全米主要都市で集会・デモ
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-21/2017082106_01_1.html
■人種差別は無条件拒絶を、国連委が米政府に要求
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-25/2017082507_01_1.html


■随想『JCJ賞の話』(石埼一二*2
(内容紹介)
2017年度のJCJ賞、具体的には

http://jcj-daily.seesaa.net/article/452284848.html
◇JCJ大賞 朝日新聞取材班
 「森友学園」への国有地売却と「加計学園獣医学部新設をめぐるスクープと一連の報道
◇JCJ賞 吉田敏浩*3(よしだとしひろ)
 著書『「日米合同委員会」の研究─謎の権力構造の正体に迫る』創元社に結実した研究成果
◇JCJ賞 「沖縄タイムス」高江・辺野古取材班
 高江・辺野古の基地建設強行を問う一連の報道
◇JCJ賞 北日本新聞
 政務活動費不正のスクープと地方議会改革の一連のキャンペーン
◇JCJ賞 チューリップテレビ
 富山市議会における政務活動費の不正を明らかにした調査報道

が紹介されている。

参考
赤旗『JCJ賞60周年、気骨ある記者を激励、「森友」「加計」追及が大賞』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-20/2017082012_02_1.html


特集『安倍「新自由主義」と復古・国家主義
新自由主義国家の強権性と社会統合(中西新太郎*4
(内容紹介)
 安倍政権における新自由主義国家主義の関係を「新自由主義による格差問題とそれによる国民の対立、分裂」を「国家主義で解決しよう、国民統合しようとする弥縫策」と評価している。
 こうした「新自由主義国家主義」の合体は安倍に限った話ではなく、「米国のトランプ政権」「韓国の朴クネ政権」などにも見られる傾向である。
 ただし、
1)当然ながら「新自由主義の弥縫策」は「国家主義」に限定されないし、その場合の「国家主義」も安倍的な戦前賛美に限定されないこと
2)つまり安倍の戦前賛美には安倍の個性も影響していること
3)中韓との友好関係を考えればこうした安倍の戦前賛美はある程度挫折せざるを得ない事も筆者によって指摘されている。


アベノミクス成長戦略の欺瞞性(関野秀明*5
(内容紹介)
 アベノミクスによる景気回復とは「企業が高収益を上げても」、労働者の給与は全く上がらない代物であること、むしろ「労働者を犠牲にすること」によって企業が高収益をあげるものであることが批判的に指摘されている。
 アベノミクスのような労働者犠牲による企業高収益ではない「労働者に利益が還元される景気回復」が訴えられている。


参考
赤旗
■データは語る アベノミクスを斬る:高い離職率で有効求人倍率高く
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-10-04/2017100406_03_1.html
■データは語る アベノミクスを斬る:非正規207万人増 自営業は減少
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-10-06/2017100608_02_1.html


■教育における大国主義・歴史修正主義新自由主義(久保田貢*6
(内容紹介)
 内容的には一部中西論文とかぶる。まず安倍政権における新自由主義国家主義の関係を「新自由主義による格差問題とそれによる国民の対立、分裂」を「国家主義で解決しよう、国民統合しようとする弥縫策」と評価している。
 その上で南京事件慰安婦の否定と言った「歴史修正主義」を中心に安倍の教育政策が批判されている。

参考
赤旗
■政府 南京大虐殺否定派*7ユネスコ会合に同行
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-11-10/2015111001_03_1.html
■日本政府「慰安婦」強制連行を否定、国連委で強い批判、女性差別の撤廃を審議
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-02-18/2016021801_07_1.html
■「東京裁判史観の克服」主張、稲田*8防衛相が雑誌に寄稿
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-06-13/2017061302_02_1.html


教育勅語教育基本法(井深雄二*9
(内容紹介)
 教育勅語復権させようとする安倍政権が批判されている。

参考
赤旗
■稲田防衛相の教育勅語称賛、会見で志位氏、大臣の資質問われる、本質は「天皇のため命投げ出せ」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-03-10/2017031002_02_1.html
教育勅語国民主権と相いれず、参院委で吉良氏 政府の認識問う
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-03-10/2017031002_03_1.html
■主張『教育勅語称賛発言:取り戻したいのは戦前なのか』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-03-14/2017031401_05_1.html
教育勅語称賛を追及、井上議員 稲田氏は大臣失格、参院
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-03-22/2017032202_02_1.html
■安倍政権の危険あらわ、「教育勅語答弁書 小池書記局長が批判
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-04/2017040401_04_1.html
■「戦前の二の舞い」懸念、宮本徹氏「教育勅語答弁書追及、衆院
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-04/2017040402_02_1.html
■主張『教育勅語も「教材」:歴史反省しない政治は許せぬ』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-07/2017040701_05_1.html
■道徳での教育は不可、衆院文科委 教育勅語で大平議員
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-08/2017040802_02_1.html
■安倍政権と森友 「教育勅語」持ち込み、狙いは「戰爭出来る國」、靖国派の国政私物化
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-12/2017041203_01_1.html
教育勅語の思想が問題、吉良氏 「今に通じない」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-05-17/2017051704_03_1.html
教育勅語 安倍政権下で急転換、学校現場教材に使用可、文科省関係者が証言、「下村文科相が答弁変更を指示」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-05-31/2017053115_01_1.html



特集『レーニン帝国主義論」100年』
■「帝国主義論」の現代的意義を考える(石川康*10
(内容紹介)
 レーニンの「帝国主義論」では「帝国主義(植民地争奪戦)は資本主義の必然」とされたが、「第二次大戦後、アジア、アフリカの植民地が次々独立*11し」現代社会においては「レーニン時代のようなむき出しの帝国主義はもはやほとんどありえないこと」が指摘される。
 そうした意味ではレーニン理論はそのまま適用できるものではないが、「シリア内戦への外国勢力の介入(アサド政権を支援するロシア、イランや逆に反アサド派を支援する米国、サウジ、トルコなど)」でわかるようにレーニンが問題にした「帝国主義的軍事介入」が全くなくなったわけではないことも一方では指摘される。

参考

http://www.jcp.or.jp/jcp/22th-7chuso/word/k_houkoku.html#teikoku
日本共産党綱領改定案についての提案報告(中央委員会議長・不破哲三)から一部紹介
■「第三章 世界情勢―二〇世紀から二一世紀へ」について
■第七節「二〇世紀の世界的な変化と到達点」
 まず、二〇世紀の変化と到達点についてのべた第七節です。二〇世紀は、独占資本主義、帝国主義の世界支配によって始まり、その世紀のあいだに、二回の世界大戦、ファシズム軍国主義、一連の侵略戦争など、人類がたいへんな惨禍を経験した世紀でした。この世紀を評価するさい、重要なことは、これらの惨禍に直面した人類が、努力と苦闘をつくしてそれに立ち向かい、その惨禍を乗り越えて、人類史の上でも画期をなす巨大な進歩を、多くの方面でなしとげた、という点です。綱領改定案は、その点で、三つの進歩をあげています。
 第一の変化は、植民地体制の崩壊であります。それも、事実の問題として、植民地がなくなった、その体制が崩壊したというにとどまらず、植民地の存在を許さない国際秩序が形づくられた、というところに、大事な点があります。そして、かつては植民地・従属諸国ということで、いわば国際政治の枠外におかれていた諸民族が、非同盟諸国首脳会議などに結集して、国際政治を動かす有力な力の一つになってきている、これも、二〇世紀が実現した巨大な変化であります。
 第二の変化は、各国の政治体制として国民主権の民主主義の流れがますます大きくなって、世界の多数の国で、それが政治制度の大原則となってきました。いまでは、民主主義の政治は、世界政治の主流といえる地位を占めるにいたった、といってよいでしょう。
 第三の変化は、戦争と平和の問題をめぐる国際秩序の問題です。一九四五年に国際連合が設立され、国連憲章が定められて以後、平和の国際秩序をきずくという課題が、国際政治の現実の課題になってきました。
 国際連合の設立そのものは、二〇世紀の半ばにおこなわれたことでしたが、二〇世紀後半の侵略戦争にたいしては、国際連合は本来の役割を果たしえませんでした。実際、アメリカのベトナム侵略戦争にたいしても、国際連合はまったく無力でした。ソ連アフガニスタン侵略戦争にたいしても、国際連合はまったく無力でした。はっきりいって、その時期には、米ソ両覇権主義の対決が障害となって、国際連合は、発足のときにせっかく平和の国際秩序をきずくルールを定めながら、平和の危機にさいして、その侵略戦争を押しとどめるために、そのルールに力を発揮させることが、できなかったのです。米ソ覇権主義の対決という時代のほぼ全体にわたって、こういう状態が続きました。
 この点で、今回のイラク戦争をめぐる国際状況は、国際連合の歴史の上でも、そしてまた、平和の国際秩序をきずくという世界史的な流れのなかでも、一つの画期的な意味をもったように、思われます。国連発足以来はじめて、不正義の先制攻撃戦争を許すか許さないかということが、国連の舞台で真剣に取り組まれ、激しい討論が最後まで交わされました。また、国連が定めた“平和の国際秩序をまもる”という問題が、世界の反戦平和の勢力の共通の大義、共通の要求となりました。
 二一世紀には、この方向をさらに強力に発展させなければならないことは、明白であります。
(中略)
帝国主義をめぐる理論問題について
 今日の世界資本主義を分析する上での大きな理論問題として、帝国主義をどうとらえるべきか、という問題に入りたいと思います。
 二〇世紀のはじめ、帝国主義が地球全体をほぼ支配するにいたった時期に、最初に帝国主義の全面的な分析をおこなったのは、ご承知のように、レーニンの『帝国主義論』でした。レーニンは、第一次世界大戦のさなかに書いたこの本のなかで、「帝国主義とは資本主義の独占段階である」という定義を与え、これをもっと具体的に展開したものとして、「帝国主義とは、独占体と金融資本との支配が形成され、資本輸出が卓越した意義を獲得し、国際トラストによる世界の分割がはじまり、そして最大の資本主義諸国による地球の全領土の分割が完了した、そういう発展段階の資本主義である」とのべました。
 この特徴づけのうち、最後の、地球の全領土が資本主義諸大国によって植民地として分割され終わった、という点は、帝国主義の時代が始まる転機として、レーニンがもっとも重視した点でした。これ以後は、ある独占資本主義国が植民地を獲得したり、拡大しようとすれば、世界の分割のしなおしを要求するしか道はなくなります。だから、帝国主義時代に入ると、世界の再分割、植民地の奪い合いの戦争が起こるのだ、と分析したのでした。
 これは、いわば帝国主義時代の特徴づけですが、各国の分析をするときにも、独占資本主義の段階に達した国は、いやおうなしに帝国主義の政策、領土や植民地拡張の政策をとるようになる、というのが、当時は、世界政治と世界経済の自明の方向でした。
 たとえば、日本のように、あとから追いつく形で独占資本主義の段階にすすんだ国は、おくれをとりもどして自分の植民地を獲得しようとして、アジアで、もっとも凶暴な帝国主義の道をすすみました。また、ドイツのように、第一次世界大戦で敗北し、すべての植民地をとりあげられた独占資本主義国は、その力を回復すると、ヨーロッパでの大規模な領土拡張戦争にのりだして、西方における第二次世界大戦の最大の火付け人となりました。
 つまり、この時代には、帝国主義とは、独占資本主義の段階に到達した資本主義のことだ、あるいは、独占資本主義の国は帝国主義国となる、こう規定してほぼ間違いなかったのです。
 ところが、二〇世紀の後半に、世界情勢には、この点にかかわる巨大な変化が進行しました。すでに見たように、(ボーガス注:英国領インド独立、フランス領ベトナム独立、オランダ領インドネシア独立などで)植民地体制が崩壊し、植民地支配を許さない国際秩序も生まれました。さきほど、レーニンが、地球の領土的分割が完了したことを、帝国主義時代の始まりの画期としたと話しましたが、領土的分割のもとになる植民地そのものがなくなってしまったのです。それだけでも時代は大きく変化しました。
(中略)
 問題は、そういう立場で考えたときに、「独占資本主義=帝国主義」という旧来の見方で世界を見てよいだろうか、という問題です。最近でも、イラク戦争の問題をめぐって、独占資本主義国のあいだで、先制攻撃戦争という道に国連無視で踏み出したアメリカ、イギリスと、これに反対するフランス、ドイツが対立しました。この対立を、帝国主義陣営内部の対立、矛盾と見てすむか、そうではなくなっているというところに、世界情勢の今日の変化があるのではないでしょうか。
 「独占資本主義=帝国主義」という旧来の見方についていえば、私たちが、綱領問題でとってきた立場は、従来から、この見方ですべてを見るという機械的なものではありませんでした。日本は独占資本主義の国であることは明らかですが、アメリカに支配された従属国家という一面をももっています。私たちの党の綱領的立場は、そのことを重視して、日本は独占資本主義の国だが、帝国主義の国ではない、この面では復活の過程にある段階だと規定してきました。
 しかし、現在では、もっと立ち入って、対米従属下の日本の特殊問題としてではなく、より一般的な意味で、帝国主義という規定を再検討する必要があると、私たちは考えています。
 すでに説明してきたように、植民地体制の変化をふくむ現在の世界情勢の変化のもとでは、独占資本主義の国でも、帝国主義的でない政策や態度、つまり、非帝国主義的な政策や態度をとることは、ありえることです。さきほど紹介した、イラク戦争におけるフランス、ドイツの態度は、その一つの現れであります。
 こういう時代に、私たちが、ある国を帝国主義と呼ぶときには、その国が独占資本主義の国だということを根拠にするのではなく、その国が現実にとっている政策と行動の内容を根拠にすべきであり、とくに、その国の政策と行動に侵略性が体系的に現れているときに、その国を帝国主義と呼ぶ、これが政治的に適切な基準になると思います。


■現代の金融資本と金融寡頭制(山田博文*12
(内容紹介)
 「帝国主義論」において金融資本が重要視されているが現代はレーニンの時代以上に金融資本が力を持っており、一定の規制が求められることが指摘される。


■「帝国主義論」100年と「ドイツ植民地責任論」(望田幸男*13
(内容紹介)
 レーニン帝国主義論」においてドイツ帝国の植民地支配が厳しく批判されたが、「第一次大戦敗北により帝政が崩壊したこと」「植民地も全て失った事」からドイツにおいては「ナチスホロコーストと違い」、長く「植民地支配問題」が過去の問題として「充分議論されなかったこと」、しかし「ドイツ国内の平和活動家らの地道な運動」によってそうした状況に変化が生まれていることが指摘されている。
 なお、こうした問題を指摘する望田氏や月刊「経済」誌、あるいは「後で紹介する永原陽子*14週刊金曜日記事」が「ドイツの問題点」を指摘していることは確かだが、それは決して日本ウヨのような「ドイツも植民地支配を充分清算してないから日本が朝鮮植民地支配を居直っていい」という暴論ではないことは一応指摘しておく(つうか産経のような日本ウヨの場合、植民地支配どころか「東京裁判で裁かれた南京事件」すら否定するので完全に論外だが)。
 ちなみに、ドイツの植民地は以下の通りである(ウィキペ『ドイツ植民地帝国』など参照)。

・ドイツ領ニューギニア
 ベルサイユ講和条約(以下、講和条約)によりオーストラリアの委任統治領(委任統治領は事実上の植民地)となる。1975年にパプアニューギニアとしてオーストラリアから独立。
・ドイツ領南洋諸島(現在の北マリアナ諸島パラオマーシャル諸島ミクロネシア
 講和条約により日本の委任統治領となる。第二次大戦後は米国の信託統治領となる。
 その後、マーシャル諸島ミクロネシア(1991年)、パラオ(1994年)は米国から独立しているが北マリアナ諸島は米国の自治領である。
・ドイツ領南西アフリカ
 講和条約により英国の委任統治領となる。1946年に英国が撤退すると南アフリカが侵攻し、領土編入を宣言。南西アフリカ独立派と南ア政府との間に戦争が勃発する(なお、南アは南西アフリカにおいてもアパルトヘイトを実施した)。1960年に南西アフリカを国連信託統治としまず南アに撤退を求める国連決議が採択されたが南アは無視している。1990年にナミビアとして南アからの独立を果たしている。
ドイツ領東アフリカ
 講和条約により三分割され、それぞれ英国、ベルギー、ポルトガル委任統治領となった。
 英国領はタンザニア(1961年)、ベルギー領はブルンジ(1962年)、ポルトガル領はモザンビーク(1975年)としてその後独立。
・ドイツ領カメルーン
 講和条約により二分割され、英国、フランスの委任統治領となった。
 1961年に英領カメルーン、仏領カメルーンが統合して独立。
・ドイツ領トーゴラント
 講和条約により二分割され、英国、フランスの委任統治領となった。
 英国領は1957年にガーナ(1957年独立)に吸収され、フランス領はトーゴとして1960年に独立。
・膠州湾租借地(1898年から99年間の租借予定)
 講和会議では日本に譲渡されることとなったが、現地住民の反日感情の高まりから日本が領有権を放棄。事実上、中国(当時は中華民国)に返還された。

参考
ドイツ帝国のヘレロ・ナマクア虐殺について】

■ヘレロ・ナマクア虐殺(ウィキペ参照)
・2004年、ヘレロ戦争100周年を記念して、ドイツ経済協力・開発大臣ハイデマリー・ヴィーチョレック=ツォイル*15は、追悼と謝罪の意を全ドイツ人を代表して表したが、ヘレロ側は賠償を求めている。ヘレロ・ジェノサイド財団のエスター・ムインジャンゲ議長は「ドイツ政府が本当に謝ったとは思っていない」として、ドイツ連邦議会での決議のような公式な謝罪をすべきとの考えを示した。また、ドイツによるこの虐殺が後のナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺につながったとの見方に同意している。

http://www.christiantoday.co.jp/articles/23699/20170502/german-evangelical-church-apologise-namibian-genocide.htm
クリスチャントゥデイ『わたしたちの負い目を赦してください」ドイツ教会、ナミビアの大虐殺を謝罪』
 ドイツのプロテスタント教会が、アフリカ南部の国ナミビアで20世紀初頭、当時のドイツ帝国が現地の先住民族に対して行った大虐殺(ジェノサイド)について謝罪した。声明では、聖職者が直接虐殺行為を呼び掛けたことはなかったとしつつも、植民地支配を神学的に正当化することで、大虐殺に加担したと指摘。「これは大きな罪であり、全く正当化されるものではない」とし、ナミビアの人々に赦(ゆる)しを求めている。
 ナミビアの虐殺について謝罪したのは、ドイツ人口の約3割が所属する同国の主流なプロテスタント教派である「ドイツ福音主義教会」(EKD)。
(中略)
 ナミビアは当時、「ドイツ領南西アフリカ」とされ、ドイツ帝国の植民地だった。大虐殺は1904〜07年、先住民族のヘレロ族とナマ族に対して行われたもので、20世紀最初の大虐殺とされている。死者は、ヘレロ族が2万4千人〜10万人、マナ族が全人口2万人の半数に当たる1万人に及んだと考えられている。

http://www.afpbb.com/articles/-/3113437
■AFP『ナミビア先住民、ドイツ植民地時代の虐殺めぐり集団訴訟
 ナミビアでドイツ植民地時代に起きた先住民ヘレロ(Herero)人とナマ(Nama)人の虐殺をめぐり、両先住民の代表団が5日、ドイツ政府に補償を要求する集団訴訟を米ニューヨーク(New York)の裁判所に起こした。代表団は虐殺をめぐるナミビア政府とドイツ政府との交渉にも参加させるよう求めている。
(中略)
 原告側の主張は、当時のナミビアで1885〜1903年、ドイツ人入植者たちが植民地政府の了承のもとでヘレロ人とナマ人から土地を奪ったというもので、奪われた土地は両先住民の土地の約4分の1、数千平方マイルに及んだという。
 さらに原告団は、入植者らがヘレロとナマの女性や少女たちをレイプし、両民族を強制労働させていた事実を植民地政府が黙認していたと非難している。
 1904年、迫害に耐えかねてヘレロの人々が決起し、これにナマの人々も続いたが、反乱はドイツ帝国軍に鎮圧された。原告団は、ドイツ軍のロタール・フォン・トロータ(Lothar von Trotha)中将による「全滅作戦」でヘレロとナマの人々10万人が殺害されたと主張している。
 1904〜05年に起きたヘレロとナマ人大虐殺をめぐり、ナミビア政府とドイツ政府は共同宣言の発表に向けて協議を続けている。
 ドイツ側は虐殺の事実を認める一方、ナミビアが1990年に南アフリカから独立してから、ドイツは数億ユーロ規模の開発援助を「ナミビア国民の利益のため」に続けてきたことを理由に直接補償は拒否し続けている。
 原告団は、世界各地のヘレロとナマの人たちを代表して、ドイツの植民地支配に苦しめられ、虐殺された両先住民たちの賠償と補償を求めて集団訴訟を起こしたと説明している。
 これに対し、独外務省のマルティンシェーファー(Martin Schaefer)報道官はドイツの首都ベルリン(Berlin)で、訴状を見ていないのでコメントできないとしたうえで、この問題で「未来に続く共通の道」を切り開くため、2年ほど前からナミビア政府と共同宣言に関して協議を続けていると強調した。

http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Africa/2016_02.html
ジェトロ『植民地期ナミビアでの大虐殺に関する対独補償要求』永原陽子
 国際世論が注目する中で、蜂起の勃発から100周年にあたる2004年8月には、ドイツの経済開発相がナミビアを訪れ、ドイツ帝国が行ったことが「今日であればジェノサイドにあたる」と認めて謝罪した。
(中略)
(ボーガス注:ドイツに配慮し虐殺問題を等閑視していたが、反政府派の)リルアコらの(ボーガス注:賠償要求)運動に国際社会の共感が広がるのを座視していられなくなったナミビア政府は、次第に(中略)ドイツ政府との交渉の当事者を自認するようになる。そこには無論、主要な援助提供国であるドイツとの外交的関係への配慮もある。国会も2006年9月には全会一致で「ジェノサイドの被害に対する補償をドイツに要求する決議」を採択した。補償の要求は「国是」に転じたのである。2007年に、「補償」に代わる解決策を模索するドイツ政府が2000万ユーロの資金を提供して事態の解決を図ろうとしたとき、その受け取りに同意したのはナミビア政府だった。
(中略)
 補償要求運動の一つの焦点となっているのが、ドイツに現存するヘレロやナマの遺骨の返還である。当時、「研究」の名の下に多くの人骨がドイツに運び出された。その舞台の一つベルリン大学病院(現ベルリン大学病院/医学研究所シャリテCharité)の博物館には、世界各地からの9000あまりの頭蓋骨が保管されている。前述の複数の運動体の声を背景にナミビア政府が要求したことにより、2011年9月に1904〜08年の戦争にかかわることが明らかである20の頭蓋骨が返還された。
(中略)
 SWAPO*16を内部から批判する人々が脱党してつくった新しい政党も生まれては消え、現在のナミビア政治は事実上一党体制といってよい状況に至っている。独立後の社会変革の中心的な課題であったはずの土地改革は一向に進まず、SWAPOあるいは政府の指導者とその周辺の人々に利権が集中し、経済格差が拡大しているにもかかわらず、人々はSWAPO以外の選択肢を持てずにいる。そうした中で、植民地主義の暴力による被害への補償を求める運動は、政府の強権化に対して「物を言う」人々の結集する場ともなりつつある。
 ドイツ側では、第一次世界大戦開戦100周年の2014年以来、ナミビアでの戦争への注目が新たに高まっている。2015年4月には、大統領J・ガウク(Joachim Gauck)(旧東ドイツ出身、90年同盟)が連邦議会で、第一次世界大戦中のトルコによるアルメニア人虐殺を「ジェノサイド」とし、それへのドイツ帝国の関与*17と責任を認める発言をしたことが、「もう一つのジェノサイド」への関心に拍車をかけ、7月には連邦議会議長のN・ランマート(Norbert Lammert)(キリスト教民主同盟)が、『ツァイト』紙への寄稿で「オスマン帝国アルメニア人に対するジェノサイド*18を語る者は、西南アフリカの人々に対するドイツ軍の犯罪も同じように呼ばなくてはならない。今日の基準にしたがえば、ヘレロに対する鎮圧はジェノサイドだった」とした 。
 これまでドイツの中でナミビアからの補償要求運動を支持してきたのは左派の政治家であり市民たちであったが、保守系政党の政治家がこのように発言したことで、ナミビアの運動は、ドイツ政府がいよいよ責任を認めるのかと勢いづいたが、その一方で、補償をめぐる交渉が両政府間で進められ、当事者組織が排除されていることに不満を強めてもいる。補償問題は、ナミビア内部でのSWAPOとそれへの批判者、国家と民衆、ヘレロ内部での集団間など様々な矛盾を含みつつ、ドイツ政府とドイツ人が植民地支配の過去を直視しなくてはならない状況を生み出しつつある。しかしそれは同時に、ホロコースト以外の「もう一つのジェノサイド」に関心を集中させるドイツの世論と、1904〜08年の戦争のみでなく植民地支配の過去全体を問う方向に進むナミビアでの議論の隔たりをも浮き彫りにしている。
(中略)
 一方、対独補償要求の運動家たちは、ドイツ政府が補償を拒み続けた場合に、「正義の回復」のための実力行使として(ボーガス注:ジンバブエ政府が英国系白人農場の強制収用を実行したように)ドイツ系地主の農場を占拠する「ジンバブウェの道」を選ぶ可能性も示唆している。

http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2012/10/25/
週刊金曜日『ドイツで旧植民地への「記憶と清算」の催し:黙殺され続ける法的責任』
 一九〇四〜〇八年にかけてドイツ領南西アフリカ(現ナミビア共和国)で植民地政府の暴政に対し蜂起したヘレロ族とナマ族が虐殺された。両族合わせて八〇%に近い人々が命を落としたといわれるが、虐殺命令が出されたのが一九〇四年一〇月二日とされており、この日を迎えるとドイツの首都ベルリンでも「記憶と清算」をめぐる催しが市民により開かれてきた。
(中略)
 遺骨の返還問題も浮上している。虐殺されたヘレロやナマの頭部数千体分が優生学等の資料としてドイツに送られたが、ベルリンのシャリテ病院が昨年二〇個の頭蓋骨を一世紀ぶりに初めてナミビアに返還した。ちなみに当時確立された優生学理論は後のナチスの人種差別政策の一根拠とされ、民族浄化等へとつながっていく。
 「植民地支配に対する謝罪と賠償が進まないのはアフリカに対する根本的差別意識が原因」とイスラエル・カウナティケ氏(ヘレロ、ベルリン在住)は語る。氏らの尽力により今年三月、ドイツ連邦議会で責任を問う動議が提出されたが、与党の反対で否決となった。  
 政府は謝罪と賠償を棚上げし、あくまで「経済援助」に固執、責任回避を続けている。ドイツがナチスの過去克服のため時間と労力を費やしてきたことは国際社会の中でも認知されているが、植民地支配の清算に話が及ぶと消極的な態度に転じ、戦後の経験をこの分野で生かしているとは言えない。

http://japanese.joins.com/article/627/210627.html
中央日報『強者にだけ謝罪するドイツ』
 アドルフ・ヒトラーの著書『わが闘争』が絶版から70年ぶりの今月8日、ドイツで再出版された。この本は1925年に36歳のヒトラーミュンヘン暴動で投獄された当時、ナチズムの思想的土台を整理した自叙伝だ。ナチ崩壊後に版権を得た独バイエルン州が出版せず、事実上の禁書だった。しかし昨年末に70年の著作権が消滅すると、ドイツ研究所が激しい反対を押し切って「極右人種主義を防ぐにはナチズムの正確な理解が必要」として再出版したのだ。
 その間、国内外を問わず、『わが闘争』出版禁止は反省するドイツの良心の象徴のように描写されてきた。反省をしない日本とは違い、ドイツはナチズムなら接触さえできないようにこの本を禁止したという論理だった。ところがこの悪名高い本が出てくると、世界メディアは「ナチズムを批判するための措置」という形で再出版も美化している。出版を禁止しても解除してもドイツはいつも模範的な国と見なされているのだ。
 しかし本当にそうだろうか。隠れている歴史を見てみよう。ドイツの醜悪な顔が一つ一つ見えてくる。1904年、ドイツは植民地のナミビアから土地を奪うためにヘレロ族・ナマ族を無惨に殺害した。井戸に毒をまいたという話もある。20世紀初めの人種虐殺だった。ヘレロ族8万人のうち6万5000人、ナマ族2万人の半分の1万人が死亡した。これだけでなくドイツは生存者2000人を強制収容所に入れて人体実験もした。その後、ドイツは遺体を本国で運んで研究用として使用し、2011年に20人の遺骨を本国に返した。
 ドイツ人はあまりにも純真であるためヒトラーという狂った人物にだまされ、悪行を犯したようになっている。しかしドイツ人はヒトラーの登場前から悪魔の人体実験をしていた。
 ドイツは繰り返されるナミビア政府の謝罪要求にもかかわらず、100年が過ぎた2004年に虐殺の事実を認めた。それも首相ではなく経済開発相が演説して一言述べたのがすべてだ。しかし経済的賠償は拒否し続けている。
 日本の否定的なイメージを強化するため、我々は「誠実なドイツ」という虚像*19を築いて見たいものだけを見ている。もう一つ。それではドイツはなぜユダヤ人だけ*20に頭を下げるか。専門家らの答えはこうだ。
 「米国内のユダヤ人の影響力が強く、ナミビア人は弱いから」。
 悲しくもこれが国際社会であり、これが「不都合な真実」だ。日本からきちんと謝罪を受けようとするのなら、(ボーガス注:政治力、経済力、軍事力の面で)我々から強くならなければいけない。

 中央日報は故意にデマ飛ばしてると思いますが、永原陽子論文や週刊金曜日記事でわかるように「不十分ではあっても一定の謝罪の意は示してる(賠償金ではないが『日本の対中国ODA』のような形でのドイツによるナミビア支援も計画されてる)」のでヘレロ・ナマクア虐殺についてドイツが全く謝罪していないかのように描き出す中央日報はあまりにも問題がありすぎます。


【トルコのアルメニア人虐殺について】

http://neaglossa.teamblog.jp/archives/61337308.html
アルメニア決議後のトルコのドイツ批判がエスカレート
 トルコは101年前のアルメニア人虐殺をジェノサイド(集団虐殺)と定めたドイツの決議に対し、猛烈な批判を続けています。
(中略)
 トルコはドイツへの「復讐」として、ドイツ帝国による1904〜1907年のアフリカのヘレロ・ナマクア虐殺をトルコ議会で決議にかけようと動いています。
 トルコはずっとジェノサイドであることを否定しています。認めない理由は何でしょうか。
 専門家のChristin Pschichholz氏の説明です。
 第1次世界大戦で欧州各国に占領されたトルコを解放し、近代トルコを樹立した英雄として、アタチュルク*21という人がいます。トルコはアタチュルクを国の神話的象徴として留めたい。しかし、ジェノサイドによって民族を均一化した事実は、この神話に組み込めません。認めるわけにいかないのです。

http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/24/armenian-genocide-controversy_n_7140572.html
■ハフィントンポスト日本版『150万人が犠牲になったアルメニア人大虐殺から100年 問題は現在も続いている』
■30万
 トルコ政府が主張する、この時期に「戦争や病気で」死亡したというアルメニア系住民の数。トルコ政府は、150万という数字を否定している。
 現在トルコで高校生に支給される教科書には、「30万人のアルメニア人が戦争や病気で命を落とした。しかしその間、60万人のトルコ人アルメニア人によって殺害され、50万人のトルコ人が彼らの土地から立ち退かされた」と記載されている。


■日本経済における内部留保の構造(小栗崇資*22
(内容紹介)
 まず日本企業が内部留保を増加させていること、その増加の大きな理由として「法人税減税」「労働者賃金の減少があること」が指摘される。内部留保はそのほとんどが企業の設備投資や研究開発ではなく、財テクに使われていることを指摘。
 「法人税減税による再分配機能の低下」「労働者賃金減少による生活困難」を放置してまで、内部留保を拡大させる政策は採るべきではないとし、「法人税増税」「労働者賃金の増加をもたらす施策」を政府に求めている。
 また内部留保について一定の課税をすることも提案している。なお、「ポピュリズム」であり本気とは到底思えないが「小池新党」が「内部留保課税」を主張していることは注目される。

参考
赤旗
■主張『大企業の内部留保:「まず減税を」は財界の身勝手』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-12-02/2015120201_05_1.html


■なぜいま雇用対策法改定なのか:安倍「働き方改革」法案の危険(昆弘見*23
(内容紹介)
 安倍政権の雇用法制改悪計画のうち、雇用対策法改悪が取り上げられている。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-09-12/2017091205_01_1.html
赤旗『労働法制破壊の「働き方法案」、厚労省 法案要綱の審議急ぐ』
 今回の要綱で、突然盛り込まれたのが雇用対策法です。法律の目的や国の施策として、「労働生産性の向上」と「多様な就業形態の普及」を初めて明記。

の「生産性向上」はホワエグ導入などによるさらなる賃金カット、「多様な就業形態」は非正規の増加やホワエグの導入を意味していると理解できる。

*1:著書『戦争熱症候群:傷つくアメリカ社会』(2008年、新日本出版社

*2:JCJ日本ジャーナリスト会議)代表委員、元日経新聞記者

*3:著書『民間人も「戦地」へ:テロ対策特別措置法の現実』(2003年、岩波ブックレット)、『ルポ 戦争協力拒否』(2005年、岩波新書)、『密約:日米地位協定と米兵犯罪』(2010年、毎日新聞社)、『赤紙と徴兵』(2011年、彩流社)、『沖縄:日本で最も戦場に近い場所』(2012年、毎日新聞社)、『「日米合同委員会」の研究』(2016年、創元社)など

*4:著書『若者たちに何が起こっているのか』(2004年、花伝社)、『“生きづらさ”の時代の保育哲学』(2009年、ひとなる書房)、『「問題」としての青少年:現代日本の“文化‐社会”構造』(2012年、大月書店)、『人が人のなかで生きてゆくこと:社会をひらく「ケア」の視点から』(2015年、はるか書房)など

*5:著書『現代の政治課題と「資本論」:自己責任論批判の経済学』(2013年、学習の友社)

*6:著書『ジュニアのための貧困問題入門』(編著、2010年、平和文化)、『知っていますか?日本の戦争』(2015年、新日本出版社)、『考えてみませんか 9条改憲』(2016年、新日本出版社

*7:高橋史朗のこと

*8:第二次安倍内閣行革相、自民党政調会長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣防衛相を歴任

*9:著書『現代日本の教育改革:教育の私事化と公共性の再建』(2000年、自治体研究社)、『近代日本教育費政策史:義務教育費国庫負担政策の展開』(2004年、勁草書房)、『戦後日本の教育学:史的唯物論と教育科学』(2016年、勁草書房

*10:著書『現代を探究する経済学:「構造改革」、ジェンダー』(2004年、新日本出版社)、『覇権なき世界を求めて:アジア、憲法、「慰安婦」』(2008年、新日本出版社)、『人間の復興か、資本の論理か:3・11後の日本』(2011年、自治体研究社)、『マルクスのかじり方』(2011年、新日本出版社)、『若者よ、マルクスを読もう:20歳代の模索と情熱』(共著、2013年、角川ソフィア文庫)、『「おこぼれ経済」という神話』(2014年、新日本出版社)など

*11:ただし独立していない植民地としては旧スペイン領西サハラがあげられる。1975年、フランコの死を契機にスペインが領有権を放棄したが、モロッコ西サハラに侵攻し自国領に編入西サハラ独立派「ポリサリオ戦線」とモロッコ政府の対立が今も続いている。西サハラ問題については例えば■赤旗『笠井議員が西サハラ代表と懇談』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-04-25/2013042502_03_0.html)参照

*12:著書『国債管理の構造分析:国庫の資金繰りと金融・証券市場』(1990年、日本経済評論社)、『国債がわかる本:政府保証の金融ビジネスと債務危機』、『これならわかる金融経済(第3版):グローバル時代の日本経済入門』(2013年、大月書店)、『99%のための経済学入門〈第2版〉:マネーがわかれば社会が見える』(2016年、大月書店)

*13:著書『ナチス追及:ドイツの戦後』(1990年、講談社現代新書)、『ドイツ・エリート養成の社会史:ギムナジウムアビトゥーアの世界』(1998年、ミネルヴァ書房)、『ナチスの国の過去と現在:ドイツの鏡に映る日本』(2004年、新日本出版社)、『二つの戦後・二つの近代:日本とドイツ』(2009年、ミネルヴァ書房)など

*14:著書『「植民地責任」論:脱植民地化の比較史』(編著、2009年、青木書店)、『ナミビアを知るための53章』(編著、2016年、明石書店

*15:シュレーダーメルケル政権で経済協力・開発大臣(1998〜2009年)。また、1998〜2005年まで、SPD社会民主党)副党首。

*16:ナミビアの政権与党「南西アフリカ人民機構」のこと。南アからの独立戦争の中核を担い、1990年の独立から現在まで約27年に及ぶ長期政権を実施。

*17:当時、トルコと同盟関係にあったドイツ帝国は虐殺を黙認した。

*18:これについては右派のエルドアン・トルコ大統領がジェノサイド否定論を公言し欧米から強く批判されている。

*19:少なくとも「東京裁判で裁かれた南京事件」すら否定したがる安倍晋三や産経よりはドイツの方が誠実だと思います。

*20:ナチの虐殺の犠牲者はユダヤ人だけではないので当然「頭を下げる相手」も「フランスやポーランド」なども含まれます。中央日報ユダヤ人に話を限定してるのは「ユダヤの政治力ガー」という方向に話を持っていきたいからでしょう。「ユダヤの政治力」云々は全くのウソではないですが、事実とも言いがたい。はっきりいって中央日報は故意に話を単純化しています。

*21:トルコ共和国初代大統領。もともとの名前はムスタファ・ケマル・パシャで「アタチュルク(トルコの父という意味)」は国会から贈呈された敬称。

*22:著書『アメリ連結会計生成史論』(2002年、日本経済評論社)、『内部留保の経営分析:過剰蓄積の実態と活用』(共著、2010年、学習の友社)、『株式会社会計の基本構造』(2014年、中央経済社)、『内部留保の研究』(編著、2015年、唯学書房)など

*23:著書『あなたを狙う「残業代ゼロ」制度』(2016年、新日本出版社