新刊紹介:「前衛」11月号

「前衛」11月号の全体の内容については以下のサイトを参照ください。「興味のある内容」のうち「俺なりになんとか紹介できそうな内容」だけ簡単に触れます。
 http://www.jcp.or.jp/web_book/cat458/cat/
■安倍政権を倒し、新しい政治を切り開く:野党と市民の共闘の勝利、日本共産党の躍進めざそう(田村智子*1
(内容紹介)
 9/22執筆とのことなので「安倍の解散計画」は反映されているが、その後に表面化した「前原*2の解党→希望の党合流」「枝野*3グループによる立憲民主党結党」は反映されていない。
 その為、田村論文での野党共闘は「民進党自由党社民党」を前提としているがこの点は、「立憲民主党社民党」と読み替える必要があるが、それ以外の点(参院選新潟県知事選、仙台市長選などでの野党共闘成果をアピールし衆院選でも野党共闘を可能な限りすすめると主張、選挙の大きな争点は「加計森友疑惑」「改憲や安保法制」「安倍流労働法改正(ホワエグ導入など)」)は特に問題はないかと思われる。


特集『安倍改憲の暴走をとめる』
■9条加憲で何がどう変わるのか:「安倍九条改憲」阻止のために今論ずべきこと(小沢隆*4
(内容紹介)
 単に「憲法自衛隊を書き込むだけで実情は変わらない」のであれば「加憲」する必要はないのであり、自公がどのような案を出すか明確化しないと批判しづらい*5が、「憲法違反の批判を浴びた戦争法の合憲化」を目指すことだけは間違いない、そもそも9条加憲案を安倍に進言したのは安倍ブレーンの右翼活動家・伊藤哲夫であり、そんな男の提案が現状維持にとどまるわけがない、と評価し、警戒を呼びかけている。

参考

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-05-15/2017051501_03_1.html
赤旗『安倍首相発言 “改憲の本丸に踏み込む”、NHK日曜討論 小池書記局長が批判』
 小池氏は、自衛隊憲法に書きこむことは単に自衛隊の存在を認めるだけでなく、「例えば3項に自衛隊の存在理由を書くことになれば、結局その規定が独り歩きして、海外における武力行使を無制限に可能にする。戦力不保持の2項は死文化することになる」と強調。今の憲法のもとでも安倍政権が集団的自衛権行使を可能にしたことを挙げ、「憲法自衛隊の記載がなかったときにこれだけのことを平気でやるのに、自衛隊憲法9条に書き込まれたら完全に歯止めがなくなる」と語りました。
 さらに、今回の首相発言のベースに改憲右翼団体日本会議」のシナリオがあると指摘し、「日本会議」のブレーン*6憲法9条3項に自衛隊を加え、「国際法に基づく自衛のための実力を保持」という規定を入れることなどを主張していることを紹介。「こういうやり方で9条を空文化するのが安倍首相の狙いだ」と批判しました。

http://lite-ra.com/2017/05/post-3147.html
■リテラ『安倍首相の「9条に自衛隊明記」改憲案は日本会議幹部の発案だった!「加憲で護憲派を分断し9条を空文化せよ」』
 安倍の従来の持論といえば、少なくとも9条2項「戦力の不保持」を削除したうえで自衛隊を明記することだった。それがなぜ突如、一見軟化したかに思える「1項、2項を据え置きで3項追加」に方針転換したのか。
 実は、昨年の参院選のすぐ後、日本会議の中枢メンバーが、ずばり「「三分の二」獲得後の改憲戦略」と題して、この「9条3項加憲」を打ち出していたのだ。
 その人物とは、日本会議常任理事で政策委員の伊藤哲夫*7。伊藤氏といえば、かねてから安倍首相のブレーン中のブレーンと言われてきたが、氏が代表を務めるシンクタンク日本政策研究センターの機関誌「明日への選択」には、憲法改正はもちろん、歴史修正主義、「偏向教科書」運動、夫婦別姓反対、ジェンダーフリーバッシングなどなど、フル装備の極右思想が理論的に展開されている。そんな“理論派”の伊藤氏が、「明日への選択」16年9月号で提案したものこそ“自衛隊条項の戦略的加憲”だった。
(中略)
〈ところで、もう一方で提案したいと考えるのが、改憲を更に具体化していくための思考の転換だ。一言でいえば、「改憲はまず加憲から」という考え方に他ならないが、ただこれは「三分の二」の重要な一角たる公明党の主張に単に適合させる、といった方向性だけにとどまらないことをまず指摘したい。むしろ護憲派にこちら側から揺さぶりをかけ、彼らに昨年のような大々的な「統一戦線」を容易には形成させないための積極戦略でもある、ということなのだ〉
〈(平和、人権、民主主義には)一切触れず、ただ憲法に不足しているところを補うだけの憲法修正=つまり「加憲」なら、反対する理由はないではないか、と逆に問いかけるのだ〉
(中略)
 見ての通り、伊藤氏は「加憲」の狙いが「護憲派の分断」にあると開陳している。ようするに、本来、安倍首相や日本会議が悲願とする戦前回帰の改憲では国民の支持が得られないから、まずはソフトな「加憲」から入り、一度憲法改正を実現させてから本丸へと切り込もうという、姑息きわまりない策略なのである。
(中略)
 しかし、信じられないのは、こうしたまやかしに乗っかって、リベラル派の中にも、この提案に賛同する声が出てきていることだろう。
 本来なら、“自衛隊を合憲化するために憲法に書き込むべき”などという主張は、安倍首相が自衛隊違憲だと認識していることの証明なのだ。立憲主義国家の行政の長としてそんなことを言うなら、まずは自衛隊を解散させてからにしろ、と反論すべきなのに、「現状をきちんとするために改憲もありだ」などというのは、まさに連中の詐術に乗せられているだけではないか。
 繰り返すが、自衛隊の明文化は“現状の追認”どころではなく、正真正銘の“平和主義の破壊”である。こんな安倍首相の詐術にだまされてはいけないし、連中がほくそ笑む「護憲派の分断」にも屈してはならない。

http://www.sankei.com/premium/news/170523/prm1705230001-n1.html
■産経【ニュースの深層安倍晋三首相「自衛隊加憲」にネタ本あった? 9条に3項“耐震補強”で初の憲法改正実現
 「但し前項の規定は確立された国際法に基づく自衛のための実力の保持を否定するものではない」
 これは、保守系シンクタンク日本政策研究センター」の伊藤哲夫代表が「憲法9条3項」の条文として同センターの情報誌「明日への選択」昨年9月号の論文で例示した文言だ。
 伊藤氏は首相のブレーンと報じられることもあり、首相はその国家観や政策を信頼しているとされる。伊藤氏の論文発表と、首相が側近議員らを通じて公明党自衛隊加憲案を打診し始めた時期は一致する。
(中略)
 共産党志位和夫委員長は、伊藤氏が保守系国民運動団体*8日本会議」の政策委員を務めていることをとらえ、「首相発言のシナリオを書いたのは日本会議だ」と発言し、13日の「しんぶん赤旗」が1面トップ*9で報じた。「安倍首相の『9条に自衛隊明記』改憲案は日本会議幹部の発案だった!」と断じたネットメディア*10もある。
(中略)
 自衛隊加憲案を主張したのは日本政策研究センターが初めてではない。
 やはり首相のブレーンと指摘されたことがある西岡力*11・東京基督教大教授は昨年8月16日付の産経新聞「正論」欄で「日本人の大多数は自衛隊を認めているのだから、世界の常識である9条1項の平和主義は変えず、2項を変更して自衛隊の存在を明記するか、3項に『前項の規定にかかわらず自衛のために自衛隊を持つ』などと書き加えることは、おおかたの国民の常識に沿うものといえるのではないか」と同様の内容を書いている。
(中略)
 首相と近い憲法学者八木秀次*12麗澤大教授は「戦力不保持と自衛隊の存在の整合性をどう表記するかなどクリアすべき課題はある」としながらも、「現状追認だが、憲法改正を一度経験するという意味でも自衛隊加憲は何歩か前進だ」と述べ、憲法改正の展望が開けたと評価する。

 伊藤や西岡、八木という極右が首相ブレーンとか改めて頭痛がしてきます。しかもこれを「批判的考えで産経が書いてないこと」も頭痛がしてきます。まあ、俺みたいな人間からすれば産経記事は安倍批判にしか読めませんが。


■国家緊急事態条項改憲論の危険と誤り(永山茂樹)
(内容紹介)
・エジプトのムバラク政権が長期に亘って非常事態宣言を実施していたことなどを指摘、緊急事態条項の危険性を訴えている。自民党などがテロや戦争、災害を持ち出していることについては「賛否の分かれる緊急事態条項よりもまず現実的な対応案を示すべきだ」としている(そもそも災害はともかく日本に置いて緊急事態条項が必要なレベルのテロや戦争は考えがたいが。また阪神大震災東日本大震災の被災自治体「兵庫、岩手、宮城、福島」の首長や住民が緊急事態条項を強く求めているという事もない)。

参考
赤旗
■緊急事態条項 独裁と人権制限もたらす、衆院憲法審 赤嶺・大平氏が批判
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-03-17/2017031702_05_1.html


■教育無償化への課題と展望:無償化改憲論を批判する(石井拓児)
(内容紹介)
 教育無償化には改憲など不要であること、むしろ問題は予算措置であること、教育無償化を唱える自公は民主党政権の高校無償化をばらまきと誹謗してきたこと、あるいは受益者負担論を理由に大学学費を値上げしてきたこと(つまり教育無償化が本気か疑わしい)、無償化改憲論の主張者はもともと維新であり、安倍が「無償化改憲論」を主張しだしたのは維新取り込みが目的とみられることが指摘されている。

参考
赤旗
■教育無償化に改憲不要、NHK討論 小池書記局長が批判
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-05-15/2017051502_01_1.html
■教育無償化 改憲せずとも可能、必要なのは政治判断、逆行してきた自民政権
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-05-16/2017051602_02_1.html
■主張『高等教育の無償化:改憲は不要、ただちに踏み出せ』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-06-05/2017060501_05_1.html


■「共謀罪」法の危険性を糊塗し居直った(ボーガス注:ケナタッチ国連特別報告者の質問への)日本政府の回答(山添拓*13
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-09-13/2017091301_07_1.html
赤旗『「共謀罪」、国連特別報告者への政府対応、対策弁護団、厳しく批判』
 共謀罪対策弁護団は12日、国会内で緊急記者会見を開き、「共謀罪」法を懸念するジョセフ・ケナタッチ国連特別報告者に対する日本政府の回答とその公表手続きを批判し、同法の廃止を求める意見表明を行いました。
 ケナタッチ氏は5月18日に送付した安倍晋三首相宛ての書簡で、「共謀罪」法の定義のあいまいさから恣意(しい)的な監視や捜査が強まることや、表現の自由やプライバシーの保護措置への懸念を示していました。
 同弁護団共同代表の海渡雄一*14弁護士は、日本政府が人権理事会の理事国に立候補した際に、特別報告者に対し「有意義かつ建設的な対話の実現のために、今後もしっかりと協力していく」と誓約をしたことを紹介。「(ボーガス注:ケナタッチ氏の)書簡に抗議し、回答まで約3カ月要したのに一言のおわびもない。十分に審議せず強行採決した一方、ケナタッチ氏の懸念には『国会審議を通じて説明されている』という。悪い冗談のような、一切の対応を拒否する内容だ」と批判しました。


■「残業代ゼロ」狙う「働き方改革」の矛盾(佐々木亮) 
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。
赤旗
■主張『「働き方改革」:「残業代ゼロ制度」は撤回を』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-07-30/2017073002_01_1.html


■パリ協定に逆行する石炭火力発電建設計画ラッシュ(桃井貴子)
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介などで代替。
赤旗
■大気汚染が心配、神奈川・横須賀 石炭火発の学習会
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-01-26/2017012614_01_1.html
■主張『石炭火力発電所:建設ラッシュの容認をやめよ』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-05-16/2017051601_05_1.html
日本共産党愛知県委員会『温暖化・大気汚染に危惧 石炭火力発電所建設問題シンポ』
http://www.jcp-aichi.jp/2017/0717-110348.html

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/256336.html
NHK「パリ協定発効 日本の課題は?」
 この計画には、問題点が2つ指摘されています。
 一つは「石炭火力発電」です。石炭は化石燃料の中でも、CO2排出量が最も多く、世界的には、有効な温暖化対策としては、認められていません。さらに価格が安いため、建設に歯止めがかかりにくい傾向があります。今後は、この比率を、これ以上増やさないよう、規制や方策を確立する必要があります。
 もう一つの問題点は「原子力」です。原発の運用は、原則40年と決まっていますが、現在の原発をすべて40年稼働しても、2030年には14〜15%にしかならず、20〜22%の数字は、運用年数を延長するなどがふくまれていると考えられます。しかし、現在の、原発再稼働を巡る混乱を見ると、2030年までにこの数字が実現できるのか疑問がわいてきます。今後は、再生可能エネルギーの比率をさらに高める努力が必要といえます。

http://webronza.asahi.com/science/articles/2016103000001.html
■WEBRONZA『パリ協定発効後の投融資を誤るな:知っておきたい石炭ビジネスのいま』大野輝之*15(公益財団法人自然エネルギー財団常務理事)
 日本では、電力ビジネスへの参入を狙う企業などが、原発で言えば合計20基分以上にも相当する多数の石炭火力発電所の新増設を計画している。電力会社の中には、これから欧州の石炭事業の買収に乗り出そうとしているところもある。
 トランプのジョーカーは、ゲームの種類によっては最強のカードなのだそうだが、エネルギービジネスの中の石炭事業はババ抜きのババになってしまう公算が極めて高い。パリ協定後のビジネスを誤らないためには、脱化石燃料、とりわけ脱石炭が急速に進む世界の動きを知っておいたほうがいい。
(中略)
 欧州各国も次々と石炭火力からの離脱を進めている。英国では、現状、電力の2割程度を賄っている石炭火力を2025年までに廃止する方針が示され、2022年までの原発廃止を決定しているドイツでも、石炭火力のフェーズアウトが議論されている。フィンランドは2020年中、デンマークが2030年までの石炭火力のフェーズアウトを掲げている。その他、ベルギー、スウェーデンノルウェー、オランダなどでも、石炭火力発電所は新増設されず、石炭火力からの離脱が進んでいる。
■日本の石炭ビジネスは大丈夫なのか
 2015年に政府が策定した「エネルギー基本計画」は、石炭火力発電を「重要なベースロード電源」と位置付けた。電力ビジネスへの参入をめざす企業が、自らの電源として石炭火力の新設を計画した背景にこの方針があるとしたら、政府はビジネスに対して誤ったメッセージを出してしまったことになりそうだ。


■座談会『九州北部豪雨災害:求められる復旧・復興支援と課題、一人たりともあきらめさせない復興を』(田村貴昭*16真島省三*17、仁比聡平*18
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。
赤旗
■九州豪雨被害 国の支援を、中小・小規模事業者の設備復旧に不可欠、衆院災害特 真島議員
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-09-06/2017090615_02_1.html
■九州豪雨被害 国の支援を、半壊住宅解体も対象に、衆院災害特 田村議員 住めない世帯多い
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-09-06/2017090615_01_1.html


■戦争体験をどう継承するのか:『沖縄県史 沖縄戦』はどのようにつくられたか(吉浜忍*19
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。
なお、
http://www.pref.okinawa.jp/edu/bunkazai/kenshiryo_hanbai/kenshi_k8_zyoseishi/documents/okinawasen_mokuji.pdf
によれば執筆者は吉浜忍氏の他には

林博史氏(関東学院大学教授)
 個人サイト(http://www.geocities.jp/hhhirofumi/)。沖縄戦関係の著書に『沖縄戦と民衆』(2001年、大月書店)、『沖縄戦:強制された「集団自決」』(2006年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄戦が問うもの』(2010年、大月書店)。
・石原昌家氏(沖縄国際大学名誉教授)
 著書『沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕:国内が戦場になったとき』(2000年、集英社新書)、『援護法で知る沖縄戦認識:捏造された「真実」と靖国神社合祀』(2016年、凱風社)など
・大城将保氏
 著書『沖縄戦:民衆の眼でとらえる「戦争」(改訂版)』(1988年、高文研)、『沖縄戦の真実と歪曲』(2007年、高文研)など
・宮城晴美氏
 著書『母の遺したもの:沖縄・座間味島「集団自決」の新しい事実(新版)』(2008年、高文研)
・浅井春夫氏
 沖縄戦関係の著書に『沖縄戦と孤児院』(2016年、吉川弘文館
・野里洋氏
 著書『汚名:第二十六代沖縄県知事・泉守紀』(1993年、講談社
・鳥山淳氏(沖縄国際大学准教授)
 著書『沖縄/基地社会の起源と相克:1945〜1956』(2013年、勁草書房
・北村毅氏(大阪大学准教授)
 著書『死者たちの戦後誌:沖縄戦跡をめぐる人びとの記憶』(2009年、御茶の水書房
・新城俊昭氏(沖縄大学客員教授
 著書『沖縄戦から何を学ぶか:戦後60年・戦争を知らない世代のための平和学習書』(2005年、沖縄時事出版)

など。

https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-246681.html
琉球新報障がい者沖縄戦体験を新県史に 教育庁が聞き取り』
 新沖縄県編集委員会が、2017年に発刊を予定する沖縄戦についてまとめた新県史に、戦中の障がい者の置かれた状況についての記述が盛り込まれる予定であることが分かった。編集事務局の県教育庁文化財課史料編集班によると、市町村史でも障がい者の様子について記されている物はごくわずかといい、現在は体験者からの聞き取りが進められているという。
 同班は「沖縄戦を歴史として残す上で、社会的に弱者とされている人たちのことを記すことは不可欠」としている。
 同班によると、沖縄戦を県史として発刊するのは1974年以来で、2011年から編集作業がスタートした。内容検討の中で、住民から見た沖縄戦の実相を盛り込むことが決まり、その中で戦中の障がい者についても記述する方針が決まった。
 戦中の障がい者をめぐっては、周辺から差別を受けていたことや、戦火から逃げる際に困難を極めたことが指摘されている。一方、当時の状況を語る人は限られており、記録としてはあまり残されてこなかった。新県史の編集では体験談の他に、日本軍が障がい者に対してどのような見方をしていたのかについて、聞き取りも含めた調査をしていくという。
 また新県史では、戦争トラウマや心的外傷後ストレス障害PTSD)についても盛り込む方針で、沖縄戦の爪痕を記録として残していく。
 新県史の沖縄戦編専門委員会で部会長を務める吉浜忍沖縄国際大教授は「障がい者など当時の弱者については、これまであまり語られてこなかったが、沖縄戦の歴史を記録し、伝える上で重要」と指摘する。新県史では「沖縄戦が『現在進行形』であることを残していきたい」と述べた。

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-469818.html
琉球新報『県史「沖縄戦」新刊 43年ぶり 最新研究網羅』
 沖縄県教育委員会は、新県史編集事業として「沖縄県史各論編6 沖縄戦」を10日に刊行し、29日に県教育庁で記者会見した。沖縄戦に至る背景や各地の沖縄戦、住民の証言や「集団自決」(強制集団死)など沖縄戦の諸相、戦後処理や平和教育など継承までをまとめた。また「障がい者」や「戦争トラウマ」「ハンセン病」などの分野にも光を当てた。会見で新沖縄県史編集専門部会(沖縄戦)部会長の吉浜忍沖縄国際大教授は「現時点での沖縄戦研究の集大成だ」と述べた。
 沖縄戦関係を県史で扱うのは1971年から74年にかけ発刊された「沖縄縣史第八巻 沖縄戦通史」など以来で、74年からは43年ぶり。B5判、824ページのオールカラー。5部構成で37人の研究者による72編の論述からなる。
 編集に当たっては(1)最新の沖縄戦研究の成果を踏まえる(2)県史、市町村・字史*20の蓄積と成果を踏まえる(3)住民視点・証言を大事にする―との視点で論述され、若手研究者にも執筆を依頼し、沖縄戦研究を次世代につなぐとしている。
 吉浜氏は「40年前は住民証言が中心だったが、日米両軍の資料も重ねながら史実としてまとめた。戦争を知らない世代に理解してもらいたい」と述べた。1500冊が県立図書館や各学校などに配布されるほか、300部が1冊5千円で4月1日から販売される。3月29日から県教委のホームページで予約できる。問い合わせは県教育庁文化財課史料編集班。

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-504314.html
琉球新報沖縄戦、新たな視点で 県史刊行記念、那覇でシンポ』
 県教育委員会は28日、3月に発行した「県史各論編6 沖縄戦」の刊行を記念し、「『沖縄戦』を語る」と題したシンポジウムを那覇市の県立博物館・美術館講堂で開いた。約220人が参加した。県史の刊行に携わった研究者らが登壇し、意義や沖縄戦研究の現状について議論を展開した。
 前半の基調講演では沖縄国際大の吉浜忍教授と関東学院大林博史教授が県史刊行の意義などについて紹介した。吉浜さんは県史の特徴を「沖縄戦だけで完結させず、戦後の継承の問題も議論している点にある」と述べた。林さんは今後の研究課題について「東南アジアや南洋諸島などで、沖縄の人々がどのように戦争に関わったかを明らかにする必要がある」と話した。
 後半のパネル討議では執筆者ら7人が登壇し、沖縄戦の研究成果や課題について議論を展開した。「日本軍慰安所」の項目を担当したひめゆり平和祈念資料館の古賀徳子さんは、辻遊郭*21の女性も慰安所に動員されたことに触れ「(朝鮮半島など)植民地だけでなく、沖縄の女性も慰安所で性被害を受けたことを明らかにできた」と述べた。
 参加した沖国大2年の山田珠妃さん(19)は「沖縄戦研究でこれまで光の当たらなかった分野に、若い研究者がスポットを当てていることが分かった」と話した。
 県史の沖縄戦編は増刷分もすでに完売し、県教委は再増刷を検討している。県立図書館や各市町村の図書館などでも閲覧できる。

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/91016
沖縄タイムス社説『43年ぶり県史「沖縄戦」:研究成果 継承に生かせ』
 沖縄戦に関する県史としては43年ぶりとなる「沖縄県史 各論編6 沖縄戦」が県教育委員会から刊行された。
 新しい証言や資料の発見などで、沖縄戦に関する研究は進展した。若手の研究者たちも育った。今回の県史は、これまでの研究成果の積み重ねを踏まえ、新たな知見を盛り込んだものだ。
 沖縄戦とは何だったかを多面的に知ると同時に、基地問題など現在の沖縄につなげて考えることができる。沖縄戦の新たな基本文献として重要な一冊である。
 特徴は、これまで取り上げられることの少なかった「障がい者」や「ハンセン病」「戦争孤児*22」、近年研究が進む「戦争トラウマ(心的外傷)*23」についてもまとめていることだ。
 砲弾の飛び交う中、母親の着物の帯をつかみ走って逃げた目の不自由な少年。聴覚障がいのある若者は、歩いていたところを日本兵にスパイとして捕らわれた。戦場で傷を負った結果、体に障がいが残り、戦後の生活に困難を強いられた住民も少なくない。
 沖縄戦で親を失い、孤児院に入れられた子どもの生活も悲惨で、多くの子どもたちが栄養失調などで命を落とした。米軍の占領支配は児童福祉の観点に乏しく「一貫して支配者の視線」だったと言及している。
 ハンセン病の患者は日本軍によって療養所に強制収容された。劣悪な環境下で壕掘りに駆り出され、餓死や衰弱死が相次いだという。
 「集団自決(強制集団死)」や「慰安所*24」の実態についても詳述している。
 沖縄戦と精神保健との関連は近年になって、注目されている分野だ。戦場での凄惨(せいさん)な体験で心に深い傷を負い、報道や慰霊の日、基地などをきっかけに当時を思い出し、トラウマの症状を訴える人たちがいる。
 「鉄の暴風」が残した不発弾も、県内各地で発見される。処理作業のたびに避難や交通規制を強いられ、県民に不安を与える。2009年には糸満市で水道管工事中に爆発事故が発生した。
 県民への過重負担が続く米軍基地問題も、沖縄戦当時の基地建設から始まった。
 こうした記述からは、沖縄戦が沖縄の現在、そして未来につながる問題だということが伝わってくる。
 県史には、教科書検定に伴う沖縄戦記述の後退、学校での平和教育の成果や課題などもまとめられている。今に生きる私たちが沖縄戦をどうとらえるべきか、考える一助となっている。
 翁長雄志*25知事は発刊のことばで「沖縄戦を理解し、悲惨な体験をしっかり受け止め、次の世代に継承していくための指針となることを目的としています」と記す。
 戦争体験者の高齢化が進む中、沖縄戦の風化が懸念されている。体系的にまとめられた史料をどう生かし、平和の創造に結び付けられるかが今後の課題だ。
 例えば、より平易に書かれ手軽に入手できる普及版を制作してはどうか。沖縄戦の実相を正しく伝えるために、さらなる工夫が求められる。

https://synodos.jp/society/14868
シノドス『逃げることさえ許されなかった:ハンセン病患者の沖縄戦』吉川由紀(沖縄国際大学非常勤講師)
 入所者の証言に次のようなものがあります。
「(園長が言うには)ぼくは救ライに大きな功績を残した、なぜかというと、救ライということは(ボーガス注:ライ病患者を救うという事では必ずしもなく)ライを撲滅させることだから、患者を一人でも多く殺すことは救ライにつながっているんだと。
(中略)
 ぼくは任期中に百何名か殺したと。だからこれが戦後、金鵄勲章もんだといってですね、いばるんですよね。それを聞いた時には、われわれには人権はないのか、ということですよね」
「ここは病院だといって赤十字のマークをつけたら爆弾が落ちないんですよ。で、それを(園長に)進言したわけですよ。赤い赤十字をたてるといったらですね、ここに爆弾を集中させておけば、軍人のほうは軽くすむんじゃないか、だからあんた方はこれで耐えておけと。爆弾をたくさん落とさせておけば、それで儲けものだと、それだけ軍隊のほうに落ちないからいいんじゃないかと」
(『沖縄県史』10巻、1974年)
 沖縄戦において、避難民を壕から追い出したり住民の食糧を奪ったり、捕虜になるのを許さず住民を殺害する者がいたりと、日本軍の残虐な行為について言及されることがあります。それは追い詰められ、極限状態に陥った中での行為だったかもしれません。
 しかし、ハンセン病患者について考えたとき、軍や政府・園当局は極限状態に陥るずっと前から、患者を守るつもりはなかったし、患者が飢えて死ぬことも構わなかった。自分たちが手をかけずに死んでくれればむしろ幸い、くらいの感覚でいたとしか思えないのです。
 入所者たちは、自ら体を傷めて掘った壕の土の上で、湿りきった、カビの生えたムシロの冷たさを背中に負いながら、虫けらのようにひっそりと死んでいきました。
(中略)
 一方で、沖縄戦被害の甚大さは、却って自分の存在を消すのに好都合だったと振り返る方もいます。自身の病気のために家族みんながいじめられ、学校も仕事も行けず、本土や南洋に逃げた。
「私たちにすればね、戦争があったほうがよかった。(皆、自分のことに精一杯で)なんにも音沙汰がなくなるさね、私のことも。それで終戦後はいじめられないようになって。戦争して負けたんだけど、自分たちの幸せは戦争があった方がいいって」
(『沖縄県ハンセン病証言集 沖縄愛楽園編』2007年、吉田順子さん(女性)証言)
 沖縄戦の惨劇を二度と繰り返してはならない、と体験の継承に取り組む者にとってあまりに衝撃的な証言です。しかし、想像を絶する差別社会がそこに確かにありました。「戦争があったほうがいい」と言わせるほどの差別社会を営んでいたのは、まぎれもなく一人一人の市民だった(それは沖縄戦の被害者でもある)ことに、無自覚ではいられません。


特集 国民の住まいをどう保障するか
■改正住宅セーフティネット法と住宅政策の貧困:問われる人権としての住まい(坂庭国晴*26
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。
赤旗
■主張『住宅の“安全網”:「住まいは人権」保障してこそ』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-07-14/2017071401_05_1.html


■今こそ悪質家賃保証会社の排除を(林治)
(内容紹介)
 いわゆる「追い出し屋」の問題が取り上げられている。

参考

http://news.livedoor.com/article/detail/11487750/
■家賃を払わなかった自分が悪い? 「追い出し屋」の被害実態
 家賃滞納などを理由に住人を家から締め出し、家財道具まで撤去する「追い出し屋」。リーマンショック後、社会問題になり法規制も検討されたが、廃案になって以来、手がつけられていないままだ。
 4月13日、東京地裁で追い出し屋被害にあった男性が損害賠償を求める裁判があり、男性が勝訴した。判決では、家財を撤去したことを「刑事において窃盗罪または器物損壊罪に処せられるべき行為」と指摘した。追い出し屋については罰する法律がなく、刑事罰の可能性にまで言及するのは珍しいという。
 男性の弁護人を務めた「首都圏追い出し屋対策会議」の林治弁護士は、「これを機に改めて追い出し屋の問題を知ってほしい」と話す。
(中略)
■インタビュアー
 追い出しを禁止する法律は作れないのですか?
■林氏
 2010年に「追い出し規制法案」が作られましたが審議が進まず、廃案になっています。
 今も法制化を求めて、担当省庁に話をしていますが、腰が重いのが実情で「何かしら状況が変わったという事実がないと(法案再提出の)説明が難しい」というようなことを言われています。これについては継続して訴えていきたいと思います。


仙台市 復興公営住宅で何が課題になっているか(嵯峨サダ子*27
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。なお共産党仙台市議団は家賃引き上げ自体について強く反対。
 引き上げを行う場合でも「引き上げ幅の縮小」「減免措置制度の創設」など「引き上げのダメージをできる限り小さくする施策」を要求している。

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201705/20170528_11020.html
河北新報『<災害公営住宅>家賃引き上げ「寝耳に水」』
 東日本大震災の被災者が入居する仙台市内の災害公営住宅の家賃引き上げを巡り、入居者が反対の署名活動を展開するなど反発を強めている。入居6年目以降、家賃が段階的に上がることを市側が伝えていなかったためで、家賃が3倍になる入居者もいるという。
 市は2012年、災害公営住宅の入居者募集に際し、「10年間は家賃が(通常より)安くなる」と書面で通知した。以後、家賃の引き上げについて具体的な説明はなく、今年3月、市が全戸配布した文書で初めて家賃が上がることを知らされたという。
 市営住宅管理課の西本憲次課長は「自治体に家賃に関する説明義務はないが、住民に対する配慮が足りなかった。説明会は入居手続きを紹介するもので、意図的に伝えなかったわけではない」と釈明した。
 国の東日本大震災特別家賃低減事業によって、災害公営住宅の入居者は入居から10年間、収入に応じ家賃の減免措置を受けられる。最初の5年間は家賃が据え置かれるが、6年目以降は段階的に引き上げられ、11年目以降、本来の家賃を支払うことになるという。
 制度を知らされていなかった入居者にとって、家賃引き上げは「寝耳に水」。今月下旬、市内の災害公営住宅自治会長ら27人が呼び掛け人となり、引き上げ中止など4項目を市に要望する署名活動を始めた。
 太白区のあすと長町災害公営住宅自治会「ひまわり会」の菅原勝典代表(58)は「家賃は重要な要素で、入居前に説明するのが筋だ」と批判。あすと長町第2災害公営住宅の薄田栄一自治会長(64)は「年金暮らしの入居者が多く、家賃引き上げは生活を直撃する」と入居者の不安を代弁した。


シリーズ『「格差と貧困」にどう向き合うか』
■障害ある子どもとその家族の貧困を考える(小野川文子)
 ネット上の記事紹介で代替。

https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG17H0K_X10C16A2000000/
日経新聞『障害者の4人に1人貧困 慶大調査、一般の2倍』
 生活に苦しむ人の割合を示す相対的貧困率が障害者では25%を超え、4人に1人以上が貧困状態にあることが山田篤裕慶応大教授らの研究グループの調査で分かった。障害のない人の数値に比べほぼ2倍だった。

https://mainichi.jp/articles/20160518/k00/00m/040/065000c
毎日新聞『障害者調査:98%が貧困層 年収200万円以下』
 障害者福祉施設の連絡組織「きょうされん」(東京都新宿区)は17日、作業所など福祉サービスを利用する障害者1万2531人の生活状況を調査したところ、98.1%(1万2289人)が、ワーキングプアと呼ばれる貧困層に当たる年収200万円以下だったと発表した。きょうされんは「家族と同居し、依存しなければ生活できない状況だ」と、手厚い所得保障を求めた。

https://synodos.jp/welfare/17648
シノドス『障害者をケアする母親に生じる貧困と不平等』田中智子
 先日、ある裁判を傍聴した。被告は、長年、入所施設を利用している障害のある子どもを、一時帰省中に殺害した母親だった。裁判の中で、母親は「この子を残しては死ねない」「(殺害したのは)仕方がなかった」「後悔はしていない」という言葉を繰り返した。
 障害者家族のあいだには、昔も今も「親亡き後」という言葉が存在する。一般的には、親亡き後の子どもの行く末を憂いてのことを指す言葉で、「子どもより一日だけ長く生きていたい」というのは偽ることのない親の本音であろう。
(中略)
 どのような手立てがあれば、本当の意味での「親なき後」問題は解決するのだろうか。その答えを社会は見つけなければならない。
(以下略)

 田中氏の紹介するような「子殺し」は青い芝の会のメンバー・横塚晃一氏の著書『母よ!殺すな』(1975年、すずさわ書店→後に2007年、生活書院から復刻版)からずーっと続く問題であり何つうか暗澹たる気持ちになります。


論点
■米の生産調整と七一四億円交付金廃止(中沢睦夫)
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。少し古いが要旨はあまり変わらないと思う。
赤旗
■主張『米生産調整見直し:需給と価格の安定は国の責任』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-11-15/2013111501_05_1.html
■主張『コメの価格暴落:主食と地域経済守る国の責任』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-09-27/2014092701_05_1.html
■安倍政権の農業「改革」、農業所得「増大」というが2年連続減が「実績」、共産党は価格保障・所得補償を充実
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-01/2016070106_01_1.html


東京五輪選手村「デベロッパーファースト」の異常(岡部裕三*28
(内容紹介)
 売却価格が「周辺価格の地価より9割も安いこと」から「東京都の森友疑惑(森友も周辺地価に比べ9割値引いている)」とも言われる問題を取り上げている。

参考

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/202710
日刊ゲンダイ小池都政にも“森友疑惑” 五輪選手村用地を1200億円値引き』
 森友疑惑の出発点は8億円値引きの国有地払い下げ。実は小池都政にもソックリな問題がくすぶっている。中央区晴海の東京五輪「選手村」予定地、東京ドーム3個分に当たるオーシャンビューの都有地を破格の安値で売り払ったのだ。
(中略)
 1平方メートル当たり9万6784円は多摩地区や伊豆七島並み。しかも都は2012年に予定地から約1キロ離れた同じ晴海の都有地を1平方メートル当たり103万円で売却していた。
「大会後、11社の手で巨大マンション群や商業ビルに生まれ変わります。用地の取得額が安いほど、11社の開発利益は増える“おいしい話”です」(臨海部開発問題を考える都民連絡会事務局長の市川隆夫氏)
(中略)
■大手メディアはこぞって沈黙
 都市整備局は「選手村要因」を考慮した土地評価の調査について、一般財団法人「日本不動産研究所」に丸投げ。日刊ゲンダイが不動研の調査報告書を情報公開請求すると、都の開示資料は肝心の算出根拠となる数値が全て黒塗り。空前の安値をはじき出した経緯は、さっぱり分からない。
「予定地の譲渡契約書を開示請求すると、後ろめたさの表れか、〈(11社が)著しく収益増となることが明らかになった場合〉に〈別途協議する〉旨が盛り込まれていました。それでも抽象的な文言は逃げ口上にしか思えません」(市川隆夫氏)
 非開示だった森友疑惑の国有地と異なって選手村予定地の売値は公開済み。破格の安値を知りながら、大手メディアの追及は甘い。譲渡先がチンケな学校法人と(ボーガス注:三井系列の三井不動産、三菱系列の三菱地所レジデンス、住友系列の住友不動産など)大手不動産との違いだけで対応を変えるのか。
 弱小事務所の芸能スキャンダルは容赦なく叩き、(ボーガス注:吉本興業島田紳助問題など)大手事務所には及び腰。そんな不文律すら彷彿させる大マスコミの沈黙ぶりだ。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-03-14/2017031401_07_1.html
赤旗東京五輪 選手村受託会社に天下り、都幹部OB12人、不動産7社に、時価の1割で 都有地を売却』
 2020年東京五輪の選手村(中央区晴海)整備を東京都から受託した不動産会社グループ11社のうち、7社に都元局長らが天下りしていたことが13日、本紙の取材でわかりました。都は選手村整備にあたって、11社に都有地を1000億円以上も値引きして売却したことが問題になっており、新たな疑惑が浮上しました。
(中略)
 都は選手村用地として、東京ドーム2・9個分にあたる都心の一等地(13万3906平方メートル)を129億6000万円と、破格の値段で不動産会社11社に売却したことが問題になっています。1平方メートルあたりの売却価格は9万6784円で、時価の10分の1です。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-18/2017081814_01_1.html
赤旗『都有地 9割引きは違法、五輪選手村 住民が都を提訴』
 東京都が2020年東京五輪の選手村整備の名目で、不動産会社11社グループに中央区晴海の都有地(13万3906平方メートル)を市場価格の10分の1で売却したことは違法だとして、都民が17日、都に対して舛添要一前知事、小池百合子知事、都市整備局長と不動産会社に値引き分(推定約1000億円)を請求するよう求めた住民訴訟東京地裁に起こしました。
 提訴したのは、「晴海選手村土地投げ売りを正す会」の中野幸則氏(66)ら33人。訴状によると、選手村用地処分は一般競争入札ではなく、市街地再開発制度を脱法的に乱用し、大手不動産会社11社に対して総額129億6000万円(1平方メートルあたり9万6700円)と不当な安値で売却したとしています。
(後略)
■解説:都OB天下りも争点に
 東京五輪の晴海選手村用地の土地投げ売り処分問題が、住民訴訟に進展しました。
 東京五輪選手村は、不動産会社11社が2020年五輪大会までにマンションや商業棟を建設し、大会期間中、一部を選手村として貸し付けます。大会後に超高層マンション2棟を建設し、24年度までにマンションを計23棟、約5650戸を建設する計画です。
 選手村整備は晴海五丁目西地区第一種市街地再開発事業として計画され、都が16年5月に選手村の特定建築者の公募を行い、応募があった1グループ(11社)を同年7月28日に選定。同12月5日に都が提示した最低価格(129億6000万円)で土地売却契約を結びました。
 また、不動産会社11社のうち7社に都幹部OB12人が天下りしていた事実が、本紙の3月14日付スクープで判明しました。
 会見で淵脇氏は、都OB天下り問題についての本紙の質問に「(裁判で)重要な争点になっていく可能性もあると思う」と語りました。


暮らしの焦点
■銀行カードローン 生活難につけ込む過剰貸付の是正を(山本正人
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。「銀行カードローン」といえば聞こえはいいですが内容は「銀行がやってるサラ金」でしかないわけです。というか今や、大手サラ金

アコム三菱UFJ*29フィナンシャル・グループ(三菱東京UFJ銀行*30
・プロミス:三井住友フィナンシャルグループ三井住友銀行
・レイク:新生フィナンシャルグループ(新生銀行*31

と都銀の傘下にあります。銀行カードローンも実質的に運用してるのは「銀行傘下のサラ金」でしかないわけです。
 当然、問題も「高金利」「返済能力のないものへの過剰貸し付け」とサラ金と構造は全く変わりません。解決策として主張されるのも「カードローン規制(高金利規制、貸出額規制)」「低金利の公的金融の充実」などサラ金問題の時と変わらないわけです。


赤旗
■銀行カードローンで自己破産続出、高まる批判 規制求める声
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-23/2017082306_01_1.html
■主張『銀行カードローン:“生活苦を食いもの”許されぬ』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-31/2017083101_05_1.html

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/215044
日刊ゲンダイ『高金利で貸しまくる銀行カードローン』
 近頃のテレビCMで、俳優の阿部寛*32や女優の吉高由里子*33が明るく爽やかに利便性をうたう銀行カードローン*34。堅実なイメージの銀行からの借り入れは、何となく“大丈夫”と思ってしまう。ところが2016年、自己破産した人の数が13年ぶりに増加。その原因のひとつが、この銀行カードローンによる過剰な貸し付けといわれているのだ。
 藤田知也著「強欲の銀行カードローン」(角川新書、800円+税)では、なりふり構わず拡大する銀行カードローンの実態を解説。その危険性に警鐘を鳴らしている。
 消費者金融は00年代前半まで、グレーゾーン金利いっぱいの年29・2%で金を貸していた。これは法制度の隙を突いた形で、重い利息負担に追い詰められる多重債務者も後を絶たなかった。そこで「貸金業法」が改正され、貸金額は他の業者もあわせて年収の3分の1を超えてはいけないとする「総量規制」も定められた。
 ところが、銀行は貸金業者ではないため、貸金業法の規制を受けない。消費者金融と同じように金を貸しても、3分の1の上限を超えても、である。それでも以前は、銀行がカードローンを積極的に売り込む動きはなかったため問題はなかった。しかし、住宅ローンの金利は1%を割るのが当たり前となり、企業向け融資の金利も過去最低水準で、銀行は苦境に陥った。そこで活路を見いだしたのが、一般消費者をターゲットとした高収益のカードローンとなったわけだ。
 “銀行ならば安全”と考えるのは大間違いだ。多くの銀行カードローンには、黒子となる保証会社の存在がある。利用者が金を返せなくなったとき、保証会社はその個人に代わって銀行に金を返し、代わりに個人に対する“回収”を行う。その保証会社となっているのが、なんと貸金業者である。早い話が、規制強化を受けた消費者金融が保証料を稼ぐビジネスにシフトし、銀行と二人三脚でカードローンの貸出額を伸ばしているのだ。
 本書では、銀行カードローンに苦しめられる人々のルポも掲載。野放しにされている銀行カードローンの実態には、到底納得ができない。


■スポーツ最前線「スピードアップのラグビートップリーグ」(大野晃*35
(内容紹介)
 プレーのスピードアップなど一定の進歩が見られるが、ラグビー強豪国のレベルと比べたらまだまだだという話です。


■文化の話題
【映画:是枝裕和監督の「三度目の殺人」】(児玉由紀恵)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

https://mainichi.jp/articles/20170922/ddf/012/200/004000c
毎日新聞『「三度目の殺人」是枝裕和監督 真実見えぬ法廷のリアル』
 真実の追求よりも勝利にこだわる弁護士の重盛(福山雅治*36)は強盗殺人罪で起訴された三隅(役所広司*37)の弁護を担当する。しかし、接見する度に供述が変わる三隅に翻弄され、初めて真実を知りたいと願うようになる。
 知り合いの弁護士から「法廷は真実を明らかにする場所ではなく、利害調整の場*38。本当はどうだったのかなんて、(ボーガス注:当事者以外)誰にも分かりませんから」と聞いたことが、本作のヒントになったという。

https://style.nikkei.com/article/DGXKZO20874040X00C17A9BE0P01?channel=DF260120166507
日経新聞『「三度目の殺人」 心の奥深さ透かし見せる 』
 弁護士の重盛(福山雅治)は、同僚の摂津(吉田鋼太郎)から殺人事件(ボーガス注:の弁護)をひき継ぐ。容疑者の三隅(役所広司)が簡単に供述を変えるので、摂津は音を上げたのだ。三隅は、食品加工工場の社長を殺したとして起訴されたが、30年前にも強盗殺人の前科があった。今回有罪なら死刑は確実だ。
 そんなおり、三隅は週刊誌に、社長の奥さんの美津江(斉藤由貴)に頼まれて保険金目当てで社長を殺したのだ、と告白した。
(中略)
 重盛は助手の川島(満島真之介)と事件の再調査にあたる。すると、三隅の家に、脚の不自由な娘が出入りしていたとの情報を掴(つか)む。調べると、それは社長と美津江の娘・咲江(広瀬すず)だった。被害者の娘と容疑者の接点を探る重盛のもとに、咲江が訪れ、驚くべき事実を明かす。

 まあ、「三度目の殺人」というタイトルからして「三隅が死刑になる事か?」とか、意味深なタイトルではあります。まあ、単純な強盗幸人でないことだけは確かでしょうが。美津江や咲江が犯人ではないか、冤罪かも知れないのに死刑判決でいいのかというもやもやした感じで話が終わるんでしょうか。まあ、そういう「結末がもやもやした感じ」の話は芥川「藪の中」とか過去にも例はありますが。
 死刑冤罪をネタとした映画と見ることも可能でしょうが、まあ、監督の問題意識は多分そことは少しずれるんでしょうね。

参考
■「三度目の殺人」公式サイト
http://gaga.ne.jp/sandome/


【演劇:青年劇場「アトリエ」を見る】(鈴木太郎)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

https://mainichi.jp/articles/20170911/dde/012/200/010000c
毎日新聞青年劇場『「アトリエ」 消せない記憶に向き合う形描く』
 青年劇場が15〜24日、フランスの現代劇作家ジャン=クロード・グランベールによる「アトリエ」(大間知靖子訳)を東京・新宿の紀伊国屋ホールで上演する。第二次大戦中にドイツ占領下のフランスで起きた出来事を背負う人々の思いが、縫製工房を舞台につづられる。演出は、昨年度の毎日芸術賞千田是也賞の藤井ごう。
 舞台は戦後のパリ。レオン(杉本光弘)とエレーヌ(名川伸子)のユダヤ人夫婦が経営するアトリエでは、夫が強制連行されたまま行方不明のユダヤ人のシモーヌ(崎山直子)、古株のマダム・ローランス(藤井美恵子)、年ごろの娘をもつジゼル(高安美子)らお針子たちがおしゃべりをしながら働いている。フランスのユダヤ人移送という負の歴史。
「大きなテーマを背負っているんですが、同じテーブルで仕事をする女性たちが、子供や生活の悩みを話していて、そこは分かるなというところから世界が近づいていくと、ものの見え方が変わってくるかなと思う。読めば読むほど、よく書かれている本だと思います」。
 消せない記憶に、さまざまな立場の登場人物たちが、それぞれの形で向き合っていく。
「書き分けは見事なものだなと思う。それをどこまでつかんで言葉を発することができるか。“おばちゃんたち”が、ワーワーしていて面白いなって思ってもらえれば」

参考
青年劇場「アトリエ」公式サイト
http://www.seinengekijo.co.jp/s/atre/atre.html


■メディア時評
【テレビ:チューリップテレビの奮闘】(沢木啓三)
2017年度のJCJ賞を受賞した

http://jcj-daily.seesaa.net/article/452284848.html
◇JCJ賞 チューリップテレビ
 富山市議会における政務活動費の不正を明らかにした調査報道

が紹介されている。


■グラビア『文学風土記奄美群島小松健一*39
・今回取り上げられてるのは作家・島尾敏雄*40、ミホ*41夫妻です(第十八震洋特攻隊隊長として、奄美群島加計呂麻島に赴任した敏雄が地元民のミホと結婚)。まあ、無名とまでは言いませんが、広く世間に知られてるとまでは言えない作家でしょうね。島尾敏雄の小説『死の棘』を映画化した小栗康平にしても無名とまでは言いませんが、広く世間に知られてるとまでは言えない監督でしょうし。
 世間的には小栗のような監督より、『男はつらいよ』、『幸福の黄色いハンカチ』の山田洋次、『仁義なき戦い』の深作欣二、『犬神家の一族』の市川崑、『マルサの女』の伊丹十三などといった大衆娯楽映画の監督の方が有名なわけです。それがいいとか悪いとか言う話ではないですが。
・なお、夫妻の長男・島尾伸三*42とその妻・潮田登久子氏は写真家で小松健一氏の知人だそうです。
・ちなみに島尾ミホ『海辺の生と死』が映画化され、今年2017年に公開されています(公式サイト:http://www.umibenoseitoshi.net/)。島尾敏雄をモデルとした朔中尉を永山絢斗*43が、島尾ミホをモデルとした大平トエ(主人公)を満島ひかりが演じています。
 なお、島尾敏雄の代表作『死の棘』は1990年に小栗康平監督*44によって映画化されています(こちらは、島尾敏雄岸部一徳が、島尾ミホ松坂慶子*45が演じた)。

【参考】

https://dot.asahi.com/wa/2017091500008.html?page=1
週刊朝日『妻の父に騙されて結婚? 写真家・島尾伸三の家族観』
 夫・島尾伸三は、夫婦の狂気の愛を描いた『死の棘(とげ)』で知られる作家・島尾敏雄の息子で、その小説の「妻」のモデルとなったミホとの間に生まれた。両親の異常な抑圧から逃げるようにフラフラと生きていたが、8歳上の写真家の妻・潮田登久子と出会ってから人生は思わぬ方向へと転がっていった。
(中略)
夫:
 中国の田舎とか香港の下町とか厳しい環境に連れていっても、この人すごくタフだったんですよ。ブタを解体している店の前でごはん食べるのも平気だし、何を食べてもおなかを壊さないし。それまで付き合った女の子はみんな下痢して、匂いが嫌だとか文句ばかり言ったのに、登久子さんは全然大丈夫なの。
(中略)
 私が29か30歳のころで、ようやく一緒に旅行を楽しめる人が現れた、頼もしい人だなってうれしかったですね。
(中略)
 この人、賢くてバランス感覚がいいから、私の両親のことに関してはものすごく助かりましたね。いろいろと。
妻:
 本当にいろいろありましたからね(笑)。島尾の両親のことは知っていたので、義母から叱られることがあっても、それはそれで仕方ないなと思ってました。
夫:
 理不尽なことで怒るんだよね。おみおつけの具が少ないとか。
妻:
 私は江戸っ子の母の料理で育っているので、量より見た目なんですけど、義母はてんこ盛りのほうがいいという価値観でしたから。怒らせてしまうこともありましたけど、こういう人なんだなって、一つひとつ学習していきました。義父は女好きだったので、好みのタイプの女性に対して義母はすごくナーバスだったけど、私は義父の好みじゃなかったから安心していられたというのもあると思います。
夫:
 母に怒られるときは、いつも必ず私と登久子と娘のまほ*46と家族3人一緒に怒られるんですよ。
妻:
 「そこに座りなさい」って言われて正座してね。
夫:
 よく叱られたのは買い物の仕方だね。
妻:
 大根はこのお店、にんじんはあっちのお店と、こだわりがある人だから、「はい、わかりました」って義母の言うとおりにするんです。でも私は適当だから、いいものがなかったら「ありませんでした」と言うんですけど、義妹のマヤさんは見つかるまで探してたよね。絶対、服従
夫:
 大変すぎますよ。一緒にいたら自分を失います。だから本当に、登久子さんには感謝してます。心身ともに健康だから。彼女(母)は子どものころにちゃんとした食事をしていないから体が弱いですし、精神はほとんど病気ですから。ひねくれているし、堪え性がないし、いじわるだし。人の欠点をあげつらうし、あまりいい性格じゃないよね。

https://ameblo.jp/poaa/entry-11870013567.html
■『小高へ:父・島尾敏雄への旅』島尾伸三
 どうにも、こうにも後味の悪い本だった。島尾敏雄の一男、島尾伸三(1948生まれ、写真家)が父、島尾敏雄や虐待ママ、島尾ミホについて書いた本。本書は2008年刊行で、1998年から2008年(作者が六十歳)までに雑誌に発表したものに書下ろしの章を追加したもの。頁数は多くない。特に第四章「小高へ」は福島県相馬郡にある埴谷島尾記念文学資料館*47の会誌に寄稿されたもので、父の出身地である小高を尋ね、島尾敏雄の文学的ルーツを探る文学的紀行を期待したが、案に相違して作者が子供の頃、父親の田舎である相馬郡小高に帰省したさいや、島尾敏雄の死に際しての一家のドタバタなどただの思い出話のエッセイを集めたものだった。
 五十を超えた立派な大人が書いた文章だが何故か小学生のような文体である。

 この作文を私は出版社の注文にしたがって書き始めています。ぼくのおとうさんだということになっている、物書きという文を書いて収入を得る、不思議な職業を生涯の友とした島尾敏雄についての思い出を、何か書かなければならないのですが、この事態は、自発的に書きたいと思ったからではなく、これによって多少の収入を得たいからだけなのです。注文の枚数をとにかく文字でうめさえすれば、幾ばくかの支払いを受けられるはずです。たとえ異常に安い原稿料だとしても、そうではないかもしれませんが、それにすがりつかなければならない無職の私です。

 ネットでの書評を多くの人が書いているが、確かに思い出したくないことなのでこういう文体でないと書けないのかもしれない。
 ヒステリー母さんとネグレクト父さんに育てられた子供たちの逸話がどうにも気持ち悪い。小学生の頃、両親に精神病院に入れられそうになるほど、変な子供だったが、どうにか家から脱出して三十歳で結婚した。ただし、妹(1950年生まれ)のマヤは失語症を発症し、一生、ミホとともに暮らし(一時、別に暮らしていたが母親が取り戻しに来た)2002年、52歳で死去した。

 妹、マヤの死は、十年経っても、私を悲しませるのに充分です。どうして彼女を狂った母の家から救い出せなかったか。
(中略)
 一度は救い出すことに成功したのですが、三年経ったころに、また母に引き戻されてしまい、マヤはそれから八年もしないうちに、骨だけにやせ細って死んでしまいました。

 「死の棘」をまともに読んだ読者なら、「死の棘」の悲劇が実に演劇的というか嘘くさいものに気がつくだろう。例えば統合失調症の発症は百人に一人の割合であると言われている。僕は実際に何人か娘や係累統合失調症になってしまった人を知っている。
 重度の統合失調症になった場合、日常生活は営めず入院して暮らすしかない。
 島尾ミホの場合、狂気に満ちた攻撃性を発揮し、統合失調症の境界域にある症状だったが、その原因は心因性という曖昧なもので、「死の棘」の大騒ぎを九ヶ月やって精神病院に入院したが、その後退院して通常に日常生活を送って、小説を書いて賞まで貰っている。
 またこの小説を読めば、如何に子供達が蔑ろにされているかよく分かる。上の子供・伸三は小学校に入学する頃で、妹のマヤはまだ三、四歳であり、女房は日課のように親父をギャーギャー責めたて、子供を顧みることはない。自分の事しか考えられない人間で自己犠牲とか母性なんてものはない怪物である。この本でマヤのおしめを伸三がとりかえていたという記述もあり気持ちが悪くなってくる。島尾ミホの身勝手さは本家筋の親類がミホと同じ墓に入りたくないので別の墓を作った*48とか色々、書かれている。
 そして、こういう状態を放置していた島尾敏雄の責任もあるんだが、別の機会にいっぱい悪口を書こう。

http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/simao.html
■「死の棘」の子供たち
 「死の棘」というのは、空恐ろしい作品である。
 島尾敏雄は、この作品で夫に浮気をされて精神に異常を来した妻を描いたのだが、普通この種の作品は第一ステージで妻の狂態を描いておいて、第二ステージでは夫婦関係が破綻するか、和解するか、とにかく解決編にたどり着くことになっている。ところが、この作品では妻が夫をなじり、夫が土下座して謝る場面が延々と続き、そのまま最後まで行ってしまうのである。
(中略)
 夫婦には幼い兄妹がいた。一体、子供たちは、昼夜の別なく陰惨な争いを続ける両親をどんな目で見ていただろうか。
 そうした疑問を持っていたから、息子の島尾伸三が父を回顧する本を出したと聞いて早速それを手に入れて読んでみた。「小高へ」と題するこの本には、「父 島尾敏雄への旅」という副題が付いている。
 だが、読み始めて拍子抜けがした。本には、島尾敏雄のことも、その妻である島尾ミホのことも僅かしか触れてなくて、叙述の大半は子供の頃に住んでいた小岩の風物や父のふるさとや親戚のこと、そして高校時代に父と旅した琉球への紀行文で占められていたからだった。
(中略)
 両親が自分たちの問題にかまけて、子供たちに注意を払わなかったから、妹マヤの面倒は二歳年長の伸三が見なければならなかった。
<マヤはどこへ行っても両親の後を追いかけません。だから、私が、おしっこやうんちの世話をしなければならないのです。電車に乗っていても、「おにいちゃん、うんち」って、言うんだもん。>
(中略)
 母は、子供の面倒をあまり見なかったが、夫に死なれ、息子が結婚して独立すると未婚の娘マヤを手元から離さなくなった。精神の安定を欠いている母は、身近に誰か肉親がいないと不安なのだ。母は娘を必要としていながら、自分の要求を娘に押しつけるだけだった。彼女は、以前に夫を責めることで夫を支配していた。今度は、自らの理不尽な要求を娘に押しつけることで娘を支配するのだ。
 だが、著者は母を一方的に断罪してはいない。夫の浮気を知る以前の母は、映画好きの明るい女性だったのである。
<おかあさんの好きなアラン・ラッド主演で、たてつづけに三、四回は見た「シェーン」。
 このころのおかあさんは陽気なものが大好きで、明るい洋画と、トニー谷や兵隊生活を笑いものにした柳家金語楼というコメディアンの主演する映画や、ラジオの落語や漫才を聞くのが大好きでした。おとうさんがお笑い芸人を好きになった1960年ごろには、おかあさんは冗談が判らない人になっていました。>
 だから、著者は別のところに、こうも書いている。
<楽しいことを考えるのが得意だったおかあさんの夢を、片っ端から壊したのは、外出が多くて難しい顔ばかりしていたおとうさんに違いありません。私は今だって「おとうさんのバカ」と、言いたいです。>
(中略)
 最後の章は、「骨」となっている。島尾敏雄の葬儀の場面を取り上げているこの章まで読み進んできて、初めて読者は飢えを充たされたように感じる。島尾家の実像が紙背から浮かび上がってくるからだ。
(中略)
 葬儀が済むと、伸三はすぐ自分の妻子を東京に帰している。理由は、「この家の狂気にどっぷり浸食されないため」だった。すべての親戚縁者が去り、母と二人の子供だけになったとき、母は雨戸を閉め切って、居間の机の上に新聞紙を並べさせた。深夜であった。
 それから母は新聞紙の上に二つの骨壺の中身をあけさせて、形のいい遺骨だけを選び出して綺麗な方の骨壺に入れさせた。命令役は母で、検分役は妹、実行するのは伸三だった。
 伸三は、いつものように母の命令を忠実に実行した。そのあとで、彼は思い切った行動に出るのである。
<おかあさんの顔を見つめながら、私は悲しいふりをして、大きな骨をガリガリと食べてみせました。妹は、迷わずに泣いて食べだしました。ギクッとした表情を慌てて吹き消すと、おかあさんは嫌そうに、小さな骨を捜しだし、それを食べました。>
(中略)
 葬儀の夜、母子三人で死者の骨を食べるという異様な光景は何を語っているのだろうか。
 父を追憶するための本と銘打っておきながら、著者は父についても母についても僅かしか語っていない。彼が顧みて他をいうというような態度を示すのは、酷烈を極めた両親の争いを思い出したくないからだろう。父母のことについて語ろうとすれば、拒否反応が働くのである。
 狂っていた母も、やがて落ち着いて出版社の依頼に応えて本を書き、夫と並んで作家と呼ばれるようになった。母に執筆の依頼が来るようになったのは、父が「島の果て」によって母をメルヘンの中の王女のように美しく描いたからであり、さらに「死の棘」で父が母を並ぶもののない有名な女にしてやったからだった。だが、母はそのへんを誤解して、自分を過大評価している。
 母は父への愛を誇示していた。喜びと悲しみを乗り越え、父への比類のない愛を培った女として世間に自分を売り込もうとしていた。伸三はそうした母に反発を感じながら、これまで抗議する方法を知らなかったのだった。
 伸三がとっさに思いついたのは、父への愛を示すために遺骨を食べてみせることだった。彼は母に、(あなたは、これが出来ますか)と訊ねたのである。彼のたくらみは、「おかあさんの顔を見つめながら、私は悲しいふりをして」骨を食べたという一節に現れている。妹も兄の意図を悟り、躊躇なく骨を食べ始めた。仕方なしに母が嫌々小さな骨を食べたという文章に、してやったりという伸三の気持ちが表れている。
 母に対する伸三の感情は、母が親戚の間で嫌われ者になっていたことを記した文章にも表れている。父の島尾敏雄は、弟と金を出し合って墓を建てた。そして両家から死者が出たら、みなここに葬ることにしていた。この墓に最初に入ったのは島尾敏雄で、続いて妻ミホと娘のマヤがここに葬られた。
 だが、叔父の家族は、ミホが葬られてからは、ミホと同じ墓にはいるのは嫌だといって、生前から別の墓に入ることを決めてしまっていた。伸三はため息混じりに、「わがままの強い人は、良くも悪くも影がおおきいのかもしれません」と書いている。
 母は父の島尾敏雄が特攻艇「震洋」の隊長になり、特攻隊員として死を目前に控えているときに知り合った。彼女は父が出撃するのを見送ってから、断崖から飛び降りて自殺するつもりだった。それほどの思いを寄せていた父との気持ちが結婚後離れはじめたとき、母は絶望の淵に沈んだのだ。
 伸三は、そういう母の気持ちも十分に理解していたから、彼の本には、次のような言葉も載せている。
「おかあさんは、ずっと孤独の恐ろしい海を生きてきた人だと感じました」

 まあ作家として立派だからといって「残念ながら」親として、人間として立派とは限らないつう事ですねえ。
 もちろん島尾伸三氏の両親への恨み辛みが全て事実であるかどうかは分かりませんが全くのウソという事もないでしょう。


【参考の参考】
 島尾伸三氏の

http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/simao.html
 このころのおかあさんは陽気なものが大好きで、明るい洋画と、トニー谷や兵隊生活を笑いものにした柳家金語楼というコメディアンの主演する映画や、ラジオの落語や漫才を聞くのが大好きでした。

という「母・島尾ミホ」に関する回想についての参考情報です。
 なお、
id:Bill_McCrearyさん記事『昨日がトニー谷の生誕100年目の日だった(幼児期の虐待経験が、彼の芸風にも影響を与えたのだと思う)』
http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/ee368b649cc9876c91b581e3651f70ff
でこの部分をご紹介頂きました。ありがとうございます。

トニー谷(1917年〈大正6年〉10月14日〜1987年〈昭和62年〉7月16日:ウィキペディア参照)
・リズムに乗りそろばんを楽器のようにかき鳴らす珍芸が売りで、妙な英単語を混ぜたしゃべりは「トニングリッシュ」と称された。短めのオールバックにコールマン髭、吊りあがったフォックスめがねがトレードマーク。
・後年、赤塚不二夫はマンガ「おそ松くん」にトニーをモデルとするキャラクターを登場させ、「イヤミ」と名づけた。トニー谷のイメージはこの一語に尽きる。
・無礼な芸風の芸人については「しかし舞台裏では礼儀正しかった」というエピソードが語られることが多いが、トニーは舞台裏でも一貫して無礼だった。人気絶頂期は傲慢そのもので、柳家金語楼*49古川ロッパら先輩芸人への敬意が欠け、喜劇人仲間からも反感を持たれていた。そろばんを使った芸も本来は坊屋三郎の芸で、坊屋は芸を無断で使われたことに激怒していたという。1954年6月、大阪の劇場に出ていたトニーは「芸が古い」と新聞で批判されたことに立腹し、「もっと古いのがいるざんショ、アジャパーなんてのが」と叫んだところ、伴淳三郎にそれが発覚して、もめ事に発展したこともある。無名時代の花登筺は、徹夜で新しいギャグを考え脚本を書き上げ持参したが、トニーはそれを読みもせずに「客は君の脚本でくるのじゃない。トニー谷の名前で来るのだ。脚本なんていらない」と花登の目の前で脚本を破り捨てた。花登は後年、このときのことを後に怨念を込めて回想している。ミッキー安川は、デビュー当時、英語を使う芸人が珍しかったためトニーから「お前、この野郎! ちょっと英語しゃべれるからって」と敵視され、いじめを受けたという。
 小林信彦*50の『日本の喜劇人』(1982年、新潮文庫)では、ある芸人がトニーを評した言葉として、「天皇陛下の前に出られない芸人」と紹介している。
 唯一の例外は榎本健一*51であり、榎本はトニーを「生意気だ」と言って怒りつつも、やがてトニーへの風当たりがあまりに強くなると「トニーを慰める会」を自ら率先して催した。このため榎本にだけは一定の敬意を払っていた。後の子息誘拐事件の際にも榎本だけはトニーをかばい、トニーの側でも榎本を信頼していた。
 昭和30年代、東京新橋でみずから経営していたバーに客としてトニーをたびたび迎えていた団鬼六*52は、「私は正直言って、トニー谷の人柄も芸風もあまり好きではなかった。店には伴淳三郎とか殿山泰司*53とか、芸能人がよく来店していたけれど、みんな仲間と来ていた。なのにトニー谷はいつも一人で、ほかの芸能人がいたら帰ってしまう。店の客にもよく喧嘩をふっかけていたし、傲慢で孤立した感じで、なんだか異様だった。自分の生い立ちや過去の話は一切したがらなかった。そういう質問をすると、すぐに怒り出した。コンプレックスも強い人だったのではないか」と語っている。
・トニーは芸人になったとき、芸人以前の過去をすべて封印した。有名人になった後、少年時代の遊び友達から「正ちゃん!(トニーの本名は大谷正太郎)」と呼びかけられても「人違いでしょう」と平然と答えた。軍隊時代の戦友から訪問を受けても門前払いを食わせた。継父と二人の妹から自宅に訪問を受けても、「かねて申し上げてある通り『過去のどなた』ともお付き合いはしておりません。私が有名にならねば訪ねてもこないのに」と冷たく拒絶した。

*1:日本共産党参院議員、党副委員長

*2:鳩山、菅内閣国交相菅内閣外相、民主党政調会長(野田代表時代)、野田内閣国家戦略担当相などを経て民進党代表

*3:鳩山、菅内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相民主党幹事長(海江田、岡田代表時代)、民進党代表代行(前原代表時代)を経て立憲民主党代表

*4:著書『予算議決権の研究:フランス第三共和制における議会と財政』(1995年、弘文堂)、『ほんとうに憲法「改正」していいのか?』(2002年、学習の友社)、『憲法を学び、活かし、守る:強まる危機に立ち向かう』(2013年、学習の友社)など

*5:まあ伊藤哲夫案は一つの参考にはなりますが。

*6:伊藤哲夫のこと。

*7:著書『「憲法神話」の呪縛を超えて』(2004年、日本政策研究センター)、『教育勅語の真実』(2011年、致知出版社)、『明治憲法の真実』(2013年、致知出版社)など

*8:保守とか国民運動とか冗談も大概にして欲しいですね。極右の変人集団に過ぎないのに。

*9:これについては■赤旗『安倍首相改憲発言は「日本会議」のシナリオ、「但し書き」で9条2項を空文化、東京・大田区演説会 志位委員長が告発』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-05-13/2017051301_01_1.html)参照

*10:■リテラ『安倍首相の「9条に自衛隊明記」改憲案は日本会議幹部の発案だった!「加憲で護憲派を分断し9条を空文化せよ」』(http://lite-ra.com/2017/05/post-3147.html)のこと。

*11:救う会会長、モラロジー研究所歴史研究室長。著書『日韓「歴史問題」の真実:「朝鮮人強制連行」「慰安婦問題」を捏造したのは誰か』(2005年、PHP研究所)、『朝日新聞「日本人への大罪」:「慰安婦捏造報道」徹底追及』(2014年、悟空出版)など

*12:日本教育再生機構理事長。著書『明治憲法の思想:日本の国柄とは何か』(2002年、PHP新書)、『日本国憲法とは何か』(2003年、PHP新書)、『本当に女帝を認めてもいいのか』(2005年、洋泉社新書y)、『憲法改正がなぜ必要か』(2013年、PHP研究所)など

*13:日本共産党参院議員

*14:共謀罪関係の著書として『共謀罪とは何か』(共著、2006年、岩波ブックレット)、『「共謀罪」なんていらない?!:これってホントにテロ対策?』(共著、2016年、合同出版)、『新共謀罪の恐怖:危険な平成の治安維持法』(共著、2017年、緑風出版)、『共謀罪は廃止できる』(2017年、緑風出版

*15:著書『自治体のエネルギー戦略:アメリカと東京』(2013年、岩波新書)など

*16:日本共産党北九州市議を経て党衆議院議員

*17:日本共産党福岡県議を経て党衆院議員

*18:日本共産党参院議員

*19:沖縄国際大学教授。著書『沖縄の戦争遺跡』(2017年、吉川弘文館

*20:県史、市町村史はともかく「字史(市町村でまとめてる公的なものか、私的なものかはともかく)」なんてあるんですねえ。「字史」なんて聞いたことがないので一寸びっくりしました。これって「沖縄だけの現象」なんですかね、どうなんでしょう。

*21:戦前、那覇市にあった沖縄を代表する遊郭。1944年(昭和19年)10月10日の空襲(十・十空襲)で焼き尽くされ、遊郭街としての歴史に幕を下ろす。ただし、戦後も歓楽街として発展し、現在はソープランドが多く見られるという(ウィキペ「辻(那覇市)」参照)

*22:これについては例えば浅井春夫『沖縄戦と孤児院』(2016年、吉川弘文館

*23:これについては例えば蟻塚亮二沖縄戦と心の傷:トラウマ診療の現場から』(2014年、大月書店)

*24:これについては例えば洪ユン伸『沖縄戦場の記憶と「慰安所」』(2016年、インパクト出版会

*25:那覇市議、沖縄県議、那覇市長を経て沖縄県知事。著書『戦う民意』(2015年、角川書店

*26:著書『どうする住宅難時代』(1991年、学習の友社)

*27:日本共産党仙台市

*28:著書『破綻:臨海副都心開発ドキュメント・東京を食い荒らす巨大利権プロジェクト』(1995年、あけび書房)

*29:銀行としては「三菱東京UFJ銀行」だがグループ名としては「三菱UFJフィナンシャル・グループ」で「東京」は入らない。

*30:2006年に、東京三菱銀行UFJ銀行(2002年に三和銀行東海銀行が合併して誕生)が合併して誕生。

*31:1998年に経営破綻した日本長期信用銀行長銀)が前身

*32:2012年に『テルマエ・ロマエ』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞。

*33:2014年上半期のNHK連続テレビ小説花子とアン』でヒロイン役に抜擢され、同年12月31日放送の『第65回NHK紅白歌合戦』で紅組司会を務めた。

*34:なお、阿部の出演CMは、三菱東京UFJ銀行カードローン、吉高の出演CMは三井住友銀行カードローン。

*35:著書『現代スポーツ批判』(1996年、大修館書店)

*36:是枝作品での福山の主演はカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞した『そして父になる』(2013年公開)に続き2度目

*37:Shall we ダンス?』(1996年)、『うなぎ』(1997年)で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞。

*38:というのはあくまでも民事訴訟の話であって、刑事訴訟はまた違うと思いますが。日本の場合、米国と違い司法取引制度もないですし。

*39:著書『カラー版・写真紀行 三国志の風景』(1995年、岩波新書)、『カメラ紀行 文学の風景をゆく』(2010年、PHPエル新書)、『写真紀行 心に残る「三国志」の言葉』(2015年、新潮社)など

*40:1917〜1986年。著書『死の棘』、『「死の棘」日記』、『魚雷艇学生』、『出発は遂に訪れず』(新潮文庫)、『島の果て』(集英社文庫)など。

*41:1919〜2007年。夫・島尾敏雄の代表作『死の棘』(新潮文庫)に登場する「妻」のモデルとされる。1975年に『海辺の生と死』(後に、中公文庫)で田村俊子賞を受賞。

*42:著書『香港市民生活見聞』(1984年、新潮文庫)、『絵本 中華食三昧』(1986年、旺文社文庫)、『中華図案見学』 (1989年、新潮文庫)、『中国茶読本』(1996年、平凡社)、『風の地図:島尾伸三のアジア漫歩』(1997年、メタローグ)、『星の棲む島』(1998年、岩波書店)、『マカオで道草』(潮田登久子氏との共著、1999年、大修館書店)、『月の家族』(2002年、角川文庫)、『東京〜奄美:損なわれた時を求めて』(2004年、河出書房新社)、『小高へ:父・島尾敏雄への旅』(2008年、河出書房新社)など

*43:2010年、『ソフトボーイ』で映画初主演し、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞

*44:1981年に、宮本輝原作による『泥の河』を発表。キネマ旬報ベスト・テン第1位に選出され、第5回日本アカデミー賞で最優秀監督賞を受賞した。

*45:1981年に『青春の門』(五木寛之原作)、『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』で、1982年に『蒲田行進曲』(つかこうへい原作)、『道頓堀川』(宮本輝原作)で、1990年に『死の棘』で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。

*46:マンガ家、イラストレーターのしまおまほのこと。著書『まほちゃんの家』(2007年、WAVE出版)、『漫画真帆ちゃん』(2007年、KKベストセラーズ)、『マイ・リトル・世田谷』(2014年、スペースシャワーネットワーク)など

*47:「埴谷」とは埴谷雄高のこと。記念館の公式サイトはhttp://www.city.minamisoma.lg.jp/index.cfm/32,html

*48:「親族が別の墓をつくる」も何も「親子・兄弟でもないのに同じ墓」なんて俺は聞いたことがありませんが。奄美諸島はそういう文化なのか?

*49:日本喜劇人協会二代目会長

*50:著書『現代「死語」ノート』(1997年、岩波新書)、『一少年の観た「聖戦」』(1998年、ちくま文庫)、『天才伝説 横山やすし』(2001年、文春文庫)、『回想の江戸川乱歩』(2004年、光文社文庫)、『テレビの黄金時代』(2005年、文春文庫)、『黒澤明という時代』(2012年、文春文庫)、『おかしな男 渥美清』(2016年、ちくま文庫)など。

*51:日本喜劇人協会初代会長

*52:著書『真剣師小池重明の光と影』(2002年、小学館文庫)など

*53:著書『三文役者のニッポンひとり旅』、『三文役者の無責任放言録』(2000年、ちくま文庫)、『三文役者のニッポン日記』(2001年、ちくま文庫)など