新刊紹介:「歴史評論」1月号

★特集『はじめて学ぶ日本近世史』
・詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。小生なりに紹介できる内容のみ紹介します。
■巻頭言「歴史認識の歪みを許すまい」(池享*1
(内容紹介)
 タイトルで見当がつくでしょうが安倍政権以降深刻な歴史修正主義の問題が批判的に触れられています。具体的には南京事件慰安婦軍艦島端島炭鉱)での朝鮮人強制連行、「関東大震災での朝鮮人虐殺」、「安倍政権の明治150年記念式典の動き(もちろんモデルにされているのは佐藤栄作*2政権の明治100年記念式典)」といったところです。

参考
南京事件
人民日報
■「南京大虐殺」は抗日戦争時すでに国内外の認める戦時暴挙だった
http://j.people.com.cn/n3/2017/1212/c94474-9303500.html
南京大虐殺犠牲者国家追悼式 兪正声*3全国政協主席がスピーチ
http://j.people.com.cn/n3/2017/1213/c94474-9304143.html
赤旗
■これが歴史の真実 成り立たない「靖国」派の言い分、南京大虐殺は「なかった」 百田発言は世界の非常識
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-03-06/2014030601_03_1.html
■政府 南京大虐殺否定派*4ユネスコ会合に同行
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-11-10/2015111001_03_1.html
南京大虐殺 歴史の事実、参院委で田村智子議員 否定派学者の派遣 批判
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-12-12/2015121202_02_1.html
■2015 とくほう・特報『旧日本軍関係者が語る南京大虐殺、恥ずかしい安倍政権の反発』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-12-13/2015121307_01_0.html
■産経【「南京事件」から80年】「南京戦の真実を追求する会」が集会 稲田朋美*5元防衛相らが講演「いわれなき非難に断固反論する」
http://www.sankei.com/world/news/171214/wor1712140011-n1.html


慰安婦
赤旗
■“「慰安婦」強制はない”自民・稲田政調会長が暴言
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-02-26/2015022602_02_1.html
桜田*6元文科副大臣慰安婦はビジネスだ」、日韓合意否定の暴言
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-01-15/2016011501_03_1.html
■日本政府「慰安婦」強制連行を否定、国連委で強い批判、女性差別の撤廃を審議
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-02-18/2016021801_07_1.html
産経
■【歴史戦】慰安婦問題で「日本の謝罪、補償を」 国連人権理事会 暫定報告書に記載
http://www.sankei.com/world/news/171116/wor1711160059-n1.html
■【歴史戦】サンフランシスコ市、慰安婦像の寄贈受け入れ 市長が文書に署名
http://www.sankei.com/world/news/171123/wor1711230010-n1.html
■【歴史戦】新たな慰安婦碑設置へ 米ニュージャージーで区議会が全会一致で可決
http://www.sankei.com/world/news/171215/wor1712150039-n1.html


軍艦島端島炭鉱)での朝鮮人強制連行】
■産経【歴史戦】韓国、日本政府に「遺憾」 軍艦島ユネスコ報告、「強制労働の犠牲者らしのぶ後続措置」も要求
http://www.sankei.com/world/news/171205/wor1712050034-n1.html


関東大震災での朝鮮人虐殺】
赤旗
関東大震災時の朝鮮人虐殺、追悼文 速やかに送付を、共産党都議団 小池*7知事に要請
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-30/2017083001_02_1.html
朝鮮人虐殺 追悼の式典、関東大震災94年 都知事の対応批判
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-09-02/2017090201_08_1.html
関東大震災での朝鮮人虐殺 数千人が犠牲、今に至るも調査しない政府、歴史的事実を“隠ぺい”
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-09-02/2017090202_01_1.html
東京新聞朝鮮人虐殺解説 英訳パネル変更 「容赦なく惨殺」→「暴行・殺傷した」』
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201711/CK2017111102000257.html


【明治150年記念式典】

https://mainichi.jp/articles/20170210/dde/012/010/002000c
毎日新聞・特集ワイド『「明治礼賛」でいいのか 政府は来年「150年記念事業」を大々的に計画』
 まず、政府の各府省庁連絡会議が「『明治150年』関連施策の推進について」(A4判3ページ)と題してまとめた文書の概要を見てほしい=表参照。
 「基本的な考え方」の一つは「明治以降の歩みを次世代に遺(のこ)す」。もう一つは「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ」。作家の半藤一利さん*8 は「これではトランプ米大統領の発想と同じで『ジャパン・ファースト』。ナショナリズムを鼓舞するのは非常によくない」。
(中略)
 明治時代の庶民の暮らしについて、半藤さんは「税金を払うのにどれだけ苦労したことか」と思いをはせる。1873年実施の「地租改正」では、地価の3%(後に2・5%)の税金を納付することが義務づけられ、払えない農民は小作人に転落した。「格差の拡大」である。反発した農民による一揆が各地で起きた。半藤さんは「国家をつくってきた庶民の暮らしぶりは、政府の明治150年に関する『基本的な考え方』に全く反映されていません」と話す。
(中略)
 明治を生きた女性の立場はどうだったのか。同志社大大学院教授の佐伯順子さん*9(メディア学)は「明治前半までは女子教育の発達や女性解放論の台頭などプラス面がありますが、後半に女性の役割を家事、育児に限定するいわゆる『良妻賢母』主義が強まり、活動範囲はせばめられました。前半と後半の違いを注意深く見る必要があります」と説明する。
 佐伯さんによると、1872年の学制公布で男女とも義務教育を受けられるようになったのは大きな前進だった。政府は、後の津田塾大を創立する津田梅子ら女性を留学させるなどの施策も取った。女性誌が多く発刊され、世間は「女性も活躍する社会に」と盛り上がった。しかし、政府が女性教育に力を入れた目的は、男子の立身出世を支える母親になるため。高等女学校令では、良妻賢母を育成するとの目標が明記され、裁縫、家事など女性だけのカリキュラムが導入された。
 佐伯さんは「この背景に国民皆兵制があります。政治、経済、社会を動かす公的領域が男性中心となり、女性に『銃後の守り』を求める発想から、女性が活躍できる職業は教職や看護職などに限られるようになっていきます」と話す。つまり、男女平等の考え方に基づいた政策ではなかったわけだ。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12791709.html
朝日新聞社説『明治150年 歴史に向きあう誠実さ』
 来年は明治元年から数えて満150年にあたる。
 政府は記念の施策を行うことを決め、明治期に関する文書・写真の収集とデジタル化、活躍した若者や女性の発掘、ゆかりのある建築物の公開などにとり組むよう、各省庁に指示した。
 気になるのは、全体をつらぬく礼賛ムードだ。
 政府は「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ」とうたう。「明治の精神」とは何か。列記されているのは機会の平等、チャレンジ精神、和魂洋才だ。
 たしかに(ボーガス注:近代化によって)江戸時代に比べ、人々の可能性は広がった。一方で富国強兵の国策の下、生命を失い人権を侵された内外の大勢の市民、破壊された自然、失われた文化があるのも事実だ。
 歴史の光の部分のみ見て、影から目を背けるのはごまかしであり、知的退廃に他ならない。
 復古色が批判を浴びた佐藤栄作内閣の明治100年記念の時でさえ、政府が行事などにのぞむ際の姿勢を記した文書には、「過去のあやまちについては謙虚に反省」の一文があった。
 だが今回、そうした言及は一切ない。「坂の上の雲」を追いかけ、近代化をなしとげた歩みだけが強調されている。
 関連で注意すべき動きもある。文化の日を「明治の日」に改称させようという運動だ。
 11月3日はもとは明治天皇の誕生日だ。文化の日などという「曖昧(あいまい)な祝日」はやめ、明治を追憶する日にしよう――。そう唱える人たちの集会に出席した稲田防衛相は、「神武天皇の偉業に立ち戻り、伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神。それを取り戻すべく頑張ろう」とあいさつした。

https://dot.asahi.com/aera/2017080700049.html?page=1
アエラ『「明治時代の精神に学べ」ブームの危険な罠』
 「明治維新」を前面に打ち出すのが、明治政府樹立を牽引した薩長土肥((ボーガス注:大久保利通*10西郷隆盛*11らの)薩摩・(ボーガス注:木戸孝允*12伊藤博文*13山県有朋*14井上馨*15らの)長州・(ボーガス注:板垣退助*16後藤象二郎*17らの)土佐・(ボーガス注:江藤新平*18大隈重信*19らの)肥前)、現在の鹿児島、山口、高知、佐賀の4県だ。4県の知事は2年前、「平成の薩長土肥連合」の「盟約」を締結。以降、明治150年に向け「幕末・維新」をテーマに広域観光プロジェクトに取り組む。10月には都内で「薩長土肥フォーラム」を開催予定だ。事務局を担う山口県の担当者は言う。
 「東京一極集中や人口減少といった難題が山積する中、地域の特性をPRできるチャンスと捉えています。地方創生の時代ですので観光をメインに4県で発信し、相乗効果で全国の注目度をアップさせたい」
 一方、「明治翼賛の最大の問題は、自国に不都合な歴史的事実の忘却です」と話すのは、鹿児島大学の木村朗*20教授(平和学・国際関係論)だ。
 欧米列強の植民地にされる危機感から日本は明治期に軍備拡張路線を選択し、「アジアで唯一の帝国主義国家」になった。それが、アジア諸国への「侵略」と「植民地支配」という結果を導いた。この歴史の連なりを、礼賛一色の単層では評価できない、と木村氏は言う。
 「明治維新の歪みは、長州・薩摩藩を中心とする新政府軍から『賊軍』の汚名を着せられ過酷な弾圧を受けた会津藩の悲劇や、アイヌ琉球に対する徹底的な差別と一方的な犠牲の強制という問題にも見られます」(木村氏)
(中略)
 「白河戊辰150周年記念事業」に取り組む福島県白河市の担当者は言う。
 「まずは白河戦争(白河口の戦い)を地元の人々や子どもたちに周知・継承するのが目的です。対外的なアピールも図りたい」

・是非はともかく「戦前賛美の安倍」「観光目的の自治体」では微妙なずれがあるわけです。

http://www.asahi.com/articles/ASKC75G77KC7UTIL04F.html
朝日新聞『来年の福井国体「明治150年」の冠称 スポーツ庁打診』
 スポーツ庁福井県に検討を依頼した。県によると、福井では50年前の1968年にも国体が開かれ、「明治百年記念」と冠した「実績」があったことから、今回も前向きに考えてほしいとの要請だったという。
 計画が明るみに出ると、「明治」に反応した市民から疑問の声が上がった。県労連や県高教組など7団体は「明治は当初から対外膨張的な志向を強く持った時代であり、それがアジア太平洋戦争の惨禍に結びついた」などとして、県に反対を申し入れた。8月23日に開かれた県の実行委員会でも、「明治は戦争を思い起こさせる」「スポーツと明治は関係がない」などの反対意見が出た。
 だが、賛成意見もあった。
「記念と銘打つことで県民の意識が醸成される」「後々まで記憶に残りやすい」。
 結局、拍手や「異議なし」などの声が出て賛成多数で承認された。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2017112100632
時事通信「明治150年で「記念邸園」=来年10月に公開−政府」
 政府は21日の閣議で、2018年が明治元年から150年となるのに合わせ、神奈川県大磯町にある初代首相・伊藤博文の旧邸宅などを「明治記念大磯邸園」(仮称)として整備し、保存・活用を図ることを決定した。18年10月の一部公開を目指す。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22186860S7A011C1LC0000/
日経新聞『明治150年で「観光維新」 山口県とJR西』
 山口県JR西日本は12日、同県への観光客誘致を進める「観光維新」プロジェクトを2018年から始めると発表した。同年は明治維新から150年となる記念の年で、山口県を題材にした様々な観光やPRのためのキャンペーンを国内外に向けて発信する。
 同日、村岡嗣政知事と来島達夫社長が東京で「観光維新共同宣言」の宣言書を交わした。両者は明治維新関連の歴史、文化や観光地にまつわるプロモーションや旅行商品、食事メニュー、弁当などの開発を進める。

 「繰り返しますが」「是非はともかく」明治150年を観光などに利用しようという動きもあるわけで話は安倍の思惑「戦前賛美」だけでは必ずしも無いわけです。


■はじめて古文書を読む人のために(野尻泰弘*21
■はじめて近世史料集を使う人のために(山口和夫*22
(内容要約)
 市販の古文書読解テキストでもある程度の独学はできるがやはり「指導者がいる方が安心できる」と指摘されている。
 もちろん大学進学前の高校生ならば「文学部史学科」を目指すという方法がある。
 一般の大人でも図書館や博物館が行っている古文書読解講座があるのでそうした物に参加すると良い。
 「古文書読解」でググる
東京都公文書館『古文書解読チャレンジ講座』
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0703kaidoku.htm
静岡県立中央図書館『くずし字解読講座 テキスト一覧(古文書解読)』
http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/contents/history/kuzushi.html
などがヒットするので参考にできる。
 

■近世都市の成り立ち(上田長生*23
(内容紹介)
 近世都市について学ぶにおいて「絵図面」の重要性が指摘されている。
 なお、近世都市の種類としては城下町、港町、宿場町、鉱山町、門前町があげられる。


■「民間宗教者」が居た近世:近世宗教者研究の方法と課題(梅田千尋*24
(内容紹介)
 『「民間宗教者」が居た近世?。じゃあ現代には「民間宗教者」はいないのか?』と思う方もいるでしょう。
 実はその通りです。ここで筆者が言う民間宗教とは「国教でない」という意味ではなく「教義や教団組織をもたずに地域共同体に機能する庶民信仰のことで、個人の自覚的入信にもとづく創唱宗教とは異なる(ウィキペディア)」「教義とか教団組織をもたないで地域共同体に機能する庶民信仰(コトバンク)」という特殊な概念だからです。「青森のイタコ」など一部例外を除けば現代日本には民間宗教は存在しないでしょう。
 筆者の理解では江戸時代に存在した民間宗教者としては陰陽師御師、願人(願人坊主)、虚無僧などがあげられるそうです。

参考

陰陽師(ウィキペ参照)
 古代日本の律令制下において中務省陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする官人を指すが、中世以降は民間において個人的に占術等を行う者をも指すようになった。
武家社会の台頭と官人陰陽師の凋落
 応仁の乱以降、下克上の風潮が広まると、武家たちは生き残りに必死で、形式的に用いていた陰陽道はことさら重視せず、相次ぐ戦乱によって陰陽師の庇護者である朝廷のある京も荒れ果てた。この結果、平安朝以来の宮廷陰陽道は完全にその実態を失うこととなった。
 律令制の崩壊により官人としての陰陽師はその存在感を喪失したものの、逆にそれまで建前上国家機密とされていた陰陽道は一気に広く民間に流出し、全国で数多くの民間陰陽師が活躍した。このため、中近世においては陰陽師という呼称は、もはや陰陽寮の官僚ではなく、もっぱら民間で私的依頼を受けて加持祈祷や占断などを行う非官人の民間陰陽師を指すようになり、各地の民衆信仰や民俗儀礼と融合してそれぞれ独自の変遷を遂げた。 
■近世における官人陰陽師の再興と民間陰陽師の興隆
 1603年に江戸幕府が開かれると、民間信仰を統制する目的で幕府は土御門家を正式に陰陽道宗家として認めた。
 この結果、土御門家は江戸幕府から唯一全国の陰陽師を統括する特権を認められることに成功し、各地の陰陽師に対する免状(ただし、あくまで陰陽師としてではなく「陰陽生」としての免許)の独占発行権を行使して、公認の家元的存在となって存在感を示すようになり、土御門家はその絶頂期を迎えることとなった。
■近代における陰陽師排除政策と現代の陰陽師
 明治新政府は明治3年(1870年)に陰陽寮廃止を強行し、その職掌であった天文・暦算を大学・天文台、または海軍の一部に移管した。この結果、天文道・陰陽道・暦道は完全に土御門家の手から離れることとなった。明治3年(1870年)12月9日には天社禁止令(天社神道禁止令)が発せられ、陰陽道は迷信であるとして民間に対してその流布が禁止された。古くは(ボーガス注:豊臣秀吉政権時代の)後陽成天皇のころから江戸時代最後の天皇である孝明天皇の代まで必ず行われてきた、天皇の代替りのたびに行われる陰陽道儀礼「天曹地府祭(六道冥官祭)」も、明治天皇に対してはついに行われなかった。土御門家は陰陽諸道を司る官職を失い、免状独占発行権をも失うこととなり、各地の民間陰陽師への影響力を奪われることとなった。
 第二次世界大戦後、旧明治法令・通達の廃止にともない陰陽道を禁止する法令が公式に廃止されて以降、かつて陰陽師が用いていた六曜(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口のこと)が、カレンダーや手帳のスケジュール表示の一部として広く一般に用いられているようになっているが、現在では、自分自身の行動指針全般を陰陽道または陰陽師の術式に頼る人はほとんど見られず、かつて興隆を誇った陰陽道または陰陽師の権威の面影はない。土御門家が福井県おおい町(旧名田庄村)に天社土御門神道本庁の名で陰陽家として存続しているほか、高知県香美市(旧物部村)に伝わるいざなぎ流などの地域陰陽師の名残が若干存続しているのみである。

■土御門晴榮(つちみかど・はれなが、1859年6月30日(安政6年6月1日)〜1915年(大正4年)10月16日:ウィキペ参照)
 天文・暦道・陰陽道を家業とする土御門家の当主。しかし明治に入ると、明治新政府の方針によって土御門家伝来の特権を次々と失うことになった。晴栄は、1884年明治17年)7月8日の華族令に基づき子爵に叙された。


■「境界地域」蝦夷地の眺め方(松本あづさ)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

https://mainichi.jp/articles/20180111/k00/00m/040/110000c
毎日新聞『東大研究チーム、アイヌ宛て最古の古文書 ロシアで発見』
 江戸時代後期の1778(安永7)年に当時の松前藩*25から北海道東部のアイヌ民族の有力者に宛てた文書の原本が、ロシアのサンクトペテルブルクに残されていた。
 東京大史料編纂(へんさん)所などの研究チームの調査で見つかった。240年前に松前藩からアイヌ民族に手渡された最古のオリジナル文書とみられ、アイヌ民族とロシアとの接点を示すものとしても注目される。
 文書は松前藩の「蝦夷(えぞ)地奉行」から、根室半島先端に近い「ノッカマップ」(現在の北海道根室市)を拠点としていたアイヌ民族の有力者「ションコ」に宛てたもの。交易に使われる施設の「運上小家」の火の用心に努めよ▽和人の漂流船が漂着した際は、この文書を見せて介抱の上、送り届けよ−−など4項目を「定(指示)」とし、背いた者は厳罰に処すとしている。
 文書は東京大史料編纂所などの研究チーム(代表、保谷*26・東京大史料編纂所教授)が2016年10月、ロシア国立サンクトペテルブルク図書館で発見した。松前藩の文書は幕末や明治初期の混乱などでほとんど残っていないため貴重だ。
 共同研究者で北海道博物館の東俊佑(あずま・しゅんすけ)学芸主査(近世史)は「原本としては最も古いものとみられる。発見の経緯から、鎖国の時代にアイヌの手から蝦夷地を訪れたロシア人に文書が渡り、それがロシアで見つかったことになる。その点に意義がある」と話している。
 この文書から11年後の1789年、過酷な労働環境などに不満を持ったアイヌ民族が蜂起し、和人71人を殺害した「クナシリ・メナシの戦い」が発生。弓矢の名人でもあったションコは戦いを終息に導いた一人として、松前藩家老で画家の蠣崎波響(かきざきはきょう)の「夷酋(いしゅう)列像」(12枚)の1枚に描かれている。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180108/k10011281571000.html
NHK松前藩からアイヌ有力者宛てに出された文書 ロシアで発見』
 今から240年前の江戸時代に松前藩からアイヌの有力者に宛てて出された公式文書がロシアで見つかり、調査に参加した専門家は「公式文書の原本としては、最も古いものと見られ、貴重な発見だ」と話しています。
 この文書は、東京大学史料編纂所がロシアのサンクトペテルブルクで行った調査で見つかりました。
 文書は240年前の1778年、安永7年7月に松前藩の「蝦夷地奉行」から現在の根室市にあった「ノッカマップ」というアイヌの集落の有力者、「ションコ」に宛てて出されました。
 文書ではションコに対して、アイヌの人と和人が交易などを行う拠点施設の「運上小家」の管理を徹底することや、和人が海で遭難したときは手当てをしたうえで、周辺のアイヌの集落と協力して松前藩まで送り届けることなどを求めています。
 北海道博物館によりますと、松前藩の文書は幕末の混乱などで多くが失われていて、今回の文書は、松前藩からアイヌの有力者に宛てて出された公式文書の原本としては、最も古いものと考えられるということです。
 調査に参加した北海道博物館の東俊佑学芸主査は「松前藩が、北海道東部へ支配を及ぼした時期を解明するうえで貴重な資料で、なぜロシアに残されていたのかなどについても、今後調べていきたい」と話しています。


■歴史の眼『歴史研究者からみた千葉県文書館問題』(宮間純一*27
(内容紹介)
 多くの公文書を誤廃棄した千葉県公文書館のずさんな管理を批判する一方で、「公文書をどう管理するのか、どう歴史学に生かしていくのか」を今まで歴史学会は十分議論してこなかったのではないかという反省の弁が語られている。
 なお、宮間氏がいうように「全ての公文書を保存すること」はマンパワー的、スペース的、予算的に困難であり一定の廃棄はやむを得ないだろう。
 問題は「歴史学上、重要な文書が廃棄されないようにすること」、あるいは(歴史学とは問題が異なるが)「南スーダンPKO日報問題」「加計森友問題」で明らかになったように「政治家や官僚に都合の悪い文書が廃棄されないようにするにはどうしたらいいか」という話だろう。
 吉見義明氏*28慰安婦研究なども政府公文書によって進められてきた面も大きいかと思う(それオンリーではないが)。

参考
【千葉県公文書館問題ほか】
産経
■千葉県文書館が戦争関連公文書を誤廃棄 遺族台帳など91冊
http://www.sankei.com/affairs/news/170408/afr1704080009-n1.html
■千葉県文書館の歴史的公文書誤廃棄 館長ら2人に訓告処分
http://www.sankei.com/region/news/170819/rgn1708190036-n1.html
毎日新聞『千葉県文書館:公文書の重要さ、理解不足で誤廃棄』
https://mainichi.jp/articles/20170420/ddm/004/010/079000c
毎日新聞『クローズアップ2016:公文書管理 ずさんな点検 政府の「紙くず箱」 国立公文書館前館長・高山正也氏*29に聞く』
https://mainichi.jp/articles/20161211/ddm/003/010/057000c


【安倍政権下の公文書問題】
■現代ビジネス『なぜ安倍政権の「公文書隠し」は起きたのか、ゼロから解説する:森友・加計・PKO日報問題の本質』(三木由希子*30
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53433
■ハフィントンポスト日本版『公文書を隠蔽すれば「国家が死ぬ」: 歴史家・磯田道史さん*31が危惧する日本政治のおかしさ』
http://www.huffingtonpost.jp/2017/09/03/michifumi-isoda-03_a_23195349/
毎日新聞『記者の目:加計問題で問われる公文書管理』大場弘行(東京社会部)
https://mainichi.jp/articles/20170615/ddm/005/070/011000c
西日本新聞・社説『公文書新指針案 隠蔽や改ざんを防げるか』
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/377558/
赤旗
■公文書管理 専門職員育成検討を、内閣府委提言 藤野議員主張盛る
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-03-28/2016032802_03_1.html
■公文書管理法改正案、6野党が共同提出
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-12-06/2017120602_02_1.html


【公文書と歴史学
赤旗『「慰安婦」文書182点入手、軍関与と強制連行 明白、紙議員「解決へ全力」』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-27/2017042714_01_1.html
朝日新聞『「不当な政治介入を排除できる」福田康夫*32元首相語る、記録を残す意味とは』
http://globe.asahi.com/feature/side/2017090400001.html

 公文書管理法の制定に取り組んだ福田康夫元首相に、その背景と現在の日本の状況をどうとらえているかを聞いた。
(中略)
■福田
 (ボーガス注:公文書管理をきちんとすれば)そうすれば、不当な政治の介入などを排除できる。「それはできない、記録に残りますよ」と一言言えばね、政治家だってむちゃなことは言わないですよ。そう考えれば、役人を守るためにあるんだと考えてもおかしくない。

 どう見ても安倍への皮肉ですね、解ります。

■記者
 特定秘密保護法ができて、秘密指定をすればどんな資料があるかも分からなくなった。官僚にとってやりやすくなったのでは
■福田
 秘密指定をしても、永久(非開示)なんてことはほとんどないと思う。いつか開示されて分かる。だから適当なことを言っても、いずれ分かるよ、恥をかくだけだよということ。
■記者
 東日本大震災の後、政府の原子力災害対策本部をはじめとする組織の会議の多くで議事録が作られていなかった
■福田
 管理法は11年4月1日施行。震災は3月に起こったが、あと3週間で施行されるんだから、法律の趣旨にのっとってやっていないといけない。それなのにいい加減にやっていた。自分たちの混乱ぶりを記録として残したくないということでしょう。でも混乱があったのであれば、むしろその混乱ぶりを知ってもらったほうがいい。将来の参考になる。
■記者
 記録をきちんと残すことは、外国との関係で何を意味するか
■福田
 日本は事実を積み重ねてきた国ということになれば、日本を信用しないといけなくなる。逆に都合の悪いものは隠しているんじゃないかと思われたらおしまいだ。日本は戦争が終わったときに(ボーガス注:戦犯追及されかねない)軍部に都合の悪い資料は燃やしてしまったことがあるから、信用されていないところがあるんだろうと思う。名誉挽回するためには相当の年月、積み重ねが必要だ。でも、いま取り組んでいるようなやり方を続けていけば国際的な評価は、「日本は信用できる」と変わってくると思う。

*1:著書『戦国・織豊期の武家天皇』(2003年、校倉書房)、『知将・毛利元就』(2009年、新日本出版社)、『戦国期の地域社会と権力』(2010年、吉川弘文館)など

*2:吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、池田内閣通産相などを経て首相

*3:青島市長・党委員会書記、建設大臣湖北省党委員会書記などを経て全国政協(中国人民政治協商会議全国委員会)主席(前党中央政治局常務委員)

*4:つくる会副会長の極右活動家・高橋史朗(明星大教授)のこと

*5:第二次安倍内閣行革相、自民党政調会長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣防衛相を歴任

*6:第二次安倍内閣で文科副大臣

*7:小泉内閣環境相、第一次安倍内閣防衛相、自民党総務会長(谷垣総裁時代)を経て都知事

*8:著書『ノモンハンの夏』(2001年、文春文庫)、『“真珠湾”の日』(2003年、文春文庫)、『決定版 日本のいちばん長い日』(2006年、文春文庫)、『聖断:昭和天皇鈴木貫太郎』(2012年、文春文庫)、『幕末史』(2012年、新潮文庫)、『「昭和天皇実録」にみる開戦と終戦』(2015年、岩波ブックレット)など

*9:著書『遊女の文化史』(1987年、中公新書)、『「愛」と「性」の文化史』(2008年、角川選書)、『「女装と男装」の文化史』(2013年、講談社選書メチエ)など

*10:参議、大蔵卿、内務卿を歴任。紀尾井坂の変で暗殺される。

*11:参議、陸軍大将、近衛都督。後に西南戦争を起こし戦死。

*12:参議、内務卿を歴任

*13:首相、貴族院議長、枢密院議長、韓国統監など歴任。元老の一人。民族活動家・安重根によって暗殺される。

*14:伊藤、黒田内閣内務相、首相、枢密院議長、参謀総長など歴任。元老の一人。

*15:第一次伊藤内閣外相、黒田内閣農商務相、第二次伊藤内閣内務相、第三次伊藤内閣蔵相など歴任。元老の一人。

*16:伊藤、松方、大隈内閣で内務相

*17:伊藤内閣農商務相、黒田、山県、松方内閣逓信相など歴任

*18:参議、司法卿。後に佐賀の乱を起こし刑死。

*19:伊藤、黒田、松方内閣外相、首相など歴任。早稲田大学創始者

*20:著書『危機の時代の平和学』(2006年、法律文化社)、『市民を陥れる司法の罠:志布志冤罪事件と裁判員制度をめぐって』(2011年、南方新社)など

*21:著書『近世日本の支配構造と藩地域』(2014年、吉川弘文館

*22:著書『近世日本政治史と朝廷』(2017年、吉川弘文館

*23:著書『幕末維新期の陵墓と社会』(2012年、思文閣出版

*24:著書『近世陰陽道組織の研究』(2009年、吉川弘文館

*25:当時の蝦夷地(北海道)では農耕は不可能であり、藩の財政基盤は蝦夷地のアイヌとの交易独占にあり、農業を基盤にした幕藩体制の統治原則にあてはまらない例外的な存在であった(ウィキペ「松前藩」参照)。

*26:著書『幕末日本と対外戦争の危機:下関戦争の舞台裏』(2010年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)など

*27:著書『国葬の成立:明治国家と「功臣」の死』(2015年、勉誠出版)、『戊辰内乱期の社会』(2016年、思文閣出版

*28:著書『従軍慰安婦』(1995年、岩波新書)、『毒ガス戦と日本軍』(2004年、岩波書店)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(2010年、岩波ブックレット)、『焼跡からのデモクラシー:草の根の占領期体験(上)(下)』(2014年、岩波現代全書)など

*29:著書『歴史に見る日本の図書館』(2016年、勁草書房)など

*30:NPO法人「情報公開クリアリングハウス」理事長。著書『社会の「見える化」をどう実現するか:福島第一原発事故を教訓に』(共著、2016年、専修大学出版局)、『情報公開と憲法』(共著、2017年、白順社

*31:著書『武士の家計簿:「加賀藩御算用者」の幕末維新』(2003年、新潮新書)、『天災から日本史を読みなおす:先人に学ぶ防災』(2014年、中公新書)など

*32:森、小泉内閣官房長官を経て首相