新刊紹介:「歴史評論」4月号

・詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。小生なりに紹介できる内容のみ紹介します。
特集『日本中世の神道的世界を探る』
■中世神道・中世日本紀研究の現状(伊藤聡)
(内容紹介)
・論文タイトルの「中世日本紀」についてウィキペ「中世日本紀」を紹介しておきます。

■中世日本紀(ウィキペ参照)
 日本中世において、『日本書紀』等に基づきながらも主に本地垂迹説などに則り多様に解釈・再編成された神話群の総称、あるいはそのような解釈・再編成の動きを指す学術用語である。前者については、中世神話とも呼ばれる。
 中世日本紀では、記紀の神々が仏教の諸天諸仏と同一視されることが多く、神仏が同じ舞台で対等に渡り合うなど、中世における両部神道*1山王神道などによる神仏習合思想を下敷きにした神話が語られている。また、そうでないものにあっても仏教の影響を受けた神話の解釈が見られる。主に歌学書、軍記物、寺社縁起などにおいて記述されているため、統一的・体系的な文献は存在せず、豊富なバリエーションが残されている。

・『中世天照大神信仰の研究』(2011年、法藏館)、『神道の形成と中世神話』(2016年、吉川弘文館)、『神道とは何か』(2017年、中公新書)といった著書のある筆者によって最近の研究成果が紹介されている。
 いくつか紹介されている著書名だけ挙げておく。
【研究書】
・勝山清次『中世伊勢神宮成立史の研究』(2009年、塙書房
・白山芳太郎*2北畠親房*3の研究』(1998年、ぺりかん社)、『神道説の発生と伊勢神道』(2010年、国書刊行会
菅原信海*4山王神道*5の研究』(1992年、春秋社)、『神仏習合思想の研究』(2005年、春秋社)、『日本仏教と神祇信仰』(2007年、春秋社)
・鈴木英之『中世学僧と神道:了誉聖冏*6の学問と思想』(2012年、勉誠出版
・高橋美由紀『伊勢神道*7の成立と展開(増補)』(2010年、ぺりかん社)、『神道思想史研究』(2013年、ぺりかん社
・出村勝明『吉田神道*8の基礎的研究』(1997年、臨川書店)
・平泉隆房*9『中世伊勢神宮史の研究』(2006年、吉川弘文館
・藤森馨平安時代の宮廷祭祀と神祇官人』(2000年、大明堂
・牟禮仁*10『中世神道説形成論考』(2000年、皇學館大学出版部)

【一般向け】
・井上寛司*11『「神道」の虚像と実像』(2011年、講談社現代新書)
・小川剛生*12兼好法師徒然草に記されなかった真実』(2017年、中公新書)
 小川本は、「徒然草」の作者・兼好法師吉田兼好)について「吉田神社家の祖先」と伝承されていたが、これは「吉田神道の権威付けを狙った吉田兼倶吉田神道提唱者)の捏造」であり、事実ではないと主張している。
佐藤弘夫偽書の精神史』(2002年、講談社選書メチエ)、『霊場の思想』(2003年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『起請文の精神史:中世の神仏世界』(2006年、講談社選書メチエ)、『神国日本』(2006年、ちくま新書)
末木文美士*13『中世の神と仏』(2003年、山川出版社日本史リブレット)
山本ひろ子『中世神話』(1998年、岩波新書) 、『異神(上)(下):中世日本の秘教的世界』(2003年、ちくま学芸文庫)
義江彰夫神仏習合』(1996年、岩波新書)


■中世前期の病気治療における神とモノノケ(小山聡子*14
(内容紹介)

https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/92435bcdcf2265e339c1be2e8196675c
■小山聡子『親鸞の信仰と呪術:病気治療と臨終行儀』(1)
・呪術による病気治療
 貴族社会では、僧侶、医師、陰陽師によって病気治療が行われていた。
 病人が出ると、まず陰陽師が呼ばれ、その原因を占う。
 そして、原因が何かにより、僧侶、医師、陰陽師のうちからふさわしい者が病気治療にあたることになる。
 原因が物気である場合には、主に僧侶が調伏を行い、神や呪詛である場合には主に陰陽師が祭や祓(はらえ)を行い、食中毒や風邪の場合には主に医師が投薬などによる治療にあたった。

 つまり「物気(モノノケ)=陰陽師の祓え」「神や呪詛=僧侶の調伏」は「病状をかえって悪化させる危険性のあるやってはいけない行為」と当初(中世前期)は定義されていたのである。
 ただし小山氏によればこうした「物気=僧侶の調伏」「神や呪詛=陰陽師の祓え」という区別は中世後期においてはほとんど形骸化していく。
 そもそも「物気=僧侶の調伏」「神や呪詛=陰陽師の祓え」というのは「当時の中世社会においては合理的根拠があると信じられていた」とはいえ、もちろん「ある種のイデオロギー」にすぎず、科学的根拠があるわけではないし、次第に「治りさえすれば僧侶の調伏だろうが陰陽師の祓えだろうがかまわない」となっていったのである。
 まあ、「俺の文ではいつものこと」ですが「中世神道研究、中世仏教研究、親鸞研究、小山聡子氏の文章と全く関係ない方向に脱線しますが」人間なんて大抵の人間は「治りさえすれば僧侶の調伏だろうが陰陽師の祓えだろうが、理屈にこだわらない中世貴族」と同じで、そんなもんです。「成果が、利益が出れば」ある意味「あまり細かいことにはこだわらない」。
 理屈なんかある意味どうでもいいわけです。ある種の合理主義、功利主義です。
 ダライラマとその側近連中が「今のダライ死後に、中国に『中国認定ダライラマ*15』擁立されて、政治介入されるのは嫌やから転生霊童なんかもう辞めたい思うわ、今のダライの生前に後継者決めたいんや。ローマ法王みたいに選挙とか、あるいは今のダライの後継者指名とかで決めたいんや」といいだしてるのもその種の合理主義です。
 ダライがCIAからカネもらってたときは独立主張して、中国相手にゲリラ戦してたくせに、「ニクソン訪中」でCIAから見捨てられたら掌返しで「独立は目指してません、自治権拡大です」といいだし、あげく「我々は非暴力です(俺の突っ込み:ゲリラ戦してた分際でそういうこという?)」と平和主義ぶってるのもその種の合理主義です。
 北朝鮮が長い間拉致なんかやってねえって言ってたのに「一部のバカが勝手にやったことで政府は知らなかった」という言い訳付きとはいえ、「拉致の存在を認めた」のも「日朝関係良くして経済支援でももらいたい」つう、ある種の合理主義です。まあ世の中そんなもんです。
 転生霊童について真面目な話すれば「お前らダライ一味は今まで転生霊童続けてきたのは何だったんや、中国の政治利用が嫌だからやめたいって、そんなでたらめな代物だったんか!。自称に過ぎないとはいえお前らそれでも宗教家か!。転生霊童なんてふざけたもんのために人生踏みにじられた幼児の皆さんに土下座してわびろや」つう話でしょうねえ(苦笑)。
 まあそもそも転生霊童制度自体、歴代のダライラマと取り巻き連が自分に都合良くでっちあげたインチキですけど(改めて苦笑)。
 まあそれはともかく、何があろうと信念に殉じる人なんてまずいません。だから信念に殉じるコルチャック先生だの「足尾鉱毒事件の田中正造」だのなんかは偉大なわけです。小生なんか、「自分の卑怯さと比較して」ああいう話ではつい感動してもらい泣きしてしまう。
 「大抵の人間なんかそんなもん」だから例の財務官僚・佐川氏は森友疑惑で嘘ついて安倍にこびてまで出世を目指したわけです。「彼はもちろん卑怯者」ですが大抵の人間は俺も含めてあの種の卑怯者です。佐川氏と同じ立場におかれて嘘をつかないで安倍と戦えるといえるほどの覚悟は俺には残念ながらありません。
 まあその種の「合理主義(?)」に関して、日本人拉致についての俺の考えを言えば「俺の立場」は「日本人同胞である」拉致被害者が帰ってくるならば「北朝鮮に経済支援でカネぶち込んでも一向にかまわない」「ある意味、日本人拉致被害者以外のことはどうでもいい、韓国人拉致被害者とか、金正男暗殺の犯人が誰か*16とか全く興味ない」つう立場です。
 「日本人さえ良ければそれでいいのか」「冷たい」といわれようが俺はそういう立場です。
 何で横田の奥さんが「孫のウンギョンと会えるなら後のことはどうでもいい。家族会とか巣くう会とかどうでもいい」つう考えにならないのかよくわかりません。もっとあの奥さんは「孫との関係」を真面目に考えるべきだと思います。巣くう会や家族会にこびて「ウンギョンとは会わない」とか言ったってあいつら絶対に奥さんに感謝してませんし。下手したら奥さんのことをなめて馬鹿にしてると思います。
 まあ「人間なんてそんな功利主義的なもん」だからこそ「話がどんどん脱線していきます」が「ダライラマと会うな、そんなことしたらノルウェーサーモン買わないからな!、と中国政府に言われたノルウェー首脳」はノルウェーに来たダライとは会わなかったわけです。で、それについて例のid:Mukkeセンセイのご発言が「ノルウェーに霞を食えとはいえない」ですね。「そんなにノルウェーに寛大なid:Mukkeなのに」なぜか俺とid:Bill_McCrearyさんはid:Mukkeに「お前らノルウェーの行為を容認するのか!」と非難されましたが。
 俺も本当に執念深いですから時々こうやってid:Mukkeにイヤミを言います(苦笑)。
 ちなみに脱線ついでに書いておくと、今回、小山聡子氏の論文にコメントするに当たり「小山聡子」でぐぐって見つけ、ブログ記事
■小山聡子『親鸞の信仰と呪術:病気治療と臨終行儀』(1)
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/481a7c4a5e22d4dfee05918325901abc
を利用させていただいたサイト『三日坊主日記』(https://blog.goo.ne.jp/a1214)ですが、その他の文章も

https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/e000a9e013dc3179e96025b7fb014048
北方領土が返還されたとして
 蓮池透さんは、安倍晋三首相は「拉致問題は最重要課題」と繰り返すが、1ミリも動かないと批判しています。
https://mainichi.jp/articles/20180117/dde/012/040/003000c
 北方領土返還もホンネではやりたくないのかもしれません。
 吉田一郎*17『国マニア』*18は、香港の中国返還にともなう一国二制度について説明しながら、北方領土についても触れています。
 日本がロシアに北方領土の返還を本気で要求するなら、返還後の統治形態やロシア系住民の扱いについて、具体的なビジョンを示す必要がある。
北方領土一国二制度を導入し、「北方領土特別自治県」に高度な自治権を与える。
②ロシア系住民の永住権や土地所有権を認める。
③日本語とロシア語を公用語とし、教育言語は日本語とロシア語の選択制とする。
日本国憲法と抵触しない限りにおいて、現行のロシアの法律・条令を引き続き適用する。
北方領土の議会は独自の立法権を有し、ロシア系住民の議席枠を設ける。
北方領土は独自の入国審査を行い、日本人の移住はビザを必要とする。
北方領土の公務員、警官は島民によって構成される。
⑧ロシアの医師免許、弁護士や会計士の資格、教員免許、運転免許などを認める。
 こういった具体的な提案がないと、いつまで経っても現実的な交渉はできないはずだと、吉田一郎氏は書いています。

https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/d7a4ea239043e7bfd421053c1f160607
■「死刑」を訴える被害者遺族の声をきく〜闇サイト殺人事件から10年〜(2)
・無実なのに死刑になる人がいるから死刑制度を廃止すべきだということが、どうして論理の飛躍なのでしょうか。
 冤罪で処刑されるという弊害をなくすことができるのなら、そうすべきです。
 冤罪があるから、死刑の執行は停止し、冤罪がなくなれば執行を再開するという提案を死刑存置派の人がしてもいいように思うのですが。
・1949年、イギリスでエヴァンスという人が妻と娘を殺したと死刑判決を受け、執行されました。
 ところが、1953年に他の殺人事件で逮捕された加害者が、エヴァンスの妻子を殺したと自白します。
 エヴァンス事件がきっかけとなって、イギリスでは死刑廃止論が盛んになり、1969年、イギリスは死刑を廃止しました。
 ところが、日本では(ボーガス注:免田栄氏など)冤罪だと認められた死刑囚がいるにもかかわらず、死刑を廃止しようという気運があまり起きません。
 冤罪で死刑になることを他人事としてしか考えない人が少なくないのだと思います。
 自分の子供が無実なのに死刑執行されても、それでも死刑は必要だと言う人がいるでしょうか。
・被害者が恨みや怒りを抱え続けるのではなく、別のものに変えていく支援が、被害者支援だと思います。死刑を求める被害者遺族ばかりではありません。

などなど、俺的に共感できる文章が多そうです。


【参考:エヴァンス事件について】

エヴァンス事件(ウィキペ参照)
 ティモシー・ジョン・エヴァンスは、ロンドンの自宅で妻と幼い娘を殺害したとして起訴された。1950年1月、娘の殺害で絞首刑の判決を言い渡され、処刑された。 エヴァンスは、公判中に階下の住人であるジョン・クリスティが真犯人であると訴え続けていた。エヴァンスの死刑執行から3年後、クリスティが、その集合住宅で他の多くの女性を殺害した連続殺人犯であることが判明した。クリスティは、死刑執行前にエヴァンス夫人の殺害を自白し、1966年の公式な調査により、クリスティはエヴァンスの娘も殺害したと結論づけられた。エヴァンスは冤罪の可能性が高かったとして、死後、恩赦が認められた。
 この冤罪事件は大変な物議をかもし、英国における死刑廃止に大きな影響を与えた。
 なお、この事件を題材として1970年にイギリスで映画『10番街の殺人』が公開、えん罪被害者エヴァンス役をジョン・ハート、真犯人クリスティー役をリチャード・アッテンボロー*19がそれぞれ演じている。


【参考:小山聡子氏について】

http://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/101827.html
■著者に聞く:『浄土真宗とは何か』/小山聡子インタビュー
インタビュアー:
 執筆中に何か苦労したことがありますか。
小山:
 親鸞や継承者らを理想化せずに、彼らが生きた時代の中に位置づけて書こうとすると、どうしても難しい点が出てきます。
 これまで、浄土真宗については、非常に多くの研究がなされ、本なども出版されてきました。しかし、「親鸞浄土真宗はこうあるべきだ」という考えに基づいて書かれたもの、親鸞やその教えを継承してきた人々のことを理想化して捉えたものがとても多いです。

 まあ親鸞に限らず宗教研究ってそういうのばっかでしょう。ただその中でも「まあそういうの人として仕方ないよね」とはいえないんじゃないかという「唖然とするほど身びいきが酷い」のがあって、それが俺の理解だと例の「I濱Y子女史のチベット仏教研究」ですね。
 もう本当あの人ダライ万々歳ですから。「お弟子さんらしいid:Mukkeさん」もそうですけど。

 浄土真宗の信仰をもつ方が、そのような捉え方をすることには大きな意味があると思いますが、学問的に考えていく場合には適切ではないと思います。私自身も親鸞浄土真宗について、これまでの知識から先入観を持っていますので、それをはぎ取りながら調べて執筆していくということに苦労しました。
 本書では、結果的に、親鸞自身も少なくとも還暦の頃までは堅固な他力信心を得てはいなかったことや、家族や継承者は、親鸞の説いたのとは異なる信仰を持っていたことなどを書くことになりました。親鸞が、経典を読誦して現世利益を求めてしまったエピソードや、妻・恵信尼(えしんに)が臨終時の衣にこだわったこと、長男・善鸞(ぜんらん)が東国で巫女と行動をともにして病気治療を行っていただろうことなどを論じました。
 しかし、彼らを批判する意図はまったくありません。宗教者というのは、真の救済を求めて苦悩し、理論だけではすまされない局面に立つこともあるのだと思うのです。その時代の常識とされていることが影響するのも当然です。
(中略)
インタビュアー:
 親鸞の魅力はなんでしょうか。
小山:
 「愚」だと思います。愚を自覚しようとしたこと。愚の自覚は、謙虚な心につながっていきます。周囲の人やものへの感謝がうまれます。
 親鸞は僧侶ではありますが、峻厳な修行を否定し、結婚しました。煩悩を自覚し、ありのままの姿をよしとしたのです。そして親鸞は、人間はみな「愚」であることを自覚し、自分の努力で極楽往生はかなわないことを知る必要があるとしました。また、極楽往生が確実になったら報謝の念仏(感謝の念仏)を称えなさいと説きました。
 現在でも、私たちはつい自分の能力を過信し、ともすれば他への感謝の気持ちも忘れがちです。ところが、親鸞の書いたものを読んでいると、このような自分を内省し、改めようという気持ちになります。現代人にとっても、親鸞の思想から得られることは、とても多いと思います。
インタビュアー: 
 今後の課題、テーマを教えてください。
小山:
 今後は、東国の門弟の信仰にも注目していきたいですね。史料が少なく、難しいのですが。性信(しょうしん)や真仏(しんぶつ)をはじめとする門弟らの信仰を論じていくことによって、さらに広い視野で浄土真宗を捉えることができると思います。
 また、本書を執筆して、親鸞らが生きた時代には呪術に頼ることが当たり前だったということを、改めて痛感しました。私は浄土真宗史のほかに、古代・中世のモノノケ(主に死者の霊魂)についても研究しています。モノノケを退治するには、様々な呪術を用います。このテーマにも積極的に取り組みつつ、その成果を浄土真宗史の研究にも活かすことができればうれしいです。
 さらに、今回執筆してみて興味深かったのは、近代文学作品における親鸞の描かれ方です。浄土真宗史を考える上で、これらについて調べていくのも面白いのではないかと思いました。
 この三つのすべてに十全に取り組めるとは思えませんが、これからの目標にしたいです。


■女性の穢の成立(片岡耕平*20
■生れ死ぬるけがらひ(水谷類*21
(内容紹介)
 論文内容はもちろん違うが、片岡論文、水谷論文ともに「神道の穢れ概念」は中世に成立した歴史的産物であり古代から存在したわけではないことを指摘している。


■中世以降における神社林の変遷(小椋純一*22
(内容紹介)
 一般人には「昔から変わらない」「自然のまま」と見られがちな神社林について「中世、近世、近現代」では明らかな違いが見られること、神社林には昔から人の手が加わっていることが指摘されている。


■歴史の眼『歴史から隠されたクラシックの女性作曲者たち:音楽史教科書では女性作曲家はどう扱われているか?』(小林緑)
(内容紹介)
・『女性作曲家列伝』(1999年、平凡社選書)の著書がある筆者が、海外では状況が変わりつつあるのに「日本において未だにクラシックの女性作曲者たち」が無名であり、音楽史の教科書でもあまり触れられないことを批判している。
 まあ「クラシックにあまり興味がない」小生レベルでも知ってる割と有名な「クラシックの女性作曲家」というと「クララ・シューマンロベルト・シューマンの妻)」ですかね。ウィキペディア「女性作曲家の一覧」を見ても小生はほとんど知らない名前ですね。
 ウィキペディア「女性作曲家の一覧」が紹介する中では「アンナ・モーツァルトアマデウスモーツァルトの姉)」、「ファニー・メンデルスゾーン(フェリックス・メンデルスゾーンの姉)」、「アルマ・マーラー*23グスタフ・マーラーの妻)」、「ジェルメーヌ・タイユフェール(いわゆるフランス6人組の一人)」は比較的有名とは思います。
 まあ本当にクラシックに興味が無い人は女性作曲家どころか「ロベルト・シューマン」、「アマデウスモーツァルト」、「フェリックス・メンデルスゾーン」、「グスタフ・マーラー」知らないって人も中にはいるでしょう。いやさすがにモーツァルトを知らない人はほとんどいないですかね。

参考

■田中伸尚*24『抵抗のモダンガール 作曲家・吉田隆子』(2014年、岩波書店
■編集部からのメッセージ
 帝国日本の思想弾圧にも,女性への抑圧にも,そして自らの重い病にも抗して民衆のための音楽を探求した作曲家・吉田隆子.2012年9月にNHK ETV特集「吉田隆子を知っていますか―戦争・音楽・女性」が放映され,その名を知る人も多くなりました.
(中略)
 この本でまた,彼女のファンが増えればと願っています.

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/0902.html
ETV特集『吉田隆子を知っていますか〜戦争・音楽・女性〜』
 激動の昭和、太平洋戦争のさなか、新しい音楽を目指し、信念を貫いた女性作曲家がいる。吉田隆子(1910〜56年)。戦前、男性中心の音楽界にあってみずから演奏家を組織し、聴衆との接点をつくりだそうとした女性の音楽家で、戦後、世界に通じる音楽を作りだすことにも挑んだ。

http://mydisc.cocolog-nifty.com/favorite/2012/09/post-2979.html
■日本の女性作曲家たち 〜吉田隆子の特集番組を考える〜
 先日、NHKETV特集で放送された『吉田隆子を知っていますか〜戦争・音楽・女性〜』という番組を見た。
 わが国のクラシック音楽史における重要な作曲家の一人、吉田隆子(よしだ・たかこ、1910〜1956)に焦点を当てた番組で、彼女を「女性作曲家の草分け的存在」と位置付け、次のように紹介していた。
「大正・昭和の戦争が迫りくる時代、男性中心の音楽界で差別と闘いながら民衆のための音楽(プロレタリア音楽)を掲げ、同志らと音楽活動を行い、聴衆から喝采を浴びた。迫りくる戦争に抵抗し、思想犯として特高警察に4度も拘留され健康を害したが、その信念を曲げることはなかった。戦後、創作活動を再開するも、46歳の若さで亡くなり、死後は忘れ去られてしまった」
(中略)
 さて、今回の番組では、吉田隆子が日本の女性作曲家の草分けとして取り上げられていたが、それを言うのなら、幸田延(こうだ・のぶ、1870〜1946)を真っ先に挙げるべきであろう。
(中略)
 また吉田隆子のほぼ同世代で、沖縄生まれの金井喜久子(かない・きくこ、1906〜1986)を忘れてはならない。

http://www.miyakomainichi.com/2013/12/57859/
宮古毎日新聞『金井喜久子さんの足跡たどる/市総合博物館、宮古出身の偉大な作曲家、特別展開催 「偉業に触れて」』
 宮古島出身で日本人女性初の交響曲作曲家金井喜久子さん(1906〜1986年)の足跡をたどる特別展が11日、市総合博物館(下里典子館長)で始まった。来年1月12日まで。71年には沖縄のわらべうた「じんじん」が日本レコード大賞童謡賞を受賞。沖縄の旋律を国内外に発信した金井さんの心の根底には強い郷土愛が息づいていた。
(中略)
 宮古島での金井さん関連イベントは06年の「生誕百周年記念演奏会」に次いで、第2弾となった。
 金井さんは1919年県立第一高等女学校に入学。音楽室のピアノで沖縄民謡を弾いていたとき、先生に「そんな下品な曲を弾くな」と注意され、これが音楽の道に進むきっかけとなった。
「なぜ沖縄民謡は恥ずべきものなのか」。
 金井さんは強いショックを受けたという。
 「琉球の思い出」を最初にオペラ「沖縄物語」や室内楽曲、歌曲、舞踊曲など多彩に手掛けた。


■歴史の眼『「特別の教科 道徳」の教科書と安倍教育再生のねらい』(俵義文*25
(内容紹介)
 「加計森友なんかやらかす男・安倍のいう道徳は何か!。俺たちエリートは好き勝手やるが、下々の者は俺に絶対服従で従えという奴隷道徳か!」と安倍に憤慨する俵氏ですが全く同感ですね。
 まあそれはともかく、俵氏ご指摘の通り「加計森友疑惑」ほど安倍の言う道徳が嘘八百のでたらめであることをわかりやすく教えてくれる事例もあまりないでしょう。

参考
赤旗
■『「公共」新設 愛国心育成、道徳教育 推進教師中心に、高校学習指導要領改定案』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-02-15/2018021501_03_1.html
■主張『「道徳」の教科化案:「考える」どころか国家が統制』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-02-16/2015021602_01_1.html
リテラ
■戦中か! 道徳教科書検定で「パン屋」を「和菓子屋」に…安倍政権はやっぱり日本全体の“森友”化を狙っている
http://lite-ra.com/2017/03/post-3037.html
■児童凌辱のマンガも出版、ヘイト出版社・晋遊舎が“道徳教科書”に参入! 安倍のブレーン・八木秀次*26がバックか
http://lite-ra.com/2018/02/post-3816.html

*1:真言宗密教)の立場からなされた神道解釈に基づく神仏習合思想

*2:皇學館大学特別教授。神社本庁参与、神道学会会長など歴任。

*3:南朝の武将。戦国武将・北畠氏(後に織田信長に滅ぼされる)の祖先。『神皇正統記』、『職源鈔』を執筆し、中世神道思想に影響を与えた。

*4:早稲田大学名誉教授、天台宗僧侶(元・妙法院門主

*5:平安時代末期から鎌倉時代にかけて、天台宗の総本山である比叡山延暦寺で生まれた神道の流派。徳川家康につかえていた江戸時代の僧・天海は、家康の死後、山王神道に依拠して家康の霊を権現(東照大権現)の神号で祀ることを主唱し、日光東照宮が建立された。

*6:浄土宗僧侶

*7:伊勢神宮の神官である度会家行によって提唱されたとされる。

*8:室町時代、京都の神道家・吉田兼倶が主張したとされる。

*9:平泉寺白山神社宮司東京帝国大学教授なども務めた平泉澄が祖父(ウィキペ『平泉隆房』参照)。

*10:皇學館大学教授。深志神社禰宜神社本庁教学委員など歴任

*11:著書『日本の神社と「神道」』(2006年、校倉書房)、『日本中世国家と諸国一宮制』(2009年、岩田書院

*12:著書『中世の書物と学問』(2009年、山川出版社日本史リブレット)、『武士はなぜ歌を詠むか:鎌倉将軍から戦国大名まで』(2016年、角川選書)など

*13:著書『「碧巌録」を読む』(1998年、岩波セミナーブックス)、『日本宗教史』(2006年、岩波新書)、『近世の仏教』(2010年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『増補・ 日蓮入門』(2010年、ちくま学芸文庫)、『現代仏教論』(2012年、新潮新書)、『日本仏教入門』(2014年、角川選書)、『仏典をよむ:死からはじまる仏教史』(2014年、新潮文庫)など

*14:著書『護法童子信仰の研究』(2002年、自照社出版)、『親鸞の信仰と呪術:病気治療と臨終行儀』(2013年、吉川弘文館)、『浄土真宗とは何か:親鸞の教えとその系譜』(2017年、中公新書

*15:どうも中国は「ダライが死んだら擁立する気満々」みたいですが。

*16:まあ一番可能性が高いのはやはり北朝鮮工作機関でしょう。

*17:著書『世界飛び地大全』(2014年、角川ソフィア文庫)など

*18:2010年、ちくま文庫

*19:イギリスの映画監督、映画プロデューサー、俳優。1982年に監督した『ガンジー』で、アカデミー作品賞とアカデミー監督賞を受賞した(ウィキペ『リチャード・アッテンボロー』参照)。

*20:著書『穢れと神国の中世』(2013年、講談社選書メチエ)、『日本中世の穢と秩序意識』(2014年、吉川弘文館

*21:著書『墓前祭祀と聖所のトポロジー』、『廟墓ラントウと現世浄土の思想』(2009年、雄山閣出版)、『中世の神社と祭り』(2010年、岩田選書)

*22:著書『絵図から読み解く人と景観の歴史』(1992年、雄山閣出版)、『植生からよむ日本人のくらし:明治期を中心に』(1996年、雄山閣出版)、『森と草原の歴史:日本の植生景観はどのように移り変わってきたのか』(2012年、古今書院

*23:アルマは少女時代から作曲に才能を発揮し、美貌で多くの男性芸術家をとりこにした。グスタフ・マーラーと結婚する前に、画家グスタフ・クリムトと深い仲にあったという。アルマはマーラー死後、建築家ヴァルター・グロピウスと再婚し、グロピウスと離婚後に小説家フランツ・ヴェルフェルと再々婚している。マーラーとの間にもうけた2人の娘のうち、長女マリア・アンナは幼くしてこの世を去ったが、次女のアンナ・ユスティーネは後に彫刻家として活躍した。彼女も母と同じく多彩な恋愛遍歴で知られ、生涯に5回結婚している。2人目の夫は、アルマの指示でマーラー交響曲第10番の補筆を行った作曲家エルンスト・クルシェネクである(ウィキペ「アルマ・マーラー」参照)。

*24:著書『遺族と戦後』(1995年、岩波新書)、『政教分離地鎮祭から玉串料まで』(1997年、岩波ブックレット)、『日の丸・君が代の戦後史』(2000年、岩波新書)、『靖国の戦後史』(2002年、岩波新書)、『憲法九条の戦後史』(2005年、岩波新書)、『ドキュメント靖国訴訟』(2007年、岩波書店)、『未完の戦時下抵抗』(2014年、岩波書店)、『行動する預言者・崔昌華:ある在日韓国人牧師の生涯』(2014年、岩波書店)、『いま、「靖国」を問う意味』(2015年、岩波ブックレット)、『飾らず、偽らず、欺かず:管野須賀子と伊藤野枝』(2016年、岩波書店)、『囚われた若き僧 峯尾節堂:未決の大逆事件と現代』(2018年、岩波書店)、『大逆事件』(2018年、岩波現代文庫)など

*25:著書『「つくる会」分裂と歴史偽造の深層』(2008年、花伝社)、『日本会議の全貌』(2016年、花伝社)など

*26:右翼団体日本教育再生機構理事長。著書『反「人権」宣言』(2001年、ちくま新書)、『明治憲法の思想』(2002年、PHP新書)、『日本国憲法とは何か』(2003年、PHP新書)、『本当に女帝を認めてもいいのか』(2005年、洋泉社新書y)など。