今日の産経ニュース(8/3分)(追記・修正あり)

■【栃木女児殺害】弁護団「極めて不当な判決」
https://www.sankei.com/affairs/news/180803/afr1808030032-n1.html
 「判決を詳細に分析しないでものを言うことはおかしいと思う」「しかし詳細に分析する意欲も能力もない」ので、正当か、不当かは特にコメントしません。言いたいことは「判決評価に関係なく、この弁護士の発言は何ら問題ないものだ」ということです。
 えん罪の場合はもちろん「えん罪でなくても」、被告人が無実を主張するなら、その主張に寄り添うのが基本的に弁護士の立場だと言うことは改めて指摘しておきたいと思います。被告人を追及するのは検事の仕事であって弁護士の仕事ではありません。何が正しいか判断するのも裁判官の仕事であって弁護士の仕事ではありません。
 そもそもこの事件がえん罪かどうかはともかく「えん罪か有罪か」はそうはっきりと明快にわかるものでは通常ないでしょう。
 また「被告人の主張に寄り添う」ケースは「有罪かもしれないが無罪」主張が多いでしょうが「無罪かもしれないが有罪主張(つまり情状酌量での減刑狙い)」でも話は同じです。
 「誰かをかばってる疑い」があっても「被告人の主張には寄り添う」べきわけです。
 それが弁護士の仕事です。それがわかってないで「弁護士が遺族に失礼だ」とか言い出すバカが日本には多いようでマジでうんざりします。わかってなきゃいけないはずの「一応、弁護士の岡村勲」とか。


■【栃木女児殺害】「否認したままの判決残念」「ただ一つ真実を知りたい」遺族がコメント
https://www.sankei.com/affairs/news/180803/afr1808030035-n1.html
 気持ちはわからないではないですが、推定無罪ですのでねえ。被告人が犯行否定なのに、犯人と決めつけるのはいかがなもんでしょうか。
 まあ犯人だとしても犯行を否定する権利はあるわけですしね。「彼が犯人だとして」犯行否定をさすがに積極的に応援したり擁護したりはしませんが。遺族としてはこういう発言は仕方がないのでしょうが、我々第三者は冷静にものを見るべきでしょう。


■【産経抄】8月3日
https://www.sankei.com/column/news/180803/clm1808030003-n1.html

明治は「女子に教育はいらない」という時代。昨日の「日本史ナナメ読み」で、本郷和人さんが書いていた。まして「女子が医者をめざすなどもってのほか」の風潮が強かった。

 まあ、だからこそ、我が埼玉において「日本初の近代的教育制度、医療制度に基づく女医第1号」荻野吟子が「埼玉の誇り」として高く評価されるわけです(近代的教育制度、医療制度に基づかない女医なら幕末の楠本イネなどが吟子以前に存在します)。
 とはいえ「県民なら、学校の社会科授業で教えるのでたぶんほぼ100パー知ってる」と思われる彼女も全国的にはおそらく知名度は相当に低いです。
 後、埼玉を代表する偉人と言ったら、畠山重忠鎌倉時代の武将)、塙保己一(江戸時代の国学者)、渋沢栄一(明治時代の実業家)、木村九蔵(明治時代の養蚕技術者)といったところでしょうか。全員、「全国的知名度が低い」のがなんともかんとも。

 女性医師は、結婚や出産を機に離職するケースがある。将来、系列病院での医師不足を回避するために、女子合格者の数を減らしたというのだ。女性医師が結婚後も勤務ができるよう、環境を整えるのが先決だろう。それでも解決が難しいというのなら、入試の募集要項に女子の定員を明記するのが道理である。

 珍しく産経がまともです。
 なお、マスコミ報道によれば「東京医科大は氷山の一角にすぎず、他にもそういう医学部があり」、それどころか「医学部以外でも同様の措置が多分されてる」そうですから根の深い問題です。とにかく東京医科大たたきで終わっていい話ではありません。