新刊紹介:「歴史評論」9月号(追記・修正あり)

・詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。小生がなんとか紹介できるもののみ紹介していきます。
特集『「大化改新」とその時代性』
大化改新の対外関係(河内春人*1
(内容紹介)
 大化改新後の新政権は、従来通り親百済の外交方針を採用した。その最終段階が「百済残党勢力」を支援し、唐・新羅連合軍と対決した白村江の戦い(663年)だが日本側は敗北、百済は完全に滅亡し、日本側は対朝鮮政策を新羅の存在を前提としたものに余儀なくされる。
 なお、白村江の戦い敗北前でも

 任那新羅に滅ぼされたため、形骸のみとなっていた任那の調を廃止した(ウィキペディア孝徳天皇」参照)

など、新羅に対応した一定の政策変更がなされてる点には注意が必要である。


■指導要領・解説と主要教科書の中の「大化改新」(藤森健太郎*2
 中学高校の教科書(シェア1位の東京書籍)と高校の教科書(シェア1位の山川出版社)の記載を比較。
 中学高校が「大化改新」の関係人物として、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣(藤原)鎌足しか提示しないのに対し、高校教科書が「蘇我蝦夷・入鹿親子打倒後、即位した孝徳天皇」「左大臣となった阿倍内麻呂」「右大臣となった蘇我倉山田石川麻呂」らの名前を提示していることを評価している。
 従来、学校教科書において天智天皇藤原鎌足ばかりが注目される傾向があったことを是正すべき問題点としている。

参考

■改新の詔(ウィキペディア参照)
 大化の改新において、新たな施政方針を示すために発せられた詔。
1.それまでの天皇の直属民(名代・子代)や直轄地(屯倉)、さらに豪族の私地(田荘)や私民(部民)もすべて廃止し、公のものとする。(公地公民制)
2.今まであった国(くに)、県(あがた)、郡(こおり)などを整理し、令制国とそれに付随する郡に整備しなおす。
3.戸籍と計帳を作成し、公地を公民に貸し与える。(班田収授の法)
4.公民に税や労役を負担させる制度の改革。(租・庸・調)
といった内容。
 また詔の四か条に無いが、その他の制度に対しても大きな改革が行われている。
・薄葬令
 今まで陵墓は自由に作ることができたが、作ることの出来る陵墓を身分に合わせて規定し直した。殉死の禁止や、天皇陵の造営に費やす時間を7日以内に制限するなど、さまざまな合理化・簡素化が進められた。この薄葬令によって事実上、古墳時代は終わりを告げることになる。
・伴造、品部の廃止と八省百官の制定
 従来の世襲制の役職であった伴造や品部を廃止し、特定の氏族が特定の役職を世襲する制度を廃止した(たとえば、物部氏であれば軍事を司り、中臣氏であれば祭祀を司る、など)。これと八省百官の制定によって、より能力主義的な官僚制への移行が行われた(しかし祭祀などの面では、中臣氏がこれを行うというように世襲制が残った役職もあったとみられる)。
・大臣、大連の廃止
 大臣・大連は、廃止になり、代わりに太政官が置かれ、左大臣・右大臣に置き換わった。


■歴史のひろば「年号に見る漢籍の受容」(野村朋弘)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

NHK『平成の次は? 新元号を探る』
元号は紀元前の中国、前漢武帝の時代に、漢字と数字の組み合わせで年次を表したのが始まりとされ、皇帝が領土や領民を時間的に支配する、その支配の象徴だったという指摘もあります。
 中国からの影響を受けた日本や朝鮮半島ベトナムなど、アジアの漢字文化圏に広まり、日本では、西暦645年に孝徳天皇が定めた「大化」から、今の「平成」に至るまで、1300年余りの間に247の元号が使われてきました。 

http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/research/20171116.html
■「年号」の背後にあるもの(水上雅晴/中央大学文学部教授(中国哲学))
・年号は、中国前漢武帝の時から使われ始め、次第に周辺地域や国家も使うようになりました。
・日本の年号の多くは漢籍の文言を典拠としています。たとえば、「平成」は、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」と『書経』大禹謨(だいうぼ)の「地平天成(地平かに天成る)」に由来します。漢籍の出典を持つ年号がいつから出現したかを正確に見定めることは難しく、「仁寿」(851−854)まではさかのぼれそうですが、それ以後も典拠不明の年号が続き、漢籍の利用が常態化するのは、正暦(990−995)以後のようです。
・年号は上意下達で決められるわけではなく、通常は、年号案をふるいに掛けて選定されます。「年号勘文」と称する文書に複数の年号案とそれぞれの典拠となる漢文が記され、この文書が毎回、複数の文官によって提出されました。年号勘文は誰でも提出できたわけではなく、漢籍の享受層が限られていた中世以前の日本では、中国の古典籍を踏まえた適切な年号案を提出できる人材は、漢籍の講授を代々続けてきた「博士家」と呼ばれる家を除くと容易に得られませんでした。
 博士家は、儒家の経典を専門とする「明経(みょうぎょう)博士家」と文学・史学の漢籍を専門とする「文章(もんじょう)博士家」とに分かれていましたが、年号勘文を提出したのは、文章博士家につらなる人々です。文章博士家は、菅原氏と大江氏、藤原氏の南家・式家、それに北家日野流の五家を指し、重大な国事である改元に参与するのは家門の誉れですから、改元に関わる様々な記録を残しています。多くの年号関係資料が収められている文書類のコレクションとして、「広橋家旧蔵記録文書典籍類」が挙げられます。

 つまりは年号とは出典も漢籍ですし、ある意味、ずーっと「中国文化」だったわけです。


■歴史の眼「忘れられた映画フィルム」(林彰)
(内容紹介)
 「日本に民主主義を根付かせる」というGHQの依頼でつくられた「明治時代の自由民権活動家」福田(旧姓:景山)英子の伝記映画「わが恋は燃えぬ」が紹介されている(DVDが松竹からでている)。
 この映画、多分あまり有名ではないのだろうが、林論文によればメンツは結構すごいです(ぐぐってもhttps://movie.walkerplus.com/mv26852/などでメンツがわかりますが)。

溝口健二*3監督、田中絹代*4主演「夜の女たち」につぐ映画プロデューサー・糸屋寿雄の製作。
野田高梧*5の原案をもとに依田義賢*6新藤兼人の共同脚本。
■キャスト
 以下役名でなく、実際の人物名で書いていきます。
・福田(旧姓:景山)英子(田中絹代):
  自由民権活動家。一時、大井憲太郎と内縁関係にあるが結局離別する。
  自由民権運動がその勢いを失うと、幸徳秋水堺利彦らの平民社に参加し、社会主義運動に身を投じる。平民社が解散した後も、石川三四郎安部磯雄*7らと月刊新聞『世界婦人』を発刊して主筆となるなどの言論活動を展開した。
・大井憲太郎(菅井一郎):
  自由民権活動家。後に代議士(自由党立憲自由党→東洋自由党→大日本協会→憲政党)。
・中島(旧姓:岸田)俊子(三宅邦子):
  福田英子に影響を与えた自由民権活動家。
・富井於菟(忍美代子(当時の芸名。後の荒木雅子)):
  自由民権活動家。
・坂崎紫瀾(信欣三*8):
  自由民権活動家(土佐藩出身)。著書に『維新土佐勤王史』。坂本龍馬が今日よく知られているのは、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の影響であるが、そうした司馬作品の原型の一つは、龍馬ら土佐藩士の活躍を描写した坂崎の『維新土佐勤王史』であるとされる。
板垣退助千田是也*9
  自由党党首。後に第2次伊藤博文、第2次松方正義*10、第1次大隈重信*11内閣で内務相。
伊藤博文東野英治郎*12
  自由民権運動を弾圧する政府側の重鎮。首相、枢密院議長、貴族院議長、韓国統監など政府の要職を歴任。元老の一人。安重根によって暗殺される。

 なお、確たる証拠は今のところ確認できないものの、林氏は脚本作成に当たっては福田の自伝『妾(わらわ)の半生涯』(岩波文庫)を参照しているだろうと推測しています。


参考

糸屋寿雄(1908〜1997年:ウィキペディア参照)
・映画プロデューサー。
早稲田大学政経学部に学ぶが、左翼運動に関与し、1930年(昭和5年)に中退。大阪の産業労働調査所に勤務するも、1933年(昭和8年)、治安維持法違反で検挙され執行猶予となる。
 1938年(昭和13年)、松竹京都撮影所に入社。
 1950年(昭和25年)映画監督の新藤兼人吉村公三郎らと近代映画協会を設立、社長に就任した。
 また、社会主義運動史の研究を行い多くの著作を著した。
■フィルモグラフィ
・松竹京都撮影所時代
歌麿をめぐる五人の女』(監督溝口健二、1946年)
『女優須磨子の恋』(監督溝口健二、1947年)
『夜の女たち』(監督溝口健二、1948年)
『わが恋は燃えぬ』(監督溝口健二、1949年)
森の石松』(監督吉村公三郎、1949年)など
・独立以降
『戦火の果て』(監督吉村公三郎近代映画協会/大映、1950年)
『狼』(監督新藤兼人近代映画協会、1955年)
歌舞伎十八番「鳴神」 美女と怪龍』(監督吉村公三郎東映京都撮影所、1955年)
『嫁ぐ日』(監督吉村公三郎近代映画協会/松竹、1956年)
『銀心中』(監督新藤兼人、日活、1956年)
『流離の岸』(監督新藤兼人、日活、1956年)
『女優』(監督新藤兼人近代映画協会/新東宝、1956年)
『海の野郎ども』(監督新藤兼人、日活、1957年)
『うなぎとり』(監督木村荘十二歌舞伎座近代映画協会/松竹、1957年)
第五福竜丸』(監督新藤兼人近代映画協会・新世紀映画 /大映、1959年)
松川事件』(監督山本薩夫松川事件劇映画製作委員会、1961年)
『人間』(監督新藤兼人近代映画協会 / ATG、1962年)
『鬼婆』(監督新藤兼人近代映画協会・東京映画/東宝、1964年)
『悪党』(監督新藤兼人、東京映画・近代映画協会/東宝、1965年)
『堕落する女』(監督吉村公三郎近代映画協会/松竹、1967年)
眠れる美女』(監督吉村公三郎近代映画協会/松竹、1968年)
『かげろう』(監督新藤兼人近代映画協会/松竹、1969年)
『裸の十九才』(監督新藤兼人近代映画協会/東宝、1970年)
『甘い秘密』(監督吉村公三郎近代映画協会/松竹、1971年)
『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(監督新藤兼人近代映画協会/ATG、1975年 )
■著書
幸徳秋水伝』(1950年、三一書房
大逆事件』(1960年、三一新書)
幸徳秋水*13研究』(1967年、青木書店)
メーデーの話』(1969年、労働旬報社・労旬新書)
『労働歌・革命歌物語』(1970年、青木新書)
『管野すが*14平民社の婦人革命家像』(1970年、岩波新書)
大村益次郎*15:幕末維新の兵制改革』(1971年、中公新書)
『大石誠之助*16大逆事件の犠牲者』(1971年、濤書房)
『日本社会主義の黎明』(1972年、新日本新書)
『奥宮健之*17 自由民権から社会主義へ』(1972年、紀伊国屋新書)
幸徳秋水』(1973年、清水書院
『史伝板垣退助』(1974年、清水書院
『女性解放の先駆者たち 中島俊子と福田英子』(1975年、清水書院
坂本竜馬』(1975年、汐文社
『自由民権の先駆者 奥宮健之の数奇な生涯』(1981年、大月書店)など

 プロデューサー・糸屋自体は『女性解放の先駆者たち 中島俊子と福田英子』(1975年、清水書院)という著書がありますので福田英子に個人的にも興味があったのでしょうが、監督・溝口、主演・田中など他のメンツがどうだったのかは疑問符がつくでしょう。

*1:著書『東アジア交流史のなかの遣唐使』(2014年、汲古書院)、『日本古代君主号の研究:倭国王・天子・天皇』(2015年、八木書店)、『倭の五王:王位継承と五世紀の東アジア』(2018年、中公新書

*2:著書『古代天皇の即位儀礼』(2000年、吉川弘文館

*3:1952年、『西鶴一代女』でベネチア国際映画祭国際賞を、1953年、『雨月物語』、1954年、『山椒大夫』でベネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞(ウィキペディア溝口健二」参照)

*4:1938年に主演した『愛染かつら』は空前の大ヒットを記録。1952年、『西鶴一代女』に主演、映画はベネチア国際映画祭国際賞受賞。翌1953年、『雨月物語』に主演、映画はベネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞。1958年の『楢山節考』でキネマ旬報賞女優賞を受賞。1974年、『サンダカン八番娼館 望郷』でベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受賞。晩年はテレビドラマにも活躍の場を広げ、フジテレビ『前略おふくろ様』(1975〜1977年)の主人公の母親役やNHK連続テレビ小説雲のじゅうたん』(1976年)のナレーションなどで親しまれた。(ウィキペディア田中絹代」参照)

*5:脚本を書いた『愛染かつら』(1936年、田中絹代主演)は空前の大ヒット。また松竹大船撮影所の脚本部長を長く務めた。『晩春』(1949年)から小津の遺作となった『秋刀魚の味』(1962年)までの小津全作品の脚本に関わったことでも知られる(ウィキペディア野田高梧」参照)。

*6:『残菊物語』、『西鶴一代女』、『雨月物語』など溝口作品の脚本を務めたことで知られる脚本家(ウィキペディア依田義賢」参照)

*7:戦前、社会民衆党委員長、社会大衆党委員長を歴任。戦後、社会党顧問。 早稲田大学野球部創設者で「日本学生野球の父」とも呼ばれる(ウィキペディア安部磯雄」参照)。

*8:専ら脇役を主としたが、1964年公開の『帝銀事件 死刑囚』(熊井啓監督)では平沢貞通役で主演している(ウィキペディア「信欣三」参照)。

*9:1944年、俳優の東野英治郎小沢栄太郎青山杉作らと俳優座を創立、1994年に亡くなるまで俳優座代表を務めた(ウィキペディア千田是也」参照)

*10:第1次伊藤、黒田、第1次山県、第2次伊藤、第2次山県内閣蔵相、首相、内大臣を歴任。元老の一人。

*11:第1次伊藤、黒田、第2次松方内閣外相、首相を歴任

*12:テレビドラマでは1969年(昭和44年)8月4日からTBS系列の時代劇『水戸黄門』で主役の水戸黄門徳川光圀)を、第1部から第13部まで足掛け14年、全381回にわたって演じ、彼の代表作となった(ウィキペディア東野英治郎」参照)。

*13:社会主義活動家。大逆事件で死刑になった人物の一人

*14:社会主義活動家。大逆事件で死刑になった人物の一人

*15:明治新政府で兵部大輔。不平士族によって暗殺される。

*16:社会主義活動家。大逆事件で死刑になった人物の一人

*17:社会主義活動家。大逆事件で死刑になった人物の一人