「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(9/29分:高世仁の巻)&北朝鮮最新ニュースその他色々(追記・訂正あり)

 高世以外にも北朝鮮、韓国中心にいろいろ書いています。
■香港の記者がみた日本の「報道の自由
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20181030

 麻生太郎*1財務相に経済問題を質問すると「(日本は)中国と違って何でも言える国ですから、いい国なんです」と無関係な返答をされる。

 高世も呆れてますが、麻生は論外ですね。普通に考えて麻生への質問は「財務省関係」あるいは「麻生の失言関係」でしょう。そういう質問に対してこの回答は答えになっていません。単に麻生が中国人への差別意識を露呈してるだけです。中国政府と中国人は別物です。ましてや仮にこの中国人記者が中国政府べったりだとしても「財務省関係」あるいは「麻生の失言関係」に対する回答としてこんなんはありえません。


憲法を守ろうと闘う天皇
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20181021
 ふと気づいたんですが、「高世もまだはてなブログに移行しない」ですね。俺と同じで「不器用なので最後の最後まではてなダイアリー」なのでしょう。
 それはともかく。今回はタイトルだけで唖然です。本文を読む気もなくなるし実際「あほか」と突っ込む以外に読む価値はないでしょう。
 なぜなら天皇はそんな戦いをしてないからです。「天皇は政治的行為ができない」という憲法規定上、そんなことはできないし、すべきでもない。
 昭和天皇は「戦前と戦後の区別がつかなかった」のか、戦後も「沖縄メッセージ」とか政治発言をやりまくったことがばれてますが、あれは本来あってはならないことです。
 かつ「改憲の方向性」で仮に今後の政治が進むとして、政権与党と闘ったところで「おそらく天皇制維持が何よりも大事な」天皇にとってメリットもない。
 米長に無茶ぶりされたときも天皇の言ったことは「強制にならないことが望ましい」とうまくかわしたに過ぎませんでした。
 決して「米長さん、あんた方のやってる日の丸、君が代強制は違憲だから直ちにやめなさい」ではない。
 もちろん米長に賛同する、あるいは「賛同したと政治利用されかねないうかつな発言をする」ことを天皇がしなかったとは俺も評価します。しかしそれは「憲法を守ろうと闘う」というほどご大層なことではありません。天皇は「政治的発言をしたら違憲行為になるからそういう意味で批判される。そして米長に賛成しようが反対しようが、強制賛成派、あるいは反対派、どちらかからの批判は避けられず、かえって天皇制がやばくなる(天皇はできる限り政治的考えを表明しない方が天皇制が長持ちする)」という保身から米長の無茶ぶりをうまくかわした、逃げたに過ぎない。
 彼が靖国参拝しないのも「参拝しても国内外の批判を受けるだけでメリットがないから」です。
 だから彼は自分は靖国参拝しなくても安倍の靖国参拝を批判したりはしない。これまた「安倍批判してもメリットがないから」です。
 彼がした唯一の政治的発言はせいぜい「自分のこと」である「退位したい」でしょう。
 この「退位表明の是非(澤藤統一郎氏などは違憲行為として天皇に批判的です)」はともかく、これにしても「天皇の公務に体調が持たないから」「皇太子を摂政にするくらいならいっそ生前退位したい」という話に過ぎません。
 むしろ「歴史学者三笠宮崇仁」の紀元節反対の方がずっと立派じゃないか。
 まあこの高世の記事タイトルからは
今上天皇に学ぶ「滝田修」
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20181019
で紹介された滝田(竹本)の本も「ああ、憲法を守ろうと闘う天皇、という与太飛ばしてるんだろうな」ということが「読まなくても」察しはつきます。
 あるいは「今回の高世の与太を批判するネタ」は何でもいいですが、高世は以下の共産党の指摘をどう思うのか?。もちろん「天皇憲法を守るために闘ってる」なんて事実は何一つありませんので、高世批判のネタは他にもいくらでもあるわけですが。

https://www.jcp.or.jp/web_policy/2018/03/post-778.html
赤旗天皇の「代替わり」にともなう儀式に関する申し入れ』2018年3月22日 日本共産党中央委員会、から一部引用
 天皇の「代替わり」にともなう2019年の一連の儀式について、政府の式典準備委員会が基本方針をまとめようとしています。
 日本共産党は、日本国憲法の全条項をまもる立場から、天皇の「代替わり」にともなう一連の儀式にあたっても、日本国憲法の原則――とくに国民主権政教分離の原則を厳格にまもることが大切であると考え、以下の提案を行います。
 わが党の提案は、天皇制反対の立場ではなく、憲法の原則にふさわしい行事にすべきという立場からのものです。
(1)
 新たな天皇の即位にあたって、政府は1989年から90年にかけて行われた「平成の代替わり」の儀式を踏襲するとしています。ここには日本国憲法にてらして重大な問題があります。
 それは前回の儀式が、明治憲法下の絶対主義的天皇制のもとで公布された旧皇室典範と登極令を踏襲したものであったということです。
 いずれも、天皇神格化と国家神道を徹底する立場から、明治期につくられたものです。そして、いずれも、現行憲法のもとで廃止・失効しているものです。政府は、前回の「代替わり」の儀式について、「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したもの」と説明しましたが、実際に行われた儀式は、国民主権政教分離という憲法の原則に反するものとなりました。またそれは、明治期につくられたものであり、「皇室の伝統」とも言えないものでした。
 今回の天皇の「代替わり」にさいして、このような儀式を繰り返すべきではありません。儀式のあり方を、現行憲法の精神に即して、全体として見直すべきです。
(2)
 とりわけ、前回の「代替わり」で行われた以下の国事行為や儀式は、明らかに日本国憲法の原則――国民主権政教分離の原則に反するものであり、根本的な見直しが必要だと考えます。
〇「剣璽等承継の儀」(国事行為として行われた)は、登極令にあった「剣璽渡御(とぎょ)の儀」を、ほぼそのまま再現し、皇位のあかしとされる「三種の神器」を構成する剣・璽(勾玉)と、「国璽」・「御璽」を、新しい天皇に引き継ぐ儀式として行われました。「三種の神器」は、『古事記』や『日本書記』にのべられた神話で、天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に、地上を統治せよと命じて高天原から下ろしたさいに授けたとされるものです。
 現行憲法は、天皇の地位について、「主権の存する国民の総意に基づく」としています。天皇の地位は、主権者国民の総意にもとづくものであり、「三種の神器」の「承継」をもって天皇の「代替わり」のあかしとする儀式を国事行為として行うことは、憲法国民主権の原則と両立しません。また、きわめて宗教色の濃いこうした儀式を国事行為として行うことは、憲法政教分離の原則とも相いれません。
 それは、日本国憲法のもとで制定された現在の皇室典範では、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」(第4条)とだけのべられ、旧典範にあった「三種の神器」を受け継ぐことを意味する「践祚」という言葉も、「神器」という用語も、ともに削除されたことにも示されています。
 「三種の神器」を、天皇家が家宝として大切にあつかい、代々受け継いでいくことを否定するものではありませんが、それは天皇家の私的行為として行うべきであり、国事行為とすべきではありません。
 前回の「剣璽等承継の儀」では、皇族の出席者は男性皇族だけとされ、新皇后を含めて、女性皇族は排除されました。こういう(ボーガス注:女性差別の)問題が生じたのは、登極令で「剣璽渡御の儀」の出席者を皇太子、皇太孫、親王などの皇位継承権を持つ男性皇族に限定し、それを踏襲したからにほかなりません。ここにも「剣璽等承継の儀」を国事行為とすることの矛盾、時代錯誤があらわれていることを、指摘しなければなりません。
〇「即位後朝見の儀」(国事行為として行われた)は、即位した新天皇が、即位後初めて公式に三権の長*2など国民を代表する人びとと会う儀式とされています。
 しかし、「朝見」とは、臣下(家来)が宮中に参上して天子に拝謁することを意味します。実際の儀式のあり方も、天皇の「お言葉」に対して、首相が、「最善の努力を尽くすことをお誓い申し上げます」と「奉答文」を読み上げるなど、憲法国民主権の原則にそぐわない内容となりました。
 こうした儀式を国事行為として繰り返すべきではありません。
〇国事行為として行われた「即位の礼」の一連の儀式のなかでも、とくに「即位礼正殿の儀」は、大きな問題があります。
 前回の「即位礼正殿の儀」は、即位を公に宣明するとともに内外の代表が即位を祝う儀式として行われました。「神話」にもとづいてつくられた、神によって天皇の地位が与えられたことを示す「高御座」(たかみくら)と呼ばれる玉座から天皇が言葉をのべ、その下から内閣総理大臣が祝いの言葉をのべて万歳三唱が行われました。
 しかも、「即位の礼」は、徹頭徹尾、神道行事である「大嘗祭」と一体に行われました。昭和天皇の死去から1年10カ月も経ってから「即位の礼」と「大嘗祭」が続けて行われたことにも、これらが一体不可分であることが示されています。こうした時期に行われたことは、登極令で、「大嘗祭」は、秋冬の間に「即位の礼」に続けて行うという規定にのっとったものとしか説明がつきません。そのために、天皇の即位から「即位の礼」まで長い期間をあけるというきわめて不自然・不合理なものとなっているのです。
 こうした儀式は、憲法国民主権政教分離の原則とは両立せず、国事行為にふさわしくありません。
〇「大嘗祭」そのものについていえば、天皇が神と一体になり、そのことによって民を支配していく権威を身につける儀式として古来より位置づけられてきたものです。
 前回は、宗教上の儀式と見られることなどから「国事行為として行うことは困難」(1989年12月21日、閣議口頭了解)とはされましたが、事実上の国家的行事として多額の公費(宮廷費)がつぎ込まれました。こうしたあり方は、国民主権の原則にも、政教分離の原則にも明らかに反しています。
 天皇の「代替わり」にともなう儀式は、憲法にもとづく国民主権政教分離の原則にかなった新しいやり方をつくりだすべきです。

 太字強調は俺がしました。「前回の天皇即位儀式、つまり今上天皇の即位儀式は憲法の精神に反するものであった」という共産党の指摘を高世はどう思うのか。
 あるいは「政府が前回通りに実施すると主張していることは憲法の精神に反するので今回即位儀式を改めるべきだ」という共産党の指摘を高世はどう思うのか。
 なお、これらの共産党の指摘についてどう思うか、天皇に聞いても「私の立場上、政府に従うしかない。政府が決めれば、どんな内容でも従うし従わざるを得ない」としかいわないでしょうね。 
 そんな人間の何が「憲法を守るために闘う」のか。お断りしておきますが俺は天皇や皇后、皇族に「護憲のために闘ってほしい」わけではありません。そんなことは彼らに期待できることでも、期待すべきことでもない。問題は高世が事実に反するデマを飛ばすことです。しかし元左翼がここまで天皇万歳になりますか。呆れて二の句が継げません。
 あるいは高世の理屈だと「宮沢政権時に現天皇が訪中したこと」はどうなるのか。
 「日中友好を守るために闘った天皇(訪中を評価する立場)」とか「中国ビジネスを重視する財界の要望に応じ、天安門事件被害者を見捨てた中国共産党一党独裁容認の天皇(訪中を非難する立場)」とかになるのか。
 なお、アンチ中国で天皇万歳の高世が天皇訪中をどう評価するかは知りません。天皇を批判するんかしら?。それとも天皇万歳に都合が悪いから無視?。あるいは「天皇陛下は訪中などしたくないのに宮沢首相のごり押しに渋々屈したのです」とか言い出すのかしら。まあ、高世はともかくウヨ連中はこの件では宮沢内閣しか表向きは批判しません。「酒井信彦のような一部例外を除き」天皇批判はまずしない。しかし、その後の「美智子皇后失語症に陥った」、「その結果、『皇后に対し無礼である』という理由で文春や宝島社が右翼に銃撃された」例の週刊文春、新潮記事や月刊宝島30の『大内糺』論文での天皇、皇后バッシングを見るにウヨ連中にとって天皇訪中は「ウヨと一緒に中国批判すべき立場にある天皇」の「許しがたい裏切り(?)だった」のでしょう。

【参考:天皇訪中】

http://j.people.com.cn/94474/6588450.html
明仁ウィキペディア参照)
 1992年(平成4年)10月、中華人民共和国政府の招待で同国を訪問する。日中関係史で中国大陸に渡ったのは歴代天皇で初の出来事だった。後に、当時の中国外務大臣だった銭其シンは回顧録『銭其シン回顧録:中国外交20年の証言』(1996年、東洋書院)で天皇訪中は天安門事件での西側諸国の対中制裁の突破口という側面もあったと明かしている。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h04e-china.html
天皇皇后両陛下 中華人民共和国ご訪問時のおことば、から一部引用
 今夕は,私どものために,このような宴を催していただき,また,ただ今は楊尚昆*3国家主席閣下から,心温まるお言葉をいただき,厚く御礼申し上げます。
 貴国と我が国の交流の歴史は古く,特に,7世紀から9世紀にかけて行われた遣隋使,遣唐使の派遣を通じ,我が国の留学生は長年中国に滞在し,熱心に中国の文化を学びました。
 また,今世紀に入ってからは,貴国の有為の青年が数多く我が国を訪れるようになり,人的交流を含む相互の交流は一層活発なものとなりました。私は,このような両国民間の交流の伝統をかけがえのない,貴いものと考えます。
 このような深い関係にある貴国を,この度,主席閣下のお招きにより訪れることができましたことは,私どもの深く喜びとするところであります。
 しかし,この両国の関係の永きにわたる歴史において,我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦争が終わった時,我が国民は,このような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち,平和国家としての道を歩むことを固く決意して,国の再建に取り組みました。爾来,我が国民は,世界の諸国との新たな友好関係を築くことに努力してまいりましたが,貴国との間においては,両国の先人たちを始めとする多くの人々の情熱と努力によって,将来にわたる末長い平和友好を誓い合う関係が生まれ,広範な分野での交流が深まりつつあります。私はこのような両国民間の関係の進展を心から喜ばしく思うとともに,この良き関係がさらに不動のものとなることを望んでやみません。
 今日,国際社会は,人類の平和と繁栄の達成という崇高な理想に向けて共同の努力を行っておりますが,この中にあって,日中両国民の友好親善関係の進展は,大きな意義を持つものと信じます。
 本年は,日中国交正常化20周年という両国間の関係における大きな節目の年にあたっており,両国民の間で,相互理解と友好親善を目指して様々な行事が行われております。貴国からは,江沢民*4総書記閣下並びに万里*5(ボーガス注:全人代)委員長閣下が我が国を御訪問になり,両国間の絆をより太くより強いものとすることに貢献されました。この度の私どもの貴国訪問が,このような絆に結ばれた両国民にとり,お互いに良き隣人として将来に向かって歩む契機となれば誠に喜ばしく思います。
 私どもは,この度の訪問において,できるだけ多くの若い人々にも接する機会を得たいと考えております。両国の若い世代は必ずやこれまでの伝統的な交流の歴史を継承し,これをさらに豊かな心の交流として発展させていくにちがいありません。
 ここに日中両国民間の友好親善の発展を念じますとともに,楊尚昆主席閣下の御健勝と貴国の繁栄,そして貴国民の幸せを祈って杯を挙げたいと思います。

http://j.people.com.cn/94474/6588450.html
■人民日報『1992年、明仁天皇が初めて中国を訪問』
 日中国交正常化20周年となった1992年の10月23日、世界から数百のニュース・メディアが北京に集まった。この日、日本の天皇が始めて中国を訪問したのだ。
 同日午後1時40分、日本の特別機が北京空港に着陸した。明仁天皇美智子皇后がタラップに現れたその時、中日の2千年以上にわたる交流に歴史的な瞬間が訪れた。
 この日、「東京新聞」は社説の中で、「この日が日中の新時代を築く転機となることは疑いがない」と述べた。
 しかし、この転機は簡単にやってきたものではなかった。
 中国側が正式に明仁天皇の訪中を要請したのは1992年4月、江沢民総書記が訪日した際だった。
 当時、日本側は天皇訪中に対して慎重な態度を見せていた。外務省、日本の世論、政界においても同様だった。
 日本国憲法によると、天皇の訪中には日本政府の決定が必要だった。
 もし日本の世論に変化が訪れれば、当時の宮沢喜一内閣へのプレッシャーも緩和すると見られていた。当時の橋本恕・駐中国大使は、天皇訪中のために奔走した多くの有識者の一人だ。
 天皇訪中を阻止しようとする(ボーガス注:極右の)様々な威嚇も、各方面の努力を無にすることはできなかった。そして7月末、日本の世論にははっきりと積極的な変化がもたらされた。
 8月28日、宮沢内閣はついに決定を下し、天皇訪中に同意した。この日、日本側は首相官邸や中国大使館などの周囲に多くの警察を配備、右翼の活動を厳しく取りしまった。
 1992年10月23日、中国政府は人民大会堂天皇・皇后夫妻を歓迎する国宴(政府主催の宴会)を開いた。このときの天皇の言葉は、歴史問題を回避することはなかった。
 次の日、「読売新聞」は社説の中で、「天皇の言葉は大多数の日本国民の気持ちを表現したものだ」とした。「日本経済新聞」は「天皇の言葉が、日中両国の友好関係の礎となることを望む」と述べた。
 天皇夫妻が東京に戻った後、共同通信社はこのような評論を述べている。
「今年は日中国交正常化20周年だ。天皇皇后の訪中は日中両国の人々の心を近づける新たな出発点となるだろう」

https://www.nippon.com/ja/column/g00564/?pnum=1
■戦前の清算の意味を持つ「ABCD」4カ国訪問、から一部引用
■野嶋*6
 天皇陛下の1992年の中国訪問の時、池田さんは外務省アジア局長の任にありました。その後、駐オランダ大使として天皇陛下の初のオランダ訪問にも関わっています。中国とオランダという第二次大戦で日本が戦った2つの国への訪問は特別な意義があったと思われます。
■池田*7
 天皇陛下は多くの国を訪れていますが、戦前の清算という意味で、中国とオランダは重要な国だったと思います。日本が第二次大戦で戦った相手は一般に言われるように「ABCD」でした。Aのアメリカ、Bのイギリスは、昭和天皇が公式訪問を行っています。Cの中国とDのオランダには、昭和天皇は公式訪問*8を行っておらず、天皇陛下の代に残された形になっていました。
 私の場合、外交官としての在外勤務は台湾、香港を含めて7つの国と地域がありました。通常は3年ぐらいの任期ですが、オランダには5年勤務しました。そのうち、4年ほどは天皇訪蘭の準備を心掛けている時間でした。2000年はオランダと日本の交流400年に当たります。西暦1600年にオランダの帆船「リーフデ号」が大分県に漂着して以来です。オランダは江戸の鎖国時代にも長崎の出島で通商ができた欧州の唯一の国です。
 日蘭交流400周年を機に私は大使として3つのことを行いました。一つは対日抗議団体との交流です。法律的には、サンフランシスコ講和条約と日蘭議定書(「オランダ国民のある種の私的請求権に関する問題の解決に関する」日蘭議定書)で日本とオランダとの間の請求権の問題は解決しています。しかし、それでは道義的に認められないという人々が団体を作って毎月一度大使館の前でデモをし、プラカードを掲げて日本は賠償せよ、と要求していました。70歳以上の人が多く、デモは暴力的なものではありません。大使になってしばらくしてから、彼らのリーダー格の人たち数人にデモが静かに終わった後、大使館に入ってもらい、大使室で一緒にお茶を飲んで雑談する試みを始めました。
 もう一つは、予算が付いたので戦争の被害者の方を毎年20数名、日本に招待することを始めました。今でも名前を変えて続いています。これまでに訪日者数は、合計で600〜700人にはなっているでしょう。10日から2週間ほど、日本を案内していろいろ見てもらい、日本人と会って話をする。目には見えないけれど、地道な交流です。
 元慰安婦とされる人々については、オランダ側に検証委員会を作ってもらい、結果として79人の人たちが慰安婦だったと結論付けられました。「アジア女性基金」から高齢の女性に対するベッドや椅子など1人当たり300万円相当の見舞金的な補償を出しました。
 こうしたことを天皇陛下のご訪問前に行っていたこともあり、陛下ご訪蘭時には小規模なデモはいくつかありましたが、心配したほどの大きなデモは起きませんでした。そしてご訪問の間にも、次第にオランダ世論が良い方向に大きく変化していきました。
 あの当時、ダメだったら辞表を出す以外はないという覚悟の気持ちは持っていました。2000年以降、オランダでは過去の戦争は主要新聞紙の一面記事になることはなくなりました。01年に日本に帰任する時にはオランダの新聞が「池田は(ボーガス注:天皇オランダ訪問という)ミッション・インポッシブルをやり遂げた」と書いてくれましたね。もちろん、個人の感情には複雑なものがある人もいるでしょうが、一般社会としては日本とオランダの間の戦争問題は終わったという雰囲気になりました。その意味で、天皇陛下のオランダ訪問は画期的な意味を持ったと思います。

 「2000年当時で天皇のオランダ訪問が反日感情でミッションインポッシブル」とはびっくりです。
 なお、ぐぐって見つけた記事によれば

https://www.sankei.com/life/news/140925/lif1409250011-n1.html
■産経【昭和天皇実録を読む】国際親善 投げつけられた魔法瓶 昭和46年オランダ・ハーグ
《お召自動車が(オランダ)ハーグ市内に入った午後四時三十分頃、車体に液体入り魔法瓶が投げつけられるという事件が起きる。魔法瓶はフロントガラスに当たるが、防弾ガラス付きのものであったため外側に亀裂を生じさせたにとどまり負傷者はなかった。(中略)同夜、日本国大使公邸にお立ち寄りの際、(中略)この度の事件は大したことではないが、大きく取り扱われて両国関係に悪い影響を与えることのないよう同行記者団によく話しておくようにとのお言葉がある》(昭和46年10月8日)

■日蘭関係(ウィキペディア参照)
 1942年(昭和17年)3月に日本軍はオランダの植民地だったジャワ島内で連合軍82,618名を捕虜とした。オランダ人兵士の一部は長崎の捕虜収容所に送られ、そこで原爆に被爆した。また、日本軍がオランダ人女性を強制連行し慰安婦にした白馬事件も起こった。終戦後、オランダは捕虜虐待などの容疑で多くの日本軍人をBC級戦犯として処罰した(連合国中で最も多い226人の日本人を処刑)。戦後も長らく反日感情は残り、1971年(昭和46年)に昭和天皇がオランダを訪問した際には街中に「裕仁は犯罪者」という落書きが見られ、卵や魔法瓶が昭和天皇の乗った自動車に投げつけられ、手植え苗も引き抜かれるという事件があった。1986年(昭和61年)にはベアトリクス女王の訪日計画がオランダ国内世論の反発を受けて中止された。1989年(平成元年)の昭和天皇大喪の礼の際も、多くの君主国が王族を派遣したもののオランダからは王族が葬儀に参列することはなかった。1991年(平成3年)に来日した女王は宮中晩餐会で「日本のオランダ人捕虜問題は、お国ではあまり知られていない歴史の一章です」と、この間の事情の一端について触れた。同年、海部俊樹*9首相がオランダ訪問した際には、戦没者慰霊碑に捧げた花輪が池に投げ捨てられており、いかに反日感情が根強かったかが窺える。しかしその後、戦後50年にあたる1995年(平成7年)に出された村山談話をきっかけに「平和友好交流計画」が決められ、アジア女性基金による償い事業などの実施により、オランダ国民の対日感情も和らいだ。日蘭交流400周年を記念して、2000年(平成12年)に今上天皇が訪問した際には、オランダのテレビ番組で献花の様子が放映され、昭和天皇の訪問のときとは打って変わって熱烈な歓迎を受けた。

んだそうです。
 ちなみに「オランダ、昭和天皇、卵」でググったら、井沢満*10とか言う「昔はある程度活躍していた脚本家だったが今やあまり見かけない」プロ右翼活動家が

https://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/1bce58df7abf1a5c325cbb7ab35e6132
井沢満ブログ『オランダの反日について』
 いわゆる戦犯として処刑した数もオランダが一番多いし、中には明白に無実のお方もいらっしゃる。
 あまりの理不尽さに高松宮様が、ユリアナ女王に助命嘆願を申し入れたが、女王は聞く耳持たず。
 昭和天皇のオランダご訪問時には、お車に生卵と鉄製の湯たんぽが投げつけられ、崩御された時に王族が来ない無礼を示したのは、(ボーガス注:王族がいる国では?)オランダだけである。それは忘れまい。
 ベアトリクス女王来日の際には、今上天皇主催の晩餐会の席でオランダ人捕虜や抑留者が過酷な扱いを受けたとスピーチ。
 晩餐会の席で、である。
 そして、「お国ではあまり知られていない歴史の一章です」と、いやみったらしく付け加えた
 賠償金を得るための言いがかりに近いと私は思っている。
 事実女王のこの発言の後、日本からオランダへ賠償金*11が支払われた。
 高山正之*12は「新国王も、宮中晩餐会の席上でカネを要求するだろう」と書いていらした

なんて駄記事を書いていたのを見つけて、吹き出しました。しかし井沢ぐらいじゃないですかねえ、こういう事を書くのは。小生が知る限り他のウヨ(例:櫻井よしこ)で「オランダは反日だー」とか見たことがない。たぶん「中韓以外、皆親日国」つうデマを維持するためにそうなんでしょうけど。
 ああ、でも「正定事件」がらみではよしこは「殺されたオランダ人神父は日本軍が殺したんじゃない、濡れ衣だ」とオランダを悪口してましたね。
 そういえばオランダの反日感情と言えば以前、拙記事
■「珍右翼が巣くう会」に突っ込む・番外編(3/13分:ミスター卓球・荻村伊智朗の巻)(追記・訂正あり)
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20170313/5064208022
で紹介しましたが

http://zip2000.server-shared.com/ogimura.html
■ピンポン外交で世界を変えようとした男 :荻村伊智朗
<世界選手権ユトレヒト大会1955年>
 オランダでのこの大会でも日本チームへのブーイングは続いていました。インドネシアなど南太平洋の植民地をオランダは日本軍に奪われ、多くの兵士が殺されただけにオランダ人の反日感情は激しいものがありました。ただし、この大会でひとつの事件が起き、それがその後の荻村の人生に大きな影響を与えることになりました。
 ハンガリー対日本の試合で、右手に障害をもつセペシという選手がボールを追って、日本チームのベンチに突っ込んでしまいます。その時、日本の選手たちは身をよけるのではなく、あえてセペシ選手の下敷きになり彼が怪我をしないように対応したのです。
 この場面でオランダ人の観客は日本チームの行為に大きな拍手を送り、翌日の新聞も大きく取り上げて、大きな話題となりました。この後、大会期間中の日本チームへのブーイングは明らかに減っていったといいます。帰国後にその事実を知った荻村は、後にこう記しています。
「”スポーツ外交”というか、”民間外交”の果たす役割が大きなものであること、自分たちもその役割をになっているのだということを、心にしみて感じたのはこのときです。卓球を続けることに、またもう一つの生きがいをおぼえたのでした」

なんて話もありますね。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30680810Y8A510C1SHB000/
■日経『平成の天皇と皇后 友好と気配りの訪中』(編集委員 井上亮)
 宮内庁式部副長として両陛下訪中に同行した苅田吉夫さん(81)は当時の状況を語る。
 最大の焦点は歓迎晩さん会での天皇陛下のお言葉。「わが国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました」と日中戦争に触れ、「私の深く悲しみとするところ」「このような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省」などの言葉が並んだ。
 苅田さんは「私の知る限り、お言葉に関して中国側との事前の打ち合わせはなく、むしろ国内向けに気を使う面が多かったと思う」と言う。訪中が天皇の「謝罪の旅」になることに反発する世論が根強かった。
 「1972年に国交を結ぶ際の『日中共同声明』の内容を超えない範囲で、象徴としての立場から陛下のお気持ちが伝わるようにする」という方針で文案が練られた。
 晩さん会でのお言葉のあと席に戻られた陛下に対し、楊尚昆国家主席は「温かいお言葉をありがとうございます」と述べ、和やかな雰囲気で食事が始まった。
 北京、西安*13、上海の3都市を巡る6日間の旅は友好ムード一色に染まった。しかし、その後の日中関係は歴史や尖閣諸島の領有問題などでぎくしゃくする時期が続いた。
 それでも苅田さんは「日本はすべての国と友好関係を築くのが基本。一番近くの大国であり、歴史的に関係が深い中国に天皇が行かないわけにはいかない。訪問は必要なことだった。今振り返っても、あの時ほど気持ちよく行けた時期はその後はなかっただろう」と話している。

https://www.asahi.com/articles/ASKBR7X1VKBRUTFK02Q.html
朝日新聞天皇訪中、保守強硬派の反発 当時の官邸は説得に半年余』
 1992年、天皇陛下の訪中をめざした宮沢喜一*14内閣が直面したのは、国内の激しい反対論だった。首相官邸幹部らが異例の「保守強硬派対策」に乗り出し、半年余りかけて訪中決定にこぎ着けた。
 天皇陛下の訪中計画が動き出したのは、92年1月だった。宮沢内閣の渡辺美智雄*15外相(故人)が北京で銭其シン(チェン・チーチェン)外相(故人)と会談し、天皇訪中について「累次にわたる招請を多とし、政府部内で真剣に検討する」と踏み込んだ。同年10月下旬の日程も極秘に示された。
 天皇訪中は昭和天皇時代からの懸案で、日本政府には「天皇訪中により、日中間の戦後処理を完結させたい」との思いがあった。
 国内の保守強硬派はいっせいに反発した。藤尾正行*16・元文相(故人)は自民党総務会で「天皇陛下が政治に巻き込まれる恐れがある」と反対を表明。3月末には「天皇陛下のご訪中延期を願う国民集会」が開かれ、天皇の政治利用につながる▽中国は日本の教科書記述*17や首相の靖国参拝*18に干渉した▽天安門事件以降、人権抑圧を強める中国への訪問は世界各国から誤解を招きかねない――などとして訪中反対を決議した。5月には「日本会議」の前身である「日本を守る国民会議」などの代表者らが、宮沢首相(故人)に反対を申し入れた。底流には「朝貢外交になる」との反発もあった。

 宮沢、渡辺ミッチー、藤尾と名前が故人ばかりですね。まあ極右の藤尾(中曽根派)なら当然反対するでしょう。ただし「宏池会の宮沢氏」はともかく「中曽根*19の子分」である渡辺氏が訪中支持なのは興味深い。まあ、この訪中については親分・中曽根も賛成だったと思いますが。同じウヨでもそのあたり「中曽根や渡辺」と藤尾は違うわけです。

https://www.asahi.com/articles/ASLBC63DKLBCUTIL03X.html
朝日新聞『侍従に脅迫電話、逆風の天皇訪中』
 「言論の自由は民主主義社会の原則であります」。
 1992年10月15日。中国訪問の出発を8日後に控えた記者会見で、天皇陛下はこう述べた。日本国内の保守派などから訪中に反対する声が出ていたことについての質問に答えた。
 「中国訪問に関しては種々の意見がありますが、政府はそのようなことも踏まえて真剣に検討し、決定したと思います。私の立場は、政府の決定に従って、その中で最善を尽くすことだと思います」
 言葉の端々から、中国訪問の実現が難しかった背景事情がにじむ。
 当時、自民党内の保守派には「天皇の政治利用だ」と反対する意見が強かった。彼らを説得するため、橋本恕(ひろし)・駐中国大使(当時)は何度も帰国し、有力政治家らを回った。訪中を実現させたい宮沢喜一首相(当時)の命を受けてのことだった。92年夏に外務省アジア局長に就任した池田維(ただし)さん(79)も「何としても成功させなければ」との強い思いで奔走。自宅周辺を警察官が24時間警備する態勢が1カ月続いた。侍従だった手塚英臣さん(84)の自宅には、夜に何度か脅迫電話がかかってきた。

 もちろん天皇訪中は「天皇日中友好を守った」とか「天安門事件被害者を見捨てた」とかそういうことではない。
 天皇は「私の立場上、政府に従うしかない。政府が決めれば、明らかな違法行為とか、私の生命の危険があるとかよほど酷いものでない限りどんな内容でも従わざるを得ない。訪中してくださいと言われれば訪中するしかない。訪中について私があれこれ評価することはできない」としかいわないでしょうね。 
 実際、「上の朝日記事にも書かれていますが」訪中決定当時の宮内庁記者クラブの記者会見で

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gaikoku/gaikoku-h04-china.html
宮内庁中華人民共和国ご訪問に際し』(平成4年)
■問3
 今回の訪中をめぐりましては,内外に様々な反対意見もありました。この点について陛下のお考えをお聞かせ下さい。
天皇陛下
 言論の自由は,民主主義社会の原則であります。この度の中国訪問のことに関しましては,種々の意見がありますが,政府は,そのようなことをも踏まえて,真剣に検討した結果,このように決定したと思います。私の立場は,政府の決定に従って,その中で最善を尽くすことだと思います。
■問5
 韓国訪問は皇太子ご夫妻時代に一度延期になり,その後,廬泰愚大統領から招請もありましたが,陛下はどのようにお考えでしょうか。
天皇陛下
 韓国は日本と極めて近い隣国であります。近年,そして長い交流の様々な歴史があります。近年,協力の関係が進み,友好関係が深められてきていることは喜ばしいことと思います。私の訪問に関しましては中国の場合と同じく,政府の決定に従うものであり,そのような機会があれば,心を尽くして務めていきたいと思っております。

という「政府の決めたことには従うしかない役職が天皇です。政府が私の訪中を決めれば訪中するし、訪韓を決めれば訪韓するだけです。その政府が決めた枠の中で最善を尽くすだけです」という質疑応答がされてるわけです(なお、太字強調は俺がしました)。
 またこの訪中時の質疑応答では

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gaikoku/gaikoku-h04-china.html
宮内庁中華人民共和国ご訪問に際し』(平成4年)
■在日外国報道協会代表質問
■問8
 1970年代に日中間の国交が正常化されたとき,中国が戦争について公式の補償を放棄したことは,これは寛大な行為だと思われますか。
天皇陛下
 このことに関しましては,政府が関係する問題でありますので,お答えは差し控えたいと思います。

というやりとりもあります。基本的に現天皇は政治的発言は徹底的に避ける考えで動いています。
 なお、以上の文は「高世記事の本文を読まずにタイトルだけ見て書きました」。
 さて、以下は「本文を読んで書いた文」です。とはいえ「高世も滝田(竹本、以下すべて竹本)もあほや、天皇はそんな戦いはしとらん」という俺の高世、竹本批判の本筋は全くかわりませんが。やはり竹本本は「護憲のために闘う天皇」という与太だったわけです。

 きのう、竹本信弘さんに本をいただいたお礼の電話をかけた。声を聞くのは3年ぶりくらいか。
(中略)
 竹本さんの本『今上天皇の祈りに学ぶ』に話題が移り、なぜ天皇について書こうと思ったのかを尋ねた。2015年の「全国戦没者追悼式」での陛下の式辞と安倍首相の挨拶の落差に疑問をもったことが一つのきっかけだったという。
 「(陛下の)式辞の文章そのものは、ごく短いものでしたが、何度も練り直す作業のなかで仕上げられたのであろうことが察せられ、迫力を感じました。(中略)同時に安倍首相の挨拶もありましたから、両者の違いが際立ち、印象的でした。陛下はご自身の頭でお考えになったことを、ご自身の言葉で語っておられるのに対して、首相のそれは、自分自身というものをあらかじめ埒外に置いたうえで、美辞麗句を並べただけの、ただの独り言でしかない、そういう印象でした」

 ばかばかしい。会社勤めしてればわかることですが、この種のスピーチというのは天皇にせよ、安倍にせよ、誰にせよ「スピーチする本人」ではなく、「本人の意思を受けながら、スピーチライター(多くの場合、部下)が書くこと」が少なくありません。
 そうなるとスピーチ内容の「どこがスピーチする人間にとって大事で、どこがそうでもなかったのか」は部外者には全くわかりません。自分ですべて書いてるわけではないんですから。
 当然ながら

(陛下の)式辞の文章そのものは、ごく短いものでしたが、(ボーガス注:天皇陛下が?)何度も練り直す作業のなかで仕上げられたのであろうことが察せられ、迫力を感じました。

なんてことは全くわかりません。単に竹本がそう妄想してるだけです。
 竹本の妄想は極論すれば「我々の行為を天皇は褒めてくれるはずだ」と勝手に妄想して226事件を起こし、結果的に死刑になった陸軍青年将校と「天皇に対して自分に都合のいい妄想を勝手にしている」という意味では全く変わりません。
 つうか、http://blogos.com/article/128447/で安倍と天皇の式辞が読めますが、大して内容は変わらないと思いますが。竹本が、安倍の式辞をけなして天皇の式辞に感動する理由がさっぱりわかりません。竹本の妄想をわかることができるとも、わかりたいとも思いませんが。
 もちろん天皇は安倍ほどの非常識極右ではありませんが、少なくとも式辞の内容は大同小異です。

 かつて暴力による共産主義革命を呼号していた過激派の教祖が、「陛下」という言葉を使うのか、と感慨深いものがあった。安倍首相らの動きは憲法と民主主義を破壊するもので、天皇は逆に日本国憲法の精神を守ろうと闘っていると竹本さんは見ているようだ。

 そうですね。「高世の言う感慨とは違いますが」俺にも感慨がありますね。「暴力革命」「共産革命」を支持する立場にもちろん俺はありませんが、「元左翼の竹本がそこまで落ちぶれたのか。無残なもんだ。現天皇のどこが護憲のために闘ってるのか。そんな事実はどこにもない。天皇よりも故・翁長氏とか別の人間でも褒めたらどうなのか?」「そしてそんな竹本を高評価する元左翼の高世もそこまで落ちぶれ(以下略)」つう感慨はありますね。まあ高世の場合、極右・救う会と野合してる男だからそれ以前ですが。
 別に「暴力革命否定、共産革命否定」は天皇万歳じゃないでしょうに。
 今や「王政が廃止された」フランスやイタリアにおいて「サルコジベルルスコーニなど保守派ですら国王制度復活を主張しないこと(まあ現実的に無理ですが)」でわかるように「日本はともかく」世界においては王政支持、不支持と「右か左か」は全く関係ないわけですから。
 英国においても「数の大小はともかく」王政廃止論はありますがそういう人間は仮に「左翼だとしても」必ずしも共産主義者ではないでしょう。ましてや暴力革命支持者ではない。

 『週刊ポスト』が、今年3月に第12代靖国神社宮司に就任した小堀邦夫氏(68)の天皇批判を報じた。彼はこう言ったという。
「陛下が一生懸命、(ボーガス注:サイパンパラオなどで)慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん?。どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊(みたま)はないだろう?。遺骨はあっても。(中略)はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。」 
 さらに皇太子夫妻をも批判して、
 「もし、(ボーガス注:現天皇が)御在位中に一度も親拝なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」。「皇太子さまはそれに輪をかけてきますよ。どういうふうになるのか僕も予測できない。少なくとも温かくなることはない。靖国さんに対して」

 ウヨ連中が靖国を参拝しない現天皇夫妻、現皇太子夫妻を敵視してることはわかります。しかしただ「それだけ」ですね。ウヨ連中がそう敵視してるからと言って現天皇夫妻らは別に「政教分離原則の立場などから靖国批判をしてる」訳でも何でもない。

 竹本さんは、日本の伝統に基づく民主主義を実現すべきだと思い、宮本常一*20を勉強しているという。私と同じだ。

 「板垣退助らの自由民権運動秩父事件」「大正デモクラシー吉野作造民本主義普通選挙運動など)」「砂川闘争」「安保闘争」「いわゆる革新自治体」など過去の「日本の民主主義の歴史」を勉強するならまだしもなんで宮本常一なのか。わけがわかりません。
 なお、「自由民権運動」「大正デモクラシー」「革新自治体」でググったら最近のわりと入手しやすい本としては

自由民権運動
井上清*21『自由民権』(2003年、岩波現代文庫)
坂野潤治*22『明治デモクラシー』(2005年、岩波新書)
・牧原憲夫『民権と憲法』(2006年、岩波新書)
・稲田雅洋『自由民権運動の系譜:近代日本の言論の力』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)
・松沢裕作*23自由民権運動:〈デモクラシー〉の夢と挫折』(2016年、岩波新書)
・小池喜孝 『鎖塚:自由民権と囚人労働の記録』(2018年、岩波現代文庫)
大正デモクラシー
松尾尊兌*24大正デモクラシー』(2001年、岩波現代文庫)
成田龍一*25大正デモクラシー』(2007年、岩波新書)
・古川江里子『美濃部達吉吉野作造大正デモクラシーを導いた帝大教授』(2011年、山川出版社日本史リブレット人)
【革新自治体】
・岡田一郎『革新自治体:熱狂と挫折に何を学ぶか』(2016年、中公新書)

がヒットしました。

 また、今上天皇の思想形成に美智子妃の影響は大きいでしょうねと尋ねると、「それはもう・・・二人は一体ですよ」と竹本さん。私とかなり問題意識が重なっている。近く会ってみたい。

 高世や竹本の与太はともかく「まあ影響はある」でしょう。ただ美智子氏と結婚したときにすでに彼も成人男子ですからねえ。その時点でかなりの思想形成はされてるわけです。
 それはともかく、竹本と高世が会ったときに、また今回みたいなアホダラ文章が書かれるんでしょう。そのときはまた突っ込む予定です。


今上天皇に学ぶ「滝田修」
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20181019

 たけもとのぶひろ『今上天皇の祈りに学ぶ』(明月堂書店)。おお、なつかしい。著者の竹本信弘とは、滝田修のペンネームで知られ、1969年「京大パルチザン」を結成、1971年の埼玉県朝霞駐屯地での自衛官殺害事件の共謀共同正犯*26として指名手配された。10年間逃亡の後、逮捕された、いわば過激派の教祖。「日本のゲバラ」とも呼ばれた。裁判では強盗致死の幇助*27で懲役5年の判決だった。
 実は竹本さん、私のバンコク駐在時代、うちに滞在していたことがある。かみさんによると「1ヵ月くらいいたはず」だという。いつの間にか、私は竹本さんに「兄弟」と呼ばれるようになっていた。
 「むかしのわしを解体する作業をやっとるんや」とも言っていた。すでに出所直後に『滝田修解体』(世界文化社)を出していたが、その自己批判を徹底していくというのだった。
 今回いただいた本は、今上天皇に「学ぶ」というのだから驚いた。

 やれやれですね。このように『左翼だった人間が天皇万歳の右翼に転向する様』は俺のような「天皇万歳じゃない人間」にとっては痛々しいもんがあります。
 天皇万歳が自己批判ねえ。まあ確かに「昔の自分は解体されてる」のでしょうが。ただ天皇万歳なんてこの人が書かなくても世間にあふれてるし(苦笑)。

 サウジアラビア政府を批判してきたジャマル・カショギ記者が、トルコにある総領事館で殺害された疑惑。なんとも恐ろしい話である。サウジとのビジネスで私的にも巨額の恩恵を受けているトランプ大統領は、「ならず者の殺害者」がやったなどと必死にサウジを擁護*28しようとするが、皇太子ら権力中枢の指図であることは間違いない。詳細も明らかになりつつある。

 さすがにサウジ批判する高世ですが、まあ北朝鮮に比べたらぬるいもんです。北朝鮮とは違って「打倒サウジ王政」「今こそサウジの民主化を!」「皇太子をICCに訴追しよう」「せめて皇太子を更迭(廃位)しろ」などとは言わないわけですから。
 しかしトルコが今回かなり情報をつかんでるようですが、「暗殺阻止」ができなかったんでしょうか?
 もし「カショギ氏に暗殺計画を通報するなど、暗殺阻止ができたのに、暗殺をネタにサウジを攻撃するために、トルコがあえてカショギ氏に警告もせず、何もせず暗殺を容認した」のだとしたら、それも恐ろしい話です。「殺人の共犯」も同然じゃないか。まあ一般的な共犯とは意味が違いますが。
【追記】
 なお、

https://jp.reuters.com/article/saudi-khashoggi-idJPKCN1MU00L
■ロイター『サウジが不明記者の死亡認める 高官2人解任』
 サルマン国王は高官2人の解任を命令。解任されたのは、事実上の最高権力者であるムハンマド・ビン・サルマン皇太子*29の右腕とみられるサウド・カハタニ王室顧問と情報機関のナンバー2であるアハメド・アシリ氏。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3673267020102018MM0000/
■日経『サウジ、記者死亡認める 検察「総領事館で争いに」』
 サウジアラビアの国営メディアは20日、同国出身の記者で2日から行方が分からなくなっていたジャマル・カショギ氏が、トルコ最大都市イスタンブールのサウジ総領事館内で死亡したと報じた。サウジ政府は「カショギ氏は生きて総領事館を出た」という当初の説明をくつがえし、初めて館内での死亡を認めた。
 (ボーガス注:サウジの)検察当局は初期段階の捜査の結果として、カショギ氏は総領事館の建物で会った人物らと争いになり、死亡したと説明した。事件に関連してサウジ人18人が拘束され取り調べを受けた。
 サウジ当局は「事件の痛ましい展開」について深い遺憾の意を表明した。サルマン国王が事件に関わった可能性のある情報機関を再編するための委員会の設置を命じ、息子で事実上の最高実力者であるムハンマド皇太子を委員長に起用*30することも発表した。
 カショギ氏の死亡事件に皇太子ら主要王族が関与したことを否定する立場をつらぬき、事件の早期幕引きを求める立場とみられる。
 ムハンマド皇太子の側近で情報機関ナンバー2のアフメド・アシリ少将の解任も報じられた。米メディアはこれに先立ち、同少将に責任を負わせる形での事態収拾が検討されていると伝えていた。

ということで逃げ切れなくなったサウジがついに「生きて領事館を出た」という説明を撤回し「領事館内で死亡した」に説明を変えました。
 ただし
1)故意の殺人ではなく傷害致死
2)犯行実行者はサウジで処罰する(トルコには引き渡さない)
3)皇太子は黒幕ではない。したがって刑事処罰はもちろん政治的引責辞任もしない
ということでなんとか幕引きしたいようですがそううまくいくかどうか(追記:後にサウジは、トルコの批判に抵抗しきれず、故意の殺人であることを認め防衛ラインを『皇太子は無関係、だから皇太子の処罰はもちろん引責辞任しない』にまで下げてきました)。
 トルコはどうも「黒幕が誰かはともかく、故意の殺人である証拠」は確実に握ってそうですからねえ。先日の米国の対トルコ制裁措置には憤慨してるでしょうし、「口止め料」として、よほどのお土産を米国とサウジに要求するんじゃないか。

https://www.sankei.com/world/news/181020/wor1810200023-n1.html
■産経『サウジ「皇太子無関係」幕引き図るも…王位継承に影響必至』
 国王は2015年の就任以来、2度にわたり皇太子を交代させており、今回の事件でも交代はありえるとの観測が出ている。
 仏紙フィガロ(電子版)は18日付で皇太子の人選に関わる「忠誠委員会」が秘密裏に開かれたと伝えた。フランス24(同)は19日、ムハンマド皇太子の弟で現駐米大使のハリド王子のほかナエフ前皇太子らの名を候補に挙げた。米紙ニューヨーク・タイムズ(同)も18日付でサルマン国王の弟のアハメド王子らの名を挙げ、交代を求める寄稿を掲載した。
 在サウジの経済ウオッチャーは取材に、「国王にはムハンマド皇太子への王位継承に迷いが生じているかもしれない。少なくとも、継承の時期は遠のいたのではないか」と推測した。
 同皇太子が主導したとされる2015年からのイエメンへの軍事介入では、多額の戦費が財政を圧迫しているとされる。サウジは昨年以降、カタールと断交したほか、人権問題でカナダとも関係が悪化。昨年11月には同皇太子が主導して国内の有力王子や富豪らを汚職容疑一斉摘発するなど、強硬な政策が際立っていた。
 トルコはサウジが断交した後のカタールに食料を送って支援するなど、関係は良好とはいえず、捜査の進展次第ではサウジへの国際社会の批判が続く事態も予想される。

 今回の暗殺劇で、過去の皇太子の政策への批判(カタールとの断交やイエメン軍事介入など)とセットで「国内の反皇太子派が勢いづき」、欧米をなだめるためにも皇太子更迭(廃位)となる可能性が出てきました。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3672595019102018EA6000/
■日経『サウジ疑惑が波及も 孫氏10兆円ファンド、岐路に』
 サウジアラビア政府に批判的な著名記者の殺害疑惑が、ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長が進める投資戦略に影を落とす可能性が出てきた。世界中でサウジと距離を取る経営者も出始める中、ムハンマド皇太子が後ろ盾の10兆円ファンドを抱える孫氏は難しい判断を迫られている。

 サウジを金主にファンドをしていた孫氏が「サウジの金を失うのは痛い」と批判を浴びても付き合いを続けるのか、はたまた「殺人国家に協力するごろつき経営者」呼ばわりを恐れて縁切りするかが気になるところです。
 国民に人権意識がない日本はともかく、欧米だと下手すると、サウジとの付き合いを理由に「ソフトバンクの大規模な不買運動」「銀行がソフトバンクへの融資を断る」なんてことにもなりかねません。
【追記終わり】

 ところで、この疑惑については、早くも14日に、イギリス、フランス、ドイツの外相が共同で、「今回の事件を極めて深刻に受け止めている。何が起きたのか信頼できる調査による真相究明を行ったうえで、責任者を処罰しなければならない」との声明を発表し、サウジ政府に真相究明を求めている。

といったところで「サウジから石油買ってる手前」、

 国内外でお前らホニャララ政府はサウジ批判しろ、あんな政府批判ジャーナリストの暗殺が許されるか、しかも犯行場所が領事館って異常すぎるやろ、ってうるさいから批判したけど、さすがに黒幕の皇太子をトルコ警察に引き渡せとは言わへんから。おたくの国からは石油を買ってるし(なお、米国の場合、石油だけでなくサウジに米軍基地があるという恩恵もある)。でもせめて、北朝鮮拉致みたいに『末端の過激主義者の暴走だった』としてそいつをあんたらサウジが処罰するか、トルコ警察に引き渡すかしないとおさまりつかへんやろ

つう話でしょうね。こうした英仏独の動きが無意味だとまでは言いませんが、高世ほど高評価はできないでしょう。

 こういう人権にかかわる重大事件では、わが日本政府はいつも沈黙である。情けない。
 中国のウイグル族弾圧もしかり。中国当局ウイグル人ら100万人もの少数民族を拘束しているとの疑惑だ。10月4日、欧州議会は、「中国・新疆ウイグル自治区ウイグル族とカザフ族に対する大規模な強制収容が行われていること」に関する緊急議案を審議し、中国政府による宗教の自由に対する抑圧を非難すると同時に、被収容者の即時解放を求める決議を採択した。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチは、国際社会が中国政府に制裁を科すべきだと主張している。

 ヒューマンライツなんちゃらは無責任に中国経済制裁をほざいてるようですが、まあ「経済大国中国」が相手では現実問題無理ですね。それにしても高世は「日本政府はなぜウイグル問題でー、中国批判をしないのですかー」ですが、まあI濱Y子*31女史、M谷N子*32女史、福島香織、石平、産経なんぞは完全に「日本政府がウイグル問題での中国批判に及び腰なこと」から逃げてますね。
 彼らは「中国はウイグルへの対応は酷い」「国連やEU諸国が批判してくれてありがたい」「私も中国は許せないと思ってる」といっても、高世と違い、日本政府批判、つまり安倍自民批判は絶対にしません。
 ならM谷女史も過去の「ウイグル政治犯ガー、安倍元首相のおかげでー」を撤回するべきでしょうにねえ。最近では「安倍がウイグルのために何もしないために」安倍万歳はさすがにやめたM谷女史ですが、まだ公式には過去の安倍賛美は撤回してないと思います。まあ以前、彼女に「安倍の言動なんて舌先三寸じゃん(要約)」と批判ツイート*33を送ったら彼女にマジギレされた俺としては、「多分誰かが彼女に過去の安倍賛美を正式に撤回するように求めたらマジギレするんだろうな」と思いますが。

 日本政府は、中国に対して尖閣問題では抗議をする一方で、人権問題では何も言わない。日本政府自体が人権とは縁のない体質だから?
 もうこの政府は一日も早く取り換えたい。

 「?」マークいらんですね。アパルトヘイト南アとすら、地下資源目当てに付き合って「名誉白人称号を南アからいただいた日本」「1988年国連総会で名指しで非難された日本」に「人権なんて高尚なもん」があるわけないでしょう。「河野談話否定論、南京事件否定論に親和的」な安倍が特に酷いのは事実ですが、他の歴代自民総理だって大して立派じゃありません。
 まあ、それと「ウイグル問題であれ、なんであれ」中国批判して、10月の訪中(予定)を安倍が潰したくないんでしょうよ。反発した中国に「日中首脳会談を延期したい」といわれては安倍のメンツも丸つぶれです。


■共産の変心で「普天間」意見書見送りに
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20181015
【追記】
 小生が「どうしようもないバカ」と見なして鼻で笑ってる反日共産党分子のウスラ低脳http://rsmp.seesaa.net/article/462436417.html)が「日本共産党は頭が固い」とか抜かしてて大笑いしました。そもそも日本のどこに移転するというのか?。ましてや、「沖縄の基地は押しつけられている、差別だ」というなら日本国内の移転先も「差別であってはいけない」わけです。
 「日本国内に沖縄の基地を受け入れてくれるところがあり、それは押しつけや差別でもない」。あり得そうにない話です。そうした「あり得そうにない話」を現実的でないとして批判する。何がどう悪いのか。むしろ「正当な行為だった」というのが小生の理解です。
 なお、このトンチンカン野郎に軽くつっこんでおきます。

共闘するとすぐに独自の理論が共闘プラットフォームに侵食してくる

 意味不明ですね。「口舌の輩」にすぎない小生は残念ながらリアルの政治経験は全くありません。しかしそれでもこの論理がとんちきであることくらいはわかります。
 共闘とは「ある固定的な共闘のフォーム」が自然にあり、「その共闘のフォーム」に各党があわせていくというもんではないでしょう。
 そうではなく話し合いで共闘のフォームがつくられていく。その共闘のフォームは固定的ではなく様々な要素によって適宜変化していく(もちろん各党が好き勝手な解釈でぶっ壊していいわけではありませんが)。
 従って「共闘後も様々な考えからいったんつくった共闘フォームについて異論反論オブジェクション(筑紫哲也風に)」が出てくることそれ自体は「自然なことであり何ら不当なことではない」。
 共闘を理由に異論を封じ込めようとする方がよほど「全体主義的」でしょう。
 問題は「異論が出ること」ではなく「異論に筋があるかどうか」でしょう。俺個人は今回の共産党の異論については筋があると思うわけです。まあ、最初から「こんなばかげた意見書」に賛同しなければあとで「サーセン」とわびることもなかったんですけどね。

 私は日本共産党とは結構近しい立場だと思うんですが、どうも一緒にやっていける気がしません

 やれやれです。「この人が共産党に近しいとはとても思えません」がそれはさておき。こんな非現実的な意見書に賛同することが「正当なことだ」とでも言うんでしょうか?。俺の方こそ「こんな非常識な連中と一緒にやってけるか(呆)」ですね。
 それこそこの方が信奉してるという「主体思想」の総本山・北朝鮮政府は「願望(国内でもいいから移設したい)を現実(国内移設の可能性はない)と混同してはいけない」というんじゃないですかね。
 まあ、まずは「ならば屏風の虎を出してください」じゃないですが「沖縄の基地を引き受けてもいいという自治体を出してください」ですね。そんな自治体が出れば俺も共産党も「今の意見」を改めるかも知れません。そもそも小金井市議会の意見書賛同議員は小金井市で引き受ける覚悟があるのかて話です(まあ「引き受ける」といったところで政府が移設するとも思いませんが)。

【追記終わり】

 沖縄問題に関する意見書が東京都小金井市議会で可決しそうになったのに、共産党の「心変わり」でお蔵入りになろうとしている。画期的な意見書だったので、とても残念だ。以下、東京新聞琉球新報の記事からざっと事態を説明する。
 沖縄出身で小金井市在住の米須清真(こめす・きよさね)さん(30)が、「沖縄に米軍基地が偏在している状況を変えるため、国全体で議論を起したい」と、市議会が国に対し移設の中止などをもとめる意見書を提出するよう陳情したことから話ははじまる。
 意見書は、辺野古への移転中止と普天間飛行場の運用停止を求め、さらに、基地問題への当事者意識を持ってほしいと、「普天間の代替施設は沖縄以外の全国すべての自治体を候補地とし、代替施設が国内に必要か否か国民的議論を行い、一地域への押しつけにならないよう公正で民主的な手続きで決定する」と盛り込んだ。このブログで、米軍基地を「引き取る」運動があることを紹介した。米軍基地を沖縄にだけ押し付けるのではなく、本土の我々も負担しましょうよというものだ。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20180225
 この意見書はその方向に沿った議論を呼びかけるもので、非常に重要な問題提起をしている。米須さんは同様の意見書を国に提出するよう各地の議会に働きかける市民グループ「新しい提案実行委員会」の一員で、たった一人で市議会の各会派を訪ね、陳情の趣旨を説いて回ったという。陳情は9月25日の市議会で反対が自民党会派と無所属の6、公明が退席、共産党4人や旧民進党系会派3人など賛成13で可決された。
 ところが、共産党市議団がすぐに態度を変える。
《10月5日の本会議に先立つ議会運営委員会で、共産党小金井市議団の水上洋志市議が「陳情は沖縄以外の全国全ての自治体を等しく候補地とすることが明記されており、わが党の基本的立場と異なっている。陳情に賛成した共産党市議団の態度は間違っていた」と賛意を翻し、陳情者から提案された意見書にも賛成できないとの立場を明らかにした。その上で陳情者や賛成した市議らに陳謝した。》(琉球新報10月7日付)
 琉球新報は《共産市議が賛成撤回で「普天間」意見書見送り 東京・小金井市議会》という見出しの大きな記事で、この事態を取り上げた。陳情の提案者や関係者は、共産党の「翻意」を批判した上で「論点が浮き彫りになった」「沖縄の自由を奪っている構造が明らかになったのはとても重要だ」と指摘している。
 共産党のドタバタは、おそらく、いったん共産党市議団が賛成した意見書案を党中央がチェック、基地の移設先を「全国の自治体を候補地とする」という点に拒絶反応を起こし、市議団をどやしつけて土壇場で潰しにかかった*34のだろう。
 共産党の対応にはみな*35愕然としている。12月議会までに共産党が目を覚まして、採択への道が開けることを祈る。

 太字強調は俺がしました。
 「変心で見送り」というので共産支持者として「え、何かやらかしたの?」と不安だったのですが、むしろ「やらかしたが、正道に戻った」と知って一安心です。最初から「やらかさなければ」非常によかったのですが贅沢は言いません。
 「やらかした場合」、批判しようか、「無理矢理擁護しないまでも、支持者の端くれなので批判は自重するか」悩むところでした。
 小生は以前からこういう「引き取り運動」つうのは「馬鹿げてる」と思って、そういう記事も何度か書いてるのでこの意見書案とやらが画期的だとは全く思いません。「高世は、琉球新報はあほか」ですね。いや、高世は「拉致問題がらみでの言動を主たる理由として」前からあほだと思ってますけど。
 こんな意見書を可決したところで何がどうなるもんでもない。
 大体、こんなもん可決したら「じゃあ小金井で引き取ってくれるんですか?、米須さん、決議案に賛成した議員の皆さん?(自民政権や産経新聞など)」と絶対になりますよ。そのときに「イヤー、引き取る場所がないから」とか言って「引き取れない」のでは説得力がないでしょう。
 たぶん、小金井市で「引き取る」なんて気運が高まってる事実はない。
 それは

米須さんはたった一人で市議会の各会派を訪ね、陳情の趣旨を説いて回ったという。

という事実で明白でしょう。小金井市内に彼の賛同者が多数いるなら「たった一人」つうことはありえない。彼のバイタリティは評価しますが「たった一人で陳情」つう時点で「自分の主張は市民に支持されてない」と気づいてほしいもんです。言葉を選ばず言えば彼の行為は馬鹿げた行為です。
 もちろん「引き取る」といったところで、小金井への移転なんかあり得ませんが。
 共産が「改心したこと(変心ではない)」「正気に戻ったこと」も大変よかったと思います。
 まさに「過ちては改むるに憚ること勿れ」ですね。そもそもこんなもんに賛成しなければ「陳情者や賛成市議に陳謝」することもなかったのですが、こんなもんに本会議でも賛成したらそれこそ「全国の党員、支持者に陳謝する」羽目になっていたでしょう。
 本会議可決前の委員会可決を知って

・共産東京都連など党上層部から、『何であんなもんに賛成するのか、撤回しなさい』『あんなもんに賛成して党員、支持者に説明がつくと思ってるのか!』とお叱りがあったか

はたまた

・小金井の党員、支持者、あるいは全国の党員、支持者から『何であんなもんに賛成するのか、撤回しなさい』『あんなんに賛成するなんて許しがたい変節だ、このままでは次の市議会選挙で応援できない』などと抗議、反対の声があったか

はともかく「とにかくよかった、一安心」と思います。
 「野党共闘重視」なんぞで、こんなもんに賛成したらまさに黒歴史、汚点となっていたでしょう。まあ、それでも「この程度のこと」では俺は共産支持はやめませんが。他の野党は「俺の価値観」ではもっと酷いですからね。
 「自民党総務会長経験者、つまり自民出身の小池なんてよそ者にこびて、共闘相手の共産党社民党などや市民団体どころか、党員、支持者に説明もなく、突然、無様な解党騒動なんかやらかす民進党」。まあ、これは、立民支持者は「立民は希望(現・国民民主)とは一線を画した」というのでしょうが、「入党したかったのに希望から『お前らなんかいらない』と仲間はずれにされてやむなく結党」「連合の解党圧力に抵抗しきれず、解党それ自体には反対しなかった」のだから俺は立民をそれほど評価していません。いや、「全く評価してない」わけではありませんが、「そんなもん結党する前に、解党に反対しろよ、抵抗しろよ」「お前ら連合から圧力かけられたらまた同じことやるんじゃねえのか」感がある。
 立民代表の枝野氏も「鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相」なので民主党政権時代の諸問題(例:「消費税増税しない」「沖縄米軍基地は県外移設する」「八ッ場ダムは中止する」など数々の公約の反故。こうした公約反故に反対した福島少子化等担当相(当時、社民党党首)の大臣更迭)には一定の責任もある。
 社民や自由は政策以前に共産に比べ支持率や選挙での得票数、議席数が低すぎる。もちろん自民、公明といった与党を俺は支持していませんし、「エセ野党維新」も論外です。そうなると共産しか残ってない。
 つうことで「熱烈共産支持者」には失礼ながら、俺の共産支持はかなり「消去法的」です。そういうことで「予想される周囲の反発」を無視してまで入党なんてことは「小心者の性格」もあって今してないし、今後もしないとは思います。とはいえ一応、支持者ではあります。拙ブログでの共産党機関誌「前衛」記事紹介くらいはやっていきたいと思います。

以下は琉球新報の訴え。正論だと思う。
《米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設の中止を掲げ、国内全体で議論する必要性を訴えた陳情に伴う意見書提案を小金井市議会は見送った。いったんは陳情に賛成した共産党会派が賛意を翻す異例の事態となったからだ。陳情を採択した議会としての責任も問われる。沖縄の基地負担を自分の事として考える全国的な動きの先駆けとして注目されていただけに、賛成撤回はその流れに逆行していると言わざるを得ない。
 内閣府世論調査によると国民の77・5%が日米安保は役立っていると答え、81・9%は日米安保自衛隊で日本の安全を守ると回答している。

 繰り返しますが「高世と琉球新報はあほか」ですね。
 本当に日米安保は「日本の防衛に役立ってる」のか。「自衛隊だけでは国防できない」のか。たぶん「日米安保を評価する」つう国民の大多数にはそんな「きちんとした考えはない」でしょう。
 「よくわかんないけど、俺の支持政党の自民党が必要だと言ってるから必要なんじゃないの?。え、自民支持の理由?。別に日米安保は関係ねえよ。自民党の議員先生が国から予算ぶんどってくれたから」「『ならお前のところで基地を引き受けるのか?』だって?。嫌だよ、事故の危険性があるだろ。大体基地を移設する場所なんかねえよ」「沖縄に基地がたくさんあると言っても、沖縄に置く必要があるから、他の場所においては意味がないから、そうしてるんだろ。沖縄からなら台湾や北朝鮮に近いとか。よくわかんないけど」「大体、米国ともめたら厄介なことになるじゃん」つうのがほとんどの連中でしょう。
 まあ確かにそんな「ろくに考えもせず、『日本に米軍基地が必要だ』という連中」に「そもそも米軍基地など日本に必要なのか、自衛隊だけではだめなのか」と語りかけることはある意味むなしい気がします。とはいえそんな連中に「お前のところで引き取れ」といっても引き取るわけもない。大体、本土にだって横田や岩国などに米軍基地がありますが、それは高世のような「引き取れ」論はどう考えてるのか。「沖縄の負担を引き受けていて偉い」といって「岩国や横田に基地なんぞいらない」つう反対論は敵視するのか。あるいは「埼玉県朝霞市(キャンプ・ドレイク)や入間市(キャンプ・ジョンソン)の米軍基地撤去運動」「砂川闘争、内灘闘争」など、過去の「撤去に成功した」米軍基地反対運動は無意味だったのか。
 それも変な話でしょう。
 いずれにせよ「引き取る論」は「政治的是非」はひとまずおくとしても「実現性」という意味で何ら現実的ではありません。「そもそも米軍基地が必要なのか」論を愚直に訴えていくことこそが本道だと思います。

 翁長雄志*36前知事の提案に応え、全国知事会日米地位協定改定を要求した。

 地位協定の改定は悪いことではありませんが、それは「米軍基地の移設」とは別問題です。
 「仮に沖縄の基地を県外に移設しなくても、できること、すべきことがある。それが日米地位協定改定だ」という話です。

*1:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)を経て首相。現在、第二〜第四次安倍内閣副総理・財務相

*2:首相、衆参両院議長、最高裁長官のこと

*3:広州市党委員会第一書記、全人代常務副委員長、国家主席党中央軍事委員会第一副主席、国家中央軍事委員会第一副主席など歴任

*4:電子工業大臣、上海市長・党委員会書記などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*5:北京市党委員会書記、鉄道大臣、安徽省党委員会第一書記、副首相、全人代常務委員長など歴任

*6:著書『ふたつの故宮博物院』(2011年、新潮選書)、『台湾とは何か』(2016年、ちくま新書)など

*7:外務省中国課長、アジア局長、官房長、オランダ大使、ブラジル大使などを歴任。著書『激動のアジア外交とともに』(2016年、中央公論新社)など

*8:ウィキペディア「日蘭関係」によれば1971年に昭和天皇はオランダ訪問してるそうなのでここは池田氏の勘違いでしょう。

*9:福田、中曽根内閣文相を経て首相

*10:代表作としてNHK連続ドラマ小説『青春家族』(1989年、清水美沙主演)、『外科医有森冴子』(1990年、三田佳子主演)など。なお井沢姓だが「右翼活動家の井沢元彦」とは別に関係はないようです。

*11:おそらくアジア女性基金による元慰安婦への金銭支援のこと

*12:元産経記者。著書『白い人が仕掛けた黒い罠:アジアを解放した日本兵は偉かった』(2011年、ワック)、『高山正之が米国・支那・韓国・朝日を斬る』(2013年、テーミス)、『アジアの解放、本当は日本軍のお陰だった!』(2014年、ワック文庫)、『中国と韓国は息を吐くように嘘をつく』(2017年、徳間書店)など

*13:陝西省省都

*14:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*15:福田内閣厚生相、大平内閣農水相、鈴木内閣蔵相、中曽根内閣通産相自民党政調会長(中曽根、竹下総裁時代)、宮沢内閣副総理・外相など歴任

*16:自民党政調会長(中曽根総裁時代)、中曽根内閣文相など歴任

*17:いわゆる宮沢官房長官談話が出された1982年の教科書問題のこと

*18:中曽根首相の参拝のこと

*19:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*20:著書『山に生きる人びと』(2011年、河出文庫)、『生きていく民俗:生業の推移』(2012年、河出文庫)、『日本人のくらしと文化:炉辺夜話』(2013年、河出文庫)、『イザベラ・バードの旅 『日本奥地紀行』を読む』(2014年、講談社学術文庫)、『海に生きる人びと』(2015年、河出文庫)、『辺境を歩いた人々』(2018年、河出文庫)など

*21:著書『日本帝国主義の形成』(2001年、岩波モダンクラシックス)、『明治維新』(2003年、岩波現代文庫)、『日本の軍国主義』、『天皇の戦争責任』(2004年、岩波現代文庫)など

*22:著書『未完の明治維新』(2007年、ちくま新書)、『西郷隆盛明治維新』(2013年、講談社現代新書)など

*23:著書『重野安繹と久米邦武:「正史」を夢みた歴史家』(2012年、山川出版社日本史リブレット人)、『町村合併から生まれた日本近代 明治の経験』(2013年、講談社選書メチエ)、『生きづらい明治社会:不安と競争の時代』(2018年、岩波ジュニア新書)など

*24:著書『滝川事件』(2005年、岩波現代文庫)など

*25:著書『司馬遼太郎の幕末・明治』(2003年、朝日選書)、『近現代日本史と歴史学』(2012年、中公新書)など

*26:つまりは実行犯じゃないと言うことですね。通説判例は共同共謀正犯を認めますが、「刑法に明文規定がない」「えん罪を招きかねない」「明文規定がある教唆犯でも処罰できる」ということで否定説も有力です。

*27:結局、致死ですから「殺人」ではなく「幇助」ですから「共謀共同正犯」ではないわけです。

*28:サウジに米軍基地があること、サウジが重要な石油産出国であることを考えればヒラリー大統領でも大して状況は変わらないでしょう。「トランプだからサウジかばってる」つう話ではない。

*29:第一副首相兼国防大臣兼経済開発評議会議長

*30:黒幕の疑いがある人物を調査委員長とは実に世間をなめています。

*31:著書『ダライ・ラマと転生』(2016年、扶桑社新書)など

*32:著書『中国を追われたウイグル人』(2007年、文春新書)など

*33:ただし今はアカウント停止されてるのでツイートできません

*34:高世の勝手な決めつけですね。小金井市の党員、支持者、あるいは全国の党員、支持者が抗議したとなぜ考えないのか。結局「上意下達」云々で共産に悪口したいだけなのでしょう。まあ、仮に「党員、支持者の反対」でも高世は「頭が固い」と言い出すのでしょうが。

*35:高世のような連中は、ですね。皆ではない。俺はむしろ歓迎しています。

*36:那覇市議、沖縄県議、那覇市長を経て沖縄県知事