黒井文太郎と常岡浩介に突っ込む(2019年2月11日分)

黒井文太郎
 今は「2島引き渡しもない」と分析する研究者も少なくないですが、ほとんどの方は「かつてはロシアに返還の意思があったが、状況が変化した」との認識。僕はゴルバチョフエリツィンプーチン*1の歴代政権に一度もその気はなかったとの分析。論拠は露側が一度も明言してないこと。クナーゼ*2提案や川奈提案などは完全に日本側の誤解と一人相撲。イルクーツク声明は日本がロシアに「転がされた」構図

 過去において安倍ほど、無責任に楽観論を放言してのめり込んでる人間はいませんのでね。
 「やらずぼったくりになる危険もあるが島の返還を目指すならやるしかない」が歴代総理の立場であり、安倍よりずっと慎重でしょう。
 宮沢*3総理(クナーゼ提案)、橋本*4総理(川奈提案)や森*5総理(イルクーツク声明)と安倍を同一視するのはいくら何でも失礼でしょう。

黒井文太郎
 ‏その気がないけど波風立てたくない時に、人は当たり障りのない社交辞令言うけど、約束しないように気をつけるでしょう?
 ロシアは昔から今までずっとそれ。
 日本は「脈ある!」と勘違いして、せっせと貢ぎ続けてる、みたいな
男「結婚してください!」
女「でも、あなたは長男だから、もし結婚したら、親と同居よね?」
男(そうか!親と別居なら結婚OKなんだ!)
女(結婚するとは言ってねーよ)

 黒井ってたとえ話が本当に下手くそですよね。あるいは「バカ」というべきなのか。
 「親と別居=米軍を置かない」「結婚=島の返還」なんでしょうが、この例で言えば

(そうか!親と別居なら結婚OKなんだ!)

と思うかどうかは「女性との関係性」で決まることで「よほど親密な仲」でもない限りそこまで脳天気じゃないでしょう。ロシアとの関係について言えば、安倍はともかく外務省は「米軍を置かないと約束すればすぐ帰ってくる」と思うほど、そこまで脳天気じゃないんじゃないか。
 また、仮に「親密な仲」でなくても「多少は脈があるかな」「脈がなくても俺はこのお姉ちゃんとどうしても結婚したい」とか思えば「親と別居可能」なら「別居可能だ」という方向に話を持って行こうとするでしょう。もちろん「親との別居が不可能」とか「別居可能だけどそんなことをいう冷酷な女なんかこっちから願い下げだ。恋心も完全に冷めた」なら仕方がないですが。
 で北方領土問題も同じです。「少しは脈があるか」「脈がなくてもどうしても島を取り戻したい」と思って、かつ「米軍を置かないことが可能」と思うなら「米軍を置きません」と約束して少しでも返還の可能性を高めようというのは普通の話です。「どうしても米軍を置く選択肢を放棄できない」「放棄しようと思えば出来るけどしたくない」つうなら話は別ですが。別に「米軍を置かない」と約束することも、「じゃあ別居します」と約束することも「そうすれば結婚できる、島が戻る」とロシアや女を信じてるつう話じゃない。そこまで脳天気な人間は普通いないでしょう。
 「相手の言い分を可能な限り受け入れて、相手の拒絶理由をなくす→自分の要求を受け入れてもらえる可能性を高める」つうのは何だって当たり前の話です。
 むしろこういうことを言う黒井は「どうしても米軍を置く選択肢をキープしたい」あるいは「ロシアの要求を受け入れるくらいなら島なんか帰らなくていい」と思ってる以外の何物でもないでしょう。
 正直に「俺は北方領土に米軍を置く選択肢を放棄したくないんだ」とか「ロシアの要求を受け入れるくらいなら島なんか戻らなくていい」といったらどうなんですかね。元島民の反発が怖くて言えないんでしょうけど。「ロシアに島を返す気はない」と言い訳しないで。そんなこと、ロシアにしか分からないことですから。
 まあ、正直な話、俺は「ロシアが島を返す可能性は低いだろう」と思います(島を返すとはっきり明言しないので。しかも国内世論が返還反対多数なんだからなおさらです)。
 ただそれは「ロシアや女(黒井の例)にしか分からないこと」です。相手の言い分を受け入れなければ「さようなら」にしかならない。そして「あなたが私の要望を受け入れないからさようなら、するしかない」といわれたら言い返しようがないわけです。
 「お前、受け入れない口実にしてるだけだろ」といっても水掛け論でしかない。
 相手の本心なんか「超能力者でない」以上わからないんですから。だから「受け入れ可能」なら「受け入れる」のは当然の話です。「受け入れ不可能だ(例:どう見ても明らかに結婚詐欺)」つうなら話は別ですが。

黒井文太郎*6
 まあそうは言っても、言説の説得力は情報の収集・選択の妥当性や分析の論理性による。
 言説発信者の実績とか、「専門家」か否かとかは無関係

 前後の文脈が分からないので、評価が難しいですが一応突っ込んでおけば「無関係ではない」ですね。
 まあ「情報の収集・選択の妥当性や分析の論理性」で判断すべきでしょうが、それが困難な場合は安全策(次善の策)として
1)その人間が専門家かどうか(専門家ならば信用がおける、素人ならば信用できない*7
2)その人間の実績がどうか(過去の実績が優れてば信用できる、酷ければ信用できない*8
で判断するつう事は当然あり得ます。

*1:エリツィン政権大統領府第一副長官、連邦保安庁長官、第一副首相、首相を経て大統領

*2:外務次官、駐韓大使など歴任

*3:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も、小渕、森内閣で蔵相

*4:大平内閣厚生相、中曽根内閣運輸相、海部内閣蔵相、自民党政調会長(河野総裁時代)、村山内閣通産相などを経て首相

*5:中曽根内閣文相、自民党政調会長(宮沢総裁時代)、宮沢内閣通産相、村山内閣建設相、自民党総務会長(橋本総裁時代)、幹事長(小渕総裁時代)などを経て首相

*6:著書『世界のテロリスト』(2002年、講談社プラスアルファ文庫)、『北朝鮮に備える軍事学』(2006年、講談社プラスアルファ新書)、『日本の情報機関』(2007年、講談社プラスアルファ新書)、『イスラム国の正体』(2014年、ベスト新書)、『イスラム国「世界同時テロ」』(2016年、ベスト新書) など

*7:もちろん「何をもって専門家というのか」という問題はありますが。例えば「学者」は一般的にいって専門家でしょうが、資格試験があるわけでもないジャーナリストは専門家に当たるのか。

*8:もちろん過去の実績について「どう評価するのか」つう問題はあります。また「過去優れた実績を上げた人間が劣化する」つうこともあります(その逆はあまりないと思いますが)。