「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう(2019年2/28分:三浦小太郎の巻)(追記あり)

書評「日本赤軍とは何だったのか」和光晴生著 彩流社 | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
 まあウヨの三浦では予想の範囲内ですが、ただただ赤軍派に悪口です。「本当にくだらねえな」「赤軍派も腐れウヨの手前にだけは言われたくねえだろ」と別に赤軍派支持ではない、むしろあの種の極左過激派が大嫌いな俺ですら思います。
 なお、和光とは以下のような御仁です。

■和光晴生(1948年~:ウィキペディア参照)
・1972年には若松孝二の最初のATG映画となる「天使の恍惚」で撮影助手を担当し、出演している。
・1973年9月、日本赤軍に参加。
・1974年にシンガポール事件、ハーグ事件*1、1975年にクアラルンプール事件*2に参加する。
・1997年、レバノンにおいて偽造旅券・不法入国などの罪で起訴され、禁錮刑の確定・執行の後に国外追放、日本に移送された。日本ではハーグ、クアラルンプール両事件について逮捕監禁罪・殺人未遂罪で起訴された。第一審は2005年3月23日に東京地裁無期懲役判決が下った。判決理由で殺傷力の高い拳銃による至近距離からの発砲から、殺意があったと評価、襲撃対象を共犯者に告げた時点で殺人の共謀があったとして殺人未遂罪の共謀を認定した。また、実行犯グループのリーダー格で共犯者を指揮・統率したと認定した。2007年5月9日、東京高裁が控訴棄却。2009年10月27日、最高裁が上告棄却し、無期懲役が確定した、現在、服役中。
・なお、和光はダッカ日航機ハイジャック事件にも参加したとも言われる(実行犯として名が挙がっている)が、立件はされていない。
・2005年3月、日本赤軍の元メンバーが万引きで逮捕されたとの報に接した和光は「この件が日本赤軍の実体・実情を示したもので、かつてヨーロッパで大使館占拠や飛行機乗っ取り等を実行してきた組織には、反社会的・反人民的性格があった」と、日本赤軍とかつての日本赤軍のメンバーたちを批判した。
・2009年、和光は雑誌『情況』(情況出版)において「日本赤軍とは何だったのか その草創期をめぐって」というタイトルで、日本赤軍の結成における事情をつぶさに報告するレポートを4回にわたって連載している(後に『日本赤軍とは何だったのか その草創期をめぐって』(2010年、彩流社)参照)。

・なお和光の本を出した彩流社からは

植垣康博*3『兵士たちの連合赤軍(改訂増補版)』(2014年)、『連合赤軍二七年目の証言』(2015年)
坂口弘*4あさま山荘1972(上)(下)(続)』(1993年、1993年、1995年)
塩見孝也*5赤軍派始末記』(2003年)
鈴木邦男連合赤軍新選組だ!*6』(2014年)
永田洋子*7『十六の墓標(上)(下)(続)』(1982年、1983年、1990年)
・坂東國男『永田洋子さんへの手紙』(1984年)

という本も出ています(著者は『鈴木邦男以外は』すべて和光と同じ赤軍派の関係者)。で三浦が植垣その他の本を「紹介しない理由」は「和光と違ってウヨ的に使いづらいから」でしょうねえ。正直、「本を読んでないのでなんとも言えません」がダッカ事件超法規的措置を拒否した植垣は「赤軍派へのそれなりの批判意識があるのではないか」と思いますが、ウヨの三浦的には「使いづらい」んでしょう。
・和光の「万引き非難」は「何だかなあ?」ですね。もちろん万引きを擁護はしませんが、「生活に苦しめば」誰だって万引き位するでしょう。そんなことは「赤軍派」云々とは全く関係がない。
 俺だって「万引きする」と思います。幸い今の生活はそう言う悲惨な状況ではなく、だからこそこうした駄文も書けるわけですが。
 ウィキペディアの記述が事実なら、和光は「赤軍派への反発」からもはやまともな赤軍派評価が出来なくなってるように感じますね。
 未だに政治テロをやってるならともかく万引き程度で普通の人間はこんな批判はしない。まあ「万引きをやるほど精神的に追い詰められて政治的成果など上がるのか(つうかもう政治運動はしてない?)」「ある種の政治的失敗の帰結か」とか俺も思わないではないですがそれ言ってもあまり意味があるとも思えない。
 まあ、「だからこそ」、ウヨの三浦にとって和光は「使い勝手がいい」のでしょうが。
 荒木和博が大森勝久氏を左翼叩きに使ってるのと似たようなもんです。
 まあ、「嘘ばかり書いてある」とは言いませんが、和光の言い分(特に赤軍派への非難)を鵜呑みにするのは相当に危険でしょう。

 逮捕後の和光は、日本赤軍を、いや戦後左翼運動を「失敗した運動」と明言している。その原因として「革命のためならすべてが許される」と、あらゆる非合法活動も、暴力も、また虚言も正当化したことが運動を市民から離反させたとし

 「???」ですね。

岡本公三日本赤軍)らによるテルアビブ空港乱射事件*8(1972年)
東アジア反日武装戦線による三菱重工ビル爆破事件(1974年8月)
日本赤軍によるハーグ事件(1974年9月)
日本赤軍によるダッカ・ハイジャック事件*9(1977年)
・1980年代の中核と革マルのいわゆる内ゲバ

などテロ事件がある「新左翼運動」ならともかく「戦後左翼(社民党共産党など)」を

「革命のためならすべてが許される」と、あらゆる非合法活動も、暴力も、また虚言も正当化した「失敗した運動」

とはとても評価できないでしょう*10(戦前の大森銀行ギャング事件だの、終戦直後の火焔瓶闘争だのはもはや昔のことですし、1970年代には共産党は39議席にまで躍進してますので、ここで「暴力事件」云々としては当然扱いません)。
 三浦が和光の文を曲解してるか、和光が例の「大森勝久氏(えん罪を主張しているが、北海道庁爆破事件で死刑判決)のように右翼化した」かどっちかでしょうがどちらにしろくだらない話です。
 社民党共産党のどこが「非合法活動や暴力」なのか。
 もちろん「安倍*11のような極右が首相」なんですから「失敗という面」はある。しかし「日本左翼だけの力ではない」「穏健保守(故・翁長沖縄県知事など)や海外(米中韓政府など)の力もある」とはいえ、安倍が未だに公然と河野談話否定や明文改憲に乗り出せないのも「日本左翼運動」を「失敗」で片付けられないことの一つの証拠とは言えるでしょう。
 あるいは「1970年代(例:宮本顕治氏による民主連立政権構想の発表)や1990年代(例:足立区長選、狛江市長選での党員区長、市長の誕生)の共産党の躍進(過大評価は禁物ですが)」や「1980年代の社会党おたかさん*12ブーム、マドンナブーム(これまた過大評価は禁物ですが)」を考えてもそのように否定的にのみ評価できるわけもない。
 あるいは逆に「数々の右翼政党(旧民社党たちあがれ日本、次世代の党、希望の党*13など)が選挙での敗北もあって消滅したこと」は三浦的にどう評価されるのか。大体、三浦が一時(いや今もか?)副代表を務める維新政党新風など、「共産や社民ほどの政治力もない」「世間からほとんど相手にされてないこと」は三浦的にどう評価されるのか。
 また、「安倍総理就任」などの「失敗」はもちろん「非合法活動云々」という話ではない。また、安倍のような極右に「河野洋平*14加藤紘一*15(故人)」などのような自民党リベラル派が権力を奪われたという意味では、「戦後保守の失敗でもある」。 
 そしてむしろ

国益のためならすべてが許される」と、あらゆる非合法活動も、暴力も、また虚言も正当化した「失敗した運動」

に該当するのは「南京事件はなかった」「慰安婦も公娼だ」などとデマ飛ばし、構成員に暴力団関係者すら居る三浦らウヨの方ではないのか。
 戦前にせよ戦後にせよウヨ方面だって

【戦前】
原敬*16首相暗殺事件(1921年
・山本宣治代議士(労働農民党)暗殺事件(1929年)
浜口雄幸*17首相狙撃事件(1930年)
  浜口はこの傷がもとでアクチノミコーゼ(放線菌症)を引き起こし、1931年に死去。
血盟団事件(1932年2~3月)
  右翼団体血盟団」が団琢磨三井財閥総帥、井上準之助*18・前蔵相を暗殺
・515事件(1932年5月)
  海軍青年将校犬養毅*19首相を暗殺
226事件(1936年)
  陸軍青年将校が真崎甚三郎*20皇道派首領)内閣樹立を目指して決起。高橋是清*21蔵相、斎藤実*22内大臣渡辺錠太郎陸軍教育総監を暗殺、鈴木貫太郎*23侍従長に瀕死の重傷を負わせた(岡田啓介*24首相も襲撃したが暗殺には失敗)。
【戦後】
浅沼稲次郎*25社会党委員長暗殺事件(1960年)
・風流夢譚事件(1961年2月)
  中央公論に掲載された小説「風流夢譚」に反発した極右が中央公論社社長の自宅を襲撃し、家政婦を殺害。
・三無事件(1961年12月)
  破防法が初めて適用されたことで知られる右翼のクーデター未遂事件。
野村秋介による河野一郎*26邸放火事件(1963年)
三島由紀夫事件(1970年)
  益田兼利・陸上自衛隊東部方面総監を人質に立てこもった三島が自衛官にクーデターを呼びかけたが支持されず自決。
経団連襲撃事件(1977年)
  野村秋介経団連本部を襲撃し、職員を人質に立てこもった事件。
本島等*27長崎市長狙撃事件(1990年)
加藤紘一邸放火事件(2006年)
刀剣友の会事件(建国義勇軍事件)(2009年)
  田中均氏(当時、外務審議官)、社民党朝鮮総連など犯人たちが北朝鮮シンパ扱いした個人の自宅や団体本部に実弾入りの脅迫状を送付。

などの数々のテロがあるわけで、三浦は「自分らのウヨ仲間のテロを棚上げしてふざけるな」といいたいですね。もちろん三浦らウヨが支持されない理由の一つはこの種のテロ事件です。
 だからこそ「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう(2019年2/26分:三浦小太郎の巻) - bogus-simotukareのブログでも触れましたが

 北朝鮮拉致問題や人権問題について、私*28は複数の人から「右翼がかかわっているから近づきたくない」という言葉を何度も聞かされました。

なんてことになり三浦らウヨは「非ウヨの一般人」から批判されるわけです。
 それに対しては三浦は

 それはその人の自由。ただ、それならあなたは被害者や抑圧された人々をあなたの政治的立場のために見捨てるのですか、という言葉がのどまで出かかったこともある。

と居直っていますが、そうやって居直っていいなら、革マル中核派だって三浦同様に

 私は複数の人から「極左過激派がかかわっているから近づきたくない*29」という言葉を何度も聞かされました。それはその人の自由。ただ、それならあなたは被害者や抑圧された人々をあなたの政治的立場のために見捨てるのですか、という言葉がのどまで出かかったこともある。

と居直っても問題ないし、そう言う居直りを三浦が認めないなら「手前も居直るな、三浦」て話です。まあ、三浦という男もつくる会理事を務める極右だけあって実に「くだらない人格、人間性」ですね。俺なら三浦のようなクズとはつきあいたくないですね。
 例の「Nさん(過去にトラブったため、トラブルを避けるためにidコールはしませんが)」も自称アンチウヨのくせによくもまあ、三浦が幹部を務める守る会なんぞに入れるもんです。で俺に「ねえねえ、何でNさんは、自称アンチウヨなのに、つくる会理事という極右・三浦が幹部を務める守る会に入ったあげく三浦を何一つ批判しないの?」と聞かれると「批判する義務があるのか!」と居直る。
 そのくせして俺に向かって「ボーガスは中国や北朝鮮に甘い」と言い出すのだから呆れます。Nの居直り「三浦批判する義務があるのか!」を正当なもんとして認めるのなら、俺にだって「中国や北朝鮮を批判する義務なんかない」でしょうよ。まあ一応お断りしておけば「非常識な中国、北朝鮮打倒論*30を主張しないだけ」で俺は中国や北朝鮮を批判していますが。

【追記】
 ふと思ったことですが、Nは自ブログにおいて「松下昇*31」なる新左翼活動家を高く評価しています。Nの反発を避けるために彼の記事へのリンクは張りませんが、興味のある方は調べるとよろしいでしょう。
 なお、ウィキペディア「松下昇」の文章*32は「Nの書いた文章と表現が似ている」上に「外部リンクの作成者がほとんどN」なのでほぼ全文、Nの執筆かと思います。そもそもウィキペディアに「松下昇」の項目をつくったのがNなんでしょう。ぶっちゃけ松下(元神戸大学講師)って新左翼活動家としては「彼が活動した神戸大学新左翼運動界隈」はともかく世間的に無名ですしね。Nは「大学時代から関西在住」だそうなので、松下とふれあう機会も多かったのでしょう。これが東京在住ならまた話も違うでしょうが。
 一方でNが交遊している三浦は「日本赤軍のテロ」を理由に新左翼運動を全否定しています。
 Nは三浦に対して「新左翼運動全否定とはふざけるな!。松下昇は日本赤軍のテロなど肯定していない!。松下シンパとして許せない!」とは思わないんですかねえ。思わないんでしょうねえ。それとも「三浦は松下を誹謗してない(三浦の文章には松下の名前は出てこない)」と強弁するのか。
 自称「松下シンパ」が聞いて呆れます。

【参考:松下昇について】

松下昇 - こころなきみにも
・松下昇氏は神戸大学の教員だったが、神戸外大で自主講座をしていた。
・私は二回行ったけど、面白くないので、行かなくなった。と言うより、当時は芝居にこっていて、自分でも芝居の本を書いていて忙しかったからだ。
 噂を聞いただけだが、松下さんは神戸大学の黒板にペンキで字を書くという象徴的行為をしたりして(「消えるような字を書くな!」という意味だったらしい)、大学から訴えられ、首になったそうだ。
 当時、私は同人費を学割にしてもらうかわりに同人誌の編集を手伝っていたが、その同人誌を編集していた池内紀*33という神戸大学の教師が松下さんと同じ東大の独文出身だった。池内さんは松下さんが首になる前、「そんな馬鹿なことはやめろ」と言ったけれどダメだった、と泣きそうな顔になった。それ以来、私は池内さんを信用するようになった。
・そのうち、全共闘の誰かから、松下さんが阪急六甲のところで屋台のたこ焼き屋を始めたという噂を聞いた。嘘か本当か知らないが、気に入らない神戸大学の教師が通りかかると、熱いたこ焼きを投げつけたという話だった。
・そのうち、奥さんが亡くなったと聞いた。子供さんはどうしたのだろう。地震のあと松下さんは亡くなった。

*1:オランダのハーグで発生した、日本赤軍によるフランス大使館立て籠もり・人質事件。要求を呑んで、オランダ政府が30万ドルを払い、フランス政府は日本赤軍メンバーを釈放した。

*2:日本赤軍が、マレーシアの首都のクアラルンプールにある、アメリカとスウェーデン大使館を襲撃・占拠し、アメリカの総領事ら52人を人質に取った。その後犯人グループは、人質の解放と引き換えに日本国内で服役・拘置中の活動家7人の釈放を日本政府(三木政権)に要求。日本赤軍に参加意思がある5人を「超法規的措置」として釈放・出国させた。

*3:1949年生まれ。1972年2月19日、他の連合赤軍メンバー3人と共に食料などを買出しに行った際、軽井沢駅で逮捕された。1977年9月に日本赤軍ダッカ日航機ハイジャック事件を起こしたとき、釈放要求メンバーに植垣も指名されたが、「日本に残って連合赤軍問題を考えなければならない」として要求を拒否した。一審、二審と懲役20年を言い渡され上告したが、1993年2月19日、最高裁も上告を棄却し刑が確定した。未決拘留期間が差し引かれ、残り5年半の懲役となる。1998年10月6日に出所。

*4:1946年生まれ。元連合赤軍書記長。山岳ベース事件(内ゲバ殺人)に関与。1993年2月19日、最高裁判所で死刑が確定。坂口の死刑が執行されていないのは、共犯者である坂東國男がクアラルンプール事件による超法規的措置により国外逃亡して裁判が終了していないためとされている。

*5:1941~2017年。元赤軍派議長

*6:読まないとなんとも言えませんが新撰組も「新見錦」、「芹沢鴨」、「山南敬助」、「伊東甲子太郎」といった幹部連中を、近藤勇土方歳三が粛清(暗殺や切腹強要)してますからね。鈴木氏の指摘したいことはそういうことでしょうか。まあ、「ウヨだって内ゲバしてんじゃん。新撰組の芹沢暗殺とか」というと三浦などはマジギレするのでしょうが。

*7:1945~2011年。元連合赤軍副委員長。山岳ベース事件(内ゲバ殺人)に関与。2006年、最高裁判所で死刑が確定。脳腫瘍を罹患したために死刑は執行されず、2011年に誤嚥性肺炎により死去。

*8:主役は岡本ら日本側ではなくパレスチナ解放人民戦線PFLP)ですが

*9:この時、「いわゆる超法規的措置赤軍メンバー釈放と身代金支払い)」に踏み切った福田赳夫首相の名言が「人命は地球よりも重い」ですね。

*10:なお、この時期は世界的にも「極左組織・赤い旅団によるモロ元イタリア首相暗殺(1978年)」などの事件が起きており極左テロは日本限定ではありません。そしてそうした極左テロがあっても英国やフランス、イタリア、ドイツでは社会党共産党などの穏健左派は一定の政治力を持っていた(持っている)わけです(例:最近では英国のブレア首相、フランスのオランド大統領、ドイツのシュレーダー首相など)。

*11:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*12:土井たか子社会党委員長のこと

*13:現在の希望の党は「小池の党」とは全くの別物です。

*14:中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長を歴任

*15:中曽根内閣防衛庁長官、宮沢内閣官房長官自民党政調会長(河野総裁時代)、幹事長(橋本総裁時代)を歴任

*16:第4次伊藤内閣逓信相、第1次、第2次西園寺、第1次山本内閣内務相を経て首相

*17:大蔵次官、加藤高明、第1次若槻内閣蔵相、第1次若槻内閣内務相を経て首相

*18:日銀総裁、第2次山本、浜口、第2次若槻内閣蔵相を歴任。

*19:第1次大隈内閣文相、第2次山本、加藤高明内閣逓信相を経て首相

*20:台湾軍司令官、陸軍参謀次長、陸軍教育総監など歴任

*21:日銀総裁、首相、第一次山本、原、田中義一、犬養、斎藤、岡田内閣蔵相など歴任

*22:第一次西園寺、第二次桂、第二次西園寺、第三次桂、第一次山本内閣海軍大臣朝鮮総督、首相、内大臣を歴任

*23:海軍次官連合艦隊司令長官、海軍軍令部長侍従長、枢密院議長、首相を歴任

*24:田中義一、斎藤内閣海軍大臣などを経て首相

*25:社会党書記長、委員長を歴任

*26:鳩山内閣農林相、岸内閣経済企画庁長官、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣農林相、建設相など歴任。河野洋平衆院議長の父。

*27:長崎県議を経て長崎市長

*28:三浦のこと

*29:ただし右翼の巣窟と化した拉致被害者救出運動界隈と違い「革マルや中核のような極左過激派しか関わってない政治運動(革マルや中核が主役の運動を除く)」て俺の知る限りは「ない」ですが。

*30:北朝鮮はまだしも日本にとって重要な商売相手の国・中国に向かって打倒論など非常識なだけです。だからこそ、あの安倍ですら習近平主席、李克強首相相手に一帯一路参加を表明しました。

*31:1936~1996年、元神戸大学教養学部講師。教授会欠席、授業や試験の拒否などによって1970年10月には神戸大学から懲戒免職処分を受けた。

*32:正直、ウィキペディア「松下昇」は読んでいても意味不明すぎて理解困難ですが。

*33:ドイツ文学研究者、エッセイスト。神戸大学助教授、東京都立大学教授、東京大学教授など歴任。著書『ウィーン:ある都市の物語』(1989年、ちくま文庫)、『幻獣の話』(1994年、講談社現代新書)、『ぼくのドイツ文学講義』(1996年、岩波新書)、『モーツァルト考』(1996年、講談社学術文庫)、『ザルツブルク』(1996年、ちくま文庫)、『温泉旅日記』(1996年、徳間文庫)、『カフカのかなたへ』(1998年、講談社学術文庫)、『はなしの名人 東京落語地誌』(1999年、角川選書)、『湯めぐり歌めぐり』(2000年、集英社新書)、『ドイツ 町から町へ』(2002年、中公新書)、『となりのカフカ』(2004年、光文社新書)、『ひとり旅は楽し』(2004年、中公新書)、『森の紳士録:ぼくの出会った生き物たち』(2005年、岩波新書)、『ゲーテさんこんばんは』(2005年、集英社文庫)、『なぜかいい町 一泊旅行』(2006年、光文社新書)、『作家の生きかた』(2007年、集英社文庫)、『川を旅する』(2007年、ちくまプリマー新書)、『異国を楽しむ』(2007年、中公新書)、『ひとつとなりの山』(2008年、光文社新書) 、『日本風景論』(2009年、角川選書)、『東京ひとり散歩』(2009年、中公新書)、『文学フシギ帖:日本の文学百年を読む』(2010年、岩波新書)、『カフカの生涯』(2010年、白水Uブックス)、『人と森の物語:日本人と都市林』(2011年、集英社新書)、『今夜もひとり居酒屋』(2011年、中公新書)、『東京いいまち 一泊旅行』(2012年、光文社新書)、『悪魔の話』(2013年、講談社学術文庫)、『きまぐれ歴史散歩』(2013年、中公新書)、『カール・クラウス:闇にひとつ炬火あり』(2015年、講談社学術文庫)、『闘う文豪とナチス・ドイツトーマス・マンの亡命日記』(2017年、中公新書)など