「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう(2019年3/3分:三浦小太郎の巻)(追記あり)

3月9日、江東映像文化振興事業団上映会「明治大帝と日露大戦争」 | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
 完全なキワモノ映画ですね。こうした皇室人気に完全に便乗した映画は大蔵貢社長時代の新東宝*1においては『明治天皇と日露大戦争*2』(1957年)の他にも
・『天皇・皇后と日清戦争』(1958年)
・『明治大帝と乃木*3将軍』(1959年)
があります。当時は当たったようですが、今はもちろんそう言う時代ではありません。描き方の是非はともかく、今や天皇の登場する映画やドラマは何ら珍しくありません。
 例えばウィキペディア昭和天皇」によれば

・映画
■日本のいちばん長い日(1967年、岡本喜八監督、松本幸四郎(八代目))
■太陽(2005年、アレクサンドル・ソクーロフ監督、イッセー尾形
■日本のいちばん長い日(2015年、原田眞人監督、本木雅弘
・テレビドラマ
■そして戦争が終った(1985年、TBSテレビ、加藤剛
■あの戦争は何だったのか:日米開戦と東条英機*4(2008年、TBSテレビ、野村萬斎

昭和天皇を演じたそうですが彼らの演技や出演作品への評価はともかく、彼らが天皇を演じた映画やドラマはもはや世間においてアラカンほどの衝撃も人気もなかったわけです。例えば、加藤剛の代表作でTBSドラマの昭和天皇をあげる人はまずいないでしょう。

 作品完成後に行われた試写会は、ときの皇太子(現今上天皇)も閲覧した。

 「閲覧」で間違いではない*5ですがウヨの三浦なら皇室敬語を使うかと思っていました。「閲覧」は敬語ではないでしょう。とはいえ俺も「皇室敬語」で何というか分かりませんが。天皇だと「天覧」ですが(例:巨人の長島が阪神村山実からサヨナラホームランを打ったことで知られる1959年の天覧試合)。また「皇太子殿下」「天皇陛下」と三浦が書かない点も少々意外です。

 嵐寛寿郎ほか、天城竜太郎、田崎潤宇津井健*6中山昭二*7高島忠夫、小笠原竜三郎、藤田進*8、江川宇禮雄*9、阿部九洲男、沼田曜一*10など

 ウィキペディアによれば

・天城竜太郎:加藤友三郎*11海軍少将
田崎潤東郷平八郎*12海軍大将
宇津井健広瀬武夫*13海軍少佐
中山昭二:伊地知幸介*14陸軍少将
高島忠夫:乃木保典*15陸軍歩兵少尉
・小笠原竜三郎:藤井較一*16海軍大佐
・藤田進:元老・井上馨*17
江川宇礼雄山本権兵衛*18海軍大臣
・阿部九洲男:元老・伊藤博文*19
沼田曜一:伊集院五郎*20海軍中将

だそうです。

参考

明治天皇と日露大戦争(1957年)(ウィキペディア参照)
嵐寛寿郎(アラカン)に、大蔵は「明治天皇を演ってほしい」と切り出した。アラカンは仰天し、「そらあきまへん、不敬罪ですわ、右翼が殺しに来よります」と断ったが、大蔵は「この作品に社運をかける、総天然色、大シネスコ、製作費2億円」と熱弁を振るい、「寛寿郎くん、日本最初の天皇役者として歴史に残りたいと思わんかね、キミ」と説得にかかった。元活動弁士仕込みの説得力もあり、アラカンは「シネマ・スコープ」に心が動き、「考えさせてもらいます」と答えた。
 ところが翌日の新聞には、でかでかと「『明治天皇と日露大戦争』、主役を引き受けた嵐寛寿郎、恐く感激云々」と新東宝宣伝部が談話をでっちあげて発表してしまった。こうしてアラカンは、この大役を引き受けざるを得なくなった。
・アラカンは、前代未聞の明治天皇役をどう演じるか悩んだ。その姿を見た大蔵は一計を案じ、アラカンが撮影所に来る時にはハイヤーで送迎し、ハイヤーが新東宝撮影所に到着すると大蔵以下新東宝の重役、スタッフが勢揃いして出迎えし「陛下のおなり」と呼び合うことを日課とした。アラカンは後年、この日課により「自分が本当に天皇陛下になった気分がした」と述懐している。
・公開後、封切りだけで興収8億円という空前の大ヒットに大蔵社長は得意満面で、アラカンに「寛寿郎くん、御苦労でした」と10万円(当時)のボーナスをはずんだ。アラカンは「8億円稼いで10万円、ゼニ残す人は違いますな」と皮肉っているが、これを受け取った。
 が、京都に戻ったアラカンに新東宝宣伝部が「東劇で凱旋興行をやるから(天皇の)衣装を着けて挨拶に出てくれ」と社長命令を伝えてきた。アラカンは「あの10万円、ギャラやったんか」と呆れかえり、「すまんがお断りや、皇室を利用してゼニもうけてもかめへん、ワテの知ったこっちゃない、せやけど少しは遠慮しなはれ、明治天皇サンドイッチマンにする了見か」と返したところ、それで沙汰やみになったという。
・観客動員数は2000万人、「日本人の5人に1人が観た」と言われ、日本の映画興行史上の大記録を打ち立てた。この記録は44年後の2001年、『千と千尋の神隠し』が観客動員数2300万人を達成するまで、観客動員数1位だった。
・この桁外れの大ヒットが新東宝における大蔵のワンマン体制を加速させることとなった。
・姉妹篇である『天皇・皇后と日清戦争』(新東宝、1958年)や『明治大帝と乃木将軍』(新東宝、1959年)のほか、事実上その総集編である『明治大帝御一代記』(大蔵映画*21、1964年)まで作られた。嵐寛寿郎は、『日本ロマンス旅行』(新東宝、1959年)で仁徳天皇を、『皇室と戦争とわが民族』(新東宝、1960年)で神武天皇を演じている。「新東宝創立十周年映画」の『新日本珍道中・東日本の巻』(1958年)でも再び明治天皇を演じている。
 大蔵社長によるこれら天皇役の「二番煎じ」のごり押しにはアラカンも辟易し、「仏の顔も三度や、こうたびたび天皇をやっていいものやろかと思いました」と語っている。
・アラカンは『明治大帝と日露大戦争』が終わればまた、ただの役者と割り切っていたが、世間はそれで許してくれなかった。これ以後、小学生まで明治天皇の写真を見て「アラカンだ」と言い、天皇崇拝者たちからは達筆で「貴方様が生活の為と言え、下らぬ剣戟映画等に出演をして居られますのは誠に遺憾千万の事に御座候」などと手紙が来る始末であった。『鞍馬天狗』と『右門捕物帖』を当たり役とする「戦前からの剣戟スタア」としてこれにはアラカンも「ほっといてもらいたい」と憤慨し、「しばらくの間は恨みのネタでしかおまへなんだ」と振り返っている。


花柳幻舟氏の死去について一言 | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
 小生は彼女を知っていますが最近の若者は知らないでしょうねえ。昔はともかく、最近はテレビに出ませんしマスコミも今回の事故死をそんなには騒いでいない。
 ウィキペディア花柳幻舟」によれば一番新しい著書『小学校中退、大学*22卒業 』が2009年、テレビドラマ、映画などの出演で一番新しいのが1990年ですし。
 死去は悲しいですが「クレヨンしんちゃんの作者の転落死」同様「殺人や自殺」といった事件性はなく、事故死らしいのはせめてもの救いです。

 長谷川きよし*23と二人で「話の特集」で色々な著名人と対談

 「話の特集」は、矢崎泰久*24が編集長を務めた雑誌であり、矢崎とのつながりで「1977年、 矢崎泰久中山千夏*25ばばこういち*26を中心にして結成された革新自由連合に企画委員として参加(ウィキペディア花柳幻舟」)」となったのでしょうね(まあ、中山やばばも『話の特集』によく出ていた人間*27かと思います)。ちなみに革新自由連合からは中山千夏参院議員に当選し、1期(1980~1986年)務めています。
 なお、ウィキペディア革新自由連合』によれば矢崎、中山、ばばの他では

青島幸男放送作家、後に都知事
岩城宏之(指揮者)
永六輔(タレント、作詞家)
大島渚(映画監督)
大橋巨泉(タレント。後に民主党参院議員)
加藤登紀子(歌手)
田原総一朗(司会者)
俵萌子(エッセイスト。1981~1985年まで中野区の教育委員を務めた)
手塚治虫(マンガ家)
野坂昭如(作家)
八代英太(タレント。後に福祉党を経て自民党。小渕、森内閣で郵政相)
横山ノック(漫才師、後に大阪府知事

などが革新自由連合のメンバーです。まあ、このうち、田原氏や、八代、ノックは明らかにその後「保守に変節(?)」していますが。しかし花柳氏に悪口する三浦にとっては「革新自由連合のメンバー」は「明らかに右に転向したメンツ」を除いて皆憎悪の対象なんですかね?

 後、立川談志とも(ボーガス注:対談)していて、(ボーガス注:革新自由連合のシンパである彼女は)自民党から選挙に出るような落語家とはケンカになるんじゃないかと予想する人もいたようだけど、彼女は立川氏の落語を聞き、この芸には敬意を表する、ということできちんと礼を尽くしていた。

 そりゃお互い大人ですからね。談志が彼女の政治活動(革新自由連合参加(1977年)は、談志の自民からの出馬(1971~1977年まで参院議員)と同時期です)を侮辱するようなことを言わない限り、彼女もけんかしないでしょう。大体けんかするようなら談志を対談相手に呼ばない。そして談志の方にもその程度の常識はあったのでしょう。

 彼女が失敗したのは、下手な政治運動*28に絡んだり、つまらない三流の左翼思想家(羽仁五郎とか)に付き合いすぎてしまったこと。そして、彼女の既成の家元制度への批判は実体験に根差していたのかもしれないけど、それを皇室批判に結び付けたのも芸能的には不毛*29だった。

 三浦が暴言を吐くのは昨日今日始まったことではないのですが、これは酷いですね。
 単に三浦が「彼女の左翼的*30政治活動を嫌悪して悪口してるだけ」の話です。そもそも三浦の言う「失敗」とは何なのか。花柳流(あるいは伝統芸能一般)において家元制度が続いてることか。彼女の社会的露出が今は少ないことか。
 特に羽仁五郎*31を、ろくな根拠すら挙げずに「つまらない三流の左翼思想家」呼ばわりしてるのは完全な誹謗中傷と言っていいでしょう。
 「維新政党・新風副代表」三浦の方こそ「つまらない三流の右翼活動家(思想家とはとても言えない)」ではないのか。
 いずれにせよ、こうした悪口は「よほどの極右」でない限り、三浦の下劣さに呆れるだけですが、まあそう言う常識はこの「極右のごろつき男」にはないのでしょう。三浦の周囲にも「三浦と同類のゲス、クズ」しかいないのでしょうね。
 しかし「例のNさん」もよくもまあ「ごろつき右翼」三浦なんぞとつきあえるもんです。

 正直、彼女は皇室伝統には全く無知で、その批判もそれこそ三流左翼*32のコピー。世に受け入れられない異端の芸がいかに皇室伝統によって守られていたかも知らなかった。

 というなら「世に受け入れられない異端の芸」や「それを保護した天皇」の具体的な例でもあげたらどうなのか。正直「権力者である皇室」が「世に受け入れられない異端の芸」なんてもんを守ることはないと思いますが。
 もしかして「江戸時代には人気が歌舞伎や浄瑠璃に負けていた能狂言」を皇室が保護したとかそういうことか。ただ「人気がない=世に受け入れられない異端の芸」ではない*33でしょうし、能狂言を例にすれば「仮に皇室がなくても」徳川将軍家や大名家が能狂言を保護していたのですが。
 つうか「芸術家のスポンサーだから皇室は偉い」てそんなこといったら、ヒトラースターリンだって「偉い」事にならないのか。
 もちろんヒトラースターリンが支援したのは「彼らにとって都合のいい芸術や彼らの好きな芸術」にすぎず、そうでない芸術は時に弾圧すら受けたでしょうが、それは皇室とて変わらないでしょう。わかりやすい例を挙げればプロレタリア文学なんてもんを皇室は保護しないわけです。

 こんな風に花柳幻舟について書くのはたぶん私一人だろう

 そりゃそうでしょう。まともな人間は皇室崇拝者ですら花柳氏に対してこんなげすな悪口はしません(まあ彼女が今ではあまり、「有名人とは言いがたい」というのもありますが)。しかも反論できなくなった死後に言うなんて人間として最低です。まあ、三浦なんて小物右翼が花柳氏の生前に何を言おうとも彼女は相手にせず無視したでしょうが。

 もっと自由に、もっと思いのまま、あちらの世界で踊り続けてください。

などととってつけたようなことを最後に書いても、三浦の花柳氏に対する「下劣な悪口雑言」はチャラにはなりません。
 そもそも生前の彼女とて「存在する条件」のもとで彼女なりの「自由な生き方」を追求していたわけでしょうし(もちろん「人間関係のしがらみ」「経済的条件(要するにカネがない)」「能力の限界」など様々ありますので、「あの世*34」であれ「この世」であれ「自分の希望が100パー叶う完全に自由な生き方」なんてもんは花柳氏に限らず誰だって無理です)。

*1:なお大蔵社長就任以前の新東宝には黒澤明『野良犬』(1949年)、小津安二郎『宗方姉妹』(1950年)、溝口健二西鶴一代女』(1952年)などいわゆる名作も少数ながらあります。

*2:三浦の「明治大帝」は誤記のようです。

*3:台湾総督、第三軍司令官(日露戦争当時)、学習院長など歴任。明治天皇の死後、妻と共に殉死。死後、「乃木神社」がつくられたり「乃木坂」の地名が創設されるなど、神格化された。

*4:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、東京裁判で死刑判決。後に靖国に合祀。

*5:まあ、ただコメント欄で指摘があるように「鑑賞」でいいですよね。

*6:1960年代半ばから1980年代前半まで、TBS放送のいわゆる大映テレビドラマの大黒柱として活躍。1965年に開始された『ザ・ガードマン』は、30%を超える高視聴率をマークし、1971年までの約7年に亘って放映された代表作の1つ。山口百恵と共演した「赤い」シリーズでは「山口百恵の父親役」で百恵とともに一世を風靡(ウィキペディア宇津井健』参照)。

*7:ウルトラセブンの「キリヤマ隊長」役で知られる。

*8:1935年(昭和10年)、嵐寛寿郎プロダクションの映画『活人剣荒木又衛門』(マキノ正博監督)の富士山麓でのロケでのこと。マイクの性能のあまり良くない時代でもあり、録音のマイク係だった藤田は、一所懸命考えて道路の土の中にマイクを見えない程度に隠した。それを嵐寛寿郎が「こんなもんで音が録れるか」と言って、足で蹴った。大事なマイクを足蹴にされた藤田はその晩酔っぱらって、「アラカンの奴、ぶん殴ってやる!」と怒り狂い、関係者を驚かせた。監督のマキノは藤田をおさえ、「そんなに口惜しいなら、お前も役者になり、立派なスターになってアラカンを見返してやれ」と諭した。そして、この時はアラカンの反発を抑えるために、『活人剣』での仕事が済むと「お前、クビや」と解雇を言い渡した。その後、東宝でスターとなる藤田だが、東宝入社までの一時期、競馬の予想屋をやって食いつないでいたという(ウィキペディア『藤田進』参照)。

*9:1902年(明治35年)、ドイツ極東艦隊海軍病院薬局長として来日したドイツ人男性と日本人女性の次男として生まれる。幼い時に、両親が離婚。父は長男を連れてドイツに帰国、母にひきとられた江川は本名を「ウィリー」から「ウレオ」に改名した。少年時代は混血児であることから不当な差別を受けてぐれてしまい、横浜界隈では有名な不良となっていた。1931年(昭和6年)に俳優として松竹蒲田撮影所に入社。当初脇役として過したのち、主演級に抜擢され、以後島津保次郎小津安二郎の作品などに主演し続ける。戦後は新東宝で活躍し、1957年(昭和32年)にフリーとなった。テレビ出演も多く、特に1966年(昭和41年)のTBS『ウルトラQ』での一の谷博士役が有名(ウィキペディア『江川宇禮雄』参照)。

*10:丹波哲郎天知茂宇津井健高島忠夫、三ツ矢歌子、大空真弓池内淳子菅原文太らと新東宝を支えたスターの一人だったが、彼らが新東宝倒産後も他の映画やテレビドラマで成功したのに比べると、沼田は彼らほどの成功を得ることはなかった。丹波哲郎は生前「沼田はいい俳優だったが、酒癖が悪くてキャリアをフイにした」という趣旨のコメントを残している(『大俳優丹波哲郎ワイズ出版)。晩年は映像よりも民話の語り部としての方が知られており、この業績によって俳優時代には得られなかった栄冠(文化庁芸術祭優秀賞)に輝いた(ウィキペディア沼田曜一』参照)。

*11:第2次大隈、寺内、原、高橋内閣海軍大臣、首相など歴任

*12:連合艦隊司令長官、海軍軍令部長など歴任

*13:日露戦争でのエピソードから、郷里に広瀬神社が作られるなど、戦前は「軍神」として神格化された。

*14:日露戦争当時は第3軍参謀長、旅順要塞司令官。

*15:乃木希典日露戦争当時は第3軍司令官)の次男。日露戦争で戦死。

*16:日露戦争当時は第二艦隊参謀長。その後、海軍軍令部次長、佐世保鎮守府長官、第1艦隊長官、横須賀鎮守府長官などを歴任

*17:第1次伊藤内閣外相、黒田内閣農商務相、第2次伊藤内閣内務相、第3次伊藤内閣蔵相など歴任

*18:第2次山県、第4次伊藤、第1次桂内閣海軍大臣、首相を歴任

*19:首相、貴族院議長、枢密院議長、韓国統監など歴任

*20:伊集院信管の開発者。この信管は明治38年(1905年)の日本海海戦日露戦争中)で、その威力を発揮し、連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃破する大きな要因となったとされる。そのため伊集院は、「日本海海戦勝利の影の功労者」と言われている。第一艦隊司令長官、海軍軍令部長を歴任した。第一艦隊司令長官時代に行った猛訓練は「月月火水木金金」といわれ、後に同名の軍歌が作られるに至った(ウィキペディア『伊集院五郎』参照)。

*21:1960年に新東宝社長を辞任した大蔵貢が1962年に設立した映画会社(なお、新東宝は1961年に倒産)。

*22:コメント欄で指摘がありますが花柳氏は放送大を卒業しています。

*23:シンガーソングライター、ギタリスト。1983年に革新自由連合(革自連)から参院選に出馬したが落選している。

*24:著書『「話の特集」と仲間たち』(2005年、新潮社)など

*25:著書『子役の時間』(1983年、文春文庫)、『国会という所』(1986年、岩波新書)、『蝶々にエノケン:私が出会った巨星たち』(2011年、講談社)、『芸能人の帽子:アナログTV時代のタレントと芸能記事』(2014年、講談社)、『活動報告:80年代タレント議員から162万人へ』(2017年、講談社)など

*26:著書『激論・社民連VS革自連:80年代に政治の変革と復権は可能か』(菅直人氏との共著、1979年、ちはら書房)、『落選・130,504票:ばばこういち全国縦断参院選レポート』(1980年、あすか書房) など

*27:話の特集」を読んでないのでその当たりよく知らないですが。

*28:ウィキペディア花柳幻舟」には「1977年、 矢崎泰久中山千夏ばばこういちを中心にして結成された革新自由連合に企画委員として参加」と書かれています。

*29:何がどう「不毛」なのかさっぱりわかりません。まあ「皇室批判は政治的に間違ってる」ではなく「芸術的に不毛」と表現してるのも意味不明ですが。「そんな政治活動は芸術にとってプラスにならない」とでも?。ただ別に政治活動って「芸術活動の向上」のためにするわけじゃないですからね。そして三浦は「三島由紀夫黛敏郎らの右翼活動は芸術的に不毛」という発言には「自分の花柳氏への悪口」は棚上げして怒り出すんでしょうね。

*30:といっても三浦にとっての「左翼」ですが。

*31:著書『ミケルアンヂェロ』(岩波新書)、『明治維新史研究』(岩波文庫)、『都市の論理』(講談社文庫)など

*32:三浦の言う三流左翼が誰を意味するか知りませんが、三流右翼(三浦)がよくも言ったもんです。

*33:むしろ能狂言なんて「正統中の正統」でしょう。

*34:俺個人は「あの世」なんかないと思いますが、仮にあったとしても「何でも希望が叶う桃源郷」でもないでしょう。