「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年4/21分:荒木和博の巻)(追記あり)

投票日【調査会NEWS2967】(31.4.21): 荒木和博BLOG

 少しでも拉致問題に関心のある候補者に票を投じてもらいたいと思う次第です。

 おいおいですね。大阪、沖縄の衆院補欠選ならともかく統一地方選後半戦(政令市を除く市町村の首長および議員の選挙*1)」で拉致なんかどう関係するのか。
 これがまだ「拉致事件が起こった佐渡市」ならまだわかる。
 まあどこでもいいんですけど小生の住む埼玉を例にとれば
クレヨンしんちゃんの住む春日部市
芝園団地のある街・川口市」「西川口駅前がリトル中華街化してるという川口市
小江戸川越市
西武ライオンズの本拠地・所沢市
梶田隆章さん*2が名誉市民*3東松山市
渋沢栄一(次の1万円札肖像)の出身地・深谷市
瀬戸大也*4観光大使毛呂山町」「ペマ・ギャルポが一時すんでた毛呂山町
共産党員市長*5蕨市」「一部でワラビスタンという異名がある蕨市」などの首長選や議員選で「拉致ガー」とか正気を疑われますよ。

【参考:春日部とクレヨンしんちゃん

クレヨンしんちゃん登場のフリーペーパー発行、春日部市が移住促進で 東京、千葉、神奈川で配布
 移住促進を図ろうと、埼玉県春日部市は人気アニメ「クレヨンしんちゃん」が登場するフリーペーパーを発行、市役所や市のホームページ、東京、千葉、神奈川の県外3地域で配布する。
 フリーペーパーのタイトルは「クレヨンしんちゃんのなるほど春日部マガジン」。A4判、フルカラー、20ページで3万部を作成した。春日部が舞台の人気アニメ「クレヨンしんちゃん」描き下ろしの漫画を軸に、都心からのアクセス、子育て・住宅環境の良さなど市の魅力を発信する。
 市はこれまで移住促進の一環としてアンケート調査を実施。(ボーガス注:クレヨンしんちゃんのおかげで)春日部の地名は知られているものの、市の特徴について認知度が低いことが課題に上がったという。

【参考:川口の中華街】

池袋・川口…ミニ中華街が続々 共生の一歩は太極拳?|オリパラ|NIKKEI STYLE
・首都圏で「ミニ中華街」が増えている。もともと横浜、神戸、長崎が「三大中華街」として知られるが、東京都の池袋、さらに最近では埼玉県の川口市が新しい中華街として発展してきた。
川口市では、ここ十年ほどで急速に中国人の住民が増えている。今年4月時点の中国籍住民は1万9719人。市の人口の3%強を占める。
牛肉麺、火鍋、米線。
 西川口などの駅前では、中国語で書かれたメニューを掲げる中国料理店も増えている。たいていの店が中国人による経営で、日本語でもメニューを提供するが、店内は中国語の掲示が目立ち飛び交う言葉は中国語が大半だ。中国の様々な地方の「本場」の料理や雰囲気を味わうことができるため、一種の「観光スポット」にもなりつつある。
 川口市で中国人の住民が増えた背景の一つは、家賃が相対的に安い点がある。西川口駅周辺は風俗店が多かったが、埼玉県警が摘発を進めた結果、2006年ごろから空きビルが目立つようになった。周辺の家賃水準は下がり中国人が集まって暮らすようになった。
 一方、芝園団地でも住民の高齢化が進み空き室が目立つようになり、入居に際して保証人などは不要で国籍の制限は無いといった利点が中国人の間で口コミで広がっていった。西川口駅などからはJR池袋駅上野駅まで電車で20分前後と交通の便が良いことも支持されているようだ。
 日本の中華街に詳しい立正大学山下清*6教授は「新しいタイプの中華街が郊外に広がっている」という。中国では1978年に改革開放路線を打ち出して以降、海外に移る人々が増えた。古くからある日本の中華街で暮らす華僑とは異なり、「新華僑」と呼ばれるこれらの人々が働き暮らす場所を求めたのが東京・池袋だ。川口同様に風俗店の摘発の後に生じた空きビルなどで、90年代ごろから中国人向けの飲食店や中国人が集住する場所が増えた。
 その後も日本で暮らす中国人は増え続けた。2017年末で73万人となり、10年間で2割以上増加。子ども連れや両親帯同で日本で暮らすといったケースが増えており、繁華街の池袋に比べ家族で過ごしやすい川口が選ばれているようだ。山下教授によると東京・亀戸や大阪・西成地区などでも新華僑が経営する飲食店が増えており、周辺で川口のように中国人が集まって暮らす地域が出てくる可能性もある。

【参考:東松山と梶田氏】

ノーベル賞:梶田さん記念碑の除幕式 埼玉・東松山 - 毎日新聞
 埼玉県東松山市出身で昨年のノーベル物理学賞を受賞した東京大学宇宙線研究所長、梶田隆章さん(57)の業績をたたえる記念碑が出身校の同市立野本小学校や同市立南中学校など市内4カ所に設置され、24日、除幕式が行われた。母校2校の式典には梶田さんも出席し、後輩らと記念碑ができた喜びを分かち合った。

【参考:深谷渋沢栄一

東京新聞:新1万円札肖像画に渋沢栄一 出身地・深谷など喜びの声:埼玉(TOKYO Web)
・新一万円札の肖像画深谷市出身の実業家・渋沢栄一(一八四〇~一九三一年)が採用されることが発表された九日、県内では「うれしい」「大きな誇り」などと喜びの声が相次いだ。 
・市内にある渋沢栄一記念館で会見した小島進市長は「深谷市民の誇り。今の日本の社会で、渋沢翁の精神が皆さんに分かってもらえれば。記念館や生家も訪ねてきてほしい」と期待。「今ある施設を充実させ、できる限りPRしていきたい」と語った。
・渋沢は第一国立銀行をはじめ、多くの企業の設立・育成に関与。江戸時代の盲目の国学者塙保己一はなわほきいち)、日本初の女性医師荻野吟子と並び「埼玉ゆかりの三偉人」の一人とされる。
 上田清司知事はこの日の定例会見で「大変うれしいニュース。渋沢は日本資本主義の父。お札は経済の象徴で、一万円札に最もふさわしい方が選ばれた」と喜んだ。

 まあ小生は

韓国メディア、渋沢栄一を「収奪の象徴」と批判 - 産経ニュース
 日本政府が新一万円札に渋沢栄一肖像画を採用すると発表したことを受け、韓国メディアは9日、「渋沢は朝鮮半島に対する経済収奪を象徴する人物だ」との反発を示し、「植民地支配の被害国である韓国への配慮に欠けているとの批判が予想される」と伝えた。
 聯合ニュースは、渋沢が設立した第一銀行が1900年代初頭に朝鮮半島で発行した紙幣にも渋沢の肖像画が使われたとし、「韓国に恥辱を抱かせた」と指摘。今回の採用は「過去の歴史を否定する安倍晋三政権の歴史修正主義が反映された」との分析を報じた。

を考えると素直に喜べませんし、「他(5000円の津田梅子、1000円の北里柴三郎)はともかく渋澤はやめるべき」と思いますが。


【参考:毛呂山瀬戸大也

毛呂山町初代観光大使に競泳の瀬戸大也さんら 埼玉 - 産経ニュース
 毛呂山町と町観光協会は「もろやま町観光大使」を創設し、いずれも同町出身で競泳の瀬戸大也さん(21)、男性デュオ「サスケ」、アイドルグループ「PASSPO☆*7」メンバーの根岸愛さん*8(23)に初代大使を委嘱することを決めた。
 瀬戸さんは8月の世界水泳選手権競泳男子400メートル個人メドレーで2連覇を達成。

【参考:毛呂山チベット

【チベット動乱60年(下)】「力貸して」日本政府への思い(1/3ページ) - 産経ニュース
西蔵氏は、インド・ダラムサラチベット亡命政府が、将来のチベットを担う人材を育てるため日本に派遣した最初の留学生5人のうちの一人。
・留学生5人で受け入れ先の埼玉県毛呂山町にある病院の宿舎で共同生活を送り、勉強に明け暮れた。やがて埼玉医科大に進学し、医師免許を取得。今は同県日高市にある武蔵台病院で院長を務めている。
・仲間もそれぞれの道を歩んだ。最年少のダムデン・ギュルミー氏は同県嵐山町*9で開業医になった。日本体育大で柔道を修めたギュルミ・ワンダー氏はダライ・ラマ14世のボディーガードになり世界を歴訪した。大学卒業後にインドへ戻ったトプゲイ・ブティア氏は日本大使館の現地職員として日印交流に貢献した。リーダー格だったペマ・ギャルポ氏は拓殖大国際日本文化研究所教授になり、チベット問題の解決を訴える活動*10を続けている。

埼玉の小さな町にダライ・ラマがやってきた理由 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
・2016年11月26日、埼玉県毛呂山町にある埼玉医科大学のキャンパスは静かな興奮に包まれていた。東京から電車を乗り継いで約1時間半。埼玉県の小さな町にあるこの大学に、来日中のチベットの精神的指導者ダライ・ラマ法王14世がやってくるのだ。
 寒空の下、法王を待つ大学関係者と報道関係者の中に、一握りの民族衣装を着た人たちも混じっている。毛呂山町在住のチベット人コミュニティーの人々だ。実は毛呂山町は半世紀前にインドに亡命したチベット難民を受け入れており、それをきっかけにチベットとの交流が始まっていた。ダライ・ラマ法王が埼玉医科大学を訪れるのもこれで3回目だ。チベットとこの町の間には、知られざる絆があった。
・1965年、埼玉県毛呂山町に5人のチベット人留学生がやってきた。彼らはインドのダージリンにある難民キャンプからやってきた少年たちだった。その1人が毛呂山町在住で来日当初12歳だった西蔵ツワンさん(64歳)だ。
 当時、世界各国でチベット難民受け入れの動きが広がっていたが、日本は国として受け入れることはなかった。しかし、戦中にチベットに潜行し諜報活動に従事した木村肥佐生*11が受け入れに奔走。最終的に埼玉県毛呂山町の毛呂病院院長、故・丸木清美*12博士が5人の少年たち*13の受け入れに名乗りをあげた。
・後に15人のチベット人少女たちも来日。総勢20人のチベット人少年少女が毛呂山町で勉学に励んだ。
埼玉医科大学でのダライ・ラマ法王の講演は今回で3度目だ。その背景には大学の創立者である丸木博士が西蔵さんらチベット人を暖かく迎え入れた来歴があるのはいうまでもない。

 ちなみに「例のチベット支援者Mさん」がこの話知ってるかどうか。何せ「プンワンを知らない」と公言しちゃう人ですからね(苦笑)。


【参考:ワラビスタン】

あなたの知らない日本の外国 埼玉県蕨市「ワラビスタン」 (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)
 もともと蕨や川口など埼玉県南東部には、外国人の労働力を頼りにする町工場などが多く、外国人を受け入れる素地があった。そんな背景もあり、蕨にはイラン系クルド人がまず定住したという。彼らを頼って、次々とクルド人が増えていく。いつしか蕨は、クルディスタンクルド人の大地)とかけて「ワラビスタン」と呼ばれるようになった。

*1:都道府県、政令市の首長および議員」選挙は前半戦でやりました。

*2:東京大学宇宙線研究所長。2015年ノーベル物理学賞受賞者

*3:彼の出身が東松山で、最終学歴は「東大の大学院」ですが、埼玉大卒です。県民的には「埼玉の誇り」として大変有名だと思いますが全国的には残念ながら多分違います。

*4:リオ五輪・水泳男子400m個人メドレー銅メダル。毛呂山町出身

*5:例えば、蕨市長選 頼高氏再選/「ともに歩む」市政評価/公約95%実現・着手/幅広い市民が支援参照

*6:著書『チャイナタウン:世界に広がる華人ネットワーク』(2000年、丸善ブックス)、『池袋チャイナタウン:都内最大の新華僑街の実像に迫る』(2010年、洋泉社)、『新・中華街:世界各地で〈華人社会〉は変貌する』(2016年、講談社選書メチエ)など

*7:2009年に結成されたが2018年に解散。

*8:PASSPO☆元リーダー。PASSPO☆解散後もソロで芸能活動を継続。

*9:「日本の公園の父」と呼ばれる本多静六(東大教授、日比谷公園の設計者)が、昭和3年(1928年)、当時の埼玉県比企郡菅谷村(現、埼玉県比企郡嵐山町)にある嵐山渓谷周辺を訪れた際、風景が京都の嵐山(あらしやま)によく似ているとして、武蔵嵐山(むさしらんざん)と命名したことにより、のちに駅名(東武東上線菅谷駅武蔵嵐山駅)や自治体名(比企郡菅谷村→比企郡嵐山町)が改称されている(ウィキペディア嵐山町」「武蔵嵐山駅」「本多静六」参照)。

*10:ペマの反中国活動を「チベット問題の解決を訴える活動」とは呼びたくないですね。

*11:著書『チベット潜行十年』(中公文庫)

*12:埼玉医科大創立者。元埼玉県議。

*13:で、その一人がペマです。