今日の韓国・北朝鮮ニュース(2019年4/21分)(追記あり)

【最初に追記】
ぜひ購入して読んでみたい(「ドキュメント 朝鮮で見た〈日本〉: 知られざる隣国との絆」)(こういう基本的なことをどうにかしてもらわないとどうしようもない) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)id:Bill_McCrearyさんにこの記事をご紹介頂きました。いつもありがとうございます。


「即刻撤回を」外交青書の竹島領有権表記に韓国外務省 - 産経ニュース
 こんなことをすれば水産物輸入禁止問題での韓国の対応が厳しくなることは容易に予想がつきます。
 一方で「島の返還のためだ」と抜かして「北方領土は日本固有の領土」をいう記述は外交青書からなくす。「北方領土竹島と何が違うんだよ!」つう思いを禁じ得ません。


WTO判決「日本産食品は安全」の記載なし 政府と乖離:朝日新聞デジタル

 福永有夏*1(ゆか)・早大教授は「そもそも第一審で安全性の認定は行われていない」と話す。日本が訴えたのは韓国が日本産食品を差別的に扱っていることなどで、安全性自体の認定は求めなかったためという。
 「韓国の安全基準を十分クリアする」との説明には、川瀬剛志・上智大教授が「明らかに判決の解釈を誤っている」と指摘する。経産省所管の独立行政法人経済産業研究所」は16日、同研究員でもある川瀬教授がこうした問題点を指摘したリポートを出した。

 事実なら安倍政権の嘘つきぶりには、今更ながら呆れて二の句が継げません。それとも「主観的には嘘ではなく」判決がまともに理解できないんでしょうか。とはいえ今の安倍一味ではこうした批判は無視するか、「朝日記事に登場する識者コメントの方が嘘だ」と居直るかどちらかなのでしょう。


東京新聞:韓国に禁輸撤廃、再要請へ 月内にも政府 WTO敗訴受け:政治(TOKYO Web)

・敗訴した日本が守勢に立たされるのは必至で、交渉は難航しそうだ。
WTOでの日本敗訴を受け、韓国は十二日に福島など八県産の水産物輸入禁止措置を維持すると表明している。「韓国側が再要請に応じ、禁輸を緩和する可能性は皆無に近い」(日韓外交筋)との見方は根強い。日韓協議では、WTOから禁輸継続のお墨付きを得た形の韓国から、日本がどこまで歩み寄りを引き出せるかが課題になる。
・勝訴し、東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発事故からの復興を印象付けたかった日本政府は「予想外の結果」(官邸筋)に危機感を募らせている。

 そりゃそうでしょう。最初から外交交渉にしてればいい物を「日本が100パー正しい、韓国が100パー間違ってる、絶対日本が裁判で勝てる*2」としてWTOに訴訟を起こしたあげく日本が負けたわけですから。
 しかも、竹島問題では毎年「竹島の日記念式典(島根県主催)に大臣政務官を出席させ」、慰安婦問題では「駐韓国日本大使館前の慰安婦銅像を撤去しろ」、徴用工問題では「韓国最高裁判決が不当だ」と安倍政権は散々韓国にけんかを売っている。文在寅*3政権とて、仮に「この件で落としどころを見つけたくても*4」そうそう簡単にそういう方向には動けないでしょう。与野党やマスコミから文政権に対し「日本に下手に出る必要はない。裁判で勝ったのは我々だ」「安易に日本に妥協するな」という声が出る可能性は十分予想されます。まさに安倍政権の外交失政であり、この件についても安倍政権の外交というのも、ほぼ失敗に終わっているといっていいのではないか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)といっていいでしょう。


家族と生き別れ北朝鮮で暮らす「残留日本人女性」その哀しき人生(伊藤 孝司) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

・琉璃子さんの父親は、熊本から京城(現在のソウル)へ移り住んで鉄道員をしていた。1944年5月頃に転勤となり、中国との国境の町である咸鏡北道(ハムギョンプクド)会寧(フェリョン)へ一家6人で移る。だがすぐに、父親は現地召集されて中国へ。
 ソ連軍による攻撃が近いことを知った一家は、父親と連絡を取ることもできないまま、南へ向かって逃避行を開始した。
・「日本へ帰るための旅費が必要だから、これを売ってきて」と、琉璃子さんと2歳下の弟は、母親からリンゴの包みを渡された。
・リンゴを売り終え、旅館へ戻ってみると誰もいなかった。琉璃子さんは、引き揚げ列車に乗り遅れたのだ。
 12歳の日本人少女は、(中略)親切にしてくれた朝鮮人一家と暮らすことにした。他に選択肢はなかったのである。
・残留日本人と日本人妻の帰国は、日本政府と民間が北朝鮮に対し長期にわたり強く求めてきたことである。1991年1月に始まった日朝国交正常化交渉で、ようやく日本人妻の里帰り事業の実施が決まる。それによって、1997年11月から3回にわたり、合わせて43人が里帰りをした。その中には、2人の残留日本人も含まれていた。
 ところが2002年10月の第4回里帰りは急に「延期」となった。その直前の9月に小泉純一郎*5首相が訪朝。「北朝鮮が拉致を認めたことにより、日本の世論が悪化したために実施できなくなった」と、当時を知る外務省関係者は語る。
 これ以降、日本の北朝鮮への最大の要求は、残留日本人と日本人妻の里帰りから拉致問題へと大きく転換。加えて、里帰りを求めたり日本人埋葬地への墓参を進めたりすることが間違いであるかのような空気になった。拉致問題以外の日朝間の人道的課題は、完全に封じられてしまったのだ。
・日本政府が北朝鮮に実施している制裁には「北朝鮮籍者の入国の原則禁止」という項目がある。スポーツ競技の選手と役員の入国を、例外として認めたことがあるだけだ。日本軍の軍属として死亡した父親の遺骨が東京・祐天寺にある男性、「被爆者健康手帳」を取得しようとした広島での被爆女性などが来日を申請。だが日本政府は、こうした人道問題でも事実上の入国拒否を繰り返してきた。
 「拉致問題が最優先」として、残留日本人と日本人妻の里帰りに取り組まないのは非人道的であり明確な棄民政策である。とりわけ荒井琉璃子さんは、国策に従って朝鮮半島で暮らした結果、北朝鮮に残留することになった。その日本人の「死ぬ前に里帰りしたい」という望みをかなえることは、国家としての義務ではないだろうか。

 岩波書店から『ドキュメント 朝鮮で見た〈日本〉: 知られざる隣国との絆』(2019年)を出版した伊藤氏*6の記事です。さすが、蓮池透*7拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(2015年、講談社)を出版した講談社「現代ビジネス」の記事らしいと言うべきでしょうか。
 「日本人妻の帰国が拉致最優先を口実に妨害されるのはおかしい」という意見には全く同感ですね。こうした日本人妻の帰国を妨害して恥じない救う会と家族会には、もはや怒りや憎悪、軽蔑と言ったネガティブな感情しか俺にはありません。
 そもそも帰国を妨害して拉致解決にどうつながるのか。全く関係ないでしょう。むしろ帰国させた方が「日朝関係の改善」につながり拉致解決につながるのではないか。

 「許可された取材は北朝鮮に利用されるだけ」と、発表を交渉したメディアの担当者からたびたび言われてきた。だが日本国内でも、許可を得ないと取材できないことはごく当たり前にある。取材に大きな制約や困難があっても、現場に行ったからこそ分かる事実はいくらでもあるのだ。

 これまた伊藤氏の言うとおりですね。問題は「取材意欲と取材能力」でしょう。こんなこと言ったら北朝鮮に限らず独裁的国家の取材なんか何も出来ないでしょう。
 そもそも「安倍のヨイショ」ばかりしてる日本マスゴミにそんな偉そうなことがどれほど言えるのか。

 「日朝」に関することは、片っ端から現地取材をしてきた。制裁で日本入港禁止になる前の「万景峰92号」への乗船取材、小泉純一郎首相訪朝の手土産として日本が最後に実施した食糧支援のようす、靖国神社から北朝鮮への文化財返還の一部始終、そして今も北朝鮮で暮らす残留日本人と日本人妻である。
 こうした取材の一部を、多数のエピソードを交えて『ドキュメント 朝鮮で見た〈日本〉 知られざる隣国との絆』(岩波書店)に収めた。

 個人的には「靖国神社から北朝鮮への文化財返還」てのが「え、そうなの?」ですね。
 まあ日朝平壌宣言

日朝平壌宣言
 双方は、在日朝鮮人の地位に関する問題及び文化財の問題については、国交正常化交渉において誠実に協議することとした。

と書いてあるので文化財返還されてもおかしくはないんですけどね。
 相手が靖国ってのが驚きです。「え、靖国がそんなことしたの?。右翼の巣窟なのに」と。早い内に『ドキュメント 朝鮮で見た〈日本〉 知られざる隣国との絆』(岩波書店)を読んでみたいと思いますね。
 ちなみに韓国相手にも文化財返還は「全てではない」にせよ「朝鮮王室儀軌(朝鮮王朝儀軌)の返還(菅*8内閣で返還の意思を表明し、野田*9内閣で実際に返還)」など、いくつかやっています。
【参考:朝鮮王朝儀軌返還】

「韓国併合」100年/「痛切な反省とおわび」/首相談話 朝鮮王朝儀軌「引き渡し」表明
・政府は10日の閣議で、「韓国併合」100年に当たっての首相談話を決定しました。
・談話は、「これからの百年を見据え、未来志向の日韓関係を構築」していくと強調。朝鮮王朝の主要行事を絵や文章で記録した古文書で、「韓国併合」後に日本に渡った「朝鮮王朝儀軌(ぎき)」を「引き渡す」方針も明らかにしました。

「儀軌」引き渡しに期待/衆院委 日韓関係発展へ笠井議員
 日本共産党笠井亮議員は、「日韓図書協定」の承認を審議した22日の衆院外務委員会で、日本が朝鮮半島を植民地支配した時代に持ち出した「朝鮮王朝儀軌」の引き渡しに期待を表明しました。
 「儀軌」は、朝鮮王朝の行事に関するあらゆる記録がまとめられたもの。韓国国会は2度にわたり返還要求を決議。日本政府は昨年8月の菅首相談話で「朝鮮半島由来の貴重な図書」の引き渡しを表明、それにもとづき協定が締結されました。笠井氏は、韓国側にとって儀軌は「朝鮮王朝の正統性を受け継いだ、韓国と韓国民族のアイデンティティー(独自性)に深くかかわる記録遺産であり、大事な文化遺産」(韓国の国会決議)だと強調しました。

朝鮮王朝儀軌など返還/日韓首脳会談 野田首相が大統領に
野田佳彦首相は19日、ソウルで行われた日韓首脳会談で、日本が朝鮮半島を植民地支配した時期に持ち出した「朝鮮王朝儀軌(ぎき)」をはじめとする朝鮮半島由来の図書1205冊のうち5冊を、李明博*10(イ・ミョンバク)大統領に返還しました。
・日本政府は昨年8月、「韓国併合」100年にあたり韓国側に引き渡すことを表明。11月、横浜で開かれたAPECアジア太平洋経済協力会議)会合に合わせ、日韓両外相が返還をうたった「日韓図書協定」に署名。今年5月に国会で同協定が承認されました。

【追記:靖国から韓国への文化財返還】

靖国神社にあった石碑、100年ぶりに故郷の朝鮮半島へ、景福宮の一角に展示
 韓国・ソウル市内に05年秋、開館した国立博物館は連日、多くの人たちでにぎわっています。その一角に日本から返還された石碑が展示され、ひときわ人気を呼んでいます。
 「北関大捷碑(プッカンデチョッピ)」。
 東京・九段の靖国神社境内に10月までひっそりとありました。
 この石碑は、16世紀末、豊臣秀吉の兵が朝鮮を侵略したとき、住民らが義兵として立ち上がり撃退したことを記念し、18世紀初めに現在の北朝鮮咸鏡北道に建てられました。しかし、明治時代、日露戦争で出兵した日本の軍人が、「日本は朝鮮の独立のために日清、日露戦争を戦った。日朝の親睦を保つためにこのような碑があるのは、両国の感情を害す要因になる」と日本に持ち帰ったものでした。
 2005年10月12日、靖国神社で、宮司と韓国大使館関係者、仲介にあたった日本の外務省関係者が「引き渡し合意文書」に署名し握手しました。合意事項には「靖国神社は、これまで保管してきた北関大捷碑を韓国政府に引き渡すとともに、これが日韓の国民の友好増進に寄与することを希望する」と書かれていました。
 碑の返還運動は、南北朝鮮の仏教関係者が協力して進めました。2005年6月には、南北朝鮮の閣僚級会議が開かれ、碑の返還手続きを進めることで合意、韓国政府が日本側に返還を申し入れました。韓国政府は、一定期間、石碑をソウルで展示した後、もともとあった北朝鮮側に引き渡すことになっています。
 「日本人にとっては、価値もない単なる石かもしれない。だが、韓国人にとっては民族の魂なのだ」とある韓国人は力を込めて言います。韓国では新聞やテレビが、碑の返還を東京発で大きく報道しました。碑の返還に尽力した韓国の仏教関係者から私あてに送られた06年の年賀状には、碑の絵が書かれ「百年ぶりに碑が帰って来られた」と敬語が使われていました。
 靖国神社は、あくまでも、寄贈を受け、保管していた石碑を韓国に引き渡したという立場です。これに対して、取材をしていた韓国人記者は「日本人が力ずくで持って行ったものを取り戻したんだ」と言い、日本人による文化財の略奪を非難しました。
 日本に今もある朝鮮の陶磁器や石像、文書などの文化財は、数万点とも数十万点とも言われています。多くは、植民地時代に日本に持ち出されたり、二束三文で買われたりしたものです。65年の日韓国交正常化に際して、日本からわずかな数の陶磁器などが象徴的に返されただけでした。
 「引き渡し」調印から3日後、靖国神社境内の碑の前で韓国の伝統にのっとった儀式が行われ、移送作業が始まりました。
 石碑に名前が刻まれている将軍の子孫でソウルから来日した鄭泰柳さんは「大変うれしい。二度とこういうことを起こしてはならない」と話していました。長年、碑の返還を求めてきた国際韓国研究院院長の崔書勉さんは、「誰にも知られず、ひそかに残っている文化財は、ほかにもあるかもしれない。これで終わりではなく、これを出発にしたい」と語りました。羅鍾一大使や国会議員も参加、韓国の人たちが、にこやかな表情で靖国神社に集うという珍しい光景でした。
■ 秀吉軍撃退碑、「故郷」北朝鮮に到着
 朝鮮半島から持ち去られて靖国神社にあったが昨年、韓国に返還された豊臣秀吉軍撃退の記念碑、「北関大捷碑(プックァンテチョプピ)」が1日、「故郷」の北朝鮮に引き渡された。
 今後、元の所在地である北東部・咸鏡北道(ハムギョンプクト)吉州(キルチュ)で約100年ぶりに復元されるという。
 この碑は、秀吉の朝鮮出兵(16世紀)の軍を地元義勇兵が打ち負かしたことを記念して1708年に建てられたが、日露戦争直後の1905年、日本軍関係者が日本に持ち込んだとされる。
 1970年代に靖国神社にあることが確認され、現代史の見直しを進める盧武鉉ノムヒョン)政権になって返還運動が具体化。昨年10月に韓国に移された。
 南北は韓国側で補修、国民向けに一時展示した後、北朝鮮に引き渡すことで合意しており、碑は1日午前、北朝鮮・開城に運ばれ、南北の関係者が集まって返還式が開かれた。韓国政府は引き渡し後も韓国民が見学できるよう求める方針だ。

 なるほど「靖国北朝鮮」ではなく「靖国→韓国→北朝鮮」なんですね(ただし「靖国→韓国」という返還時点で、「韓国→北朝鮮」になるであろう事が明確ではありました)。まあ北朝鮮ではなく、韓国相手でも「靖国だと『首相靖国参拝への韓国の批判』への反発から、ぐだぐだごねて返還をネグるんじゃないか」「裁判沙汰になるんじゃないか」と思ってたので意外ですが。

平壌日記 PYONGYANG DIARY 北朝鮮への文化財返還を「大倉集古館」が拒否
 「ホテルオークラ東京本館」(東京都港区)に隣接して中国風建築の博物館がある。現在は休館中の「大倉集古館」である。ここには、日清・日露戦争などによって富を築いた大倉喜八郎*11による蒐集品などを展示する。
 この博物館の裏庭には、朝鮮半島からの石造文化財がいくつも並んでいる。その中でもひときわ目立つのが「平壌ピョンヤン)栗里寺址八角石塔」である。
 現在の北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)の平壌市にかつてあった仏教寺院の石塔だ。もし北朝鮮に残っていたならば、間違いなく国宝に指定されているだろう。
 2011年3月、北朝鮮の「朝鮮仏教徒連盟」はこの石塔の返還交渉を、韓国の市民団体「文化財還収委員会」などに委任。それは、靖国神社にあった「北関大捷碑(ほっかんたいしょうひ)」返還で生まれた信頼関係があるからだ。
 この石碑は1708年に、現在の北朝鮮金策(キムチェク)市*12郊外に建立。朝鮮に侵攻した豊臣秀吉軍と戦った義兵が勝利したことを記念したものだ。それを、1905年に日露戦争で朝鮮北部に駐留した日本軍が持ち去った。
 この「北関大捷碑」は2005年10月、日本・韓国・北朝鮮仏教徒の努力で靖国神社から韓国政府へ引き渡され、翌年3月にソウルから北朝鮮の開城(ケソン)へと運ばれた。私はこの一部始終を取材し、2009年10月に元の場所へ戻った石碑を撮影した。
 「朝鮮仏教徒連盟」は「文化財還収委員会」を通し、今年2月25日に東京簡易裁判所へ石碑の返還を求める民事調停を申し立てた。「連盟」は関係者の訪日を申請したものの、日本政府が入国を許可しなかった。経済制裁の一部解除によって入国は可能になったにもかかわらず、それはまったく守られていない。
 今年7月の第1回の調停では、大倉喜八郎朝鮮総督府から石塔を譲り受けての「大倉集古館」の占有は不当と主張。今月17日の第2回調停で「大倉集古館」は返還に応じないとしたため、調停は不成立に終わった。
 「北関大捷碑」のすぐ横には「利川五層石塔」が置かれており、韓国の利川市長が先頭に立ち時間をかけて返還交渉をしてきた。しかし「大倉集古館」は、それに対しても頑なに返還を拒んでいる。朝鮮総督府の力を背景に不当に取得した文化財は、民間所有であっても返還されるべきだ。
 なお「北関大捷碑」返還については「靖国の碑は北朝鮮国宝」(TBS系列「報道特集」2006年4月2日放送)と「秀吉撃退の碑=北関大捷碑はいかにして北朝鮮に返還されたか」(講談社『現代』2006年9月号)、文化財返還については「韓国・北朝鮮からの文化財返還要求をどのように受け止めるのか」(岩波書店『世界』2008年2月号)に発表。

 上で紹介した伊藤氏の別の記事です。

*1:著書『国際経済協定の遵守確保と紛争処理:WTO紛争処理制度及び投資仲裁制度の意義と限界』(2013年、有斐閣

*2:なお、仮に勝てたとしても日韓関係を考えれば訴訟すべきか疑問です。大体マスコミ報道に寄れば同様の禁輸は中国や台湾もしています。にもかかわらず「韓国だけを相手に提訴」とはどう見ても韓国を軽く見ているようにしか見えません。

*3:盧武鉉政権大統領秘書室長、「共に民主党」代表を経て大統領

*4:「日韓間のトラブルを解消するために」見つけたいのか「判決で勝ったから見つける必要ない(今まで通り輸入制限続行)」なのかはわかりませんが。

*5:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相

*6:著書『棄てられた皇軍:朝鮮・台湾の軍人・軍属たち』(1995年、影書房)、『日本が破壊する世界遺産:日本の原発とオーストラリア・ウラン採掘』(2000年、風媒社ブックレット)、『ヒロシマピョンヤン:棄てられた被爆者』(2010年、風媒社)、『無窮花(ムグンファ)の哀しみ:「証言」性奴隷にされた韓国・朝鮮人女性たち』(2014年、 風媒社)、『朝鮮民主主義人民共和国:米国との対決と核・ミサイル開発の理由』(2018年、一葉社)など

*7:著書『私が愛した東京電力福島第一原発の保守管理者として』(2011年、かもがわ出版)、『13歳からの拉致問題』(2013年、かもがわ出版)、『拉致と日本人』(共著、2017年、岩波書店)、『告発:日本で原発を再稼働してはいけない三つの理由』(2018年、ビジネス社)など

*8:社民連副代表、新党さきがけ政調会長、橋本内閣厚生相、鳩山内閣副総理・財務相を経て首相

*9:鳩山内閣財務副大臣菅内閣財務相、首相、民進党幹事長(蓮舫代表時代)を歴任

*10:ソウル市長を経て大統領

*11:帝国ホテル、ホテルオークラの創業者。

*12:旧称は城津(ソンジン)市。北朝鮮における製鉄業の中心地の一つである。市名は、当地生まれの政治家・金策朝鮮戦争中の1951年に死去。朝鮮労働党常務委員、北朝鮮副首相兼産業相、朝鮮人民軍前線司令官(朝鮮戦争中)など歴任)にちなみ、1953年に改名された(ウィキペディア金策市』参照)。