今日の産経ニュース(2019年4月27~29日分)

【産経抄】4月29日 - 産経ニュース

 昭和の日は祝日法で「激動の日々*1を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日だ。

 少なくとも建前においては産経のような戦前美化が祝日法の条文に書かれてないことを指摘したい。「昭和の時代を顧みること」とは当然ながら「産経のような戦前日本美化」ではありません。
 「復興を遂げたのは戦後は無謀な戦争をしなかったから。戦前の敗戦の教訓を日本はそうした形で生かしました、今後も無謀な戦争をすべきではありません。そのためにも憲法九条を擁護しよう」つうのも立派に「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたしてる」わけです(産経はそうした認識を当然、自虐、反日と敵視しますが)。


悠仁さまの机に刃物 防犯カメラ画像から浮上 「リレー方式」で追跡 - 産経ニュース
 おそらく本当に犯人なのでしょうが一応「推定無罪」ですからね。そしてこういう事件は「皇室万歳の輩」によって、往々にして「悠仁君に嫌がらせをするようなゲスが逮捕されて良かった、良かった」で終わりがちですが「えん罪の可能性はゼロではない」わけです。その点には留意したいもんです。


拉致解決「2020年」が山場 対北で日米連携 五輪、大統領選控え - 産経ニュース
 唖然ですね。確かに「2019年中の解決は困難」でしょうが「2020年が山場」と抜かして、「2019年4月時点」で「2019年中の解決の困難性」を堂々と認めるとは全く無神経です。家族会なんかはこういうのに怒ったり呆れたりしないんでしょうか?

 五輪憲章は国籍による差別を禁止しており、日本政府は大会関係者の入国などで政治的判断を迫られる。

 「政治的判断を迫られる」も何も入国許可以外に何が出来るのか。どうしても入国許可したくないなら五輪を返上すべきでしょう。そもそもスポーツ関係者の入国を拒否して何がどうなるのか。拉致の解決につながるとでも言うのか。


【昭和天皇の87年】雪の日の惨劇 銃剣の前に身を投げ出したのは、重臣の妻たちだった - 産経ニュース
【昭和天皇の87年】反乱軍が小銃を乱射 応戦した陸軍教育総監は、愛娘の前で殺害された - 産経ニュース

【昭和天皇の87年】雪の日の惨劇 銃剣の前に身を投げ出したのは、重臣の妻たちだった - 産経ニュース
 中には斎藤*2の妻、春子がおり、両手をひろげて立ちふさがった。
 「待ってください! 待ってください!」
 だが、将兵は待たなかった。部屋の奥から斎藤が近づいてくるのを見ると、「国賊!」と叫んで発砲。斎藤は一言も発せず、よろけるように倒れた。その身体に、春子が覆いかぶさった。
 「殺すなら私を殺してください!」
 目標は斎藤ただ一人だ。将兵は、春子の下から拳銃をさしこみ、立て続けに発砲、軽機関銃も浴びせて斎藤を蜂の巣にした。
 「私も殺してください!」
 春子の絶叫が邸内に響いた。

【昭和天皇の87年】反乱軍が小銃を乱射 応戦した陸軍教育総監は、愛娘の前で殺害された - 産経ニュース
 女中らの一群が庭に出て、裏山へと逃れようとした。その中に、女物の羽織を頭からかぶった者がいた。襲撃班のひとりが「待て」と叫んで発砲する。弾はそれ、付き添いの看護婦の腕にあたった。
 「女子供にけがをさせてはいかん」
 河野は、唇をかんで発砲をおさえた。負傷した胸の痛みに耐えながら、その目は、女中らにまぎれて逃げる(ボーガス注:牧野伸顕の)羽織を、むなしく追うしかなかった。

 「所詮人殺し」とはいえ、226事件青年将校にも「ターゲットを殺すためには護衛の警官は殺しても仕方がない。しかし女子どもを巻き添えにしてはいけない」というそれなりの大義名分、誇りがあったわけです。


【昭和天皇の87年】雪の日の惨劇 銃剣の前に身を投げ出したのは、重臣の妻たちだった - 産経ニュース

 侍従長発見の連絡を受けて安藤が駆けつけたとき、鈴木は胸部などに4発の銃弾を受け、倒れていた。安藤は、そばにいた孝に両膝をついて頭を下げた。
 「われわれは鈴木閣下と信念を異にするため、やむを得ず今回の行動に出ましたが、鈴木閣下の犠牲が国家永久安泰の礎石となられるよう祈ります」
 そして軍刀を抜き、まだ息のある鈴木の首にあてて「とどめをさせていただきます」と言うと、孝が口を開いた。
 「もうこれ以上のことは、しなくてもよろしいでしょう」
 毅然(きぜん)とした言葉に、安藤は軍刀を鞘におさめた。

 鈴木にとって幸運だったのは襲撃者が安藤輝三だったことです。「襲撃されたことは不幸」でしたが「襲撃者が安藤だったこと」は「不幸中の幸い」であり、まさに「人間万事塞翁が馬」です。

鈴木貫太郎*3ウィキペディア参照)
 狙撃され、鈴木の流血で血の海になった八畳間に現れた安藤に対し、下士官の一人が「中隊長殿、とどめを」と促した。安藤が軍刀を抜くと、部屋の隅で兵士に押さえ込まれていた妻のたかが「おまちください!」と大声で叫び、「老人ですからとどめは止めてください。どうしても必要というならわたくしが致します」と気丈に言い放った。安藤はうなずいて軍刀を収めると、「鈴木貫太郎閣下に敬礼する。気をつけ、捧げ銃」と号令した。そしてたかの前に進み、「まことにお気の毒なことをいたしました。われわれは閣下に対しては何の恨みもありませんが、国家改造のためにやむを得ずこうした行動をとったのであります」と静かに語り、女中にも自分も後で自決をする意を述べた後、兵士を引き連れて官邸を引き上げた。

 襲撃者が安藤でなければ、磯部浅一あたりなら、何があろうともためらうことなく、確実にとどめを刺していたかと思います。

■安藤輝三(ウィキペディア参照)
・1935年(昭和10年)、第一師団歩兵第3聯隊第6中隊長。
 中隊長となるにあたっては、部下、同僚からの信望が厚い一方で過激な青年将校たちと関係する安藤を危惧する連隊長・井出宣時大佐に対して「誓って直接行動は致しませぬ」との証文を提出した。第一師団歩兵第3連隊の中隊長を務めた秩父宮雍仁親王からの口添えもあった。
 秩父宮は「安藤、第六中隊の伝統を守ってくれよ」と激励した。また、元連隊長の永田鉄山軍務局長は「ほう、第六中隊長か。早いものだな。お前もとうとう中隊長か。歩三を立派な連隊にしてくれ、頼んだぞ」と喜んだ。
 安藤が歩三の下士官と将校の教育を計画すると、永田は快諾して7000円の予算をさき、「安藤ならば大丈夫だ。教育構想、講師の人選、運営などは一切安藤に任せて、決して干渉はするな」と言った。統制派の筆頭だった永田からも信頼される安藤の人柄が伺われる。
 決起に対しては慎重な態度を取り続け、あくまで合法的闘争の道を主張したため、磯部浅一らは一時安藤抜きでの計画を検討した。
 しかし安藤は最終的に、(ボーガス注:成功の可能性に楽観的な磯部などとは違い)成功の見込みが薄いとは思いながらも、(ボーガス注:「直接行動はしない」と約束したため、結果的に秩父宮などをだますことになるが)同志を見殺しにすることをよしとせず、直前の23日になって参加を決断した。
二・二六事件
 事件以前に、安藤は鈴木貫太郎邸を訪問し、時局について話を聞いた事があり面識があった。
 鈴木は安藤に親しく歴史観や国家観を説き諭し、安藤は大きな感銘を受けた。面会後、安藤は鈴木について「噂を聞いているのと実際に会ってみるのでは全く違った。あの人(鈴木)は西郷隆盛*4のような人で懐の深い大人物だ」と語っている。
 後に鈴木は座右の銘にしたいという安藤の要望に応えて書を送っている。事件に際して安藤は鈴木を殺害するのではなく、一時的に監禁することで済ませることはできないかと考えていたという。
 鈴木は安藤処刑後に「首魁のような立場にいたから、止むを得ずああいうことになってしまったのだろうが、思想という点では実に純真な、惜しい若者を死なせてしまったと思う」と記者に対して述べている。
 また「安藤がとどめをあえて刺さなかったから自分は生きることができた。彼は私の命の恩人だ」とも語っている。一方、磯部浅一は死ぬまで鈴木を憎み続け、獄中日記で他の「君側の奸」たちとともに

『獄中日記』 磯部浅一
八月二十九日
 十五同志の四九日だ、感無量、同志が去って世の中が変った、石本(寅三)*5が軍事課長になり、寺内*6はそのまま大臣、南*7が朝鮮(総督)、ああ、鈴木貫太郎も牧野*8も、西園寺*9も、湯浅*10もますます威勢を振っている、たしかにわが十五同志の死は、世の中を変化さした。
 悪く変化さした、残念だ、少しも国家のためになれなかったとは残念千万だ、今にみろ、悪人どもいつまでもさかえさせはせぬぞ、悪い奴がさかえて、いい人間が苦しむなんて、そんなベラ棒なことが許しておけるか。
八月三十日
 余は極楽にゆかぬ、断然地ゴクにゆく、地ゴクに行って牧野、西園寺、寺内、南、鈴木貫太郎、石本等々、後から来る悪人ばらを地ゴクでヤッツケるのだ

と繰り返し罵倒している。

 永田鉄山に評価されたり、鈴木貫太郎に敬愛の念を感じ、とどめを刺すことを躊躇したりする安藤はいわゆる青年将校ではあっても明らかに「磯部浅一や村中孝次」などとは大分肌合いが違います。「同じ中国共産党幹部なのに文革を実行した毛沢東と、改革開放に踏み切ったトウ小平」「同じ清和会のはずなのに中国への態度が大分違う安倍晋三(反中国)と福田康夫(親中国)」「同じ家族会のはずなのに救う会への態度が大分違う蓮池透さん(救う会批判)と増元照明救う会のいいなり)」位違う。
 まあ小生の私見ではこういうのが「歴史学の面白さ」の一つです。詳しく調べることによって「どうせ青年将校は全員、重臣や陸軍統制派をぶっ殺せば日本が良くなると思い込んでる極右だろ」と思いがちな青年将校が「安藤と磯部では実はキャラがかなり違うこと」や「鈴木が死なずにすんだのは安藤が『鈴木は致命傷を負ってもう死んだも同然だから、とどめを刺さなくていい』と誤って即断したからではなく、面識があり『ウヨ仲間がいうほど鈴木侍従長は酷い人間じゃないんじゃないか?』と思ってとどめを刺すことを躊躇したからだということ」がわかるわけです。まあ「だからなんだ?。それが分かって何がどうなんだ?」といってしまえばそれで終わりですが。
 なお、鈴木が226事件で死亡しても「別の誰かが戦前最後の首相となって終戦工作した」でしょうが、結果的には鈴木が「戦前最後の首相となって終戦工作」することになります。


【書評】高須克弥院長が読む「日本共産党の正体」福冨健一著 - 産経ニュース

 第一章ではチャーチルのものとされる、「若くしてリベラルでない者は情熱が足りない、ある程度の歳(とし)になって保守主義でないなら思慮が足りない」との言葉が紹介されている。

 これについては「チャーチルはそんなことを言っておらず、後世の捏造(少なくともそんな発言をしたという信頼できる資料はない)」という説が有力です。そんな説を平然と紹介して恥じないあたり内容のデタラメさがうかがい知れます。

 僕は偏った主義や思想に染まらずに済んだ。

 「南京事件否定論高須クリニックは左翼どころか、保守の目で見ても「河野洋平氏のようなまともなリベラル保守」にとっては「異常な反動極右」でしかないのですが、まあ非常識な男です。

 ほとんどの主要先進国共産党所属の国会議員が存在しない事実にさりげなく触れる一方で、日本に共産党が定着した理由

 これはある意味、「非常に簡単」ですね。
 第一に日本共産党が「東京都知事選で米原いたる*11候補の擁立を取り下げ社会党と共に美濃部亮吉候補を擁立(1967年)」「ソ連チェコ侵攻を批判する(1968年)」「創価学会と創共協定を結ぶ(1974年)」「ラングーン事件北朝鮮を批判する(1983年)」など、宮本顕治氏がトップの時代から「教条的共産主義ではなく、ある種の柔軟性を保有していたから」です(もちろん過大評価は禁物ですが)。日本共産党が当時「ソ連チェコ侵攻や北朝鮮ラングーン事件を擁護していたら」おそらく冷戦崩壊後、今以上に苦しい立場になったでしょう。
 第二に「英国労働党」「ドイツ社民党」にあたる存在(つまり社民政党)が日本では皮肉にも現在「日本共産党だから」です。
 一方「主要先進国共産党所属の国会議員が存在しない」理由の一つは「英国労働党、ドイツ社民党など社民政党が存在するから」です。
 自民党(例:岡田元民進党代表)、日本新党(例:枝野立民党代表)など保守政党出身者を幹部とする旧民進党系諸政党(立憲民主党、国民民主党)はとても社民政党とは言えないでしょう。社民党は社民政党ですが党勢は現在共産を下回っています(日本社会党時代を社民政党と言っていいかは微妙な気がします。いずれにせよ社会党は現在「社民党とは言いがたい旧民進党」と「社民政党だが共産を下回る党勢の社民党」に分裂しました)。社民連と旧民社党は結局消滅しました(まあ旧民社は社民政党と呼べるか疑わしい反共極右政党でしたが)。社民政党支持者にとっては「日本では共産党ぐらいしか選択肢がない」わけです。
 日本において「英国労働党やドイツ社民党のような有力な社民政党が成立していれば」共産党は今存在しているかどうかは微妙でしょう。
 第三に「自民党が未だに戦前を引きずってる」つう要素があるかと思います。皮肉なことに日本以外の国(ドイツ、イタリア)では「戦前批判」など当たり前なのですが、日本は残念ながらそうではないので「戦前批判しているだけ」で日本共産党が光ってしまいます。
 なお、日本において、第一、第二、第三のような状況がなぜ生まれたのかは俺的に興味深い問題ではあります。もちろん「日本共産党委員長宮本顕治日本共産党をとにもかくにも運営)」「社会党書記長、社民連代表・江田三郎社会党離党に追い込まれた上、社民連をまともに立ち上げる前に病死)」「自民党総裁、首相・岸信介(戦前に無反省な右翼)」ら政治リーダーの個性の問題もあるでしょうがそれだけで語れないとは思います。


〝名付け親〟万葉集研究・中西進さんに聞く 「令和」うるわしき精神(1/4ページ) - 産経ニュース
 考案者じゃないと言い続けるならこういう「事実上考案者と認めてる言動」はやめた方がいいと思いますね。考案者でないなら反論する資格は本来ないわけですから。こういうことを言いたいならいい加減はっきりと「考案者であること」を認めたらどうなのか。


【日本再発見】東日本に初めて造られた天皇陵~武蔵陵墓地(東京都八王子市) - 産経ニュース
 ウヨが非難する「巨大な金日成銅像」と、ウヨが褒め称えるこの「無駄にでかい昭和天皇の墓」と税金無駄遣いという意味では大して違いはないでしょう。こんな墓は取り壊してほしいですね。そして昭和天皇の墓をもっと庶民的な大きさの墓にした上で、今の「でかい墓」の場所を再開発してほしい。
 そして現天皇が亡くなったときは最初からまともな庶民的な大きさの墓でお願いしたい。


【異論暴論】6月号好評発売中 元号使用拒否という病 - 産経ニュース
 ばかばかしい。元号を使用することは義務ではありません。むしろ元号を使いたくない人間に使わせようとする産経の方こそ病気でしょう。


衆参同日選「問うテーマない」 自民党の二階幹事長、否定はせず - 産経ニュース
 「仮にやるなら消費税増税延期」とでも言うかと思いきや、少なくとも現時点では「党内で何の意見調整もされてない」ようです。


譲位ご意向から2年8カ月、祝賀ムードで新時代 - 産経ニュース
 俺のような天皇制に否定的な人間にとっては「何がめでたい」とげんなりですね。特に安倍が「祝賀ムード」とやらで様々な悪政をごまかそうとしてるのが見え見えなのでなおさらです。
 まあ、「新皇后(現皇太子妃)・雅子氏がうつ病で、生活に支障を来してるらしい(いわゆる公務(特に海外公務)が現皇后ほどには出来そうにない)」ので、これを機会に「うつ病者(あるいはもっと幅広く精神病者や病者一般)への認識や理解」が進めばいいですがどうなることやら。


社会の分断阻止、国民と一体に…側近が語る「象徴」模索した陛下のご活動の意義 - 産経ニュース

 「社会の分断を阻止された」。元側近*12らは、30年余りにわたった陛下のご活動の意義をそれぞれに語った。

 「社会の分断阻止」が「マジョリティーから差別されたり、無視されたりする人々の救済」、具体的には「LGBTアイヌ、在日外国人(例:朝鮮学校生、川口市芝園団地の中国人、ワラビスタンこと蕨市クルド人など)などマイノリティーに優しい社会」「障害者や病者に優しい社会」「貧困者の救済」だのを意味するならそんなことは先日のアイヌ新法のように「制度や社会構造の改正が不可避」であり「政治権限のない」天皇に出来る仕事ではありません。
 一方「LGBTアイヌ、在日外国人などマイノリティーに冷たい社会」「障害者や病者に冷たい社会」「貧困者に冷たい社会」を「でも天皇行幸で、そんな問題はないかのように糊塗しよう」というならそんなことはむしろ有害です。
 LGBTアイヌ、在日外国人、障害者や貧困者などにとっては迷惑でしかありません。正直「天皇制は廃止した方がいい」と改めて思いますね。

*1:本心は産経のような戦前美化でしょうが、あの戦争のことをさすがに聖戦とは呼べず、一方で侵略戦争とも言えず、このように曖昧な形でしか表現できないわけです。

*2:第一次西園寺、第二次桂、第二次西園寺、第三次桂、第一次山本内閣海軍大臣朝鮮総督、首相、内大臣を歴任

*3:海軍次官連合艦隊司令長官、海軍軍令部長侍従長、枢密院議長、首相など歴任

*4:「大人物」の例として西郷隆盛の名前が出るのは「鹿児島県民&日本ウヨ社会の昔からのお約束」です。「西郷さんに会ったこともないのに何でそんなことがわかるの?」などと突っ込むと「西郷さんを馬鹿にするのか」などと怒られます。

*5:二・二六事件軍法会議判士を務めた。陸軍省軍事課長、兵務局長など歴任

*6:台湾軍司令官、広田内閣陸軍大臣、陸軍教育総監、北支那方面軍司令官、南方軍総司令官などを歴任した寺内寿一のこと。

*7:参謀次長、朝鮮軍司令官、第2次若槻内閣陸軍大臣関東軍司令官、朝鮮総督などを歴任し、戦後、戦犯として終身刑判決(ただし後に仮出所)が下った南次郎のこと。

*8:第一次西園寺内閣文部大臣、第2次西園寺内閣農商務大臣、第1次山本内閣外務大臣宮内大臣内大臣などを歴任し、二二六事件で青年将校に襲撃されたた牧野伸顕のこと。

*9:第二次伊藤、第二次松方内閣文相(外相兼務)、第三次伊藤内閣文相、首相を歴任し、元老も務めた西園寺公望のこと

*10:会計検査院長宮内大臣内大臣などを歴任した湯浅倉平のこと

*11:共産党衆院議員。エッセイスト、同時通訳の米原万里は長女。作家井上ひさしの妻で料理研究家の井上(旧姓:米原)ユリは次女。

*12:少なくとも建前では、宮内庁職員はお世話係ではあっても「側近でない」でしょう。「戦前か!(タカアンドトシ風に)」といいたい。