今日の産経ニュース(2019年5月5~6日分)(追記あり)

「また会えるように」 NGT48の山口真帆さん、最後の握手会で涙のあいさつ(1/2ページ) - 産経ニュース
 「SMAPを脱退した3人」もそうですが、事務所とトラブったあげく、事務所を去らざるを得なくなるつうのは見ていていたたまれないものがあります。特に「どう見ても事務所に非があるとしか思えない山口さんのケースはなおさら」です。無能な小生に何か出来るわけでは全くありませんが彼女の将来に幸多きことを祈らざるを得ません。


【産経抄】5月6日 - 産経ニュース

 志村さんは、中国の古典文学に関する研究書など、数学とは関係のない原稿も数多く残している*1。その一つが「丸山真男という人」と題したエッセーである。戦後の論壇に大きな影響力を持っていた政治学者に対して、歴史認識の誤りや教養の欠如を批判していた。今月3日、89歳で世を去った天才数学者の頭の中はどうなっていたのだろう。

 まあ産経らしいですね(苦笑)。「フェルマーの最終定理証明に貢献する理論『谷山*2=志村予想』の提唱者」志村五郎*3プリンストン大名誉教授の訃報報道において「丸山真男*4」云々と「丸山への悪口」を書いてるのは俺の知る限り産経だけです。
 「どんだけ丸山真男が嫌いなんだよ(苦笑)」「つうか訃報で書くべき話か?。志村氏は政治学者じゃないのに?」て話です。
 なお、「歴史認識の誤りや教養の欠如」と書く産経ですが、「産経の書き方があまりにも具体的でないこと」もあって、志村氏のエッセイを読まないとなんとも言えませんね。
 産経と同レベルのウヨ主張であれば、それは志村氏の方が間違っています。それにしても「丸山真男という人」と題したエッセー云々と書きながら「そのエッセイを産経記者がどこで読んだのか」書かないのが滑稽です。
 おそらく
1)志村氏の方が間違ってる(しかも産経のような反動ウヨ的な意味で間違ってる)
2)志村氏の指摘は正しいが、少なくとも産経が印象操作したいような「丸山は間違ってる→俺たち産経が正しい」なんて代物ではない(せいぜい丸山氏の漢籍の知識、理解に誤りがあることに漢籍に詳しい志村氏が気づいた程度の話)
のどちらかであるがために読者に志村エッセイを確認させたくないんでしょうね。

【追記その1】
 「丸山真男という人」でググったところ、このエッセイは志村氏の著書『鳥のように』(筑摩書房)に収録されてるようですね。何で産経が志村著書名を書かないかと言えば、上で俺が書いたような話なのでしょう。こういう場合に出典を書かないというのはかなり不自然ですよね。

【追記その2】

■『鳥のように』(筑摩書房)のアマゾンレビュー
フェルマーの最終定理の紹介で有名な足立恒雄氏*5ツイッターで著者の批判をしています。それは、本書ではなくもうひとつの「記憶の切絵図」についてですが(本書はその続編)、他人の批判と自慢話のオンパレードで、若い人には読ませたくない悪書だというものです。数学の能力と徳性は関係ない、という非難です。

足立恒雄の志村五郎についてのツイート。 - ウォール伝、はてなバージョン。
・志村五郎という日本を代表する偉大な数学者がいる。フィールズ賞*6というのは40歳までの若手に与えられる賞だから、志村さんはもらっていないが、これがノーベル賞*7のように年齢に関係ないなら二つほどもらってもよいほど偉い人である。
 これから書くのは学者として偉いということと人格的に問題があるということとはまったく独立であるという証拠のつもりである。ただし私は志村さんとは何の面識もないし、何かお世話になったというような関係ではないことを断わっておく。もし関係があったら恐ろしくて書けない。
 志村さんはヴェイユ=志村=谷山予想*8といわれていた問題にヴェイユの名前が入っているのがけしからんとあらゆる新聞社に電話する位活動的(つまり攻撃的)だから、みなさん遠慮して何も言わない。
 話だけなら文章になっていないので文句の言いようもないが、志村さんの著書『記憶の切り絵図』は公刊された書物なので、証拠のない陰口ではない。
 志村さんの書いていることは二度読みたくないほど誹謗中傷、独善に満ちているが、中でも許されないのは、死者を鞭打っていることであり、それも何の根拠も示さずにやっていることである。
(その1)
 多くの人が自分にアイデアを負いながら、そのことを論文に記していないと実名を挙げながら非難している。実際はどうなのか?。他のことと照らし合わせると極めて怪しい。数学界はそんなに恩知らずに満ちているとは思えない。
(その2)
 高木貞治*9に2度しか会っていない、それも遠くから話し声を聞いたことがあるだけだと書きながら、「高木貞治は下らぬ小人である。」、「自分は士である。」と何度も書いているが、根拠が何も記されていない。
(その3)
 ヘッケ*10という(志村さんよりはずっと偉い)歴史的大数学者がいるが、ヘッケにはできなかったことを自分がやったというだけのことで「ヘッケに死に恥をかかせてやった」と書いているが、死に恥とは何だ!
(その4)
 志村さんが数学は問題解きの学問だと心得ているのは結構だが、ヒルベルト*11について「趣味も悪く、程度も低く、人の目をつまらない方向にむけさせるという意味で反動的であった」と断じている。あまりに偏狭な数学観を振りかざすのは他に対する影響を考えない行動だ。
(その5)
 「マッカーサー*12は小人以下であった」と書いているが、当否はともかくとして、何の根拠も示していないで、こういうことを書くのは、いくら数学者であってプロの文章家ではないとは言え許されることではない。
 「衆人の一致した意見は、人柄のよしあしに関する限りつねに正しいものである」と書いてあるのは、正にその通り!志村さんにこそ、この言葉が一番適切に当てはまる。「君子は泰にして驕らず、小人は驕りて泰ならず」と論語を引用しているが、自分が一番適切な例である。
 中にKとGという学生時代の知人の話が出てくる。学生時代の行動を口をきわめて罵っているが、KとGは私の知人で、志村さんよりは尊敬に値する人たちである。「彼らはまともな倫理観に欠けている」というが、そんな激しい言葉を使うような内容だとはとても思えない。
 数学の世界は問題解きに熱中していてこうした傍若無人に対していちいち反応しないのが通例であること、そして自分が数学の世界で地位があること、を利用し、ナイコトないことを好き放題書くのはともかく、たいていがすでに亡くなった方々で、文句が言えないというのが許せない。
 谷山豊さんは若くして亡くなった志村さんの東大での同僚だが、谷山さんのオリジナリティ等に関し陰湿な嫌がらせを繰り返し書く*13というのはとても普通の神経では考えられないことである。何が「士」だ。
 自分が教祖ぶっていると必ず信者ができるもので、志村さんにも信者が二人ばかりいる。京都で弥永先生*14と岩沢健吉さん*15のお祝いの会があったとき、あいさつに立った信者がお二人については一言もふれず最初から最後まで志村経を上げていた。
 そのとき信者いわく、「志村先生はこの論文をお書きになったとき、ヴェイユに引導を渡した、とおっしゃいました。かくしてヴェイユは葬り去られたのであります。*16
 バーカ言ってんじゃないよ。
 その信者はアメリカにはじめて行った時のことをトクトクと話していた。
プリンストンの志村先生のお屋敷をはるかに遙拝いたしまして、次の日にお宅にお伺いいたしました。」 
 ケッ!。「遙拝」だって。だれのための祝賀会か忘れている、のではなくわざと無視したんだね。
 『記憶の切り絵図』は若い人には読んでほしくない本である。(ボーガス注:私、足立の批判した)内容の正確さは図書館で確認してほしい。買われると販売促進の協力をしたような結果になる。(ボーガス注:本の解説を書いた?)飯高さん*17は、提灯持ちをしたんだろう、怖いあまりに。
 基礎論に対する態度をA,B,C,D,Eで分類するということが昔言われた。Aは専門家で少数。Bは専門家はだしでごく少数。当時は岩村さんのことを意味していたが、まあ論文を書かなくなったベテラン基礎論屋としてもよい。Cは基礎論ファンでこれも少数。私はこの分類に入る。Dは基礎論にまったく無関心な人。多くの数学者がこれに入る。Eは基礎論に反感をもつ数学者。これがDと同じくらいに多い(多かった)。志村さんが新しいことは何も出ないとして基礎論を見下し、ヒルベルトを罵ったのが代表的な例である。
・数学は実力の世界だから、というかある程度研究職が得られるので、そうした卑しい争いは見られない。世の中、とは言わないが、大学の、とりわけ文系の世界は先の事件と大差のないことが日常茶飯事として見られる。志村さん程度の人は文系ではごく普通なのかもしれない。しかし数学ではまずめったに見られないので、反撃もせず皆さん黙り込んで黙殺したつもりでいるから私が取り上げたまでである。数学の人は純粋すぎてまったく無菌室の生物みたいである。それを良いことに言いたい放題誹謗中傷してはいけない。しかし、志村さんの場合は、自分がいかに偉い世界史的大数学者であるかということを売り込みたいだけなので、たいした害がない。早稲田の政経で起きているようなことはまったくの村社会の出来事で、どうしようもない。またそのうち。
http://d.hatena.ne.jp/q_n_adachi/20110517

 足立恒雄って人は「フェルマーの大定理」っていう本の中で哲学のことを唐人の戯言だなんて書いていたんですげー嫌いだったんだけど、この一連のツイートを見てみなおしたんだよね。
 っつーのがさ、志村五郎って相当権威なんだよねって素人が言うのもなんだけどさ、バッドなエピソードに事欠かない人でさ、これは聞いた話なんだけど、志村五郎が誰かに貸してた数学の本があって、その持ち主の家が空襲で焼けてしまったんだけど、その人に対して志村五郎は「本を弁償しろ!」だとかなんだとか、「どうやって返すんだ?」みたいなことを言っただとかね、丸山真男の家で政治論を話していたときにね、なんかの本の内容を丸まるあたかも自分が考えたかのように丸山に語ってさ、んで「それは何々の本に書いてあったことですね」って言われて赤っ恥をかいたとかね、志村の丸山批判もこの恨みがあってのことなんじゃないか?とか勝手に思っちゃうんだけど、足立さんの一連のツイートを見てると強ち噓じゃなさそうだな。つーかconsistancyがあるから多分本当なんだろうなって思っちゃうよね。
 あと高木貞治に関して言えば「老害だからとっとと引退したほうがいい」とかって志村が言ってたっつーのをこれまたどっかで見たな。で、そこで俺は「高木貞治ってそんなにどうしようもないやつだったのか!」って思ったんだけど、志村五郎がどうしようもないやつなんで全然それは信用できないなと思って。人格破綻者の主観なんてあてにならないからね。
 天才タイプで人格破綻者で言うとヴェイユが思いつくけど志村五郎は度が過ぎているよね。彼らの才能は凄いと思うけど人格的にクソ過ぎてさっぱり羨ましくないんだよね。人間としての徳が無さ過ぎるっつーか、数学の能力っつーパラメーターに値が行き過ぎているのか分からんけどさ、なんかすげーイヤなんだよね。学問的な成果と人徳とかって関係性はないにしてもやっぱここまで破綻してるとガッカリするよね。あとノイマン*18なんかも相当ダメなやつだよね。さっぱり羨ましくない天才の一人だよね。なんでこうもバランスが悪いのか。アンバランスだからこそ天才でいられるってタイプもいるかもしれないね。それで言うとニュートン*19が思いつくな。偉人扱いされてるけど相当なサイコっつーか人間的に本当にクズなんだよね。ニュートンチャイティン*20ニュートンのクソっぷりが学術的に検証されている本としてこれをあげていたけど読もうと思って読んでないんだよねぇ。
 いや、でも足立さん凄いな!と思って。所謂業界にいる人でここまではっきりとイニシャルとかじゃなくて書くって凄いよなぁーと思って関心してしまったんだよね。権力に迎合しないっつーかなんつーかさ、こういう人が日本の大学にもいるんだーとか思ったら結構気が晴れる気がしたよね。科学ってなんか人格とかって関係無い気がするじゃん?。でもそれって盲点だと思うんだよねぇ。人徳の欠如とかがさ、科学による暴走を生んだりもするわけじゃん?。だからこれってまぁすげー重要なことだと思うんだよね。
 この本で物理学者のほうの人がさ、すげー憧れを持って一流が集まる学会に行ったら、それこそ超有名な科学者とか物理学者が人間的にはクソみたいなやつばっかですんげー失望したみたいなことを言ってたんだけどさ、なんかすげーシンパシー覚えるんだよね。まぁ別に科学とか数学に限らず学問全般そうなのかもしれないけどさ、特に俺がムカつくのは社会科学とか哲学の分野だよね。
 言論も学問も人格と切り離し過ぎるのはどうかと思うんだよね。まぁ学術的な結果は内容で判断されるべきでその人の人格とか関係ないんだけどさ、でもそういう人が業界に居て権力を持つだとかさ、みんなから恐れられるとかさ、それこそ俺みたいなやつが学部にいたら「お前なんて才能ないからとっととやめろよ」とかって平気で言ったりさ、そういう人が学術的な業績だけで教育者として大学にいることの問題性だよね。研究者ならいいけど先生だったらやっぱそれはマズいと思うんだよね。特に哲学なんてその人の徳がなくて何を教えられるんだ?って感じじゃん?
 なんかこれって俺がいつも思う秀才の問題なんだよなぁー。すげー頭良いやつってどこかで人格破綻してるっつーかさ、無駄にプライドが高いとかさ、悪い意味で人を見下してるとかさ、挫折とか経験してないから人間的な深みとかないしさ、そういう秀才が評価する生徒ってのは似たような秀才だからさ、人材育成が偏ったり滞る可能性もあるよね。
 あとはすげー問題なのがさ、そのただ学術的な偉大さだけで自伝書けちゃうっていうことだよね。学者としては全然お手本にならない人間なわけで、そこで足立さんが「『記憶の切り絵図』は若い人には読んでほしくない本である。」って言ってるのが凄く示唆的だなと思ったわけね。こういうことを言える人はエライじゃん?みんなが「先生!」っていう人に対して数学者としては凄いけど人間としてはどうかと思うっていうことを率直に言っているってのがさ、普通は特にああいう業界じゃみんな言わなそうじゃん?そこを言ってるってのが凄いっていうか偉いよね。それは教育者として偉いってことだよね。って思ってたんだけど、どうやら退職をして言いたいことがようやく言えるようになったらしい。
ってことでした。
(後略:ただしこの後、このブログ筆者は「志村本を読み直してみたら、むしろ足立批判より志村の主張にかなり共感した」と掌返ししています(苦笑)。ただし、その部分は省略します)

 どうなんですかねえ。足立氏の言うような悪書なのか、そうでないのか。志村氏は足立氏のいうような「溝口健二のような人格破綻者」なのか(お断りしておけばアマゾンレビューにもネット上のブログ記事にも、一方では「足立批判はあたらない」などの志村擁護もあります)。なお、足立氏の志村批判の是非、真偽はともかく一般論として「才能(学問、藝術などの能力)と人間性と全く関係ない」つうのはその通りです。非常にわかりやすい例では「黒人差別暴言で非難されたノーベル医学賞のワトソン(遺伝子の2重らせん構造で受賞)」なんかがいますね。あるいは溝口健二とか。
 そういう意味で言えば、「I濱女史の政治的発言(例:沖縄に米軍基地がないと中国が攻めてくる)はおかしい」といった小生に向かって「I濱女史は偉大な学者だ」といって擁護しようとしたMukkeの主張は完全に詭弁です。
 奴のやってることは足立氏の志村批判「志村氏はその言動が人格的に問題がある困った人間だ」に対して「志村氏は足立氏の言うようなことはしてない」「足立氏のいうようなことをしていても人格的に問題ない」というのではなく「志村氏は偉大な数学者だ」といって反論したつもりになるくらい馬鹿げています。あるいはワトソンの黒人差別暴言批判に対して「ワトソンはノーベル賞を取った偉大な学者だ」といって反論したつもりになるくらい馬鹿げています。
 

【昭和天皇の87年】激怒した海軍 第一艦隊が東京湾に集結し、砲門を反乱軍に向けた - 産経ニュース

 海軍出身の岡田啓介*21首相、斎藤実*22内大臣鈴木貫太郎*23侍従長を襲撃された海軍軍令部は激高する。

 とはいえ515事件の実行犯は海軍将校ですからね。海軍が「皇道派的な流れ(海軍では一般に艦隊派と言われますが)」や「テロ」と全く関係ないかと言えばそれは違います。
 ちなみにウィキペディア艦隊派」は艦隊派ロンドン海軍軍縮条約締結について反対し統帥権干犯と非難した一派)のメンバーとして

伏見宮博恭王(1875~1946年)
  1932~1941年まで海軍軍令部長軍令部総長
加藤寛治(1870~1939年)
  1929~1930年まで海軍軍令部長
・末次信正(1880~1944年)
  1933~1934年まで連合艦隊司令長官
・山本英輔(1876~1962年)
  1929~1931年まで連合艦隊司令長官

をあげています。
 このうち、加藤は、

加藤寛治ウィキペディア参照)
・真崎甚三郎と親しく、二・二六事件では事件発生の朝、伏見宮、真崎と協議を行った後三人で参内。伏見宮昭和天皇に拝謁し、天皇に「速やかに後継内閣*24を組織すること(この時点では岡田首相は死亡したとみられていた)」や昭和維新の大詔渙発を上申したが、かえって天皇の不興を買う。加藤は真崎と共にのちに憲兵隊の取調べを受けた。

山本は

■山本英輔(ウィキペディア参照)
・海軍幹部は一般に二・二六事件に強硬な態度を取り、海軍兵力による武力討伐に賛成したが、山本は反対であった。
・陸軍皇道派の活動に理解を示していたことから二・二六事件後に岡田内閣が総辞職した際には、一時陸軍からポスト岡田の首班候補に擬されたが、首相には広田弘毅*25が就任し、山本内閣は誕生しなかった。事件後、二・二六事件の被告達や真崎甚三郎*26陸軍大将との関係が濃いと見られたことから危険視され予備役に編入された。

そうです。
 なお、ウィキペディア「515事件」は515事件に参加した海軍将校に死刑判決が出なかったことが、磯部浅一226事件実行犯らに「最悪でも死刑判決は出ない」という誤った考えを抱かせたとしています。


【政治デスクノート】共産党「沖縄県民投票は『民意』なのに国会多数の自民党はダメ」の矛盾(1/5ページ) - 産経ニュース(政治部次長 酒井充)

 結果は、反対が43万4273票で有効投票の72・2%、賛成は11万4933票(19・1%)、どちらでもないが5万2682票(8・8%)だった。玉城デニー知事は「移設反対の民意が埋め立てに絞って明確に示されたのは初めてで、極めて重要な意義がある」と強調した。反対が圧倒的に多数だったのは間違いないので「民意が明確に示された」と言えるだろう。しかし、別の解釈もできる。
 県民投票の投票率は52・48%だった。当日の有権者(投票資格者)は115万3591人だったので、「反対票を投じた人」は全体の37・6%だった。反対が多数だったことは変わらないが、「県民の6割以上が反対しなかった」ということもできる。

 言ってること無茶苦茶ですね。衆院参院の選挙の投票率も近年では「沖縄住民投票と同程度の投票率(もちろん逆にこれより若干高いこともあれば若干低いこともありますが大体この程度の投票率です)」ですので、産経の理屈では「沖縄住民投票と同様に投票者の7割の得票で衆院選である自民党候補が圧勝」しても

・しかし、別の解釈もできる。
衆院選挙の投票率は52・48%だった。
・52・48%×72・2%=37.6%から、「この選挙区で自民候補に票を投じた人」は全体の37・6%だったとわかる。自民支持が投票者の多数だったことは変わらないが、「選挙民の6割以上が自民候補を支持しなかった*27」ということもできる。

ということが可能です。産経は「そうですね。だからその6割の自民不支持に、当選した自民議員は配慮しないといけないですね」というのか。
 もちろん言わないわけです。一方で沖縄住民投票には無茶苦茶な因縁をつける。いつもながらどんだけデタラメなのか。これが政治部次長というのだから心底呆れます(もっと呆れるのは名誉毀損訴訟で敗訴した阿比留が左遷や懲戒処分どころか、論説委員編集委員として出世していることですが)。
 一方「自民が国会議席多数」とはいえそれは特定秘密保護法改憲などと言った「安倍極右政治」を積極的に支持する物では必ずしもないことはマスコミ世論調査(例:安倍政権での改憲反対が過半数)や「自民以外の右派政党の不振(大阪以外では勝てない維新、消滅した次世代の党など)」で明白です(もちろんそれは衆院参院選挙が沖縄住民投票のようなワンイシュー選挙でないことが一つの理由です)。
 たとえば、だからこそ安倍も未だに改憲案が提出できない。
 産経のように「自民が国会多数議席なんだから共産党など野党も自民に従え。安倍政権批判する野党は自民支持の民意に従え」ですむ話ではない。

 「自民党比例代表で得た得票率は33%、(有権者全体に占める)絶対得票率は17%です。ところが、全体の議席では61%を占めました。『これは大政党有利に民意をゆがめる小選挙区制がつくった虚構の多数だということを、言わなければなりません』と志位氏」
 小選挙区比例代表制に反対する共産党の主張を重ねて表明したのだろうが、正当に行われた選挙結果はそれなりに受け止めるのが、あるべき姿だ。裁判で敗訴し「裁判の仕組みが悪いから不当な判決になった」という主張とあまり変わらないのではないか。

 先日WTOで韓国に敗訴したときに「WTOの仕組みが悪いから日本が正しいのに不当敗訴した、WTO改革が必要だ」と抜かしていた産経が良くもいったもんです(たとえば【主張】韓国の禁輸で敗訴 何のためのWTOなのか - 産経ニュース参照)。
 なお、共産党や産経の主張の是非*28はさておき一般論として「不適切なルールやシステム」に批判を行い、改正を主張することそれ自体は「そのルールやシステムが本当に不適切かどうか」をひとまず置けば、別におかしくはありません。ルールは人間が作る物であり、完全無欠なんかあり得ないのだから適宜修正すればいい。
 そして「不適切なルールやシステムの改正主張」は当然ながら「不適切なルールだからお前の勝利と認めない」つう話ではない(たとえば産経とてさすがに「WTO判決なんか無視する」とはいっていません)。共産党もそこまでは主張していません。共産党は「改正主張」&「不適切なルールによって得た大量議席を口実に安倍政権が、改憲反対などの民意を無視することは許されない。」といっているだけです。

*1:ウィキペディア「志村五郎」によれば数学関係の著書としては『数学をいかに使うか』(2010年、ちくま学芸文庫)、『数学の好きな人のために:続・数学をいかに使うか』(2012年、ちくま学芸文庫)、『数学で何が重要か』(2013年、ちくま学芸文庫)、『数学をいかに教えるか』(2014年、ちくま学芸文庫)が、中国古典文学関係の著書としては『中国説話文学とその背景』(2006年、ちくま学芸文庫)、『中国古典文学私選 凡人と非凡人の物語』(2008年、明徳出版社)がある。

*2:1927~1958年。東京大学助教授(数学)。1958年にガス自殺。その後、婚約者・鈴木美佐子も、遺書に「私たちは何があっても決して離れないと約束しました。彼が逝ってしまったのだから、私もいっしょに逝かねばなりません」と書き残して後追いのガス自殺を遂げている(ウィキペディア「谷山豊」参照)。

*3:1930~2019年

*4:著書『文明論之概略を読む (上)(下)』(1986年、岩波新書)など

*5:1941年生まれ。早稲田大学名誉教授(数学)。著書『フェルマーの大定理が解けた!:オイラーからワイルズの証明まで』(1995年、講談社ブルーバックス)、『無限のパラドクス:数学から見た無限論の系譜』(2000年、講談社ブルーバックス)、『無限の果てに何があるか:現代数学への招待』(2002年、光文社知恵の森文庫→2017年、角川ソフィア文庫)、『フェルマーの大定理』(2006年、ちくま学芸文庫)、『√2の不思議』(2007年、ちくま学芸文庫)、『楽しむ数学10話(新版)』(2012年、岩波ジュニア新書)、『数の発明』(2013年、岩波科学ライブラリー) など

*6:カナダ人数学者ジョン・チャールズ・フィールズ (1863–1932) の提唱によって1936年に作られた賞

*7:なお、ノーベル賞には「物理学賞」「化学賞」「医学賞」と数学が関わる賞はありますが、「数学賞」自体はありません。

*8:ヨーロッパの数学界にこの予想を最初に持ち込んだのが当時の数学界の権威であったアンドレ・ヴェイユ(1906~1998年)であったため、欧米ではこの予想の呼称は「谷山=志村=ヴェイユ予想」と呼ばれることもある。しかし、数学者のサージ・ラング(1927~2005年)は谷山・志村予想の調査・研究を進めた上で、ヴェイユは「谷山・志村予想」を再発見しヨーロッパに紹介しただけ(まあそれだけでもスゴイですが)でこの予想には直接的には何の貢献もしていないと指摘している(ウィキペディア谷山・志村予想」参照)。

*9:1875~1960年。東京帝国大学教授(数学)。著書『数学小景』(岩波現代文庫)、『近世数学史談』(岩波文庫)、『新式算術講義』、『数学の自由性』(ちくま学芸文庫)など

*10:1887~1947年。

*11:1862~1943年。ゲッティンゲン大学教授(数学)。著書『幾何学基礎論』(ちくま学芸文庫)など

*12:高木貞治、ヘッケ、ヒルベルトへの志村著書での悪口が読むに堪えないほど酷い(足立氏)」という前後の文脈から考えてGHQマッカーサーではなく数学者でしょう。誰だか知りませんが。

*13:ウィキペディア谷山・志村予想」によれば『志村は著書『記憶の切繪図』(2008年、筑摩書房)のなかで「有理数体上の楕円曲線はモジュラー関数で一意化される」という「谷山・志村予想」の命題を「私の予想」と呼んでおり、谷山が1955年に提案した問題とは無関係だとしている』だそうです。

*14:彌永昌吉学習院大学名誉教授(1906~2006年)のこと。著書『数学者の20世紀:彌永昌吉エッセイ集1941-2000』、『若き日の思い出 数学者への道』(岩波書店)、『数学のまなび方』(ちくま学芸文庫)など

*15:1917~1998年。プリンストン大名誉教授

*16:「I濱Y子教のMukkeかよ」といいたくなりますね。思わず吹き出しました。

*17:飯高茂・学習院大学名誉教授(1942年生まれ)のこと。著書『パソコンで開く数の不思議世界』(2004年、岩波ジュニア新書)、『いいたかないけど数学者なのだ』(2006年、NHK生活人新書)など

*18:1903~1957年。ウィキペディアノイマン」によれば『ソ連への先制攻撃を強く主張し、後に『ライフ』誌が掲載した死亡記事によれば、1950年に「明日ソ連を爆撃しようと言われたら、なぜ今日爆撃しないのかと言う。今日の5時にと言うなら、なぜ1時にしないのかと言う。」という発言をしたとされる極右』だそうです。

*19:1642~1727年

*20:数学者(1947年生まれ)

*21:田中、斎藤内閣海軍大臣、首相を歴任

*22:第一次西園寺、第二次桂、第二次西園寺、第三次桂、第一次山本内閣海軍大臣朝鮮総督、首相、内大臣など歴任

*23:海軍次官連合艦隊司令長官、海軍軍令部長侍従長、枢密院議長、首相など歴任

*24:普通に考えれば真崎内閣のことでしょう。

*25:斎藤、岡田、第1次近衛内閣外相、首相を歴任。戦後戦犯として死刑判決。後に昭和殉難者として靖国に合祀。

*26:台湾軍司令官、参謀次長、陸軍教育総監を歴任

*27:産経のへりくつはともかく近年の投票率(52%程度)では「52%の過半数=26%」なので選挙民の3割程度の支持が得られれば「ライバル候補がそれ以上の支持でない限り」当選できる(つまり必ずしも圧倒的支持でなくても当選できる)のは事実です。産経が強弁するほど安倍自民が国民に支持されてるわけではないのは事実でしょう。そしてだからこそ「野党共闘により反自民の票を集めること」が重要になるわけです。

*28:共産党小選挙区制批判(少数意見の切り捨てにつながる)については俺は同意見です。産経のWTO批判についてはよく分かりません。