「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年5/7分:高世仁の巻)

原発とジャングル1 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 渡辺京二さん*1さんの話ばかりで読者もうんざりかもしれないが、きょうは彼の「ジャングルと原発」(「原発とジャングル*2晶文社刊に所収)という評論について書きたい。

 ええ、うんざりですね。俺は高世と違って渡辺など何一つ評価していませんので。むしろ渡辺には否定的です。大体原発を論じるに当たって原発専門家でもない渡辺を持ち出すなんて馬鹿げています。
 東電元社員(原発技術者)である蓮池透氏の著書『告発:日本で原発を再稼働してはいけない三つの理由』(2018年、ビジネス社)でも高世は論じたらどうなのか(追記:と思ったのですが原発は前振りにすぎず、高世と渡辺がやりたいことは「ピタバン族の生活がいかに素晴らしいか」という話のようです)。
 なお、なぜ渡辺を評価しないかについては「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年5/6分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログにも書きました。
 そもそも以前「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(8/10分:高世仁の巻)&北朝鮮最新ニュースその他色々(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログで指摘していますが、産経新聞に登場して「自虐史観」なんて言葉を平然と使う極右が渡辺です。なんでそんな人間を高世は「元左翼」のくせに評価できるのか。高世も「自虐史観反対」という渡辺と同じ極右の立場なのか。
 「いや俺はそんな考えは支持しない」「それ(渡辺の「自虐史観」批判)とこれ(高世が支持する渡辺の言説)とは別」なんてのは詭弁です。「自虐史観」なんて言葉を使い、笠原十九司*3林博史*4、吉見義明氏*5といった研究者を侮辱する渡辺がまともな人間の訳がないでしょう。

原発がいやならジャングルへ戻れと、「戦後最大の思想家」は言った。

 これだけですぐに分かる方も居れば「何のことだか分からない方」もいるでしょうが、ここでの「戦後最大の思想家」つうのは吉本隆明*6のことです。
 まあ、カギ括弧つけてるつう事は、渡辺はそうは思ってないのでしょうが。
 俺もそうは思っていません。そもそも「新左翼の教祖」などと呼ばれた吉本をそこまで高評価するのって「新左翼運動が盛んだった頃の一部新左翼活動家(平たく言えば吉本シンパ)」だけですよねえ。
 自民党社会党共産党などはむしろ吉本には否定的でした。
 例えば五十嵐仁氏*7(記事執筆当時、法政大教授。現在は法政大名誉教授、全国革新懇代表世話人)などは3月17日(土) なぜ、誰も吉本隆明の責任を追及しないのか:五十嵐仁の転成仁語:So-netブログ

 吉本隆明が死んだそうです。最大級の評価と追悼の言葉が、テレビや新聞で報じられています。
 昨日の朝7時のNHKニュースのトップが、吉本の訃報でした。夕刊各紙も、多くの紙面を割いて業績を紹介したり、その死を惜しむ言葉を掲載しています。「戦後思想の巨人」とか、「戦後の思想界を代表する評論家・詩人」だなどという賛辞が溢れていました。
 しかし、忘れてならないのは、吉本の思想と言説が全共闘運動や新左翼の学生達に多くの影響を与えたということです。既成の左翼運動を徹底批判し「新左翼」の教祖的存在となったこと、全共闘世代の若者の熱狂的支持を受けたことは、当時、若者であった私も良く知っています。
 そして、その言葉に影響され、これらの誤った運動へと足を踏み入れて暴力をふるったり、暴力によって負傷したり、命を失ったり、人生を狂わされた学生や青年達が多くいたことも。そのような学生の一人によって、私は旗竿で右目を突かれ、失明させられました*8
 その思想的淵源の一つが吉本隆明であったかもしれません。内ゲバにまで至り、惨憺たる結末を迎えた全共闘運動や新左翼運動に対して、「教祖」として思想的な影響を与えた吉本隆明には大きな責任があります。
 それなのに、なぜ、誰も吉本隆明の責任を追及しないのでしょうか。人々の行動を左右し、生き方にまで深く影響を与えた思想の「結果責任」を、どうして誰も吉本隆明に問わないのでしょうか。

と吉本を酷評しています。小生も同感ですね。なお、「話が脱線」しますが、以前「例の野原さん」に「五十嵐氏のような吉本批判をどう思いますか?」「あなた反原発派を自称していますが、それと、あなたの吉本への高評価とどう両立するんですか?。吉本って原発推進派ですよね?。原発推進の部分については、脱原発派としてさすがに吉本を批判しますか?」と沈黙の核あるいは〈関係の絶対性〜大衆の原像〉 - noharra’s diary吉本原発論批判をすべきだ - noharra’s diary*9などと彼のブログのコメント欄で質問したら「いつもの決まり文句」『興味ない』で応じられて心底呆れたことがありました。
 どうやら野原には「是々非々の評価」ができないようです。
 「確かに五十嵐先生の言うように吉本には新左翼の暴力に対する道義的責任がある、しかしそれでもこういう部分は吉本は立派だ」といえない。
 「当時、左翼運動において強い影響力を持った既成左翼(社会党共産党など)を批判した吉本は立派なんだ」と彼が言うと「吉本批判を彼は何一つ出来なくなる」。とはいえ、「五十嵐氏のような批判」あるいは「脱原発派からの原発推進派・吉本への批判」について「吉本は正しい。五十嵐氏や脱原発派の吉本批判の方が間違ってる」とは野原さんも言えない(特に原発問題ではとてもそんなことは言えないでしょう。彼は自称脱原発派ですから)。
 結局すっとぼけるしかなくなるわけです。これは吉本だけではなく、前川元文科次官など他の件でも同じですが。
 野原が「前川さんの加計告発は偉大だ」というと「前川批判を彼は出来なくなる」。
 しかし彼には皮肉なことに前川氏は「彼とは違い」朝鮮学校無償化除外を「国による違法行為であり差別」と批判しています。その件について「あなた、俺を朝鮮学校無償化除外になぜ反対するって批判したよね?。じゃあこの件では前川氏を批判するの?」と聞いたら、いつもの「興味ない」です。
 是々非々の評価が出来ず「全肯定か全否定かしないかないのが野原」だから「全肯定や全否定ができない場合」はとぼけるしかなくなるわけです。どんだけ卑怯者なのか。長い人生、そんな卑怯で下劣な態度で生きてきたのが「60歳を超えて定年退職したじじい(当人の自己申告による)」の野原なのか。こんな卑劣な人間が「朝鮮総連北朝鮮に甘い」と言い出すのだからその下劣さ、デタラメさには心底呆れます。「朝鮮総連関係者が北朝鮮批判する」のに比べたら野原が「前川氏や吉本を批判すること」なんか何らハードルは高くないでしょう。
 他人にハードルの高い行為を要求しながら、自分はハードルの低い行為でもやらない。「なぜやらないのか」と俺に批判されても「興味ない」で片付ける。どれほど野原はデタラメなのか。
 まあ「野原への悪口はこの程度にして」話を元に戻しますが、「最近の若者」など吉本隆明を否定する、しない以前に吉本なんて知らないでしょう。
 吉本のことを「作家・吉本ばなな*10の父親」と知ってればまだいい方です。下手したら吉本ばななも最近の若者は知らないでしょう。ばななは正直「一般によく知られてる作家」とはいえないでしょう。
 下手したら冗談ではなくマジで「吉本興業の創業者*11ですか?」といいかねないのが最近の若者でしょう。最近の若者にとって吉本とは「明石家さんま」「桂文枝*12」「桂文珍」「ダウンタウン」「千原兄弟」「ナインティナイン」「博多華丸・大吉」「ハリセンボン*13」「山田花子」などなど多数のお笑い芸人*14を擁し「今や日本最大のお笑い芸能事務所」となった吉本興業のことでしかないでしょう。
 しかし

原発がいやならジャングルへ戻れと、「戦後最大の思想家」は言った。

て。
 高世や渡辺の指摘が事実*15なら「吉本はアホか」ですね。昭和戦前に原発なんかあったのか。もちろん日本だけでなく欧米も含めて「どこの国にもない」わけです。原発が誕生したのは戦後のことですから。原爆技術を民生転用して生まれたのが原発ですから。
 世界の全ての国に原発があるのか。もちろんないわけです。「ジャングル云々」なんてのは産経レベルの低劣なデマです。
 原発がなければもしかしたら「生活レベルは落ちるかもしれません*16」。しかし「ジャングルに戻ること」はありえない。つうか日本にジャングルなんてありませんし。
 かつこうした吉本発言は「ジャングルで生活してきた人々」に対する明らかな差別暴言でしょう。
 しかし野原さんに「吉本の『原発がいやならジャングルへ戻れ』発言をどう思いますか?」と質問するとすっとぼけるんでしょうねえ。さすがに彼も「そうだ、ジャングルへ戻る気なのか。原発は必要なんだ」といえないし、一方で吉本批判も出来ない。
 まあそういう批判的な質問を俺にされたくないからでしょう。

普通・無知であること - noharra’s diary
 id:bogus-simotukareさんについては、書き込み禁止にしています。

と俺の書き込みを拒否したあげく「拒否して何が悪い」と平然と居直るのだから心底呆れます。小生もここまでデタラメなくせに誠実ぶってる馬鹿野郎は野原さん以外ではネット上ではMukkeくらいしか見たことがないですね。
 まあ「荒木和博や島田洋一など産経文化人」に代表される日本ウヨはデタラメですが、彼らは「誠実なリベラル」を必死に装う野原さんやMukkeと違い「デタラメ右翼であることを隠そうとしてない」のである意味「誠実」です。

 吉本氏は原発反対運動が大嫌いで、リスクの伴わぬ技術進歩はない、そのリスクを人間は引き受けてゆくべきだ*17と言って、さすがの「戦後最大の思想家」もモウロクした*18のではと疑われた。しかし、吉本氏を散々罵った*19原発反対派は、年間四千人の死者を出しつつ平気でクルマを乗り回している*20。一体福島原発放射能汚染で何人死んだか*21。吉本氏の発言は筋の通ったものだった。

 「別に原発やめたってジャングルへ戻らないから。戦前はどこの国にも原発なんかなかったがそれなりの生活水準だった(繰り返しますが原発が誕生したのは戦後です)。デマも大概にしろよ」と渡辺が言うかと思いきや「吉本氏の発言は筋の通ったもの」だそうです。
 「予想外すぎて」「異常すぎて」一瞬言葉がないですね。よくもまあこんな馬鹿げた渡辺の発言を高世も好意的に紹介できるもんです。
 高世の妻子ですら「お父さん、馬鹿なことは言わないで」と呆れるんじゃないか。
 おいおいですね。「年間四千人の死者を出しつつ平気でクルマを乗り回している」て、じゃあ自動車をやめろというのか。やめられるわけがないでしょう。
 そんなこと言ったら「飛行機は落ちる恐れがあるから運行すべきでない」「鉄道や船も、脱線や沈没など、死亡事故が起こる恐れがあるから運行すべきでない」なんてことにもなってしまう。極論すれば「中世ヨーロッパの馬車」「江戸時代の武士の乗馬」だって事故(馬が何らかの理由で暴走)で人間が死ぬことはあるわけです。ならば中世ヨーロッパや江戸時代において「馬の利用は危険だから人間は歩いて移動すべきです」つう話になるのか。もちろんなりません。
 「そういうこというならまずお前らが自動車と鉄道と飛行機と船の使用をやめろよ、高世よ、渡辺よ。それで生活が出来る物ならやってみろ」「お前の出版した本も、本の販売に自動車と鉄道と飛行機と船の使用はするなよ、高世よ、渡辺よ。それで本が売れる物ならやってみろ」と思うのは俺だけではないでしょう。しかし晶文社も良くこんな与太の書かれた本「原発とジャングル」を出版したもんです。
 だったらまず晶文社が「本の製造販売」に「文明の利器を使うこと」をやめるべきでしょう。
 問題は「近代化それ自体ではない」。近代化が生み出す弊害をどうなくしていくか、減らしていくかと言うことです。
 で、原発というのは「水力、火力、地熱、風力、潮力、太陽光」などという別の発電方法がある以上、「原発事故のリスクを抱えてまでやるべきではない」。
 一方自動車や鉄道、飛行機などは「死亡事故のリスクもあるが移動時間が大幅に短縮できるメリットも大きく」、かつ「自動車、鉄道、飛行機に変わる代替手段もない」。だから「リスクを最小限にする」方向を目指していく。ただそれだけの話です。

《文明の進歩がいやならジャングルへ戻りなさいというとき、そのジャングルの生活とは野蛮、蒙昧、悲惨の代名詞であるはずである。》
 ところが、実際のジャングルの暮らしは、その先入観を覆すものだったという。渡辺さんはダニエル・L・レヴェレット『ピダハン*22』(みすず書房)に記された、アマゾン支流マディラ川のほとりに住むピダハンという400人ほどの部族を例に挙げる。彼らの生活は川と森に依存している。川での漁と森の採集によって、《一家力を併せて日に2、3時間働けば暮らしてゆける》という。
(以下略)
(つづく)

 吹き出しました。いや「ジャングルの生活は意外と豊か」とは言ってもそれは「近代化した文明社会」を否定していい話ではないでしょう。
 「まさかとは思いますが」、渡辺はともかく「ダライラマ支持者」高世ってチベットについても「チベットはいわゆるチベット解放などされなくて良かった。それは別に中国共産党が独裁的でチベット民族文化に無神経だからではない。私がそうした面で中国共産党を批判しているため誤解している人が居るかもしれないが、たとえ中国共産党が民主的で、チベット民族文化に理解があってもも解放される必要はなかった。なぜなら近代化されなくてもチベット人チベット民族)は幸せだったからだ。未開のジャングルに暮らすピダハン部族と同じだ」「チベット鉄道とか、チベットの電化とかチベットの近代化なんか全く必要ない」と言い出す気でしょうか。
 そして高世や渡辺には「そんなにピダハンがうらやましいならアマゾンに家族引き連れて移住して来いよ、止めないから」と心の底からいいたい。
 まあ、でもマジレスすればたぶんピダハン族も「徐々に」「遅々とした歩み」ではあれ「チベット解放後のチベットのように」いずれ近代化していくでしょうね。

【追記】

ピダハン ダニエル・L・エヴェレット著 定説を揺るがす豊かな精神世界 :日本経済新聞
 ピダハン語には、従属節、数詞、色や複雑な家族関係を指す言葉、左右を表わす言葉など存在しないものが多い。それらを必要としない文化なのだ。たとえば方向は、マイシ川の上流側か下流側かで表現される。数に替わる概念は相対的な量で表わされる。

 近代化しないならそれらは確かに必要でないかもしれない。ただ近代化するなら「数詞、色や複雑な家族関係を指す言葉、左右を表わす言葉など存在しない」というわけにはいかないでしょう。日本語や英語など多くの言語にそうした言葉が存在するのは「必要だから」です。必要がなければそんな言葉は生まれない。
 高世や渡辺が「数詞、色や複雑な家族関係を指す言葉、左右を表わす言葉など存在しない未開社会」でも「ピタバン族が幸せだと思ってるならそれでええやないか。奴らがそういう生活でもわしらにとって困ることはないし、わしらが近代化してやろうなんて思い上がりや」つうならそれは勝手です。俺もアマゾンの未開民族ピダハン族なんかには興味もありません。そもそも高世のこの文章を読むまでそんな部族の存在も知りませんでしたし。
 ただ俺個人はこんな社会が高世や渡辺が言うように、「むしろ日本人にとって生活の参考になるんじゃないか」とは全く思いませんね。
 「文明社会日本」に「文明化(近代化)による問題」があるからといって「未開社会(たとえばピダハン族)に憧れを抱く」つうのはまともな言動ではないでしょう。
 それにしても「ピタバン族が幸せだと思ってるならそれでええやないか。奴らがそういう生活でもわしらにとって困ることはないし、わしらが近代化してやろうなんて思い上がりや」という態度の高世が、朝鮮学校関係者に頼まれても居ないのに「朝鮮学校の教育は金日成崇拝でゆがんでるから無償化除外してでも正常化してやろう」と思い「わしら部外者が朝鮮学校に上から目線なんて思い上がりや」と思わない神経は理解不能です。あるいは寺越親子に頼まれても居ないのに「寺越武志さんは拉致だ」と言い出す神経は理解不能です(いや正直な話、なんとなく理解は出来ますが明らかにピタバン族への態度とは矛盾してるでしょう)。
 ピタバン族への高世の態度を朝鮮学校や寺越親子にスライドすれば「教育内容なんぞ朝鮮学校関係者の思い通りにやらせてやればそれでええやないか。奴らがどういう教育でもわしらにとって困ることはないし、わしらが正常化してやろうなんて思い上がりや」「寺越親子が拉致だなんて言ってないのにわしら部外者が拉致だと騒いでも無意味や」になるでしょうにねえ。だから俺は「矛盾だらけ」「デタラメだらけ」の高世が反吐が出るほど大嫌いです。

*1:著書『逝きし世の面影』(2005年、平凡社ライブラリー)、『神風連とその時代』(2006年、洋泉社MC新書)、『なぜいま人類史か』(2007年、洋泉社MC新書)、『北一輝』(2007年、ちくま学芸文庫)、『日本近世の起源』(2008年、洋泉社MC新書)、『私のロシア文学』(2011年、文春学藝ライブラリー)、『維新の夢』(2011年、ちくま学芸文庫)、『神風連とその時代』(2011年、洋泉社新書y)、『ドストエフスキイの政治思想』(2012年、洋泉社新書y)、『私の世界文学案内』(2012年、ちくま学芸文庫)、『近代の呪い』(2013年、平凡社新書)、『無名の人生』(2014年、文春新書)、『幻影の明治:名もなき人びとの肖像』(2018年、平凡社ライブラリー)など

*2:2018年刊行

*3:都留文科大学名誉教授。著書『アジアの中の日本軍』(1994年、大月書店)、『日中全面戦争と海軍:パナイ号事件の真相』(1997年、青木書店)、『南京事件』(1997年、岩波新書)、『南京事件三光作戦』(1999年、大月書店)、『南京事件と日本人』(2002年、柏書房)、『南京難民区の百日:虐殺を見た外国人』(2005年、岩波現代文庫)、『南京事件論争史』(2007年、平凡社新書→増補版、2018年、平凡社ライブラリー)、『「百人斬り競争」と南京事件』(2008年、大月書店)、『日本軍の治安戦』(2010年、岩波書店)、『第一次世界大戦期の中国民族運動』(2014年、汲古書院)、『海軍の日中戦争』(2015年、平凡社)、『日中戦争全史(上)(下)』(2017年、高文研)など

*4:関東学院大学教授。著書『沖縄戦と民衆』(2002年、大月書店)、『BC級戦犯裁判』(2005年、岩波新書)、『シンガポール華僑粛清』(2007年、高文研)、『戦後平和主義を問い直す』(2008年、かもがわ出版)、『戦犯裁判の研究』(2009年、勉誠出版)、『沖縄戦 強制された「集団自決」』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄戦が問うもの』(2010年、大月書店)、『米軍基地の歴史』(2011年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『裁かれた戦争犯罪:イギリスの対日戦犯裁判』(2014年、岩波人文書セレクション)、『暴力と差別としての米軍基地』(2014年、かもがわ出版)、『沖縄からの本土爆撃:米軍出撃基地の誕生』(2018年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)など。個人サイト(http://hayashihirofumi.g1.xrea.com/)。

*5:中央大学名誉教授。著書『草の根のファシズム』(1987年、東京大学出版会)、『従軍慰安婦』(1995年、岩波新書)、『毒ガス戦と日本軍』(2004年、岩波書店)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(2010年、岩波ブックレット)、『焼跡からのデモクラシー:草の根の占領期体験(上)(下)』(2014年、岩波現代全書)など

*6:著書『老いの超え方』(朝日文庫)、『改訂新版 共同幻想論』、『改訂新版 心的現象論序説』、『定本 言語にとって美とはなにか』(以上、角川ソフィア文庫)、『言葉からの触手』(河出文庫)、『西行論』、『写生の物語』、『書物の解体学』、『高村光太郎』、『追悼私記 完全版』、『マス・イメージ論』、『マチウ書試論・転向論』(以上、講談社文芸文庫)、『今に生きる親鸞』(講談社プラスアルファ新書)、『最後の親鸞』、『カール・マルクス』(以上、光文社文庫)、『詩の力』(新潮文庫)、『超恋愛論』(だいわ文庫)、『源氏物語論』、『初期歌謡論』、『思想のアンソロジー』、『悲劇の解読』、『宮沢賢治』、『柳田国男論・丸山真男論』(以上、ちくま学芸文庫)、『宮沢賢治の世界』(筑摩選書)、『島尾敏雄』(筑摩叢書)、『父の像』、『夏目漱石を読む』(以上、ちくま文庫)、『世界認識の方法』(中公文庫)、『背景の記憶』(平凡社ライブラリー)、『甦るヴェイユ』(洋泉社MC新書)など

*7:著書『徹底検証 政治改革神話』(1997年、労働旬報社)、『政党政治労働組合運動』(1998年、御茶の水書房)、『戦後政治の実像』(2003年、小学館)、『この目で見てきた世界のレイバー・アーカイヴス』(2005年、法律文化社)、『労働政策』(2008年、日本経済評論社)、『労働再規制』(2008年、ちくま新書)、『対決 安倍政権:暴走阻止のために』(2015年、学習の友社)、『活路は共闘にあり:社会運動の力と「勝利の方程式」』(2017年、学習の友社)、『打倒安倍政権:9条改憲阻止のために』(2018年、学習の友社)など

*8:都立大学生時代の五十嵐氏が「民青系の活動家だったこと」や「そのため民青を敵視する新左翼学生に暴行されて右目を失明したこと」は彼のブログ記事3月26日(金) 暴力に抗した友情の絆-松田さんと「支える会」の40年に寄せて:五十嵐仁の転成仁語:So-netブログ7月22日(水) 残された左目を殴られたのは1972年2月28日のことだった:五十嵐仁の転成仁語:So-netブログを参照して下さい。

*9:吉本原発論批判をすべきだ - noharra’s diaryのタイトルだけ見ると「吉本批判を彼がしている」ようですが、そうではなく「吉本批判しない理由をただ言い訳してるだけ」の醜悪な文章です。

*10:著書『ごはんのことばかり100話とちょっと』、『ふなふな船橋』(以上、朝日文庫)、『キッチン』、『パイナツプリン』(以上、角川文庫)、『哀しい予感』、『サーカスナイト』、『下北沢について』、『人生の旅をゆく』、『スウィート・ヒアアフター』、『すぐそこのたからもの』、『すばらしい日々』、『パイナップルヘッド』、『発見』、『バナタイム』、『ばななブレイク』、『花のベッドでひるねして』、『日々の考え』、『日々のこと』、『まぼろしハワイ』、『もしもし下北沢』、『夢について』、『ゆめみるハワイ』(以上、幻冬舎文庫)、『鳥たち』(集英社文庫)、『赤ちゃんのいる日々』、『イヤシノウタ』、『さきちゃんたちの夜』、『白河夜船』、『とかげ』、『どんぐり姉妹』、『なんくるない』、『ハゴロモ』、『みずうみ』(以上、新潮文庫)、『おとなになるってどんなこと?』(ちくまプリマ―新書)、『海のふた』、『サウスポイント』、『小さな幸せ46こ』、『TUGUMI(つぐみ)』、『ハチ公の最後の恋人』、『ハネムーン』(以上、中公文庫)、『イルカ』、『彼女について』、『体は全部知っている』、『ジュージュー』、『スナックちどり』、『チエちゃんと私』、『デッドエンドの思い出』(文春文庫)など

*11:ちなみに創業者は吉本吉兵衛・せい夫婦です(ウィキペディア吉本興業」参照)。

*12:小生は今でもつい「三枝」といいますが。彼が大阪ABC(テレ朝系列)『新婚さんいらっしゃい!』などで大いに名を売ったのは三枝時代ですからね。

*13:ボケ役が「角野卓造じゃねえよ!」とぼけるネタで知られるコンビですね。

*14:あげた例が最近の若手吉本芸人の名前でなくて恐縮です

*15:事実なのでしょうが。

*16:小生個人は「他に発電方法があるので落ちない」と思いますし、ある程度レベルが落ちても「身の安全には変えられない(原発事故の恐怖におびえたくない)」と思いますが。

*17:リスクの程度によりますね。「ローリスク・ハイリターン」ならその通りですが、「ハイリスク・ローリターン」ならばリスクを引き受けるのは馬鹿げています。

*18:もうろくしたのではなく、吉本は最初からろくな人間ではなかったのでしょう。

*19:「批判した」「非難した」と書かず、吉本批判者が感情的であるかのように印象操作する当たり渡辺も呆れたゲスです。

*20:車に乗ってるのは何も原発反対派だけではないですが。

*21:福島原発事故で直接の死者が出なかったのは単に事故が幸運にも小規模にとどまったからです。最悪の場合、相当数の死者が出たでしょうし、「いわゆる震災関連死」を渡辺が無視するのも酷い話です。

*22:2012年刊行