今日の産経ニュース(2019年5月24日分)(松本清張「女囚」のネタバレがあります)(追記あり)

外務、防衛両省がHPで「旭日旗」説明 韓国のレッテル貼りに対抗? - 産経ニュース
 「旭日旗は戦前の日本海軍の旗です」「だから私たち韓国民は旭日旗についていい感情が持てません」「他の国はともかく、せめて韓国に海上自衛隊が来るときは旭日旗は外してほしい」というのはレッテル張りではないでしょう。「戦前日本の侵略」の被害国として当然の感情でしょう。
 東欧国民が「旧ソ連国旗」に、ユダヤ人がハーケンクロイツに好感情を持てないのと同じです。
 そこで「ハーケンクロイツはナチが発明したわけじゃない」「旧ソ連国旗が東欧侵略したわけじゃない。ソ連国旗の『鎌とトンカチ(農業と工業の重視)』の理念自体に悪はない」とかいってなんか意味があるのか。ここでの産経や安倍政権の居直りも同じです。
 いい加減「韓国の要望に応えたらどうなのか」。俺からいわせれば「旭日旗の廃止と新しい海上自衛隊旗の制定」を求めないだけ「随分日本に気を遣ってる」と思いますが。


寝屋川中1殺害 死刑確定に「ほっとした」 女児の遺族 - 産経ニュース
 気持ちは分からないではないのですが、「遺族が死刑を公然と喜ぶ」のも「それをマスコミが垂れ流す」のも「何だかなあ」と思います。


神戸連続児童殺傷「弱者に優しい時代に」土師守さん手記全文 - 産経ニュース
 一犯罪被害者遺族に過ぎない人間がここまでご大層に扱われるのには違和感を感じますね。
 「法律専門家でも人格者でも何でもない『一犯罪被害者に過ぎない彼の発言』に高尚な内容を期待しても仕方がない」「もっと酷い暴言はく遺族もいる」とはいえ内容も俺的には「なんだかなあ」ですね。

 今年も、加害男性からの手紙は届いていません。
 加害男性が、自らが犯した残忍な犯罪に向き合い、真実を導き出す必要があると思いますが、その手段として私たちに手紙を書くという行為は重要な意味を持つことだと私は考えています。

 何だかなあ、ですね。土師がそう考えることは彼の勝手ですが加害男性に押しつけることが出来る話ではないでしょう。
 「手紙を書いて遺族に送れば反省してる、送らなければ反省してない」つう単純な話でもない。
 まあ、送ることによって「遺族の気持ちが少しでも和らぐ」のであればその方が望ましい。とはいえ「送れば和らぐのか」つうと遺族も様々です。
 「反省が足りない」と逆ギレする遺族もいるかもしれない。そういう意味では「真に反省してるが故に遺族の反応が怖くて送れない」ということもありうるわけで勝手に「送らないから反省がない」と決めつけるのもいかがなものか。特に土師がこういうことを言えば言うほど普通の人間なら送りづらくなります。
 まあ、「被害者遺族じゃないから俺はこういうことが言える」つう面は否定しません。しかし、「加害男性が社会復帰し、特に犯罪などの問題行為も犯してないらしい」程度でも俺としては「それなりの反省じゃないか」と思いますね。少なくともこんな感情論はメディアが無批判に垂れ流すべきものではないでしょう。

 新しい「令和」の時代は、犯罪被害者を含め弱者に優しい、そして暮らしやすい時代になってほしいと願っています。

 繰り返しますが「被害者遺族じゃないから俺はこういうことが言える(人格者では全くないので被害者遺族になったら恨み辛みから発狂して土師や岡村のように狭量な態度になるかもしれない)」つう面は否定しません。しかし、土師のこの言葉には俺は「犯罪加害者やその家族は弱者じゃないの?」「こんなことを言ってもあなたは怒るかもしれないがあなたの子どもを殺した加害男性やその家族は弱者じゃないの?」「あんたら犯罪被害者遺族だけが弱者なの?」「あんた、マスコミにちやほやされて、少し思い上がってねえか?」と思いますね。
 土師の目指す社会は明らかに「犯罪加害者家族」という弱者に冷たい社会でしょうし、そんな土師が「犯罪加害者家族」以外の弱者に対しても優しい人間とはとても思えません。土師の言ってることは「犯罪被害者家族という弱者の俺に優しくしろ」つう手前勝手な話に過ぎないでしょう。
 まあ小生は「土師に限らず」あすの会岡村勲や「横田奥さんら拉致被害者家族会」もそうですが「思いあがってる被害者」にはむしろ共感や同情より「思い上がってんじゃねえよ、何様のつもりだ。被害者なら何でも許されると思ってるのか」「あんたの考えが100パー正しいと思ってるのか」つう不快感を感じますね。ただそういう「俺のような人間」は「日本では少ないらしく」下手に公言すると「ボーガスは被害者に冷たい」「加害者に甘い」「それでも人間か*1」などと周囲の非難をあびますので「小心者でへたれ」の小生もそういうことは「リアル社会」では、ほとんど公言はしませんが、ここでは簡単に私見を書いておきます。
 たぶんこういうことを言うと、この「元あすの会」メンバーの厳罰論者・土師は「加害者に甘い」と逆ギレするのでしょうが、「加害者に適切な処罰を与えると言うこと*2」は「加害者を社会から抹殺すること(あすの会の目的?)」とは違います。「死刑判決や無期判決*3以外」は「土師の子どもが殺された事件」も含めて、少なくとも「刑務所で罪を償った上で、社会に復帰すること」が建前の訳です。
 TBSでドラマ化もされたマンガ「家裁の人」で主人公・桑田判事が

meguのコーヒータイム
 第3巻「イチジク」、審判に悩む同僚判事との対話。
 「厳しい罰を与えれば問題のある少年が自分たちの前から消えると思う事自体完全な誤解です。」
 「どんなに長い処分を与えても、少年は社会に戻ってくるんです。誰かの隣に住むんですよ。」
 第4巻「ホオノキ」、少年犯罪の審判に対する新聞の厳しい批判の論調。
 「長い間暴走族の少年らに苦しめられたあげくに二カ月の重傷を負わされた市民がいるのである。その少年をまた町に戻すという事は裁判所は私たち市民に、この先ずっと脅えて暮らせというのであろうか」という問いに、判事のつぶやきは。
 「町が育てなければ、誰が少年たちを育てるんですか?」

家栽の人 - つれづれマンガ日記 改
 作中では数々の名台詞が飛び出すわけだが、個人的に一際記憶に残るシーンは第3巻「イチジク」に収録される以下のシーンだろう。
「どんなに長い処分を与えても、少年は社会に戻ってくるんです。誰かの隣に住むんですよ。その時、その少年が、笑って暮らしている可能性を探すのが、裁判官の仕事じゃないんですか。」

家栽の人 | もんちゃんのブログ
「どんなに長い処分を与えても少年は社会に戻ってくるんです。誰かの隣に住むんですよ。その時、その少年が笑って暮らせる可能性を探すのが裁判官の仕事じゃないですか*4

家栽の人 | 見たまま、感じたまま、思ったまま - 楽天ブログ
「どんなに長い処分を与えても、少年は社会に戻ってくるんです。誰かの隣に住むんですよ。そのときに彼が笑って暮らせる可能性を探すのが私たち裁判官の仕事じゃないでしょうか?*5
「街が少年達を育てないで誰が育てるんですか?」

と言っていますがそういう話です(まあお察しがつくでしょうが小生は「家栽の人」ファンです。まあ、あのマンガ&ドラマはややきれい事に流れがちな気がしないでもありませんが、一方で「きれい事(理想論)を忘れたら」それは悪しき現状追認でしかありません)。
 ましてや、「別人格の家族」が加害者のために社会から抹殺されていい訳がない。例えば、宮崎勤事件によって自殺に追い込まれたという宮崎の父親や、婚約が破談になったという宮崎の姉は「弱者に冷たい日本社会の被害者」ではないのか。宮崎の家族(両親や姉)は彼があんなことをしてるとは思いもしませんでした。「土師の子どもを殺した加害男性」の家族(両親など)だってまさかあんな事件が起こるとは思わなかったでしょう。我々だって「家族がどこで何をしてるか」なんか知りません(さすがに犯罪はしてないでしょうが)。「犯罪者だから家族でも見捨てる*6」つうわけにもいきませんが当然のように社会から「家族としての責任」なんか負わされても困るわけです。
 まあ、こういうことをいう土師のような人間は「加害=故意犯」「故意犯は自業自得*7」「家族にも責任がある」と思ってるのでしょうが過失犯だってある。自動車事故のような過失犯は、池袋の高齢者男性のように「いつ自分や自分の家族が加害者になるか分からない」わけです。
 まあそういうことを「土師や岡村のような犯罪被害者遺族」に求めても酷でしょうが、「土師や岡村らあすの会」が「犯罪加害者家族の生活支援」に目配りできるような冷静さや人情があれば「あすの会」も会員減少で消滅するようなこともなかったんじゃないですかね(実際には彼らは厳罰論を主張するだけのタカ派に過ぎなかったわけですが)。そして「被害者遺族よりは冷静であるべき」マスコミも少しは「犯罪加害者家族」の問題に目を向けてほしいもんです。下で紹介する現代ビジネス(講談社)、朝日新聞毎日新聞日経新聞西日本新聞ニューズウィーク日本版、雑誌『クロワッサン』(マガジンハウス)の記事のように「最近はマスコミでも少しずつそうした問題が取り上げられてる」のは幸いですが、被害者遺族の声に比べればまだまだ紹介が足りませんね。
 まあ、小生は決して「人権にセンシティブな人間ではない(むしろ恥ずかしながら鈍感)」です。その点、「麗しい誤解」をされたくない*8のでお断りしておきますが、この程度のことは人として心にとめておきたいとは思います。つうか「ややきれい事ですが」日本人皆がこうした「犯罪加害者家族の問題」に目を向けるべきでしょう。


【参考:犯罪加害者家族の支援について】
息子が人を殺しました…千件以上の「加害者家族」支援から見えたこと(阿部 恭子) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
(ひと)阿部恭子さん 加害者家族を支援するNPO理事長:朝日新聞デジタル
犯罪加害者家族支援センター:きょう発足 人権侵害対策に力を 開設に尽力、NPO代表・阿部恭子さん /山形 | 毎日新聞
ストーリー:加害者家族を支えて10年(その1) 顔上げられるように | 毎日新聞
一筋の光になるなら NPO代表阿部恭子さん: 日本経済新聞
「息子が人を殺しました」加害者家族の過酷な現実 ネットで中傷、村八分… 支援団体は全国で2つのみ|【西日本新聞ニュース】
『息子が人を殺しました』著者、阿部恭子さんインタビュー「マイノリティな立場の人々をサポートしたい。」 | アートとカルチャー | クロワッサン オンライン
婚約破棄、辞職、借金、自殺......知られざる加害者家族の苦悩 | カルチャー | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト印南敦史

 まあこのほかにも記事はいろいろあるとは思いますが。
 現代ビジネス記事の筆者・阿部氏は特定非営利活動法人WorldOpenHeartという犯罪加害者家族支援団体の代表で、『加害者家族支援の理論と実践』(編著、2015年、現代人文社)、『性犯罪加害者家族のケアと人権』(編著、2017年、現代人文社)、『息子が人を殺しました:加害者家族の真実』(2017年、幻冬舎新書)、『加害者家族の子どもたちの現状と支援』(編著、2019年、現代人文社)、『家族という呪い:加害者と暮らし続けるということ』(2019年、幻冬舎新書)という著書があります。朝日記事、日経記事、クロワッサン記事が阿部氏へのインタビュー、ニューズウイークの印南記事が『息子が人を殺しました』の書評です。
 毎日新聞西日本新聞の記事でも阿部氏については触れられています。
 幻冬舎も「百田のデマ本など出さず」こういうまともな本だけ出してれば問題ないのですがね。「アベマテレビの番組で安倍に媚びへつらった」という「幻冬舎社長の見城」はどうみても「人間のクズ」ですが編集者にはまともな人間もいるのでしょう。

「息子が人を殺しました」加害者家族の過酷な現実 ネットで中傷、村八分… 支援団体は全国で2つのみ|【西日本新聞ニュース】
 熊本大法学部の岡田行雄*9教授(刑法学)は、「罪を犯していない家族に制裁が加えられ、普通に生活できなくなる社会はおかしい」と指摘。家族が精神的、経済的に困窮すれば、加害者は更生の大きな支え手を失うとして「再犯防止の観点からも加害者家族の支援は非常に重要だ」と話す。

 岡田教授には全く同感で「ガッテン、ガッテン」ですね。まあ加害者だって「刑事処罰と民事賠償責任」ならともかくそれ以上の「社会的抹殺」など必要ないし、少なくとも有罪判決が下るまでは「推定無罪」ですし、「レアケース」とはいえ免田事件のような再審無罪なんて場合もありますが。

【追記】
1)後で気づきましたが、今日の産経ニュースほか(1/7分)(追記・修正あり) - bogus-simotukareのブログで既に阿部さんを紹介していました。
2)「犯罪加害者の家族」についての記事として佐川一政のドキュメンタリー映画が公開される(彼の弟さんも、大変な迷惑をしたようだ(やっぱり))(追記あり) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)を紹介しておきます。
3)今思い出したのですが、松本清張の作品で「女囚(旧題:尊属)」というのがあります。
 どんな作品かというとこんな作品です。

https://kanucha.net/wp-book/2006/07/02/post-0/
 松本清張の真骨頂はなんといってもその短編にあります。短い文章の中に人間の心理を描ききるという技倆は並々のものではありません。
 ここでも女囚刑務所にいる父親を殺したある女性にスポットがあてられます。彼女の父親は大変な大酒飲みで全ての金をつぎこんでしまい、その結果家族は貧窮にあえいでいます。
 そうしたある日、朝から夫婦喧嘩を見ていた娘が、母がこれでは殺されると思い、なたを振り下ろして父を殺してしまうのです。
 15年の刑期*10をもう少しで終える時になって、ある女囚刑務所の所長になった男は、あまりにこの女性の健気な様子にうたれ、事情を調べ始めます。女囚刑務所の所長になった男は、あまりにこの女性の健気な様子にうたれ、事情を調べ始めます。
 そこへあらわれる彼女の妹たち二人は大変に幸せそうな様子にみえます。着ているものも以前だったらかんがえられもしないようなものを身につけられるまでになったのです。
 姉である女囚は自分がけっして悪いことをしたとは思っていないということを所長につげます。
 このあたりは森鴎外の『高瀬舟』をふと連想させるところです。しかし結末は鴎外の作品とは全く違うものとなりました。
 この作品には松本清張の現代を見抜く鋭い目が宿っています。短編には光るものが本当にたくさんあります。
一読を勧めたいです。

【読書】『女囚』著:松本清張 : びょうびょうほえる〜西村俊彦のblog
『女囚』
松本清張
発表 「新潮」昭和39年8月号「尊属」を(ボーガス注:単行本)『岸田劉生晩景』*11収録の際改題
 「法務事務官、馬場英吉は、ある県のある刑務所長に赴任した。」
 以前に女囚だけの刑務所で所長を務めていた馬場は今度もまた女囚だけの刑務所に移る。
 赴任の挨拶の際に見渡した服役者の中に、彼は熱心に自分の話を聞く女性を見つけ、興味を持ち始める。
 管理部長から彼女の事を聞き出す馬場。
 彼女の犯罪は父親殺し、情状酌量の余地の十分にある状況に思えた馬場は、どうしても彼女と直接話をしてみたくなる。
 「父を殺した事は全く後悔していない。私は母と妹を救ったのだ。」
 そう語る彼女の前に、馬場は刑罰について深く考える。
 ある日、面会にやってきた彼女の妹二人。
 姉に感謝の念を抱いているはずの彼女達の顔には、どことなく陰りがある。そして妹たちは語り始める…。
 森鴎外の『高瀬舟』を連想させつつ、そこからさらに一段踏み込んだ作品。
・収録書籍・
『憎悪の依頼』/松本清張著/昭和57年 新潮社(新潮文庫)

 で、小生この短編を読んだことがありまして、この話の続きです。姉は「妹たちも経済的に恵まれてるようだし、世間はあのまま私たち家族が父の暴力を受ければ良かったと言うんですか。私は父を殺したことを後悔してない」と所長に言う。
 この所長は真面目な善人でそれに「殺人は悪だ」とは言い返せず沈黙してしまうわけです。
 それどころか、「彼女を15年もムショに入れる必要があったのか」「出所したら幸せな生活を送ってほしい」「今度、妹が慰問に来たら、出所後の面倒を見るよう私からも頼んでみるか」「今、私は森鴎外高瀬舟』の同心のような気持ちだ」とすら思う訳です。
 で、その後、妹たちに会う。
 そこで妹たちから「姉を傷つけるからそんなこと言えないが、実は姉を恨んでる」「父親は酒の飲み過ぎがたたって殺される頃はかなり体を害していた。姉が殺さなくてもそのうち肝臓がんかなんかで死んだんじゃないか*12」「殴る蹴ると言っても母も私たちもなんとか我慢できるレベルだった。『ぶっ殺してやる』などと怒鳴ることはあっても、父も私たちを殺す気はなかったと思う。姉の行為は過剰反応だ*13」「今私たちは金持ちのいわゆる二号をしている。だから経済的には一応裕福だが、もちろんまともな結婚がしたい」「世間は冷たい。『あんなろくでなしの父親なら殺されても仕方がない。一般的な殺人と同一視できない』『お姉さんとあなた方は別人格だ』と口では言う。でも私たちと結婚してくれる男性はいない。世間はどんな事情があっても私たちのような人殺しの家族には冷たい。正直、姉の事件が、私たちが結婚できないことに影響してないとは考えられない。」「姉が出所してきたらどうやって扱ったらいいのか、今から悩んでる」と所長に語るわけです。でこれまた真面目な性格の所長は「お姉さんに対してそんなことはいうもんじゃないですよ」などとはいえず沈黙してしまう。
 当初、言うはずだった「出所後の世話を見てほしい」もとても言い出せなくなる。
 まあ、このあたり清張はやはり「鋭いな」と思います。まあこの話も落ちはある意味平凡です。途中から予想はつく。しかし、「なら我々凡人にこういう小説がかけるか」というとそこは「わかりやすく面白く書くスキル」はひとまず置くとしても「コロンブスの卵(言われると気づくが言われるまではなかなか気づけない)」ですよね。

 
【参考:高瀬舟について】

森鴎外「高瀬舟」を読んだ | 月のひかり★の部屋 - 楽天ブログ
 罪人の名は喜助と言う三十歳ぐらいの男。
 護送を命じられて一緒に舟に乗り込んだのは同心羽田庄兵衛であった。
 庄兵衛は弟殺しの喜助の様子を見ていると、不思議であった。
 如何にも神妙におとなしく月を仰ぎながら黙って口笛でも吹いて、鼻歌でも歌い出しそうな様子であったから。
「お前が今度、島へ送られるのは人をあやめたからという事だ。ついでにそのわけを聞かせてくれぬか」と。
「かしこまりました」と言って、喜助が小声で話し出した。
「私は小さい時に二親が時疫で亡くなりまして、弟と私は二人一緒にいて、助け合って働きました。その中に弟が病気で働かれなくなって、私一人に稼がせてはすまない、すまないと申しておりました。
 或る日、いつものように帰ってみますと、弟は布団の上に突っ伏して、周りは血だらけなのでございます。
 私はびっくりして訳を聞きますと、弟は真っ青な顔の、両方の頬から顎にかけて血に染まったのを挙げて、私を見ましたが、物を言うことが出来ませぬ。
 息を出す度に、ひゅうひゅうという音がいたすだけでした。
 ようよう物が言えるようになって「すまない。どうせなおりそうにない病気だから、早く死んで少しでも兄きに楽がさせたいと思ったのだが、喉笛を切っても、簡単には死ねない。この刃を旨く抜いてくれたら、己は死ねるだろうと思っている。どうぞ、手を貸して抜いてくれ」と言って、弟は私の顔をじっと見詰めています。
 『待っていてくれ、お医者を呼んで来るから』と私は申しましたが、弟は怨めしそうな目つきをして『医者が何になる、ああ苦しい、早く抜いてくれ、頼む』と言うのでございます。
 こんな時は不思議なもので、目が物を言います。
 弟の目は次第に険しくなって来て、とうとう敵の顔でも睨むような、憎々しい目になってしまいます。
 私は『仕方が無い、抜いてやるぞ』と申しました。
 すると、弟の目が変わって晴れやかに、さも嬉しそうになりました。
 私は剃刀の柄をしっかり握って、ずっと引きました。
 私は剃刀をそばに置いて、目を半分あいたまま、死んでいる弟の顔を見詰めていたのでございます」
 庄兵衛はこの話を聞いて、これがはたして、弟殺しというものだろうかという疑いが起こってきて、聞いてしまっても、その疑いを解くことが出来なかった。
 弟を苦から救ってやろうと思って命を絶った。それが罪だろうか。
 庄兵衛はいろいろに考えてみた末に、自分より上のものの判断に任すほかないという念が生じた。
 庄兵衛はお奉行様の判断を、その儘、自分の判断にしようと思ったのである。そうは思っても、まだどこやらに腑に落ちぬものが残っているので、何だかお奉行様に聞いてみたくてならなかった。

*1:まあ、Mukkeが俺に対して行った「ボーガスはチベットに冷たい」「中国シンパか」「それでも人間か」も要するにそういう話です。俺としては「思いあがってる被害者」ダライラマ一味に「中国に酷い目に遭わされた被害者です、と言えば、南京事件否定論櫻井よしこと付き合うことが許されると思ってるのか!。オウム麻原から一億円もらっても、公式に謝罪しないで、すっとぼけていいと思ってるのか!。ダライラマ一味はふざけんな!」といっただけで中国擁護などしてないのですが「ダライ狂信者・Mukke」にとっては「中国擁護」に見えたようです。なお、「日本社会にとって中国ビジネスって大事だよね、中国と敵対関係になんかなれないよね」という俺の発言も別に中国擁護ではなくただの「事実の指摘」にすぎません。

*2:それを否定する人間はどこにも居ません。「厳罰に懐疑的、否定的」は「適切に処罰しないこと」とは違います。

*3:まあ無期も仮出所の可能性がわずかながらですがありますが。

*4:表現が上の記事と微妙に違いますが。

*5:表現が上の記事と微妙に違いますが。

*6:まあ、あまりにも酷いとそういうこともありうるでしょうが。

*7:まあ「犯罪を擁護はしませんが」、故意犯だって「恵まれない環境が引き起こす犯罪(恵まれた環境なら犯罪に走らなかったかもしれない:例えば永山則夫)」「被害者の側に大きな非がある場合(例えば尊属殺重罰規定違憲判決が出た例の事件)」という面もあるので単純に当事者(犯罪加害者)の自業自得とは言えませんが。大体「ミステリドラマで平凡な人間が殺人を犯してる(例:松本清張)」のに「自分や家族は絶対に故意犯にはならない」と思える神経が俺には謎です。俺は「過失犯はともかく、多分、故意犯にはならない」と思いますが「何があろうと絶対にならない」と思える自信はありません。

*8:とはいえ例の「Mukke(長期休養中)」に「チベット差別者呼ばわりされるほど人権感覚が酷い」とは思ってませんが。むしろ「Mukkeの師匠」にあたるらしいI濱Y子(早稲田大学教授)の方が俺より人権感覚に欠けると思います。

*9:著書『再非行少年を見捨てるな:試験観察からの再生を目指して』(共著、2011年、現代人文社)、『少年司法における科学主義』(2012年、日本評論社)、『非行少年のためにつながろう!:少年事件における連携を考える』(2017年、現代人文社)

*10:この小説の設定では尊属殺重罰規定違憲判決はまだ出ていません。

*11:新潮文庫でも『岸田劉生晩景』という本が出ていますが、これには「女囚」は収録されていません。「女囚」は新潮文庫では『憎悪の依頼』に収録されています。なお、『岸田劉生晩景』は画家・岸田劉生をネタにした小説でミステリではありません。『テレビドラマや映画になったミステリの有名作品』だけでも『点と線』(1958年)、『ゼロの焦点』(1959年)、『砂の器』、『わるいやつら』(以上、1961年)、『球形の荒野』(1962年)、『けものみち』(1964年)、『黒革の手帳』(1980年)などと清張作品の数は膨大ですが、それ以外に『日本の黒い霧』(1960年)、『昭和史発掘』(1965~1972年)のようなノンフィクション、『或る「小倉日記」伝』(1952年)、『岸田劉生晩景』のような非ミステリ小説まで含めればその数は更に膨大になります(この点は『清張と同じ人気ミステリ作家』でも、ミステリ以外の作品がない乱歩や横溝との違いです)。清張(1909年12月生まれ、1992年8月死去、享年82歳)の小説家としての本格スタートが1953年(44歳)の直木賞受賞(『或る「小倉日記」伝』)で、ミステリ作家としての本格的スタートが1958年(49歳)の『点と線』発表で、作家としては遅咲きであることを考えれば、その作品の量はまさに怪物ですね。『神々の乱心』を週刊文春に連載中に死去し、これが「未完の遺作」になっています(ウィキペディア松本清張」参照)。なお『岸田劉生晩景』の内容については劉生7:松本清張『岸田劉生晩景』:yama's note:SSブログを紹介しておきます。

*12:というのはもちろん事実かどうかは疑問で「姉への恨みから出てくる都合のいい考え」であることくらいは、清張が描く刑務所長もバカではないので当然気づいています。なお、こうした言葉で分かるように妹たちが姉を恨む理由は決して「父親への愛」ではありません。妹たちも「父には憎悪の思いしか、今もない」「早く死んでほしいといつも思っていた」と明言しています。

*13:というのはもちろん事実かどうかは疑問で「姉への恨みから出てくる都合のいい考え」であることくらいは、清張が描く刑務所長もバカではないので当然気づいています。