今日の産経ニュース(2019年5月26日分)

麻生氏、日本の地位は「諸外国やっかむほど」向上 - 産経ニュース
 何で麻生*1がこう思うのかさっぱり分かりません。日本の地位がどう向上したのか。
 むしろ近年地位が向上してるのは「AIIBと一帯一路の中国」ではないのか。
 「トランプと親しいこと(というか単に安倍がスネ夫のようにへいこらしてるだけですが)」なんてむしろ恥じゃないのか。しかもそれでもトランプは日本相手に報復関税を発動するし、安倍に相談もなく米朝首脳会談を発表するわけです。


【新聞に喝!】令和と中国の深い関係 インド太平洋問題研究所理事長・簑原俊洋(1/2ページ) - 産経ニュース

 新元号に関し、筆者が違和感を抱いたのは、古代中国の漢籍ではなく初めて国書に典拠するという点がかなり強調されて報道されたことである。
 経済規模で水をあけられ、海洋進出と「一帯一路」の名の下で勢力圏の拡大に邁進(まいしん)する中国に対する脅威認識のためか*2、多くのメディアは伝統からの逸脱には触れず、国書の典拠をことさら強調し、歓迎した。
 しかしながら、令和の典拠となった万葉集如実に示すのは、むしろ日本と大陸中国との相互交流の深さであろう。出典の「巻五 梅花の歌三十二首并(あわ)せて序」がうたう当時の梅の花見は中国伝来であるのは言うまでもない。そもそも元号という紀年法でさえ古代中国にルーツを辿(たど)る。

 指摘は間違いではないですがその理屈だと一番批判されるべきはマスコミではなく「初めて国書に典拠」と宣伝した安倍なのですが。いずれにせよ「外部筆者の文章とは言え」産経に安倍に対し批判的な文章が載るとは奇妙なことがあるものです。


【昭和天皇の87年】禍根を残したナチスドイツとの提携 破滅の戦争への扉が開かれた - 産経ニュース

 陸軍から「予備役となった皇道派将官*3陸相になれば再び重大事件が起きるかもしれない」と脅かされ、あっさり了承

 「物は言い様」という気がしますね。まあ、「皇道派復権」の危険性は確かにありますが、「現役しか大臣に出来ない→組閣できない」の危険性があることは明白ですからね。

 閣議でもほとんど議論にならず、昭和11年5月18日、陸海両省の官制が改正され、現役武官制が復活した。

 というのであれば広田*4だけをやり玉に挙げる産経の態度はおかしいでしょう。
 また、今日の産経ニュースほか(2019年5月25日分) - bogus-simotukareのブログでも書きましたが日本が太平洋戦争に突き進んでいった最大の理由は「中国の完全植民地化を諦めなかったこと(このために蒋介石政権を支援する米国が対日制裁を発動)」であり、「太平洋戦争の回避」という意味では「軍部大臣現役武官制」などは「小さな問題」です。

軍部大臣現役武官制ウィキペディア参照)
1940年には米内*5内閣が畑俊六*6陸相の単独辞職により崩壊

といった「陸軍の悪用」を考えれば、この制度が復活して良かったとは思いませんが、この制度がなくても日本は対米戦争におそらく突入したでしょう。

 広田内閣が取り組んだ政策で、禍根を残したものがある。日独防共協定だ。

 これも「うーん、その見方は適切なのかねえ?」ですね。協定を結んで良かったとは言いません。しかし日本が太平洋戦争に突き進んでいった最大の理由は「中国の完全植民地化を諦めなかったこと(このために蒋介石政権を支援する米国が対日制裁を発動)」であり、「太平洋戦争の回避」という意味では「日独防共協定」などは「小さな問題」です。
 第二次大戦開戦直後のドイツ快進撃(フランスが降伏)を見て「ドイツが俺たちの仲間だから米国なんか怖くない」という米国軽視を助長し、対米開戦を助長したとは言え、「日独防共協定」や「それを発展させた日独伊三国防共協定や日独伊三国軍事同盟」それ自体が太平洋戦争をもたらしたわけではありません。


【日本語メモ】明治憲法に殉じた“屈原”(1/2ページ) - 産経ニュース
 「本文を読まなくても」このタイトルだけで「そういう方面に詳しい方(憲法学とか歴史学とか)」には「清水澄(しみず・とおる)のこと?」と理解できたでしょう。そう「清水の話」です(小生も以前何かで清水の話を読んだので知っています)。しかし今時、清水の自決を高評価とか「産経のようなウヨ新聞」でしかあり得ませんね。正気じゃない。清水については後でウィキペディアの記述などを紹介しておきます。

【参考:清水澄について】

■清水澄(1868年9月27日~1947年(昭和22年)9月25日:ウィキペディア参照)
 憲法行政法学者。帝国学士院会員。
 石川県金沢市生まれ。学習院教授、慶應義塾大学法学部教授(憲法行政法担当)など歴任。
 宮内省及び東宮御学問所御用掛となり、大正天皇昭和天皇憲法学を進講した。行政裁判所長官、枢密院顧問官、枢密院副議長を経て、敗戦後、1946年(昭和21年)6月13日最後の枢密院議長に任ぜられる。
 枢密院が廃止され、清水が公職追放となり、1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法が施行された後の同年9月25日、日本の国体の危機を憂い、熱海錦ヶ浦海岸から投身自殺を遂げた。
 遺言に当たる「自決ノ辞」には、
『新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團體及個人アリタリ。其中ニハ共和制*7ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ。或ハ戰爭責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ。我國ノ將來ヲ考ヘ憂慮ノ至リニ堪ヘズ。併シ小生微力ニシテ之ガ對策ナシ。依テ自決シ幽界ヨリ我國體ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈願セント欲ス。之小生ノ自決スル所以ナリ。而シテ自決ノ方法トシテ水死ヲ擇ビタルハ楚ノ名臣屈原ニ倣ヒタルナリ。
追言
 小生昭和九年以後進講シタルコト從テ龍顔ヲ拝シタルコト夥敷ヲ以テ陛下ノ平和愛好ノ御性質ヲ熟知セリ從テ戰爭ヲ御賛成ナカリシコト明ナリ*8
と記し、大日本帝国憲法に殉じ、自殺をすることと、その自殺が中国の戦国時代の楚国の屈原が汨羅(べきら)の淵に投身自決した故事に倣ったことが記されている。石川県金沢市(清水の出身地)の石川護國神社には、「清水澄博士顕彰碑」がある。
■逸話
 国家総動員法の審議が第73回帝国議会で行われた際、「この法案は憲法違反とはいえない」という考えを清水は示した。秘書・原田熊雄からこのことを聞いた元老・西園寺公望国家総動員法について違憲の疑いがあるとして批判的だった)は「清水なんかに憲法が判るもんか」と清水を非難したという。

新憲法に苦悶した博士 金沢出身の憲法学者 清水澄:北陸文化:北陸中日新聞から:中日新聞(CHUNICHI Web)
 一九四七(昭和二十二)年五月三日。風雨の中、東京・宮城前広場に約一万人が集まった。昭和天皇臨席のもと行われた新憲法施行の記念式典。
 その四カ月後。静岡・熱海の錦ケ浦海岸で一人の憲法学者が入水自殺した。天皇の諮問機関だった枢密院最後の議長として心ならずも新憲法や法令などを審議した清水澄(とおる)。
 宮内省御用掛として大正天皇に「欧米に於ける近代法制」、昭和天皇にも皇太子時代から「帝国憲法」や、皇室に関する根本法の「皇室典範」を進講した。
 一九三四年から枢密院顧問官、四六年六月に枢密院議長となった。連合国軍総司令部(GHQ)の命令で大日本帝国憲法改正という形で日本国憲法を成立させるため、草案審査に立ち会わなければならなかった。
 天皇統治権を総攬(そうらん)する。この帝国憲法の具体的なあり方こそが清水の学説の核心だった。帝国憲法は建国以来、皇室を民族団結の中心とし、皇位を受け継いできた国の姿を明文化したものととらえている。
 清水が新憲法施行日にしたためた遺書からは、天皇統治権がなくなったことへの憂慮がにじむ。
「新日本憲法ノ発布ニ先ダチ、私擬憲法ヲ公表シタル団体及ビ個人アリタリ。其(その)中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノモアリ、或(あるい)ハ戦争責任者トシテ、今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ。我国ノ将来ヲ考へ憂慮ノ至リニ堪(た)ヘズ。併(しか)シ、小生微力ニシテ、之ガ対策ナシ」
 清水の長男で憲法学者だった故清水虎雄は生前、著書の中でこう記している。
「父は、明治天皇を理想の君主に近いと考え、これを範として昭和天皇が理想に近づくことを望んでいた。GHQが日本の歴史を無視して新憲法を押しつけ、天皇の権限を奪うことに、父は怒りと不満を感じていた」(抜粋)。
 清水が命を絶った理由として、所功*9京都産業大名誉教授らはこう考える。
「正当性を確信し、大正・昭和天皇に進講してきた帝国憲法を護(まも)り得なかったことに対する自責の念によるものだ」。

 なお、前天皇は「本心かどうかはともかく」

明仁ウィキペディア参照)
■「日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い、国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」
(1990年(平成2年)11月12日、即位礼正殿の儀)
■「日本国憲法で、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると規定されています。この規定と、国民の幸せを常に願っていた天皇*10の歴史に思いを致し、国と国民のために尽くすことが天皇の務めであると思っています。天皇の活動の在り方は、時代とともに急激に変わるものではありませんが、(ボーガス注:新憲法天皇国家元首から象徴になったように)時代とともに変わっていく部分もあることは事実です」
(1998年(平成10年)12月18日、誕生日に際する記者会見)
■「大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います
(2009年(平成21年)4月8日、結婚満50年に際する記者会見)。
■「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います
(2013年(平成25年)12月23日、誕生日に際する記者会見)

といっています(赤字強調は小生がしました)。
 明仁発言、特に

■「大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います」
(2009年(平成21年)4月8日、結婚満50年に際する記者会見)。

は清水にとって予想外であり、生きていれば*11、「もはやこれは私の知ってる日本でも皇室でもない」と嘆いたことでしょう。

*1:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)を経て首相。現在、第二~第四次安倍内閣副総理・財務相

*2:やはりそういうことなんですかね。もしそうなら「中国伝統文化と、中国政府の外交政策と関係ないのに」と呆れるだけですが。

*3:荒木貞夫や真崎甚三郎などのこと

*4:斎藤、岡田、第一次近衛内閣外相、首相など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀。

*5:林、第一次近衛、平沼、小磯、鈴木貫太郎内閣海軍大臣、首相を歴任

*6:台湾軍司令官、陸軍教育総監、中支那派遣軍司令官、侍従武官長、阿部、米内内閣陸軍大臣支那派遣軍総司令官など歴任。戦後終身刑判決を受けるが後に仮釈放

*7:清水のいう共和制が「天皇主権否定=共和制(この立場だと現行憲法も共和制になります)」なのか、「天皇制否定=共和制(この立場だと現行憲法は共和制ではありません)」なのか気になるところです。私見では「前者ではないか(だから新憲法に絶望して自殺した)」と思いますが(なお、これはあくまでも清水の見解はそうだったのだろうという話であり、『現行憲法を共和制と見なすことが正しい』という話はしていません)。

*8:まあ昭和天皇が「戦争万能主義」でないことは確かですが、あの戦争について清水のように「本心では反対だった」と見なすのはデマでしかありません。陸軍の楽観主義に引きずられたとはいえ彼は自分の意思で日中戦争、太平洋戦争の開戦を決定しました。

*9:著書『伊勢神宮』(1993年、講談社学術文庫)、『京都の三大祭』(1996年、角川選書)、『皇位継承のあり方:“女性・母系天皇”は可能か』(2006年、PHP新書)、『天皇の「まつりごと」:象徴としての祭祀と公務』(2009年、NHK生活人新書)、『皇室典範女性宮家:なぜ皇族女子の宮家が必要か』(2012年、勉誠出版)、『象徴天皇「高齢譲位」の真相』(2017年、ベスト新書)など。なお著書名で分かるように所はウヨですが女帝制度には反対していません。ちなみに田中卓皇学館大学元学長)もウヨですが、『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか:女性皇太子の誕生』(2013年、幻冬舎新書)という著書を書いています。

*10:まあ「天皇としての建前論」ですね。彼もさすがに「国民の幸せのために私の父(昭和天皇)は真珠湾攻撃しました」とはさすがにいわないでしょう。

*11:年齢から考えて生きてるわけはないですが