野原燐に突っ込む(2019年6月23日分)

野原燐
‏ ネトウヨに対する「論争」という不毛なテーブルにおいては、相手に良心を求めるのは不毛な方法だと、わたしは思っている。

 自分に対する批判を嫌い、俺のコメントを拒否設定にした「良心も誠実さもない野原」がよくもこんな偉そうなことがいえたもんです。
 俺も今では「野原に良心を求めるのは不毛」だと思っていますが、当初は「愚かにも奴に良心を求めてしまったこと」を「馬鹿なことをしたもんだ」と後悔しています。

野原燐
 小路田泰直氏*1の『日本史の思想』1997年、柏書房、についてメモしたいがめんどうだなと思ったが、下記に丁寧な紹介があった。
小路田泰直『日本史の思想』(前編)
・戦後歴史学は、大正デモクラシーと戦前ファシズムとの間に越えがたい断絶を認めてきたが、両者の間には連続性が認められ、大きな差はなかった。
15年戦争を、「我々」の政治参加の存在した大正デモクラシーの必然的帰結ではなく、天皇制や軍部によって抑圧された独裁時代の過誤と戦後歴史学が思い込みたかったがゆえの錯誤!

 おいおいですね(以下、小路田の主張については野原の紹介を信用することにします)。
 「連続性」はあるでしょうが「必然的帰結」ではないですね。「そういう選択がなされた」だけであって。
 あえて言えば「満州事変やその後の国際連盟脱退」ですら「必然的に『盧溝橋事件後の日中全面戦争』、太平洋戦争につながった」とはいえないでしょう。日中和平はやろうと思えばいくらでも可能でした。日本は「蒋介石政権はすぐに打倒できる」という間違った認識によって戦争を続行しただけです。
 そして「天皇制や軍部による抑圧」という要素を野原や小路田のように無視するのも適切ではないですね。また戦前民主主義は「天皇主権」「統帥権独立」「元老、内大臣貴族院、枢密院」など「反民主的な制度があった」という意味で今の民主主義と同一視できるもんではないし、戦争を助長したのはまさに「統帥権独立」という反民主的制度でした。
 もちろん「政府によって情報が統制されていた」とはいえ、「政党政治家や国民も日中戦争、太平洋戦争を支持した」以上、そして、「大正時代にも第一次大戦参戦やシベリア出兵という戦争参加があった」以上、日中戦争や太平洋戦争について全てを「天皇制や軍部」のせいにし、国民を免罪するわけにもいかないでしょうが。
 というか、吉見義明『草の根のファシズム』(1987年、東京大学出版会)でもわかるように戦後歴史学が「民衆のファシズム支持」を全く問うてこなかったかのような野原や小路田の物言いは事実誤認も甚だしいもんです。
 結局、野原という男(自己申告に寄れば60歳を超えた爺)は右翼として「戦後民主主義」「戦後歴史学」「大正デモクラシー」に悪口し、かつ「どうだ、俺はスゴイだろう」とどや顔して「ちっぽけな自己顕示欲」を満たしたいだけなのでしょう。全くくだらない人間です。小路田泰直もその種のくだらない人間なのでしょう。 

・最近明治維新そのものを根本的に否定的評価しかできない人が増えているので、そうではないと言い切らなければいけない。

 おいおいですね。俺の認識では「明治維新について、中韓への侵略主義や民主主義の欠如などから一定の批判をする人間」はいても全否定する人間などまずいないのですが、野原や小路田はどういう認識をしているのか。
 少なくとも「近代化」という点では戦前のいわゆる講座派(野呂栄太郎など)も明治維新を評価はしてるでしょう。それとも野原や小路田は「中韓への侵略主義や民主主義の欠如」について批判するなとでも言うのか。
 あるいは「近代化の面でも明治維新は否定されてる」とでも言うのか。もしそうならば、いずれも適切な認識ではないでしょう。

 アジア主義はウィルソンの民族自決主義に呼応するものでもあった。

 おいおいですね。日本のアジア主義はそんなもんではないでしょう。そんなもんではないからこそウィルソン演説に刺激されて、韓国で発生した独立の動きに対して日本は弾圧で応じたわけです。
 大体、日本が国家、政府として、「建前の世界」で「アジア主義」なんてもんを打ち出したのは「太平洋戦争開戦(1941年)」が初めてですし、勿論それは「東南アジア侵略を正当化するため」の全くの虚偽でした(まあ右翼結社・黒龍会など在野のアジア主義者にしても、ほとんどは野原や小路田のいうような立派な代物ではないですが。「朝鮮の民芸」を評価した柳宗悦などは「数少ないまともなアジア主義者」といえるかもしれません)。
 つうか、「ウイルソン民族自決主義」は「レーニン民族自決主義」に対して「民族自決とは共産主義社会主義の専売特許ではない」として対抗するという代物でしょうに。これについてはメイア『ウィルソン対レーニン』(1983年、岩波書店)なんて本もあります。

*1:著書『憲政の常道天皇の国の民主主義』(1995年、青木書店)、『「邪馬台国」と日本人』(2001年、平凡社新書)など