今日の産経&ロシアニュース(2019年7月3日分)

参院選第一声 安倍首相は福島の果樹園、枝野氏は新宿 - 産経ニュース
 明日(7/4)から参院選告示なので明日以降、参院選関係でいろいろ書いていこうかとは思います。


友梨さん不明事件で情報提供呼びかけ - 産経ニュース

 大阪府熊取町で平成15年、当時小学4年だった吉川友梨さん(25)が下校中に行方不明になった事件

 冗談抜きで荒木和博の元へ行けば確実に特定失踪者認定でしょう。まあご両親は幸いにもそういう非常識行為はしなかったわけですが。
 「小学4年生なんかを北朝鮮は拉致しない」「平成15年(2003年)じゃ平成14年(2002年)の小泉訪朝より後じゃん」なんて常識は荒木には通用しません。小学生どころか幼稚園児の松岡伸矢君を既に特定失踪者認定してるし、失踪者リスト | 特定失踪者問題調査会を見れば分かるように小泉訪朝後の「2003年の失踪者」もためらいなく、特定失踪者認定してきたのが荒木です。
 まあ、それはともかく、こういうのは「ご家族の要望があるから仕方なく(警察)」が正直なところでしょうね。「失踪から15年も経って」事件解明につながる手がかりが出るとは思えません。


【産経抄】7月3日 - 産経ニュース

・昨日の社会面に掲載された元共産党国対委員長松本善明*1(ぜんめい)さんの訃報記事のなかで、なつかしい名前を見つけた。松本さんの最初の妻、絵本作家のいわさきちひろさんである。
・亡くなる直前に病魔と闘いながら完成させた絵本が、『戦火のなかの子どもたち*2』である。
・そのなかの一枚が、墨と鉛筆だけで描かれた母子像である。母親は必死の表情で、迫り来る炎から腕の中の幼子を守ろうとしている。
仙台市内のマンションの一室には、わが子を守るべき母親の姿はない。2歳11カ月の女児はのり巻き1本が与えられただけで、3日間も放置されていた。母親が帰宅したとき、亡くなっていた女児の胃の中は空っぽだった。保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕された25歳の母親は、「育児に疲れて1人になりたかった」と話している。
・先月のコラムで、2歳の女児が衰弱死し母親と交際相手が逮捕された札幌市の事件を取り上げたばかりである。昨年1年間に摘発された児童虐待で、被害に遭った子供は1394人、過去最多だった。
ちひろさんは絵本のあとがきで、戦場に行かなくても戦火のなかの子どものことはわかる、と書いていた。
 「そのあどけない瞳やくちびるやその心までが、世界じゅうみんなおんなじだから」。
 虐待やネグレクト(育児放棄)という名の戦火のなかにいる、子供たちも同じである。母親の愛情を受けて、幸せに暮らしたいだけなのだ。

 共産党について触れながら何一つ反共文章が出てこないとは珍しいこともあったもんです。赤旗コラムと言われたらそのまま信じてしまいそうなくらい普通の内容です。いやでも赤旗コラムだったら「松川事件弁護」に触れないとおかしいか。
 それにしても「年齢を考えれば」何一つ意外ではないですが、松本氏のご冥福をお祈りします。
 最後に彼の訃報記事をいくつか紹介しておきます。

松本善明 元衆議院議員が死去 共産党の国会対策委員長など歴任 | NHKニュース
 共産党国会対策委員長などを務めた松本善明衆議院議員が、6月24日、老衰のため亡くなりました。93歳でした。
 松本氏は大阪府出身で弁護士として活動し、昭和42年の衆議院選挙で旧東京4区から立候補して初当選し、衆議院議員を通算で11期務め、共産党国会対策委員長や国会議員団総会長などを歴任しました。
 また、弁護士としては、昭和24年、現在の福島市で旧国鉄の線路のレールが何者かによって外されて列車が脱線・転覆し、3人が死亡した「松川事件」で弁護団に加わり、逮捕・起訴された20人全員の無罪が確定しました。
 松本氏の死別した前の妻は、子どもをテーマにした作品で知られる画家のいわさきちひろさんです。
 共産党の小池*3書記局長は記者会見で、「国会議員団の要としての役割を長年にわたって果たされ、存在感を示した論戦をされた。尊敬する大先輩で、非常に残念だ」と述べました。

松本善明氏死去 93歳・衆院議員11期 「松川事件」の刑事弁護を担当 | 河北新報オンラインニュース
 元共産党衆院議員で弁護士の松本善明(まつもと・ぜんめい)氏が6月24日午後10時13分、老衰のため埼玉県所沢市の病院で死去した。93歳。大阪市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行った。喪主は長男猛(たけし)氏。後日、お別れの会を開く予定。
 1967年に衆院旧東京4区に共産党から立候補し、初当選。小選挙区比例代表並立制が導入された96年に比例東北ブロックに移り、2003年まで通算11期務めた。党国対委員長などを歴任した。
 1949年に福島市松川町東北線で列車が脱線、転覆した「松川事件」の刑事弁護を担当した。絵本作家の故いわさきちひろさんの夫だった。
◎「東北革新の要」功績をしのぶ声
 松本善明氏の訃報が伝えられた1日、東北の関係者から、柔和な人柄や功績をしのぶ声が上がった。
 「東北の革新の要だった」と残念がるのは、2015年まで共産党宮城県議団長を務めた横田有史氏(75)。「重要な選挙には必ず応援に駆け付けてくれた。心強かった」と振り返る。
 松川事件で共に弁護活動をした青木正芳弁護士(84)=仙台弁護士会=は「松川事件を教訓に刑事裁判の問題点を熱っぽく語ってくれた」と懐かしむ。「私にとって良き先輩だった」と惜しんだ。

いわさきちひろの夫松本善明氏死去 運命的な出会い、仕事への姿勢好感 | 社会 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE
 元共産党国対委員長福井県越前市生まれの絵本画家、いわさきちひろさんの夫だった松本善明氏が6月24日午後10時13分、老衰のため埼玉県所沢市の病院で死去したことが分かった。93歳。大阪市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長男で絵本評論家、ちひろ美術館を創設した松本猛(たけし)氏*4。後日、お別れの会を開く予定。
 東大在学中に共産党に入党。1949年に福島県で列車が転覆し機関士ら3人が死亡した戦後最大の冤罪(えんざい)事件といわれる松川事件や、皇居前広場でデモ隊と警察が衝突した52年の「血のメーデー事件」などを弁護士として担当した。
 67年に衆院旧東京4区で初当選し、通算11期務めた。創価学会の言論出版妨害問題やロッキード事件などを国会で追及。72年から計約15年間国対委員長を務めた。幹部会委員、衆院議員団長なども歴任した。いわさきさんとは死別した。
 松本猛さんが執筆し、福井新聞が2018年に連載した「花と子どもの画家 いわさきちひろ」によると、前の夫と死別したちひろ疎開先から絵筆一本で生きる決意をして上京。1949年共産党の勉強会で年下の松本善明さんと運命的に出会い結婚した。ちひろ松川事件などを事実と推測を分けて説明する態度や一生お金をもうける仕事に就かないという姿勢に好感を持ったという。


【正論8月号】「政治報道冤罪」毎日新聞と戦う 政策シンクタンク代表 原英史(1/3ページ) - 産経ニュース
 「安倍自民応援団」産経らしいといえば産経らしいですがよくもまあこんな偏向コラムが掲載できたもんです。「原の疑惑」を指摘する毎日新聞に原が「言いがかりだ」と反論するのはまあいい。実際どうか知りませんが「原が真っ黒」「主張は嘘八百」だとしても反論する権利はあるでしょう。もちろんそれは原に限りません。
 問題はなんで「原の身内ではないはず」の産経が原応援団をするのか、つう話です。
 もちろんそれは原擁護というより、「原の疑惑を追及する気がない安倍自民擁護」のわけですが。


【主張】商業捕鯨再開 情報発信で誤解を解こう - 産経ニュース
 慰安婦問題ですら「誤解」と強弁する産経なので何一つ意外性はないですが「誤解」はどこにもないでしょう。

 国内では若年層を中心に鯨肉の味を知らない世代が増えている。早急な需要の回復も商業捕鯨の課題である。

 おいおいですね。無理に「需要回復」する必要がどこにあるのか。つうか需要がないのだから「本当に純粋な商業ベースの捕鯨」なんか今ないわけです。


【政論】河野外相、本紙記事に「誤報」 四島返還「考えてない」発言を否定 - 産経ニュース(原川貴郎)

 河野氏は1日、自身の講演内容を伝えた「産経ニュース」の記事を「ひどい捏造(ねつぞう)」とツイートし「誤報」と語った。事実を捏造し、誤報を流しているのはどちらか。
 河野氏が1日、都内で講演した際、産経新聞の斎藤勉*5論説顧問は、北方領土問題をめぐり政府が対露交渉方針を「四島返還」から「二島返還」に変えたとの認識を示し「四島返還に立ち戻って交渉をやり直すことは全く考えていないのか」と質問した。これに対し、河野氏は「全く考えておりません」と答えた。産経新聞は「河野外相、四島返還『考えてない』」などの見出しでネットで速報し、2日付朝刊にも記事を掲載したが、いずれも質疑に基づくものだ。

 ちなみに河野のツイートは以下の通り。

河野太郎
‏ ひどい捏造。交渉方針を変えることは考えていないと申し上げたまでで、その交渉方針が何であるかは、先方の勝手な解釈。

 まあ詳しく調べてみないとなんとも言えませんね(ただしあまり調べる気にも正直ならない)。
 河野は「二島先行返還路線を今後も続ける、四島一括返還は現実的でない(ただし四島返還を諦めたわけではない)」という意味*6で「全く考えてない」と答えたのに対し、産経が「四島返還を諦めた」として報じたならそれは「ひどい捏造(ねつぞう)」「誤報」ですから。
 そして「捏造常習の産経」だとそういうことは十分あり得ますからね。

*1:著書『妻ちひろの素顔』(2000年、講談社プラスアルファ文庫)、『平和の鉱脈と日本共産党:国会議員33年、そこから見えてきたもの』(2005年、新日本出版社)、『謀略:再び歴史の舞台に登場する松川事件』(2012年、新日本出版社)、『軍国少年がなぜコミュニストになったのか』(2014年、かもがわ出版)など

*2:1973年、岩崎書店

*3:党政策委員長、副委員長などを経て書記局長

*4:著書『ぼくの出会った絵本作家』(1995年、大和書房)、『母ちひろのぬくもり』(1999年、講談社プラスアルファ文庫)、『ちひろ美術館の絵本画家たち』(2003年、新日本出版社)、『「戦火のなかの子どもたち」物語』(2004年、岩崎書店)、『安曇野ちひろ美術館をつくったわけ』(2010年、新日本出版社)、『いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて』(2017年、講談社)、『花と子どもの画家 ちひろ』(2018年、新日本出版社)など

*5:1949年生まれ。産経モスクワ支局長、ワシントン支局長、外信部長、常務取締役編集局長、専務取締役(サンケイスポーツ夕刊フジ担当)、副社長など歴任。著書『日露外交』(2002年、角川書店)、『スターリン秘録』(2009年、扶桑社文庫)(ウィキペディア「斎藤勉」参照)

*6:そうした考えの是非はひとまずおきます。