「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう(2019年7/3日分:黒坂真の巻)

黒坂真リツイート
・月子
‏ 反日教育は行われておらず、ミサイルや拉致問題とも無関係といくら主張しても、教室に肖像画掲げてる間は絶対に信用して貰えないですよ。

 「そういう問題じゃねえから」
 「民族教育に価値を認めるつう話だから」
 「日本で何年も運営していて何の弊害もないのに言いがかりも大概にしろよ」
 「じゃあ何、蒋介石時代の台湾系華僑学校や朴チョンヒ時代の韓国学校てのは自由に朴や蒋の批判が出来たのかね?」
 「大川隆法万歳の幸福の科学高校が無償化されてることはどう思うの?」で終わる話です。しかし戦前の日本には「ご真影(天皇及び皇后の写真)を収める奉安殿(ご真影及び教育勅語専用の倉庫)」があったし、そうした過去を黒坂らウヨも批判しないくせによくもまあこんなことが言えたもんです。
 ご真影でググる

・岩本努『「御真影」に殉じた教師たち』(1989年、大月書店)
・小野雅章『御真影と学校』(2014年、東京大学出版会

なんて本もヒットします。

【参考:ご真影】

9 その3「宿直は何のために(つづき)」・「宿直は命がけ!?」 - 『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ
 当時は一部の高等教育機関を別にして、ほとんどの学校が木造建築であったために、火災による御真影焼失が大きな問題でした。
 中でも、明治三十一年(一八九八)3月27日に長野県の町立上田尋常高等小学校(現在の上田市清明小学校)で、明治天皇の行在所(あんざいしょ)となった本館校舎が全焼し、御真影が焼失した際は、校長・久米由太郎がその責任を取って割腹自殺するという痛ましい事件が起こりました。 
 息子で小説家の久米正雄(明治二十一~昭和二十七年、一八八八~一九五二)は、後に『父の死』(大正五年:一九一六)という作品でこの事件を扱っています。
 また、明治四十年(一九○七)一月、宮城県立仙台第一中学校(現在の宮城県立仙台第一高等学校)で校舎が全焼した際には、御真影を「奉遷」しようとした宿直者の書記が殉職するという悲劇も生じました。
 こうした一連の痛ましい事件は、新聞の大きく報道するところとなり、文部省は御真影の「奉護」について本格的に取り組むことになりました。
 その結果、昭和に入ると、神殿型鉄筋コンクリート造りの「奉安殿」による御真影奉護という形態が全国に広まっていくことになります。

神奈川新聞と戦争(67)1933年 命より重い「御真影」 | 神奈川新聞と戦争 | カナロコ powered by 神奈川新聞
・「神奈川小学校 火災を起し」の見出しが、1933年8月11日の横浜貿易新報(本紙の前身)の1面に掲げられた。関東防空大演習の話である。
・30行足らずの小さなこの記事で、注目すべきは「御真影を幸ケ谷校に奉遷」とした袖見出しだ。本文の記述はわずか3行。「殊に神奈川小学校は猛火をあび御真影を幸ケ谷校に移し奉(たてまつ)つた」と記されただけだ。
 だが、その持つ意味は重い。「御真影」とは天皇、皇后の写真である。記事は「御真影」を他の校舎に移したてん末(まつ)について「移し奉つた」と、皇族に用いる最高敬語で記している。
 水島朝穂*1、大前治*2著「検証防空法*3」によると、この演習の3年後までに、全国ほぼ全ての小中学校に「御真影」が備えられ、教育勅語の謄本と合わせ、安置所である「奉安殿」に収められた。校舎は木造なのに奉安殿は頑丈なコンクリート造、という例もあった。
 同書は「戦時色ただよう学校現場で、何よりも大切にされたのが、天皇と皇后の写真をおさめた『御真影』である」と指摘する。同演習の10年後、太平洋戦争下の43年に文部省が定めた学校防空指針は、奉安殿の緊急整備を掲げた。児童生徒が避難するための施設は二の次だった。
 「御真影」のために命を落とした教員は45年だけで、全国で10人に上ったという。奉安殿の「守備」を任され亡くなった中学生もいた。だが、天皇の写真を神聖視する思想は、戦時の産物ではない。同書によると、既に明治期には、津波や火災から「御真影」を守ろうとした教員らが犠牲になり、それが美談として喧伝(けんでん)されていた。

「子の命より天皇陛下の分身」沖縄戦下、80日間守った [私たちの沖縄考]:朝日新聞デジタル
・太平洋戦争末期の沖縄戦で、天皇を筆頭にした皇族の写真「御真影(ごしんえい)」を戦火から守るための部隊があった。
 「御真影奉護(ほうご)隊」。
 山中には今も御真影を隠した壕(ごう)が残り、子どもたちの命より「天皇の分身」を優先した時代を伝えている。
 「その壕に、沖縄本島各地の学校から集められた御真影を『奉護』しました。壕の前に小屋を建て、交代で先生たちと寝ずに番をしていました」。
 沖縄県北中城村(きたなかぐすくそん)の屋比久(やびく)浩さん(88)は証言する。
 御真影は戦前、文部省から教育勅語とともに全国ほとんどの学校に配された。「奉安殿」と呼ばれる建物に収められ、児童たちは前を通るだけでも深々と敬礼しなければならなかった。「御真影を直視したことがない。最敬礼中にちらっと見ただけで、同級生がものすごく怒られていたので」と屋比久さんは振り返る。

*1:個人サイト平和憲法のメッセージ。著書『戦争とたたかう:憲法学者・久田栄正のルソン戦体験』(2013年、岩波現代文庫)、『はじめての憲法教室』(2013年、集英社新書)、『ライブ講義 徹底分析! 集団的自衛権』(2015年、岩波書店)、『平和の憲法政策論』(2017年、日本評論社)など

*2:著書『「逃げるな、火を消せ!」戦時下トンデモ「防空法」:空襲にも安全神話があった!』(2016年、合同出版)

*3:2014年、法律文化社