今日の産経ニュースほか(2019年7月10、11日分)

有志連合、日本参加に「4つの法的枠組み」 実現には課題 - 産経ニュース
 改憲派の安倍なら「自衛隊が外国に出せるのならウエルカム」となりそうですが
1)参院選前にそんなことを表明すれば「戦争の出来る国を目指す安倍改憲政権」として野党の絶好の攻撃ネタとなり選挙に影響しかねない
2)この連合はイランを敵視しており、イランと戦争する可能性が「ゼロではない」。先日「中東の戦争を回避する」と言ってイラン訪問したことと矛盾する可能性大であり、これまた野党の格好の(以下略)
ということで「現時点では」参加は表明しない物の
3)産経や米国トランプ政権などから参加をせっつかれたらどうするか考えがまとまってない
ということで「少なくとも選挙中はノーコメント(どうするかは選挙後考える)という逃げとごまかしの一手」のようです。勿論産経が有志連合参加(自衛隊を中東に送ること)については「安倍総理。ユー、やっちゃいなよ(ジャニー喜多川氏風に)」という物騒な考えであることは間違いないでしょう。


【産経抄】7月12日 - 産経ニュース

 イラン・イラク戦争は、1980年から8年続き、100万人を超える死者が出た。途中の84年からは、いわゆるタンカー戦争が始まる。両国が、ペルシャ湾を航行するタンカーなどに、無差別ともいえる攻撃を仕掛けるようになった。
▼被害を受けた船は400隻を超え、333人が死亡した。米国をはじめ、英仏、ソ連護衛艦艇を送り出し、自国船の保護に当たっていた。湾内には当時、常に20~30隻の日本船が航行していたが、日本政府はなすすべもない。「日の丸」を掲げた船にも、容赦なく弾は飛んできた。2人の日本人船員が犠牲になっている。

 会員登録されてない方はここまでしか読めませんが、落ち(引用はしませんが)は勿論皆さんの予想通りです。有志連合参加(自衛隊を中東に送ること)については産経は「安倍総理。ユー、やっちゃいなよ(ジャニー喜多川氏風に)」という物騒な考えであり「今のところやるとは言わない」安倍をなじってるわけです。


首相、原告団と面会へ ハンセン病家族訴訟 - 産経ニュース
 参院選挙前の人気取りでしょう。とはいえまともな内容なら批判はしません(まともでなければ批判しますが)。
 と同時に「安倍は人気取りのつもり」でしょうがどうなるかはわかりません。可能性としてなら「訪朝後に面会した小泉氏」を「たった5人か」と家族会がなじったようなこと*1もあり得ますし。
 それにしても今や「拉致被害者家族会との面会」などなんの人気取りにもならないわけです。


【産経抄】7月11日 - 産経ニュース

 イラン革命前夜の1978年12月、混乱の最中にあったテヘランから、最悪の知らせが届いた。米コンピューター・ソフト会社EDSの幹部2人が逮捕されたというのだ。
ロス・ペロー会長は、外交ルートを使った釈放が無理だとわかると、自力で救い出す決心をする。まず自ら危険をおかして、監獄にいる2人の部下の様子を確かめに行った。やがてペロー氏の派遣した6人の特殊部隊が、作戦を決行する。
▼2人が無事解放されるまでのいきさつは、英国の作家ケン・フォレットによるノンフィクション『鷲の翼に乗って*2』にくわしい。冒険小説さながらの、手に汗握る展開である。革命後に起きた米大使館占拠事件では、当時のカーター大統領が許可した人質救出作戦は、大失敗に終わっている。それだけに、ペロー氏のヒーローとしての輝きが際だっていた。

 まあ「運がよかった」んですかね。産経や家族会、救う会だと「だから自衛隊拉致被害者が救える」と言い出しそうですが、こんなんは一般化できる話じゃありません。カーターの発動した作戦が失敗して、外交せざるを得なかったようなケースの方が普通でしょう。

 悲願のホワイトハウス入りを果たせなかったのは、時代に恵まれなかったからなのか。それともトランプ氏が持つ何かの資質が、ペロー氏に欠けていたのか。

 私見では前者でしょうね。


思い出そう、政権傲慢行為の数々。安倍政権よ、自民党よ。「有権者をなめるな!」 | ちきゅう座

 参院選公示の翌日、7月5日付け東京新聞朝刊「こちら特報部」。
「民、侮るなかれ」の文字が踊る。それだけでない。「弱者軽視『上から目線』」「不適切発言の麻生氏 首相は議論避け」「三原氏『問責は愚か者の所業』」「二階氏『選挙一生懸命なら予算付ける』」「品格失い忖度が横行」「我田引水の参院定数増」「カジノ法案も強行採決」「選挙で傲慢政治家退場を」という見出し。この見出しだけでも相当なインパクト。
 選挙戦突入に際して、真っ当なメディアが「前回選挙以後に権力が犯した傲慢な行為の数々」を、もう一度思い出そう、あの責任を今こそ取らせようではないか、と有権者に訴えているのだ。そのメインのタイトルが、「民、侮るなかれ」「有権者をなめるな!」である。

 「一点だけのぞき」澤藤氏同様、東京新聞のこうしたスタンスは大いに評価したいと思います。
 一点と言うのは「参院定数増」はむしろ「自公の思惑が何でアレ」、国民の声をより反映する行為として評価すべき事ではないのか、これについては批判する東京の方がおかしいということです。まあそれ以外の「統計データ捏造疑惑」「モリカケ疑惑」「度重なる暴言」などは批判するほかない愚行ですが。


スーチー幻想を省みる | ちきゅう座

 (ボーガス注:ミャンマー国家顧問兼外相)スーチー氏はこの6月欧州を外遊しました。その際彼女はあろうことか(ボーガス注:ドイツ首相)メルケルや(ボーガス注:フランス大統領)マクロンといった指導者ではなく、EUの(中略)超問題児の一人とされる、極右人種差別主義者で、難民排斥の急先鋒であるハンガリーのヴィクトル・オルバン首相と会い、共同声明まで発表したのです。その声明で両者は反イスラム感情を共有し、ミャンマーにはありもしない事実、つまり「たえず増加しているイスラム教徒の人口に関連して、移民は両国が直面する最大の課題の1つである」としたのです。これにはかつてスーチー氏を支援した西側の世論も、驚きやショックを跳びこしてあきれ果て幻滅するしかありませんでした。この人はどこまで墜ちれば、気が済むのだろうか、という訳です。
 ここではスーチー神話の正体というか、スーチー神話が生まれた条件を簡単におさらいして、今後の教訓にしていきたいと思います。
<スーチー幻想の生まれた条件>
 スーチー幻想や崇拝感情の生まれた背景にはいろいろの側面があります。国内的にみれば、軍部独裁によって強化された、植民地支配の後遺症としての民衆側の受動的従属的意識(王様を欲しがるかえるたち!)であり、また上座部仏教特有の聖人崇拝の精神的伝統があります。
 また当のスーチー氏の側にも、国父の娘たる自負と政治的社会的経験の欠如や未熟さからくる自己万能意識―自分は何でも最適な評価と判断ができるという思い込みーがあったでしょう。集団的な知恵よりも自己決定の方に重きを置き、上から目線で党員たちや支持者に教訓を垂れるという説教スタイルは、一貫して変わりません。それは国民の圧倒的支持を自分への全権委任と取り違える非民主的な体質となって固まっています。かくしてソフトな独裁者という雰囲気を漂わせることにもなります。
 国際的な要因も無視できませんし、これには西側世論にも一斑の責任があります。ノーベル平和賞を始めとするあらゆる人権と民主主義関係の名誉賞を、決起し血みどろで闘ったミャンマー国民全体への贈り物とせず、スーチー氏個人の卓越した道徳性精神性への賞賛に変えてしまい、結果として個人崇拝感情を助長してしまったことです。朝日新聞には悪いですが、悪しき一例としてあげておきます。朝日はNLD政権成立後の一時期「アウンサンスーチーの軌跡」というタイトルで連載記事を組んでいました。スーチー氏の行動を軸にして、ミャンマー民主化に向かう情勢を追っかけるという視点でした。しかしロヒンギャ問題や言論の自由弾圧事件など民主主義に逆行する動きが顕在化しだしたため、スーチー氏の英雄物語風な特集は途中でとん挫せざるをえませんでした。
 今後スーチー氏の実像が明らかになってくるでしょうが、1988年動乱の際も、そもそもスーチー氏には自由の女神として民衆を先導する役割を演じる積りはなく、むしろ怒れる民衆と軍部との調停者として振る舞う積りだったという説もあります。愚かな軍部が見境のない残忍な弾圧を加え、1990年選挙のNLD勝利を認めなかったために、民衆の側にスーチー氏はやむなく立ち位置を移動したというのが真実かもしれません。そう解釈すると、NLDが合法化してからスーチー氏が軍部との融和に熱心だった行動も不自然ではありません。以前述べたように、たしかに(ボーガス注:アウンサンの娘)スーチー氏には国軍は不倶戴天の敵ではなく、自分たち創業家のなかの一員であり、国づくりファミリーの一員であるという意識が強いのです。
 いずれにせよ、いま述べた諸々のファクターの相乗効果によって生まれたのが、スーチー氏への共同幻想だったのです。なるほどスーチー氏が自宅軟禁され、ミャンマー民主化運動が息も絶え絶えだったときには、スーチー神話もプラスに働きました。彼女の知名度のおかげでミャンマーは国際世論から注目され続けられたのです。しかし同じ神話が状況の変化に伴い機能変化を起こし、運動の発展にマイナスの効果を及ぼすようになったのです。

 特にコメントなしで紹介だけしておきます。


リベラル21 1970年代に社会主義への道を批判した市井人(1)
リベラル21 1970年代に社会主義への道を批判した市井人(2)
リベラル21 1970年代に社会主義への道を批判した市井人(3)

リベラル21 1970年代に社会主義への道を批判した市井人(1)
 畏友中村隆承(Lと略記)は、1983年に49歳の若さで世を去った。
 1976年Lに癌がみつかり、2度の手術の後、余命いくばくもないと知ったとき、彼は気力を振り絞ってみずからの思想を書き残した。遺稿は『中村隆承遺稿集』として、1984年夫人の手により自費出版された。
 内容は、東欧とソ連解体のはるか以前、ソルジェニーツィンやサハロフに対する弾圧が行われた1970年代の思考である。考察に必要な資料は少なく、しかもLは学者でなく市井の人であったから、その内容はときに断片的であり、また過度に断定的であり、今となっては常識となった部分もないわけではない。
 今年は中国の天安門事件、東欧の民主主義革命から30年である。私はこれを機にLが生きた証を世に問いたいと願い、彼の遺稿からいくつかのテーマを選ぶことにした。数篇に分けて述べるつもりであるが、まず社会主義理論に関する部分を要約、紹介する。

 いつもながら「やれやれ」ですね。個人ブログに阿部がこういうことを書くのは何ら問題ない。
 こんな「私的な話」をリベラル21が掲載する理由はなんなのか、つう話です。中村某氏を阿部のようにリベラル21が「偉大な思想家、活動家」として評価してるのか。もちろんそうではないでしょう。阿部など「常連寄稿者」と「締まりのないズブズブの関係」だから、ほとんど何でもノーチェックで掲載される、それだけの話です。
 とはいえ、後で紹介する広原氏などはさすがに「護憲・軍縮・共生」がリベラル21の建前なのでそこから大きく外した記事はかかないのに、阿部にはそうした常識が全く皆無の訳です。


リベラル21 参院選序盤の選挙情勢をどう見る

 予想外だったのは1人区での野党共闘の不振ぶりだ。

全く成果がないわけではないのですが当初期待されたほどではないというのは残念ながら事実のようですが、まあ、野党共闘の方向性を進めていくほかはないでしょう。

 もっと早くから野党共闘体制を確立し、候補者を決定して選挙運動を始めるべきであったが、野党第一党の枝野立憲民主代表が最後まで踏み切らずこのような事態を招いたことは誠に残念

 最大の問題点はやはり「俺たちは最大野党だ」と居丈高になってる枝野ら立民でしょう。立民の自己中心主義には怒りを禁じ得ません。

 根本的な問題は、安倍政権の政策に賛成はしないが自民に投票するとする支持層が多数存在するという現実だ。朝日新聞によると、年金だけでは「2千万円不足」という問題に関しては、麻生金融担当相が報告書の受け取りを拒んだ対応について「納得できない」62%、「納得できる」16%と大差がついているにもかかわらず、納得できない層の比例区投票先は自民40%に達し、立民24%を大きく引き離している。また、消費税増税に「反対」する人の比例区投票先も自民40%、立民21%とこれも変わらない。

 意味が分からないですね。どういう脳みそをしているのか。「消費税増税反対」なら自民ではなく野党に投票するしかないでしょうに。

 私はその背景に、政策で政党を選択するという近代政治の基本が国民の間に充分に浸透していないことがあるのではないかと疑っている。

 つまり小生も別記事で書きましたが「就職で議員の先生に世話になった」などという政策と全く関係ない投票者が多いのでしょう。

 野党共闘の不振に関しても、これまで金科玉条の如く「自共対決」を掲げて野党共闘を拒んできた共産に責任がないとはいえないだろう。

 それは言いがかりというもんでしょう。共産党はむしろ「野党共闘を呼びかけても民主党が応じない」がゆえに「自共対決」を掲げてきたとみるべきでしょうにねえ。「民主党が積極的に野党共闘を呼びかけてきた」のを共産党が突っぱねたわけでは全くない。
 なお、「都知事選での浅野候補擁立時」のように政策協定も結ばないのに「共産候補を下ろすことを、共産に一方的に要求する行為」は共闘ではなく単に無礼なだけです。
 これは決して共産支持者の俺の身びいきではないと思います。
 つうかその理屈だと「希望の党騒動」で前原らが野党共闘をぶっ壊したのも共産のせいなのか。冗談じゃありません。
 野党共闘の不振は
1)民主党政権時代、「消費税増税反対」「沖縄基地県外移設」などの公約を公然と反故にした民主党(下野後の今「消費税増税反対」などと言っても説得力に欠ける)
2)希望の党騒動などという醜態をさらした民進党
つまりは旧民主、民進党にこそもっぱらあるとみるべきでしょう。

*1:勿論俺はああした家族会の態度は最悪だと思っています。

*2:邦訳は集英社文庫