高世仁に突っ込む(2019年8/7分)

河野義行さんはなぜ憎まないのか1 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 「死刑愛好家の岡村勲」「アンチ北朝鮮の横田奥さん」などと比べて河野氏*1は本当に人間が出来ていると言うべきでしょう。
 彼の立場なら「オウム犯罪者への死刑」を岡村のように叫んだところで不思議ではありません。ところが「実行犯には麻原にだまされた被害者という面もある」ということができる。
 人間としてこうでありたいもんです。
 なお「1」なので最低でも「2」があります。

 渋野日向子選手が、全英女子オープンで日本選手として42年ぶりのメジャー大会優勝を果たしたニュース。まわりの人に、渋野って前から知ってた?と聞くと、みな知らなかったと言う。

 小生も知りませんでしたが無能な選手ではそもそも全英オープン優勝どころか出場すら出来ません。国内優勝も当然既にしていたでしょうから「ゴルフ好き」など、知ってる人は知っていたわけです。

 まさに一夜にして運命が変わったシンデレラだが、そこにスマイリングという形容詞がついた。いつも笑顔で、ダブルボギーの後でさえ腐らずにニコニコ笑ってプレーし、それが良い結果につながったという。
 そうだよなあ。人生、望みどおりにならないことばかりだが、それに怒ったり恨んだりしちゃいけないな。宮沢賢治じゃないけど、いつも静かに笑っている、というふうに生きたいものだ。

 「アンチ北朝鮮の横田奥さん」にぜひ「親しい関係の高世先生」から「人生、望みどおりにならないことばかりだが、それに怒ったり恨んだりしちゃいけないな」と申し上げては如何でしょうか?(もちろん高世への皮肉)。
 まあたぶん、奥さんは逆ギレするだけでしょうし、高世にはそんなことはいえないでしょうが。

 ただし、私憤はNGだが、義憤、公憤は慈悲がベースになった憤りだからOK。

 以前、本多勝一氏のエッセイを読んでいたら「私憤と公憤に違いはない」「私憤でも『筋が通った憤り』であり多くの人が『君の言うとおりだ』と言えば公憤になるのだ」「だから俺は『お前の憤りは私憤だ』と言われても無視する(ちなみに本多氏が私憤呼ばわりされたのは『原稿執筆のギャラが安い』と言う話)」と確か書いてありましたが、俺も同感です。
 問題は「筋が通った怒りかどうか」です。私憤だ、公憤だなどという区別はその意味で馬鹿馬鹿しい。
 ちなみに俺は岡村勲や横田奥さんは「筋の通らない、くだらない憤り(高世風に言えば私憤)」だと思っています。まあ「横田奥さんの提灯持ちしか出来ない」高世は「横田奥さんは筋の通った公憤」というのでしょうが。まあ少なくとも岡村や横田奥さんの怒りにどこにも慈悲はないでしょう。
 憎悪しかない。

 嫌いな人が激減したのも、修行(トレーニング)のおかげと感謝している。

 明らかに俺を嫌って「自動トラバ拒否設定」にした高世はそんな立派な人間ではないでしょう(今は「コメント承認設定*2」だが一時はコメント拒否設定までして、俺のコメントを不可能にしていた)。高世のような「虚言野郎」「人格破綻者」には心底反吐が出ます。

*1:著書『「疑惑」は晴れようとも:松本サリン事件の犯人とされた私』(2001年、文春文庫)、『報道は何を学んだのか:松本サリン事件以後のメディアと世論』(共著、2004年、岩波ブックレット)、『命あるかぎり :松本サリン事件を超えて』(2008年、第三文明社)など

*2:まあ俺がコメントしても高世は掲載を拒否するでしょうね。