今日の産経ニュースほか(2019年10月6日分)

プロ野球400勝投手の金田正一氏が死去 - 産経ニュース
 金田氏の訃報報道で気になること、それは

Chosun Online | 朝鮮日報
・日本プロ野球NPB)通算最多勝利記録を持つ在日韓国人2世の投手・金田正一さん=韓国名:金慶弘(キム・ギョンホン)、写真=が6日、死去した。
・2014年に韓国野球委員会KBO)のSKワイバーンズが鹿児島内でキャンプをした時に練習場を訪れ、「私は帰化したが、韓国人の血が流れている。自分との戦いを放棄しては駄目だ」と助言した。

<野球>「日本唯一の400勝投手」 韓国系の金田正一氏が死去 | Joongang Ilbo | 中央日報
・日本プロ野球で投手として400勝し、通算最多勝記録を保持する韓国系の金田正一氏(韓国名・金慶弘)が6日、死去した。
・金田氏は在日同胞2世として愛知県で生まれた。親の故郷は慶尚北道の尚州(サンジュ)と大邱(テグ)。同じく在日同胞の張勲(チャン・フン)氏(日本名・張本勲*1)と共に日本プロ野球で活躍し、韓国国籍にこだわった張勲氏とは違って日本国籍帰化した。

など韓国マスコミが「金田氏が在日韓国人であること」に簡単に触れてるのに、小生が気づいた限りでは日本マスコミはそのことに全然触れてないことですね。
 「触れちゃいけない理由でもあるのか?」「生前の金田氏、あるいは遺族がそれを望んでないのか?」と首をひねります。
 そういえば「単なる偶然なのか、金田氏を監督にすることで韓国人へのアピールをロッテが狙ったのか」はともかく金田氏が一時、監督を務めたロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)のオーナー企業ロッテの創業者・重光武雄(韓国名・辛格浩)は在日韓国人ですね。

参考

張本勲ウィキペディア参照)
・張本はプロ入り前から在日韓国人であることを隠さずに名乗っており、引退後も日本に帰化していない。そればかりでなく、日本国籍取得の意思のないことを公言している(国籍は韓国)。これは、日本に渡って来て死ぬまで日本語を覚えようとしなかった母親の影響が大きいためである。現代では、自らを在日韓国人と明かす野球選手が増えてきているが、張本の時代に引退前に出自を公表した人間は極めて稀である。
・民族教育は受けなかったが、家庭内では幼い頃から韓国語で育ち、韓国語にも堪能である。
・同胞のプロレスラー・力道山は張本を可愛がった。初めて力道山の邸宅に招かれ、六十畳ほどある居間で飲んでいると、力道山はお手伝いを帰してドアに鍵をかけた。ラジオのつまみを回すと韓国の放送が流れてきて、力道山は軽音楽に合わせて機嫌よく踊り始めた。出自を伏せていた力道山から韓国人(ただし力道山の出身地は今の北朝鮮に当たる)だと告げられると、張本は「噂は本当だった」と嬉しくなり、「韓国人なら韓国人と言えば良いじゃないですか」と口に出した。すると力道山は「お前は植民地時代の苦労をろくに知らないから、そんなことが言えるんだ! 生意気なこと言うな!」と激怒して張本の肩を突き飛ばした。その後、2人の間で民族の話が出ることは2度となかったという。


東京・あきる野市長選に村木氏初当選 自公推薦の現職落選、88票差 - 産経ニュース

 4年前の市長選で沢井氏に214票差で敗れた村木氏は、「今回も厳しい戦いになると覚悟していた」と振り返り、「立候補した時点では現職との差があったが、市民の皆さんと保守・中道・革新の政党、市民連合など総力結集のおかげで逆転した」と語った。

 産経ではこのコメントしか出てこず、選挙の構図がさっぱり分かりませんが、「革新の政党」と言うと普通に考えて「共産」「社民」「生活者ネット」、「保守・中道の政党」というと「国民民主」「立民」で、村木氏は野党共闘候補と言うことでしょうか?
 そこでググったら

東京新聞:あきる野市長選 村木さんが激戦制し初当選 「勝利は皆さんのおかげ」:東京(TOKYO Web)
 立民、国民、共産の市議と市民グループの支援を受け、野党共闘の構図に持ち込んだ。

だそうです。安倍批判派としてまずは素直に喜んでおきます。


不明7歳女児捜索打ち切りで母「靴一つ見つからず…」感謝と無念を語る - 産経ニュース
 不謹慎な話で恐縮ですが、何の証拠もないのに過去に4歳(失踪当時)の幼稚園児・松岡伸矢君の失踪すら特定失踪者認定した荒木和博なら、この件を母親が持って行けば喜んで特定失踪者認定するんでしょう。荒木の認定はその程度のデマです。


■山添拓参院議員(共産)の安倍批判

https://twitter.com/pioneertaku84/status/1180068870813388800
「?」多発の首相所信表明演説
「新しい時代の日本に求められるのは多様性であります」
 安倍首相が言うか?
「65歳を超えて働きたい。8割の方がそう願っておられます」
 乏しい年金が原因とご存知ない?
パリ講和会議で「日本は人種平等を掲げました」
 その後*2の(ボーガス注:韓国、台湾の)植民地支配、差別と抑圧はお忘れ?

 「多様性」つうのには呆れますね。 同性婚夫婦別姓女性天皇外国人地方参政権*3「多様性を認める施策」はろくにしないくせに「これからの時代は多様性が大事」とよくほざけるもんです。まさか「アイヌ新法をつくりました」程度で「多様性を認めてます」とどや顔する気でしょうか?
 まあ、その点を「多様性を認めるというなら同性婚(あるいは夫婦別姓女性天皇外国人地方参政権)を認めてほしい」などと問いただされたら、真顔で「多様性も大事だが伝統も大事」などとどや顔して質問者を呆れさせるのでしょうが。
 それとも「何も考えてない」のでそういう質問をされたら、すぐには応答できず言葉に詰まるのか。
 スピーチライターが書いた原稿をわけも分からず読んでるだけなのでしょうが、それで首相が務まるというのだから日本も本当に劣化したもんです。


■今日の「いだてん」がある意味面白い
 以下は一言一句正確なわけではないこと、かなりアバウトなことをお断りしておきます。

・五輪準備委員会会議
田畑*4阿部サダヲ
「聖火は五輪のルーツであるギリシャから持ってきます」
委員A
「なぜ我々がギリシャなどという外国に頭を下げねばならないのか。日本には神火がある。宮崎神宮から採火した神火を出雲大社伊勢神宮でリレーすればいい。五輪には紀元2600年記念行事という意味合いもあるはずだ」
委員B
「五輪競技場の工事に使う鉄骨があれば、どれほどの軍艦が作れるか?」
「工事に使う鉄骨は準備できるのかね?。戦争遂行に支障は生じないのか?」(不機嫌そうな顔をしている田畑)

部下
「田畑さん、米国が、『日本が中国との戦争を続ける限り、東京五輪をボイコットする*5』といってきました。米国にボイコットされては日本の面目は丸つぶれです。もう五輪開催地は返上するしかないですね。首相にもそう報告してきます」
田畑
「やめるのならさ、五輪開催地じゃなくて中国との戦争のほうじゃないの!。五輪期間中だけでも停戦できないの!。首相にそう要請できないの!」
「今更返上して亡くなった*6嘉納*7センセイ(役所広司)にどう言い訳が立つの!*8。あの人が大日本体育協会(現・日本スポーツ協会)会長としてどれほど五輪招致に人生をかけていたか!」
部下
「もはや返上以外に道はないと思います」

 こうした描写のどこまでが事実なのか知りませんが、まあ、当初予想されたよりは「戦前批判的なニュアンス」が強そうですね。

参考

■1940年東京五輪ウィキペディア参照)
■国内の開催反対意見
・1937年3月20日衆議院予算総会では河野一郎*9(政友会、後に日本陸上競技連盟会長)が「今日のような一触即発の国際情勢において、オリンピックを開催するのはいかがと思う」旨を発言。
・1938年に入ると日中戦争の長期化により鉄鋼を中心とした資材が逼迫した為競技施設の建設にも支障が生じてきた。さらに陸軍大臣杉山元*10が議会において五輪中止を進言し、河野が再び開催中止を求める質問を行うなど、開催に否定的な空気が国内で広まった。
 この結果、近衛文麿首相は、1938年6月23日に行われた閣議で戦争遂行以外の資材の使用を制限する需要計画を決定し、この中に五輪の中止が明記されていたことから、事実上五輪の開催中止が内定した。
■国外の開催反対意見
 1938年3月にカイロ(エジプト)で開催されたIOC総会では、日独伊防共協定を巡り日本と対立していたイギリスやイギリス連邦を構成するオーストラリア、ニュージーランドだけでなく、大会開催権を争って敗北していたフィンランドからも、東京開催の中止と「漁夫の利」を目論んでのヘルシンキ*11での代替開催を求める声が上がっており、さらに日中戦争の一方の当事国である中華民国も開催都市変更を要望してきた。
 また、イギリス以上に日中戦争について政府が日本批判的な態度を取り続けていたアメリカ人のIOC委員は、東京大会のボイコットを示唆して委員を辞任する事態となった。ついに、バイエ=ラトゥールIOC会長から日本に対し、開催辞退の話が持ちかけられてきた。
 さらに1938年5月、東京への五輪招致に大きな役割を果たした嘉納治五郎がカイロからの帰途、氷川丸船上で病死するに至り、日本政府は7月15日、閣議で開催権を正式に返上した。代わってヘルシンキでの開催が決定したが、1939年(昭和14年)9月にヨーロッパで第二次世界大戦が勃発したため、こちらも結局開催できなかった。


香港デモ マスク禁止抗議で数万人、政府側は「想定内」 - 産経ニュース
 こうなってしまった理由の一つは明らかに「警官襲撃、店舗破壊」など一部デモ隊の暴挙なので、香港当局や中国政府ばかりを非難する気には正直なりません。


【昭和天皇の87年】へそを曲げた松岡洋右 天皇は外相交代を示唆した - 産経ニュース

 4月22日の朝、立川飛行場で松岡*12を待つ首相の近衛は、内閣書記官長の富田健治*13にそっと言った。
 「松岡外相は人一倍感情の強い人だから、日米諒解案について原則賛成だと伝えても、どういう返事をするか分からない。自分が出迎えて、帰りの車中で説得すれば、案外スラスラ行くかも知れない」
 ところが近衛は、立川飛行場に降り立った松岡と握手を交わしたとたん、考えを変えた。日ソ中立条約を調印し、凱旋将軍気取りでカメラのフラッシュを浴びる松岡が、多数の報道陣らを引き連れて「これから皇居を遙拝したい」と言い出したからだ。松岡流のパフォーマンスに、うんざりしたのである。
 結局、近衛は帰りの車で松岡と同乗せず、説得は外務次官の大橋忠一に任された。

 近衛が説得に当たったところでたぶん状況は変わらなかったでしょうが、この話が事実なら近衛も随分と無責任です。「松岡の上司」である近衛首相が説明するのと「部下」である大橋次官が説明するのとでは全然違うでしょうに。

 松岡は、車中で大橋から日米諒解案の経緯を聞き、不機嫌になった。
 「勝手に米国と妥協するなど、盟邦の独伊に対して不信きわまりないではないか」
 大橋から報告を受けた近衛が表情を曇らせたのは言うまでもない。ただ、日米諒解案には陸相東条英機*14はじめ閣僚、軍上層部*15の全員が賛成している。近衛はその夜、大本営政府連絡懇談会を招集した。さすがの松岡も、全員で説得すれば承知するだろう。
 ところが松岡は、驚くべき行動に出る。帰国の歓迎会で飲まされたとして、ろれつも回らないほど酔って現れたのだ。
 日米諒解案の賛否について、一刻も早くアメリカ側に回答を伝えたい近衛が、たまりかねて言う。
 「政府も統帥部も一致して原則オーケーだ。駐米大使に、そう返電してもらいのだが…」
 松岡は、赤ら顔をさらに赤くした。
 「二週間くらい静かに考えさせてほしい。今日は疲れているから失礼します*16
 そう言って松岡は、出席者がポカンとなったのを尻目に、さっさと引き上げてしまった。
 以後、松岡は持病の悪化と称し、自宅に引きこもった。近衛や東条が代わる代わる説得を試みたが、松岡は原則賛成の訓令を出そうとしない。(※2)
(中略)
 野村*17のもとに松岡から、ようやく訓令が届いた。
 日米諒解案をめぐるアメリカの狙いは、日独伊三国同盟の無力化だが、松岡の修正案はそれを真っ向から否定した上、アメリカが中国に対し無条件で和平を勧告するよう求めていた。しかも松岡は、修正案を示す前に、欧州での戦争にアメリカが参戦すればただでは済まないと牽制する「オーラル・ステートメント」(口述書)を渡すよう指示していた。
 ちゃぶ台をひっくり返す訓令だ。野村は5月6日、ハル*18と面会し、オーラル・ステートメントを口頭で説明したものの、「内容に誤りも多いから」と手交しなかった。今後に悪影響が出ることを懸念したのである。
 松岡は、昭和天皇にも強硬論を唱えた。
 5月8日《外相は天皇に対し、米国が欧州戦争に参加する場合*19には、日本は独伊側に立ってシンガポールを攻撃せざるを得ないため、日米国交調整もすべて画餅に帰すること、また米国が参戦すれば長期戦となるため、独ソ衝突の危険あるやもしれず、その場合我が国は日ソ中立条約を破棄し、ドイツ側に立って対ソ攻撃をせざるを得ないこと等を奏上する》(昭和天皇実録28巻79頁)
 無茶苦茶である。昭和天皇は、松岡の正気を疑ったのではないか。松岡が退出したあと、内大臣木戸幸一*20に言った。
 「外相を取り代えてはどうか*21

 まあ松岡の本音は「盟邦の独伊に対して不信きわまりない」ではなく「外相の俺に相談もなく、なんでそういうことを勝手にするのか」「俺のやり方が気に入らないなら外相を首にすればいい。いつでも辞めてやる」という怒りが一番大きいでしょうね。
 夜に会議が招集されたとはいえ、そして「歓迎会で飲まされた(帰国当日に重要会議があるとは思わなかったので大量飲酒してしまった)」と言い訳したとは言え、「アル中の中川昭一*22」じゃあるまいし、普通の人間は酔態で会議に現れたりはしません。
 なお、松岡を「日米関係悪化に拍車をかけた」として悪者扱いする産経*23ですが、松岡が第二次近衛内閣外相を辞めて、豊田貞次郎*24が外相になった第三次近衛内閣、東郷茂徳*25が外相になった東条内閣でも「日米対立は深刻化」したので松岡ばかりの責任に出来る話ではありません。
 なお、この昭和天皇発言から分かるとおり、昭和天皇は「権限のないロボット」などでは全くありません。

(※2)
 松岡が日米諒解案に“待った”をかけた主な理由は、外相の自分が関知しないところで話を進められたことに立腹したためとみられる。一方で松岡は、日米諒解案アメリカ側の意向ではなく、捏造(ねつぞう)の疑いが強いとみており、部下の一人に「あれはヨコ(英文)のものをタテ(和文)にしたのではない。タテのものをヨコにしたのだ。日本人が書いたものではないか」と話したという。この松岡の指摘は半ば当っており、日米諒解案は交渉のスタートラインにすぎないのに、作成に関与した岩畔豪雄らの手により、米首脳が提案したかのような形で日本側に伝えられた。

 ここでの産経の指摘は重要ですね。「日米諒解案は交渉のスタートラインにすぎないのに、作成に関与した岩畔豪雄*26らの手により、米首脳が提案したかのような形で日本側に伝えられた」と言うことを考えると松岡が仮に賛同しようが、日米の意見の食い違いから「日米交渉」が挫折した可能性は否定できません。東条陸軍大臣が賛成したとは言えそれは「日本が提出した交渉のたたき台」ではなく「日米間である程度、了解が取れた案」として賛成してるわけですから。松岡が賛成しようが、日米交渉が難航した時点で東条から「ある程度、米国から了承がとれたものではなかったのか?」と反発が出た可能性があります。
 「そんな代物に賛成できるか」つう松岡の考えは一理はあるでしょう。
 しかし「日本人が書いたものではないか」と見抜くとは松岡も「決してバカではないこと」がわかります。


ダライ・ラマ継承「本人が決定」 チベット人会議決議、中国介入を拒絶 - 産経ニュース
 「ダライラマのことは俺たちチベット亡命政府が決める、中国の介入は否定する」つうダライ一味の方針は「昔からそう」なので新味は全くありません。
 で「転生霊童は辞めるの?、続けるの?」「転生霊童を辞めたら、ローマカトリックみたいに高僧から選挙で選出するの?」つう話には未だに結論が出ないようです。このままだと「惰性で転生霊童を続ける可能性」が一番多そうですね。


【日曜に書く】偏見を超えて響く音楽 論説委員・河村直哉(1/3ページ) - 産経ニュース
 ある音楽(例えば日本での君が代イスラエルでのワーグナー音楽など)をどう評価するかは、その評価の是非はともかく、多くの場合「偏見」ではなく「価値観の違い(例:天皇礼賛の君が代など認められない、ナチが賛美したワーグナー音楽など認められない)」なのですがそういう常識は産経にはないわけです。

*1:通算安打の日本記録保持者(3085本)。1982年に発足した韓国プロ野球の統括団体KBOコミッショナー特別補佐官を2005年まで務めた。2007年、民間人に与えられる韓国最高の勲章である国民勲章第1等の「無窮花章」が授与された。韓国プロ野球創設に貢献した功績によるものである。「無窮花章」は日本の勲一等にあたる。現在、日本のスポーツ選手として韓国の文化勲章を受けた唯一の人物(ウィキペディア張本勲」参照)

*2:まあ、それ以前にも「植民地支配、差別と抑圧」ですが

*3:思いついたものをいくつかあげました。

*4:朝日新聞において政治経済部長、常務を歴任。スポーツ界においては日本水泳連盟会長、JOC委員長などを歴任。戦前は1940年東京五輪招致(ただし後に返上)、戦後は1964年東京五輪招致に尽力。

*5:1)当時の米国が石油、くず鉄禁輸などで日本と対決姿勢だったこと、2)アフガン侵攻を理由とした西側諸国のモスクワ五輪ボイコット、グレナダ侵攻を理由とした東側諸国のロス五輪ボイコットを考えれば充分あり得ることですが、こうした過去のボイコット事例を元にしたクドカンの創作かもしれません。

*6:嘉納は1938年5月に死去。

*7:講道館柔道創始者。教育者として学習院教頭、東京高等師範学校(東京教育大学を経た現在の筑波大学)校長、旧制第五高等中学校(現・熊本大学)校長など歴任。またスポーツ界では大日本体育協会(現・日本スポーツ協会)会長、IOC委員など歴任

*8:「英霊に申し訳が立たないから中国から撤退できない」つう物言いへの明らかな皮肉ですね。

*9:鳩山内閣農林相、岸内閣経済企画庁長官、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣農林相、建設相、佐藤内閣副総理・五輪担当相など歴任

*10:林、第一次近衛内閣陸軍大臣参謀総長など歴任。戦後、自決

*11:フィンランドの首都

*12:満鉄総裁、第二次近衛内閣外相など歴任。戦後、戦犯として裁判中に病死。後に靖国に合祀。

*13:第二次、第三次近衛内閣で書記官長

*14:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀。

*15:東条陸軍大臣以外は、及川古志郎海軍大臣杉山元参謀総長永野修身軍令部総長

*16:松岡が酔っ払って現れたのは論外としても「帰国当日にいきなり説明」したあげく、「できれば今日中に賛成してほしい」つう近衛の態度も無茶苦茶でしょう。松岡ほど酷くなくても普通の人間は「説明された日にいきなり『出来れば今日中に賛成してくれ』と言われても賛成できない。2,3日考えさせてくれないか」というでしょう。

*17:海軍出身。軍令部次長、呉鎮守府司令長官、横須賀鎮守府司令長官、阿部内閣外相、駐米大使など歴任

*18:ルーズベルト政権国務長官

*19:実際には「米国が欧州戦争に参加した」が故に日本がシンガポールを攻撃したのではなく、「日本が真珠湾を攻撃した」がゆえに米国が「欧州戦争に参加」することになります。

*20:第1次近衛内閣文相、厚生相、平沼内閣内務相、内大臣など歴任。戦後終身刑判決を受けるが後に仮釈放

*21:富田メモにおいて「松岡が靖国に合祀されたこと」に昭和天皇が不快感を表明したのはこういう経緯があったわけです。

*22:小渕内閣農水相小泉内閣経産相麻生内閣財務相など歴任

*23:しかしそれでも「松岡の合祀に不快感を表明した富田メモ」を理由に「松岡の合祀取りやめ」を主張はしない産経です。

*24:海軍出身。海軍省軍務局長、海軍航空本部長、海軍次官、第2次近衛内閣商工相、第3次近衛内閣外相、鈴木内閣軍需相など歴任

*25:駐独大使、駐ソ大使、東条、鈴木内閣外相など歴任。戦後、20年の禁固刑で服役中に病死。後に靖国に合祀。

*26:陸軍中野学校創設やチャンドラ・ボースインド国民軍創設に関わったことで「謀略の岩畔」の異名で知られた陸軍将校。