黒坂真に突っ込む(2019年10月8日分)

■黒坂ツイートにコメント

黒坂真
‏ 吉良よし子議員。日本共産党は、韓国大統領の写真を焼くような作品の展示に公金を支出すべきだ、と叫びますか。

 その「芸術作品」が審査会で「価値あるもの」と認められ補助金支出が決定されれば「支出すべきと言いますが、それが何か?」「そういうきちんとした手続きを踏んで支出が決まったものを首相や大臣の個人的感情で支出決定を撤回したらむしろ法的に問題だと思いますがそれが何か?」ですね。
 そもそも「韓国大統領の写真を焼く」なんて芸術作品は存在しないし、一方ウヨ連中が「天皇写真が焼かれた」云々と騒いでる代物は「芸術作品」として価値が認められたわけです(もちろんこれは俺や吉良氏がそれを芸術として認めてるという話では必ずしもありません。芸術評論家というプロが芸術と評価したものを素人が否定するのはおかしい、しかもその否定理由が芸術性と全く関係ない天皇崇拝なんて馬鹿げてるつう話です)。
 そもそもnix in desertis:「表現の不自由展 その後」についても指摘していますが「表現の不自由展」に話を限定すれば「ある人はこれを芸術と認めたが、一方で天皇崇拝者はあんなもんは芸術じゃないと非難してる、あなたはどう思いますか?」つう問いかけが展示の目的であって、「芸術として褒め称えてる」つう性格の展覧会とはかなり話が違います。

黒坂真
 日本共産党員、左翼知識人、運動家には朝鮮学校こそ理想の学校と見えているのです。

 ばかばかしいとしか言いようがないですね。朝鮮学校無償化除外反対とは「差別反対」と言う話であって「朝鮮学校が理想の学校」と言う話ではない。 
 もちろん多くの「無償化除外批判派」は小生にせよ、他の方にせよ「朝鮮学校の民族教育の場としての価値」をそれなりに評価しています*1が、それは「朝鮮学校には何の問題もない」つう話ではありません。
 仮に「北朝鮮政府に対する批判が弱い」としてもそんなことは大なり小なり「日本や欧米も含め、どこの国の教育や学校でもあること*2」だし、そんなことで「無償化除外という差別が許されるわけではない」「朝鮮学校の民族教育の場としての価値が否定されるわけではない」つう話です。
 まあ、「都有地の貸与方針(桝添前知事が決定)」を小池都知事が「白紙撤回したこと」でわかるようにウヨが敵視してるのは朝鮮学校ではなく韓国学校もですが。要するにウヨ連中は在日朝鮮・韓国人を差別してるわけです。
 そして俺も含め多くの「無償化除外批判派」は小池の行為も「許しがたい差別だ」と思っています。
 それは「朝鮮学校だけでなく」、「韓国学校の民族教育の場としての価値」をそれなりに評価してるし、小池の行為には正当性のかけらもないと思うからです。
 問題は「北朝鮮シンパ」とか「韓国シンパ」とかそういうレベルの低い話ではない。
 「同じ日本に暮らす同胞」である在日朝鮮・韓国人の民族教育の場をどうつくっていくかという話です。そういう意味で俺は韓国学校にせよ朝鮮学校にせよ、日本政府(安倍政権)や東京都(小池都知事)の不当な差別には怒りを覚えざるを得ません。

*1:極端な話「そんなことはありえません」が朝鮮学校に限らず「児童虐待としか言いようがない代物」であったら、無償化除外どころか学校としての運営をやめさせることすら考える必要もあるわけです。

*2:たとえば朴チョンヒ政権時代に韓国学校が朴批判できたのか、蒋介石政権時代に台湾系の華僑学校が蒋批判できたのかつう話です。あるいは日本の教科書検定において長年、「戦争加害の記述が矮小化されてきたこと(例:家永訴訟)」もそうでしょう(まあ例は何でもいいのですが)。