中国での松本清張: 放心流
せんだって、松本清張*1が中国ではどう読まれているかといった話を清華大学の王成教授から聴いた。
文化大革命後、「君よ憤怒の河を渉れ*2」を皮切りに「幸せの黄色いハンカチ*3*4」など日本映画が続々と上映されることになった。「霧の旗*5」や「砂の器」など清張ものも上映され、いずれも大ヒットした。その後、松本清張のミステリーが次々と翻訳されていくことになった。
80年代は、改革・解放期にあたり、資本主義がもたらす社会悪を追及するとか、人間のエゴイズムを批判する内容のミステリーが中国の読者をとらえた。
90年代になると、中国も高度成長期になるわけだが、日本の高度成長期の社会現象や人間の欲望を批判的に書いた清張作品があらためて評価を受けることになった。つまり、中国の先行モデルとしての自己を映す鏡のような作品として清張文学は位置づけられた。
文化大革命のさなか、紅衛兵は恩人を吊し上げ、処刑した。それは負い目として残った。「砂の器」も、恩人である育て親の元巡査を殺した。このあたりが共感を呼ぶ。
「霧の旗」は無実の罪の兄の弁護を断った弁護士に復讐する話だが、中国では「復讐する女」というタイトルとなっている。これを相似形にしたような小説が中国でも生まれている。下放時代にレイプされた女が、解放後、実業の世界で成功している犯人に復讐するといった内容の小説が高い評価をうけているとのことである。
といったわけで、松本清張は日本大衆ミステリーの先駆者として評価され、(ボーガス注:中国でも翻訳され、人気がある)宮部みゆき*6や東野圭吾*7は清張の弟子*8といった扱いで紹介されているのだそうだ。
面白いのは、「球形の荒野」は「日本を裏切った日本人」というタイトルに変えられていることだ。「球形の荒野」というタイトルは比喩的で、「日本を裏切った日本人」は内容に近いかもしれないが、ちょっと露骨すぎる。
CiNii 論文 - 越境する「大衆文学」の力 : 中国における松本清張文学の受容について (日本文学のなかの〈中国〉) -- (越境する文学)
・1980 年5 月に超大作として中国で公開された『砂の器*9』は、人物の描写、画面、カメラワークという優れた芸術性や、深いテーマ性など、それまで見たことのない映画表現によって、中国の観客に強い衝撃を与えた。
・その技法は中国の映画界に大きな影響を与えた。
例えば、陳凱歌監督の『黄色い大地』(1984 年)や『子供たちの王様』(原題『孩子王』、1987 年)に頻繁に登場する、橙色を背景に登場人物のシルエットを写すショットは、『砂の器』の冒頭の、海岸で砂の器を作る子供のシルエットを強く想起させる。
・陳監督は苦労を重ねながら、子供をヴァイオリニストに育て上げていく父親の姿を描いた『北京ヴァイオリン』(2000 年)という映画においては、まさにこの『砂の器』のコンサートシーンにオマージュを捧げるような技法を取り入れた。ヴァイオリンを演奏するシーンと親子二人の回想シーンが交互に映し出される演出は、紛れもなく『砂の器』から発想されている。
『風狂な歌姫』(原題『瘋狂歌女』、劉国権監督、1988 年)という映画もまた、『砂の器』との類似点が多い。それは当時の毛阿敏(モーアーミン)という人気歌手を起用して作られた映画である。一人の有名な歌手がいて、表向きは輝いているが、実は非常にみじめな子供時代の過去を持っている。孤児になったヒロインは養父母に育てられ、その息子と婚約する。しかし、やくざにレイプされたヒロインはそのやくざを殺して、行方をくらます。やがて、苦労を重ねて歌手として有名になったヒロインが長年夢見ていたソロコンサートの開催を実現させた時、田舎から婚約者が訪ねてくる。ヒロインは自分の過去を隠すために、訪ねてきたその婚約者を殺してしまう。まさに『砂の器』の和賀英良と似たような物語である。
なかなか面白いと思うので一応紹介しておきます。
*1:1953年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞。1957年、短編集『顔』が日本探偵作家クラブ賞(現・日本推理作家協会賞)を受賞。1958年には『点と線』『眼の壁』を発表。これらの作品がベストセラーになり松本清張ブーム、社会派推理小説ブームを起こす。
*2:1976年公開の映画。中国では1979年に『追捕』として公開され、文化大革命後に初めて公開された外国映画となった。無実の罪で連行される主人公の姿と、文化大革命での理不尽な扱いを受けた中国人自身の姿を重ね合わせて、中国人観客に共感を持たせ大変な人気を呼び、中国での観客動員数は8億人に達したとされ、高倉健や中野良子は当時の中国で人気俳優となった。また、後に佐藤純彌監督は『未完の対局』(1982年公開)、『敦煌』(1988年公開)を中国で撮影し、高倉健は、この作品により高倉のファンとなった張芸謀監督の『単騎、千里を走る。』(2005年公開)で主役を演じた。タイトルの「憤怒」は「ふんど」と読まれているが、これは映画化された時にそう読ませた(映画のエンドロールやポスターにもそうルビ表記された)ためである。しかし、原作本(西村寿行、徳間書店)の裏表紙には、「ふんぬ」とルビ表記がある。2017年にジョン・ウー監督のリメイク映画『マンハント』が公開された(高倉健の演じた役は、福山雅治が演じた)(ウィキペディア「君よ憤怒の河を渉れ」参照)
*3:1977年公開の日本映画。日本アカデミー賞最優秀監督賞(山田洋次)、最優秀脚本賞(山田洋次・朝間義隆)、最優秀主演男優賞(高倉健)、最優秀助演男優賞(武田鉄矢)、最優秀助演女優賞(桃井かおり)を受賞
*4:「君よ憤怒の河を渉れ」「幸せの黄色いハンカチ」、どちらも高倉健主演であり、中国において高倉健人気を高めることになります。ただし高倉の代表作と言っていい「幸せの黄色いハンカチ」はともかく「君よ憤怒の河を渉れ」は日本では知ってる人の方がむしろ少ないでしょう。
*5:1965年版(山田洋次監督、倍賞千恵子主演)と1977年版(山口百恵主演)があるようですがどちらが中国で公開されたのかは不明です。山田版は「下町の太陽」(1963年公開)で「ホームドラマイメージ」のついた山田と賠償が「悪女映画」でイメージ脱却を図ったようですがその後の「寅さんイメージ(下町の太陽と同様のイメージ)の定着」を考えると結果的には失敗だったのでしょうね。
*6:1989年、『魔術はささやく』で日本推理サスペンス大賞を、1992年、『龍は眠る』で日本推理作家協会賞(長編部門)を、1999年、『理由』で直木賞を受賞
*7:1985年に『放課後』で江戸川乱歩賞を、1998年に『秘密』で日本推理作家協会賞(長編部門)を、2006年に『容疑者Xの献身』で直木賞を受賞
*8:文字通りの「弟子」ではなく「清張ミステリーに影響を受けた作家」程度の話でしょう(そうした認識の是非はともかく)。
*9:1974年公開の松竹映画