高世仁に突っ込む(2019年10/12分)

いくつかの訃報によせて - 高世仁のジャーナルな日々

 何人かの訃報が届いた。
 伊藤淳さん。
 かつての日本共産党の大幹部で後に「スパイ」として除名された伊藤律の次男として生まれた。
 父の汚名を晴らしたいという淳さんを主人公に、「父はスパイではない!~革命家・伊藤律の名誉回復~」(テレビ朝日テレメンタリー、2013年12月放送)というオタクな番組を制作した。
 この企画をテレビ局でプレゼンしたさい、若いプロデューサーたちから、そもそも伊藤律なんて知らない*1し、今の世の中に関係ない、なぜこのテーマをやるのか全く分からない、と強い反対の(そしてもっともな)声があがったが、当時のチーフプロデューサー が「たまにはこういう番組もあっていいんじゃないか」と通してくれた。こんな企画、今なら民放に絶対に通らないだろう。
 淳さんは父親の名誉回復*2日本共産党にかけあったが未だにまともな対応をしていない*3。9月7日、72歳でがんで亡くなったが、母親(律の妻)も本人も共産党の活動家だっただけにそれだけは無念だったろう。

 まあそもそも視聴率がとれないし「で、それが何の意味があるの?」「ウォーターゲート追及、モリカケ疑惑追及みたいな社会的意義があるの?」ですよねえ。伊藤律の家族はともかくそれ以外の人間にとってはもはや正直どうでもいい話です。なお、こう言うと家族は怒り出すんでしょうが「スパイが濡れ衣」だろうと「彼一人の責任ではない*4」にせよ伊藤が間違った指導方針で党をぐちゃぐちゃにしたあげく、中国にトンズラこいたことは事実なんであまり美化するのもどうかと思いますけどね。

フリーカメラマンの杉本祐一さん。
 「9月25日、胃がんで死去、62歳。15年2月、シリアへの入国を計画したため、外務省から旅券返納命令を受けた。憲法が保障する報道の自由を侵害するとして国を提訴したが、一審、二審とも請求は棄却され、18年3月に最高裁が上告を退けて敗訴が確定した。」(朝日新聞
 杉本さんのケースが、紛争地に行くジャーナリストへの旅券を取り上げる嚆矢となった。杉本さんの裁判闘争にはあまり大きな注目が集まらなかったが、今から思えば、メディア関係者すべての問題として闘われるべきだったし、自分ももっとやれることがあったのではないかと反省している。

 今頃そんなこと言っても遅いわ、て話です。
 なお、最近(9~10月)亡くなった著名人*5の訃報(ウィキペディア「2019年・訃報」参照)としては

【日付は死去日】
9/26
■ジャック・シラク(1932年生まれ)
 元パリ市長、元フランス大統領
10/6
金田正一(1933年生まれ、急性胆管炎による敗血症のため都内の病院で死去)
 日本唯一の400勝投手。国鉄スワローズ読売ジャイアンツで投手を務め、その後、ロッテオリオンズで監督。元名球会会長。
10/7
和田誠(1936年生まれ、肺炎のため都内の病院で死去)
 イラストレーター。週刊文春の表紙イラストで知られる。料理研究家平野レミ(1947年生まれ)の夫

などがいますね。
 で「話が脱線しますが」横田滋(1932年生まれ)、早紀江(1936年生まれ)なわけです。年齢の近いシラク(1932年生まれ)、金田(1933年生まれ)、和田(1936年生まれ)の死去を考えればいつ彼ら夫妻は死去してもおかしくない年齢なわけです。特に滋氏なんか胃ろうですからねえ。
 「いい加減訪朝して孫に会えよ!」感がありますね。いや滋氏はもはや体力的に無理かもしれませんが早紀江は訪朝した方がいいんじゃないか。


香港の若者は「暴徒」なのか2 - 高世仁のジャーナルな日々
高世仁に突っ込む(2019年10/10分) - bogus-simotukareのブログで取り上げた香港の若者は「暴徒」なのか - 高世仁のジャーナルな日々の続きです。既に俺は高世仁に突っ込む(2019年10/10分) - bogus-simotukareのブログでも書きましたが暴力デモは暴徒だと思いますよ。
 一方で平和的デモは勿論暴徒ではない。
 だから「平和的デモに参加してる若者は暴徒ではないし、暴力デモに参加してる若者は暴徒だ」つう当たり前の結論しかないでしょうよ。
 そして「暴力デモにも同情の余地はある(本当に同情の余地があるかはひとまず起きます)」なんてのは暴徒性の否定にはならないわけです。
 つうか暴徒性を否定してどうするのか。暴力デモに展望がある(つまりデモ隊の希望がかなう)というならそれでもいいかもしれない(もちろんそれでも「暴力はダメだ」つう考えもあり得ますがそれはひとまずおきます)。
 たとえば「韓国の独立運動」なんかに「三・一運動は暴徒だ(産経などウヨ、あるいは当時の日本政府)」「前韓国統監・伊藤博文*6を暗殺した安重根はテロリストだ(安倍政権、あるいは当時の日本政府)」とか言うのは俺もトンチキだとさすがに思います。
 あるいは「いわゆる松方*7デフレによる生活苦&自由党弾圧への反発からおこった秩父事件」「米価高騰への反発(しかも原因はシベリア出兵での米不足を見込んだ不当な米の買い占め)からおこった米騒動*8」について「暴徒だ」とか言うのは俺もトンチキだとさすがに思います(まあ例は何でもいいですが)。


【参考:三・一事件&安重根、ほか】

三・一独立運動から100年/日本のメディアはどう伝えてきたか/問われる植民地支配への態度
 この当然の行動を日本のメディアはどう伝えたか。歴史学者の姜東鎮氏*9(元筑波大学教授)は指摘しています。
「ほとんどの有力紙がこの事件を大きくとりあげているものの、朝鮮独立に支持ないし同調を示した新聞は皆無であった」。
 しかも、日本政府が朝鮮総督府、軍隊に命じ民衆の鎮圧に乗り出すと、これと一体となって「暴徒」「不逞(ふてい)鮮人」「暴動」と行動を敵視し、朝鮮人への恐怖、偏見をあおる報道に終始しました。こうした意図的な報道の行きついた先の一つが、1923年9月の関東大震災での朝鮮人虐殺の悲劇でした。

安重根ウィキペディア参照)
 韓国では、安は「義士」「抗日闘争の英雄」「国民的英雄」と評価される。ソウル特別市には安の業績を伝える「安重根義士記念館」が1970年に建設されている。
 韓国海軍では、2008年に完成した孫元一*10級潜水艦3番艦の艦名に彼の功績を称えて「安重根」と命名した。同様の理由でテコンドー界でも、型の名前に彼の名が用いられている(国際テコンドー連盟4級で習得する重根)。

【コラム】「暗殺の国」日本、安重根を犯罪者と言えるのか(1) | Joongang Ilbo | 中央日報
・日本の右派が安重根(アン・ジュングン)義士を犯罪者として引き降ろす時に思い浮ぶ顔がある。山口二矢。1960年10月、演壇に飛び乗って、熱弁をふるっていた日本社会党浅沼稲次郎・委員長をところかまわず突き刺して殺害した、あどけない顔をした右翼青年だ。
・山口はすぐに収監されたが21日後に首をつって自殺する。
 事件はここで終わらなかった。日本の極右派が彼を烈士に持ち上げて、機会あるごとに彼の亡霊を呼び出す理由だ。彼らは山口の忌日には毎年墓地に集まって追悼式を行う。2010年の50周忌には、事件が起きた日比谷公会堂で盛大な追悼式を行った。こんな山口と安義士を比べてみよう。
 安義士。祖国の強奪を防ぐために合法的にできることがあったのか。参政権もない状況で言論・社会運動などを通して日帝の野心を防ぐことは不可能だった。要人狙撃という極端な方法で朝鮮の悲劇を伝えることが唯一だった。
 一方、浅沼が殺害された時の日本社会党は執権勢力でもなかった。選挙など日本の共産化を防ぐための正常な方法も保障されていた。それでも山口は刀を持った。
 「抵抗権」というものがある。基本的人権が国家権力によって不当に踏みにじられるのにも、これを民主的方法で防止できなければ革命・民衆蜂起などすべての手段が容認されるという論理だ。抵抗権は国家間でも適用される。国を奪われることになった弱小国の国民が主権回復のために武力闘争するならばこれもまた正当化される。
 代表的事例が「ハイドリヒ暗殺事件」だ。第2次世界大戦の真っ最中だった1942年5月、ロンドンに移ったチェコ亡命政府はナチスの核心幹部ラインハルト・ハイドリヒ(ボヘミア総督)を暗殺することにする。そしてチェコ出身のレジスタンスをプラハへと侵入させる。彼らは出勤途中のハイドリヒを狙撃して殺害することに成功する。作戦を終わらせた隊員はプラハの教会に隠れる。しかしまもなくナチスにばれて激烈な戦闘の末に全員が自殺してしまう。戦史に久しく残るこの事件は伊藤博文狙撃とさまざまな面で似ている。
 だが、似た形はここまでだ。以後、完全に違った様相が展開した。終戦になると隊員が亡くなった聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂は聖地となる。95年には彼らを賛える国立記念館まで入った。目を引くのはドイツ政府が抗議するどころか記念館建設に財政的支援を惜しまなかったという点だ。今でも多くのドイツ人が訪ねてきて過去の教訓を再確認している。一方、韓中が安重根記念館を作るやいなや日本の官房長官は「テロリスト記念館」と言って不快感を表わした。

■ラインハルト・ハイドリヒ(1904~1942年、ウィキペディア参照)
 国家保安本部(RSHA)の初代長官。ドイツの政治警察権力を一手に掌握し、SS(親衛隊)隊長ハインリヒ・ヒムラー*11に次ぐSSの実力者となった。ホロコーストの実質的な推進者の一人であった。戦時中にはベーメン・メーレン保護領チェコ)の統治にあたっていたが、英国政府およびチェコスロバキア亡命政府が送りこんだチェコ人部隊により暗殺された。
■長いナイフの夜
 ナチドイツの政治警察を一手に掌握するハイドリヒは、様々な政治工作、弾圧、迫害、虐殺に関与した。1934年6月30日のエルンスト・レームら突撃隊幹部を主な対象とした粛清(長いナイフの夜)は、ゲーリング*12ヒムラー、ハイドリヒの3名が主導してヒトラーに働きかけたものである。
ベーメン・メーレン保護領の統治
 ハイドリヒはベーメン・メーレンで「人間味ある統治者」に見せようと心がけていた。専用車であるメルセデス・ベンツも常にオープンカーの状態にし、プラハ市民に自分の姿がよく見えるように走らせることが多かった。威圧的にならぬよう護衛車両をつけることもあまりしなかった。ヒムラープラハ訪問中にハイドリヒの個人警護が少なすぎると懸念し、警護をもっと増やすよう命じており、またハイドリヒの警護に無頓着な態度を頻繁に戒めていたが、彼は最後まで耳を貸さず、結果的にはこれが命取りとなった。
■暗殺
 イギリス首相チャーチルや、チェコスロヴァキア亡命政府は、密かにハイドリヒの暗殺を計画。
 亡命チェコ軍人からヨーゼフ・ガブツィク曹長、ヤン・クビシュ軍曹ら10人が選抜され、イギリス軍特殊部隊から暗殺に必要な訓練を受けた。彼らはイギリス空軍機から降下してチェコ領内に降り立ち、プラハ市内に入った。
 1942年5月27日早朝から、プラハ城へ出勤するハイドリヒの車両を待ち受けた。午前10時半頃、ハイドリヒのメルセデス・ベンツのオープンカー(やはり護衛車両をつけておらず、拳銃を携帯した運転手ヨハネス・クライン親衛隊曹長が同乗しているだけであった)がスピードを落としたところでガブツィク曹長が車両の前に飛び出して隠していた銃を出して撃とうとしたが、弾詰まりを起こしてしまった。驚いたハイドリヒはクラインに車を止めるよう命じ、思わず立ち上がった。ガブツィクは逃亡し、クラインがこれを追跡した。ハイドリヒは立ちあがった姿勢のまま一人その場に残されたが、そこにクビシュ軍曹が手榴弾を投げつけた。ハイドリヒは爆発後すぐに車を飛び降りて、クビシュに向かってピストルを乱射して応戦したが、彼もすぐに逃亡していった。
 ハイドリヒは無傷に見えたが、実は爆発の影響で腹部と肋骨部に車のスプリングと金具の破片が食い込んでいた。彼はその場で倒れ込み、現場に居合わせた市民達が病院へと搬送した。病院側は直ちに、ハイドリヒ専用の緊急治療体制を敷き、現地の外科医師による手術が行なわれた。ハイドリヒが襲撃を受けたという報告を受けたベルリンのヒムラーは、しばらく放心状態になっていたという。その後、ヒトラーは親衛隊医師団を連れて自らプラハへ見舞いに赴いた。ハイドリヒの容態は悪くなる一方でヒムラーと最後の面会をしたのち、6月4日午前4時30分頃に死去した。襲撃からおよそ一週間後の死であった。病院は死因を「負傷による感染症」と診断した。クビシュが投げつけた手榴弾には、イギリス軍が密かに生物兵器として開発していたボツリヌス菌が込められていたという説や、ハイドリヒの権力増大を危惧したヒムラーによって、搬送後の彼にわざと適切な処置を施さず死に至らしめたなどの説があるが、いずれも確証はない。
■死後の報復
 一方、ハイドリヒ襲撃のあった日からチェコ全土に戒厳令が敷かれ、大々的な捜査と報復に乗り出していた。襲撃からハイドリヒが死亡するまでの間だけですでに157人が射殺されていた。 プラハ保安警察は、プラハ近郊にある500人ほどの人口の鉱山労働者集落リディツェ村が「暗殺部隊を匿った」として、この村を報復攻撃の対象とすることをヒトラーに進言した。ヒトラーはこれを認め、1942年6月10日から11日にかけてリディツェ村虐殺が開始された。成年男性村民200人弱はその場で銃殺され、女性村民や子供は強制収容所へ送還された。
■人物像
・ハイドリヒは総統であるヒトラーに対して、他のナチ党高官と異なり、決して心酔していたわけではなかった。ハイドリヒは1941年にフェンシング仲間に「もしあの老いぼれ(ヒトラー)が何かしくじったら自分が真っ先に葬ってやる」と口にしたという。彼の同僚の多くは「1944年7月20日までハイドリヒが存命していたならおそらく彼はヒトラー暗殺計画者の側に加担していただろう」などと語っている。
■語録
ユダヤ人問題
「東方ユダヤ人はボルシェヴィズム(ロシア共産主義運動)の貯水池であり、それゆえに総統の意志により絶滅させねばならない」(1941年6月半ば、ザクセン州で。独ソ戦を前にアインザッツグルッペン*13の指揮官たちに対して)。
「総統はユダヤ人の物理的抹殺を命じられた」(1941年晩夏、アドルフ・アイヒマンSS中佐に対して)
「最終解決とは、1100万人のユダヤ人を処理することであり、それにはイギリスとアイルランドユダヤ人も含まれる。すべてのユダヤ人の絶滅という目標は、人類の大再編成に他ならない」(1942年1月20日、ヴァンゼー会議において)
■人物評
「装甲のないオープンカーで走ったり、ボディーガードも付けずにプラハの通りを歩いたり、そのような英雄気取りはナンセンスであり、国家のためにならない。全くその必然性がないのに、ハイドリヒのようにかけがえのない人物が危険に身をさらすなど愚かであるか、恐ろしく鈍感であるかのどちらかである」(非公式の場でハイドリヒへの怒りをあらわにしたヒトラーの言葉)

きょうの潮流 2014年2月18日(火)
 中国東北部ハルビン駅に韓国の義士、安重根(アンジュングン)の記念館を開設した報道に、日本政府は先月、伊藤博文を殺した「テロリスト」として抗議しました
▼1910年の「韓国併合」の前年に、初代の韓国統監を務めた伊藤博文が射殺されました。外交権を奪ったとき、伊藤が「駄々をこねるようなら殺(や)ってしまえ」と大臣に聞こえるように脅したのは、有名な話。韓国で安重根は、義兵闘争の英雄として扱われています
▼日本でも安に心酔した人がいます。千葉十七(とおしち)という青年憲兵です。当初の憤りも、刑務所の看守として安の態度を見、公判での強い愛国心に触れ、尊敬の念を抱くように変わったのです。終生、供養したといいます
▼安と千葉を一緒に顕彰している碑が、宮城県栗原市の大林寺(だいりんじ)にあり、毎年追悼会が開かれています。数年前に参加したとき、地域の檀家(だんか)や市民、韓国の人たち100人が集いました。地域の中学生が書いた日韓関係の年表が本堂に張られ、安の「東洋平和論」についての講演もありました
▼33年前に建てられた顕彰碑には、安が処刑の寸前に千葉に贈った遺墨の文字が刻まれています。碑文では、「日韓両国の永遠の友好を祈念して」と、2人の功績と絆をたたえています
▼書いたのは、保守系の現職知事だった故山本壮一郎氏*14です。のちに「千葉も立派だが、その千葉に終生合掌させた安重根の生きざまも立派だった」と住職に述懐しています。テロリスト視などせず、民族の独立に身をささげた清廉な人物と評価しています。

【参考終わり】


 しかし香港の暴力デモはどう見ても展望があるようには思えない(時代も今と昔では違いますしね)。その一例が「マスク禁止法」「実弾発砲」でしょう。あんなもんは暴力デモがおこらなければ中国側も実行することに躊躇したと思いますよ。さすがに実弾発砲は平和的デモにはしないわけです。

 IS掃討の最大の功労者であるクルド勢力を見捨てていいのかという、民主、共和両党からの声

 そういう問題じゃないと思うんですけどね。「きれいごと」になりますが、問題は「あるべきクルド政策」は何かでしょう。
 人権問題ってのは「世話になってなければ見捨てていい」つう話じゃないわけですから。世話云々つなら俺なんかクルドにもウイグルにもダライラマにも何一つ世話になってないわけですから。
 「クルドには世話になった」なんて言ってもトランプからは「トルコにもいろいろと世話になってる。トルコはあの地域での重要な親米国家だ」「じゃあお前ら批判派はトルコとがちのケンカしろというのか?。クルド人独立国家とかクルド自治区とかつくれというのか?」「お前らはどういうクルド問題のプランを考えてるんだ?」と言う返事が返ってくるわけです。
 これに対し批判派(米国内トランプ批判派にせよ、EU諸国にせよ)も結局「うっ」と詰まってしまう辺りがダメなわけです。
 結局、批判派も「トルコとがちのケンカしてでもクルドの希望を叶えてやろう」つう「度胸のある、腰の据わった奴」はあまりいない。
 その辺りをトランプやエルドアン*15に見切られてるから、トランプは「ISが打倒された以上、シリアに米軍がいる理由はない」「クルド問題?。関係ねえよ、トルコやイラン、シリアと言った現地政府に任せる」となるし、安心してエルドアンクルドに軍事攻撃が出来る。
 1)そして「トルコ同様、クルドの独立や自治区を希望しない」し「トルコとも必要以上にもめたくない」シリアやイラン
 2)そうしたシリアやイランを支援するロシア
クルドを見捨てて今の惨状があるわけです。
 トルコを牽制するために米国なり、シリア、イラン、ロシアなりが「ある程度クルド支援」するかと思いましたが今のところそういう動きにはなってない。

 日本政府もトルコ政府を牽制するなどしてこれ以上の悲劇を食い止めるべきだ。

 高世も分かった上で言ってるでしょうが、トランプともめてまで、日本企業の「トルコビジネス」を犠牲にしてまでトルコを牽制する意図なんか安倍にはないでしょう。

10月5日、緊急法発動による「覆面禁止法」が施行された。

 平和的デモはともかく暴力デモについて言えば、破壊行為なんかするからで自業自得です。
 日本や欧米だって暴力デモが深刻化したら同じ事(マスク禁止法制定)が起きるんじゃないか。
 これを機に「マスク禁止法を正当化したくないから暴力行為は辞めます(暴力デモ隊)」つうなら見直しますが「今まで通り破壊します」つうんだから論外ですね。

 最近はデモが「ゲリラ」化しており、直前までどこでやるかが分からない。神出鬼没で警察も取締りに動きにくい。

 安田峰俊もツイートしてましたが裏返せば「今の香港には観光に行くべきではない」つうことですね。これは産経などがデマ飛ばす「韓国旅行が危ない」などとは違うリアルな危険です(韓国では香港のような暴力デモはないので危険などない)。
 「どこでやるか分かってれば」、あるいは「分かってなくても平和的デモなら」観光客に被害はないでしょう。
 ところが今の暴力デモは「観光に被害を与えれば中国側のダメージになる、国際的にも注目される」という考えで動いてる疑いがある。
 当然観光地で暴力デモが起きる危険性が否定できません。そうなれば死なないにしても怪我の危険がある。
 特に我々日本人は「白人や黒人と違い*16」一見すると本土中国人と見分けがつきません。まあ「パスポートを常時携帯」「日本語を話す」などすれば「日本人までは攻撃しない」つう話もありますが「日本人なら絶対攻撃されない」とは言い切れないし、「本土中国人と誤解されないようにする手間」がはっきり言って面倒くさい。
 「デモに遭遇してもきちんと対応できる自信がある。どうしても香港観光がしたい(観光客)」とか「仕事や留学で香港に滞在してるので帰るに帰れない」とか言う特殊事情でもない限り行くべきではないでしょう。と言うか既に観光客も「本土中国人を中心に*17」減少傾向にあり、観光産業を中心に香港市民からも暴力デモへの反発が出始めてるようですが。

 「勇武派」と「和理非派」は、画然と区別される存在ではなく、いわば役割分担して政府への抗議活動が展開されていることがわかる。

 明らかに「勇武派を美化したい高世の記事」なので割り引く必要があるでしょう。
 まあなかには「勇武派にシンパシーを持つ和理非派(そういうのを俺はインチキだと思いますが)」もいるのかもしれない。
 ただそれはさすがに「和理非派の主流ではない」んじゃないか。
 かつこういうことを書いて「勇武派と和理非派にそんなに大きな違いはない」として勇武派を美化しようとする高世ですが世の中そんなに甘くはないでしょう。
 これを読めば中国側は「勇武派も和理非派も大して違いはない。だから我々は和理非派もがんがん機動隊で叩く。文句があるなら和理非派はこうした高世某のような主張が事実でないと証明しろ。和理非派はきちんと勇武派を批判しろ」というでしょうし、それに賛同する香港市民も出てくるでしょう。

 香港中文大学の世論調査では、「警察はデモ隊に対して過剰に暴力をしていると思うか?」については「とてもそう思う / そう思う」が合わせて71.7%だったのに対し「デモ隊の暴力は過剰か?」という質問には「とてもそう思う / そう思う」が合わせて39.4%だった。6割はデモ隊の「暴力」を容認している。

 仮にそれが事実だとしてもそれは「香港市民が警察の暴力に厳しいくせに、デモ隊の暴力には甘いダブスタだ」と言う話でしかないでしょう。
 俺はそうした態度は道徳的な意味でも「そうした方向性に政治的展望があるとは思えない」と言う意味でも間違ってると思いますね。

*1:そもそも伊藤律どころか徳田球一宮本顕治を知ってるのか、つう話です。

*2:名誉回復が意味することが「スパイ認定を撤回してくれ」ならともかく「除名を撤回しろ」では実行しないからと言って不誠実な対応とは必ずしも言えないでしょうね。伊藤律の除名理由は「スパイ認定オンリー」ではないからです(無茶苦茶な指導で党をズタボロにしたあげく、中国にトンズラしたことも確か除名理由)。それにしても高世が伊藤淳氏にとって「父・伊藤律の名誉回復とは何を意味するのか?」を明確に書かないのはどういうことでしょうか?

*3:まあ未だに蓮池透氏と和解できない家族会よりはマシでしょう。伊藤淳氏の著書『父・伊藤律 ある家族の「戦後」』(講談社)の出版についても、「蓮池透氏の著書『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)に悪口した家族会、救う会」と違い特に非難もしてないようですしね(まあ伊藤本があまり話題にならなかったことも大きいのですが)。正直、共産支持者として「家族会、救う会の提灯持ち」高世ごときに共産党の悪口をいってほしくないですね。

*4:トップは徳田球一ですので。

*5:俺の知ってる方だけあげています。

*6:参議兼工部卿宮内大臣、首相、貴族院議長、枢密院議長、韓国統監など要職を歴任。元老の一人。

*7:大蔵卿、第1次伊藤、黒田、第1次山県、第2次伊藤、第2次山県内閣蔵相、首相、内大臣など歴任。元老の一人。

*8:最終的には軍隊まで出動し、寺内首相が引責辞任している。

*9:著書『日本の朝鮮支配政策史研究:1920年代を中心として』(1979年、東大出版会)、『日本言論界と朝鮮:1910-1945』(1984年、法政大学出版局

*10:初代韓国海参謀総長を務めた孫元一に由来する。

*11:親衛隊長、警察長官、内務大臣など歴任。終戦直前に自殺

*12:プロイセン州首相、ドイツ航空相、ドイツ空軍総司令官など歴任。戦後、戦犯裁判で死刑判決を受けた直後服毒自殺

*13:ホロコーストのために設立されたドイツ軍部隊。直訳すると「出動部隊」である。「特別行動部隊」「特別任務部隊」「移動虐殺(もしくは殺人・抹殺・殺戮)部隊」といった意訳も見られる。

*14:自治官僚出身。宮城県総務部長、副知事を経て知事

*15:イスタンブル市長、首相を経てトルコ大統領

*16:まあ大坂なおみが日本人であるように少数派とは言え、白人や黒人の本土中国人もありえますが。

*17:もちろん「本土中国人観光客減少の理由」としては1)本土中国人に敵意を持つであろう暴力デモ隊に遭遇したら襲われるかもしれないと言う恐怖と、2「香港人は本土を馬鹿にしてるのか!」という反発の両方があるでしょう。