今日の産経ニュースほか(2019年10月12日分)(追記あり)

■今日の大雨について
 「平日じゃなくて良かった」と言ったら怒られるんですかね?。いや計画運休なんて通勤、通学の多い平日にやったらもっと大変だと思いますので。
 「会社や学校を急遽、閉鎖」つうことにはなるのでしょうが。
 もちろん「休日勤務」の方もいますけど「平日勤務より数は少ない」んじゃないか。
 そしてまあ、「休日のレジャーが潰れて残念な方」もいるでしょうが仕事が潰れるのよりはまだましな気がします。
 それと今回は「事前に予想が出来る」つうのがすばらしい(?)ですね。
 この点は予想など出来なかった「関東大震災」「阪神大震災」「東日本大震災」「御嶽山噴火」などとの大きな違いです。

【追記その1】
 なんだかんだ言って「今回の台風をなめていた」とやや反省しています。
 自動車を野ざらし*1で駐車していて今まで特に問題もなかったので甘く考えていたのですが、今回は「閉めたドアの隙間から大量の雨水が浸入(完全に車が水没と同じ状況に)→エンジントラブルで動かない→車を購入したディーラーに修理を依頼」つう羽目になりました。
 他にも同様の車が多数、出現して修理依頼がすさまじい量なので「いつ直るか分からない(すぐに修理に着手できない)」つうことでしばらく自動車保険を使って代車サービス(最大15日間)つうことになりました。
 とはいえそれ以外はそれほど大きな被害もなかったですが。まあ本当に3連休で良かったですね。

【追記その2】
 保険屋からは「故障した車を大枚はたいてエンジンを直すより廃車にして買い換えた方がいい(修理では金がかかる割に再度、故障の危険が高い)」つう示唆を受けたのでそういう方向にする予定です。


岸田派重鎮・古賀氏が「9条改正反対」本を出版 波紋広がる (1/2ページ) - 産経ニュース
 産経らしい「古賀*2の野郎許さない」「岸田*3は古賀に調子をあわせたらどういうことになるか、わかってるんだろうな!(恫喝)」記事です。
 本の内容よりもむしろ「版元がかもがわ出版」というあたりが衝撃的(?)かもしれません。
 過去にもリベラル保守系の政治家からは

武村正義*4『小さくともキラリと光る国・日本』(2004年、光文社)
加藤紘一*5『強いリベラル』(2007年、文藝春秋社)
河野洋平*6『日本外交への直言:回想と提言』(2015年、岩波書店

などの本が出ていますが、今回はそれらと比べると「左派色が強い」上に「地方の中小出版社」ですからね。

 著書は9月14日に発行され、同月下旬から書店の店頭に並び始めた。岸田氏が同21日、訪問先のシンガポール改憲をテーマにした地方政調会を開催する考えを表明した時期と重なる。派内からは「なぜこのタイミングでの出版なのか」(派内若手)と疑問視する声も出ている。

 うがった見方をすれば「岸田氏への不快感の表明(当てつけ)」であり、それに岸田氏と岸田取り巻き連が「元親分とはいえ余計なことするな」「安倍に政調会長を首にされて、石破元幹事長のように干されたらどうする気だ!」つうことでしょう。安倍をそこまで恐れるとは情けない連中です。もはや「宏池会はリベラル」とはとてもいえないでしょう。


鳩山氏が釜山大学で講演 「拉致ばかり取り上げ疎外」 - 産経ニュース

 「日本政府がとるべき戦略は米朝平和条約(協定)が締結されるようにし、日本の安全を保障することだ」とし、「米朝平和条約締結後に日朝国交正常化を図ることだ」と語ったという。

 「勇気ある発言」「正論」だと思いますが、「発言場所が日本国内でない」上に今の彼は政界を引退してますからねえ。「首相時代にその方向で動いてほしかった」つう気持ちは否定できません。まあ彼にもそうした慚愧の念があるからこその発言だとは思います。
 なお、島田がこの産経記事に

島田洋一
「被害者*7が『もう謝罪しなくてもいい』と言うまで、加害者*8は謝罪する心を持たなければならない」。それなら鳩山氏は日本国民*9に謝り続けねばならない。聞きたくもないが
鳩山氏が釜山大学で講演 「拉致ばかり取り上げ疎外」 - 産経ニュース

とコメントしているのが意外です。島田がこの記事をもとに鳩山時を非難するとしたら、そういう因縁付けではなく

「何が、米朝平和条約後の日朝国交正常化だ!」

と思っていましたので。もはや「トランプ・金正恩会談後は米朝平和条約や日朝国交正常化があってもおかしくない(諦め)」という思いの表れでしょうか。

 鳩山氏*10が言及した米朝平和協定は、北朝鮮が切望しているものであり、北朝鮮にとっては在韓米軍の撤退を意味する。

 産経のデマ中傷と言っていいでしょう。鳩山発言は「朝鮮戦争の休戦状態(建前)を正式に終戦させ、米朝国交樹立を実現するための平和協定が必要」としただけで在韓米軍撤退なんて言ってはいません。そもそも、北朝鮮ですら「米朝国交樹立の条件」として「在韓米軍撤退をあげてはいなかった」と思います。

 いわゆる徴用工問題について「1965年の日韓協定で個人の請求権問題が完全かつ最終的に解決されたわけではない」という自身の見解を繰り返した。

 もちろん彼の見解ではありますが、韓国最高裁の見解でもあるし、

徴用工個人の請求権 外相「消滅してない」/衆院外務委 穀田議員に答弁
河野太郎外相は14日の衆院外務委員会で、韓国の元徴用工4人による新日鉄住金に対する損害賠償の求めに韓国大法院(最高裁)が賠償を命じた判決(10月30日)をめぐり、1965年の日韓請求権協定によって個人の請求権は「消滅していない」と認めました。日本共産党穀田恵二議員への答弁。大法院判決について「日韓請求権協定に明らかに反する」としてきた安倍政権の姿勢が根本から揺らぎました。
 穀田氏は外務省が日韓請求権協定第2条について「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」(柳井俊二*11条約局長、1991年8月27日、参院予算委)と答弁したことを示し、河野氏の認識をただしました。河野氏は「個人の請求権が消滅したと申し上げるわけではございません」と明言しました。
(中略)
 外務省の三上正裕国際法局長*12は「柳井局長の答弁を否定するつもりはない」、「権利自体は消滅していない」と答弁しました。
 穀田氏は、「個人の請求権は消滅していない」と強調。「日韓双方が被害者の尊厳と名誉を回復するという立場で冷静で真剣な話し合いをすることがきわめて大切だ」と求めました。

ということで河野外相(当時)ですら「個人の請求権問題が完全かつ最終的に解決されたわけではない」ことを事実上認めています。


【昭和天皇の87年】退場させられた松岡洋右 天皇の我慢にも限界があった - 産経ニュース

 昭和天皇の切なる願いは一人のへそ曲がりによって断ち切られる。外相の松岡洋右日米諒解案に同意せず、大幅に修正したからだ。松岡の修正案に対し、米国務長官のハルが米政府の回答を提示したのは1941(昭和16)年6月21日、実に独ソ戦開始の前日である。日独伊三国同盟について、従来以上に無力化を強調する内容だった。
ハルは日本側に、米政府の回答は公式ではないとしてさらなる交渉の余地を残しつつ、暗に松岡の更迭を促すオーラル・ステートメント(口述書)を発した。

 「不幸ニシテ政府ノ有力ナル地位ニ在ル日本ノ指導者中ニハ 国家社会主義ノ独逸及其ノ征服政策ノ支持ヲ要望スル進路ニ対シ 抜キ差シナラサル誓約ヲ与ヘ居ルモノアル…」
「斯カル指導者達カ公ノ地位ニ於テ斯カル態度ヲ維持シ 且公然ト日本ノ世論ヲ上述ノ方向ニ動カサント務ムル限リ (中略・日米交渉の成果に)幻滅ヲ感セシムルコトトナルニ非スヤ…」
 松岡が激怒したのは言うまでもない。7月12日の大本営政府連絡懇談会。松岡は傲然と言った。
 「米人は弱者には横暴の性質あり、このステートメントは帝国を弱国、属国扱いにしておる」
 「我輩はステートメントを拒否することと対米交渉はこれ以上継続出来ぬことをここに提議する」
 感情むき出しの、突然の交渉内切り宣言。首相の近衛は頭を抱えた。陸海両相らが交渉継続を強く主張したため、松岡は渋々同意するが、翌日は病気と称して引きこもり、米政府の回答への対案を検討しようとしない。軍上層部や内閣書記官長らがおどしたりなだめたりしながら、ようやく対案がまとまったのは14日のこと。しかし、松岡はそれを駐米大使に訓電する前に、ステートメント拒否の訓電を出すべきだと言い張り、近衛らが反対したにもかかわらず独断で発出してしまった。
 近衛は、ついにさじを投げる。翌15日に参内し、閣内不一致で総辞職の意向を奏上したのだ。
 昭和天皇は言った。
 「松岡だけをやめさせるわけにはゆかぬか…」
 18日、第二次近衛内閣は総辞職したものの、再び近衛に大命降下があり、松岡を除外する形で第三次近衛内閣が発足する。ここに、ようやく日米交渉を本格化させる態勢ができたのだが……。

・「松岡を除外する形で第三次近衛内閣が発足」と書く産経ですが

【第二次近衛→第三次近衛】
■外相
 松岡洋右→ 豊田貞次郎*13(第二次近衛内閣商工相からの横滑り)
■商工相
 豊田貞次郎→左近司政三*14

以外にも大臣の変更はあります。
 というか第二次近衛と第三次近衛で変わらなかった大臣は

陸軍大臣
 東条英機
海軍大臣
 及川古志郎
■文相
 橋田邦彦*15
■農林相
 井野碩哉*16
逓信
 村田省蔵*17

だけで他(既に紹介した外相、商工相の他には内務相、蔵相、司法相、厚生相)は全て変わっています。
・松岡だけを悪者にしたいらしい産経です。しかし、松岡の外相更迭後も日本は対米関係を悪化させて戦争に突き進んでいった以上、松岡だけが悪いわけでは全くない。それにしてもここまで松岡を悪者扱いしながら、そして「松岡が合祀されてるのでは、参拝する気はない」という昭和天皇の意思を記録した富田メモがあっても、産経が「松岡の合祀」に反対しないのは実に興味深い。
 たぶん
1)松岡を悪者扱いしてるのは方便であって本心ではない
2)松岡を悪者扱いしているのは本心だが、松岡の合祀反対を主張することによって「東条英機元首相」など、他の戦犯合祀にも問題が波及することを恐れてる
のどちらかなのでしょうが。


【昭和天皇の87年】裏切りの独ソ戦 三国同盟破棄のチャンスが訪れたが… - 産経ニュース

 ドイツは、独ソ戦の開始を日本に事前通告しなかった。先見の明があれば、これを背信行為とみなして三国同盟を空文化し、日米交渉を一気に前進させることもできただろう。しかし、外相の松岡洋右*18には、そんな考えは微塵(みじん)もなかったようだ。

 まあそんな先見の明は当時「主要な政治家、官僚」には誰にもありませんからね。松岡ばかりが悪いわけではない。というかあえていえば米国が一番問題にしていた事はドイツと手を組むことそれ自体よりも「ドイツと手を組むこと」で「東南アジア侵略に乗り出すこと」と「中国から撤退しないで米国と張り合うこと」なので、ドイツ云々よりも重要なことは「中国から撤退すること」、そして「東南アジア侵略の野心を疑われる行為をしないこと(もちろん実際には仏印進駐をしてその野心を疑われて、米国から経済制裁を食らったあげく最終的には全面的な東南アジア侵略に乗り出したのが戦前日本)」ですね。したがってドイツを手を組もうとも、中国から撤退すれば日米交渉は前進したでしょうし、撤退しなければドイツを手を切ったところで大して評価はされなかったでしょう。
 それにしても松岡も

河野談話否定論なんかかましたがゆえに、かえって世界中に慰安婦問題の問題性が広まってしまう→韓国の株がかえって上がる」
「当初中国を敵視していたにもかかわらず、結局一帯一路参加を表明し、中国に頭を下げる」
「二島先行返還とぶちあげたのにプーチンの要望『島に米軍を置かないと確約しろ』に応じられず結局うやむや」

なんて「先見の明の全くない男・安倍」と「安倍の御用新聞・産経」に先見の明がないなどとは言われたくないでしょう。
 それにしても「大東亜戦争(太平洋戦争)は聖戦じゃなかったのか?」「米国と対立したのは先見の明がないってどういうことよ?」ですね。その場、その場で産経らウヨが適当な言い逃れをするからこういう意味不明な話になるわけです。

 松岡はこのとき、首相の近衛文麿*19とも相談せず、対ソ開戦の方針を独断で奏上した。

 独ソ戦が始まるや、今まで唱えていた「日独伊ソ連の四国同盟で米国に対抗しよう」を放り投げて、まず「日ソ中立条約を廃棄してソ連をドイツと一緒に攻めよう」といったのが松岡外相だというのは有名な話です。
 ここからまず第一に松岡が極めて「機会主義者」「便乗主義者」だということがわかります。良く言えば柔軟だし、悪く言えば節操がない、「長期プランがない出たとこ勝負」。
 長期的ビジョンというよりはその場の目先で動く傾向が強いと言えるでしょう。
 第二に松岡は結局反共主義者です。ソ連と組むことが利益なら組むがそうでないならすぐにでも攻撃したい。ドイツが攻撃した以上、ソ連は米英と手を組む可能性があるし、ドイツの快進撃*20を見るに日本もソ連に攻撃を仕掛ければソ連に勝てるんじゃないかと松岡は思い出すわけです。
 第三にそれでも松岡は「中国から日本軍撤退なんか出来ない」つう点ではほかの政治家、官僚同様「柔軟ではなく」、そのための手段として三国同盟にこだわった点でも柔軟ではなかったわけです。

 日独伊三国同盟の前提が崩れた以上、これを破棄してアメリカと交渉するしか道はない。
 近衛はそう考え、内閣書記官長の富田健治*21三国同盟破棄の根拠を書かせて陸・海・外相と内大臣に提示した。
 内大臣木戸幸一*22は賛成した。
 外相の松岡洋右は反対し、この際ソ連を攻撃しようと言い出した。
 陸海軍上層部も反対で、むしろ南部仏印に進駐*23すべきだと主張した。
 以後、6月25日から連日開かれた大本営政府連絡懇談会は、松岡の北進論と陸海軍の南進論とが対立、激しい議論の応酬となる。松岡も軍部もドイツの快進撃に目がくらみ、ドイツの圧勝を前提として国策を立てようとしたのだ。近衛の同盟破棄論は、まったく問題にされなかった。

 確かにドイツの快進撃(フランス、オランダを降伏させ、緒戦ではソ連、英国を圧倒*24)に目もくらんでいるわけですが、一方で「蒋介石なんざいずれ降伏する」「日本軍がどんどん中国に攻め込んで既成事実をつくればアメリカはどうせ蒋介石を見捨てる。日本への制裁も辞める(今クルドを見捨てて米軍をシリアから撤退させ、トルコの攻撃を招いてると非難されてるトランプのように)」つう「中国や米国」についての甘い認識もあったわけです。
 それにしても「ドイツの快進撃」に「ドイツがいれば米国など怖くない」と「都合のいい想像で暴走する松岡や軍部」はまだわかります(支持するではない)。
 ホワイト国除外で「韓国がすぐに頭を下げるはず」と甘い認識をしたあげく、その予想が外れても、今に至るまで韓国敵視を辞めない安倍政権の異常さは俺にとっては論外ですね。安倍ははっきり言って戦前軍部以下、松岡以下のバカだと思います。

 激論の末、「自存自衛ノ基礎ヲ確立スル為南方進出ノ歩ヲ進メ」るとして、南進論に軍配が上がる。近衛は、松岡が主張する対ソ戦を回避するため、当時は開戦の危険が少ないとみられた南進論を了承したのだろう。「目的達成ノ為対英米戦ヲ辞セス」との文言も盛り込まれたが、虚勢を張っただけ*25で、本気で英米を敵に回そうとは思っていなかった(※2)。

 いやー「客観的にも近衛の主観的にも」開戦の危険性が北進論に比べて少ないなんて事は全くないでしょうね。南方の資源をほしがる軍部の圧力に押し切られた、それだけの話でしょう。
 そして「米国領フィリピンだの英国領マレーシアだの」に攻め込むのならともかく仏印進駐という火事場泥棒行為なら「ソ連侵攻よりハードルは低い」わけです。
 もちろん「仏印進駐を米国が容認しなければ」対米戦の可能性が高まりますが、「それはそのとき考えればいい」「すぐに戦争が始まる話じゃないから」「仏印の資源が手に入って国益だ」位の脳天気だったんじゃないか。

 結論をいえば、南進すなわち南部仏印への進駐により英米との亀裂は修復不能になる。近衛にも陸海軍にも、急速に高まる開戦の足音が聞こえていなかったのだ。
 昭和天皇には聞こえていた。この時期、参内した陸海軍首脳に南部仏印進駐で新たな危機が生じないかを繰り返したずね、進駐にあたり武力を行使しないよう注意している。
 だが、軍部の反応は鈍かった。
 7月7日《(昭和天皇は南部仏印進駐について参謀総長に)英国の対抗行為の有無、及び無血進駐*26の見通しにつき御下問になる。参謀総長より、(中略)英国の動きは威嚇に過ぎず、手を出すとは判断していないこと、無血平和進駐は保証できないものの、大きな支障はなく進駐できると考える旨の奉答を受けられる》(昭和天皇実録29巻8頁)
 危うい楽観論だ。昭和天皇の懸念に対する、この見通しの甘さが、日本を破滅へと追い込んでいく

 「お前、どんだけ昭和天皇にに甘いんだ、産経」「昭和天皇国家元首で軍最高司令官なんだぞ。近衛首相や東条*27陸軍大臣、及川*28海軍大臣、杉山*29参謀総長、永野*30軍令部総長といった部下が悪いですむ問題じゃねえだろ」て話です。勿論昭和天皇にだってそんな「開戦の足音」なんか聞こえてはいません。
 ただ彼だって、バカじゃないので、さすがに「仏印進駐すると米英との関係がやばいんじゃないか」「現地フランス軍と戦闘になったらまずいんじゃないか」くらいのことはわかる。
 だから軍に「大丈夫だとは思うが、お前ら、英米との外交関係はきちんと考えてるだろうな。何も考えないで俺に『南部仏印に進駐したいんです』なんて報告してねえだろうな。軍事大国である英米との関係が悪化して開戦の危険性とか俺は希望してねえから」「そもそもマレーシアの英国軍やインドシナ進駐フランス軍仏印進駐を実力で阻止しようとする危険性はないのか。それに対して日本が戦闘するとか、事を大事にすることは俺は希望してないから。無血進駐*31で頼む」とダメ押しした。ここで軍がしどろもどろになったら、さすがに昭和天皇も「そんなんで進駐が認められるか!」と突っ返してたでしょう。
 ところが認識が甘いとは言え、軍は「インドシナ進駐フランス軍も英国も妨害しないし、米国も経済制裁しない*32と思います」「そういうことはちゃんと考えてますから心配しないで下さい」といってきた。この時点では軍などの影響でおそらく楽観論だった昭和天皇は「あれだけはっきりと大丈夫と言うんだから大丈夫だろう」とこれまた楽観論でOKするわけです。

(※2) ソ連の敗北にも備え、満州に大軍を集結する関東軍特種演習(関特演)の実施も決定した

 もう当時の日本は「機会主義」「便乗主義」で完全に腰がぐらついてるわけです。
 「南方の資源がほしいから南に行こう。北に行っても大して資源なんかない。でも英米とがちでケンカしたくないから反発の少なそうな仏印進駐にしよう。でももしかしたらドイツの快進撃でソ連がやばくなるかもしれないからそれに備えていざというときに関東軍ソ連に攻め込めるようにもしておこう。そうすればソ連を打倒できる」
 英米ソ連、どこも大国なので戦争したくないが、英米ソ連に勝てそうなら戦争しよう。ひとまず仏印進駐なら簡単にできそうだからそれをやって資源を得ようつう話です。


【ビジネス解読】かんぽ不正販売、中途半端な民営化に問題あり(1/2ページ) - 産経ニュース
 「そういう問題じゃねえだろ」「アホか」ですね。
 「民営化それ自体の是非」や「民営化の進め方の是非」はともかく「完全民営化すれば不正がなくなる」なんてそんな馬鹿な話はないわけです。過去にいくらでも民間企業の不祥事はあるわけですからね。
 たとえば「デマ記事常習」の「民間企業」産経自体がそうですよねえ。あるいは昔で言えば「岡田三越(背任疑惑)」「リクルート(贈収賄)」、最近でいえば「ゴーン日産(背任疑惑)」や「裏金関電」などは民間企業の訳です。

*1:と言っても自宅敷地内ですが

*2:橋本内閣運輸相、自民党国対委員長(小渕、森総裁時代)、幹事長(森総裁時代)、選対委員長(福田、麻生総裁時代)など歴任

*3:第一次安倍、福田内閣沖縄・北方等担当相、第二次、第三次安倍内閣外相を経て自民党政調会長

*4:八日市市長、滋賀県知事を経て中央政界入り。新党さきがけ代表、細川内閣官房長官、村山内閣蔵相など歴任

*5:中曽根内閣防衛庁長官、宮沢内閣官房長官自民党政調会長(河野総裁時代)、幹事長(橋本総裁時代)を歴任

*6:中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長を歴任

*7:慰安婦や徴用工のこと。

*8:日本側のこと

*9:県外移設公約を反故にされた沖縄県民や、そのことで大臣を更迭された福島瑞穂氏、あるいは逆に狂信的安倍信者(荒木や島田)でもない限り、鳩山氏にそこまでの敵意はないでしょう。そして他の件はともかく「沖縄の件」については鳩山氏も「沖縄県民や福島氏などにどんなに非難されても仕方がない」とそれなりに覚悟してるんじゃないか。

*10:新党さきがけ代表幹事、細川内閣官房副長官民主党幹事長、首相など歴任

*11:外務省条約局長、事務次官、駐米大使、国際海洋法裁判所所長など歴任

*12:役職は答弁当時。現在は駐カンボジア大使。

*13:海軍省軍務局長、海軍航空本部長、海軍次官、第二次近衛内閣商工相、第三次近衛内閣外相、鈴木内閣軍需相など歴任

*14:海軍次官佐世保鎮守府司令長官、第三次近衛内閣商工相など歴任

*15:東京帝国大学教授(生理学)。第二次、第三次近衛、東条内閣で文相。戦後、戦犯指定を苦にして自殺

*16:戦前、農林次官、第二次、第三次、東条内閣農林相を歴任。戦後、公職追放されるがいわゆる逆コースでの追放解除後、政界入り。岸内閣で法相。

*17:大阪商船社長、第二次、第三次近衛内閣逓信相を歴任

*18:満鉄総裁、第二次近衛内閣外相など歴任。戦後、戦犯として裁判中に病死。後に靖国に合祀

*19:貴族院議長、首相を歴任。戦後、戦犯に指定されたことを苦にして自殺

*20:スターリンのナチドイツに対する油断と、その油断が助長した無茶苦茶なソ連軍粛清が悪影響だった。

*21:第二次、第三次近衛内閣書記官長

*22:第一次近衛内閣文相、厚生相、平沼内閣内務相、内大臣を歴任。戦後終身刑判決を受けるが後に仮釈放

*23:ドイツがフランスを降伏させた火事場泥棒で、南部仏印を日本のものにしよう、米国は多分黙認すると思うが(勿論黙認どころか制裁が発動されましたが)、何か日本に米国が仕掛けるつもりなら三国同盟で対抗しよう、つうのが軍の主張です。

*24:まあ真面目に考えれば「二正面作戦」つうのはすごく危険なので「ヒトラーって軍事音痴と違うのか」つう恐怖感が日本側にあってもいいと思うんですけどね。スターリンが「ドイツは攻めてこない」と油断していた理由の一つは「英国を打倒できないのにソ連まで敵に回したら戦争遂行がかえって苦しくなるから」ですし。

*25:本当に虚勢なのかは非常に疑問符がつくと思います。実際に英米相手に戦争してるわけですから。

*26:現地フランス軍や英国軍が日本と戦闘しないかという話です。

*27:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*28:海軍航空本部長、横須賀鎮守府司令長官、第二次、第三次近衛内閣海軍大臣軍令部総長など歴任。

*29:参謀次長、陸軍教育総監、林、第一次近衛、小磯内閣陸軍大臣、北支那方面軍司令官、参謀総長を歴任。戦後自決。

*30:横須賀鎮守府司令長官、広田内閣海軍大臣連合艦隊司令長官軍令部総長など歴任。戦後、戦犯として裁判中に病死。後に靖国に合祀

*31:無血と言ったところで軍事力で恫喝はするわけですが。

*32:確かに英国やフランス軍の妨害などはなかったですが、米国の制裁は勿論ありました。