黒坂真に突っ込む(2019年10月17日分)(追記あり)

■黒坂ツイートにコメント

黒坂真
‏ 中野顕さん。日本共産党は現在のイスラエルの領土を、ユダヤ人の植民地である、という見解ではないかと存じます。

 「はあ?」ですね。そんなことと「日本の植民地(朝鮮、台湾など)支配への評価」と何の関係があるのか。
 かつ日本共産党は「イスラエル国家否定論ではない(イスラエル国家自体は一応認める)」とはいえ「国連総会でも批判されてるイスラエルによるゴラン高原などの支配」は批判してますし、イスラエルパレスチナ政策も批判しています。イスラエルの現状を容認してるわけでは全くない。と言うかイスラエルの現状を何一つ批判せず容認してるのはイスラエルロビーが国内政界を牛耳る米国ぐらいだと思いますが。
 つうかこんな黒坂の物言いを一番迷惑に思うのはおそらくイスラエル関係者でしょう。「イスラエルの現状の是非」と「戦前日本の植民地支配の是非」と何一つ関係ないからです。

黒坂真
 日本共産党本部の皆さん。中国共産党尖閣に侵攻してきたら、皆さんは自衛隊が防衛出動し人民軍と交戦する事を認めるのでしょうか。認めるなら、人民軍の攻撃力に対抗できる軍事力を保有する事に賛成するべきです。戦闘機大量購入は勿論、巡航ミサイル弾道ミサイル大量保有と空母保有に賛成すべき。

 冗談も大概にしてほしいですね。そもそも安倍が「来年春の習近平主席訪日」をお膳立てしてることで分かるように、そんな侵攻は極右・安倍政権ですら想定してないでしょう。まあ、仮に「尖閣防衛」を考えるにせよ安倍の軍拡など容認されるものではありませんが(ただしその安倍ですら「巡航ミサイル弾道ミサイル大量保有(黒坂)」なんて事は主張しない)。

黒坂真
 日本共産党や左翼歴史学者は、伊藤博文*1殺害犯をどう考えているのでしょうね。

 菅官房長官のように安重根(黒坂の言う伊藤暗殺犯)に対し「テロリスト」と悪口したいようです。当時の韓国において合法的活動が弾圧されていたことを無視して、しかも「韓国を侵略した側」がそんな悪口をするのは非常識かつ無礼でしかありません。
 当然ながら日本共産党や韓国民が安重根に理解を示したからと言って「日本共産党や韓国政府は暗殺を今も政治手段として容認している」つう話ではない。安重根を評価するからと言って「張作霖暗殺(関東軍)」「トロツキー暗殺(スターリンソ連)」「金正男暗殺(北朝鮮?)」など「他の政治的暗殺」が当然に容認されるわけでもない。当然ながら時代背景が全然違うからです。
 大体そんなことを言うなら黒坂は

・井伊大老暗殺犯である水戸浪士
吉田東洋暗殺犯である武市半平太(黒幕)や岡田以蔵(直接の実行犯の一人。薩摩藩田中新兵衛中村半次郎(後の桐野利秋)、熊本藩河上彦斎*2らとともに幕末を代表する人斬り、暗殺者として恐れられた)
京都所司代襲撃を計画したため、島津久光によって粛清された薩摩藩士・有馬新七
蛤御門の変を起こし、幕府軍に敗れて自決した長州藩士・久坂玄瑞

などといった「テロリスト」が「明治維新の功労者」として靖国神社(水戸浪士、武市、有馬、久坂)や護国神社(岡田)に合祀されてることをどう思うのか。
 江戸幕府を挑発し、倒幕の口実を作るために配下に江戸で御用盗をやらせたり、下野後、西南戦争を起こした「テロリスト」西郷隆盛*3が未だに鹿児島や日本において英雄視されてることはどう思うのか。
 安が伊藤暗殺の理由の一つとした「第二次伊藤内閣での閔妃暗殺事件(それが正しい認識かどうかはともかく安は暗殺当時の首相・伊藤を暗殺の黒幕と見なした。そして伊藤が黒幕がどうかはともかく実行犯が当時の駐韓日本公使・三浦梧楼であること、三浦を伊藤ら日本政府が犯行後かばったこと*4は事実です)」をどう思うのか。
 ついでに言えば伊藤博文自身が

伊藤博文ウィキペディア参照)
 文久2年(1862年)には公武合体論を主張する長州藩家老・長井雅楽*5の暗殺を画策。12月に高杉晋作久坂玄瑞らの品川御殿山の英国公使館焼き討ちに参加。山尾庸三*6と共に塙忠宝・加藤甲次郎を暗殺。

■塙忠宝(文化4年(1808年)~文久2年(1863年)、ウィキペディア参照)
 江戸時代末期(幕末期)の国学者。『群書類従』の編纂で知られる国学者塙保己一の四男。
 文久2年(1862年)、江戸幕府老中安藤信正の命で、寛永以前の幕府による外国人待遇の式典について調査するも、孝明帝を廃位せしめるために「廃帝の典故」について調査しているとの誤った巷説が伝えられ、勤皇浪士達を刺激。幕臣・中坊陽之助邸(駿河台)で開かれた和歌の会から帰宅したところ、自宅兼和学講談所の前で知人の加藤甲次郎と共に、伊藤博文、山尾庸三に襲撃され、翌日死去した。
 渋沢栄一*7田中光*8シーボルトの長男アレクサンダー*9は伊藤本人からそうした話を聞いたという。講談師・初代伊藤痴遊がこの暗殺事件について伊藤本人に問いただしたところ、「我輩は、よく知らんよ」と伊藤は返したものの、痴遊は「然しその態度や口振りから考えて言外の意味は読むことが出来た」としている。
 忠宝の子・塙忠韶は明治維新後、政府から召しだされ大学少助教に任ぜられ、文部小助教、租税寮十二等出仕、修史局御用掛へと出世をした。旧幕臣でありながら異例の出世をしたことについて小説家の司馬遼太郎は、伊藤が後年自責の念から忠宝の子である忠韶を厚遇したのではないかと推測している。
 山尾は明治維新後、盲学校、聾学校の設置を主張する建白書を表すなど障害者教育に熱心に取り組み、楽善会訓盲院(後の東京盲唖学校)の運営にも深く関わっているが、明治9年(1876年)に設立認可が下りた日に因む同校の設立記念日である12月22日(新暦)は、忠宝の命日と同じ日付(旧暦)である。これは盲目の国学者として著名な塙保己一を父に持つ忠宝を殺害した事への贖罪意識の表れとも言われている。

という元テロリストです。

【追記】
 コメント欄で「10/26は伊藤博文が暗殺された日(1909年10/26)」とご教示を受けましたが、ウィキペディア「10月26日」によれば朴チョンヒが暗殺された日も「10/26(1979年10/26)」のようですね。韓国と関係のある人物(伊藤と朴)の暗殺された日が一緒とは面白い偶然があるものです。

*1:首相、枢密院議長、貴族院議長、韓国統監など歴任。元老の一人。

*2:佐久間象山暗殺で知られる

*3:明治新政府で参議、近衛都督、陸軍大将

*4:駐韓公使はさすがに解任されたものの結局、三浦の刑事責任は追及されす、その後も三浦は枢密顧問官などの要職を歴任。

*5:後に長州藩内の尊攘討幕派との権力闘争に敗れ切腹に追い込まれている。

*6:伊藤と同じ長州藩出身。工部卿、法制局長官、宮中顧問官など歴任

*7:実業家として、東京ガス東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)、王子製紙秩父セメント(現・太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道京阪電気鉄道東京証券取引所麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)、サッポロビール(現・サッポロホールディングス)、東洋紡績(現・東洋紡)、大日本製糖(現・大日本明治精糖)、澁澤倉庫など、多種多様な会社設立に関わりその功績を元に「日本資本主義の父」と称される。

*8:土佐藩出身。内閣書記官長、警視総監、学習院長、宮内大臣など歴任。

*9:幕末に在日英国公使館の通訳を務めた後、明治政府にお雇い外国人として40年間雇用された