三浦小太郎に突っ込む(2019年10月24日分)

「 戦中の教科書『初等科國史』に感動した 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト
戦時中の小学生が学び、GHQが廃止した歴史教科書、『初等科国史』復刻版刊行:時事ドットコム
GHQが葬り去った日本の正史、現代日本に再登場! 戦後の左翼史観が敗れ去ろうとしている今、国民再読の書『復刻版 初等科国史』:時事ドットコム
敗戦前の小学生はこんな日本史を学んでいた!『復刻版 初等科国史』出版記念講演会のお知らせ:時事ドットコム

「 戦中の教科書『初等科國史』に感動した 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト
・『なぜ秀吉はバテレンを追放したのか』(ハート出版)の著者、三浦小太郎氏から、同出版社の『復刻版 初等科國史』をいただいた。
・現在の日本の歴史教科書の多くは、読んで少しも楽しくない。それどころか我慢して読むほどに、日本が嫌いになるような記述で満ちている。対外的には中国や朝鮮半島で悪事を働き*1、国内において民を虐げた*2。民は圧政の下で苦しみ続けたという、暗く後ろ向きの内容が多い。
・『初等科國史』は右のような歪んだ歴史観の対極にある。日本国の基を定めた天照大神の下、日本はどんな国だったかが、こう書かれている。
 「(天照)大神は、高天原にいらっしゃいました。稲・麦等五穀を植え、蚕を飼い、糸をつむぎ、布を織ることなどをお教えになりました。春は機を織るおさの音ものどかに、秋は瑞穂の波が黄金のようにゆらいで、楽しいおだやかな日が続きました」
・「御代御代の天皇は、民草を子のようにおいつくしみになりました。国民もまた、親のようにおしたい申しました*3。こうした、なごやかさが続いている間に、日本の力は、若竹のようにずんずんのび」ていったのである。
 第16代仁徳天皇が高殿から村里の様子を御覧になり、民家から炊煙が立ちのぼらないのを見て、民の生活の苦しさを察し、3年間税を免除した話は余りにも有名だ。天皇は民と自身を一体としてとらえていた。
・『初等科國史』は、白鳥庫吉博士が昭和天皇の教科書として書いた『國史』同様、日本の歴史を歴代天皇を軸に書いている。
・三浦氏は国史のより深い理解のために、歴史学者平泉澄(きよし)の考えをざっと以下のように解説で引用している。
 日本の改革は、大化の改新建武の中興、明治維新、どれをとっても原動力は歴史の中から汲み上げた。一連の改革の根本精神は日本本来の姿に戻そうというものだ。

 そもそも教科書は娯楽読み物ではありません。楽しい、楽しくないという判断基準は明らかにおかしい。まあ、よしこの引用する記述(皇室万歳など)が楽しいとは俺は思いませんが。
 なお、仁徳天皇の話は明らかに「天皇美化のための、後世の創作(虚構、嘘八百)」でしょう。こんなもんを褒め称えるよしこのようなウヨが「北朝鮮の建国神話には金日成美化のための粉飾がある」などというのは「笑えない冗談」です。

戦時中の小学生が学び、GHQが廃止した歴史教科書、『初等科国史』復刻版刊行:時事ドットコム
東京大学名誉教授 矢作直樹氏*4推薦*5「とても読みやすく、挿絵もすばらしい。現代人にとっても、私たちの先祖の息吹が感じられることと思います」
 今、百田尚樹氏の『日本国紀』や、竹田恒泰氏の『中学歴史 平成30年度文部科学省検定不合格教科書*6』など、保守*7言論人による我が国の通史、歴史教科書が人気を集めている*8。敗戦後、我が国の歴史教科書はGHQによって全面的に改められ、近年では近隣諸国にその内容を配慮するような状況にまでなっている。そういう状況に憤っていた多くの人たちが、理不尽な力で変容していない、まともな通史を渇望していた、というのが、その人気の背景にあるのだろう。
 本書を手にしたとき、まず伝わってくるのは、当時の教育水準の驚くべき高さである。情報の量も多く、今の小学生の歴史教科書と見比べると、その差は歴然としている*9
忠臣蔵曾我兄弟の仇討ち*10、鎌倉権五郎景正*11の活躍など、当時の子供がよく知っている逸話*12も盛り込まれている。子供たちは、講談を聞くかのように、目を輝かせて授業を受けていたのだろう。

GHQが葬り去った日本の正史、現代日本に再登場! 戦後の左翼史観が敗れ去ろうとしている今、国民再読の書『復刻版 初等科国史』:時事ドットコム宮崎正弘
楠木正成親子の桜井の別れの名場面は浪曲的に描かれる*13
・信長が尊皇家で明智光秀が逆賊という評価は短絡的すぎ*14
南朝史観に貫かれて、足利尊氏が悪党と決めつけられているあたりは戦前教科書の限界だったのだろう。近年の歴史学*15は尊氏も立派な尊皇家だったことが立証されているが、これらの歴史論争は、本稿では置く。
・鳥羽伏見の役の評価となると俄然、薩長史観が露呈し、松平容保への評価は低すぎる*16
西南の役はたったの一行である*17
・GHQがなぜ、この教科書に墨を塗らせ、あげくに回収し、世の中から抹殺したのか。戦後、まったく逆の史観を強要したのか。
 この教科書が放った爆発的な精神のパワー、パトスの固まりが当時の日本人を突き動かし、一億玉砕を謳い、国民全員が火の玉のような武士道精神に燃えたぎっていたからだ。
 GHQは怖れ戦き震えた。
 日本人のこの精神を根底的に消滅させ、アメリカに従わせるためには、歴史の否定しかない。日本人の洗脳工作の一環として、間違った歴史、改竄された日本史が強要され、「大東亜戦争」は「太平洋戦争」となり、国民の英雄たちは、貶められた。日本精神は深く傷つけられた。

 三浦も本当に「歴史修正主義極右だな」と改めて心底呆れます。


月刊Hanada12月号に拙稿「三島由紀夫の『天皇論』再考」が掲載されます | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
 月刊ハナダなんてウヨ雑誌に良く寄稿できるもんです。

 三島の最期のインタビュー(自決1週間前)の言葉は、賛否を越えて読むに値するものだと思います。

 「はあ?」ですね。何一つ評価する価値がないという「完全な否」の立場に立てば「読む価値などない」わけですが。


中国で日本人大学教授が「スパイ罪」で逮捕 | 三浦小太郎BLOG Blue Moon

 この教授についての詳しい情報はまだ出ていませんが、はっきり言っておきます。中国政府こそ、日本にスパイを送り込んでいるし、また、一番卑怯な形で日本国内にスパイを作り出そうとしていますよ。

 言ってることがまるきり意味不明ですね。問題は「この教授がスパイ行為をしていたかどうか」であってスパイ行為をしていたのなら処罰は当然でしょう。
 まずは「スパイ行為をしていたというならその根拠を出してほしい」「出せないのなら釈放すべきではないか」と中国側に要望すべきであってそれ以外のことは「教授の釈放を目指す」と言う意味では無意味で馬鹿げた愚行でしかありません。

 昨日の集会でウイグル弾圧の実態を訴えた在日ウイグル人のアフメットさんは、2017年以後、故郷の家族とまったく連絡が取れません。電話も、メールも、何も通じない状態です。おそらく収容所に入れられたのでしょう。そして彼の所に、中国人の「地元公安当局」を名乗る人から電話がかかってきました*18
 内容は「日本のウイグルの組織に直接参加しないにせよ、状況は把握しているはずだ。我が国の立場に立って協力してくれれば、家族の問題はすぐに解決できる。私の言っている意味が分かりますよね?」というものでした。
 家族を人質にとって、日本国内のウイグル人の情報を流させる、これってスパイ行為の薦め以外の何ものでもありません。なぜ私はしつこくスパイ防止法が必要だと言っているのは、日本国の国益や国民を守るだけではないんです。隣国にこういうことをさせないためでもあります。

 マジレスするのもバカバカしいですが、ここで三浦が書いてることは完全なデマです。
 なぜかと言えば「中曽根*19内閣スパイ防止法案」にせよ、三浦らウヨが制定を求めるスパイ防止法にせよ、その対象は「国家機密に対するスパイ行為」であって民間団体(勿論ウイグル団体に限らない)に対するスパイ行為*20ではないからです。
 スパイ防止法は何ら「隣国にこういうことをさせない」ことには役立ちません。
 なお、「国家機密漏洩」は現在でも国家公務員法違反ですし、正直、スパイ防止法の必要性などどこにもないでしょう。

*1:それ、明治維新(近代)以降の話でしょうよ。前近代においては「遣唐使」「朝鮮通信使」のような平和的交流の歴史もあったわけです。

*2:基本的に「民主主義国家」が誕生する前はどこの国でも大なり小なり「権力者が民を虐げていた」わけです。何も日本が教科書において不当におとしめられてるわけでもない。

*3:明らかに事実ではない「天皇美化の与太」です。

*4:2016年、参議院議員通常選挙に「日本のこころ」から比例区で出馬するが落選。著書『天皇と日本人:アメリカ70年の呪縛を祓う』(共著、2013年、毎日ワンズ)、『天皇の祈りが世界を動かす:「平成玉音放送」の真実』(2017年、扶桑社新書)など。

*5:矢作は医学部教授(歴史素人)なのでその推薦には何の意味もありません。

*6:極右・安倍政権下において不合格とはよほど非常識な代物なのでしょう。

*7:勿論、百田、竹田、三浦と言った連中は「歴史修正主義デマ極右」であって「まともな保守(例:河野洋平衆院議長、福田康夫元首相)」ではありません。

*8:もちろん日本会議などウヨが組織購入してるだけの話です。

*9:当たり前ですがむやみやたらに量を多くしても意味がありません。かつ「量の多さ」は必ずしも「質の高さ」を意味しません。

*10:1193年6月28日、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我祐成、時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件。赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ち(鍵屋の辻の決闘、1634年12月26日に渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟の仇である河合又五郎伊賀国上野の鍵屋の辻(現三重県伊賀市小田町)で討った事件)に並ぶ、日本三大仇討ちの一つである。この事件は後に能・浄瑠璃・歌舞伎・浮世絵などの題材に取り上げられ、民衆の人気を得た(ウィキペディア曾我兄弟の仇討ち」参照)。

*11:平安時代の武将。後三年の役(1083~1087年)に従軍した景正が、右目を射られながらも奮闘した逸話が「奥州後三年記」に残されている。なお1895年(明治28年)に九代目市川團十郎によって現行の型が完成された『歌舞伎十八番之内 暫』では、それまでは単に「暫」とだけ通称されていた主役が「鎌倉権五郎景政」と定められている。ただし実在の鎌倉景政からはその名を借りるのみであることは言うまでもない(ウィキペディア「鎌倉景正」参照)。

*12:「それ歴史学じゃねえだろ」て話です。

*13:「それ歴史学じゃねえだろ」て話です(そもそも「桜井の別れ」は「正成美化」のための後世の創作という見方が有力)。よくもまあこんな連中が北朝鮮金日成美化を「歴史学的に正しいか疑問」などとほざけるもんです

*14:なぜこのようなことを宮崎が言うかと言えば、宮崎は「信長は天皇権威に挑戦しようとしており、そのため尊皇家の光秀が逆賊信長を討った」と理解しているからです。ウィキペディア本能寺の変」などによるとこうした信長暗殺・朝廷黒幕説に立つのが、立花京子『信長権力と朝廷』(岩田書院)や岩田説に依拠した安部龍太郎の小説『信長燃ゆ』(新潮文庫)です(ただし岩田はともかく安部は「家康影武者説(家康は関ヶ原合戦で死亡し、合戦以降の家康は影武者)」にたつ隆慶一郎影武者徳川家康』(新潮文庫)同様、本気でこうした説を信じてるわけではないでしょうが。)。ただし、学界通説は1)「光秀がそのように周囲に動機を語った」「朝廷が信長の死を喜んだ(むしろ、朝廷の将来に不安を感じ悲しんだというのが通説)」など、そのように理解する根拠がない、2)そのように理解するといろいろと矛盾が生じる(たとえばそれが事実ならなぜ、光秀は信長暗殺後「朝廷に徒なす逆賊・信長を討った」と主張し自己正当化を図らなかったのか)、3)むしろ朝廷と信長の関係は良好だったとみるべき、として朝廷黒幕説を否定します(通説ではそもそも光秀単独犯行で「光秀の部下以外には」いわゆる黒幕や共犯者はいない)。

*15:こんなことをウヨの宮崎が言うとは意外ですが「近年の歴史学」とは具体的に誰の研究成果でしょうか?

*16:こんなことをウヨの宮崎が言うとは意外です。

*17:どう言い訳しようと反乱(犯罪)ですから戦前ならそうなるでしょうね。戦前は「反乱は犯罪行為だと言うことはひとまずおいて、なぜ西郷は西南戦争を起こしたのか、考えてみましょう」つう時代ではないでしょう。

*18:もちろんこの「アフメット」とやらの主張が事実だという根拠は何一つありません。真偽を判定する根拠がないので「ウソだ」とは言いませんがデマ右翼の三浦とつるんで恥じないような人間を鵜呑みにするほど、俺もお人好しではありません。

*19:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*20:勿論民間団体に対するスパイ行為も多くは「住居不法侵入」「窃盗」「営業妨害」など何らかの刑事処罰が可能な場合が多いだろうと思います。また三浦の挙げた例には「強要罪」がおそらく成立します。