高世仁に突っ込む(2019年10月30日分)

日本に裸婦像が乱立したわけ2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 高世仁に突っ込む(2019年9/29、30分) - bogus-simotukareのブログで取り上げた日本に裸婦像が乱立したわけ1 - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。

・ファンだった方の訃報。
 八千草薫(享年88)。若いころ、こんなにきれいな人がこの世にいるのかと思った。山田洋次監督(88)がきのう、東京国際映画祭の舞台あいさつで「僕たちの世代の日本人にとって、若い時からあこがれの人でした」と語ったが、「あこがれ」は私の感覚にもぴったりする表現だ。
・5月、同じく大女優、京マチ子(享年95)が亡くなったのもショックだったし感慨深かった。
八千草薫が「お嫁さんにしたい女優」ナンバーワンだとすれば、京マチ子は恋人にしたい女優かな。

 まあ八千草薫がそうした「清楚なイメージ」なのに対し、京マチ子は「妖艶」て感じですかね。しかし八千草薫でこんなに騒がれるのなら「野球界の王、長島」的存在の「吉永小百合(1945年生まれ)」が「亡くなったらどんだけ騒がれるのか(高世も記事で触れる?)」つう気はします。

 どちらも「男はつらいよ」に出ている。

ウィキペディアなどに寄れば八千草、京の出演作品は

男はつらいよ 寅次郎夢枕(ウィキペディア参照)
 1972年に公開された「男はつらいよ」シリーズの10作目。
■あらすじ
 寅次郎が旅先から帰ると、幼馴染の千代(八千草薫)が美容院を開業していた。「お千代さん」と再会した寅次郎は、たちまち恋愛感情を抱くようになり、暇を見つけては千代との逢瀬を楽しんだ。ところが、例によって寅次郎と入れ替わりにとらやの間借り人となった東京大学素粒子物理学専攻の助教授(御前様の甥)(米倉斉加年)も密かに「お千代さん」に好意を抱いていたことが発覚。話はどんどんややこしくなっていく。「私、寅ちゃんとなら一緒に暮らしてもいい」と寅次郎は千代にプロポーズされるが・・・。

寅さん全48作品解説/第10作『男はつらいよ寅次郎夢枕』 - 寅さんとわたし
第8作『寅次郎恋歌』では、フラれる前に自ら身を引く”フラれない寅さん”という新しいパターンが確立された。
 本作『寅次郎夢枕』でも、寅さんの恋の顛末に新たなバリエーションが生まれる。”フラれない”どころか、”マドンナをフる寅さん”がいよいよ誕生するのだ。シリーズのお約束ごとを踏まえながらも、寅さん映画に新風をもたらさんとする山田洋次血の滲むような努力の跡がうかがえる。
・見どころはなんといっても、寅さんがマドンナをフってしまうクライマックスシーンだ。
・マドンナお千代に惚れてしまう、大学教授・岡倉先生(米倉斉加年)をいじめ倒すいじわる寅さんも見どころ。

男はつらいよ 寅次郎純情詩集(ウィキペディア参照)
 1976年に公開された「男はつらいよ」シリーズの18作目。マドンナ役の京マチ子1924年生まれ)はマドンナの中では唯一渥美清(1928年生まれ)より年上である。
■あらすじ
 旅先からふらりと帰ってきた寅次郎は、さくら(倍賞千恵子)の一人息子である満男の小学校の担任教師、雅子先生(檀ふみ)、長い病院生活を終えて退院した雅子先生の母・綾(京マチ子)と出会う。そして周囲の心配通り寅次郎は綾にゾッコンになるのであった。だがある日、さくらは雅子から母は余命僅かであると知らされ愕然とする。

寅さん全48作品解説/第18作『男はつらいよ寅次郎純情詩集』 - 寅さんとわたし
・シリーズ唯一マドンナが亡くなってしまう悲劇的作品。
・マドンナ綾(京マチ子)は、かつて隆盛をほこった一族の令嬢。破産寸前の一族のために望まない結婚を強いられ、あげく晩年には不治の病に冒されるという悲運の女性である。
・彼女が余命幾ばくもないことを知るのは、マドンナの娘・雅子(檀ふみ)とさくらの二人のみ。寅次郎はもちろん、本人ですら明示的にはそのことを知らない。とらやでの団欒シーンに顕著だが、マドンナの命の限りを知る者と、何も知らず無邪気に振る舞う者たちの対比により、今を生きることの尊さを鮮やかに描き出す脚本・演出は見事としかいいようがない。
・死期を悟ったマドンナの「人はなぜ死ぬの?」という根源的な問いかけには、全身全霊をかけた道化を演じ、綾に最後の安らぎと笑顔をもたらす。やがて綾を喪ったあと、いつかみんなで語り合った「綾が元気になったらどんなお店を開くのがいいか?」という夢のつづきを、ひとり考え続けていたことを告白するシーンは実に涙を誘う。さくらの涙ぐむ表情と、冬の長い陽につつまれた青空が印象的なこのシーンは息を呑むほどに美しい。
 人の死を扱う作品でありながら死の瞬間をあえて省略し、残された人々に焦点を当てることで、喪失にともなう悔恨と人を想う心の美しさを描き出すことに成功している本作。
山田洋次の演出力が極みに達した作品のひとつといえるだろう。

東大の入試問題にも登場した「寅さんの名言」 - 寅さんとわたし
 東京大学の国語入試問題に、『男はつらいよ』寅さんのセリフが問題文として登場したことがある。
 書籍『東大入試 至高の国語「第二問」』は、東京大学の国語入試問題の中でも、とりわけ難易度が高いとされている第二問目の過去問題を取り上げ、東大が求める人物像について考察する本。
 さっそくこの本から、寅さんの名言が問題文に使用された、1992年の国語入試問題を引用してみよう。
【問題】 次のア・イ・ウは、同じ主人公が登場するシリーズものの映画のセリフである。ア・イ・ウのいずれかを選び、それを手掛かりとして、感じたこと、考えたことを、160字以上200字以内で記せ。
【ア】略
【イ】
「寅さん、人はなぜ死ぬのでしょうねえ」
「人間?。そうねえ、まァ、なんて言うかな、結局あれじゃないですかね、人間が、いつまでも生きていると、陸の上がね、人間ばかりになっちゃう、うじゃうじゃうじゃうじゃメンセキが決まっているから、みんなでもって、こうやって満員になって押しくらマンジュウしているうちに、足の置く場がなくなっちゃって、隅っこに居るやつが、アアなんて海の中へ、パチャンと落っこって、アップ、アップして『助けてくれ!助けてくれ!』なんてね、死んじゃう。そういうことになってるんじゃないですか、昔から。そういうことは深く考えないほうがいいですよ」
【ウ】略
・セリフ【イ】=第18作『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』
 自らの死期を悟ったマドンナ綾が、死の不条理について寅さんにこぼすシーンから。寅さんには「死」という根源的な問いに対して、哲学的な回答を返せるほどの学がない。しかし、学が無い分、全身全霊で道化を演じることによって精一杯の慰めを綾に捧げる。マドンナ綾は、そんな寅さんの飾らない言葉に深い癒しを得て、余命幾許もないわずかな日々に、生まれてはじめて愛の喜びを得ることになるのである。

だそうです。まあ「男はつらいよ」には沢山の美人人気女優がでていますので不思議ではありません(とはいえ作品中に「成人の娘(檀ふみ)が登場するマドンナ(京マチ子)」つうのは珍しいかもしれない)。

 3人のすごい女性たちのご冥福を祈ります。

 スゴイ女性たちと言っても「京マチ子*1(5/12死去)」「八千草薫*2(10/24死去)」「緒方貞子*3(10/29死去)」(以上、死去順に記載)では全然性格が違いますが。
 ちなみにこの機会にウィキペディア「訃報・2019年」を見ましたが女性著名人(俺が知ってる方など*4)では他に

【敬称略】
■1/5死去:兼高かおる(1928~2019年、旅行ライター)
 1959年から1990年まで『兼高かおる世界の旅』(TBS系)でナレーター、ディレクター兼プロデューサーを行う。
■1/12死去:市原悦子(1936~2019年、女優)
 1975年に始まったTBSのテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』(1975~1994年)では、すべての登場人物の声を常田富士男(1937~2018年、俳優、声優)と2人のみで長年演じ続けて親しまれた。1983年からはテレビ朝日のテレビドラマ『家政婦は見た!』(1983~2018年、全26作)に主演し、四半世紀以上に渡って演じ続ける当たり役となる。土曜ワイド劇場を代表する高視聴率の人気シリーズとなった。1990年、映画『黒い雨』の演技により日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。
■2/11死去:田中美智子(1922~2019年、元・日本共産党衆院議員*5
■2/28死去:花柳幻舟(1941~2019年、華道家元、女優)
■3/26死去:白石冬美(1936~2019年、女優、声優)
 TBSラジオの深夜放送番組『パックインミュージック』においては、1967年から野沢那智(1938~2010年、俳優、声優)とのコンビでパーソナリティーを務め、『ナチ・チャコパック』と呼ばれ、15年間のロングランを記録した。
■6/6死去:田辺聖子(1928~2019年、作家)
 1964年に『感傷旅行』で芥川賞を受賞。
■6/10死去:李姫鎬(1922~2019年、金大中大統領夫人)
■8/8死去:安武洋子(1928~2019年、元・日本共産党衆院議員)

が2019年になくなっています。

参考

きょうの潮流 2019年4月10日(水)
 何かしら熱気のようなものが、ひしひしと押し寄せてくる。共同のたたかいの先頭に立っている責任と喜びが体中を走るような気がした
▼無所属の革新共同として衆院議員を5期務めた田中美智子さんが最初の選挙に臨んだときでした。当時はまれだった女性の大学助教*6の職を辞し、幅ひろい人々に請われて出馬。想像をはるかに超えた力が結集し、奇跡の大勝利をつかみました(『女は度胸』*7
(中略)
▼今年2月に96歳で亡くなった田中さんは共同の力で得た議員バッジの重みを語っていました。

 《緒方さんが生涯でもっとも力を発揮し、また輝いたのは、やはり国連難民高等弁務官時代(1991~2000年)だと思う。(後略)》(産経新聞
 この記事を書いた産経の千野境子*8論説委員はマニラで私と同時期に特派員だった。

 訃報記事を「朝日、読売、毎日、日経などではなく」わざわざ産経から引っ張ってくるとは高世と産経・千野氏は親しい間柄なんですかね。そして高世が今、救う会とズブズブであることを考えると「今の高世って名実ともにウヨなんだろうなあ」とは思います。

 もう1ヶ月も前に「日本に裸婦像が乱立したわけ1」を書いて「つづく」で終っていたが、その続きをほっぽっていた。すみません。

といっても今回付け加わった文(完結編?)は

 これから街でいろんな像を見かけたら、もっと注意して観察してみよう。

と言う程度の代物で、俺個人の感想ではたいしたことが加わってるわけではありません。むしろ「前振りのはず」の「スゴイ女性3人」云々の方が分量的に多い(苦笑)。

*1:1924~2019年。溝口健二監督作品『雨月物語』(1953年)、黒澤明監督作品『羅生門』(1950年)、衣笠貞之助監督作品『地獄門』(1953年)など、主演作が海外の映画祭で次々と受賞し一時「グランプリ女優」と呼ばれた。2006年の舞台まで活動を続けたが、その後は引退状態であった(ウィキペディア京マチ子」参照)。

*2:1931~2019年

*3:上智大学名誉教授。国連難民高等弁務官、国連アフガニスタン支援政府特別代表、JICA(国際協力機構)理事長など歴任。著書『紛争と難民:緒方貞子の回想』(2006年、集英社)、『満州事変』(2011年、岩波現代文庫)など(ウィキペディア緒方貞子」参照)

*4:正直、田中氏、安武氏についてはよく知りませんが共産党支持者を自称(?)する人間として紹介しておきます。

*5:なお6/24には元・日本共産党衆議院議員松本善明氏(1926~2019年)が死去されています。

*6:当時、日本福祉大学助教

*7:1989年、学習の友社

*8:1944年生まれ。産経マニラ支局長、ニューヨーク支局長、シンガポール支局長、論説委員長などを歴任。現在は産経客員論説委員。著書『ペルー遙かな道:フジモリ大統領の母』(1995年、中公文庫)、『インドネシア9.30クーデターの謎を解く』(2013年、草思社)、『日本はASEANとどう付き合うか』(2015年、草思社)など(ウィキペディア「千野境子」参照)。