今日の産経ニュース(2019年11月17日分)(注:戸板康二『団十郎切腹事件』のネタバレがあります)

【日曜に書く】論説顧問・斎藤勉 サハロフ没後30年と壁崩壊(1/2ページ) - 産経ニュース

 プーチン政権はボンネル夫人の予言通り、「ネオ(新)スターリニズム」の強権国家となり、新生KGBもとうに復活した。

 プーチンロシアは共産国ではないので「スターリニズムとはどういうこと?」ですね。批判は適切な形ですべきです。
 非共産国スターリニズム呼ばわりすることが適切とは俺は思いませんね。


【日本語メモ】元号切り替えは要注意 - 産経ニュース

(1)哀訴状は明治元(1868)年3月7日に届いた。
 例文は、徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜が江戸攻撃中止を求めた文書に関する記事から作成しました。明治元年は1868年9月8日からなので、3月なら「慶応4年」となります。
(正解例)哀訴状は慶応4(1868)年3月7日に届いた。

 これが元号の不便な点ですね。なお、戸板康二*1直木賞を受賞した『団十郎切腹事件』のネタがこの「元号の途中変更」です(かなり以前、斜め読みしただけで、別に戸板ファンでもないのですが)。

第6692回「新潮版・昭和ミステリー大全集 第26話 團十郎切腹事件 戸板康二、ネタバレ」 | 新稀少堂日記
・第6692回は、「新潮版・昭和ミステリー大全集 第26話 團十郎切腹事件 戸板康二(やすじ)、ストーリー、ネタバレ」(昭和34年)です。
・この事件は、八代目市川團十郎の実際にあった切腹に題材を取っており、歴史ミステリになっています。
ストーリーの紹介にあたりましては、便宜上、小説にはないサブタイトルを付けさせていただきます。
「第26話 團十郎切腹事件 戸板康二著」
≪プロローグ≫
 入院中の歌舞伎俳優の中村雅楽を、"私"(新聞記者)と古版本専門の古書店主・層雲堂と見舞いに行きます。ただ、入院といっても2日ドックですので、病気ではありません。見舞いというより、雅楽の無聊を慰めるための訪問といった方が正しいかもしれません。そこで話題になったのが、八代目團十郎切腹事件でした。
≪第一日 事件編:死の経緯≫
 博識な雅楽は、團十郎が名古屋に行かざるを得なかった事情と旅程を詳細に説明します。雅楽が、團十郎の旅に同行した人物を知っていたからです。團十郎の父親である七代目は、多額の借財をこしらえました。そのために、大坂と名古屋で興業を打ったのです。
 特に名古屋の興行師からは、無理難題を課されます。上方の歌舞伎役者、嵐瑠璃五郎を一緒に連れて来いと言うものでした。できなければ当然、追加公演というペナルティが課されます。それでは、江戸の興行師に対する義理を欠くことになります。團十郎は先行し、瑠璃五郎とは箱根の先の三島で合流する予定です。
 三島まで、瑠璃五郎に同行したのが、俳優の周旋屋であった鉄火屋の親子でした。息子の伝兵衛の方から、雅楽は、この旅を聞かされています。ゆったりしたペースで、瑠璃五郎と鉄火屋親子は西上します(詳細な日程を、雅楽は語ります)。
 瑠莉五郎は、「二人同行」ならぬ「養生専一」と書かれた笠を目深にかぶって歩きました。歌舞伎役者として、顔を日焼けから守っていたようです。6月29日に江戸を出発し、7月2日に箱根山を登り、3日には三島の宿に着いています。ここで、團十郎と合流します。しかし、瑠璃五郎が忽然と消失したのです。
 團十郎は煩悶します。このままでは、名古屋の興行主との約束を反故にしてしまうからです。ですが、瑠璃五郎不在のまま、名古屋に向かうことにします。その際、團十郎は、「鱶(ふか)」、「星」、「團十郎」の五文字を笠に記しています。瑠璃五郎の捜索については、三島の有力者に託して。
 名古屋に着いたのは、7月10日のことでした。この後、大坂で自刃しています。ここまで雅楽が話すと、「明日またおいでよ。この話には続きがあるんだよ」と付け加えます。
≪二日目 解決編:瑠璃五郎失踪の謎≫
 翌日、層雲堂と記者は、ふただび雅楽の病室を訪れます。記者は、簡単に瑠璃五郎失踪の謎を語ります。
 「瑠璃五郎の失踪に関わったのは、名古屋の興行主の商売仇だと思いますね。瑠璃五郎も名古屋に行きたかったわけじゃない、簡単に唆(そそのか)せたはずですよ」
 真っ向から記者の意見に反論を加えたのは、層雲堂でした。
 「お話じゃ、瑠璃五郎は道中ずっと歯痛に悩まされていたってことですね。もともと名古屋に行きたくなかった瑠璃五郎は、自分の意思で姿をくらませた、私はそう思いますね」
 そして、真打の雅楽が推理を語り始めます。以下、結末まで書きますので、ネタバレになります。
 「江戸から三島までの道中は三人連れ、三島から名古屋までも三人連れ」と雅楽は切り出します。そして、雅楽が指摘したのは、当時流行った言葉遊びでした。
 「私が注目したのは、瑠璃五郎の傘に書かれた四文字の"養生専一"です。養に魚偏を加えれば"鱶"、生の上に日を書き足せば"星"、専に口がまえで團、一に縦棒で"十"、あとは"郎"を付け加えたんです。團十郎なら、道中、瑠璃五郎で通すことなど簡単だったと思いますよ。笠を目深にかぶり、歯痛だと称して頬を押さえていたんですから」
 ここまで手間をかけて偽装しながらも、浮世の義理には勝てなかったと雅楽は付け加えます。「昔のことだから、裏付けを取ることはまず不可能だ、古文書でも発見されれば別ですがね」と付け加えます。
≪エピローグ 古文書現る≫
 雅楽の人間ドックから二か月も経った頃でしょうか、層雲堂から雅楽と新聞記者に連絡が入ります。行ってみると、旧家から八代目に関わる古文書が見付かったというのです。その文書には、雅楽説を裏付ける内容が記されていました。しかし、雅楽は冷静でした。
 「層雲堂さん、こりゃ手間暇かけたいたずらですね」
 層雲堂が偽造したものでした。(ボーガス注:本物として売れれば)あわよくば、という思いもあったと考えられます・・・・。

 で、雅楽が「偽造と見抜いた根拠」が「明治元(1868)年3月7日」のような「あり得ない日付」が古文書内に書かれていたことだった訳です。

【参考:戸板康二の「中村雅楽」シリーズ】

かくれた名作32「中村雅楽探偵譚」(2003/2 /22)
 戸板康二氏が推理小説を書くきっかけについて、氏自らが立風書房團十郎切腹事件』の「作品ノート」の中で書いている。
 当時、演劇人に「十一日会」というグループがあり、そこに出席した戸板氏は、江戸川乱歩夫妻と同席し、「宝石」の編集をしていた乱歩から「推理小説を書いてみませんか」とすすめられた。
 「1編だけは筋を考えて持っているのですが」と答えると「それを書いて下さい」と言われ、翌日、「昨日の約束お忘れなきよう」という速達の葉書が届いた。それに感激して試作したのが「車引殺人事件」で「宝石」の昭和33年7月号に掲載された。
 その直後、乱歩から「年に3、4回書いてください」と言われ、以後、何十年にもわたって中村雅楽探偵譚が執筆されることになるのである。
 各作品の初出を見ていただければわかるように、かなりのペースで執筆が続けられている。多い頃には毎月、それも複数誌に掲載されているのだ。
 さらに、ご存知のようにミステリーは戸板康二の本業ではない。歌舞伎評論など夥しい量の執筆を併行してこなしているのだ。これは驚くべきことではないだろうか。
 さて、ここでとりあげた中村雅楽探偵譚であるが、そのほとんど(ひょっとしたら全て?)が現在絶版の状態である。これはまっとうなことだろうか?
 率直に言って絶版やむなしとは思う(^^;
 歌舞伎に詳しい方ならはまるのだろう。例えば(ボーガス注:ミステリ作家の)小泉喜美子などは戸板作品を絶賛している。おそらく登場人物が演じる役の設定や、演目の組み合わせなどが、歌舞伎ファンにはうなずけるものになっているのだろう。
 だが歌舞伎ファンではない私のような者はストーリーで評価することになり、具体的には各感想でふれているけれど、それだと苦しい作品が結構あると思うのだ。もっとも現在の復刊ブームの中では、このシリーズの復刊だってないとは言えない*2のだろうけどね(^_^)

高松屋への招待〜中村雅楽探偵全集の味わい方 - 過ぎ行く日々はミステリ色
 めでたく(ボーガス注:創元推理文庫から)刊行が開始された戸板康二の「中村雅楽探偵全集」。ようやく刊行に到ったことを喜びつつ、一抹の不安を覚えるのは、「読んでみたら大したことはなかった」と思われてしまうことである。
 「いまや絶版となってしまった名作」についてはミステリ系日記でしばしば言及される話であるが、えてして(私も含めて)読んだことのない人間にとっては、いざ読んでみると期待や「煽り」が大きかった分だけ「……こんな程度のものだったの?」と思ってしまうことがままある。
 そこで、『團十郎切腹事件―中村雅楽探偵全集〈1〉 (創元推理文庫)』を手に取ってみた皆さまのために、「雅楽ものの読みどころ」を私なりの視点で語ってみたい。
雅楽ものの「欠点」
 まずは、戸板康二作品を読んでいると引っかかってしまうであろうポイントを挙げてみたいと思う。これはもう事前に承知しておいてください、としか言いようのない所。もしここで評価が下がってしまうようであればやむなし。
■文章が硬い
 一番引っかかるであろう点はこれ。淡々と状況を説明して進んでいく文章なので、「目の前に鮮やかにイメージが広がる」ということはない。時に文章が頭にすんなり入ってこないこともあり、変に斜め読みをすると状況が分からなくなることもある。特に初期作品はこなれていない説明口調のものが多いので、取っつきが悪いことは認める。
■時代背景の古さ
 第一作「車引殺人事件」の初出は1958年。創元推理文庫の全集第1巻に収められた作品も初出は1960年までである。半世紀近く前の作品であるから、時代背景がピンと来ないのはやむを得ない。特に当時の大衆文化や風俗については、私も含めていまひとつイメージが沸かない部分が多いかと思われる。
■歌舞伎へのなじみの薄さ
 初出当時は、ようやく民放の日本テレビが放送を始めたばかりで、テレビの普及率もまだまだ低かった。芸能界はまさしく「芸能」の世界、すなわち歌舞伎や新劇、映画スターを中心に動いていた。だから歌舞伎の有名な演目などは一般常識的に知られていた部分もあっただろう。一方現代のわれわれにとっては、歌舞伎はさほどなじみのないものになってしまった。
 歌舞伎に関する評論や一般向けの解説書も多く書いていた戸板康二だけに、歌舞伎の細かい知識については合間合間でほどよく注釈を入れており、まったくの歌舞伎門外漢でも読み進めることができる。ただ、根本的ななじみの薄さから、物語の情景がいまひとつピンと来ないことはままある。私自身、歌舞伎に対する知識はほとんどないので、正直良く分からない部分もある。
■大技トリックや超絶技巧が炸裂するわけではない
 ここは一番強調しておきたい所。ミステリの範疇には入る作品であるが、高木彬光*3島田荘司のような鬼面人を驚かすトリックが炸裂することはないし、連城三紀彦*4のようなどんでん返しの技巧に唸らされることもないし、法月綸太郎*5のようにロジックが冴えわたることもない。
 初期は比較的殺人事件を扱った作品が多く、いかにも本格を思わせるお膳立てが調っているのだが、謎解きとしては正直弱い。そして後の方の作品に到っては、事件らしい事件が起こらないどころか、「雅楽翁の梨園よろず相談」的な作品もままある。本格的な謎解きを期待すると間違いなく肩透かしを食う。
◆そして雅楽ものの「味わい」
 これだけ欠点を挙げておいて、では、なぜ私はここまで雅楽ものが好きなのか。私の好きな雅楽ものの「味わい」を思いつくままに挙げてみたい。「欠点」に比べるとずいぶん曖昧な表現になるとは思うがそこはご容赦のほどを。
■人情の綾
 雅楽もので見られる一つのテーマが「人情の綾」。芸事に対する思いであれ、秘めた恋愛であれ、親が子に向ける思いであれ、さまざまな人間の思いの絡まりあいが、作品の中でしばしば重要な位置を占める。時に思いのすれ違いがひとつの悲しい結末を呼んだり、ある人物に向けられた暗い感情に人間の闇を見たり、最後に思いが届いたことの喜びを描いていたり、と様々な「人情の綾」が雅楽ものの読みどころ。淡々とした文章なだけに、こうした思いに対して読み手の側で想像をめぐらせることで、またしみじみとした情感が得られる。
 時にこうした「人情の綾」が謎解きの重要な伏線になることもあるが、それ以上に雅楽翁がこうした人情の綾をくみとって味のある「裁き」を見せる所がまた魅力。「雅楽翁の梨園よろず相談」的な作品であっても、逆にこの「解決の妙」で読ませてくれる作品も多い。この辺は、加納朋子*6あたりの作品が好きな人なら意外と気に入ってくれるかもしれない。
■元祖「日常の謎
 「謎解き部分の弱さ」は確かにひとつの「欠点」ではあり、パズラー志向の人には合わない部分もありそうだ。しかし、ささやかな「謎」から味わい深い物語を紡ぎ出す、北村薫*7以来の「日常の謎」派の元祖とも言える味わいもある。
 有名な所では(ボーガス注:日本推理作家)協会賞受賞作の「グリーン車の子供」。ざっくり要約してしまえば「新幹線のグリーン車雅楽が子供と相席になった」というだけの話だが、さりげない伏線や味のあるオチなど、「日常の謎」好きならばきっと気に入るであろう作品。この他にも、中後期の作品には「ちょっとした謎解き」の妙を味わえる作品が多く、「日常の謎」好きの方ならばぜひとも読んでほしいところ。
 また、齢七十七の雅楽翁はそうそうあちこち捜査に走るという訳にもいかず、それゆれおのずと安楽椅子探偵の趣向を帯びてくるところも、その手の作品が好きならば要チェック。たまにホームズばりに、一目見ただけでその人の行動を推理する、ということもやっている。
■知識と教養の裏打ち
 戸板康二の本職は劇評家であり、当然ながら歌舞伎に関する知識量は指折りであった。おのずと歴史一般にも通暁し、また演劇界の周辺にある大衆文化や時代風俗にも通じていた。折りに触れ、そうした知識に裏打ちされた記述が出てくる所が心地よい。
 直木賞受賞作「團十郎切腹事件」や、『小説・江戸歌舞伎秘話』(扶桑社文庫―昭和ミステリ秘宝)は歌舞伎の知識を存分に発揮した作品であるが、もう少し一般の人になじみ深い歴史上の人物を取り上げた作品として個人的に好きなのは「淀君の謎」。ある一言で淀君の生涯をきれいに説明してしまうところが印象的な歴史推理の佳作。
◆後口上
 雅楽ものの読みどころを思いつくままに綴ってきた。これを読んで、雅楽ものを読んでみたくなったか、自分には合わないと感じたかは皆さま次第。
 ただし、ひとつだけ補足しておきたいことがある。私個人としては雅楽ものの魅力が現れ始めるのは中後期の作品、具体的に言えば「グリーン車の子供」以降だと思っている。
 今回全集第1巻の初期作品を読み返して思ったのは、初期作品は謎解き風味は強いけれども、小説としてまだこなれていない部分があるとともに、「戸板康二作品の魅力」がまだ完全には出ていない、ということである。私自身、最初に読んだ戸板作品は講談社文庫版の『團十郎切腹事件』だったが、本格的に面白いと思ったのは最晩年の作品である『家元の女弟子』(文春文庫)で、完全にファンになったのは講談社文庫版の『グリーン車の子供』を読んだ時だった。
 だから、全集第1巻(ボーガス注:『團十郎切腹事件』)を読んでピンと来なかった方も、せめて全集第2巻『グリーン車の子供』まで読んでみてほしいと思う。特に、「日常の謎」ファンの方は是非。


【主張】慰安婦訴訟 国際法無視の暴挙である - 産経ニュース
 「はあ?」ですね。俺は別に国際法無視とは思いませんが、それはさておき。
 原則論として「裁判を起こす権利」は誰にでもあります。主張に正当性がなければ裁判所が却下なり敗訴判決なりするのでそれで何ら問題ない(今回は却下はしてないようですが)。
 安倍政権は「主権免除の原則によってそもそも却下すべきだ*8」としていますがそんなんは彼らの認識でしかありません。韓国の裁判所が従う義務はどこにもない。
 なお、却下と敗訴判決の違いについては以前、立花隆が『論駁:ロッキード裁判批判を斬る』(朝日文庫)において「大学入試」を例にうまい説明(渡部昇一が田中ロッキード裁判は却下判決を下すべきだとしたことへの反論)をしていたので、小生もそれをここで活用します。
 訴訟を大学入試に例えれば「却下」とは「そもそもあなたには大学受験資格がありませんよ」として受験を受けさせないで門前払いすることです。
 一方、受験を受けさせること(訴訟を認めること)は当然ながら「大学に入学していい(あなたの主張は正しい)」と合格(勝訴)させたこととは違います。
 受験(裁判)の結果「合格させていい(勝訴させていい)」となったら合格(勝訴)しますが、もちろん不合格(敗訴)もあり得る。
 そしてよほどのことがない限り「訴訟で門前払い」なんて普通しない。その程度で「韓国の裁判所はおかしい」という安倍や産経の方がおかしいわけです。


【産経抄】11月17日 - 産経ニュース

 日韓関係を冷え込ませた咎(とが)は、語源ならぬ根源をたどれば2国間の約束を一方的にほごにした韓国にある。「慰安婦」「徴用工」のカードを持ち出し、高声で日本をなじる手口は「悪どい」と書くほかない。

 徴用工・最高裁判決は文政権のしたことではない。これで文政権を非難するのは光華寮訴訟・中国敗訴判決(大阪高裁、ただしその後、最高裁で中国が逆転勝訴)で中国が「この判決は日中平和友好条約違反だ」といったのと同じくらい無理筋でしょう(こうした中国の批判に当時の自民党は「三権分立なので政府には何も出来ない」と文政権と同じ釈明をしました)。
 慰安婦についても「銅像設置は日韓合意違反」といってるのは、安倍政権だけで文政権はそんなことは認めていません。そもそも日韓両国国民の反発を恐れて「記者会見はしたが正式な合意文書は作ってない」のが日韓合意なので話になりません。
 「正式な合意文書がない」なんて代物が後でトラブったら「水掛け論になる」のは分かりきった話です。何せ合意文書がないから「後で確認しようがない」。

 日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)も、文氏が頭を下げぬかぎり失効する。探知した弾道ミサイルの情報を共有するなど、北東アジアでの日米韓連携に必要な枠組みである。国内世論におもねり反日に執着すれば誰が喜ぶか、知らぬわけではあるまい。

 そう思うのならホワイト国除外などの無法を安倍政権がやめるべきでしょう。
 文政権は「あんな無法な行為をされては信頼関係は既に破壊された。そんな状況でジーソミア延長は出来ない」「日本が無法な行為をやめることがジーソミア延長の最低限の条件だ」としているわけですから。
 ところが「無法をやめない」というのだから韓国側からすれば「何だ、日本はぐちゃぐちゃ言ってるけどジーソミアについてその価値を認めてないんじゃないか」「ジーソミアの件を単に韓国叩きに利用してるだけじゃないか」となるのは当然です。

*1:1915~1993年。演劇評論家、ミステリ作家。著書『歌舞伎 ちょっといい話』、『歌舞伎への招待』、『続・歌舞伎への招待』(岩波現代文庫)、『丸本歌舞伎』(講談社文芸文庫)、『歌舞伎の話』、『小説・江戸歌舞伎秘話』、『六代目菊五郎』(講談社文庫)、『團十郎切腹事件:中村雅楽探偵全集〈1〉』、『グリーン車の子供:中村雅楽探偵全集〈2〉』、『目黒の狂女:中村雅楽探偵全集〈3〉』、『劇場の迷子:中村雅楽探偵全集〈4〉』、『松風の記憶:中村雅楽探偵全集〈5〉』(創元推理文庫)、『すばらしいセリフ』(ちくま文庫)、『歌舞伎十八番』、『物語近代日本女優史』(中公文庫)、『あの人この人:昭和人物誌』、『久保田万太郎』、『ぜいたく列伝』、『泣きどころ人物誌』、『松井須磨子:女優の愛と死』、『見た芝居・読んだ本』(文春文庫)など

*2:実際、その後、創元推理文庫から復刊がされたわけです。

*3:1920~1995年。1950年に『能面殺人事件』で探偵作家クラブ賞(現・日本推理作家協会賞)受賞。

*4:1948~2013年。1981年、『戻り川心中』で日本推理作家協会賞(短編部門)を、1984年に 『恋文』で直木賞受賞。

*5:1964年生まれ。2002年に『都市伝説パズル』で日本推理作家協会賞(短編部門)受賞

*6:1966年生まれ。1995年に『ガラスの麒麟』で日本推理作家協会賞(短編および連作短編集部門)受賞

*7:1949年生まれ。大学卒業後、母校である埼玉県立春日部高等学校の国語教師をしながら(1980年~1993年)、創元推理文庫の「日本探偵小説全集」を編集。1989年、覆面作家として東京創元社鮎川哲也と十三の謎」の1冊『空飛ぶ馬』でデビュー。1991年に『夜の蝉』で日本推理作家協会賞(連作短篇集賞)を、2009年に『鷺と雪』で直木賞を受賞。

*8:日本では過去に基地騒音訴訟で米軍がこれを主張し、最高裁がそれを認めた(原告の米国への請求を認めなかった)ので悪名高い主張です。