「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年11/18分:荒木和博の巻、ほか)

あってはならないことは、無かったことにする【調査会NEWS3123】(R01.11.18): 荒木和博BLOG
 「あってはならないことは、無かったことにする」って「それお前ら救う会の、山本美保さん死亡否定論だろ!」ですね(まあ例は何でもいいのですが)。
 「山本美保さん」が何者かは「山本美保、特定失踪者」「山本美保、荒木和博」「山本美保、山梨県警」「山本美保、遊佐海岸(美保さんの遺体発見場所)」などでググると分かるかと思います。荒木もこの件で荒木『山本美保さん失踪事件の謎を追う:拉致問題の闇』(2012年、草思社)なる著書を出しています(読むことをお薦めはしません)。
 山梨県警が「美保さんの遺体が山形県の遊佐海岸で発見された(DNAが妹と一致した)」と主張してるのに「山梨県警によるDNA鑑定捏造」「特定失踪者・美保さんは北朝鮮で生きてる」と放言できるのだからいい度胸です。常人にはまねの出来ない行為です(まねしたくもありませんが)。
 ただし、こうしたあまりにも非常識な言動は蓮池透氏の疑念を招き、彼が救う会批判を開始することになります。

【参考:山梨県警の発表について】

拉致疑いの山本美保さんは水死 双子の妹とDNA一致
 1984年6月に失跡し、北朝鮮による拉致の疑いがあると家族が告発していた甲府市の山本美保さん(不明当時20)について、山梨県警は5日、失跡直後に山形県の海岸で見つかった身元不明遺体が山本さんであると断定した、と発表した。双子の妹とDNAが一致したという。
 山本さんについては、韓国に亡命した元北朝鮮特殊部隊員という男性*1が「平壌の特殊部隊で目撃した」と証言。調査団体・特定失踪者問題調査会が2003年9月に「拉致の疑いが濃い」と発表し、今年1月には家族が国外移送目的略取容疑で山梨県警に告発していた。
 県警警備1課によると、1984年6月21日、山形県遊佐町の海岸に漂着していた女性遺体が見つかり、山形県警が死因を水死としていた。2002年9月から山本さんの家族の要請で山梨県警が再捜査をし、保存されていた遺体の骨髄と、双子の妹の森本美砂さん(40)の血液のDNAが一致したという。

特定失踪者・山本美保さん不明から30年、甲府で家族らがパネル展(2/2ページ) - 産経ニュース
 山本さんは昭和59年6月4日、「図書館に行く」と自宅を出たまま行方が分からなくなった。4日後、新潟県柏崎市の海岸で、山本さんのセカンドバッグが発見された。調査会は平成15年、失踪状況から山本さんは「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」とした。
 一方、(ボーガス注:山梨)県警は(ボーガス注:平成)16年3月、山本さんの失踪から17日後に山形県遊佐町日本海沿いの海岸で発見された女性の遺体と、山本さんの双子の妹である森本さんのDNA型が一致したとして、遺体は山本さんであると発表。家族らは、県警のDNA型鑑定について、遺体の特徴などに矛盾点があるとして、疑問を抱き続けている。

【追記】
「 私は美保じゃない、遺留品は語る 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト週刊新潮2004年4月29日号、「日本ルネッサンス」第114回)

 (ボーガス注:DNA鑑定捏造の)“犯人”は警察を動かす力を持つ人物だ。となれば、官邸の主か官房長官かとも考えられる。

 桜井よしこも美保さんの件で「荒木さんの主張は正しい」「(ボーガス注:DNA鑑定捏造の)犯人(つうか黒幕)は官邸の主(小泉*2首相)か官房長官(よしこ記事発表当時は福田康夫*3)か」なんて「小泉氏、福田氏を侮辱する」与太文章を過去(2004年)に書いていたんですね。今はこんなことは全く騒いでないよしこですが。全く「財務省などを動かす力」で不正を働いた「官邸の主」である「モリカケの安倍」じゃあるまいし誰がそんな無茶苦茶なことするんだって話です。


即位礼正殿の儀で「皇位の継承」を認めることを拒んだ反日・反天皇制度の安倍首相を許してはならない | 新・大森勝久評論集
 荒木が大森勝久氏の新しい論文です: 荒木和博BLOGで紹介していた論文ですが、荒木は賛同コメントはしてない(態度は明確にせずごまかしてる)とは言え「100パー反対」だったら紹介しないでしょうからねえ。こんなトンデモ論文に「一理ある」と思うキチガイが荒木のようです。
 例の即位儀式について「税金の無駄遣いだ(皇族の秋篠宮ですらもっと節約すべきだと言っていた)」「神道儀式であり、政教分離原則に反する」つう批判ならいくらでも見ましたし、正論だと思いますが、こんな珍論は見たことがないですね。
 単に大森氏が「皇位継承」について極めて特異な解釈をした上で、安倍を叩いてるだけのくだらない話です。

 高齢化時代になり、高齢により天皇の務めがよく果たせなくなる場合が生じることになる。皇室典範第4条にはそのときの皇位継承の定め(譲位と受禅=即位)が欠けていた。そこで2017年6月16日、皇室典範第4条の特例として「皇室典範特例法」が制定された。

 高齢化とかあまり関係ないんですけどね。晩年の大正天皇が「精神病により政治が出来ないこと」は大正天皇存命当時から公然の秘密でしたし(この辺りのことはビッグコミック連載マンガ「昭和天皇物語」でも描かれている)。
 それでも戦前は「大正天皇が退位(譲位)して昭和天皇が即位」とはならなかった。昭和天皇は摂政になっただけです(大正天皇死後に即位)。で、安倍は当初「退位は不可、皇太子(当時)の徳仁氏を摂政にするのなら認める。戦前もそうだった」つう態度だったわけですが、明仁氏の「どうしても退位したい」つう考えに押し切られたわけです。

安倍氏*4と菅氏*5は「退位」の用語を「譲位」と同義だと説明して、国会議員を騙した。そして「譲位」とすべきところを全て「退位」として法律を策定したのであった。法律名も「天皇の退位等による関する皇室典範特例法」とした。
・菅官房長官は3月19日の記者会見で次のように述べた。「天皇陛下は『譲位』ということを言ってこられましたが、『退位礼正殿の儀』での『お言葉』では皇室典範特例法の規定によって皇位を退く旨を述べられて、皇位を譲る『譲位』の文言はお避けにならなければなりません」。
・安倍首相は「天皇陛下におかれましては、本日ここにめでたく『即位礼正殿の儀』を挙行され、即位を内外に宣明されました」と述べ、「天皇陛下皇位を継承された」とは決して言わなかった。翌日の新聞に大島*6衆院議長の謹話が載ったが、ちゃんと「天皇陛下には、皇位を継承されて以来云々」となっている。
・そうするのは安倍氏反日反天皇制度の共産主義者*7であるからである。
反日左翼の憲法学者憲法学界の大部分を占める)は、この点については賛成だから批判することはないが、保守系憲法学者*8や非左翼・非保守の憲法学者*9は何をしているのであろうか。保守系の識者の大部分は安倍首相によって洗脳されて、また迎合して「安倍応援団」になってしまっている。

 つまりは「譲位」というと「譲る」というイメージが強くでる、それは「天皇は政治的中立でなければならない」とする憲法規定に違反する疑いがある、だから「退位」という表現にしました、つう話ですね。
 安倍や菅が「護憲云々」的話をするとは驚きですが、まあ政府、与党内部からそう言う批判があったのでしょう。
 で、安倍や菅には「譲位」という言葉に別にこだわりもない*10ので「退位」にしたと。こんなことで「安倍が許せない」と言い出すのは大森氏のような極右ぐらいでしょう。当事者である明仁上皇徳仁天皇ですら「はあ?」ではないか。しかし、「西修百地章らウヨ憲法学者」や「櫻井よしこ*11田久保忠衛*12らウヨ活動家」がどう考えてるのか気になるところです。
 そもそも彼らは大森氏のようなことは何一つ考えておらず、「大森氏が非難する安倍の行為」をたとえば菅*13首相がやっても非難しないのか。
 それとも大森氏が批判するように「安倍だから非難しない」のか。安倍内閣以前に生前退位などないのでその当たりはよく分かりません。

 しかしこの反日反天皇制度の共産主義者安倍氏・菅氏らの憲法違反の反日犯罪は、「退位礼正殿の儀(譲位礼正殿の儀)」での平成天皇*14の「お言葉」と、「即位後朝見の儀」での今上天皇の「お言葉」で、完全に粉砕された。

 安倍が本気で「そんな企み(?)」をしてるのならそもそも「お言葉を述べさせない」「お言葉にチェックを入れて余計なことは言わせない」ようにするでしょうにねえ。大森氏も本当に変な人間です。
 つうか、本当に前天皇や現天皇がそんな行為をしたなら「天皇の政治的中立性」に反する疑いがあるんですが。まあ前天皇や現天皇からすればおそらく「そんなことしてない(困惑)」でしょうが。

 前回論考で触れようと思っていたものの、紙幅が無くなってできなくなってしまったことを述べたい。安倍首相は10月4日の「所信表明演説」で次のように述べた。
 「日中新時代を切り拓きます。来年の桜の咲く頃に、習近平(シー・ジンピン)*15国家主席国賓としてお迎えし、首脳間の往来だけでなく、経済交流、青少年交流など、あらゆるレベルでの交流を拡大し、日中関係を新たな段階へ押し上げてまいります」。
 「北方4島での共同経済活動が動き始めました」「領土問題を解決して、平和条約を締結する。1956年宣言を基礎として、交渉を次の次元へと進め、日露関係の大きな可能性を開花させてまいります」。
 安倍首相は日本共産党よりもはるかに反日左翼であることがこの政策でも明白である。安倍氏は日本を独裁侵略大国の中国とロシアに急接近させていく。
 安倍氏は日本の対中対露国防を解体して、日本を両国が分割支配する国にしようとしている「反日売国奴」であることが、明白である。
 一日でも早く安倍首相を打倒しなくてはならないのである。

 安倍はもちろん「左翼ではありません」。「日本を中露両国が分割支配する国にしようとしている売国奴」でももちろんない。この部分は大森氏の妄想でしかありません。
 しかし従来の右翼の立場からすれば、安倍の中露への態度が「右翼にとっての反日売国」であることは事実です。この部分については大森氏の指摘は正当です。
 産経や櫻井よしこ田久保忠衛などといったウヨ連中も安倍以外、たとえば「非自民連立の細川*16首相」「民主党政権の鳩山*17首相」などがこんなことをすれば大森氏同様に悪口しているでしょう。ところが安倍相手には黙りなのだから全くいい加減です。
 「ロシアへの経済支援には賛成できない」「今の日本政府の方針でロシアから島がかえるとは思えない」「習主席を国賓で招待することには反対だ」ということはあっても*18大森氏と違い完全に腰が引けている。

 安倍首相は常に国民を騙す。100パーセント反日の政策なのに、あたかもそうではないかのように平然と述べる。それでも良心を痛めることはない。反日の確信犯であるからだ。彼は拉致被害者の救出ももちろん考えていない。嘘である。

 反日云々はともかく「安倍は常に嘘をつく」「それでも良心を痛めることはない。確信犯であるからだ。彼は拉致被害者の救出ももちろん考えていない。嘘である。」は全くその通りだと思います。
 とはいえ大森氏の場合「荒木和博氏の言うとおりにすればいい」ですから論外ですが。

 もし今が1970年であれば、この「施政方針演説」を聞いた自民党員や保守派の大多数は安倍氏を「反日売国奴!」と糾弾した。

 1970年代でなくて、今でも安倍以外の首相なら右翼はそう糾弾したんじゃないか。
 なお、日露関係はともかく1970年代なら「日中で仲良くやっていきたい」はあまり右翼に糾弾されないと思いますね。
 というのも1970年代と言えば

・1972年9月
 田中*19首相、大平*20外相が訪中し、日中国交正常化日中共同声明に調印)。また国交正常化を記念して中国から上野動物園にパンダが贈られた。
・1978年8月
 福田*21内閣が日中平和友好条約に調印
・1978年10月
 トウ小平副首相(当時)が、日中平和友好条約の批准書交換のため、訪日。中国の指導者としては初めて昭和天皇と会見した。千葉県君津市新日鉄君津製鉄所を訪れて上海の宝山製鉄所への協力を仰ぐなど先進技術、施設の視察を精力的に行った(ウィキペディアトウ小平」参照)。

ということで日中関係自民党政権によって友好方向に進んでおり、ウヨとしても批判しにくかったからです。

*1:例の「シャブのカネほしさにあることないこと言った」と自白した「覚醒剤使用で逮捕」の安明進でしょうか?。なお、安については過去の人間だが、安明進が死んだらしい - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)を紹介しておきます。

*2:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相

*3:森、小泉内閣官房長官を経て首相

*4:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*5:第一次安倍内閣総務相を経て第二~四次安倍内閣官房長官

*6:村山内閣環境庁長官森内閣文相(科技庁長官兼務、小泉内閣農水相自民党国対委員長(第一次安倍、福田、麻生総裁時代)、幹事長、副総裁(谷垣総裁時代)などを経て衆院議長)

*7:言うまでもないことですが共和制支持(王制廃止論)と共産主義支持は違います。

*8:西修駒澤大名誉教授や百地章・日本大名誉教授(国士舘大特任教授)などのことか?

*9:大森氏の言う「非左翼・非保守の憲法学者」て具体的に誰のことでしょうか?。大森氏の立場ではそんな学者はいないと思いますが。

*10:一方で明仁氏にはこだわりがあったのでしょう。大島氏の場合はそうしたことに関心がない、単に無神経なだけでしょう。

*11:国家基本問題研究所理事長、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」共同代表。

*12:時事通信外信部長。杏林大学名誉教授。国家基本問題研究所副理事長、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」共同代表、日本会議会長。

*13:社民連副代表、新党さきがけ政調会長、橋本内閣厚生相、鳩山内閣副総理・財務相などを経て首相

*14:普通、天皇存命時にその存命の天皇に対して「元号プラス天皇」という呼び方は「してはいけない」とまではいえないでしょうが、慣例上「そうした呼び方は天皇死後することになってる」のでマスコミ各社は(前天皇の死を願っているのかというウヨの批判を避けるため)そう言う表現をしていません。大森氏がその辺りどう理解しているのか気になるところです。「死去していなくても退位すれば『元号プラス天皇』で呼んでいい、今まで死後にそう呼んできたのは単に生前退位が許されていなかったからに過ぎない(だから退位していない現天皇は令和天皇とは呼ばず、今上天皇(今の天皇)と呼ぶ)」という理解でしょうか?

*15:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*16:熊本県知事、日本新党代表を経て首相

*17:細川内閣官房副長官新党さきがけ代表幹事、民主党幹事長などを経て首相

*18:それすら言わない安倍万歳ウヨもいますが。

*19:岸内閣郵政相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相などを経て首相

*20:池田内閣官房長官、外相、自民党政調会長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相

*21:大蔵省主計局長から政界入り。岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣蔵相、外相、田中内閣行政管理庁長官、蔵相、三木内閣副総理・経済企画庁長官を経て首相