TBSラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」(11/17)のゲストは大友良英だった

 ご存じない方のために指摘しておくとNHKドラマ「あまちゃん」の音楽で一躍有名になった作曲家ですね。最近では大河ドラマ「いだてん」の音楽も彼です。
 でかなり忘れてるのですが、彼と爆笑問題のやりとりを覚えてる部分だけ書いておきます。うろ覚えなのでかなり(?)間違ってる可能性があります。
1)スゴイと思う劇伴
 爆笑問題
 「大友さんがスゴイと思う昔の劇伴は何ですか?」 
 大友
 「山下毅雄ですね。ここはTBSなんでTBS関係の物を挙げると『七人の刑事(1961~1969年)』『時間ですよ(1965~1990年)』『大岡越前(1970~1999年)』のオープニングとか(ボーガス注:確かこれら全てスキャット(というか人間の声)が入っています)」
 爆笑問題
 「『七人の刑事』ってハミングで『ムームー、ム、ム、ム、ム、ム、ム、ム、ム、ム、ム』て感じのヤツですよね。愛ちゃん(アシスタントを務める江藤愛・TBSアナのこと)は知らないと思うけど」
 大友
 「スキャットという特殊な技法をあれだけ使ってる人間は彼以前も以降も日本でいないと思うし、それでも歴史に残るドラマの劇伴をつくってしまう(つまり視聴者から支持される)、というのはやはりスゴイですね」

参考

山下毅雄を斬る(文:大友良英)
 昭和30年代に生まれ、日本のテレビとともに少年少女期を過ごした者にとって、彼の音楽は、赤子が言葉を覚えるが如く脳にこびりついて離れることのない人格の一部のような存在だ。もっとも大部分の人にとってその記憶は "山下毅雄" の名とともにあるのではなく、(ボーガス注:テレビアニメ)「スーパージェッター*1」や(ボーガス注:特撮番組)「ジャイアントロボ*2」、(ボーガス注:テレビアニメ)「ルパン三世*3」や(ボーガス注:クイズ番組)「タイムショック」といったテレビ番組とともにある。正確には、そもそもテレビ番組の記憶自体、彼の音楽の醸し出す独特の雰囲気とメロディに多くを負っているのだ。
 "数千曲を作った男" と形容される山下の仕事の多くは昭和30~40年代のアニメやドラマの音楽に集中する。彼は依頼されるままに、本人すら把握できないスピードで、テレビ音楽を量産する。彼以外にもそういう作曲家は少なからずいたし、今の視点で見ると、当時のテレビには面白い音楽が多かったのも事実だ。そんな中で彼が他と一線を画す理由は、時にアバンギャルドにすら響くほどの危ういバランスの上に成り立つ陰影ある音楽に他ならない。当時のテレビ音楽は、譜面上である程度作られ、それをスタジオミュージシャンが演奏、録音することで出来上がっていた。作曲家の仕事は譜面を仕上げることにあり、演奏家はそれを再現するための存在だった。無論彼も、そうしたセオリーを踏んではいた。が、彼がより重点をおいたのは録音現場でのハプニングだったのだ。気心の知れた即興演奏の出来る演奏家を集め、時には簡単なモチーフ程度の譜面だけで、ひと番組分の音楽を作ってしまう。メロディだけの譜面を前にした演奏家は、彼の指揮を見ながら自分のパートをその場ででっちあげなくてはならない。「今の音、素晴らしいね~」と嬉しそうに叫ぶ彼に乗せられ、事故のように生まれた偶然のサウンドが生きた音楽に変貌してゆく。いい加減にも見えるこの方法から「悪魔くん*4」のアバンギャルドな音楽や、「七人の刑事」の緊張感あふれる世界が生まれたわけだ。生真面目にやりゃいいってもんでもないところが音楽の素敵なところだ。名曲「(ボーガス注:冒険)ガボテン島*5」のメロディを当時小学生だった息子の透さんに作らせたという逸話に至っては、凄すぎて返す言葉もない。彼がいれば彼の音楽になる。そういう力と魅力がヤマタケにはあったのだ。

TVサントラ大作戦 完全版プログラム
◆エンディング
○七人の刑事(フルサイズ)
作曲:山下毅雄、歌:ゼーグ・デチネ
「七人の刑事」1961-1969 TBS
 刑事ドラマの古典。赤坂のクラブで遊びで唱っていた客のユダヤ人の宝石商ゼーグ・デチネをたまたま居合わせた山下氏が気に入り、レコーディングさせたところ1000万枚の大ヒットとなる。しかし、ゼーグ氏はその後、詐欺容疑で国際指名手配され、国外へトンヅラ。多額の歌手印税は今もレコード会社に眠っているとか(笑)。
 ぼくらの世代は、「スネークマン・ショー*6」のポールマッカートニのコントでの伊武雅刀の歌で、この曲を知った人も多いはず。


2)のん(能年玲奈)について
大友
 「最近はあまちゃんの縁で(楽曲を提供するなど)彼女の音楽活動に関わってます。あまちゃんでブレイクしましたけどやはり彼女は才能があると思うんですね。彼女が主演した『この世界の片隅に』も大ヒットしたし、ファンが大勢いる。だから彼女が今テレビやラジオのドラマに女優として全然でないことが僕はもったいないと思うし、全然理解が出来ないんですね」
 「僕の知る限り彼女がテレビやラジオの出演を一切断ってるなんて話ではなくてむしろテレビやラジオの方から声がかからないそうだし」
 「真偽は分かりませんけど、事務所独立騒動で前の所属事務所とトラブったので、放送局が前の事務所を恐れて敬遠してる、干されてるなんて話も聞きますけど本当にもったいない」
 「僕なんか呼ぶより彼女をこの番組にゲストで呼んで下さいよ、その方がずっと面白いしファンも喜ぶ」
爆笑問題
 「(苦笑いしながら)イヤー、僕らが希望を出しても最終的な決定権限は局側にあるんで。僕らそんな偉くないんで」
 「というか僕らの番組に出演するよりも女優だからやっぱりドラマが一番いいんでしょうけどね」

参考
対談「のん×大友良英」音楽のこと、過去のこと、そして未来のこと(のん,大友 良英) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

*1:1965年1月から1966年1月までTBSで放送されたSFアニメ

*2:1967年10月から1968年4月までNET(現在のテレビ朝日)で放送された特撮番組

*3:正確にはルパン三世第一シリーズ(日本テレビ、1971~1972年)。視聴率が良くなかった第一シリーズを挽回するため、第二シリーズ(1977~1980年)以降はイメージチェンジのために山下(1930~2005年)に代わり大野雄二(1941年生まれ、角川映画犬神家の一族』『人間の証明』の音楽などでも知られる)が作曲家として起用され、イメージが大きく変わった(声優も「石川五ェ門大塚周夫井上真樹夫)、峰不二子(二階堂有希子→増山江威子)」で変更があった)。なお、第二シリーズのオープニング曲では伊集加代子スキャットが入っていて「山下毅雄?(山下は伊集のスキャットをよく使った)」つう感じがしますが、アレも勿論大野雄二です。

*4:1966年10月~1967年3月までNET(現在のテレビ朝日)で放送された特撮番組(水木しげる原作)

*5:1967年4月ら同年12月までTBSで放送されたテレビアニメ

*6:桑原茂一小林克也が結成。1976年春から1980年初夏にかけてラジオ大阪ラジオ関東(現・RFラジオ日本)、東海ラジオTBSラジオでスネークマンの名を冠した音楽番組(『スネークマンショー』『それいけスネークマン』)を担当。1976年末に伊武雅之(現・伊武雅刀)が加入したのちに、先鋭的な選曲と曲間でのラジカルなコントが一部で話題になった(ウィキペディアスネークマンショー」参照)。