「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年11/20分:荒木和博の巻)

帰還事業と拉致【調査会NEWS3125】(R01.11.20): 荒木和博BLOG

 拉致問題と帰還事業も密接に関係していると思います。昭和20年代からやっていた拉致を、一人ひとりでは面倒なのでまとめてやったのが帰還事業と言えないこともないでしょう。

 勿論全然関係はないですね。そもそも通説では拉致が始まったのは1970年代からです。それ以前に拉致があったなんてのは荒木ら救う会が放言してるだけで何の根拠もない。
 なお、俺が「帰国事業」で連想するのはむしろ「戦前の満州移民」「戦後のドミニカ移民」ですね。これらも帰国事業(地上の楽園)と同様、「王道楽土(満州移民)」「カリブの楽園(ドミニカ移民)」などバラ色の宣伝文句で人が集められたにもかかわらず、現地において、そのバラ色の文句は完全に裏切られました。満州移民に至っては「ソ連軍侵攻による集団自決&中国残留日本人孤児」の悲劇を生みます。この辺りはNHKでドラマ化(1995年)され、主役(中国残留日本人孤児)に抜擢された上川隆也*1が一躍有名となった山崎豊子の小説『大地の子』が入門編として良いかと思います。

【参考:満州移民】
中国残留女性訴訟/国家賠償を認めず/苦難などの事実は認定/東京地裁
東京満蒙開拓団/農民訓練所あった/失業者ら中国に送り出す/実像の一端判明
2016とくほう・特報/「満蒙開拓団」と中国残留孤児/国策で8万人犠牲

きょうの潮流 2017年8月8日(火)
 戦後72年、初めてテレビカメラの前で明かされた証言に胸を突かれました。NHKで5日放送のETV特集「告白~満蒙開拓団の女たち」
▼戦中、岐阜県の山間地から満州(中国東北部)に入植した650人の黒川開拓団の話でした。敗戦で現地住民から逃れるためにソ連軍を頼りました。引き換えになったのは15人の若い女性。「接待所」が造られ、性の相手にされたのです
▼3人の当事者が番組で証言します。共通するのは「生きて帰らにゃ」「そのために犠牲になっても」。70年余の間、秘めていた悲しさ、苦しさがにじみます。亡くなった女性は録音テープを残していました。
 「私のたどった道は歩ませたくない」
(中略)
▼安倍政権が強行した戦争法のもとで、日本がいつか来た道へ踏み出そうとするのではないか。終戦の日の15日にかけて放送される、戦争の実相を伝える特集番組がつづきます。いいものには視聴者としてのひとことをNHKへ。「忖度」を吹き飛ばす力になるはずです。


【参考:ドミニカ移民】

◆日系ドミニカ人(ウィキペディア参照)
 2000年(平成12年)7月に現地に残留した者を中心とした126名が、日本国政府を相手取って約25億円の国家損害賠償を求めて提訴した。翌2001年(平成13年)8月の3次提訴までに、集団帰国の際に日本へ戻った51名も加わり、約32億円の賠償を求めた。裁判は6年にわたって続き、2006年(平成18年)6月7日に東京地方裁判所において、国(外務省及び農林水産省)の法的責任を全面的に認めたが、国家損害賠償に関しては、除斥期間(賠償原因であるドミニカ移民の実施から20年の経過による時効成立)を理由に、原告の請求を棄却する、との判決が下された。原告側は、判決を不服として控訴した。
 その後、日本国政府小泉純一郎*2首相(当時)が原告側に謝罪の意を伝えるとともに、原告約170人を含む全移住者約1,300人を対象として、ドミニカ共和国(以下、ドミニカ)在住の原告に、1人当たり200万円を支給することを最高に、日本在住の原告に130万円、ドミニカ在住の非原告に120万円、日本在住の非原告に50万円の「特別一時金」を支給する、という、包括的な内容の和解案を提示した。この政府の発表を受けて、原告団は7月13日にドミニカの首都サントドミンゴで協議を行い、東京高等裁判所への控訴取り下げを条件とする政府の和解案を受け入れることを決定した。7月21日に総理大臣官邸で小泉首相と面会し、正式に和解が成立した。2006年(平成18年)11月に『ドミニカ移住者に対する特別一時金の支給等に関する法律』が成立した。

主張/ドミニカ移民訴訟/国は「棄(す)てた」人につぐなえ
ドミニカ訴訟/移民失敗 国に責任/東京地裁 賠償請求は棄却/原告ら「無念に時効ない」

FNNドキュメンタリー大賞ノミネート作品『そこに楽園は無かった~ドミニカ移民 苦闘の半世紀~』(鹿児島テレビ放送)
 戦後、日本は戦地からの引き揚げ者、失業者など国中に人が溢れかえっていた。その数、600万人。日本政府はこの人口の増加などによる社会混乱の解消を目的として、直接、戦火を交えなかった国々への「移民政策」を積極的に推進していく。その一つがドミニカへの移住。国が示した条件は「300タレア(東京ドーム4つ分)の土地を無償譲渡、さらにその土地は肥沃」だった。
 ドミニカへの移民は1956年から行われ、全国から約1300人が応募、うち、鹿児島県出身者は約280人と全体の1/5を占めていた。
 ブラジルを始めとする他の移住地に比べ、格段、好条件の募集内容に移住者は胸を躍らせた。付いた名が「カリブの楽園」―。しかし、実際に彼らを待ち受けていたのは地獄のような日々だった。無償譲渡されたのは日本政府が約束した土地の1/3。しかも、その土地たるや岩や石ころだらけの不毛の荒地、塩の一面の砂漠など、そのほとんどが農業に適さない耕作不適地で、さらに深刻な水不足も追い打ちをかけた。土地の所有権も認められていなかった。
 「カリブの楽園で広大な農地を無償譲渡」。
 この日本政府の言葉を信じ、半世紀前、海を渡った約1300人の日本人の夢と希望は一瞬にして打ち砕かれた。入植時のドミニカはトルヒーヨ独裁政権下で、半強制的に収用した土地も多かったため、日本人移民を見る現地の目は冷たかった。悲劇は続き、政権の崩壊とともに略奪の対象とされ、わずかな収穫物や農具さえ強奪された。移住者の中には逃げ出し、生活苦の末、自殺した人々も少なくなかったという。
 2000年7月、移住者177人は半世紀に及ぶドミニカ移民の窮状に何ら有効な対策をとらなかったとして、国を相手に総額31億円の損害賠償を求める訴訟を起こした。
 移住者の一人、原告団の事務局長を務める嶽釜徹(66)さんは次のように話す。
 「私達はカリブ海の島に棄てられたんですよ。棄民なんです」
 「戦後移民史上、最悪のケース」、棄民政策ともいわれるドミニカ移民政策について、移民たちの証言とこれまでの外交記録を交えながら、検証。戦後の急速な経済復興の中で、歴史の陰に追いやられたドミニカ移民の現状を明らかにしながら、国が行った移民政策とは何かを考える。
<四元良隆ディレクターのコメント>
 この番組ではただドミニカ移民の方々が悲惨というだけでなく、“彼らがなぜ、そういった現状になったのか。なぜ、半世紀近く経った今、解決へ向け動かないのか”、その一部始終をしっかりと見て欲しいと思います。


文在寅の恐怖【調査会NEWS3124】(R01.11.19): 荒木和博BLOG

 今ソウルにいます。今日こちらの友人から青瓦台(大統領官邸)の警備が異常だと聞き行ってみました。たしかにこれみよがしに自動小銃を持った警察官が警備していました。以前の大統領でははなかったそうです。
 また、友人によると文大統領がは国内の視察にも列車や車ではなく専用ヘリを使うそう

 荒木の話なので真偽不明ですが、いずれにせよそんなことと拉致の解決と一体何の関係があるのか?

 文在寅朴槿恵前大統領の、いわゆる「崔順実スキャンダル」がなければ政治生命を終えていたと言われています。このスキャンダル自体がほとんどでっち上げ

 今時、自由韓国党ですら「崔疑惑はでっちあげ」なんていわないでしょう。心底呆れます。

*1:1965年生まれ。大学時代に「無名塾」のオーディションを受けるも不合格。1989年、演劇集団キャラメルボックスに入団。1990年、キャラメルボックスの舞台『ディアーフレンズ ジェントルハーツ』にて初主演。以後、看板俳優の一人として活躍。1995年、NHKドラマ『大地の子』の主人公・陸一心(松本勝男)役に抜擢。その演技は、放送中から大きな注目を集め、橋田賞新人賞を受賞。実父・松本耕次役として共演した無名塾主宰の仲代達矢は、無名塾が上川を採用しなかったことを嘆いたという。1997年、映画『東京夜曲』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。1998年公開の映画『梟の城 owl's castle』では日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。2006年、NHK大河ドラマ功名が辻』に山内一豊役で主演。2009年7月、キャラメルボックスを退団(ウィキペディア上川隆也」参照)。

*2:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相