「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年12/12分:荒木和博の巻)

シビシビ【調査会NEWS3138】(R01.12.12): 荒木和博BLOG

 40年前の今日は後に大統領になる全斗煥将軍を中心とした新軍部勢力が軍内でクーデターを起こし権力を掌握した日です。2か月前、1979(昭和54)年10月26日に朴正煕大統領が暗殺され、権力の空白とも言える時期でした。この12月12日をとって韓国では当時「12・12(シビシビ)」と言いました。

 「はあ?」ですね。そんなことと拉致の解決と何の関係があるのか?
 なお、1979年は米国はカーター*1政権であり、日本は大平*2内閣でした。
 ちなみに1979年の事件としては

1月1日
 アメリカと中国が正式に国交樹立。
1月16日
 イランのモハンマド・レザー・パフラヴィー国王がエジプトへ亡命(イラン革命の発生)。
2月17日
 カンボジアをめぐる対立から中越戦争が勃発。
3月28日
 アメリカのスリーマイル島原子力発電所放射能漏れ事故。
4月2日
  藤子・F・不二雄原作のアニメ『ドラえもん』(テレビ朝日系列)放送開始
5月4日
 イギリス、保守党の党首サッチャーが首相に就任(G7で初の女性首相)。
10月7日
 衆院総選挙の結果、自民党過半数取れず。三木*3元首相、福田*4元首相、中曽根*5通産相(肩書きは当時)ら反主流派が、大平首相の退陣を要求。いわゆる自民党四十日抗争勃発。
10月26日
 TBS系でドラマ『3年B組金八先生』(主演:武田鉄矢)放送開始
11月4日
 駐イランアメリカ大使館人質事件発生。
12月15日
 映画『ルパン三世 カリオストロの城』(宮崎駿監督)公開
12月24日
 ソ連のアフガン侵攻勃発

などがあります(ウィキペディア「1979年」参照)。

 2002(平成14)年6月29日の「第2延坪海戦」で戦死した5人(後に重傷者が1人死亡)の葬儀には北朝鮮を慮って当時の金大中大統領は参列せず、その金大中を忖度して国防相も海軍参謀総長も参列しなかったのに全斗煥は元大統領として参列しました。

 「はあ?」ですね。そんなことと拉致の解決と何の関係があるのか?。というか、全斗煥も「元大統領だから参列できた」のであって現役ならその対応は金大中氏とかわらないのではないか。

 全斗煥のことは光州事件の鎮圧などで、今の韓国では悪の権化のように言われていますが、実際は憎めないオッサンでした。

 おいおいですね。そりゃ、東条英機*6だって、トウ小平*7だって、田中角栄*8だって身近でお付き合いすれば「憎めないおっさん」かもしれません。独裁者だって多くは「政敵に厳しいだけ」でしょう。スターリン*9毛沢東*10文革)、ポルポト*11のような無茶苦茶な粛清をする方がむしろ少ない。
 汚職政治家・田中だって金には汚くても身内には優しいかもしれない(まあ、当時の田中に大衆的人気があったこと、荒木の言葉を使えば「憎めないおっさんだったこと」は確かです)。
 しかしそんなことは東条やトウ、田中がした「太平洋戦争開戦」や「天安門事件」、「ロッキード事件での収賄」の評価とは全く別問題です(例は東条やトウ、田中でなくてもかまいませんが)。全にしてもそんなことは奴がしたクーデターの是非とは全く関係が無い。
 まあ、荒木が公然と「光州の民主化運動を弾圧して何が悪い」「朴チョンヒ暗殺のどさくさに全斗煥がクーデターで実権を掌握して何が悪い」「光州事件の黒幕として金大中氏に死刑判決を出して何が悪い(さすがに国内外の批判から全も恩赦で死刑を無期に減刑した上、米国への政治亡命を容認しましたが)」とは言わないだけマシですが。

 アジア大会ソウルオリンピックの開催決定と明るいニュースが相次いで、私たち朝鮮半島研究者*12の多くが「これで余裕が出てくれれば韓国の反日も収まるだろう」と考えた時代でした。
 しかし結果は逆で、日本統治時代の経験を持つ世代が退いていくことによって韓国の中では北朝鮮の意を受けた人間による「作られた反日」が次第に幅をきかせるようになってきました。

 いやいや普通に考えて「韓国が経済大国になれば(日本が反省の姿勢を示さない限り)反日(?)は強まるだろう」と考えるのが普通でしょう。
 理由は簡単で豊かになれば日本にへいこらする必要は無いからです。朴チョンヒ時代は「貧乏」であり日本の経済支援がほしかったからへいこらしていたわけです。豊かになれば、ナショナリズムが高まり「もう、へいこらしなくていい」と思うのは普通です。東南アジア諸国中韓ほど日本批判しないのは、「(シンガポールなど一部を除き)彼らが貧乏であり、日本の経済支援がほしいから」です。
 かつ韓国の民主化が進むとともに「北朝鮮との国力の差」も韓国の経済成長で広がっていった。そしてついにソ連崩壊で冷戦が終了した。
 そうなると「日本の戦争責任、植民地支配責任を追及すると北朝鮮を利する」つう論理は崩壊していきます。
 「あれだけ、国力の差がついて、ソ連も崩壊したのにバカ言うな」で終わってしまう。
 当然、日本批判は高まる。
 例えば冷戦崩壊後、インドネシアスハルト政権が崩壊したのも話は同じです。
 「スハルト批判は共産主義を利する」つう恫喝が冷戦崩壊と、インドネシアの経済成長で効かなくなってついにスハルト政権は倒れた。
 で日本人でも頭のいい人間はそんなことは分かります。
 だからこそ「韓国が豊かになり、冷戦も崩壊した時期の宮沢*13内閣」で河野*14談話が出され、村山内閣ではアジア女性基金が出来た。
 善意がないとは言いませんが、「韓国に今までのような無反省な態度では通用しない」「それでは韓国との間にビジネスが成立しない」つう認識で宮沢内閣や村山内閣は動いた。要するに金儲けという論理も大きい。何も世の中はきれい事だけで動いてるわけではない。
 それを理解できない、理解する気も無い荒木や西岡、島田のような馬鹿右翼が「韓国は北朝鮮に操られた反日」などと馬鹿なことを言うわけです。
 小渕*15政権時には金大中大統領が訪日して共同声明が出てるのに何が反日なのか。
 菅*16政権ではいわゆる「菅談話」がでて、朝鮮王室儀軌が韓国に返還されたのに何が反日なのか。ここまで日韓関係が悪化したのは「河野談話否定」の安倍*17になってからでしょうよ。
 安倍ではなく「他の自民党幹部(谷垣*18元総裁、石破*19元幹事長、石原*20元幹事長、岸田*21政調会長)」でも「最大野党党首(民主党の海江田*22、岡田*23代表、民進党蓮舫*24、前原*25代表、立憲民主党の枝野*26代表)」でもとにかく安倍以外が首相なら今の惨状にはなってないでしょう。
 また全斗煥時代ですら、藤尾*27文相の「韓国併合正当化発言」には韓国政府から抗議があり、中曽根首相が「絶対に自分からはやめない、文句があるなら更迭しろ」と居直る藤尾を更迭しています。
 また中曽根の靖国参拝には中国だけでなく、全斗煥政権からも抗議がありました。
 要するに「北朝鮮シンパではあり得ない」全斗煥ですらあまりにも酷い日本ウヨの言動には抗議すると言うことです(「全斗煥礼賛」「日本批判は北朝鮮シンパという誹謗」をするに当たって都合が悪いからか、荒木は藤尾更迭や中曽根靖国参拝中止には全くふれませんが)。
 あるいは「余裕が出てくれば云々」という荒木の理屈なら「経済的余裕が昔(蒋介石統治時代)に比べればある」のに中国批判を強める「台湾の蔡英文」なんかはどう理解されるのか。
 なお、ウィキペディア「罷免」によれば「事実上の更迭(首相が因果を含めて、大臣本人から辞任を申し出させる)はあっても「絶対にやめない」という人間を首相の権限で首にしたのは、藤尾以外では

・片山*28内閣の平野力三*29農林相(米価問題を巡る西尾末広*30官房長官との対立)
・吉田*31内閣の広川弘禅*32農林相(野党の提出した吉田内閣不信任案に賛成したため)
・小泉*33内閣の島村宜伸*34農水相衆議院解散の閣議決定への署名拒否)
・鳩山*35内閣の福島*36少子化等担当相(普天間基地移設問題を巡る鳩山首相との対立)

だけだそうです。

日本の今日、「シビシビ」は後に歴史の中でどう評価されるのでしょうか。

 今時、全斗煥のクーデターなんか荒木のようなウヨ以外誰が評価するんだって話です(特に韓国民は)。評価しないから「光州事件の黒幕」として全によって酷い目に遭わされた金大中氏が大統領になったのではないのか。評価しないから後に光州事件について全斗煥盧泰愚に対し刑事責任追及がされたのではないのか。そして「金大中氏の大統領就任」「全斗煥盧泰愚の刑事責任追及」に反感を持つのは荒木のようなウヨだけでしょう。

*1:ジョージア州知事を経て大統領。2002年ノーベル平和賞受賞者

*2:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相

*3:片山内閣逓信相、鳩山内閣運輸相、岸内閣科学技術庁長官(経済企画庁長官兼務)、池田内閣科学技術庁長官、自民党政調会長、幹事長(池田総裁時代)、佐藤内閣通産相、外相、田中内閣副総理・環境庁長官などを経て首相

*4:大蔵省主計局長から政界入り。岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣蔵相、外相、田中内閣行政管理庁長官、蔵相、三木内閣副総理・経済企画庁長官などを経て首相

*5:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*6:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*7:党副主席、副首相、人民解放軍総参謀長などを経て国家中央軍事委員会主席、党中央軍事委員会主席

*8:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*9:ソ連共産党書記長

*10:中国共産党主席

*11:カンボジア首相、カンボジア共産党書記長

*12:朝鮮半島研究者」には「荒木のような戦前日本礼賛極右の」という枕詞がつきます。和田春樹氏などはそんな認識はしてないでしょうから。

*13:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*14:中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長を歴任

*15:竹下内閣官房長官自民党副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相を経て首相

*16:社民連副代表、新党さきがけ政調会長、橋本内閣厚生相、民主党代表代行(尾沢、鳩山代表時代)、鳩山内閣副総理・財務相などを経て首相

*17:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*18:小泉内閣国家公安委員長財務相自民党政調会長(福田総裁時代)、福田内閣国交相、第二次安倍内閣法相、自民党幹事長(第二次安倍総裁時代)を歴任

*19:小泉内閣防衛庁長官福田内閣防衛相、麻生内閣農水相自民党政調会長(谷垣総裁時代)、幹事長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣地方創生担当相を歴任

*20:小泉内閣国交相自民党政調会長(第一次安倍総裁時代)、幹事長(谷垣総裁時代)、第二次安倍内閣環境相、第三次安倍内閣経済財政担当相など歴任

*21:第一次安倍、福田内閣沖縄・北方等担当相、第二次、第三次安倍内閣外相を経て自民党政調会長

*22:民主党政調会長鳩山代表時代)、菅内閣経産相を経て民主党代表

*23:鳩山、菅内閣外相、民主党幹事長(菅代表時代)、野田内閣副総理・行革相、民主党代表代行(海江田代表時代)を経て代表

*24:菅、野田内閣行政刷新担当相、民主党代表代行(岡田代表時代)、民進党代表を経て、立憲民主党副代表(参院幹事長兼務)

*25:鳩山内閣国交相菅内閣外相、民主党政調会長(野田代表時代)、野田内閣国家戦略担当相、民進党代表など歴任

*26:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相民主党幹事長(海江田、岡田代表時代)、民進党代表代行(前原代表時代)を経て立憲民主党代表

*27:鈴木内閣労働相、自民党政調会長(中曽根総裁時代)、中曽根内閣文相を歴任

*28:社会党書記長、委員長、首相、民社党常任顧問など歴任

*29:平野は更迭に反発し、側近とともに社会党を離党し、社会革新党社会民主党を経て農民協同党と合同し、協同党)を結成するが、伸び悩み、解党。自民党に入党した鈴木善幸など一部を除き、社会革新党(後に協同党)メンバーのほとんどが社会党右派に合流した。

*30:社会党書記長、片山内閣官房長官、芦田内閣副総理、民社党委員長を歴任

*31:戦前、 天津総領事、奉天総領事、駐スウェーデン公使、外務次官、駐伊大使、駐英大使など歴任。戦後、東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相。

*32:吉田内閣行政管理庁長官、農林相など歴任

*33:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相

*34:自民党国対委員長(河野総裁時代)、村山内閣文相、橋本、小泉内閣農水相自民党総裁特別補佐(麻生総裁時代)など歴任

*35:新党さきがけ代表幹事、細川内閣官房副長官民主党幹事長などを経て首相

*36:社民党幹事長、党首をへて副党首