やはり死刑求刑事件では検察側は「死刑を求めて」最高裁まで争えない制度にすべきだと思う

 やはり死刑判決が下された事件は、被告人側は最高裁まで争うべきだと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)を読んでいての「連想」ですね。
 ただし、この連想、俺の思いつきではなく、死刑反対派の論客の誰かの文章で読んだ記憶があります。誰のどんな文章かは忘れましたが。
 何のことかというと死刑を求刑して一審で無罪になったり*1、無期刑や「有期の懲役刑」がでた事件については「検察は死刑を求めて控訴できない(量刑不当など、死刑求刑以外の理由でしか控訴できない)」ということですね。刑訴法を改正してそう言う制度にしようと。
 無期刑だと当然ながら「無期より上は死刑しかない」ので「弁護側が無罪判決あるいは減刑を求めて控訴しない限り」、検察は控訴できず1審で無期判決が確定します(なお、弁護側が「無罪判決や減刑を求めて」控訴した場合も検察が控訴してないので現行法制度、逆転死刑判決はないことは熊谷6人殺害、上告断念 遺族「やるせない。絶望しかない」 - 産経ニュースも指摘するとおりです)。
 無罪判決あるいは、「有期の懲役刑」なら検察が控訴できますが、その場合も「死刑は求刑できない」、「無期刑までしか求刑できない」ということです(検察が控訴せず弁護側のみが控訴した場合は、逆転死刑判決はないのはこちらの場合も同じです)。死刑えん罪の危険性を考えたら、人の命の重要さを考えたらそのくらいのハンデが検察に課されても当然だと。
 一方で、弁護側は「死刑は不当」と最高裁まで争うことを認めると。
 検察と弁護側の「捜査権限、能力の違い」を考えれば、また「死刑えん罪の危険性」を考えれば「死刑廃止派」の俺的に「全面的に支持できる主張」です。
 ただし、「例の闇サイト事件の遺族(母親)」「岡村勲」なんかは絶対に反対でしょうね。これは「死刑廃止論」に比べたら「一審から最高裁までずっと死刑判決が維持されたら死刑は認める。しかし1回でも死刑以外の判決が出たらその時点で死刑求刑は出来なくなる」つう代物ですから「死刑存続論者にとっては」死刑廃止論に比べてずっとマイルド(?)な制度なのですが。
 なお、冤罪撲滅派の中には「冤罪を防止するため無罪判決が出たら、死刑求刑事件は検察は控訴できない法制度にすべきだ」「いや死刑事件でなくても無罪判決が出たら*2(以下略)(例:安部元帝京大副学長に1審無罪判決がでて、検察が控訴し2審審理中に彼が病死したエイズ薬害刑事訴訟)。「過去『逆転有罪事件』で後に再審無罪判決が出るなど、冤罪だった事件もあるし、そのくらいのことをしないと日本では冤罪は撲滅できない」「検察の控訴は量刑不当のみに限定すべきだ」つう過激派(?)もいます。俺も「一理ある」とは思いながらも「その通り!」と支持していいかは『「死刑を求めて」最高裁まで争えない制度(これは全面的に支持したい)』とは違い少々ためらいがあります。

*1:そう言う死刑えん罪事件(死刑が再審で無罪になった事件、あるいは死刑えん罪が疑われる事件)も中にはあります(例:1審で無罪、2審で死刑判決の名張毒葡萄酒事件)。

*2:コメント欄で指摘がありますが米国は無罪判決について検察が控訴できませんのでそう言う制度を日本でも作ることには一定の合理性があります。