裁判員制度、検察審査会関係のミステリについて(追記あり)(注:蒼井雄『霧しぶく山』、大阪圭吉『寒の夜晴れ』『三狂人』『とむらい機関車』のネタばらしがあります)

私も、そもそも裁判員が量刑にも参加するという考えが間違っていたと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

 私はそれ以前に裁判員裁判なんて愚劣にもほどがあると考えています

 うーん、
1)米英の陪審制や仏独の参審制をどう考えるのか(裁判員制度導入時に『これらの制度を参考に制度構築した』と法務省は広報していた)
2)裁判員制度的なものに反対なのではなく「日本の現行制度に反対(そして当面改善の見込みがないのでいったん廃止した方がいい)」「米英仏独はともかく日本社会には裁判員制度的なものは(将来はともかく現時点では)国民性などで向いていない」など日本独自の事情で反対なのか
3)検察審査会制度をどう考えるのか(アレも素人に司法の判断をさせるという意味では裁判員制度に似ている面があります)
4)(一般に余り知られていませんが)戦前日本で一時、陪審制度が条件つきで実施されていたことをどう評価するか
など
id:Bill_McCrearyさんの詳しいお考えをお聞きしたいところですね(追記:コメント欄でお返事頂きました。ありがとうございます)。
 ちなみに検察審査会制度については佐野洋検察審査会の午後』(光文社文庫)と言うミステリがあります。
 戦前の陪審制度については、葛山二郎『赤いペンキを買った女』(初出『新青年』1929年12月号、現在は『日本探偵小説全集〈12〉:名作集2*1』 (1989年、創元推理文庫) 、または葛山 『股から覗く』(1992年、 国書刊行会)、『葛山二郎探偵小説選』(2012年、論創社ミステリ叢書*2)に収録)があります。この葛山氏、失礼ながら余り有名な御仁とは言いがたいですが「戦前に陪審をネタにしたミステリを書いたおそらく唯一の作家」として知られています。

参考
検察審査会の午後】

検察審査会の午後
 著者の佐野氏は神奈川県警による共産党幹部宅盗聴事件を題材に、この検察審査会を舞台に推理ものを書き下ろす予定だったそうだ。ところが、この審査会の存在を知っていても、どういうところなのかわからない。それで、「週刊新潮」の掲示板欄で、審査員経験者は連絡を乞う旨の案内を載せた。
 ところが審査員には厳しい守秘義務が課されているため、細かい事件の内容を聞き出すことはできない。おまけに、前記の盗聴事件は実際に審査会で取り上げられたため、物語の構想そのものを見直す必要が生じた。
 そこで、審査会を舞台にした(実際の事件に関係したことでなければ、審査会の流れを取材することは可能)ミステリーを書くこととなり、「小説新潮」において8回に分けて掲載された。それらをまとめたものが本書だ。
 この制度はGHQが陪審員制度を押しつけようとした時、当時の司法官僚が抵抗し、その代替案として米国側に提案したものであることなども初めて知った。
 いずれにしても、検察審査会を舞台にした最初の、そして唯一の(ボーガス注:社会派ミステリの?)本ではないだろうか。それだけでも読む価値があるように思える。誰でもいつ、審査会から通知が来るかわからないのだから。
(2000年3月1日)

佐野洋『検察審査会の午後』 - 豆豆先生の研究室(2009年08月16日)
 佐野洋検察審査会の午後』(光文社文庫)を読む。
 かつて新潮文庫から出ていて絶版になっていたのを、裁判員制度の導入をきっかけに、版元をかえて再版したもの。
 よく調べて書いてある。検察審査会の事務局や検察審査員経験者からかなり取材をして書いたそうで、刑事訴訟法や裁判法の教科書に書いてあるような、通り一遍の検察審査会の説明からはうかがい知ることのできない制度の運用の実態まで知ることができた。


【蒼井雄*3

戦前の探偵小説作家についてまとめてみた : 物語良品館資料室
◆蒼井雄(あおい・ゆう)1909-1975
 春秋社の長篇探偵小説懸賞において『犯罪魔』が江戸川乱歩の絶賛を受けて1等に輝き、『船富家の惨劇』と改題の上で出版。本作は日本で初めての鉄道を使ったアリバイ崩しモノであり、戦後ミステリーに大きな影響を与えた。しかし、蒼井雄自身は、その後、本作に比肩する作品を生み出すことはできず、専業作家として花開くことはなかった。

蒼井雄 乱歩が世に送り出した「日本のクロフツ」 - 花の絵
 蒼井雄は昭和10年代に話題になった推理作家である。本名は藤田優三。1909年に生まれ、1975年に亡くなった。作家として独り立ちすることなく、関西配電(ボーガス注:現在の関西電力の前身)の技師としてサラリーマン人生を送り、数えるほどしか作品を残さなかった。代表作は『船富家の惨劇』。
 1936年、これが春秋社の書き下ろし長編募集に一席で入選し、注目を集めた。蒼井を推した審査員は江戸川乱歩である。一時は「日本のクロフツ」と呼ばれた蒼井雄が推理作家として大成することなく、忘れ去られたことについて、乱歩は「運不運もあるのでは」と語っている。
 ただ、出来不出来の差が激しい作家である。『船富家の惨劇』は別格としても、『瀬戸内海の惨劇*4』(1937年)や『黒潮殺人事件』(1947年)は、筋立てが奇抜すぎたり、プロットが複雑すぎたりして、(ボーガス注:前半で)さんざん読者の期待感を煽っておきながら、結果的に自家撞着を起こし、(ボーガス注:後半で)ご都合主義的な粗さを露呈している。とくに『瀬戸内海の惨劇』は、尻すぼみの迷作。休暇中の探偵南波喜市郎が、船上から「溺死体が漂着する島」として知られる無人島の頂きで鳶の餌になっている女性の死体を発見する衝撃的なシーンから始まり、その後、絶対不可能としか思えないような犯罪が続くわけだが、作者の無節操な飛ばしっぷりに、こちらは次第に不安になってくる。
 「一体、このとんでもない展開をどうまとめるのだろうか」と。その不安は的中し、後半から辻褄合わせにしか見えないような、無茶苦茶な人間ドラマの様相を帯びてくる。カルト小説として読むならともかく、推理小説として今日鑑賞に堪え得るものとは思えない。
 1961年11月号の『別冊宝石』には江戸川乱歩横溝正史、蒼井雄の鼎談が掲載されている。その中で横溝は『瀬戸内海の惨劇』について、「はじめがいい」けど、後半は「どんでん返しを狙いすぎ」と感想を述べている。蒼井雄の側にも事情があったようで、『瀬戸内海の惨劇』を連載している間、編集部から早く終わらせろとしつこく急かされていたという。そんな状況下で良い作品が生まれるわけがない。ただ、「だから迷作になってしまった」と言い訳をされても、それは読者の知ったことではない。
 そのような作家のことをなぜ取り上げたのかというと、『船富家の惨劇』に新鮮な感動を覚えたからである。
 悲劇の舞台は南紀州、和歌山県西牟婁郡瀬戸鉛山村(今の白浜町)。御船山の中腹にある旅館で船富隆太郎の妻弓子の死体が発見される。夫隆太郎も殺害されたようだが、死体は見当たらない。警察は、船富家の娘由貴子の元婚約者である滝沢恒雄を逮捕。弁護士の依頼を受けた探偵南波喜市郎は白浜へ行き、独自に捜査を開始する。しかし、明晰な頭脳を駆使して事件の真相に切り込もうとする南波を嘲笑うかのように、犯人は巧みに先回りして残虐な犯行を重ねるのだった。
 最初にことわっておくと、このトラベルミステリーの面白さは犯人探しにあるのではない。おそらく勘の鋭い読者は早い段階で犯人の目星をつけるはずだ。しかし、そこからが問題なのである。犯人の悪魔的な性格と冷徹な頭脳に翻弄され、南波がいつまでも真相に迫れないのだ。完璧なアリバイ、不明な動機、入り組んだ因果関係。作品の後半はこれを見破るために費やされていると言っても過言ではない。
 そして、最初は名探偵に見えた南波が頼りなくなってきた頃(作品が三分の二ほど過ぎたあたり)、先輩の秘密探偵赤垣滝夫が登場する。彼は南波のことを「実際的な典型的な警察官」と評し、「ありふれた市井の事件には、君のような男が最適なのだ。まあ一口に言えば、指紋を調べたり、手口を研究したり、血液型を確かめてみたり、要するにそうした捜査方法には、まァ卓絶した手腕家だろうな」と皮肉る。そして、これまでの南波の推理を全否定してみせるのだが、その覆し方が凄い。読者もこれまで南波の推理からもたらされた情報を一度リセットすることを求められる。
 あたかも「事実」のように語られることも、それを語っている者がそもそも事実を見誤っているのであれば、真に受けてはならない。犯人が「事実」として語ることも、たとえそれが事実らしく見える内容であっても、信じてはいけない。こういうスタンスで大胆なパラダイム・シフトを行う推理小説は、当時はかなり珍しかったのではないか。
 蒼井雄の筆力にも注目したい。南紀州の風景描写など、まがまがしい気配に満ちていて、力強く、彫りが深く、粘り気があり、本当に素晴らしい。それだけでも読者を緊張させ、不吉な予感を植えつける雰囲気を備えている。『瀬戸内海の惨劇』でも、蒼井の独特の文章がいくらか救いになっていると言えなくもない。その翳りと湿度をたたえた暗色の文体は、『本陣殺人事件』以降の横溝正史を髣髴させるものがある。実際のところ、横溝は『船富家の惨劇』を読み、刺激を受けていた。前掲の鼎談によると、戦後に「本格物」を書こうと思った時に読んで「負けるものか」と思ったという。
 濃厚な後味を残す蒼井の描写力が最も凄烈な形で本領を発揮しているのは『霧しぶく山』(1937年)だろう。主人公と友人が大峯山を登山中、グロテスクな殺人事件に巻き込まれる話だが、血の匂いがする陰惨な風景描写には他の追随を許さぬ迫力があり、触覚に訴えるようなリアリティがある。横溝正史すら霞んで見えるほどだ。ただ、横溝の構成力は蒼井にはない。『霧しぶく山』も、蓋を開けてみれば推理小説でも何でもなく、終盤では官能小説的な方向に走っている。
 蒼井雄に刺激を受けた作家は横溝だけではない。1958年に世間をあっと言わせた松本清張*5の『点と線』の時刻表トリックは、『船富家の惨劇』を参考にしている。このことは特記しておいて良いだろう。もっとも、『船富家の惨劇』は既述したようにただの推理小説ではない。時刻表トリックはこの作品の魅力の一部にすぎない。トリックの面白みは時代と共に古びるものだ。蒼井雄のミステリーが古くならず、携帯電話、パソコンの時代にあっても違和感を感じさせないのは、トリック重視ではなく、業の深い人間たちのドラマとして読ませる筆力があるからにほかならない。

船富家の惨劇・霧しぶく山
◆船富家の惨劇
 和歌山県の海岸沿いの崖の上にある旅館白浪荘別館で、大阪の資産家船富弓子の惨殺死体が見つかり、夫の船富隆太郎は、おびただしい血痕を残して消えていた。その日夫婦の娘由貴子の元婚約者滝沢恒雄が呼び出されて訪問、口論していたことが明らかになり、逮捕・起訴された。
 弁護士桜井の依頼で、私立探偵の南波喜一朗が、再調査に乗り出すと、娘の由貴子の現在の婚約者で「滝沢の無罪を信じる」須佐英春が、応援に駆けつける。南波は隆太郎を犯人と疑う。さらに列車の到着時刻、恒雄が隆太郎と三所神社で出会っていること、睡眠薬入りの饅頭が持ち込まれていたこと等から、当日現れた人物がもう一人いたのではないか(共犯者)と考える。隆太郎が船富家の財産の奪取をねらい、共犯者を得て弓子を殺し、罪を滝沢に着せようとしたのではないか。
 その船富家財産奪取計画も証明され、今度は警察も一緒になって、隆太郎と別の場所で岩瀬と名乗っていた共犯者の行方を追う。ところがその隆太郎は、東熊野街道付近の洞窟で青酸カリにより毒殺されていた。そして船富家の最後の一人由貴子までが自宅で絞殺死体となって発見された。今度は当局は岩瀬を追い出す。執ような捜査で下呂温泉近くに逃げたことが分かったが、岩瀬の青酸カリ死体が発見された。岩瀬は他殺と断定されたが、その身元も犯人も全く明らかにされなかった。
 捜査は終了か、と思われたが、国際的名探偵赤垣滝夫は「南波、君は良くやったけれど、物的証拠の追求にのみ重点を置きすぎて、結局犯人に踊らされていたのだ。犯人はまだ生きており、ごく近くにいて君を監視している。」とコメントする。その助言で南波は、捜査を通じもっとも安全圏に身をおく人物の身辺を洗い始める。飛行機を使った鉄壁のアリバイも崩し、ついに真犯人を逮捕する。
 犯人は、名家の出身であったが、父の失跡後、隆太郎に母をいじめられ、その財産を乗っ取られてしまった。その復讐をしようと、由貴子に近づき、隆太郎に弓子を殺させた後、関係者を次々処分したものだった。
 大阪と白浜の間、および下呂、松本周辺の交通トリック、替え玉、偽名等のトリックが非常に面白い。捜査陣の執拗な追跡と丁寧な書きぶりが目立つ。イーデン・フィルポッツの「赤毛のレドメイン家」を参考にしながら書いた作品という。なるほど犯罪動機、最初の殺人の死体の消滅、その陰の現出、場所を転々、国際的名探偵の登場などよく考えると随分似ている。
◆霧しぶく山
 上田秋成によって描き出された大峰山奧駈けの魅力に取り付かれた私は、友人の久我時哉を誘って大峰縦走に旅だった。洞辻で案内人を雇い、蔵王第権現を経て、初日は小篠の宿、途中で空に青白い光がたつのを認めた。二日目は行者還岳を目指して進んだが、途中巨木の梢に吊された人間の屍体。懐から、ちぎれた地図の裏に犯罪告白書が書かれていた。
 一片には「私、結城普次郎は、今歓喜の絶頂にいる。恐ろしさに気を失っている留美と共に洞窟の中にいる。私は留美を殺さなければならない。昨日私たちは礼二、泰二を道標を見つけることを口実に次々に殺した。私の犯罪に気づき、気を失った留美と共にこの洞窟に来た。」
 他の一片には下野で生まれた男の手記。そして地図の組み合わせから1枚が欠けていることはあきらかだった。
 山が荒れてきたので、洞窟に入り、私と案内人は水をくみに行ったが戻ると、久我がいなかった。翌日巨木にかかるもう一本綱に気づき、引き上げると別の死体。ポケットに残りの地図と第三の記録があった。
 「山に乗り込んだ反逆者はみんな死んだ!」
 翌日さらに木に結びつけられた第三の紐に気づいた。それをおりて行くと第二の洞窟。奧に瀕死の女が横たわっていた。女は留美で「結城普次郎は、私をこのような目にあわせておいて礼二、泰二を殺した上、さきほども別の見知らぬ男を谷に投げ入れた。」
 久我が心配になり、表に出ると、背後で叫び声!案内人が谷底深く落ちて行った。そして一瞬犯人の影!
 洞窟に戻り、途方に暮れていると妙な気持ちになった。女はナイフで腕を突いてくれと言う。突くと「私も。」という。今度は私が目を閉じると、一瞬久我が飛び込んできて、女をはり倒す。
「危なかった。こいつは淫魔だ。あの遺書はおかしいと思わなかったかい?私もこの女の変態魅力に陥り、谷底に突き落とされかかったが、岩棚に引っかかり生き延びた。」
 久我は女にリンチを加えると山の高みに女を導く。しばらくして一瞬空が明るくなるほどの光。二人が谷底に落ち、高圧線にからんで燃えた火の光だった。


【大阪圭吉*6

戦前の探偵小説作家についてまとめてみた : 物語良品館資料室
◆大阪圭吉(おおさか・けいきち)1912ー1945
・1932年 デパートの絞刑吏(ボーガス注:デビュー作)
 若干20歳でデビューし、質の高い短編本格ミステリを数多く残したが、当時の世評は必ずしも高いものではなかった。1945年、ルソン島にて病死。日本で本格ミステリが花開いた戦後の活躍を見られなかったのが残念な作家である。

大阪圭吉ファン頁
 生前、乱歩には「短編探偵小説の純粋正統を受継ぐもの」と評価され、現代では有栖川有栖に「ミステリ界に大阪圭吉賞があってもいいのでは」とまで評価される作家・大阪圭吉。
 このページでは、戦前最高の本格探偵小説作家・大阪圭吉について、探偵小説にこだわらず、情報を公開して行きます。

https://ha1.seikyou.ne.jp/home/arasiyama/keikichi.html
◆「とむらい機関車」(「ぷろふぃる」昭和9年9月号初出)
 一人の男が語る連続豚殺事件の顛末。何度も何度も豚を轢死させる人間の正体とその動機とは?
 後続の傑作群の原型というべき作品であろう。原型ながらも、完成されたそのプロット、構成は21世紀の今読んでも全くと言っていいほど古びていない。これは驚異としか言い様がない。結末に漂う哀愁は何とも言い難いものがある。
◆「三狂人」(「新青年」昭和11年7月号初出)
 脳病院(所謂精神科病院)に残る三人の患者。病院の経営は悪化しつつあるが、患者たちはどこ吹く風。そんな中、医師らしき人物の死体が発見される。死体には脳みそがなかった。
 真相が明かされたとき、巧い!と思った。この為だけに状況を設定したのか、と思うと感服せざるを得ない。ただ、この話、注意深く読めば真相は(ボーガス注:いわゆる「顔のない死体トリック」の変型ではないか?、犯人は医師ではないか?と)死体発見時で割れるんだけれどもね(笑)。
◆「銀座幽霊」(「新青年」昭和11年10月号初出)
 銀座に於いて幽霊が殺したとしか思えない死体が。被害者を殺したと思われる人物は、死亡推定時刻には既に死んでいたはずだったのに……。
 トリックやその着想、見せ方自体は面白いと思うが、それだけのような気もする。枚数的なものもあるのであろうが、残念である。
◆「寒の夜晴れ」(「新青年」昭和11年12月号初出)
 クリスマスに起きた犯人の足跡なき殺人。犯人はサンタ・クロースなのであろうか?
 意外な犯行方法より、犯行動機の方が悲しかったり。被害者の男の子に同情してしまったりして。

大阪圭吉「銀座幽霊」(創元推理文庫) - odd_hatchの読書ノート
 大阪圭吉は1912年生まれで、20歳のときに「デパートの絞刑吏」でデビュー。愛知県新城市で役場勤めを続けながら1940年ごろまでは探偵小説を発表したが、対米戦開始後はユーモア小説からやがては時局に乗じた通俗スパイ小説に転向。1945年にルソン島で戦死した。享年33歳。没後50年が過ぎ、作品はパブリックドメインになった。青空文庫には19編がアップされている。
◆三狂人 1936.7
 左前の瘋癲病院では神経質になった院長が患者を罵倒していた。ある日、院長が殺され、患者が脱走した。頭を包帯でまいた「怪我人」と歌姫は無傷でかえってきたのだが、もうひとりのトントンは鉄道自殺した模様。一件落着とおもいきや、トントンの死体を見聞していた博士は血相を変える。作者の代表作。みごとな仕掛けでした。
◆銀座幽霊 1936.10
 酒屋で飲んだくれていると向かいのタバコ屋の2階で喧嘩の物音がする。有名な熟女と下女が男をめぐって喧嘩しているのだと思ったが、今晩はちょっと違う。熟女のおかみさんがカミソリをふるっているのがみえて明かりが消えた。そこには下女の死体。女将さんの死体は押入にあったが、なんと目撃されて出来事の1時間も前に殺されていた。銀座に幽霊がでた? 隣のカメラ好きのバーテンが謎を解く。このころにはアマチュアカメラマンがいて現像までやっていたのだね。

大阪圭吉「とむらい機関車」(創元推理文庫) - odd_hatchの読書ノート
とむらい機関車 1934.9
 轢死事故をあまりに起こすので、「葬送機関車」と呼ばれる列車の乗務員は事故のたびに花輪で追悼した。その機関車がある冬、七日おきに豚を轢くという事故が4件も続く。いたずらにしてはあまりに悪質ということで調査に乗り出した。なぜ機関車は豚を轢くのか、なぜ7日おきに起こるのか。それらが解明された後に残る動機があまりに痛ましい。当時は、街灯なぞまずなくて、田舎線路では夜はまっくらだったし、車体があまりに重いので、事故をその瞬間に知ることができない。めずらしく一人称の告白文。これが痛ましさを強めている。法月綸太郎の短編に同じ趣向のがあった。

ミステリ&SF感想vol.111
◆「三狂人」
 絶えず足を踏み鳴らし続ける“トントン”、女の着物を着てソプラノで歌う“歌姫”、意味もなく顔中に包帯を巻きつけた“怪我人”。三人の患者たちが精神病院から逃げ出した後には、頭を割られ脳味噌を抜き取られた院長の死体が……。
 いきなり凄惨な事件で始まりますが、逃げ出した“歌姫”の捕らえ方には笑ってしまいました。(ボーガス注:記述が読者に)親切すぎるために真相が見えてしまうのが残念ですが、巧みな伏線やミスディレクションが光る佳作です。
◆「銀座幽霊」
 銀座の煙草屋の二階で、若い女店員が殺された。向かいのカフェから目撃していた女給たちの証言によれば、煙草屋の女主人が犯人らしい。ところがその女主人は、事件よりも前に命を落としていたのだ。犯人は幽霊なのか……?
 もう少し分量があれば、というところでしょうか。二転三転するプロットは面白いのですが、やや駆け足にすぎる印象です。
◆「寒の夜晴れ」
 雪のクリスマス・イブ。単身赴任中の夫を待つ妻とその従弟が何者かに惨殺され、幼い息子が行方不明になってしまった。現場から逃げた犯人のものと思われるスキー跡は、しかし、野原の真ん中で消失していた。
 犯人は見え見えですし、動機もありきたりといえばありきたりです。が、鮮やかな現象を演出するための、シンプルでいてよく考えられたトリックが秀逸です。ただ、(ボーガス注:犯人が自分一人で自殺するのではなく我が子を道連れにする)結末は心情的に釈然としませんが。

とむらい機関車/ネタバレ感想
◆「とむらい機関車」
 “「八百屋お七」ミステリ”の(おそらく)元祖。この種の作品では、単に自己中心的な動機としか受け取れなくなってしまう危険性があり、それを回避するために工夫が必要になると思うのですが、この作品では豚の窃盗・轢殺という比較的罪が軽い事件であり、また狂った娘(ボーガス注:トヨ)のために父親が事件を起こすという構図となっていることで、トヨの思いの純粋さが損なわれていません。
 また、干菓子と抹香という手がかりもよくできています。

第6063回「大阪圭吉短篇集 その1、とむらい機関車 ストーリー、ネタバレ」 | 新稀少堂日記
「その1、とむらい(葬式)機関車」
 列車内で、ひとりの中年男が学生に話しかけてきます。なぜ毎年、3月18日にH市に行く必要があるのか。長い話です。
 語り手の中年男は、かつて鉄道で働いていました。勤務地はH市の機関庫でした。そこには、「とむらい(葬式)機関車」と呼ばれるD50・444号機関車がありました。他の機関車に比べ、轢断事故が圧倒的に多かったため、長田泉三という機関士は、四十九日の間、機関室に花輪を飾ることにしていました。そのためについた愛称(?)が、とむらい機関車でした。
 ある日、D50・444号が轢断事故を起こします。気づいたのは、機関庫に帰ってからのことでした。しかし、人間のものとは思えない剛毛が付着していたのです。地元の畜産に詳しい人に聞きますと、黒豚のものだと証言します。
 長田は、豚とはいえ弔うために、花輪を機関室にぶら下げます。しかし、数日後、ふたたび黒豚の轢断事故が発生したのです。さらに、三件目、四件目と続きます。ここで動いたのが、本省から送り込まれている助役でした。現在であればキャリア官僚ってところです。
 助役は、事故の発生日時を調べさせます。2月11日、18日、25日、3月4日、ちょうど1週間毎に起きていたのです。日曜日に当たります。助役は、現地を調べます。縄が張られていた痕跡がありましたので、豚が線路につながれていたようです。しかし、何故、豚は逃げなかったのでしょうか。
 助役は、部下の一人を連れて、3月11日を待ちます。そして、潜伏していると、豚を連れた男がやってきて、豚をつなぎます。しかし、部下が物音を立てたため、犯人には逃げられました。遺留品として、その地で使われている葬式用のせんべいが残されていましたので、地元の派出所に葬儀屋を調べさせます。
 しかし、その町に葬儀屋はありませんでした。助役としても想定していたことでした。そうなりますと、H市の葬儀屋ということになります。その店に行くと、無愛想な五十男が応対に出ます。気になったのは、色の白い妙に色っぽい若い女が、見つめていたことです。
 助役は、3月18日にも現地に向かいます。今回は巡査も連れて。しかし、今回は現れなかったのです。以下、最後まで書きますので、ネタバレになります。
 しかし、H市内で轢断事故が起きていたのです。今度は、葬儀屋の娘、おトヨでした。無残にも頭部が断裂されていましたが、おトヨに間違いありません。両脚は象皮病に冒されていました。助役の推理とも符合します。
 ここで、旅の中年男は、おトヨの遺書を取り出します。学生に読めと言うのです。その遺書には、父親が愛する娘のために犯した犯罪と、娘トヨの報われない機関士・長田泉三への想いがつづられていました。
 おトヨの父親は、轢断事故のたびに花輪を買いに来る機関士の顔を一目娘に観させるために、豚を事故死させていたのです。しかも、できるだけ花輪は、ゆっくりと作りました。しかし、そんな父親と娘が口論になったのです。思わず、娘は父親を刺し殺していました。その結果、おトヨは覚悟の自殺をしました。
 ところで、話し手の中年男は、正体を明かします。
「あっしが、その機関士でさ。おトヨの自殺を契機にすっぱり鉄道を辞めましたが、毎年命日の3月18日にはお参りさせてもらっています」
(蛇足)
 煎餅(せんべい)には、弱毒性の植物性神経毒が塗られていました。そのため、豚は汽車が来ても逃げられなかったのです。この短編では、著者の鉄道への想いが熱く語られています。

とむらい機関車・三狂人
とむらい機関車
 数年前の話なんですが、D50/444号はオサセンこと長田泉三という機関手と杉本仙太郎という機関助手の担当でした。この機関車に身を投げた女性がいたんですが、オサセンはそれから七・七日機関室に小さな花輪を飾ったのです。それから1年くらいして妙なことが起こったんです。近所から盗まれた豚が1週間おきにに轢かれるんです。それで夜待ち伏せて調べたところ黒い人影に合わせて豚がふらふらとやってくるのです。私たちが飛び出したために黒い人影は逃げていってしまいましたが豚の様子がおかしかったので調べてみると葬儀用専門の飾り菓子を食べていたんです。これにはハナシバの果実を使っていて、それにはシキミン酸という痙攣毒が含まれていることが分かりました。そこで近くの葬儀屋を当たったところ十方社というところが浮かび上がりました。そこはおやじさんと少し頭の弱い娘がいたんです。警察に連絡して次の機会に現場をおさえようとしたんですが、遅かったのですね。娘は父を殺して自殺してしまったんです。死体から遺書が出てきたんです。1年前に飛び込んだ女性は彼女の母親だったんです。それで娘はオサセンの優しさに感激し、惚れたのです。そして死人がでればオサセンが自分の家に花輪を買いに来ると考えたのです。
◆三狂人
 赤沢精神病院は今はすっかり寂れて、患者はつま先をいつも床に打ち付けているトントン、歌を歌って一人で歌手気分になっている歌姫、包帯をぐるぐる巻いて怪我をしているふりをする怪我人の三狂人だけである。赤沢医師は常々かれらに「(ボーガス注:お前らみたいなバカは)脳味噌を入れ替えなくちゃ。」と悪態をついている。ある時赤沢医師と三人の狂人がいなくなった。懸命に探すと医師はトイレで顔を壊され、脳味噌を抜き取られて死んでいた。トントンは列車に頭を轢かれて死んでいた。歌姫と怪我人は戻ってきて(ボーガス注:赤沢医師に『脳みそを入れ替えろ』と罵倒されたトントンが逆上して『医師の脳みそを抜き取って殺害した』上で自殺したと見なされ)これで事件は終わりかと思われた。しかし赤沢医師の足の裏をついた松永博士は「まだ終わっていない!」
 (ボーガス注:つま先をいつも床に打ち付けていたために足の裏が硬いはずの『列車にひかれたトントンと見られる死体』の足の裏が柔らかいのに対し、『赤沢医師と見られる死体』の)足の裏が堅いのだ。するとトイレで死んでいたのはトントン。怪我人の包帯をとると赤沢医師になった。すると列車に轢かれたのは怪我人!。破産に瀕した医師が、(ボーガス注:自らにかけた)保険金獲得をねらって自己の消滅をはかった大ばくちでした。
◆寒の夜晴
 また雪の季節がやってきた。すぐに私は可哀相な浅見三四郎のことを思い出す。彼は私の勤めていたH市の女学校で英語の教師をしていた。家には愛する妻の比露子と子供がおり、用心棒に従兄のM大学学生及川がいた。クリスマス・イブの夜、生徒の通報で駆けつけた私は、ストーブの灰掻棒で乱打されたらしい比露子と及川の死体、それに散乱した真新しいおもちゃを発見した。窓が開いており、スキーのあとが続いていたから、賊は窓から逃げたらしい。賊は子供を抱えていったのだろうか、1本のストックで走っているようで、途中の原で消えていた。
 しかし到着した、女学校の物理教師の田部井氏は、スキーの跡は逃げて行ったのではなく、犯人がやってきた跡、スキー跡が途中で原で消えているのはそこで雪が止んだから、1本のストックで走っているのはプレゼントを抱えていたから、と解釈する。弱いスキー跡がもう一つ隣の空き家に向かってついていた。中には(ボーガス注:妻と、妻と姦通していた及川を殺害した後に自殺した)三四郎と(ボーガス注:三四郎によって無理心中させられた)子供の死体。ロマンチックで悲しくて、それでいて推理小説として楽しめる作品である。


【葛山二郎*7

戦前の探偵小説作家についてまとめてみた : 物語良品館資料室
◆葛山二郎(くずやま・じろう)1902―1994
 「赤いペンキを買った女」は江戸川乱歩から戦前のベスト短編ミステリーと称された。

探偵小説三昧 葛山二郎『葛山二郎探偵小説選』(論創ミステリ叢書)
 二十年ぐらい前に国書刊行会から出版された『股から覗く』でも代表作をひととおり読むことができるが、本書はそこから漏れた著作も残らず入れましたという陣容で、早い話が葛山二郎全集。
 印象に残る作品となると、どうしても国書版とかぶってしまうけれど、まずはアンソロジーでお馴染みの「赤いペンキを買った女」とその続編「霧の夜道」。戦前に書かれた法廷ミステリというだけでも読む価値ありだが、蝸牛に関するアリバイ工作という発想が面白い。
 戦前では数少ない本格志向の作家でもあるし、戦前探偵小説のファンなら本書は必読といっていいんではなかろうか。

*1:『日本探偵小説全集〈12〉:名作集2』は葛山二郎『赤いペンキを買った女』以外では大阪圭吉『とむらい機関車』(現在は大阪『とむらい機関車』(2001年、創元推理文庫)にも収録)、『三狂人』、『寒の夜晴れ』(『三狂人』、『寒の夜晴れ』、ともに現在は大阪『銀座幽霊』(2001年、創元推理文庫)にも収録)、『三の字旅行会』、蒼井雄(あおいゆう)の『霧しぶく山』(現在は『蒼井雄探偵小説選』(2012年、論創社ミステリ叢書)にも収録)、『船富家の惨劇』が収録されています。いずれも戦前のミステリ作家ですが「ビッグネームである江戸川乱歩横溝正史」に比べたら余り有名とは言いがたいでしょう。しかし「蒼井優(あおいゆう、女優)」と「蒼井雄(あおいゆう、作家)」の名前が『読みは一致している』のは偶然なのか、必然(蒼井雄からヒントを得て蒼井優命名)なのか気になるところです(まあ偶然とは思いがたいので必然なのでしょうが)。

*2:論創社ミステリ叢書は蒼井雄、大阪圭吉、葛山二郎のようなややマイナーなミステリ作家の著書を刊行している面白い叢書です。

*3:1909~1975年。1925年、大阪市立都島工業学校 (現・大阪市立都島工業高等学校)電気科を卒業し、宇治川電気に技術者として入社。戦中戦後の電力統制に伴って関西配電社員となり、さらに戦後の電力再編で成立した関西電力に所属。1964年の定年退職まで関西電力に勤務し、その後も1971年まで電気関連会社に勤めた。創作は常に余技であった。1935年、春秋社の書き下ろし長編探偵小説懸賞募集を知り、『殺人魔』を応募。本作は江戸川乱歩の激賞を受けて懸賞の第一席を獲得し、1936年3月に『船富家の惨劇』と改題されて刊行された。著書『瀬戸内海の惨劇』(1992年、国書刊行会)、『蒼井雄探偵小説選』(2012年、論創社ミステリ叢書)(ウィキペディア『蒼井雄』参照)

*4:1992年に国書刊行会から復刻されている。

*5:1953年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞。1957年、短編集『顔』が日本探偵作家クラブ賞(現・日本推理作家協会賞)を受賞。1958年には『点と線』『眼の壁』を発表。これらの作品がベストセラーになり松本清張ブーム、社会派推理小説ブームを起こす。

*6:1912~1945年。推理小説作家・甲賀三郎(1893~1945年。著書『甲賀三郎探偵小説選』(2002年、論創社ミステリ叢書)、『甲賀三郎探偵小説選2』、『甲賀三郎探偵小説選3』(2017年、論創社ミステリ叢書)、『蟇屋敷の殺人』(2017年、河出文庫)、『甲賀三郎探偵小説選4』(2020年刊行予定、論創社ミステリ叢書))の推薦により、「デパートの絞刑吏」を『新青年』1932年10月号に発表して作家デビュー。1936年(昭和11年)に初の単行本である『死の快走船』を発行。太平洋戦争激化に伴い、1943年(昭和18年)に応召。満州からフィリピンへと転戦し、1945年(昭和20年)7月2日、ルソン島にて病死した。著書『とむらい機関車』(1992年、国書刊行会)、『銀座幽霊』、『とむらい機関車』(以上、2001年、創元推理文庫)、『大阪圭吉探偵小説選』(2010年、論創社ミステリ叢書)、『死の快走船』(2014年、戎光祥出版ミステリ珍本全集)、『花嫁と仮髪:大阪圭吉単行本未収録作品集1』(2018年、書肆盛林堂)、『マレーの虎:大阪圭吉単行本未収録作品集2』、『沙漠の伏魔殿:大阪圭吉単行本未収録作品集3』(以上、2019年、書肆盛林堂)(ウィキペディア「大阪圭吉」参照)

*7:1902~1994年。著書 『股から覗く』(1992年、 国書刊行会)、『葛山二郎探偵小説選』(2012年、論創社ミステリ叢書)(ウィキペディア『葛山二郎』参照)