今日の産経ニュース(1/18分)(追記あり)

■日本人の心 楠木正成を読み解く:序章(2)建武の新政 どんな環境に置かれても
https://special.sankei.com/f/column/article/20190118/0001.html
 個人的には「楠木正成なんて全然、日本人的じゃねえよな」と思います。
 むしろ「南北朝動乱当時においてほとんどの武将は楠木正成のように理念に殉じてなどいない」「足利氏につくのと後醍醐につくのとどっちが得かで動いた」からこそ、足利氏は後醍醐に政治的、軍事的に勝利したわけです。今だってほとんどの日本人はそうでしょう。
 理念とか正義とかに殉じる日本人ばかりなら安倍のようなモリカケ野郎が総理などやっていません。

 学習院大の兵藤裕己(ひろみ)*1教授は「建武の新政はその約300年前に中国大陸に出現した宋王朝を理想としていた」と指摘する。唐代に蔓延(まんえん)していた一部の貴族による門閥(もんばつ)政治が戦乱を経て淘汰(とうた)され、実力本位の官僚国家として誕生したのが宋だった。

 ということで客観的にどうだったかはともかく、「建武の新政」は後醍醐にとってまさに「新政」であり単なる復古ではなかったわけです。


■【野党ウオッチ】立憲民主党枝野幸男代表のお伊勢参り、ネットで炎上したが
https://www.sankei.com/premium/news/190118/prm1901180007-n1.html

 立憲民主党枝野幸男*2代表(54)が4日、三重県伊勢市伊勢神宮を参拝したことが波紋を広げている。平成29年10月の結党以来初めての参拝だったが、旧社会党*3出身の阿部知子*4衆院議員(70)や支持者がツイッターなどで公然と批判。参拝には夏の参院選に向け保守層にも支持を広げる思惑があったようだが、党の支持層の左派体質*5が改めて浮き彫りになった。
 立憲民主党は4日、枝野氏らの伊勢神宮参拝をツイッターの党公式アカウントで報告した。蓮舫*6副代表(51)や芝博一*7参院国対委員長(68)ら党幹部も同行し、一緒にかしわでを打つ写真もアップした。
 福山氏*8は冬晴れに恵まれたことに触れ、自身のツイッターに「春から縁起がいい」と書き込んだ。
 枝野氏の参拝を投稿したツイッターは思わぬ事態を招く。支持者と思われるフォロワーから、参拝を猛批判する投稿が殺到したのだ。
 「支持層に背中を向ける行為です。どなたかがツイートされていましたが、伊勢神宮なんか行かず、(沖縄県名護市)辺野古に行くべき」
 「自分たちが保守であることを強調したいようだが、それが支持拡大に貢献するとは自分は思わない」
 「政教分離はどうするの? 内閣総理大臣になったら参拝する? 」
 ツイッターでは、政調会長に内定した逢坂誠二*9衆院議員(59)が昨年1月、政府に「安倍総理伊勢神宮参拝に関わるLINEでの発信」に関する質問主意書を提出し、首相の伊勢神宮参拝を批判していたことも指摘されている。

 そもそも産経が書くように「保守層にも支持を広げる思惑があった*10」「だからツイッターで参拝を宣伝した」のなら、枝野批判者が指摘するように政教分離的な観点で問題大ありです。
 それは小泉氏*11や安倍*12が「ウヨ支持層にこびるために靖国に行った」り、安倍が「ウヨ支持層にこびるために新年に伊勢神宮へ行く」のとどこが違うのか。そして右翼・安倍が「右翼的な思惑で伊勢神宮参拝してる今」、枝野らには政治センスがないにもほどがあります。
 「枝野が伊勢神宮以外の神社へ行けば」、あるいは「伊勢神宮に行っても枝野一人の個人的参拝で、党幹部を引き連れたりせず、かつ彼がわざわざ参拝をツイッターなどで宣伝しなければ」誰も批判なんかしません。
 枝野は「日頃の活動場所は国会のある東京」だし選挙区は埼玉です。三重選挙区の岡田氏*13ならともかく、伊勢神宮へ行かなければいけない理由はどこにもありません。
 東京の明治神宮でも、埼玉の大宮氷川神社でもいいのになぜ、わざわざ三重の伊勢神宮に行くのか。ここに名前が出てくる人間で三重選出は「芝氏だけ」で蓮舫氏は東京、福山は京都です。まさか、枝野らは「芝氏に配慮した」とは言わないでしょうし、言っても何の説得力もない。
 「埼玉が選挙区の枝野代表に配慮して埼玉の神社に行きました」ならまだしも。
 なお、「話が脱線しますが」京都選出の福山は元々、「同じく京都選出の」改憲右派・前原*14に近い人間ですし、芝氏は野党共闘候補として共産、社民の支援を受けるに当たり、日本会議議連を脱会しましたが、元々は日本会議議連に入っていた御仁です。福山や芝氏の存在を考えれば立憲民主がリベラルと言えるかは甚だ疑問です。また芝氏を「日本会議議連脱会を支援の条件にした」「安倍打倒のためには小異にこだわってられない」つう事情はあるとは言え、共産、社民が「渋々であれ」芝支援をしたことは「是非はともかく」彼らが産経などウヨが言うほど「ゴリゴリの左派ではないこと」を示しています。
 「話を元に戻しますが」もちろん「枝野らの伊勢神宮参拝を批判すること」は「アンチ極右」ではありえても、何ら「左派」ではありません。穏健保守からでてもおかしくない批判ですし、実際批判者が軒並み左派なんて事はない(別に左派だって何の問題もないわけですが)。
 それが左派なら、むしろ「左派であるべき」「右派であってはならない」わけです。まあ、こんなことで左派呼ばわりする産経がおかしいんですが。
 まあ、こうしたことが俺が立憲民主党を支持できない理由ですね。となると支持率も考えると「共産主義支持でなくても」、俺的には「共産しか選択肢がなくなる」わけです。
 そういえばこの枝野伊勢参拝で思い出したことがあります。「俺のうろ覚え」なので「勘違いかもしれません*15」が以前、読んだある文章によれば松岡洋右*16(第二次近衛内閣で外相)は外遊する際は、「参拝が物理的事情などで、どうしても不可能なとき以外は」常に「外遊前と外遊後に」、伊勢神宮に必ず参拝していたそうです。
 部下である外務官僚が当然ながら「毎回、外遊のたびに伊勢神宮参拝をセットするなんて手間がかかって大変だ」などと「不平を口にする」と「それでも公務員か。君には愛国心がないのか」などと烈火のごとく怒ったとか。まあ当時は新幹線なんて便利なもんもありませんからね。今以上に三重行きは時間がかかります。
 なお、そんな外相は戦前ですらどうも松岡だけのようです。つうか戦前ですら、「がちのウヨ」でもそういう人は少ないんじゃないか。そして安倍だってまさか外遊のたびに「伊勢神宮参拝」したりはしないでしょう(ということで「うろ覚え」ですが、小生の記憶にも残ってるわけです)。
 これが「天皇崇拝者をアピールする松岡の政治的パフォーマンス」か「がちでそういう右翼だった」のかはともかく、「合理主義者」昭和天皇自身はそうした松岡の行為を「外遊する際にいつもいつも、東京からわざわざ三重の伊勢に行くなど、時間がかかるだけでばかばかしい」と大して評価もしてなかったとか。
 しかも、ウィキペディア松岡洋右」「富田メモ」によれば

松岡洋右
昭和天皇は松岡を徹底して嫌っていた。『昭和天皇独白録』にも「松岡は帰国してからは別人の様に非常なドイツびいきになった*17。恐らくはヒトラーに買収でもされたのではないかと思われる*18」、「一体松岡のやる事は不可解の事が多いが彼の性格を呑み込めば了解がつく。彼は他人の立てた計画には常に反対する、また条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格*19を持っている」、「5月、松岡はソ連との中立条約を破ること*20イルクーツクまで兵を進めよ)を私の処にいってきた。こんな大臣は困るから私は近衛*21に松岡を罷めさせるようにいった」というような非常に厳しい言葉を残している。
 なお、1978年(昭和53年)に靖国神社A級戦犯を合祀した際、昭和天皇の意を汲んだ宮内庁が、「軍人でもなく、死刑にもならなかった人を合祀するのはおかしい」と、同じく文官で死刑にもならなかった白鳥敏夫*22・元イタリア大使の合祀とともに、松岡の合祀に強く反対したというエピソードもある。

富田メモ
 いわゆる富田メモからは松岡洋右白鳥敏夫が合祀されたことに昭和天皇が強い不快感を持っていたことが読み取れる。

ですからね。
 松岡がこうした伊勢参拝を「一番褒めてほしかったのは昭和天皇だった」でしょうから皮肉な話です。
 なお、靖国合祀された戦犯では『外交官出身で裁判中に病死した松岡(元外相)』『外交官出身で獄中で病死した白鳥(元イタリア大使)』以外では

・外交官出身で獄中で病死した東郷茂徳(東条内閣、鈴木内閣で外相)
・司法官僚出身(元検事総長)で獄中で病死した平沼騏一郎(枢密院議長、首相など歴任。平沼赳夫経産相の義父)

が『軍人でもなく、死刑にもならなかった人』にあたります。
 靖国合祀された戦犯で「死刑になった軍人」が、

板垣征四郎*23
木村兵太郎*24
東条英機*25
松井石根*26
武藤章*27

で、「獄中で病死した軍人」が

梅津美治郎*28
・小磯國昭*29
土肥原賢二*30
永野修身*31

で「死刑になった文官」が

・外交官出身の広田弘毅*32

です。

*1:著書『太平記<よみ>の可能性』(2005年、講談社学術文庫)、『〈声〉の国民国家浪花節が創る日本近代』(2009年、講談社学術文庫)、『琵琶法師』(2009年、岩波新書)、『王権と物語』(2010年、岩波現代文庫)、『平家物語の読み方』(2011年、ちくま学芸文庫)、『後醍醐天皇』(2018年、岩波新書)など

*2:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相民主党幹事長(海江田、岡田代表時代)、民進党代表代行(前原代表時代)を経て立憲民主党代表

*3:社民党と書かない理由は何でしょうか?

*4:社民党政策審議会長、みどりの風代表代行、日本未来の党代表、民進党副代表などを歴任。

*5:支持層には左派もいるでしょうが、そもそも「左派しかいなかったら」枝野はこんな参拝などしません。産経のくだらない決めつけですね。まあ産経もそんなことは自分で分かってるでしょうが。

*6:菅、野田内閣行政刷新担当相、民主党代表代行(岡田代表時代)、民進党代表など歴任

*7:野田内閣で官房副長官

*8:鳩山内閣官房副長官菅内閣外務副大臣民主党政調会長(海江田代表時代)などを経て立憲民主党幹事長

*9:菅内閣総務大臣政務官

*10:もちろん、これが事実なら、政教分離だけでなく「別の観点」、つまり「保守層の歓心を買うために枝野ら立民党執行部が反共に舵を切り、『共産を含む野党共闘』を前原らの希望の党騒動のような形で破壊し、また安倍を利するのではないか」つう観点でも俺的には問題ですが。

*11:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相

*12:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*13:鳩山、菅内閣外相、民主党幹事長(菅代表時代)、野田内閣副総理・行革相、民主党代表代行(海江田代表時代)を経て民主党代表

*14:鳩山内閣国交相菅内閣外相、民主党政調会長(野田代表時代)、野田内閣国家戦略担当相、民進党代表など歴任

*15:正直、ネットで「松岡洋右伊勢神宮」などでググってもそういう話が出てきませんので、松岡以外の人間かもしれません(産経あたりが松岡美化の記事にしてもおかしくない話ですし)。読んだ文章も「題名や筆者名についてメモでもとっておけば良かった」のですが、とっていなかったので、文章の題名も筆者の名前も覚えておらず探すのが困難です。誰かに「確かにそういう論文がありますよ」などとご教示頂けると大変幸いです。その文章が載っていたのは「月刊・日本歴史」(吉川弘文館)だった気がしますがうろ覚えなので断言は出来ません。いずれにせよ以下は「松岡のエピソードだ」という前提で話をします。

*16:満鉄総裁、第二次近衛内閣外相など歴任。戦後、A級戦犯として裁判中に病死。後に昭和殉難者として靖国に合祀。

*17:もちろん、松岡の場合「機会主義者だ」と評価すればドイツびいきは簡単に理解できます。「ドイツの羽振りの良さ」に「バスに乗り遅れるな」と思っただけの話です。問題はそのバスが「1945年の敗戦まっしぐらだった」ことですが。「拉致敗戦というバス」にずっと乗り続ける横田奥さんのようなもんです。ただしそれはもちろん松岡一人のせいではない。

*18:「話が脱線しますが」北方領土問題での、安倍のプーチンに対する弱腰ぶりは「プーチンに買収でもされたのか」と疑いたくなるほどです。

*19:「松岡とは違う意味で」そういう異常な性格を保有してるのが安倍ではないかと思います、。

*20:松岡という人間がいわゆる「機会主義者」で松岡のいわゆる「日独伊ソ四国同盟論(日独伊三国同盟&日ソ中立条約&独ソ不可侵条約)」も単に「中国蒋介石政権や蒋介石を支援する英米」と対抗するためのマキャベリズムでしかなかったことが分かります。ただ、体面を気にする昭和天皇や近衛は、「ドイツがソ連相手に戦争を始めた以上、日ソ中立条約など反故にしていい。ソ連英米側に回られたら厄介だ。ドイツと一緒にソ連を攻めるべきだ」と主張する松岡ほど露骨にマキャベリストにはなれませんでした。

*21:貴族院議長、首相を歴任。戦後、GHQの戦犯指定を苦にして自殺。

*22:イタリア大使として日独伊三国同盟締結に尽力(但し締結時の大使は白鳥ではない)。戦後、戦犯として裁かれ終身刑判決で服役中に病死。後に昭和殉難者として靖国に合祀。

*23:関東軍高級参謀として満州事変に関与。関東軍参謀長、第一次近衛、平沼内閣陸軍大臣朝鮮軍司令官、第7方面軍(シンガポール)司令官など歴任

*24:関東軍参謀長、陸軍次官、ビルマ方面軍司令官など歴任

*25:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任(太平洋戦争開戦時の首相)。戦後、A級戦犯として死刑判決。後に昭和殉難者として靖国に合祀。

*26:台湾軍司令官、上海派遣軍司令官、中支那方面軍司令官など歴任

*27:支那方面軍参謀副長、北支那方面軍参謀副長、陸軍省軍務局長(調査部長兼務)、近衛師団長、第14方面軍(フィリピン)参謀長を歴任。

*28:支那駐屯軍司令官、関東軍司令官、参謀総長など歴任

*29:陸軍次官、朝鮮軍司令官、平沼、米内内閣拓務大臣、朝鮮総督、首相を歴任

*30:奉天特務機関長、ハルビン特務機関長、第7方面軍(シンガポール)司令官、陸軍教育総監など歴任

*31:広田内閣海軍大臣連合艦隊司令長官(第一艦隊司令長官兼務)、軍令部総長など歴任

*32:斎藤、岡田、第一次近衛内閣外相、首相を歴任